1996.08.07(水)
1996年、スペイン語クラスの友人たちと『キューバの観光って楽しそうだよね』という話になりました。まだ日本ではあまり知られていませんでしたが、キューバはスペインなどの投資を募って、今観光業に力を入れているのだそうです。これは面白そう!
日本からキューバに直接入る飛行機の便はなく、カナダかメキシコ経由となります。じゃあキューバと、3年前に訪れて大ファンになったメキシコも訪ねてみよう。というわけで、友だちのユミちゃんを誘って旅に出ました。
日本からはまずアメリカのポートランドとダラスで2回乗り換え、メキシコシティで1泊。かなり遠いです。そして翌朝メキシコシティを飛びたち、ようやくキューバに入ります。
メキシコシティからキューバの首都ハバナまでは、飛行機で3時間ほど。
キューバの上空になると、眼下にカリブ海のエメラルドの海と白い砂浜の海岸が見えてきました。『きゃあ~、カリブ海!』と盛り上がるサリーナとユミちゃん。
こちらは少し内陸に入ったところにある湖です。何だかワカメのような緑の湖岸が入り組んでいて面白い。
そんな景色を眺めていると、もうハバナの空港に到着です。
ハバナの空港の正式名は『ホセ・マルティ国際空港』。20世紀初頭の独立の英雄の名がつけられています。
ところで、首都ハバナは『ラ・アバーナ』(La Habana)と発音されます。
空港からハバナの中心部までは20kmほど。公共交通機関はなく、タクシーでホテルへと向かいます。
ホテルは、旧市街の近くの歴史あるホテル・イングラテーラ。周辺には、旧国会議事堂やガルシア・ロルカ劇場など歴史ある建築が並んでいます。
サリーナの後ろ右がホテル・イングラテーラ。そして左の角に塔のあるスペイン・バロックの建物はガルシア・ロルカ劇場。1838年の建築で、キューバ国立オペラ団や国立バレエ団の公演が行われるところです。
まずはホテルにチェックイン。このホテル・イングラテーラは1876年に建てられ、ハバナで最も歴史のあるホテルとのこと。
天井の高いメインホールとレストランの壁にはセビリアンタイルが使われ、馬蹄形アーチなどスペイン南部でよく見られるムデハール様式のデザインも取り入れられています。
エキゾチックな雰囲気の廊下。照明が怪しく輝く。天井の一部は2階の吹き抜けになっています。
そして階段。ここにもセビリアンタイルが使われており、レストランを見下ろす色付きガラスの明かりとりが何ともオシャレです。
部屋に荷物を置いたら、早速旧市街散策に出かけます。
改めて、ホテルの隣のガルシア・ロルカ劇場。この壮麗な外観の建物には、グラン・テアトロ・デ・ラ・アバナとセントロ・ガジェゴという2つのホールがあるそうです。
ホテル前の通りはマルティ通り( Paseo de Martí)といって広い歩行者空間のある道路なのですが、そもそも車がほとんどありません。
正確に言うと、石油の欠乏のため『走っている車』はほとんどないのですが、置いてある車は時々見かけます。『わあ~、ピカピカのクラシックカー!』とユミちゃんが駆け寄る。何だか楽しくなりそう。
通りを介したホテルの前には中央公園があり、その先には細い路地が碁盤の目のように交差し建物が密集した旧市街地が広がっています。
そんな路地の一つに入って行きます。
ここオビスポ通りは商店が連なり、通りには人々も行き交い賑わっています。旧市街にはかなり傷んでいる建物も多く見られますが、ここにはきれいにペンキを塗り替えられた建物もありました。
とはいえお店に入って見ると、商品は少なくビンが3本並んでいるだけといったところもあり、物資がかなり不足していることが伺えます。
車のほとんど通らない路地には生活が溢れ出していて楽しい。
テーブルを囲んでゲームをするおじさんたち。『う~ん、今の手はどうかなあ』などと真剣に眺める子ども。路地は社交の場でもありますね。
そして街角で発見した公衆電話。かなり旧式の電話が3台並んでいます。
使っている女性がいたので、使えることは確認できました。
懐かしのダイヤル式電話、まだまだ現役で頑張っています。
旧市街の路地のところどころには1950年代のものと思しきクラシックカーが置かれ、時が止まったような雰囲気です。
ハバナ旧市街は1519年にスペイン人によって建設が始まり、17世紀にはカリブ海の中でも重要な商業と造船の拠点となりました。1959年の革命前までの多くの建物が密集して残るハバナ旧市街は、1982年にユネスコ世界遺産に登録されています。
今宵の食事は旧市街の有名店『カスティージョ・デ・ファルネ』へ。フィデル・カストロが学生時代に通ったレストランだそうです。
壁にはチェ・ゲバラ、弟のラウルと共に店を訪れたフィデルの写真が飾ってありました。ビールを頼み、キューバ最初の夜に乾杯!
1996.08.08(木)
翌日は、旧市街を含めてハバナの見所をぐるっと巡ります。
まずは東の港方面へ歩いていきます。公園には緑の葉に赤い花咲く大木が生い茂り、ここは亜熱帯気候なんだなあと実感します。
旧市街の路地を通り抜けて、ハバナ湾沿いの道に出てきました。右手は港のフェリー乗り場です。
港の付近には、何気ない建物の中にも歴史を感じさせてくれるものがたくさんあります。
これは、2階から3階にかけて浮きだした出窓やレリーフが凝っていますね。
そして、港の荷揚げ場前のベンチで犬と戯れるおじさん。その背中の壁にはチェ・ゲバラの肖像が。
湾岸を北へ進むと、石畳のサン・フランシスコ・デ・アシス広場があります。
その広場に面したサン・フランシスコ・デ・アシス修道院は、当初1548年から1591年にかけて建てられ、1731年から1738年にかけて改修されたのだそうで、塔の高さは42m。
修道院の建物は1841年にスペイン植民政府に徴収され官公庁として使われ、キューバ革命以降は博物館となっています。また教会のホールではクラシックコンサートも開催されるそうです。
さらに湾岸の道を北へ進みます。分離派建築のような雰囲気のこの建物は、政府関係の施設でしょうか?
そのさらに北の道路の中央分離帯には井戸のようなものが。あるいは昔の要塞の一部かな。
そろそろフエルサ要塞が近づいてきました。
世界遺産となっているハバナ旧市街は、正式には『ハバナ旧市街とその要塞群』と言い、ハバナ湾入口の海峡を囲む4つの要塞(フエルサ要塞、モロ要塞、ブンタ要塞、カバーニャ要塞)を含めた世界遺産となっています。
フエルサ要塞は、1577年に完成したハバナに現存する中では最古の要塞です。見張り塔の上に立つ女性像は『ラ・ヒラルディージャ』といって、モデルはハバナ初の女性総督で、ラム酒『ハバナクラブ』のラベルにも使われているハバナのシンボルなのだそうです。
フエルサ要塞のすぐ南にはアルマス広場があります。
広場の木陰となっている路地では、露店の古本屋が並んでいます。ポルティコのある建物は市の博物館。
こちらの露店では、チェ・ゲバラの関連本が並んでいます。ゲバラは観光客に大人気なのです。
というわけで、サリーナも挿絵が多いのを1冊購入。1米ドルはちょっと高いかな?
アルマス広場から少し西へ行き、右に折れて土産物屋がひしめく路地を進みます。
露店や観光客の先に塔が見えてきました。
路地の先はカテドラル広場。
ここは、ハバナでも最も観光客が集まるところでしょう。パラソルの露店が賑やかです。
そして、広場の正面にはカテドラルが壮大な姿を構えています。
カテドラルはハバナが建設された16世紀からここにあるそうですが、現在の建物は1704年建築です。キューバ風バロック様式なのだそう。両側に2つの塔を持ち、右の塔にぶら下がる鐘は重さ7トンもあるとか。
(カテドラルの全体像はキューバ+メキシコTOP写真参照)
カテドラルから旧市街の路地を西へ。路地の上を見上げると、バルコニーに自転車が2台ぶら下がっていました。
石油が不足するキューバでは、自家用車はもちろんバスもなかなか走っておらず、自転車は大事な移動手段となっているようです。
路地を抜けてたどり着いたのは、メモリアル・グランマ。革命博物館の南の緑に囲まれたガラスの建物の中に、カストロやチェ・ゲバラがキューバに密航した際に乗っていたヨット『グランマ号』が展示されています。
警備のためガラスケースには近づけませんが、周りにはキューバ軍の戦闘機などが置かれています。
さて、次に向かったのは新市街地のコッペリア。アイスクリーム屋さんです。
普通のアイスクリーム屋さんを想像するなかれ。1街区を占める緑豊かな広い敷地内に丸い建物があり、その中でも、屋外のテラス席でもアイスクリームが食べられます。地元の人たちに大人気で混雑しています。
屋外のテラス席は、大きな緑の木々に覆われた木陰になっています。ここ、いいねえと思うも、残念ながら席が空いていません。そこで、建物内へ。
円形の建物の階段を上った2階はこんな感じ。席も無事見つかり、イチゴアイスを賞味。とても美味しいです。
実は、サリーナがキューバに行こうと思ったきっかけの一つがキューバ映画『苺とチョコレート』。これを見てハバナの街をぜひ歩き回りたいと思ったわけですが、その映画の最初の場面に登場するのがこのコッペリアです。『苺』と『チョコレート』はアイスクリームの種類、そして男女を表す映画のモチーフとなっています。
コッペリアを出て、しばらく新市街のベダード地区を散策します。
この辺りには戸建て住宅もあり、新市街といっても1900年代前半頃の建物も見られます。
コッペリアから3ブロックほど南東に進むと、大きな階段にギリシア神殿のような建物がありました。ハバナ大学です。
ハバナ大学は1728年設立のキューバで最も古い大学で、1902年にここベダードの丘に移転してきました。フィデル・カストロもここの学生で、バティスタ政権時には大学が反政府抗議の中心となったのだそうです。
ハバナ大学の階段から東を見ると、カルメン教会(Iglesia del Carmen de La Habana)の塔が聳えて見えます。
この辺りも車の通行は少ないですが、時々見かけるのがこの大型バス。トラックに巨大な客車を引かせています。カメリョ(ラクダ)と呼ばれるのは、前後の車輪の上の車体が高くなっていて、フタコブラクダのように見えるからでしょう。
歩行者と自転車が主体の通りに突然この巨大なカメリョが現れると、びっくり仰天してしまいます。
ぶらぶら南へ歩いていくと、広大な革命広場に出てきました。革命記念日などには、この広場を市民が埋め尽くすのだそうです。
広場に面した内務省の建物の壁には、チェ・ゲバラのネオンが施されています。
そして広場を南から見下ろすのは、イタリアの白大理石でつくられたホセ・マルティの像。ホセ・マルティは著作家、革命思想家であり、スペインからの独立戦争で亡くなったキューバの英雄です。
像の後ろには、109mの高さの星形の塔『ホセ・マルティ記念塔』。1958年に完成したそうです。
さて、そろそろ日も傾いてきました。今日は新市街で夕食を食べようということで、カリブ海に注ぐアルメンダレス川の河口にあるレストラン『1830』にやってきました。
このレストランが面白いのは、海に面して『日本庭園』があること。これがその日本庭園です。灯籠のようなものがありますね。何でまたここに? ガイドブックの説明によれば、このレストランは元大統領の邸宅で、彼の趣味でつくられたのだそうです。
ともかく海辺の日没を眺めながら、キューバ2日目を終了。
明日からはハバナを離れ、リゾートや観光が始まります。
1996.08.13(火)
今日はキューバの最終日。フライトは夜なので、それまでハバナの街をぶらぶら散策することにしました。
まず旧市街。1900年代半ばの建物が中心で、1950年代あたりのクラシックカーも入れていい雰囲気。
こちらには真っ赤なサイドカーが停まっています。ハバナ・ヴィエハ(ハバナ旧市街)はいくら歩いても飽きることはありません。
ただし、雰囲気は良いものの多くの建物は傷んだり煤けたりと何らかの手入れを必要としています。
世界遺産にもなっているハバナ旧市街ですから、政府も力を入れて改修を進めているそうです。
街の至るところで、外壁だけになった改修・再生中の建物を見かけます。廃材が道を埋めているところも。
何人もの職人が建物改修工事を進めています。といってもほぼ人力。石油不足などによって機械を使えないので随分手間がかかります。
でも人の手で修復され、再生されつつある建物の姿を見るのは楽しい。次に来る機会にはどうなっているのか、とても楽しみです。
北の海沿いに出てきました。海辺を通る道路は『マレコン』と呼ばれています。
道路には黄色いマークで自転車レーンがつくられており、自転車が重視されていることがわかります。
海側には広い歩道がとられ、開放感に溢れています。
カリブ海の風を感じながら、のんびりマレコンを散策する人々。
そしてマレコンに面した建物にも、なかなか雰囲気のあるものが並んでいます。
マレコンを西へ西へと進むと、ハバナのシンボルとも言えるホテル・ナシオナル・デ・クーバに到着です。2つの塔を頂く白いホテルは1930年の建築。ヤシの木と共に、コロニアルな雰囲気を醸し出しています。
今回の旅のハバナはここで終了です。もっともっと見所がありそうで、自転車があると便利に市内を巡れるかもしれませんね。