1996.08.09(金) バラデロ
今日は首都ハバナを出て、海辺のリゾート地バラデロへの日帰りツアーです。『バラデロ・ツアー』はバスでホテルからバラデロの真っ白なビーチに運んでくれて、1人27米ドル。
というわけで、朝8時半にハバナのホテル・イングラテーラを出発です。今日は1日ビーチリゾートだ! 楽しみ~
ハバナからバラデロまでの距離は140kmほど、約2時間半の行程です。大きなツアーバスで、ヨーロッパや南米からの観光客と一緒に西へ西へと進みます。
行程の半分ほど過ぎたところでバスが止まり、小休止。
見晴台に行ってみます。鬱蒼とした濃い緑のジャングルのような景色が眼下に広がります。
でも見所は左手にありました。巨大な『バクナヤグア橋』(Puente de Bacunayagua)です。
1959年に完成したこの橋の長さは313.5m、高さは何と103.5mもあり、キューバでも最も高い橋だとのこと。キューバの土木技術の傑作の一つとされています。
ここでは、ツアーバスの休憩所として飲み物なども売っています。
これはヤシの実ジュース。南国ですね。
橋を渡ると、ほどなくマタンサスの街に入ります。ここはコロンブスが二度目の航海の時に上陸した場所だそうで、そこに1690年にマタンサスの町がつくられたのだとか。
マタンサスを過ぎると25kmほどの細長い半島に入ります。そこがバラデロです。
バラデロには大きなホテルの建設も進んでいるようでしたが、ツアーバスは、とあるこぢんまりしたホテルで私たちを下ろしてくれました。11時到着。
ホテルの裏側へと回ってみると、白い砂浜が延々と続く眩しいビーチが広がっています。これは最高! 泳ぐぞ~
本当に真っ白な砂浜に真っ青な空と海。早速水着に着替えて海に入ってみれば、ほんの浅瀬に白い魚がたくさん群れをなして泳いでいます。こんなに美しいビーチは生まれて初めて、ここはパラダイス!
というわけで、泳いだりシュノーケリングしては、ビール片手に浜辺でゴロゴロして過ごすサリーナとユミちゃん。すばらしい海辺の一日でした。
1996.08.10(土) シエンフエゴス
ビーチリゾートを堪能した翌日は、キューバ島の中央部にある歴史的な街、シエンフエゴスとトリニダーを訪ねる1泊2日のツアーに参加しました。
今回はミニバスで、イタリア人やアルゼンチン人、そして私たち以外の日本人もいる総勢15人ほどのツアーです。ハバナツールのガイドのフェルナンドさんは日本語も上手。日本に行ったことはないそうですが、すごいですね。
ハバナからシエンフエゴスまでは230kmほど。途中の休憩所では、今度はフレッシュなサトウキビジュースを売っています。
シエンフエゴスで最初に到着したのは、シエンフエゴス湾に突き出す岬の先端近くにあるパラシオ・デ・ヴァジェ(Palacio de Valle)。
この建物は現在ホテルのレストランとなっており、私たちはここで建物見学と昼食です。
1917年に完成したこの建物は、ムデハール様式の馬蹄形の細いアーチが連なり、繊細にしてエキゾチックです。建物角の丸い見晴台には姫様が現れそう。
バルコニーで建物の歴史を説明してくれるガイドのフェルナンドさん。日本語でも説明してくれるのでありがたい。
建物内には様々な部屋がありますが、圧巻はこの食堂部分でしょう。
内部の壁や天井はスペインのアルハンブラ宮殿を思わせるムデハール様式の装飾で埋め尽くされ、ベランダには色ガラスがはめ込まれています。
ここにも馬蹄形アーチの柱が立ち、その下にはグランドピアノが置かれています。
豪華な雰囲気の中での昼食を終えると、シエンフエゴスの中心部へと出発です。
シエンフエゴスは1819年にフランス人を中心とした神父たちの住む植民地として創設され、1829年にキューバ島の総司令官の名前にちなんで『シエンフエゴス』と名付けられました。その後、サトウキビやコーヒー、タバコなどの交易の拠点となり急速に開発が進み人口も増え、1880年に市に昇格したのだそうです。
街は碁盤目状につくられており、赤や黄色に塗られた壁の家々も目につきます。
家の窓には大きな鉄格子がはめられているのですが、なかなかオシャレ。
ぶらぶら歩いていると、『こんにちは。どこから来たの?』と声をかけてきたのは地元の女の子ケイティ。
サリーナとユミちゃんが家の中を見たいと言うと、自宅に案内して見せてくれました。ロフト風の中二階がいい感じ。
さらに歩いていくと、シエンフエゴスの歴史地区の中心、ホセ・マルティ公園に到着しました。
公園の西にはシエンフエゴスのカテドラルがあります。
そして、そのカテドラル前には1819年に街が創設された地点を示す円盤が埋め込まれています。
ホセ・マルティ公園の周りは新古典主義の列柱が並ぶポルティコが続いています。19世紀につくられた街区です。
公園に面したトマス・テリー劇場に入ってみました。この劇場も1888年築と歴史ある建物です。
上階のバルコニーからは、ヤシの木が揺れるホセ・マルティ公園の全景がよく見えます。そして、その先にはシエンフエゴス湾の青い海。
北側を眺めると、市街地の向こうに湾を介して工場の煙突が見えます。シエンフエゴス周辺は工業が盛んなところでもあるそうです。
こちらは公園の東にあるカテドラル。最初に1833年に建てられ、その後1875年まで増改築を繰り返したそうです。高さの違う2つの鐘楼があります。
ホセ・マルティ公園の南西角にある建物はフェレール邸。カタルニアの富豪フェレール家の邸宅として建てられたそうで、角に丸い見晴台があります。
やや傷んでいる建物もありますが、シエンフエゴスの始まりを感じられる歴史的な地区でした。
街歩きは楽しいのですが、日差しが強く暑いのです。というわけで、ツアーの皆さんもバルで一休み。
私たちも、雰囲気のあるカウンターで冷たいビールをいただきます。
シエンフエゴスを出発し、今日の宿泊地のプラヤ・アンコン(Playa Ancón)を目指します。
シエンフエゴスを出てしばらく進んだサトウキビ畑の中に、突然煙を吐く巨大な工場が現れました。キューバでは時々突然こういう工場に遭遇してビックリしますね。ここはセメント工場のようです。
プラヤ・アンコンに到着した時には、もう日没間近。ビーチに出て日没を眺めます。
ビーチでは、まだ泳ぎ足りないという人々が大勢水辺で遊んでいました。
さて、ホテルのテラスで夕食です。さすがに海辺だけあって、巨大な伊勢エビにサラダ、ポテト添え。美味しいです~
ところでキューバのビール。暑い昼間は『クリスタル』という軽くてグイグイ飲めるスッキリビールを愛用していましたが、ここでは『ブカネーロ』を選択。クリスタルより味が濃い感じで満足、満足の笑顔のサリーナでした。
1996.08.11(日) トリニダー
プラヤ・アンコンの朝は、抜けるように爽やかな青空が広がっています。
浜辺には、すでに何人もの人たちが集っています。
白い砂浜には真っ赤なデッキチェア。青い海の彼方には真っ白なボート。。
いいね、いいね〜と写真を撮っていると、浜辺でくつろいでいる地元の若者たちが『写真撮ってないで、泳ごうよ』と笑顔を向けてきます。ほんと、泳がないともったいない。でもツアーの出発はもうすぐなのです。
プラヤ・アンコンからトリニダーまでは12〜13kmほど。しばらくは海辺の道を通っていきます。
海辺にはすでに大勢の人たちが繰り出して、とても賑やか。ミニバスは徐行しながら進みます。
トリニダーは、スペイン人がキューバにつくった3番目の町で、その歴史は古く1514年の創設だといいます。
その後タバコやサトウキビの栽培と売買で栄え、19世紀半ばまでの繁栄の跡を留める中心部の歴史的街並みは、1988年、ユネスコの世界遺産に登録されています。
長い歴史を感じさせる石畳の道を通る車は少ないですが、乗客を満載したトラックが通過。バスの代わりかな?
石畳を進むと、歴史地区の中心部に入っていきます。中心部は車が入れないようになっています。
このあたりの建物も植民地時代の雰囲気を残していますね。この屋根はちょっと傷みが激しそうですが。
元はカラフルなペンキの壁だったのでしょうが、かなり劣化して剥げかかっています。
でも繊細な窓の格子と合わさって、繁栄の時代を感じさせてくれます。
町の中心のサンティシマ広場にやってきました。
右手がマヨール・サンティシマ・トリニダー教会です。
ネオクラシック様式のこの教会の建物は1892年の建築で、完成まで75年を費やしたとのこと。
教会内部は奥行48m、幅10.5mとかなり大きく、白い壁に天井横の窓からの光が入って明るい雰囲気です。
横の路地を覗いてみると、ここにもいましたクラシックカー。
そして、サンティシマ広場から北へ少し足を進めると、トリニダーを代表する景観が目の前に迫ってきました。
この塔は、元は18世紀に建てられたサン・フランシスコ・デ・アシス修道院の教会でした。1984年から革命博物館とされているこの建物のうち、塔のみが創設時の建築だそうです。
横の住宅の扉から、犬を抱くおじさまが挨拶してくれました。絵になりますね〜
塔の近くには、『ラ・カンチャンチャラ』というタベルナがあります。
カンチャンチャラとは、レモネードにラムを混ぜたような飲み物のことで、テラスではキューバ音楽とダンスが楽しめます。建物は1740年築。
再び歴史地区の中心部に戻り、南東に歩いていくとサンタ・アナ広場があります。その横に建つのはサンタ・アナ教会。このあたりは、18世紀後半の町の拡張に伴って整備され、町の東端の拠点となっていったとのこと。
サンタ・アナ教会は1719年に創設され、現在の建物は1812年に完成したものだそうです。
さて、1泊2日で歴史ある町巡りを終えたらツアーは終了、ミニバスは一路ハバナへと戻ります。私たちは今宵からハバナの近郊にあるプラヤ・ボカ・シエガに滞在。キューバの残りの時間をビーチでのんびりと過ごします。
1996.08.12(月)~08.13(火) ハバナ近郊/プラヤ・ボカ・シエガ、コヒマル
プラヤ・ボカ・シエガはハバナの中心部から東へ25kmほどのところにあります。
このあたりはずっと砂浜のビーチが続いていて、今日も地元の人たちで賑わっています。
近所の人や、ハバナから自転車でやってくる人たちも多いようです。早速私たちも水に浸かります。
すると、ユミちゃんの持ったビーチボールに目をつけた女の子たちが『バレーボールやりましょ!』と誘ってきて、対戦の始まり。『キューバ対中国ね!』『日本だよ!日本もイケてるよ!』なんておしゃべりしながら一緒に遊びます。直前のアトランタオリンピック女子バレーボールではキューバが金メダル、中国が銀メダル。日本は残念ながら9位でしたね。
キューバの人たちは人なつこくって楽しい。浜辺でおしゃべりした若者たちと記念撮影です。
真ん中のフィデルくんは、ハバナ旧市街にあるお父さんの家を紹介してくれて、翌日見学させてもらいました。
そんな浜辺に近い道路でも、ワニ顔のアメ車を発見。
のんびりビーチで過ごした翌日は、いよいよキューバの最終日。フライトは夜なので、午前中はしばらくホテルのプールで遊びます。
ビーチボールでプカプカ浮かんでいるユミちゃん、しあわせそう〜
こちらのサリーナは、ビールでしあわせ〜
今日は軽い『クリスタル』を飲んでいます。
ハバナに戻るちょうど途中には、ヘミングウェイの愛した漁村コヒマルがあります。
昼食は、そのコヒマルにある『ラ・テラサ』に行ってみました。
気持ちのよい2階席の壁にはヘミングウェイの写真がたくさん飾られています。
ヘミングウェイは、『老人と海』の舞台となったこのコヒマルにヨットを繋留しており、このお店の常連だったそうです。
2階の窓からは、コヒマル湾が一望に見渡せます。開け放たれた窓から風が入って心地よい。
ステキなお店の雰囲気の中、シーフードに白ワインを楽しみました。
昼食を終えたら、ちょっとコヒマルの村をぶらぶらしてみましょう。
海辺の先に見えるのは『トレオン・デ・コヒマル』と言って、1649年につくられた砦です。
海辺には地元の人たちがたくさん、大人も子どもも泳いだりリラックスしたりしています。
キューバの人たちは、本当に海が大好きですね。
一方、昼下がりの通りは人影もまばらです。
じりじりと暑い日差しの中を、コヒマル湾に沿って北へ進んでいきます。
すると、先ほど見えた砦の手前に円柱に囲まれた胸像がありました。
胸像はヘミングウェイで、1960年代に村民によって建てられたものだそうです。
コヒマル村は17世紀から存在していましたが、19世紀に入るとこのあたりは人気の海水浴場・保養地となり、周辺からの道路や教会も整備されて住民が増えていったそうです。
通りに並んでいる家のポーチの屋根はネオクラシックの列柱に支えられています。
そんな家の前で遊んでいる子どもたち。キャハハと笑う笑顔がかわいい。
海辺の美しさと歴史を感じることができたキューバ滞在。物が不足し大変な状況も見えるのに、とても人なつこいキューバの人たちに魅了された一週間でした。