ランコー、ハイヴァン峠
今朝のフエの天気は薄曇りです。今日はツアーミニバスで南へ、ハイヴァン峠を越えてホイアンを目指します。
ツアーミニバスは、旅行会社によるフエ、ホイアン、ダナンなどの各町を結ぶ片道移動のみの交通手段で、食事やガイドなどは付きませんが、ローカルバスより速くて簡単、便利です。
ミニバスは、フエから1時間ほど走ったところの海岸でちょっと休憩。ここはランコー・ビーチです。
美しいまっすぐな海岸線が10kmほども続いています。
そして、まだ時間が早いからか、ビーチには地元の子どもたちが遊んでいるだけ。
私たちも靴を放り出して、裸足で波と戯れます。いい気持ち~
浜辺には小舟が並び、また波の向こうに浮かぶ舟もあります。魚を取っているのでしょう。
この小舟は竹を縛ってつくられていますね。
そして南を見ると、浜辺の先に緑の山が聳えています。この山の上にハイヴァン峠があり、私たちはこれからその峠を越えるのです。
フエとダナンとの境界線となっているこの峠を境に気候も人の気質もガラリと変わる、と言われているそうです。
ランコー・ビーチを出発したら、ミニバスは標高600mほどをくねくねと蛇行しつつ上り続けます。
そして到着したハイヴァン峠では、山と海の絶景が待っていました。眼下には、美しいビーチの先にダナン湾が広がっています。
写真はもう少し左、東寄りを見たところ。ダナン湾の東に突き出た小山のような岬が雲に浮いているように見えます。
ハイヴァン峠のハイは『海』、ヴァンは『雲』を意味し、雲がかかっていることが多いそうです。快晴で絶景が見渡せるのはラッキーでした。
峠のタイガービールの看板の下に、小さな祠がありました。
このすぐ近くには19世紀初頭につくられた砦があり、第二次大戦時の日本軍や、ベトナム戦争時にはサイゴン政府軍も使ったのだそうです。
ホイアン
ハイヴァン峠を下り、ダナンを過ぎてホイアンに着きました。
ホイアンはトゥボン川の河口近くに形成された古い港町で、16世紀末以降はポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄したのだそうです。日本人街や中国人街が形成され、オランダの東インド会社の商館も設けられたといいます。
その後、江戸幕府の鎖国により日本人の往来は途絶え、中華系の人々が移り住んだそうです。そして18世紀頃からトゥボン川の土砂の堆積により次第にホイアン港が使用できなくなり、ダナン港がそれに代わることとなりました。
こうしてホイアンは衰退したものの、18世紀末~19世紀頃の街並みはよく残り、その面影を今に伝えています。
黄色い壁の家が目立ちます。ブーゲンビリアの花も多く見られ、黄色い壁に緑と赤紫が映えています。
ところでもうお昼どき。お腹が空いたので、ホイアン名物を食べることにしましょう。
それは『カオラウ(Cao Lầu)』という麺です。どの町にも名物麺があるのはすごい。ベトナムの人たちは麺好きですね。コカコーラにも麺!
カオラウは米粉の麺だそうですが、太めで短く切ってあります。モチモチしてコシがある感じ。そこにチャーシューや野菜を乗せ、甘辛めのタレと絡めて食べる汁なし麺です。
昼食を終えて、ホイアンの街歩きを開始します。
ここは、歴史的街並みの東側に位置するホイアン市場。市場と言われると覗かずにはいられませんが、今日は街並み地区を歩き、市場は明日訪れることにして先へ進みます。
チャンフー通りを西へ進み、まず入ったのは福建会館。
『福建会館』と書いてある外門を入ると、前庭の先にこの竜宮城のような派手な門が立ちはだかります。
ホイアンでは、中国人の移住者が同郷の人たちの集会所をつくっており、それが『会館』です。『福建会館』は福建省出身者の会館。
そこは集会所であるとともに、寺院の機能も兼ね備えています。
建物の奥には祭壇があり、道教の女神『天后聖母』が祀られています。海難事故から守ってくれると言い伝えられているそうです。
福建会館を西へ少し進んだところには、民家の建物を使った『貿易陶磁博物館』があります。ホイアンの近郊で発掘された陶磁器や沈没船から引き上げた遺物などが展示されています。
建物は2階建の木造で、建物正面や中庭に張り出したバルコニーの手すりなどの細工がちょっとオシャレ。
2階のフロアにも吹き抜けが設けられ、また正面のバルコニーからはチャンフー通りの家並みがよく見えます。(TOP写真)
展示品は陶磁器のほか、日本人町を描いた絵巻などもあります。
チャンフー通りをさらに西へ進んだ通りの反対側にあるのが『クアンタンの家』(廣勝家)。ホイアンの典型的な民家の構成を見ることができます。
間口は3間程度と狭く奥行の深い民家で、途中に中庭が設けられているところなど、京都の町屋のようなつくりです。
チャンフー通りをどんどん西へ。すると、突き当たりに屋根のある太鼓橋がかかっています。『来遠橋』(日本橋)です。
この橋は1593年に作られたと刻まれているそうで、当時ここに暮らしていた日本人が架けたとされています。
屋根の飾りや瓦の縁に絵付け陶器がはめ込まれているようで、なかなか凝っていますね。
横から見てみましょう。石かレンガの橋脚に木造で床と屋根が架けられています。
橋の中央にはお寺の祭壇が設けられています。また橋の両端には申と戌の像が祀られており、これは橋の建築開始年の干支が申、完了年の干支が戌であったことに由来しているそうです。
来遠橋を渡ってもしばらく家並みは続いていますが、人通りは少なく静かです。そろそろ夕暮れが近づいてきたので宿へ引き返します。
少し宿でゆっくりした後、トゥボン川へ行ってみました。せっかくなので小舟に乗ってみましょう。
ちょうど日暮れどき、夕焼けが川面にも映ってとても美しい。川を渡る風も気持ちよく、快適な舟遊びでした。
翌日。今日はダナンから夕方の飛行機でホーチミンへ向かいますが、午前中は時間があるのでホイアンの市場へ。
大きなカゴを自転車に付けて野菜を運んでいる女性。周囲はブリキなどを加工する小さなお店が並んでいます。
そして市場エリアに入ると、お馴染みになってきた南国フルーツや野菜がザルに盛られています。
向かい側には衣料品のお店が並ぶ。
こちらは自転車屋さん。自転車本体、そしていろいろなパーツが置いてあります。荷台や前カゴ、レフレクター、タイヤにチューブ。
自転車利用者は多く、お客さんも頻繁に立ち寄っているようです。
山と積まれたタイヤの前には、かわいい看板娘。
そして、その隣ではランブータンの山。大安売りなのか、女性たちが我先にと手に取って選り分けていました。
市場はずっと見ていて飽きることはありませんが、そろそろダナンに向かうことにします。
ダナン チャム彫刻博物館
ダナンでは、飛行機に乗る前に1箇所のみ、イズミちゃんから推薦された『チャム彫刻博物館』に行ってみました。
広い前庭のヤシの木に導かれた先、緑に埋もれたような黄色い建物が、1915年に建てられたチャム彫刻博物館。この博物館には、2~19世紀(192年~1832年)にベトナム中部にあったチャンパ王国のミーソン遺跡などの彫刻や遺物が保存、展示されています。
『チャム』は、チャンパ王国の民族『チャム族』のことです。
20世紀初頭にフランス人によって発見されたミーソン遺跡は、7~13世紀にかけてのチャンパ王国の聖地ですが、遺跡はベトナム戦争によってかなり破壊されたそうです。
彫刻などの出土品は、現地よりこのチャム彫刻博物館に多く保存、展示されているとのこと。手前にすっくと立っている背面の像はシヴァ神。
ミーソン聖域は、中国の影響から脱却したかった時の王がインド文化を取り入れ、ヒンドゥー教のシヴァ神を祀る木造の神殿を建立したのが始まりなのだといいます。というわけで、彫刻にはヒンドゥー教の神々や、その特有の文様を見ることができます。
この博物館、屋外にもこんな風に展示があって、なかなか楽しい。
こちらはヴィシュヌ神。ガルーダに乗り、化身を使い分けて世界を維持する神です。
女性の神様はダンスを踊っているのでしょうか。温かさと生命力を感じますね。
こちらは踊る神様と音楽を奏でる神様。
凛々しく正面を見つめる像。
とにかく多様な彫刻がそこここに展示されています。自然光溢れる明るい館内で自由に見て回れるのも楽しい。
動物の彫刻も多い。これは獅子でしょうか? ひょうきんな感じですが、魔除けの狛犬みたいなものか?
これは象ですね。頭だけ象のガネーシャ神ではなく、全身象です。
龍か鯱(しゃちほこ)か? 奥は獅子か?
そして、こちらはミーソンのA1遺跡の石膏模型だそうです。28mの高さの遺跡の1/40模型だとのこと。
すばらしい彫刻が数多く展示され、とても見応えがある博物館でした。開放的な展示も大らかで、とても気持ちのよいものでした。
チャム彫刻博物館からダナン空港へと移動し、夕方の飛行機でホーチミンに着きました。ホーチミン市内の道路には大量のオートバイが溢れていてビックリ。そして、これまでの街とはかなり様相の異なる大都会です。
ホーチミンの宿は、歴史あるコロニアルスタイルの『コンチネンタル』。ホーチミンには2泊し、明日は郊外のツアーに出かけます。