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ウィーン

プラハ+ウィーン+ブダペスト 2

開催日 1990.07.15(日)-07.18(水)

ウィーン グラーベン通り
ウィーン グラーベン通り

旅の紹介

◆  芸術の都ウィーン。旧市街は重厚なシュテファン大聖堂とその周辺の繁華街や路地巡り、周辺部では華麗なるユーゲント・シュティール建築の数々を訪ねます。ハンガリーの古都ショプロンでは、小さいけれど魅力的な街並みをのんびり散策。

地図/ウィーン:Googleマップ

地図/ショプロン:Googleマップ

ウィーン

ゼツェッシオンゼツェッシオン

ドナウ川を船で遡り、ウィーンにやってきました。なぜか船旅の写真がなく、ちょっと残念。

そして、一夜明けた7/15は日曜日。ウィーンの観光はまず、ユーゲント・シュティール(世紀末芸術)の建築から。この金色の葉っぱのボールを頭に抱いた建物は、1898年完成のオルブリッヒ設計による有名な『ゼツェッシオン(ウィーン分離派館)』。

外壁の装飾外壁の装飾

この建物は、1897年設立の芸術家集団『ゼツェッシオン』の拠点として建設され、内部は先進的アーティストたちの作品の展覧会場となっています。

建物の四角い外壁には、植物や動物などが絡みついています。

ゼツェッシオンの内部ゼツェッシオンの内部

一方、内部はシンプルな空間。様々な展覧会に対応するため、抽象性の高い空間として設計されたのだそうです。

地下の部屋には、クリムトの遺作壁画『ベートーベンフリース Beethovenfries』が飾られています。

ケルントナー通りケルントナー通り

ゼツェッシオンから北の方角へ歩いていきます。ウィーン国立歌劇場の横を通るケルントナー通りは、途中から歩行者用の大通りとなり、様々な店舗が並ぶ華やかなショッピング街となります。

ウィーンの起源はローマ時代にあるそうですが、発展したのは12世紀以降。1155年にオーストリアを治めていたバーベンベルク家がウィーンに遷都し、1278年からはオーストリア公となったハプスブルク家の支配下に置かれました。

そして、ハプスブルク家は16世紀前半にはヨーロッパ最大の帝国を築き、ウィーンはその帝都として大きく栄えたのです。

シュテファン大聖堂の祭壇シュテファン大聖堂の祭壇

ケルントナー通りの北端に着くと、そこにはウィーンのシンボルとも言うべき壮大なシュテファン大聖堂があります。

ゴシック様式のこの大聖堂は、13世紀設立の後期ロマネスク様式の教会を14世紀以降に大規模に増改築したもので、林立する柱の奥にある祭壇はバロック様式。

パイプオルガンパイプオルガン

祭壇側から振り返ると、西側正面入口の2階部分に巨大なパイプオルガンがありました。

ここには、教会内部のバロック化に伴って1720年にパイプオルガンが設置され、写真のオルガンは1960年に奉納されたオーストリア最大のパイプオルガンなのだそうです。

南塔からの眺め南塔からの眺め

シュテファン大聖堂では、2つの塔に上ることができます。1433年竣工の南塔の尖塔の高さは136m。北塔は建設半ばで中断されドーム天井がかけられ、高さは68m。

高い方の南塔に上って南東方面を見ると、赤い屋根の並ぶ建物の奥の緑はヴィーナーシュタットパーク。

レーゲンスブルガー・ホフレーゲンスブルガー・ホフ

大聖堂の2つ北の通りの正面にはレーゲンスブルガー・ホフという建物があります。

14世紀から再建が繰り返されたレーゲンスブルガー・ホフは、1470年にフリードリッヒ3世とハンガリー王マーチャーシュ1世との会合の場となった歴史的な建物だそうです。その建物は再開発によって1896年に取り壊され、翌年、元の外観の雰囲気を継承する現在の商業ビルが建設されたのだそう。

路地の奥にイエズス教会路地の奥にイエズス教会

レーゲンスブルガー・ホフの北の小さな通りの奥には、イエズス教会(大学教会)があります。

旧大学の拡張を契機に1626~1631年に建設されイエズス会に与えられた教会は、18世紀初頭に改装され、内部は様々な色と金色が溢れる華やかなバロック空間となっています。

ハースハウスハースハウス

さて、大聖堂まで戻ります。この周辺は旧市街、ゴシックの大聖堂、そして繁華街クラーベン通りは1900年前後の店舗などが並んでいますが、大聖堂のはす向かいでひときわ目を引くのがハンス・ホライン設計の『ハースハウス』。

1990年完成ホヤホヤのハースハウスはガラスと石張りの斬新な外観デザインで、旧市街の建物としてどうなのかと市民の議論を呼んだといいますが、ガラスに映る大聖堂、そして円形の塔のような形など、この広場の歴史の継承も意図した設計なのだとか。

カメレオン・バーカメレオン・バー

大聖堂の1本東の路地を入ったところに、ちょっとかわいい飲み屋を発見。『カメレオン(Chamäleon)』という名前で、そんな姿の看板も出ています。

夜にまた来てみましょう!

フンデルトヴァッサーハウスフンデルトヴァッサーハウス

次に向かったのは、大聖堂から2km弱ほど東にあるウィーン市営住宅『フンデルトヴァッサーハウス』です。

画家のフンデルトヴァッサーが設計したこの市営住宅は、屋根やバルコニーに木が生い茂り、カラフルな外壁やタマネギ頭の塔などがとても楽しい。

フンデルトヴァッサーハウスの外壁フンデルトヴァッサーハウスの外壁

こんな市営住宅ができたきっかけは、『夢は植物と共に生きる家をつくること』と語ったフンデルトヴァッサーの思いに応えたウィーン市長が、1977年に自然と共生する公共住宅の建設を依頼したことだそう。

自然には整然と並んだ柱やまっすぐな床はない。そんな思いを形にしたフンデルトヴァッサーハウスは、1986年に完成。ちょっと波打つカラフルな壁に、色々な大きさの窓。見ていると自然に笑顔になりますね。

半円形のバルコニー半円形のバルコニー

半円形のかわいいバルコニー。そして、壁のところどころにタイルが埋め込まれています。バルコニーの下にもタイルが列をなしている。

西面の外観西面の外観

アーチあり、ボーリングのピンのような柱あり。

バルコニーから延びる木の枝やつる草は、これからもどんどん大きく広がっていくのでしょう。

泉で遊ぶ子どもたち泉で遊ぶ子どもたち

フンデルトヴァッサーハウスが完成すると入居希望者が殺到し、大評判になったそうです。

波打つ地面にある泉は、子どもたちにも大人気。子どもたちの廊下の壁の落書きも自由だそうです。いいですね~

ストリートミュージシャンストリートミュージシャン

さて、再びウィーンの中心部に戻ってきました。

歩行者専用の大通りでは、ストリートミュージシャンが音楽を奏で、散歩がてらの人々が耳を傾けています。

グラーベン通りグラーベン通り

こちらのグラーベン通りは古くから商店街としての歴史を持ち、現在は高級ブティックが並び観光客で賑わっています。

写真右に半分写っている大きな蟻塚のような形のものは、1694年に完成した『ペスト記念柱』。ウィーンでは1679年にペストが大流行し、皇帝レオポルド1世がその終息祈願のため天使を彫刻した木製の柱を建てました。その後オスマン帝国がウィーンを包囲しますがレオポルド1世はこれを1683年に撃退し、記念柱を大理石にすることとして現在見られるバロック様式の記念柱がつくられたのだとか。

ピエロの人形劇ピエロの人形劇

子どもたちが集まる前では、ピエロの人形劇が繰り広げられています。

通りのあちこちでクラシックからジャズ、ロックと様々な音楽が流れています。ウィーンの人々の日常は、豊かな音楽に包まれているようです。

ウィーン市庁舎ウィーン市庁舎

グラーベン通りから少し西へ進むと、ウィーン市庁舎に出てきました。

正面に尖塔が立ち並ぶネオ・ゴシックの市庁舎は、1872~1883年に建設されたもの。7つの中庭を持つ大規模な建築です。

ヴォティーフ教会ヴォティーフ教会

視聴者から北へ4ブロックほど行くと、ヴォティーフ教会(奉納教会)がありました。1856~1879年に建設されたこちらもネオ・ゴシックです。

これは、教会というよりも、1853年に暴漢に襲われたフランツ・ヨーゼフ皇帝がその無事を感謝して計画したモニュメントなんだそうです。

屋外テラスのレストラン屋外テラスのレストラン

そろそろ夕暮れとなり、屋外テラスのレストランにもあかりが灯り始めました。

路地の奥のレストラン路地の奥のレストラン

旧市街へと戻れば、路地の奥でもテーブルやイスが並び、こぢんまりといい雰囲気のテラス・レストランがあります。

旧市街では、こうした路地のカフェやレストランにいくつも遭遇し、どれもいい感じで選ぶのに迷ってしまいます。今日はテラスでゆっくり、ワインで乾杯です。

ウィーン郵便貯金局ウィーン郵便貯金局

さて翌日。今日は建築家オットー・ワグナーの建物巡り。最初に訪ねたのは、ホテルの近くのウィーン郵便貯金局です。1904~1906年で前半分、1910~1912年で後ろ半分が建てられました。

外壁は石張りで、それらの石板をボルトで留めて、ボルトの頭の列が壁面の装飾にもなっています。

郵便貯金局の正面入口郵便貯金局の正面入口

写真は東の正面入口を見たところ。屋根の上には2体の天使像など、ユーゲント・シュティール的な装飾が見られます。

美しくスッキリとしたこの建物は、鉄筋コンクリートの床板、鉄骨の柱など近代の建築技術を駆使し、郵便貯金局としての機能性を重視して設計されているそうです。

正面入口から中へ正面入口から中へ

では、正面入口から中へと入ってみましょう。

広い入口の階段の先には、白く明るい空間が垣間見え、何だかワクワクしますね。この階段の天井や壁もシンプルで美しい意匠がオシャレ。

中央ホール中央ホール

そして、明るい大空間のホールに入ります。

天井は二重ガラスになっており、やさしい光がホール全体に注いでいます。中央は高いアーチ状の空間、そしてその両側の柱列に隔てられたやや低い空間と、三身廊の教会内部を思わせます。“側廊”の奥には窓口が並んでいます。

ホールのインテリアホールのインテリア

ワグナーはインテリアも担当しており、木製の記載用テーブルや椅子など、調和のとれた美しいデザイン。

壁の前にポールのようなものが立っていますが、これはアルミ製の空調吸気口。う~ん、細部までカッコイイです。

カールスプラッツ駅舎カールスプラッツ駅舎

続いて、もう少し前の時代のワグナーの作品『カールスプラッツ駅舎』(1894~1899年)です。

ワグナーは1894年にシュタットバーン(市営鉄道)の設計者に任命され、いくつもの駅舎を設計していますが、現存する最も有名な駅舎がこれ。向かい合った一対の建物は、一つはカフェ、もう一つは駅舎とミュージアムとして使われています。

駅舎の入口部分駅舎の入口部分

植物文様の鋳鉄の柱に白いパネルをはめ込み、そのパネルに金色の大輪のヒマワリが描かれて、華麗なるユーゲント・シュティールです。

メダイヨンハウスメダイヨンハウス

さらにオットー・ワグナー。リンケ・ヴィーンツァイレ通りにある2つの集合住宅です。

まず東側にあるこちらは、通称『メダイヨンハウス』。漆喰壁に金色の豪華な装飾、そして低層部分には植物文様の鋳鉄とガラスのサンルームが回っています。角の屋根の上には、頭を抱えて泣き叫ぶような彫像が。

メダイヨンハウスの壁面装飾メダイヨンハウスの壁面装飾

壁面の装飾は何ともきらびやか。上のヤシの葉と下の孔雀の羽のような模様に挟まれた黄金のメダルには、美女の横顔。これが『メダイヨンハウス』の由来ですね。

リンケ・ヴィーンツァイレ2つの集合住宅リンケ・ヴィーンツァイレ2つの集合住宅

その西隣の40番地の集合住宅は、通称『マジョリカハウス』。

低層部のバルコニーなど、2つの建物には連続性がありますが、壁面の装飾で明確な違いを見せています。

マジョリカハウスの壁面装飾マジョリカハウスの壁面装飾

西の40番地の建物の壁面は、カラフルな花と曲線の模様。マジョリカ焼きのタイルを使った装飾なので、『マジョリカハウス』というわけです。

ところで『マジョリカ』はスペインの『マヨルカ島』を意味するそうですが、マヨルカ島産というわけではなく(マヨルカ島は陶器の中継地だったそう)、ルネサンス期に発祥したイタリアの錫釉陶器で、白地に鮮やかな彩色を施した陶器のことだとか。

ケッテンブリュッケン駅ケッテンブリュッケン駅

そして、これらの集合住宅のすぐ前にあるのが『ケッテンブリュッケン駅』。これもワグナーのデザインで、1896年の完成。

ケッテンブリュッケというのは『鎖橋』という意味で、ここの市営鉄道線はウィーン川の一部を暗渠としてつくられ、以前の橋の名前がそのまま駅名になったそうな。

ベルヴェデーレ宮殿の庭園ベルヴェデーレ宮殿の庭園

ワグナーの建築探訪はこれで終了。公園を散策しようと最後に向かったのは、中心部の南にあるベルヴェデーレ宮殿です。オーストリアに仕えた軍人・政治家のプリンツ・オイゲンが18世紀前半に夏の離宮としてつくらせたもので、1752年にマリア・テレジアに売却されたそうです。

写真は宮殿の庭園と、奥は下の宮殿。このような直線に幾何学模様の庭園はいかにも人工的で、今ひとつ馴染めないものがありますが。。はるか向こうに見えるのは、シュテファン大聖堂の塔でしょう。

ベルヴェデーレ宮殿ベルヴェデーレ宮殿

南を向けば、こちらが迎賓館として建設された上の宮殿です。

宮殿内には『オーストリア絵画館』という19世紀以降のオーストリア絵画の美術館があり、オーストリアで2番目に大きな美術館とのこと。クリムトやシーレ、モネ、ゴッホなど充実したコレクションだそうです。

夕暮れのカメレオン・バー夕暮れのカメレオン・バー

夕暮れを迎え、街の中心部に戻ってきました。先日昼間に通ったカメレオンという名前のバーにもテラス席が広げられ、こぢんまりと楽しげな雰囲気を醸し出しています。

大都市ウィーンでは、様々な料理が楽しめます。いろいろと迷ったあげくイタリア料理のレストランを選び、イケメンのウエイターさんたちにサービスされながら美味しい料理とワインに大満足なウィーン最後の夜でした。

ショプロン

可愛いケーキ可愛いケーキ

翌朝。今日はオーストリアを離れ、列車でハンガリーへと移動します。

駅へ向かう途中、可愛いお菓子屋さんのケーキのディスプレイに、思わず一枚パチリ。ウィーンの貴族文化はたくさんの有名なお菓子を生み出したといいますが、大体かなりのビッグサイズで食べるのに一苦労。でも、ここのケーキは小ぶりで色も綺麗で、とても美味しそうでした。

ショプロンの街並みショプロンの街並み

ウィーンから2時間弱で列車は国境を越え、ハンガリー北西端の街ショプロンに到着しました。

ショプロンはローマ帝国時代からの歴史がある街で、9~11世紀にかけてハンガリー国が城壁を強化し城を築き、12世紀には重要な街となっていたそうです。

ショプロンの住宅街ショプロンの住宅街

16世紀にオスマン帝国がハンガリーを占領した際には、ショプロンは占領を免れ、多くのハンガリー人がショプロンに逃れてきました。1676年、ショプロンの街は火災で大きな被害を受けたそうですが、その後バロック様式の建物が建設され、今でも旧市街でその面影を伝えています。

城壁沿いの小路城壁沿いの小路

小さなショプロンの街は観光客も少なく、とても静かでのんびりしています。

旧市街を囲む城壁は一部が残っていて、北側では壁沿いの小路が散策路とレストランのテラス席になっていました。屋根の連なる景色がいい感じ。今日は移動もあったので、観光はここまでにして宿でゆっくり過ごすことにしました。

街並みと火の見の塔街並みと火の見の塔

翌日はショプロン旧市街の散策です。まずウーイ通りを北へ。

通りの正面に見えるのは『火の見の塔』です。ショプロンで最も高い58mの塔で、上に登ることができます。

火の見の塔とストルノ邸火の見の塔とストルノ邸

ローマ時代の基礎の上に建つこの塔は、12世紀に建設が始まり、バロック様式の頭頂部は1676年のもの。

そして、塔の手前にある『ストルノ邸(Storno House)』は、元は15世紀に建てられ18世紀にバロック様式で再建された邸宅です。現在は、19世紀にここに住んだストルノ家のコレクションや当時のインテリアを展示するミュージアムになっています。

リストのレリーフリストのレリーフ

この邸宅に滞在したビッグネイムには、1482年のハンガリー王マーチャーシュ、そして1820年・1881年の音楽家フランツ・リストがいます。

ストルノ邸のエントランス横には、リストの横顔のレリーフが飾られていました。ショプロン近郊の村で生まれたリストは1820年、9歳の時にショプロンで初めてのコンサートを開いたそうです。

フォー広場のカフェフォー広場のカフェ

ストルノ邸があるのはフォー広場といって、ショプロンの中心広場です。

広場に面して市庁舎や教会、邸宅などが軒を連ね、カフェ・レストランのパラソルも並んでいます。

薬の家薬の家

そして、この広場に突き出るように建っているのが『薬の家(Patika-ház)』。16世紀前半に広場拡張のため取り壊されそうになったのですが、ハンガリー王ルイ2世が広場の調和が失われると反対して残ったそうで、ハンガリーの歴史的建築物保存の最初の例とされています。

17世紀の半ばから薬局が営まれ、ここには薬剤師や医師などの家族が住んだといいます。ミュージアムでは19世紀頃の薬屋の雰囲気を再現し、薬にまつわる本や機材が展示されています。

ガンブリヌス・ハウスガンブリヌス・ハウス

薬の家の南に建つのは、15世紀末までは市役所として使われていたという『ガンブリヌス・ハウス(Gambrinus House)』。

その後、貴族の邸宅とされ、後年続いた改修によりゴシックのエントランスにはルネッサンス様式のアーチが取り付けられ、上階の窓はロココ調の装飾、そして1階の窓はアール・ヌーヴォー調。現在はレストランになっています。

三位一体像と山羊教会三位一体像と山羊教会

フォー広場の中央には、1701年に建てられたバロック様式の三位一体のねじれ柱。これはペスト終焉の記念碑だそう。

柱の南には、13世紀の終わりに建てられたゴシック様式の『山羊教会』があります。この教会の名前は『放牧されていたヤギが掘り出した埋蔵金が寄付されて教会が建設された』という伝説に由来するそうで、元はフランシスコ会教会でしたが、18世紀からはベネディクト会派の修道院として利用されるようになったとのこと。

教会の塔教会の塔

教会の塔の高さは43m。教会の外観はゴシック様式ですが、内部の祭壇は黄金に輝くバロック様式です。

福音教会の塔福音教会の塔

広場から教会の脇のテムプロム通りに入ると、その先には福音教会の塔が姿を見せます。

教会の3軒ほど手前にある建物は(改修中のようですが)18世紀に建てられたバロック様式の館で、ここで1840年にリストのピアノコンサートが開かれたそうです。

テムプロム通りの街並みテムプロム通りの街並み

テムプロム通りをさらに南へ進みます。

通り沿いに隙間なく並ぶ建物の多くは、通りに面して大きなアーチ状のエントランスを持っています。

建物の中庭と回廊建物の中庭と回廊

これらのアーチ状のエントランスは中庭に繋がり、中庭に面して回廊が巡る構成となっています。いかにも中世の館という感じ。

アーケードの家アーケードの家

さて、テムプロム通りの途中で東へ折れると、小さな『オルソリャ広場(Orsolya Square)』に出ます。

広場の北面には、1570年頃に建てられ『アーケードの家(Lábasház)』と呼ばれる建物があります。1777年頃以降は市の所有となり、以前は肉屋の店舗と学校(上階)、現在はミュージアムなどとして利用されているそうです。

マリアの泉は修復中マリアの泉は修復中

そして、オルソリャ広場の中央には『マリアの泉』がありますが、修復工事中でした。泉の正面にはオルソリャ教会があります。

北と南の広場が数本の路地によって繋がれる旧市街は、小さいながらも散策の楽しさが詰め込まれています。

二塔の教会二塔の教会

城壁地区のすぐ南には、18世紀に建てられ『二塔の教会』と呼ばれるドミニコ会の教会が見えます。

ショプロン旧市街の散策はこれで終了。南の駅に向かいます。

ひまわり畑ひまわり畑

列車に乗ってショプロンからブダペストまで、西へ西へと進みます。

平野をどんどん進んだら、途中に見事なひまわり畑が広がっていました。花が全部こっちを見てくれていて嬉しい。

ブダペストの夜景ブダペストの夜景

ショプロンを出て2時間半ほど、列車は無事ブダペストに到着です。

大都市ブダペストのブダの丘からは、ドナウ川を隔てた夜景が美しい。ドームの建物は国会議事堂。明日からブダペスト散策の始まりです。

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