028 ペルゴレージ/スタバト・マーテル/ホグウッド

アルバムの写真イタリアを取り上げたついでに、同じイタリアのバロック、それも最後期の人を取り上げます。 ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(1710-1736)。

この人はオペラでも有名です。 だけれど、僕にはオペラを取り上げる力がない。 パーセルのもモンテヴェルディのも、そしてこのペルゴレージのも、それらをまったく知らないというわけではありません。 しかし僕はオペラっていうのは『聴く』ものであるよりも『見る』ものだ、というふうに感じている。 だからか、たいていのオペラはレコードで聴いても、僕はあまり面白くない。 それと近代以降のものはともかくとして、バロックのオペラは室内の劇場、ましてやコンサートホールなんかでやってもダメだ。 僕はそれらを見るなら、やっぱり古代の遺跡でとまではいわないけれど、屋外の煌めく星の下で見たい。 いつだったかセビージャで、そんな環境のもとで経験した。 それは演目も内容もつまらないものだったけれど、そこにあった空気だけは忘れることが出来ない。 僕はこの時から、少なくともバロックの、そしてもっと言うとオペラの見方が決まってしまったのです。 だから僕はオペラのレコードはほとんど持っていないし、それについて書くこともできない。

前段が長くなってしまいました。 オペラのかわりにと言ってはなんなのですが、これを。
この人はたった26年の命でした。 その最後に書かれたのがこれです。
時代的にはある範囲でオペラが制限されていて、その代用として多く作られたのが『スタバト・マーテル』なのだそうです。 確かにここには、劇的で甘美なものも感じ取ることができるでしょう。 教会音楽ということで聴くと、少し戸惑うかも知れません。 だから、僕はこれをまさにオペラのかわに聴く。 しかしこの曲は、なんと美しく甘美でいて哀愁があるのだろう。

ところで、この人をバロックと呼んでいいのだろうか。 ここにはあのモーツァルトに繋がる近代性がすでにある。

このレコードについて

クリストファー・ホグウッド+エンシェント室内管弦楽団によるもの。 ソプラノはエマ・カークビー、そして一般的にアルトでやられるところはカウンター・テノールのジェイムズ・ボウマン

こんなに清らかで透明な演奏を僕は他に知らない。
ホグウッドはここで、少しそっけないくらいに淡々と進める。 そしてカークビーとボウマンが、その声の質からいってもぴったりなのだけれど、柔らかく、絹糸を紡いでゆく。 カークビーはバロックの女王と評される人で、非常に上品でやわらかで、清らかな声の持ち主です。 僕はときどき、この人のはきれい過ぎて、あまりのテクニックに、少し内容が薄いのでは、と思うことがある。 けれどここでは満足だ。

レーベル:L’OISEAU-LYRE


アルバムの写真2ホグウッドのは好きだ。 けれど僕はときどき、もっと強いオペラ的なもので聴きたいと思うこともある。 そんなときの為にと、これを取り置いている。 もっとも最近はほとんど手にすることはないのだけれど。 グラチスフレーニベルガンサによるもの。 より強く、艶やかで、イタリア的だ。

レーベル:ARCHIV

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uploaded:2004