レオン
サント・ドミンゴ・デ・シロスからバスでブルゴスへ、そして列車でレオンへとやってきました。
レオンは、10世紀にアストゥリアスの王がローマの砦のあった場所に城壁を築き、レオン王国の首都として創設したといいます。レオン王国はイスラム教徒とのレコンキスタの戦いに積極的に参加し、スペイン統一王国の基盤国の一つとなりました。ここではロマネスク、ゴシック、ルネッサンスという異なる様式の重要な建築を見ることができます。
その前に見つけたのは『カサ・ボティネス』。1893年に完成したガウディの作品です。現在は銀行の社屋になっています。
カサ・ボティネス前の通りを東へ進むと、レオンのカテドラルに到着。13世紀から14世紀にかけて建設された壮麗なゴシック教会です。
これは西のファサードで、カテドラルの主要な入口があります。入口上部には大きな薔薇窓が設けられています。
そして、こちらが入口の門。西ファサードの3つの門は、スペインゴシックを代表する彫刻と言われています。
中央の門のモチーフは最後の審判。上の右側には食べられたり釜に投げ入れられたりと、怖いレリーフが見られます。そして、中央の柱には『白いバージン』と呼ばれるマリア像。現在ここにある像はコピーだそうですが、その下でサリーナが記念写真。
カテドラルの中に入ると、暗い中に美しい光が目に飛び込んできました。壮大な内陣にいくつものステンドグラスの美しい光が高い天井から降り注いでいます。これはすごい。
この教会内には、何と125の長窓と57の円窓が設けられているそうです。
西面の薔薇窓は、この教会では最も古い13世紀終わり頃につくられたものだとか。
半円形の後陣を取り巻くステンドグラス。
教会の外に出て東側の後陣へ回ってみました。この後陣は建物の中でも最も古い部分だそうで、ゴシック建築の特徴的な飛び梁が半円形を取り囲んでいます。
そして、梁や後陣の柱のいくつもの尖塔の上では、コウノトリが巣をつくっていますね。
カテドラルから北へ向かうロス・クボス通りには、半円筒の塔を塀でつないだ城壁がみられます。写真では、城壁の壁沿いに後の建物が建っていますが、左に半円形の塔の部分が見えます。
これは、もともと紀元前1世紀にローマ人が築いた木造の城壁から始まり、その後3〜4世紀に石とモルタルで強化され、さらに中世になって拡張されたとのこと。
この城壁に沿ってぐるりと回っていくと、サン・イシドロ教会があります。11〜12世紀につくられ、この時期のスペインのロマネスク様式の教会としては傑出した建築と言われています。
教会の塔は12世紀の建築で、その基壇は城壁と一体につくられています。
建物の南側の広場に面して入口があります。教会はロマネスク建築ですが、左の門の上部壁には18世紀に紋章と馬に乗ったサン・イシドロが据えられました。
右は『許しの門』(Puerta de Perdón)と呼ばれ、それはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者がこの門を入り、この教会で罪を許されるからだそうです。
左は『羊の門』(Puerta de Cordero)と呼ばれています。その入口上の半円部分には聖書の『イサクの犠牲』のシーンが描かれ、上の方で2人の天使が羊を運んでいます。
中に入ると大空間で、ロマネスクの教会にしてこの規模にはびっくりです。基本はロマネスクで、後の修復によりゴシックやルネサンス様式の装飾が加えられているといいます。
また後陣はゴシック様式で再建されているそうです。
身廊の西面。パイプオルガンが置かれています。
教会から回廊の中庭に出てきました。
この教会の接する回廊の南側部分は11〜12世紀のロマネスク様式の通路だったもので、王室の霊廟へと続いています。
回廊の南東角です。右手の南側部分以外の回廊は2層になっており、16世紀の前半に通路に加える形で回廊としてつくられたとのこと。
その16世紀の回廊はルネサンス建築。といっても、この天井などは複雑で豪華、イタリアのルネサンスとは随分雰囲気が異なりますね。これは、スペインのルネサンス建築でプラテレスコ様式といい、その名前は、繊細な装飾が銀細工(platería)を思わせることからだそうです。
さて、ここから写真はありませんが王室の霊廟に入ります。この霊廟は、スペインでも最も古いロマネスク建築の一つと言われ、そのアーチに描かれているフレスコ画は、11世紀のものとは思えない驚くべき鮮やかさで活き活きと迫ってきます。これは必見。
こちらのページにその写真があります。
サン・イシドロ教会を出て西へ、最後に向かったのは旧サン・マルコス修道院。レオンを南北に流れるベルネスガ川の横に建っています。
創設の歴史は12世紀に遡り、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の宿泊および救護所として建てられ、16世紀に傷みが激しい建物の再建が始まり、1716年に完成したとのこと。スペインのルネサンス期の傑作であり、そのファサードはプラテレスコ様式の真珠と呼ばれています。
このすばらしい建物の一部が、現在は豪華なホテル、パラドールとなっています。本当に本物の歴史的な建物に泊まるという贅沢。
私たちは残念ながらここに宿泊はしませんでしたが、中に入って回廊など一部を見学することができます。
中庭に入り、教会に接する回廊東側を見上げます。
下層は重厚なアーチに高い階高、上層は細かいアーチと柱のテラスが気持ち良さそう。
プラテレスコ様式の回廊の天井は高く、豪華です。そして、側面にはさまざまな歴史的遺構が展示されています。
回廊の中庭から教会の方を見上げたところ。教会は1541年に完成したものだそうです。
よく見ると、壁や柱頭にいろいろな彫刻が施されています。人物像などもありますね。
貝殻のレリーフがあるのは、ここがサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の施設として使われたからでしょうか。
この旧サン・マルコス修道院の建物は、時代とともに刑務所、学校、救護所、宿泊所などさまざまな使われ方をされてきたといいます。そして、スペイン市民戦争の際には強制収容所にされたそうです。
現在は、生きた博物館に泊まることのできるすばらしいパラドールとして、建物も落ち着いて輝いているように見えました。
シエス諸島、ビーゴ
レオンからさらに西へ。ガリシア地方のビーゴまでは列車で7〜8時間ほどもかかります。車中泊ということにして、夜中の2時過ぎ発の列車に乗りました。
翌朝。車窓を見ると、カスティリャ・イ・レオン州では強い日差しに乾燥した大地と赤茶色の石の街が続いてきましたが、景色はいつの間にか緑が深くしっとりとした感じになっています。
10時過ぎにビーゴに到着。空が曇っているのにまずびっくり。久しぶりの『曇り』です。それに街の色が全体にくすんだ灰色。
久しぶりの湿気を感じて肌がほっとしている気分です。
さて、駅のすぐそばに宿を確保したら、今日はここから日帰りで、美しい砂浜があるというシエス諸島でゆっくり過ごすことにしました。港からフェリーで45分ほどで到着。
穏やかな光の浜辺はとてもいい気持ち。早速海に入って遊ぶ家族連れ。
シエス諸島には一応レストランもありますが、無人島なのでキャンプ以外宿泊はできません。
円弧を描いた砂浜は真っ白で、水もとても澄んでいます。
ただのんびり寝転んで過ごすにはもってこいです。
沖合のヨットや、ときどき通るフェリーを眺めながらまったりと過ごしました。
ビーゴに戻って1泊したら、マリちゃんはマドリードに帰るのでここでお別れです。サリーナは列車でポルトガルに入ります。
ポルトへの列車の発車時刻までしばらくあるので、ぶらぶらとビーゴの街を散策してみました。港に近いポルタ・ド・ソル広場から出発。
ビーゴは坂が多い街で、港の近くの高台にはお城があります。この地域はリアス・バハスと言って、いわゆるリアス式海岸という言葉の発祥地。海岸沿いは入り組んでいて起伏があります。
港に通じる階段を下りていきます。
ところで、このあたりではガリシア語が使われており、スペイン語(カスティリャ語)とはちょっと違って発音は柔らかな感じ。ポルトガル語に近いそうです。
さらに路地を港の方へ下っていきます。正面の高台に見えるのはサン・フランシスコ教会です。
海辺のダ・ベイラマル通りに出てきました。海沿いに北東の方角へ歩いていくと、ベルベス市場がありました。
旅先で市場をのぞくのはとても楽しい。港町のビーゴ、この市場には新鮮な魚介類がたくさんありました。
伊勢エビ、かに、シャコなどがどっさり並んで美味しそう。
ベテランのマダムが大きな魚を手際よく捌いていきます。(TOP写真も)
魚だけではありません。『あら写真? どうぞ、どうぞ』と果物屋のマダム。
リンゴやモモなど、いろんな果物がありますね。
そして野菜もあります。トマト、ピーマン、いんげん、レタスなどが目に鮮やか。
ビーゴの街歩きはほんの数時間でしたが、港町の雰囲気をちょっとだけ味わえました。さて、サリーナはこれから列車に乗って国境を越え、ポルトガルに入ります。