この企画の基本的なことと歌川広重の『東海道五拾三次』については カミーノ・デ・東海道五拾三次 を参照ください。
2020年4月7日に出された新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言は5月25日に解除されましたが、2021年1月8日に二度目のそれが出されました。今回の期間はとりあえず一ヶ月ですが、それでは済まないでしょう。週末輪行サイクリストだった私は遠出がし難くなったので、毎日近所を走ることにしたのですが、これは郊外をのんびり走るようなわけにはいかず、なかなかモチベーションが保てません。そこで東海道に出かけることにしたのです。ヴァーチャルで。
設定したルートはGoogleマップ上で旧東海道などと表示があるところなど、概ね江戸時代の東海道をなぞったつもりですが、当時の道が失われた箇所や不明箇所、そして現実には通行できないところもあり、かなりいい加減です。まあ、走ったつもりになれればそれでいいのです。
2021年01月20日(水)晴れ/0°〜7°C/上野コース/走行距離15km/日本橋→品川宿→梅屋敷
カミーノ・デ・東海道五拾三次 の初日は晴れ。しかし気温は低く5°Cです。
日本橋に立ったつもりで自宅を出発。コースは私の定番の上野コース。街中だけど下町で比較的静かなところ。車があまり通らないコースです。小石川→駒込六義園→西日暮里→谷中→上野公園→本郷→小石川 でぴったし15km。
日本橋を出立し、京橋、銀座、新橋と進んで旧新橋停車場で列車に乗ろうかどうしようか迷い、金杉橋を通って高輪の大木戸で江戸に分かれを告げます。
品川宿で日本橋で一緒だった大名行列と再び顔を合わせるも、そこで女郎衆に 袖ひかれ・・ 当時の品川は海苔や貝などが有名だったから、ここはあさりでもいただいておきましょう。鈴が森で磔になりそうになるも、大森の松茸を遠慮したのでなんとか蒲田の梅園に逃げ延びられました。
走った〜 データ入れた。地図に表示された!
広ちゃんとクッキーは11km走り、今、品川の先の立会川でうまい蕎麦を喰っているみたいだ。とりあえずここまでは彼らに先行!
2021年01月21日(木)晴れ/-1°〜12°C/上野コース/走行距離15km/累積距離30km/梅屋敷→川崎宿→神奈川宿
きょうは暖かくなるそうです。しかし朝はそうでもなく、4°C。ただ風がないので体感温度は上々、日向はポカポカです。コースは昨日と同じく上野コース。昨日までの走行データを見ると、あれれ、クッキーたちはすでに22km地点まで行っていて私を追い抜いている。そっか、通勤片道11kmで往復22kmか。まずい、このペースだと引き離されてしまう。
梅屋敷を出て呑川を渡り蒲田を通り抜け、多摩川の六郷橋を渡って川崎に入り、よねまんじゅうを食べようかどうしようか迷って・・・ そしてただいま神奈川宿。
夜に広ちゃんとクッキーから、一足先に戸塚宿に着きました〜 と連絡あり。ここまでの彼らの累積距離は44kmで、すでに14kmも引き離されている。。。
2021年01月22日(金)晴れ/3°〜13°C/上野コース/走行距離15km/累積距離45km/神奈川宿→保土ヶ谷宿→戸塚宿
朝10時過ぎの気温は8°Cで、そう寒くはありません。予報では曇りでしたが青空が広がっていて、まだ雲が出てくる気配はありません。
神奈川宿を出発。かつての神奈川台あたりからは海はまったく見えず、海岸は埋め立てられて海辺そのものが消失してしまったので、海岸に出ても当然ながら、北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』を期待すのは無理というもの。ということでここはひたすら西へ向かうだけ。
こちや 神奈川急いで 程ヶ谷へ
とはこのことだったか。(笑)
帷子川(かたびらがわ)に架かる新町橋を渡り、東海道本線を超えて保土ヶ谷に到着。ひと呼吸付いたら権太坂(ごんたざか)を上ります。ハヒハヒ。これを上り切ると武蔵国と相模国の国境です。ここは現在は神奈川県ですから、武蔵国はずいぶん広かったんですね。残念ながら今はここで、名物だったという牡丹餅(ぼたもち)を出すところはないようです。
品濃一里塚を眺め、信濃坂を下るも痴話で口説く女は見当たらず。大山道の分岐を過ぎ、粕尾川に架かる吉田大橋で広ちゃんの絵に思いを馳せ、戸塚宿に着いたら、ほいさ〜 と自転車から飛び降ります。
ここまで比較的快調なペースと思いきや、広ちゃんとクッキーはすでに66km地点で平塚宿に着いているといいます。私は45km地点。ん〜〜ん、明日は雨らしいけど走らないと追いつかないなぁ。。
2021年01月23日(土)曇りパラ雨/3°〜10°C/雑司ヶ谷コース/走行距離15km/累積距離60km/戸塚宿→藤澤宿→茅ヶ崎
この週末は天気が崩れ、今晩から雪になるかもしれない。昼間は雨で朝方は曇りという予報。そして珍しくも朝に最高気温があり、遅くなれば遅くなるほど気温が下がると。8時20分出発。気温は10°Cと寒くはありませんが、なんとすでに雨がパラパラ。しかし風がないので、この雨は気になるほどではありません。実走では今日からサリーナが相棒です。
今日は雑司ヶ谷コース。小石川→飯田橋→市ヶ谷→四谷→曙橋→東新宿戸山公園→雑司ヶ谷鬼子母神→小石川 の15km。
東海道は戸塚宿を出るとすぐに大坂を上ります。この坂は昔は一番坂と二番坂と並び、合計の長さは160mほどだったようです。(『新編相模国風土記稿』) それが昭和時代の改修工事でなだらかにされ、現在は700mほどになっています。かつてはもの凄い勾配だったということですね。とにかくこの大坂をえっちらおっちらと上ります。なんとか上り切るとバイパスの国道1号線に合流。これを南下すると原宿です。広ちゃんの絵ではこのあたりに松林があり富士山が見えているのですが、そのどちらも確認できません。
r30の旧東海道に入るとかろうじて残っている数本の松の木を発見できました。遊行寺の総門と『いろは坂』を覗いたら藤沢に入ります。桔梗屋店蔵を眺めて引地川を渡り、藤沢バイパスに合流すると、そこは大山道四谷道の起点で大山阿夫利神社の一の鳥居が立っています。茅ヶ崎をスルーし、もうちょっとで千ノ川ですが、今日はここまで。この天気では鳥井戸橋から『南湖の左富士』は見えないでしょうから。
2021年01月25日(月)晴れ/5°〜13°C/水道コース/走行距離15km/累積距離75km/茅ヶ崎→平塚宿→大礒宿→二宮
昨日は雪は降りませんでしたが雨でした。今週は週中に天気が崩れるようなので、走れる時に走っておきたいところです。8時過ぎの気温は7°C。数字だけ見ると寒そうですが、そうでもありません。
今日は水道コース。小石川→飯田橋→市ヶ谷→四谷→河田町→早稲田→神楽坂→水道→小石川 の15km。
東海道はまず千ノ川を渡ります。その鳥井戸橋には『南湖の左富士之碑』が立っています。ここからは現在も左冨士が望めます。今日は晴れているので、現地ではきれいな富士山が見えたことでしょう。鶴嶺八幡宮の鳥居を横目に進んで、小出川の袂に出ます。そこには源頼朝が架けさせたという橋の橋脚が七本も残っています。
馬入橋の途中にある『日本橋より62km』の標識を眺めたら平塚です。今は女郎もおらず、ここで声を掛けてくるものもいません。平塚八幡宮にお参りしたら、かつての街道を抜けて行きます。先には坊主頭の高麗山。
花水川に架かる花水橋を渡り大磯に入って行きます。化粧坂信号で国道1号線から別れて進むとそこは松並木が残る道で、虎御前が化粧したと伝わる化粧井戸があります。東海道線をくぐると大磯宿です。東海道五拾三次『大礒』の副題は『虎ヶ雨』ですが、今日は雨は降りそうにありません。火除土手跡をちらっと眺めたら、かつての東海道を西へ向かいます。このすぐ南には太平洋が開けているのですが、この道からそれはまったく見えません。
葛川に架かる塩海橋を渡ると二宮です。今日はここまで。広ちゃんとクッキーはというと、すでに小田原に着いて、小田原城を見て温泉に浸かり、蒲鉾を食べているそうな。すこしがんばらないと引き離されてしまう。
2021年01月26日(火)晴れのち曇り/4°〜13°C/雑司ヶ谷+上野コース/走行距離30km/累積距離105km/二宮→小田原宿→箱根宿
午前中は晴れで午後は曇りの予報。9時過ぎの気温は7°C。広ちゃんとクッキーにだいぶ遅れを取ってしまったので、今日は少し距離を延ばし、雑司ヶ谷+上野コースにしました。
東海道は二宮を出て酒匂川を渡り、小田原に入りました。今日は酒匂川を渡るのはとても簡単ですが、この川はかなり幅があるので、橋がなかった江戸時代はかなり時間がかかったことでしょう。小田原城を横目に進み、小田原提灯を眺めて、蒲鉾を補給食用に買ったら、箱根を目指します。
もちろん通るのは新道ではなく旧道。つづら折れの道をえっちらおっちら上って行くと、上の方には石畳の東海道が残っています。しかしこれは自転車ではむずかしいですね。今回のプログラムでは坂道やダートは考慮せず、距離カウントだけなので、あっという間に箱根の上りを終えます。これは早くていいですね。インカ道に行っているサリーナは、坂道と標高によるロスもプラグラムに入れているので、それなりに大変そうです。この上りの終盤に茶屋があるので、甘酒休憩といきましょう。
ダーッと下って赤い大鳥居が見えたと思ったら、芦ノ湖の畔に到着。富士山がきれいに見えています。ここから箱根の関所まではすぐ。広ちゃんとクッキーは99km地点でお茶していたようで、いつの間にか追い越していました。ところが夜にデータを確認すると、彼らは夜中に走ってこっそり関所を抜けたらしく、結局この日も5km先行されてしまいました。まあ、それはともかく、平日の30kmはやはりちょっときついです。
2021年01月27日(水)曇り/8°〜16°C/雑司ヶ谷コース/走行距離18km/累積距離123km/箱根宿→三島宿
夜中から降り出した雨は明け方には止んだようです。午前中は少し雨が残る予報ですが、11時ごろまでは大丈夫そうなので走りに出かけました。8時半の気温は10°C。路面はまだ濡れていますが問題はありません。広ちゃんクッキー組は一日22km走るので、これまでの15km/日ではどんどん差を広げられてしまいます。そこで今日から少し距離を伸ばすことにして、18km/日を目標にルートを開拓することにしました。
箱根の関所を無事に通過。箱根峠からは下りです。ドーンと一気に下って三島に到着。三嶋大社にお詣りしたら沼津に向かいます。あ、三嶋は、繊細な線が美しい、かな文字で書かれた暦としては日本一古いと言われる三嶋暦で有名だったそうです。
広ちゃんとクッキーはこの日も逃げを決め、今は原宿の少し先を走っているらしい。くそ〜〜
2021年01月28日(木)曇りのちみぞれ/6°〜8°C/雑司ヶ谷コース/走行距離18km/累積距離141km/三島宿→沼津宿→原宿→東田子ノ浦
9時の気温は6°C。今日はちょっと寒いです。夕方からみぞれになるかもしれないと。しかし風はないので走るにはそう問題はありません。問題なのは年度末の恒例道路工事で、あちこちで迂回させられたり一時停止を余儀なくされます。日本て、まだこんなことしてるんですね。これでは世界から遅れてもしかたない。
黄瀬川沿いの細道はちょっと覗くだけにして、沼津宿に到着。空は雲に覆われているので、今宵はお月さまは見えませんね。沼津を出ると原宿です。晴れなら絶景の富士山が見られるようなのですが、今日も曇りで残念。その冨士を振り向く旅の女もいないので、子ギャルでも探そうと思ったのですが、竹下通りが見つかりません。(笑)
そろそろ広ちゃんとクッキーに追い付いたかなと思ってデータを見てみると、な、なんと2km先を走っていようです。あと2km走っておけばよかった・・・
2021年01月29日(金)晴れ/3°〜11°C/上野コース/走行距離16km/累積距離157km/原宿→吉原宿→蒲原宿
9時半の気温は9°C。雲一つない快晴。北西の風4m/sとちょっと風がありますが、街中なのであまり影響を受けません。
次は吉原。ここはめずらしい左冨士が拝めるところです。今日はお天気でついています。ついているついでに遊郭でも探そうと思ったのですが、これは見当たらず。(笑) ここは江戸の吉原ではありません。吉原宿を出たところでうろうろしている広ちゃんとクッキーを追い抜きました。やった〜! 彼らに追いつかれないうちに富士川を渡って蒲原に入ります。
蒲原は訪れたことがあります。街道沿いにはなまこ壁や格子のある家、クラシカルな洋館など古い家が残っていて、それらしい雰囲気があります。ここを描いた広ちゃんの絵は山深く雪景色ですが、私たちが訪れたのはゴールデンウィークだったので雪はなし。そして街道は山の中ではなく、ほぼ平坦でした。まあここは滅多には雪が降らないところで、あの絵は想像ではないかとも言われています。あとで本人に聞いてみましょう。(笑)
ここは桜えびで有名です。今はちょっと旬を外れましたが、一応年中食べられます。今日はここまでにしておきましょう。広ちゃんクッキー組から14km先行しました!
2021年01月30日(土)晴れ/3°〜11°C/雑司ヶ谷+上野コース/走行距離30km/累積距離187km/蒲原宿→由比宿→薩埵峠→興津宿→江尻宿→府中宿
9時半の気温は6°C。今日はちょっと空気が冷たいです。土曜日はちょっと距離を延ばしてもかまいませんから30kmコースにしました。
蒲原の先は由比です。由比にも街道らしい建物が残っています。由比本陣公園の門をくぐると芝生広場があり、観光や地域情報の拠点となっている『由比宿交流館』、明治天皇が休憩された座敷を復元した『御幸亭』、そして我らが広ちゃんの『東海道広重美術館』があります。
由比宿を出てしばらく行くと、薩埵峠(さったとうげ)への上りが始まります。江戸時代はここは海岸まで山が迫っていて、東海道を行く際は波にさらわれないように注意して進む必要があるところでした。そこで切り開かれたのが薩埵峠です。現在の薩埵峠は標高93mで、そう高い峠とは言えませんが、江戸時代は周辺の環境も今とは異なり、厳しい峠道だったのでしょう。この峠道をエッコラヨッコラと上って行きます。
なんとか峠に着いて振り返れば、富士山の絶景が。今日はお天気で良かった。下には真っ青な駿河湾が広がります。今日、その海面を滑る帆船の姿はありませんが、沖合に大型のタンカーらしき船が浮かんでいるのが見えます。
薩埵峠から激坂を下ると興津です。興津川を渡って町に入ります。その頃、広ちゃんクッキー組は薩埵峠の上り口でうろうろしているようです。彼らは基本的には週末は走らないので、しっかり装備を整えて週明けから峠に挑むつもりのようです。
興津では清見寺と西園寺公望の別邸坐漁荘は見逃すわけにはいきません。この2つをしっかり見学して、甘鯛を一夜干しにした興津鯛をいただいたら、江尻に向かいます。江尻は今で言う清水です。清水港は東海地方では有数の港です。ここには次郎長話や三保の松原の誘惑といったものがありますが、やはり海の幸の誘惑には負けますね。東海道がいいのは海辺を通っていることで、どこでもたっぷり海の幸を堪能できます。
清水からはちょっと内陸を行き、府中に向かいます。府中は徳川家康が晩年を過ごした地で、駿府とも呼ばれました。現在の静岡です。
2021年01月31日(日)晴れ/1°〜12°C/上野コース/走行距離17km/累積距離204km/府中宿→丸子宿→岡部宿
9時半の気温は6°C。昨日に続き今日もちょっと空気が冷たいです。もっとも、走り出せば身体はすぐに暖かくなるので、耳がちょっと冷たいくらいです。今年はまだ耳当てを使っていないので、東京はかなり暖かいと言えるでしょう。まあこれはコロナで、早朝から走り出す機会がないことも要因の一つですが。
静岡から西へ向かうと安倍川を越えなくてはなりません。まあ、今日はどこの川にでも立派な橋が架かっているので一越えですが、広ちゃんの絵を見るとここを越えるのはそう簡単ではなかったことがわかります。私は現代の橋でこれをひとっ飛び。
丸子に入ります。徒歩か馬に頼るしかなかった江戸時代と異なり、今は自動車や電車があるので、丸子は歴史上の地名と言っても良い存在になっています。しかし家々は現代のものに置き換わり、江戸時代のそれを継承するものはごく僅かです。宿場の外れにその建物はありました。広重の絵の名物茶屋。店の前は車が通る現代の道路ですが、うしろの山は絵に描かれたものとそっくり。ここで名物のとろろ汁をいただくとしましょう。
丸子を出て岡部に向かいます。丸子川沿いに自転車道があるので、しばらくこれを行きます。岡部までの間には宇津ノ谷峠があります。平安時代の『蔦の細道』を辿り40戸ほどの宇津ノ谷の集落に入ります。ここには明治時代からトンネルが掘られ、平成までの数本のトンネルが抜けています。さすがに今日は広ちゃんの絵のような暗い峠道ではありませんが、当時の雰囲気が感じられる建物が残り、町づくりで舗装などが整備されており、気持ちのいいところになっています。街道好きなら一度は訪ねておくべきところでしょう。豊臣秀吉が立ち寄って羽織を与えたという『御羽織屋』を覗いたら、集落の外れから坂道を上って明治時代の煉瓦造のトンネルをくぐり抜けます。
岡部宿には大旅籠柏屋が残ります。170年の歴史ある建物は重厚な造り。岡部川沿いに自転車道が続いているのでこれを行くと、茶畑があちこちに見えます。岡部は室町時代から茶の栽培が盛んで、朝比奈地区は京都の宇治、福岡の八女と並ぶ玉露の三大生産地になっています。
広ちゃんクッキー組には30kmの差を付けましたが、週中は彼らの方が速いので週末までには追い越されそう。油断はできません。
2021年02月01日(月)曇り一時晴れ/3°〜11°C/雑司ヶ谷コース/走行距離16km/累積距離220km/岡部宿→藤枝宿→嶋田宿
9時の気温は3°C。今日はこれまでで一番寒いです。路面が湿っているので雨がパラついたのかもしれません。曇っているので気分的にも寒いです。帰って来てから天気予報を見たら、霙、湿雪とありました。実際には降りませんでしたが。
さて東海道です。岡部宿を出ると五知如来があります。横内橋、御成街道との追分に八幡橋、街道から少し離れた青山八幡宮、県指定天然記念物の楠がある須賀神社、東海道中膝栗毛に出てくる鐙ヶ渕、といったところを通って藤枝宿に入ります。藤枝宿は江戸幕府の要職を務めた田中藩の城下町であり、塩の産地の相良に至る田沼街道への分岐点でもあったため商業地として栄えたそうです。藤枝ダルマや桐タンスが伝統工芸として今に伝わります。
広ちゃんは藤枝宿で人馬継立の問屋場を描いています。これは荷物運びの人足や馬を替えるところで、今で言うならバスを乗り継ぐバスターミナルといったところでしょうか。名所があるとこういった風景は取り上げ難いと思うので、ここには大した名所はなかったのでしょう。
しかし次の嶋田宿では大きなイベントが待っています。正確には嶋田宿の先にと言うべきですが。ここで、越すに越されぬ大井川を渡らねばならないのです。まあ今日は立派な橋が架かっているので、簡単に越せるようになった大井川ではありますが。島田宿は甘酒皮の『小饅頭』が名物らしいので、これでも買って大井川に備えましょう。
そうそう橋と言えば、島田駅の南の大井川には世界一長い木造歩道橋だという蓬莱橋(ほうらいばし)が架かっています。木造とは言っても橋脚は1965年(昭和40年)にコンクリート製に替えられていますが、これは一見の価値有り。もちろん渡れます。
2021年02月02日(火)節分 雨のち晴れ/6°〜17°C/休み
今日は節分だそうです。豆まきしなきゃ。
朝方は雨で10時ごろにならないと止まない予報なので、今日は休み。広ちゃんクッキー組は遅出で走るかもしれない。そうすると今日ぐっと差を詰められ、明日には追いつかれてしまいそうです。
緊急事態宣言は1カ月間延長され3月7日までとなりました。まあこれは想定の範囲です。そのころまでにはこの東海道を走り終えたいと思っています。
2021年02月03日(水)立春 快晴/2°〜11°C/上野コース/走行距離18km/累積距離238km/嶋田宿→金谷宿→日坂宿→掛川宿
昨日節分だったので今日は立春。いや逆です。今日が立春なので昨日が節分だった。。
結局昨日、広ちゃんクッキー組は大井川の氾濫で川留だったらしく(笑)、走れなかったようで、ここまでは私が20kmリードしています。しかし一日ごとに少しづつ差を詰められるので、週末までには追いつかれてしまいそうですから、こちらも日ごとの距離を18kmでがんばることにします。
さて、今日はお天気です。朝9時の気温は7°C。気温の割に耳が冷たく感じます。しかし快晴で気分は上々。
江戸時代に嶋田から金谷に渡るのはとても大変でしたが、今は何の苦もありません。金谷では特に見るべきものはなさそうですが、金谷駅では大井川鐵道の蒸気機関車が見られるかもしれません。上流部の井川線は日本唯一のアプト式ラック鉄道です。この鉄道にはトロッコのようなオープンカーもあり、景色も良く、かなり楽しいです。
金谷を出たら箱根峠や鈴鹿峠と列んで東海道の三大難所とされた日坂の佐夜峠に向かいます。峠の標高は252mで、ちょっとえっこらよっこら。国道1号の小夜の中山トンネルの東京側道路脇に伝説の『夜泣き石』があります。
日坂宿に着いたら名物のわらび餅をいただきましょう。わらび餅はわらび粉を原料としますが、わらび粉は少量しか採れず高価であったため、次第に葛などのまぜものがされるようになっていきます。ここ日坂のわらび餅について林道春(林羅山)は『丙辰紀行』(1616年/元和2年)で、『葛の粉をまぜて蒸餅とし。豆の粉に塩を加えて旅人にすすむ。人その蕨餅なりとしりて。其葛餅といふことをしらず。』
とあり、1786年(天明6年)頃の『東街便覧図略』にも、『蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也』
とあるので、すでに江戸時代から葛で作られたものもあったようです。
日坂からは掛川に向かいます。掛川といえば何でしょう。ここはお茶の産地でした。そういえば山内一豊の城下町でもあります。お茶と蕨餅で徳川家康をもてなした一豊の城は1854年(嘉永7年) の東海地震で崩落しましたが、現在は天守が木造で復元されています。そうそう、広ちゃんの絵に出てくる秋葉山ですが、それは遠く、まず見えることはないところにあります。火の神である秋葉山信仰の常夜灯はこのあたりからずいぶん先まで見ることができるようになります。その数は静岡県の西部だけでも150基以上あるとのこと。
2021年02月04日(木)快晴/1°〜13°C/上野コース/走行距離18km/累積距離256km/掛川宿→袋井宿→見附宿
昨日の夜確認すると、広ちゃんクッキー組に16kmまで迫られていました。尻に火が着いてきた。
朝8時45分の気温は8°C。今日も快晴。昨日の天気予報では春一番が吹くかもしれないと言っていましたが、朝の予報では風はそれほどでもなさそう。ここ数日、上野コースの距離を延ばすべくルート探索を行っていたのですが、だいたい落ち着いて来ました。
袋井宿で広ちゃんが描いたのは町はずれの露地の茶屋。これからもわかるように、ここはほとんど何もないところだったようです。
冬枯の中に家居や村一つ --正岡子規--
しかし江戸から数えても京から数えても27番目の宿で、ちょうど東海道の真ん中でした。現在はそれを売りにした『ど真ん中茶屋』があるので、ここで一服しましょう。そうそう、ここには名物と呼べるかどうかはわかりませんが、広ちゃんが別のところで描いた絵から復元された、まん丸い『袋井丸凧』があります。
袋井から見付に向かいます。宿場を出ると寺沢家長屋門そして少し場所を移動して復元された木原一里塚があります。三ヶ野橋を渡って見付に入ります。脇本陣大三河屋門、洋館の旧見付小学校、姫街道の追分と進み、さらに浜松へ。府八幡宮とその向かいの遠州国分寺、新天竜川橋を渡り六所神社、子安神社、そして馬込橋を渡ると浜松です。
私が居住する地区ではあまり風は感じませんでしたが、夜、天気予報を確認すると、東京でも15m/sの春一番が吹いたそうです。なんとこれは観測史上もっとも早い春一番だとか。
2021年02月05日(金)快晴/3°〜11°C/上野コース/走行距離18km/累積距離274km/見附宿→濱松宿
朝8時の気温は5°C。金曜日はサリーナはランの日なので、今日は単独走行です。さすがに5°Cだとちょっと寒さを感じます。しかし防風対策さえしておけば、10分も走ればポカポカになるのが自転車のいいところ。昨日、広ちゃんクッキー組に12kmまで迫られています。今日はまだ抜かれませんが、近く逆転される可能性がでてきました。また週末、走らなければいけないようです。
さて、東海道はというと浜松に入りました。静岡県で最大の都市です。ここは自動車と楽器の町であると同時に、農業も盛んで、遠州灘と浜名湖があるため漁業も盛んという、わりかし珍しい都市です。特産としては鰻が有名でしたが、生しらすも絶品。でも今はその季節ではないですね。乾燥した塩味の浜納豆や、お好み焼きの具に刻んだ『たくあん』を入れる遠州焼きは、ちょっと他では食べられません。
2021年02月06日(土)快晴/3°〜14°C/上野コース/走行距離18km/累積距離292km/濱松宿→舞坂宿→荒井宿
広ちゃんクッキー組は天竜川を渡って疾走中。8kmまで迫られていますから、やはり今日は走らねばなりません。朝9時半の気温は10°C。ここのところ快晴続きで気持ちいいです。浜松城を覗いたら舞坂宿へ向かいます。この道は松並木が素晴らしいです。遠州灘の強い海風を遮るのにも松並木は有効だったことでしょう。舞坂で脇本陣を見学したら、港近くでおいしい魚をいただき、弁天橋を渡って弁天島へ。天然の中瀬いかり瀬の前の朱色の鳥居を眺めつつ、荒井宿に渡ります。新居の関所は唯一建物が残る関所で、ここは一度は見ておいていい施設ですね。
荒井宿の紀伊国屋資料館を見学したら、刻んだ牛蒡と鰻をごはんに混ぜてタレであえた『ぼく飯』をいただきます。これは養鰻場のまかない食だったものだとか。何年か前に現地で『ぼく飯』をいただきましたが、今回はでかい鰻が手に入ったので蒲焼きをいただきます。(笑)
2021年02月08日(月)曇り/5°〜11°C/雑司ヶ谷コース/走行距離18km/累積距離310km/荒井宿→白須賀宿→二川宿→吉田宿
昨日は久しぶりに休み。広ちゃんクッキー組には20kmの差を付けているので、今週はまだリードを保てるはず。朝9時半の気温は7°C。天気予報は晴れですが、空は雲に覆われています。しばらく様子を伺ってみましたが青空が現れそうな気配はないので出発。
白須賀宿の手前で東海道の最南端に到達。汐見坂を上ると白須賀宿で、クランク状の曲尺手(かねんて)を行き、宿場を通過。この曲尺手でスピードを落とすと、槍で突かれて一巻の終わりと相成りまする。白須賀宿には豊臣秀吉が小田原攻めの前に食べ、この戦に勝利したことかが名付けられた『勝和餅(かちわもち)』があります。
次の二川宿は小さい宿場ですが、本陣の一部が残っており、その周辺がきれいに整備されています。ここには、案内所になっている川口屋、醤油屋の東駒屋、江戸末期に建造された駒屋、駒屋の脇には宿を南北につなぐ瀬古道、そして本陣跡、その隣に旅籠屋の清明屋があります。
二川宿を出たすぐ先の火打坂は、勾配は緩いものの長く続きます。現在は豊橋となった吉田宿は吉田城東惣門跡から始まります。その斜め向かいには、例の秋葉山常夜灯が立っています。この常夜灯、どこまであるのでしょうか。東海道はかつてあった吉田城の総堀に沿って進んで行きます。曲尺手町の名に見られるように、ここは防衛上曲がり角が多く作られました。西惣門の西側を北上すると豊川で、天下橋である吉田大橋(現 豊橋)が架かります。
2021年02月09日(火)快晴/2°〜9°C/上野コース/走行距離18km/累積距離328km/吉田宿→御油宿→赤阪宿
朝9時半の気温は5°C。快晴ですがだいぶ気温は低く、風も少しある(4~5m/s)ので耳が冷たいです。
これまで実走コースの紹介はしてきませんでしたが、今日は梅見に立ち寄ったところがあるのでそれを。私の定番コースの一つは上野公園を通ります。その中にある五條天神社の梅がそろそろだろうと思って立ち寄ってみました。写真はその隣にある北園稲荷神社です。
これは五條天神社の白梅で、蕾はだいぶ大きくなってきましたが、まだ2分咲きといったところ。ここには紅梅もありますが、それもほぼ同じくらいの咲きぶりです。
五條天神社から上野の山を下ると不忍池の中に辨天堂が立っています。不忍池は蓮がびっしりでしたが、先日岸辺付近は刈り取られ、現在それが残るのは池の中央部だけになっています。筏の人たちはおそらく蓮の刈り取り範囲のチェックをしているものと思われます。
さて、東海道は吉田宿を出て御油宿です。ここの宿場内には当時の遺構はあまり残っていませんが、旧家屋の町並みがなんとなく宿場を感じさせてくれます。隣の赤坂宿までは僅か2km足らずで、東海道の宿場間でもっとも短い区間。この間の約600mに渡り松並木が残っていて、これはちょっとした見どころです。赤坂宿には唯一21世紀まで営業していた旅籠の大橋屋(築300年)がありましたが、現在は営業していません。しかし、高札場跡、現在は民家となっている本陣跡、尾崎屋(築200年)などがあり、宿場の雰囲気が楽しめます。
そうそう、『御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い』は、このあたりに飯盛女が大勢いたことを示しています。広ちゃんが描いた大橋屋のソテツは浄泉寺内に移植され、今も現存しているそうです。
2021年02月10日(水)快晴/4°〜11°C/上野コース/走行距離18km/累積距離346km/赤阪宿→藤川宿→岡崎宿
広ちゃんクッキー組はすぐうしろに迫っています。振り向けば見えるくらい。1kmの差だって。まあこれは予定の範囲ではあるのですが、気が抜けない。
朝9時半の気温は7°C。昨日は風がありましたが今日は静穏です。風さえなければこの気温はかなり暖かいです。
藤川宿の入口には棒鼻(宿場の入口を示す棒杭)が復元されています。これは広ちゃんが『東海道』で描いたからでしょう。中に入れば、現在は藤川宿資料館となっている本陣跡と当時の面影を残す脇本陣跡があります。ここにはこれら以外の遺構はあまりないようですが、なかなか雰囲気があるいい宿場です。
藤川を出るとここにも松並木が残っています。乙川を渡りしばらく行くと大平の一里塚で、これは南塚だけが残っていて榎が植えられています。この塚から北西へ200mほど行くと大岡越前の屋敷跡で、現在は門だけ復元されています。
次の岡崎は言わずと知れた徳川家康の誕生の地。宿の東の入口はちょっとわかりにくいところにありますが、岡崎二十七曲の碑があり冠木門が立っています。この欠町から八帖町まで、東海道はクランクしながら続きます。板屋町界隈、洋風建築の岡崎信用金庫資料館、伝馬通のプロムナード、あ、もちろん岡崎城の見学と八丁味噌の味見もして、矢作橋まで4kmほどです。さすがの岡崎。みどころいっぱい。
2021年02月11日(木)快晴/5°〜14°C/上野コース/走行距離19km/累積距離365km/岡崎宿→池鯉鮒宿
朝9時の気温は9°C。昼には14°Cまで上がるといいます。暖かいですが風が4-5m/sとちょっと強いです。
昨日は岡崎を出たところまででした。岡崎からは池鯉鮒(ちりゅう)宿に向かいます。池鯉鮒は現在は知立という漢字が当てられています。矢作橋を渡ると、家康の長男信康(織田信長から武田方と内通したとの疑いを受け自刃)ゆかりの勝蓮寺、義経の愛妾浄瑠璃姫ゆかりの誓願寺(十王堂)、熊野神社一里塚跡、大きなクロマツがある永安寺、明治川神社、猿渡川を渡って無量寿寺道標、牛田八幡社、来迎寺の一里塚、そして500mに渡り170本の松が並ぶ池鯉鮒松並木と続きます。
知立は古くから馬市や木綿市が開かれたところで、中世は鎌倉街道の要衡であり、江戸時代には東海道の宿場として賑わっていたそうです。しかし度重なる大火で街は焼け、東海道は国道1号線に繋がる道であるため、当時の遺構はほとんど残っていません。馬市が立ったのはその名も桜馬場あたりらしく、慈眼寺の境内に『馬市の碑』が立っています。池鯉鮒の名の元になった知立神社は宿の北の端、街道から少し外れたところにがあります。
逢妻大橋で池鯉鮒宿はおしまい。逢妻川を渡り国道1号線に入ってしばらく行くと旧道が現れます。この旧道は国道の左、右、左と移動。いや、国道が旧道を突っ切って造られたのですね。日本橋から86番目の『阿野一里塚』は両側に塚が残っています。そして一本だけ残った『名残の松』。再び国道を行くと、中京競馬場前駅の南100mに桶狭間史跡公園。ここは小田信長が今川義元を破ったところで、古戦場碑や今川義元の墓があります。さらに南西に1kmほど行くと桶狭間古戦場公園があります。
2021年02月12日(金)曇り/3°〜13°C/上野コース/走行距離19km/累積距離384km/池鯉鮒宿→鳴海宿→宮宿→七里の渡し→
朝10時の気温は8°C。風はほとんどありません。天気予報ではそろそろ晴れる時刻ですが、まだ空は雲に覆われています。今日はネックウォーマーを忘れてしまったので、走り始めはちょっと寒く感じました。遅い時刻の出発だったので、いつもは静かな上野公園の大噴水が噴水を上げていました。この噴水の開始時刻は10時のようです。
東海道は鳴海宿に向かっています。国道1号線の『大将ヶ根』の信号から旧道が北に分岐。これを行けば『有松絞り』として有名な有松で、ここには『有松・鳴海 絞り会館』があります。この街は昔からの商家が今でも問屋として営業しており『服部家』『竹田家』『小塚家』などの歴史的な住宅が立ち並んでいます。
有松を出ると旧道は名鉄名古屋本線の踏切を越えます。『平部北』信号に1806年(文化3年)の常夜燈が立ち、鳴海の宿に入って行きます。鳴海は有松とともに『絞り』が伝統産業。瑞泉寺、枡形、成海神社と進んで丹下町の常夜塔で宿場はおしまいになります。現在の通しは少し寂しく、有松の方が当時の雰囲気があります。
天白橋で天白川を渡り、大きな榎が残る笠寺一里塚を過ぎると笠寺観音。熊野三社を横目に進んで熱田橋を渡り、名鉄常滑線のガードをくぐると宮宿です。宮宿の宮は熱田神宮のことで、ここにはかつて250軒近くの旅籠がありました。
『都々逸発祥の地碑』を横目に進み名古屋東港線を突っ切って進めば、突き当たりに『ほうろく地蔵』があり、角に小さな道標が立っています。ここは東海道と佐屋路の追分で、北に行けば佐屋路で熱田神宮を経て佐屋へ、南に行けば『七里の渡し』です。つまり東海道で京へ向かう場合、ここから桑名までは、『七里の渡し』の海路とするか、佐屋まで6里行ってから木曽川を舟で下るかの選択ができたのです。まあどちらのコースをとるにしても、やはりまずは熱田神宮にお詣りしましょう。
さて、ここで私たちは一般的なルートであったという海路を選択。これは東海道における唯一の海上航路でした。『七里の渡し』の前には脇本陣格の旅籠屋だったという『丹羽家』と熱田湊常夜灯が立っています。『七里の渡し』はその名のとおりに満潮時には約七里でした。この区間を直線で結ぶと20kmとなるので、その分スワンボートのペダルでも漕ぎましょ。(笑)
ゴールの三條大橋まであと140km。がんばれば一週間ほどで着きそうですが、まあそこは様子を見ながら。特に急ぐ必要もないのです。ただいま広ちゃんクッキー組は349km地点なので35kmの差。このまま逃げ切れるかどうか。
2021年02月16日(火)晴れ/7°〜16°C/上野コース/走行距離16km/累積距離400km/七里の渡し→桑名宿→
昨日は雨だったので船の中でまったり。今日の朝9時の気温は12°C。とても暖かいです。
広ちゃんクッキー組に少し差を付けたので、今日から距離を少し短くし、元に戻しました。私のコースは裏道主体なのであまりスピードは出せません。15kmでちょうど1時間というのがスタンダードコースです。これが18km、19kmとちょっと距離が延びると裏道率が高くなり、速度が落ちて時間がかかるようになってしまうのです。
東海道は七里の渡しで桑名に到着。渡しが着いたところには大鳥居が立っています。これは『伊勢国一の鳥居』で、ここから伊勢路に入るのです。側には常夜灯も。桑名城跡の九華公園には桑名藩の初代藩主で徳川四天王といわれた本多忠勝の像があります。またこの公園は三重県では屈指の桜の名所として知られています。
格式が高く裏庭から直接乗船できたらしい大塚本陣は、現在は料亭の『船津屋』として営業しています。その隣が脇本陣の一つの駿河屋でした。
ジョサイア・コンドル設計の六華苑(ろっかえん)を眺め、桑名名物の焼き蛤をいただいたら四日市に向かいましょう。
2021年02月17日(水)快晴/7°〜13°C/上野コース/走行距離15km/累積距離415km/桑名宿→四日市宿→
朝9時の気温は11°C。暖かいです。このまま春になるのかな。一日15kmのスタンダードコースだとなんだかとてもらくちんです。やっぱり18km、19kmコースは、コースそのものにも時間的にも、ちょっと無理がある設定なのかもしれません。
東海道は桑名から四日市へ向かいます。桑名の宿を出ると1818年(文政元年)に寄進された伊勢両国常夜燈が立っています。当時はこのあたりに茶店があり、かなり賑わっていたようです。日本橋から98番目の一里塚である富田の一里塚跡、海蔵川の底に沈んだ三ツ谷一里塚の跡と進んで、三滝川を渡り四日市に入ります。
すぐ左手に、餡を餅で包み平たく伸ばし焼いた永餅(ながもち)で有名な笹井屋。永餅の名は茶屋街があった日永の名にちなんでいるそうです。ちょっと面白い『すぐ江戸道 すぐ京いせ道』と刻まれた道標(文化7年)から諏訪神社の前を通って進むと、東海道はなんとアーケード商店街に。まあ、昔は街道が商店街だったわけですから、そんなこともあるのかもとも思うのですが、こうした例はあまりないような気もします。その先にすこし古い家並みが残っており、これを過ぎると日本橋から100番目の一里塚があった日永一里塚跡。そして『東海道名残の一本松』と続き、国道1号に合流すると間の宿であった東海道と伊勢神宮への分かれ道である日永の追分で、伊勢神宮遥拝鳥居が立っています。
広ちゃんの絵では四日市は風が強いところに見えますが、この日は特に風はなし。快適でした。
2021年02月18日(木)快晴/1°〜8°C/上野コース/走行距離15km/累積距離430km/四日市宿→石薬師宿→庄野宿→
朝9時の気温は5°C。低めですが風がなく、まったく問題なし。走り出せば丁度いいくらいです。
内部川を渡りしばらく行くと、日本武尊が怪我をしていて剣を杖にして上ったという伝説の場所、杖衝坂です。これは激坂! 日本橋から101番目の一里塚采女の一里塚跡を眺め、浪瀬川を渡ると、石薬師宿の入口に立つ北町地蔵堂に辿り着きます。
大木神社、小沢本陣跡、大正時代に設置された津市の元標までの距離を示す『距津市元標へ九百四町十七間』と刻まれた石柱、歌人で万葉集の研究家だった佐々木信綱の資料館を眺め、国道1号線を跨ぐ瑠璃光橋を渡ると石薬師寺が立っています。このお寺は、土中から現れた巨石に弘法大師が薬師如来を刻み開眼法要を行い、人々の信仰を集めたと伝えられています。
才石川に架かる浦川橋を渡ると石薬師一里塚跡で、国道1号線に出て椎山川にかかる宮戸橋を渡って庄野宿に入ります。入口には東海道庄野宿と掘られた石柱が立ち、中には旧小林家住宅の庄野宿資料館、庄野本陣跡碑、川俣神社があります。広ちゃんの『白雨』はとても有名ですが、この宿は旅籠が15軒とかなり小さなものでした。絵では人々が大変な騒ぎですが、私は通り雨には当たらずに済みました。だってこんなに快晴なんですからねぇ。雨なんて降りようがありません。
2021年02月19日(金)快晴/0°〜12°C/上野コース/走行距離15km/累積距離445km/庄野宿→亀山宿→関宿→
朝8時の気温は5°C。低めですが風がなく、まったく問題なし。ただ指と耳が今日はちょっと冷たい(半切り手袋、耳当てなし)。昨日より1時間早く走り出しているので、これには太陽高度が影響しているかもしれません。
庄野宿を出ると平野道道標があり、神戸領界石、女人堤防碑、山神碑、中富田一里塚と続きます。安楽川に架かる和泉橋を渡りしばらく行くと立派な常夜燈のある地福寺で、亀山バイパスの先は、和田の道標、和田の一里塚跡と続きます。さらに行くと亀山宿の江戸口門跡ですが、ここには何もなし。亀山宿は石川氏6万石の城下町で、亀山城跡には多聞櫓と石垣など僅かな遺構が残っています。
亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門
伊勢屋蘇鉄は1984年(昭和59年)の道路拡幅工事で撤去され、 文化会館の玄関前に移植されています。京口御門は今はなく、跡にある案内板を眺めて亀山宿を出ます。すると野村一里塚跡で、これは大きな椋の木が植えられた北側の塚だけ残っています。さらに行けば、布気皇館太神社、そして鈴鹿川の堤3.5kmに及ぶ東海道一の長縄手であった大岡寺畷と続きます。小萬のもたれ松が現れると関宿です。関は鈴鹿の関から来ており、これは近江の逢坂(相坂)、美濃の不破とともに三関に数えられたところだったそうです。
伊勢別街道の分岐点である東の追分には、伊勢神宮の鳥居が立っています。これは式年遷宮の際に古いそれを移築するならわしになっているそうです。宿に出入りした身分の高い武家や公家に対し、役人が出迎え見送りを行った御馳走場跡、古い建物が残る鶴屋脇本陣跡、立派な道具置場に供する建物が残る伊藤本陣跡、高札場跡、日本最古の地蔵菩薩だという地蔵院を眺め、大和街道との分岐点となる西の追分で関宿を離れます。
2021年02月22日(月)快晴/9°〜23°C/雑司ヶ谷コース/走行距離15km/累積距離460km/関宿→阪之下宿→土山宿
朝8時の気温は14°C。暑い! ここのところ異常に気温が高く、一昨日は18°C、昨日は22°Cまで上がり、そして今日は23°Cになるといいます。
久しぶりに雑司ヶ谷コースを走りました。牛天神の梅は盛りを過ぎ、そろそろおしまいです。さて、東海道はいよいよ大詰め。ラストスパートです。うまく行けば今週中にゴールできるかな。
関宿を出て阪之下宿へ向かいます。門前に古い常夜燈が立つ西願寺を横目に進み、鈴鹿川の左岸にある、狩野法眼元信が絵を描き続けるのを諦めたという筆捨山を眺めながら鄙びた道を行きます。現在は坂下と表記する阪之下宿に入ると法安寺があります。街は鄙びてはいますがかつての遺構はほとんど見られません。
坂下を出ると鈴鹿大明神、鈴鹿権現、鈴鹿明神と呼ばれた片山神社です。東海道はこの先山道となり、鏡石がある難所の鈴鹿峠を越えますが、これは自転車では無理。国道1号線にシフトします。鈴鹿峠の下をトンネルで抜け、万人講常夜燈で東海道に合流。山中一里塚公園、蟹坂古戦場跡を経て、広ちゃんが『土山』春之雨 で描いた田村川に架かる街道橋(田村永代板橋を復元)を渡ります。今日はポッカポカで冬之雨にならなくて良かった。田村神社を横目に進んで土山宿に入ります。
2021年02月23日(火・祝)快晴/12°〜16°C/雑司ヶ谷コース/走行距離15km/累積距離475km/土山宿→水口宿→
朝8時の気温は12°C。風は5m/sでちょっと強く、冷たく感じます。
土山宿は鈴鹿峠を越えて最初の宿ですから、旅人はここでほっと一息付いたのでしょう。二階堂脇本陣跡、問屋場跡、土山宿本陣跡(土山家)、大黒屋本陣跡などがあり、古い建物が並んでいて雰囲気があります。また江戸時代の民家を改装した扇屋伝承文化館や東海道伝馬館があり、ちょっとした観光ができそうです。
土山宿を出ると地安禅寺、大野市場一里塚跡、復元された今在家一里塚、岩神社とあり、東見付跡から水口宿です。水口宿の名物は葛藤細工と干瓢で、広ちゃんはこのうちの干瓢を取り上げています。。
問屋場跡には塀が廻る立派な建物が立ち、大岡寺や大徳寺といった歴史ある寺院が残っています。水口城跡には往時の矢倉の姿を模した資料館が立っています。林口の一里塚跡を横目に進み水口宿を出ます。
高さ10.5mの巨大な横田渡跡常夜燈、そのすぐ先に泉の一里塚跡、野州川の矢川橋を渡ると、天保飢饉の際の不正検地に立ち上がった農民たちの犠牲者を弔う天保義民碑が立っています。
2021年02月24日(水)快晴/4°〜11°C/上野コース/走行距離15km/累積距離490km/水口宿→石部宿→
朝8時半の気温は5°C。風はありませんが寒さを感じます。昨日暖かく風が強かったせいか、花粉症がひどくなりました。今日はちょっと気だるさを感じます。
東海道は水口宿の先。大沙川の堤の上に弘法杉、夏見一里塚跡、夏見立場跡と続きます。夏見には藤棚を備えた立場があり、ここの茶店がところてんに黒蜜をかけて食べるようになった発祥の地と言われています。その先に江戸時代から続く老舗の蔵元北島酒造があります。
石部宿は京都を出て1日の行程にあったので『京立ち石部泊り』と言われました。そろそろゴールの京都が見えてきたということです。東見附跡から石部宿に入ります。この宿には南北朝時代の木造の狛犬がいる吉姫神社がありますが、あとはほとんど何も残っていないようです。そうそう、街道から少し離れたところに歴史民俗資料館がありました。
石部宿を出て4kmほど行くと、家康の腹痛を快復させ道中薬として広く普及した『和中散』を扱った、国の重要文化財になっている和中散本舗大角屋住宅があります。
2021年02月25日(木)快晴/2°〜11°C/堀切菖蒲園コース/走行距離23km/累積距離513km/石部宿→草津宿→大津宿→
朝は花粉症でか身体がだるく走るのを止めたのですが、午後出かける用事があり、だるさも感じなくなったので自転車で行きました。14時の気温は10°C。
石部宿の先は、鈎の陣跡、地蔵院、一里塚跡、目川立場元伊勢屋跡とほとんど跡が続くのですが、国道1号線沿いに広ちゃんが描いた『うばがもちや』があります。うばがもちは『姥が餅』と書き、織田信長に滅ぼされた佐々木義賢から曾孫を託された乳母が餅を作って売って、これを養ったことから名付けられたそうです。まあ、餡ころ餅です。
草津川の堤の上には『右 金勝寺志がらき道』『左 東海道いせ道』と掘られた火袋付の大きな石造道標が立っています。草津宿に入ればそのほぼ中心が東海道と中仙道との分岐点で、ここに追分道標常夜灯が立っています。これは先ほどのものとほぼ道形ですがより大きいです。すぐ近くには復元された高札場と田中本陣跡があります。田中本陣跡は大きな建物がほぼ当時のまま残っているようです。旧追分道標が保存されている立木神社も立派。このあと草津宿から大津宿までは見所満載なのですが、とても紹介しきれません。(笑)
そうそう、広ちゃんクッキー組はどうしているかなとチェックしてみると、なんと491km地点にいるではないか。今日のスタート時点では私はなんと追い抜かれていて、1km先を走っていました。ここから三條大橋まではもうちょっとですが、壮絶なバトルとなりそう。
2021年02月26日(金)曇り/7°〜12°C/休養日
今日は昨日にも増して身体がだるいです。目も痒いので花粉症に間違いないでしょう。ということで今日は休養日にしました。
草津宿から大津宿までの見所を紹介できていませんでしたのでここでそれを。日本橋から120番目の一里塚である一里山一里塚跡、源頼朝が源氏復興を祈願したという建部神社を過ぎると、広ちゃんが『近江八景 瀬田夕照』で描いた瀬田の唐橋を渡ります。かつて東から京都へ向かうには瀬田川を渡るか琵琶湖を渡るしか方法はなく、この橋は京都防衛上の重要地であったため『唐橋を制する者は天下を制す』と言われた、その橋です。現在の橋は鉄筋コンクリート造ですが、江戸時代の擬宝珠がいくつか残るいい感じの橋です。
膳所城下町の南の出入口となる南惣門跡、そして天武天皇が宇佐八幡の神託により造営した若宮八幡神社、篠津神社、膳所神社、徳川家康が城造りの名手と言われた藤堂高虎に築かせた膳所城跡、鎌倉時代の和田神社、石坐神社、膳所城下町の北の出入口となる北惣門跡、松尾芭蕉の墓と木曽義仲の供養塔が並ぶ義仲寺、芸能の神平野神社とかなり凄いです。
大津宿に入ると大津別院があり、東海道を北国海道(西近江路)の分岐点であった札の辻から、本陣跡碑の立つ八町通りを行きます。
広ちゃんクッキー組は当然今日も走っているでしょう。どうなったかな。夜にチェックしてみると、な、なんと累積距離513kmで私とまったく同じ。スタートしてからまったく同じになったのは今回が初めて。それもゴールまであと7kmという地点でです。明日は休むつもりにしていたのですが、走るかな、どうしよう。走れば明日ゴールということになりますが、それもなんだかもったいないような妙な気分です。
2021年02月27日(土)晴れ/5°〜9°C/上野コース/走行距離14km/累積距離527km/大津宿→京師(三條大橋)
9時半の気温は6°C。さて、京都への最後の区間です。
大津宿の先、琵琶の名手蝉丸を祀った蝉丸神社を過ぎると山越えです。不破関、鈴鹿関とともに三関の一つに数えられた逢坂関の跡を過ぎると逢坂常夜燈が立ち、広ちゃんが『大津 走井茶店』で描いた沸き出る走井と走井餅を出す茶屋の跡だという月心寺から下りになります。山科に下ると、先の絵にも描かれている牛車のために、大津から京都の三条にかけての約12kmに敷き連ねられた車石の一部がいくつか見られます。東海道の守護神ならぬ守護仏の山科地蔵、さらに天智天皇陵、日ノ岡峠越えの旅人の喉を潤した『亀の水不動尊』と進んで、その峠を越えます。すると臨済宗最高位の古刹南禅寺で、ここから京の街に入ります。情緒ある東山の白川の畔にひっそりと佇むのは明智光秀の首塚。
そしてついに三条大橋に到着です。下を流れるのは鴨川。現在の三条大橋は1950年(昭和25年)に竣工していて、大分老朽化が目立ちますが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉が大改修した時の銘入の擬宝珠が付いており、桧の欄干と共に威容を誇っています。 きれいに補修して長く生き存えてほしいと思います。
ちなみに三条大橋には、秀吉の時代に橋脚として用いられたものだという花崗岩製の柱が今でも何本かそのまま使用されていて、『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と喜多八の像がその西詰に、駅伝の碑が東詰に立っています。東京上野の不忍池のの畔にはこの碑と対になる碑があります。この駅伝は三条大橋がスタートで上野の不忍池がゴールでした。23区間、516kmを約44時間で走ったそうです。
私は自転車で1月20日にスタート、ゴールが2月27日だから39日かかりました。いや〜、ここまで長かったような短かったような。(笑) で、広ちゃんクッキー組はと見ると、なんと519km地点。大河ドラマにハマって光秀の首塚にお参りしていたようで、あと1kmでゴールです。