ラバトはモロッコ王国の首都。カサブランカの北東約90km、大西洋沿岸にあります。というわけで、内陸のマラケシュからまた海辺に戻ってきました。
まず街の北端、レグレグ川の河口近くにある『ウダイヤのカスバ』に行ってみましょう。カスバとは、アラビア語の『砦』からきている言葉で、城塞に囲まれた居住区を意味します。階段の上には巨大な『ウダイヤの門』があります。
写真のこちらは、階段の下にあるウダイヤへの入口です。馬蹄形の門の上両側に貝殻のようなレリーフがかわいい。
この入口を入ると、右側には17世紀のムーレイ・イスマイル王の居城を使ったウダイヤ博物館、そしてアンダルシアの庭園があります。
ウダイヤのカスバに入ります。赤い壁だったマラケシュとは全く異なり、建物の壁は白一色。
正面にカスバのモスクのミナレットが見えます。
横には坂道も階段もある白い迷路のような路地が続いています。壁の上には花瓶型の植木鉢、何だかギリシアの小さな島に来たようです。
ここで、ちょっと複雑ですがラバトの歴史をさらっと見てみましょう。ラバトには栄華と衰退が繰り返し訪れています。
ラバト周辺では紀元前3世紀には人が定住し、紀元40年頃にローマの植民都市となって250年頃まで続いた後、しばらく放棄されました。
ムワッヒド朝時代の1146年、レグレグ川河口の岩場を利用してここにイベリア半島への攻撃拠点となる大規模な城塞が築かれ、『リバト・アルファト』(勝利の城塞)と名付けられました。これが現在の『ラバト』の語源だそうです。
しかし、ムワッヒド朝はその後レコンキスタによりイベリア半島を失い、また次に興ったベニメリン王朝は首都をフェズに置いたことから、ラバトは衰退していきます。
1610年、スペイン国王の命によりレコンキスタ後キリスト教に改宗したモーロ人がスペインから追放され、彼らがラバトや隣のサレに入植してラバトの復興が始まります。
20世紀に入り、フランスがモロッコを占領すると、フェズが政情不安だったことから首都をラバトに移すことになりました。そして1956年に独立したモロッコ王国において、ラバトは王国の首都となったのです。
そんな歴史を持つラバトの中でも、最も古く歴史のある地区が、かつての城塞都市だったこのウダイヤのカスバ。そして、そこにはヨーロッパの地中海沿岸の雰囲気も感じます。
路地を巡ってミナレットのある通りへと戻ってきました。
レグレグ川の河口の方に行ってみましょう。
街の壁はずっと白ですが、各建物の入口にはさまざまな色やデザインが施されていて面白い。
そして、壁に絵タイルやレリーフが貼付けてあるところもあります。ここは、入口の左上にありますね。
この絵タイルは、猫です。『幸運の猫』というモチーフだそうです。猫がこちらを威嚇しているように見えますね。。
城塞の最北端、レグレグ川の河口が見える場所に着きました。
対岸の海辺には海水浴場が広がり、その先に見える街はサレ。サレのモスクの高い塔がよく見えます。
サレも歴史のある古都で、10世紀にはベルベル人の王国ベニ・イフレンの首都とされ、その後のムワッヒド朝やベニメリン朝の下、モスクやマドラサ(神学校)が建てられ、モロッコのイスラム文化の中心地の一つとなったそうです。
再びウダイヤのカスバの中を歩いていると、また扉の横の壁に何やらレリーフを発見。
これは薬屋を示し、この家は元薬屋だったのだそう。
細い路地が続きます。曲がり角の正面にはアーチの木の扉。
そして、またモスクの塔が姿を現しました。
カスバでは、自分の位置を知る数少ない目印です。
ここはウダイヤの門。城壁の階段上にあった門の内側です。
ここはウダイヤの中では比較的大きめの通りで、パン屋などのお店が並んでいます。
今度は坂を下ります。
入り組んだ路地をあてもなく彷徨うのは楽しい。色々な発見もあります。
家の入口扉の上にこんなものを発見。『ファティマの手』(ハムサ)と呼ばれるものです。
呪いを祓ってくれるお守りのような意味のものだそうです。
そんな路地の脇に2匹の猫ちゃん。さっきの『幸運の猫』より穏やかそう(眠そう)です。
カスバの城壁の外に出ると、外の芝生には家族連れなど多くの市民が集い、くつろいでいました。夕方のとても気持ち良い時間帯。城壁のはるか先には、茶色く四角いハッサンの塔が見えています。
ラバトは近代的な顔を持つ首都ですが、ウダイヤのカスバは古い街の歴史を感じられるところでした。白い外壁や扉などのデザインもよく、楽しく散策できました。
翌日、かつてモロッコのイスラム文化の中心地の一つだったという隣町のサレを訪ねました。
まず訪れたのは、サレのメディナのやや北西寄り、サレの大モスクに隣接した『アブ・アル・ハッサンのマドラサ(神学校)』。写真左がマドラサの入口です。
この『アブ・アル・ハッサンのマドラサ』はベニメリン朝時代の1341年に、スルタンのアブ・アル・ハッサンによって建てられました。
タイルや浮き彫りが美しい中庭。その中央には小さな噴水が設けられています。
中庭を取り囲む柱上部や壁の漆喰、そしてその上には木造の天井と壁、そのいずれもが繊細な彫刻で埋め尽くされています。
そして、中庭の床と柱、壁の下部には、緑、茶、白、黒の4色のタイルが幾何学模様を描いて貼られています。
こちらは植物文様の透かし彫りの壁。
どこを見ても、繊細なレースのような装飾がまんべんなく施され、ため息が出てきます。
2階に上ってみましょう。2階には学生たちの部屋が設けられており、またテラスに繋がっています。
中庭を見下ろすと、上部の漆喰の植物文様やレースのような浮き彫りの緻密さに改めて驚かされます。
中庭上部の2つの馬蹄形アーチを組み合わせて形づくった装飾。
天井を支える木の垂木周りの彫刻。
そして、テラスに出てみました。
大モスクのある北の方を見ると、左にモスクの入口、そして奥にミナレットの一部が見えます。
南西の方に目をやると、川の対岸の防波堤の向こうに白いラバト灯台が見えます。
ところで、1755年に起こったリスボン地震はサレにも大きな被害を与え、レグレグ川の形が変わってしまった結果、サレの港は機能しなくなり、街は時代から取り残されていったそうです。しかし、それによって今も昔の雰囲気そのままの街並みを残すことができたと言えるでしょう。
対岸のラバトには高層建築の姿も見えますが、サレの街は静かに昔ながらの雰囲気を伝えているようです。
マドラサの見学を終え、モスク前の階段を下りて、いよいよサレのメディナ探検に出発です。
細い路地を進みます。時にはアーチや両側の建物の2階が繋がっていることも。そんな道を歩いていきます。
すると、少し大きめの通りに出ました。人通りも増えて、スークが近いようです。
買い物袋を持った人たちが行き交っています。
前の男性は何やら大きな鍋のようなものを持っていますね。これから飲食店の準備をするのでしょうか。
道端では、露天でお店を開く人たちもいます。かごや袋に野菜を入れて、道行く人に声をかけています。
マラケシュのスークの中には観光客を相手にしたお土産屋さんや絨毯屋さんなども見られましたが、ここには地元の人たちしかいません。
スークに突入。お店や露天商の人たちが通りの両側に並び、たくさんの人だかりができていました。(TOP写真も)
豆、ニンニクなど食材が多いけど、中ほどに見えるのは靴下でしょうか? スークは活気に溢れ、女性たちは買い物もおしゃべりも楽しんでいるようです。
城壁の近くの広場では大量のスイカを売っていました。緑のスイカと、縞模様の細長いスイカ。どっちが美味しいかな。
そんなスークを一歩離れれば、また人影のほとんどない静かな路地が続いています。
楽しいサレの街歩きを終えて、メディナの城壁をあとにしました。
城壁はいかにも古そうですね。サレの城壁は、1260年、スペインのカスティリャ王国による攻撃を受けた後に築かれたものだそうです。
サレを出て、ハッサン2世橋を渡ってラバトに戻ってきました。サレとラバトを結ぶ橋は、1957年に初めてつくられたのだそうです。
そして、この橋のすぐ近くのラバト側に『ハッサンの塔』があります。ここにはハッサンの塔と、その向かい側にムハンマド5世廟があり、騎馬の衛兵に入口を守られています。ムハンマド5世はモロッコ王国独立時の最初の王様です。
ハッサンの塔はムワッヒド朝のスルタン、ヤーコブ・アル・マンスールが世界一大きいモスクをつくろうと計画し、塔の高さは60mを予定していたそうですが、1199年の彼の死後は建設が放棄され高さ44mに留まってしまったとのこと。
この塔の前に並ぶ柱は、モスクになる予定のものだったそうです。
ハッサンの塔に繋がるモスクの壁の一部が残り、その横からはレグレグ川、ウダイヤのカスバなどが眺められます。
ところでこの後、大事件発生。サリーナのカメラ(フィルムカメラ、巻き取り式)のフィルム巻き取りが急に動かなくなったのです。まだ旅も中盤、写真もいろいろ撮りたいのに…と泣きが入るサリーナ。『使い捨てカメラを買おうか?』『モロッコで売ってる?』など3人で大騒ぎした後、首都なのだから売っているかも、と新市街のカメラ店へ。ハルさん、ショコさんもつきあってくれました。
見つけたのは、街の小さなカメラ屋さんです。恰幅のいいヒゲのおじさんにカメラを見せると、フム、と首をひねり、奥から工具を持ってきていきなりカメラを分解し始めました。『いえ、私は使い捨てカメラを買いたくて…』と言いたいのですが、言葉が通じません(というか、おじさんは分解に没頭)。おじさんの太い指で小さなネジをカラコロと外した時には『もういいから返してください』と叫びそうになりました。
緊張の時間が20分ほど経過。汗まみれになったおじさんが最後のネジを締め、ハイ、と渡してくれるとあら不思議、ちゃんと巻き取りができるではありませんか。これには本当に大感激。3人でありがとうと言い続け、言葉はわからなくてもおじさんの笑顔が何と眩しかったことか。ウデを疑ってごめんなさい。素晴らしいカメラ職人に出会い、ラバトの思い出がもう一つ追加されたのでした。