1997.08.28(木)
今日はウランバートルから50kmほど北東にある保養地、緑豊かで奇岩が多いテレルジへ向かうことにしました。ここまで旅の供をしてくれたボロルマは、この日は休めないと仕事に行ったので、今回は二人で行動しなければなりません。
テレルジにはいくつかホテルはあるものの電話がないらしく、宿泊できるかどうかは行ってみないとわからないそうです。足はバスはないのでタクシーしかなさそうなのですが、モンゴルではタクシーはまだ数が少なく、特に流しはほとんど見当たりません。
大きなホテルならタクシーが拾えるだろうと、バヤンゴルホテルに向かうことにしました。
このホテルにはモンゴル最大級の旅行社ジョルチン社が入っているので、テレルジの情報収集を兼ねられると踏んだからです。スフバートル広場を通って政府宮殿を眺め、チンギス通りを南下してバヤンゴルホテルにやってきました。
ドアマンにタクシーを頼んだら
『今出ていったばかりなのでしばらく戻ってこないな〜。あ、そうだ、ちょっと待ってて。』 とどこかへ消え、しばらくして戻ってきた時にはりっぱな車を従えていました。
『ホテルの車だけれど今日は使わないから、これでどうぞ。』
『ひゃ〜、すご〜い! だけど高いんでしょう?』
『空いている車だからタクシーと同じ値段だよ。』 と運転手。値段を聞くとなるほどタクシーと同じくらいです。明日の復路も大丈夫とのことなので交渉成立。この商売、ドアマンと運転手のアルバイトなんだろうかとも思うのですが、どうなのかな。
とにかく車が手に入ったので、いざテレルジへ出発。
『この車はリンカーンっていうんだ。モンゴルにはたった2台しかないんだよ。』 と我らが運転手は自慢気におっしゃいます。しかしよく見ればずいぶん年数が経っているようで、内部には壊れているところがあって、ちょっと笑い。
ウランバートルの市街を抜けるとすぐに草原地帯になりますが、ナライハという町を過ぎると樹木が目立ちはじめました。
ここは草原だけだった昨日までの風景とはずいぶん異なり、森と山が周囲を取り囲み、小川がたくさん流れる美しいところです。
そんなところで少年と少女が馬で駆け回っています。
どうやら年長の兄ちゃんが妹に乗馬を教えているようです。
この女の子はうっすらとした金髪です。
モンゴル人はモンゴロイドで、顔つきは日本人に大変よく似ていますが、中にはこうした金髪の方もいます。ここは大陸ですから、西の方の人種の遺伝子を持っている人々もいるのです。
70kmほど走るとテレルジに入ったようで、妙な形の奇岩が目に付き出します。
ごつごつした岩はなんだか恐竜の背中みたい。
奇妙な形の岩を眺めながら進んで行くと、なんとかテレルジのホテルの着いたようです。
ここはバヤンゴルホテルに入っていたジョルチン社が経営しており、普通のホテルとツーリスト・ゲルとがあります。
私たちはここでもゲルに宿泊します。
数日前に泊まったバヤン・ゴビに比べるとここは周囲を山と森に囲まれているので、安定感がある反面、草原の開放感はありません。
ゲルには一般的な窓はなく、開口部は出入口の扉と真上のトーノのところだけです。
モンゴルといえど夏の日中はかなりの気温になります。そんな時は、スカートをめくるように外周のフェルトをめくり上げて、風を入れます。こうすると本当に涼しいです。
宿も無事確保できたので散歩に出ました。ここでも小さな男の子が馬に跨がり遊んでいます。
『モンゴルの子って小さくても馬に乗れるのね〜。』 と感心するサリーナ。
『そうだ、この辺りでは乗馬が出来るらしいよ。僕達もやってみようか?』 とその気になるサイダーです。
サイダーもサリーナも乗馬経験はありません。乗馬やさんのおじさんに、
『馬、乗ったことないんですが…』 と聞くと、
『だいじょうぶだよ。ここの馬はみんなおとなしいからね。それにモンゴルの馬は小さいから恐くないよ。』
ということで、乗り方、降り方、進め方、止め方、進行方向の指示の仕方、万が一の落ち方などを教わり、いざ出発。
『わ〜、進んでいるわ〜。』 と初乗馬に感激のサリーナ。
美しい風景の中での乗馬は快適そのものです。丘の上で馬を降り休憩すれば、馬やのおじさん、
『モンゴルの歌知っている? これはホーミーっていう歌い方。』 と歌い出すと、あら不思議、メロディーと伴奏がいっぺんに。もちろん一人で。どうするんだか想像もつかない歌い方でした。
『ホーミーはむずかしいけれど、これなら出来るかな?』 と今度は両手を合わせ笛にしました。指を開いたり閉じたりして音程が変えられます。ん〜、一応音は出るようになったけれどとても音楽にはならないよ〜。
モンゴル音楽を楽しんだ休憩のあとも、ゆっくり馬を進めます。するときれいな小川に出ました。
『じゃあ、ここで馬に水でもやろうか。』 と白馬に跨がるサイダー。本当は勝手に馬が水を飲んでいるだけで、前に行かせようとしても馬はピクリともしないのでした。
散歩と初めての乗馬を充分に楽しんだあとは、ホテルのゲルでのんびり過ごしました。
ここテレルジは国立公園で保養地だそうですが、いわゆる村はなく(もっと奥にあるかもしれないが)、ここのようなリゾート地が数箇所あるだけのところです。ですから食事はホテル内で済ませます。
寒冷地で野菜がほとんどとれないモンゴルでは、野菜は貴重品です。遊牧民のビタミンはもっぱら家畜の乳、そして時折その血液や肉から取得するそうです。そんなわけで、食事に生の野菜が出て来ることはあまりないのですが、ここはキュウリがあるのが珍しかったです。一方、羊はたくさんいるので、その肉は豊富です。ということで、羊肉のシチューは定番です。
1997.08.29(金)
ツーリスト・キャンプの朝食はいたって普通です。
目玉焼きがメインで、ごはんとパンが両方付いてくるのが珍しいと言えば珍しいでしょうか。
今日もゲルでだらだらしたり、散歩をしたりとの〜んびりで満足満足。丘に登れば風が自然の歌を歌います。
でも夕方にはウランバートルに戻らなければなりません。ボロルマたちと最後の晩を過ごす為に。
約束の時間を過ぎましたが、我らがあのリンカーンはやって来ません。1時間が経った。まだ来ない。これはまずいということで、ホテルでタクシーはないかと聞きますが、もちろんありません。電話は? と聞けばこの先2kmほどの所にあると言います。2kmを往復したらそれだけで1時間かかってしまう。
これはまずい。少なくともボロルマには約束の時間には行けないと伝えなければ。ホテルの人とああだこうだしていると、『どうしたの?』 と聞いてくれる人がいました。事情を説明すると、『それは困ったわね。… ちょっと待ってて、仲間に聞いてみる。』 と近くにいた仲間の男の人に声を掛けてくれます。『この人たち……なんだって。行ってあげなさいよ。』 『え〜ぇ、俺はたった今、休暇できたんだぜ。ウランバートルまで往復したら夜中になっちまうよ…』 『なによ、あんた、困っている人をほっておくの(怒)!』 と言ったかどうかは良くはわからないけれど、とにかくこの人がウランバートルまで送ってくれることになりました。 良かった!
まず電話のところに行ってもらうことにしました。なんと着いた先は普通の民家でびっくり。その庭先にはりっぱなパラボラアンテナが立っていました。あ〜、電話って衛星電話だったのね〜、とはじめて理解。うまい具合にこの電話でボロルマの実家に通じたのですが、彼女は不在で出たのはお母さん。お母さんはモンゴル語しか出来ない。我々はモンゴル語はもちろんできない。運転を引き受けてくれたお兄さんに事情を話し、お母さんになんとか説明してもらいました。
さあウランバートルへ急ごう! とホテルまで戻ったところにあのリンカーンがやってきました。
『いや〜、申し訳ない。突然用が出来ちゃって。。』 おいおい!!
そんな夕暮れ時、丘の上では2頭の馬がならんでのんびりと草を食んでいるのでした。
なんとか辿り着いたウランバートルのホテルでは、ボロルマと彼氏が首を長くして待っていました。ここで四人で最後の晩餐を楽しみました。
1997.08.30(土)
さて、今日はいよいよ日本に帰らなければなりません。もっともっと長くいたいところですが、ここに長居すると社会復帰できなくなりそうです。
この日は特に予定はなかったので、ウランバートルの街を適当にぶらぶらします。
ここはモンゴル唯一のデパートです。
私たちは普段お土産はあまり買わないのですが、面白そうなので入ってみました。
このデパートで一番面白かったのはここ。なんとゲルを売っています。
そしてその中に設える家具・調度品類も。ゲル一式買って帰ろうかとも思いましたが、運搬費の方がずっと高くなりそうなのでやめました。(笑)
そろそろ空港へ向かう時間です。ボロルマはアパートの近くのバス乗り場まで見送ってくれました。
短い夏休みは、草原と心地よい風、そして遊牧民の子供達のはにかんだような笑顔がすばらしい一週間でした。ありがとうバトブヤン、エンヘ、そしてボロルマ。