前日にヘルシンキからセイナヨキに移動してアールトの作品を眺め、朝の列車でセイナヨキからハーパマキへ移動します。
セイナヨキの駅には5:45に到着しましたが、なんと駅は6:00にならないと開かないとのこと。日本の駅舎は24時間、改札口までは入れることが多いですが、この駅はそうはなっていなかったのです。近くのカフェでジュースとサンドイッチ、それにコーヒーの朝食を取りつつ駅が開くのを待ちます。
6時半の列車でセイナヨキを出発、8時にハーパマキに到着しました。ここの駅舎は木造でかわいらしい。列車を下りた人はあまりおらず、私たちはプラットフォームで荷造りをしていざ出発。
お天気は残念ながら雨模様で、路面が濡れているのでもうすでに一雨あったようです。
この日は古い木造の教会を二カ所尋ねて、アールトの仕事が残されているユヴァスキュラまで80km走ります。この距離は日本でもあまり走ったことのない距離なので、完走できるかちょっとドキドキです。
ユヴァスキュラまでは一本道なので迷う心配はありません。走り出すとすぐに湖が現れました。このあたりから東はフィンランドの中でも特に湖が多い湖水地方と呼ばれている地域で、あちこちに湖があります。曇り空のせいもありますが、湖はブルーではなく黒っぽく見えます。
道は真っ平らでアップダウンはまったくといっていいほどありません。これは自転車が初級者の私たちにはとても都合がよく、走っていて見えるのは林とところどころに現れる湖だけで、民家などもほとんどありません。交通量は少なく、車は追い抜くときには大きく迂回して避けてくれるので安心です。
一時間ほど走るとケウルーに到着しました。ここにお目当ての最初の教会があります。
小さいけれど端正なプロポーションのこの建物は、赤茶に塗られた木の外壁にこけら葺きの屋根が乗っています。一枚一枚のこけらの形を変えて、屋根全体で大きな模様になるようになっています。後ろに廻ると、アプスに相当するような出っ張りの部分の屋根だけ曲線なのが面白い。
内部は外観からは想像できない白い色の壁と天井でした。正面に磔のキリストが描かれた絵があり、この建物がキリスト教会であることを示しています。天井にも天使などの絵が描かれています。
教会のまわりには素朴なお墓が並んでいます。非常にシンプルですが美しい墓地です。
ここにはもう一つ教会があります。こちらが新しい方で煉瓦造のようです。古い方はヴァナキュラーで小さな十字架がなければ教会だとわからないような姿をしていますが、こちらはヨーロッパのどこか、とにかくあるスタンダードな教会の形ですね。
たっぷりと時間を使い、ケウルーの教会の周りで過ごしたあとは、もう一つの木造の教会があるペタヤヴェシに向かいます。
道は相変わらず真っ平らで変化に乏しく、ごくたまに民家が現れるだけで、あとは森が続くだけ。
休憩するにもたいした拠り所がないので、道端に腰を下ろして休憩します。
2時間ほどほとんど変化のない道を走り、ちょっと退屈してきたころ、濡れた路面の先に小さな尖塔が見えてきました。
ペタヤヴェシの教会は道路のすぐ脇に建っていました。この教会は先のケウルーのものとほぼ同じ時代に造られたもので、大きさは良く似ていてとても小さい。
ケウルーのとの違いは、こちらは塔と礼拝堂が別れていること、壁の構造が木を積み上げただけの、いわゆるログハウスであることでしょうか。
屋根は両方とも細かいこけら葺き。
教会のすく横が墓地なのはケウルーと同じですが、ケウルーのそれはモダンで同じ形の墓石が整然と並んでいたのに対し、こちらは大きさも形もバラバラなクラッシクな墓石が間隔を開けて置かれています。
この建物で装飾と呼べそうなものは塔上部の外壁の葺き方くらいしかないのですが、これが効いていて、ちょっと洒落て見えます。
壁の構造は所謂丸太組みなのですが、ここでは丸太そのままではなく、きちんと製材された方形の材が使われています。
木造の継手や仕口といったものは外見だけでは構造がわからないこともあるのですが、このコーナーを見ると、そう複雑な加工はされていないようです。
内部はケウルーのものより質素で、壁はログがむき出しのまま。天井も板張りでケウルーのような絵が描かれることもありません。正面祭壇にはやはりキリストの絵が掛けられていますが、ケウルーのようにそれを縁取る装飾はまったくありません。
入口の側にはごく僅かな装飾のある手すりを持つ小さなバルコニーがありますが、このバルコニーも素材は他のものと同じ木です。この内部空間は単一の素材で造られているのです。
装飾といえるのは天井からぶら下げられたこの蝋燭を灯す照明と、
正面中央から少しずれたところに置かれたこれしかありません。これはキリストと天使だったか、とにかくそんなものの像なのだそうです。民族的ヴァナキュラーな表現がそのままこの像になったような、素朴でかわいらしい感じのものです。
一通りこの古い教会を見終わったあと、少し先にある小さなレストランで昼食にしました。このペタヤヴェシには小さいながらも村があります。
食事が終わって走り出すと、ついに雨がパラパラと降ってきました。まだ目的地のユヴァスキュラまでは30km以上あります。いつしか雨は本降りに。着慣れないポンチョを被り、なんとかペダルを回します。
ユヴァスキュラが近づくにつれ交通量が多くなり、時折通過する大型トレーラーはもの凄い風圧で水しぶきを飛ばして脇を行きます。こんなときにはポンチョが風圧でめくり上げられ、顔の前を塞ぎます。
『ギャー、前が見えない~』
もうすぐユヴァスキュラという時にサリーナが道端にヨタヨタ~と停止。もうへろへろなのでした。
しかしなんとかユヴァスキュラの街まで辿り着き、目的の宿を探します。ところがこの宿は坂の上だったのです。もう限界… と自転車を降りてこの坂をヨロヨロ押し上げるサリーナでした。
18時過ぎにホテルにチェックインし、シャワーを浴びてベッドに横になると、疲れが一気に襲ってきてすぐに寝入ってしまいました。ふと目覚めたのは22:30。夕食がまだだったので飛び起きて、労働者会館の近くのレストラン・バーに向かいました。
初めてのちょっとした距離の海外サイクリングは、こうして雨のせいもありノックアウト状態でした。しかし、こんなコースは自転車がなければ絶対に思いつかなかったことでしょう。二つのかわいらしい古い木造の教会を見ることができたのは自転車のおかげなのです。
ユヴァスキュラはアールトが少年時代を過ごし、最初に事務所を開いた地です。労働者会館(1925)は彼の最も初期のころの仕事で、まだ新古典主義の影響下にあるものです。
そんなわけでここにはアールトの美術館があり、建築の写真や家具、食器といったアールトの作品を見ることが出来ます。
ユヴァスキュラから20kmほどのセイナツァロには、おなじくアールトの油の乗り切った時代の仕事である村役場があるので、翌日に尋ねました。こちらは新古典主義から脱却し、アールト独自の世界を築いたもので素晴らしかった。
しかしユヴァスキュラへ帰るころには雨が降り出しました。そこでバス輪行をしてみることにしました。やってきたバス自体はどこにでもあるようなものですが、車内の一角に車いす用と思われる座席のないスペースがあったので、そこに問題なく自転車を置くことができました。こうしてこの日は海外初のバス輪行体験となったのでした。この2日間で、海外でのまともな距離のサイクリングとバス輪行という、ちょっとした体験ができました。