白々と夜が明けてきました。高台にある宿からは、葛籠尾半島の先端とその先の竹生島がよく見えます。
朝食の前に菅浦を散策しようと朝6時半に宿の入口に集まったのは、キルピコンナ、サイダー、サリーナの3名。
宿から1km少々東にあるのが菅浦の集落です。
菅浦の歴史は古く、中世に「惣(そう)」と言われる自治的村落を形成し、住民による自治が発達していたそうです。2014年には国の重要文化的景観に選定されました。
集落の入口では、まず最初に西の「四足門」が迎えてくれます。
茅葺きの小さな門で、集落の東西にありますが、かつては東西南北の4カ所にあり、集落と外界を分ける門として出入りの検察が行われていたといいます。
茅葺き屋根はきれいに手入れされ、門の内側にはお地蔵さんも並んでいます。
大きな銀杏の木の黄色い落ち葉が地面を埋めています。
西の四足門の隣には須賀神社があります。
この神社は、明治42年に小林神社、赤崎神社、保良神社を合祀したものだそうで、保良神社は第47代淳仁天皇の御陵跡、奈良皇居の修復の際に仮の宮として造営された「保良の宮」と伝えられているとのこと。今から1200年以上前のことです。
氏子は崇拝の念が厚く、境内には素足で参拝されるのだそうです。
「さすが琵琶湖、歴史が深いね〜」など話しつつ走るサリーナとキルピコンナ。
集落の中に入り、湖沿いの道を東へと進みます。
集落の中央には、護岸に囲まれた菅浦港があります。
かつては西と東にある「舟入」が集落の中に入り込み、近代まで船溜まりとして利用されていたそうですが、この新たな港の造成によりその役割を終え、舟入は埋め立てられ現在は集落の広場のようになっています。
東の四足門にやってきました。菅浦の集落はここまで、という印ですね。
この先の南には家屋はありませんが、湖沿いに小さな畑やミカンなどの果樹園、かつて使われていたタバコ小屋などがあります。
東の四足門から西の方角に琵琶湖を見ると、右手に宿の「つづらお」と岬、その先に海津大崎、そしてさらにその向こうには琵琶湖西岸の丘が織りなす景色が広がっています。
そろそろ日の出です。半円形の水辺に佇む集落、それに覆い被さるような紅葉の木々。
集落の南には遊歩道が続いておりもう少し探検してみたかったのですが、朝食時間が近づいてきたのでまたの機会としましょう。
石垣が積まれてつくられた細い路地を通ると、東の舟入跡に着きます。小さな社が建てられていました。
そこから集落の内部に入っていくと、山側にはお寺や神社の建物が並んでいます。
路地を通って再び須賀神社の前まで戻ってきました。
水辺に並行する路地につくられた石垣は、大波などから家屋を守るための防波堤として築かれたものと、扇状地形に家屋を建てる平坦地をつくるために築かれたものがあるそうで、高さは1〜1.5mくらいです。
とても魅力的な菅浦の散策を終え、宿で朝食をとったら、とんぼ帰りのジークと一緒に宿の前で記念撮影。
さて、ここからは昼食まで2組に分かれての琵琶湖北部巡りです。じっくり菅浦を歩いて散策し、電車で今津へ向かおうというのはケンボー、ミエちゃん、ベネデッタ、マージコの4人。自転車で海津大崎を回り、メタセコイア並木を見て今津を目指すのは、レイナ、キルピコンナ、アンドレ、シロスキー、ムカエル、サイダー、サリーナの7人。
自転車組はアンドレを先頭に、奥琵琶湖パークウェイを湖に沿って走り出します。
今日は雲一つない快晴で、青空が眩しく琵琶湖も輝いています。
「昨日の夜は真っ暗で何が何だかわからなかったよね〜、こんないい景色だったんだ」とムカエル。
進行方向左手の湖面に浮かぶのは竹生島。
琵琶湖では2番目に大きい島で、南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺があります。近江今津と長浜から観光船が就航しています。
そんな奥琵琶湖の景色を愛でながらカッ飛ばすのはキルピコンナ、そして追うのはムカエル。
入り組んだ海岸線を蛇行しながら進むと、対岸はとても近くに見えてきます。
湖岸に続く稲刈りあとの田んぼを回り込んで走っていきます。
ここは牽引してきたボートの船着き場なのでしょう。
静かな湖面にはいくつものボートが浮かんでいました。
その先の小さな岬の突端に休憩スポットがあり、見事なもみじが見えたのでちょっと小休止。
もみじの赤が湖面に映えて美しい。
再び走り出すと、すぐに大浦に到着。この橋の先にある「みつとし本舗」はピーナッツ煎餅「丸子船」が有名だそうで、宿でもいただきました。
集落を抜け橋を渡ったら、今度は海津大崎に向かいます。ここまでの葛籠尾半島は入り組んだ湖岸が特徴的でしたが、ここからの湖岸は滑らかな曲線を描いています。
しかしその前に、ちょっとだけ石畳&ダートを通るのでした。ここは湖岸の遊歩道で、徒歩散策にはいいと思いますよ。
道沿いにはずっと桜並木が続き、春にはすばらしい景色が広がるのでしょう。
舗装路に戻ると、燈籠や狛犬がある「八幡神社御旅所(おたびしょ)」というところがありました。
御旅所とは、神社のお祭りなどで神様が休憩や宿泊するところだそうで、ここもお祭りのときに御神輿が立ち寄るのでしょうか。
気持ちのよい道を、レイナ先頭にどんどんと進みます。(TOP写真)
車はほとんど通らず、快適に飛ばします。
そんなのどかな道では、お猿さんたちも堂々とくつろいでいました。
お猿さんたち、ごめんごめん。お騒がせしましたね。
岬の先端あたりで小さなトンネルをいくつか抜けたら、観光船乗り場の横でトイレ休憩。
とても澄んだ水辺の向こうには、海津浜やマキノサニービーチなどの浜が広がっています。
その海津浜にやってきました。
この海津・西浜の湖岸には、約1.2kmに渡って高さ2.5m前後の石積みが続いています。江戸時代に大波の被害を受けたことで築かれたのだそうで、石は藩が提供し石積み作業は村人が担い、江戸中期にはほぼ現在の景観ができあがっていたと言われています。
このあたりの町並みは、「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」として重要文化的景観に選定されています。
湖に並行する道沿いの町家も、江戸時代の雰囲気を残し風情があります。
そして、何と言ってもこの石積み。どこかの立派なお城の城壁のようです。これが1.2kmも続きます。
石積みの上に立つキルピコンナ。「みなの者、作業を始めよ」と、こんな感じだったのでしょうか。
暖かい陽の光を浴びながら、のんびり小休止です。
今日の湖岸は静かそのもの。そんな湖面でときどきキラリと光るものを見つけました。どうやら、小さな魚が水面を飛び跳ねているようです。
さて、ここから自転車本隊は内陸へと進み、峠を一つ越えてメタセコイア並木に向かいます。
激坂らしき峠を回避し、南側からメタセコイア並木を目指すことにしたレイナは「じゃあ、またあとでね〜」と浜の道を行きます。
自転車本隊は、車の多い幹線を離れて細い道に入ると、ほどなくそれはダートになり、ついに激坂の押しに突入。
「きついよ〜、ぜいぜい」とムカエルはじめ本隊の面々。しかし、こんな道の途中に大きなレンズのカメラを構える方がいました。何を狙っているのか尋ねると「紅葉の中を走るサンダーバードですよ」とのこと。湖西線を走る特急列車がちょうど見えるいいスポットなのだそう。
へろへろと押し上り、何とか西近江路に合流しました。ここまで来ればあと少し、道の駅マキノ追坂峠まで緩い上りを残すのみ、と笑顔のサリーナ。
そんな道路をかわいい車が通っていきました。初代マツダ・キャロルの愛好家たちのようで、実は、昨夜同じ宿に泊まっていた方たちでした。
道の駅マキノ追坂峠でトイレ休憩後、西近江路を離れて知内川沿いの自転車道に入りました。
「おお、これぞ自転車で走る道。快適、快適」とは、久しぶりのツーリングでBD-1にまたがるアンドレ。たまには乗ってあげなよね。
空が広くて気持ちのいい田んぼの中の自転車道です。青空の下、すいすい飛ばします。
すぐに知内川にぶつかり、そこから川沿いを西へ向かいます。
ばりばりと先頭を引くアンドレ。
ほどなく、右折して橋を渡ると金網の門が。行き止まりかと思ったら、「開けたら必ず閉めてください!」ということで通らせてもらい、扉を閉めます。
そこから目の前に広がっていた景色はというと。。
メタセコイア並木です。ずらりと並んだ並木をバックに記念撮影。
今年は紅葉が遅かったようで、紅葉のメタセコイア並木に何とか間に合いました。
この並木道には、南北2.4kmに渡って道の両側に500本のメタセコイアが植えられています。
到着したのは並木道のちょうど北端。ここから南へと下っていきましょう。
並木道をゆっくり下っていくと、ちょうど中間点あたりでレイナと出会いました。「もっと南側はさらに見事ですよ〜」とレイナ。
では記念撮影して、さらに下っていきましょう。
サイダー先頭にゆっくり下っていきます。両側に延々と続き、きれいなパースペクティブを描く並木道です。
まっすぐな道の両側に円錐形に伸びるメタセコイアは、紅葉のちょっと盛りを過ぎていましたが、まだまだ見頃と言えるでしょう。
このメタセコイア並木、近年では紅葉名所としてかなりの人気だそうで、海外からの観光客もたくさん来ていました。
そんなわけで道路はかなりの車の列、歩道も大にぎわいでした。ゆっくり慎重に走りましょう。
並木道を2/3ほど走ったあたりで脇道に入ります。
「実はもう一つ、こっちにもメタセコイア並木があるんですよ」とレイナ。それでは、と次のスポットを目指します。
それは、先ほどまで自転車道で並行してきた知内川沿いの左岸にあります。
きれいに並んでいるメタセコイアが見えてきました。
こちらは川の片方に一列で並び、500mくらいの長さとちょっと小ぶりです。
でもほとんど誰もいないので、ゆっくりいろんな方向から眺めて楽しみました。
さて次はメタセコイアをあとに、知内川を下っていきます。
途中、うなぎの養殖場のようなところを通りました。そういえばお昼はうなぎの予定です。
再び琵琶湖沿岸にやってきました。知内川を離れ、その南にある百瀬川を渡ります。
ここからは、ずっと琵琶湖に沿って今津まで走っていきます。
この道は湖周道路のさらに湖岸寄りで、車はほとんど走らず快適です。
松林の中を駆け抜けるサリーナとキルピコンナ。
そして、中庄浜にやってきました。東屋があったので、ちょっと小休止。
湖面の先には、右に竹生島、左にはずっと走ってきた葛籠尾半島や海津大崎が見えています。
今津浜を過ぎると、道の両側に家並みが現れてきました。
そろそろ今津の町に到着したようです。
昼食の前に、ちょっと寄り道を。ここ今津には、アメリカ出身で近江八幡を拠点として多くの建築を設計したヴォーリズの作品があります。
九里半街道起点の看板から内陸に入る道は、その名も「ヴォーリズ通り」。まず現れるのは今津ヴォーリズ資料館で、大正12年に百三十三銀行(現滋賀銀行)今津支店として建てられた鉄筋コンクリート造の建物です。四角くて列柱が並ぶ古典的な様式の建築ですね。
その先には、昭和9年に建てられた日本基督教団今津教会があります。ちょうど、クリスマスの飾り付けをされているところでした。
正面は建物の妻側で、三角屋根と入口の破風がかわいらしい。後ろには幼稚園が併設されています。
そしてさらに進むと、旧今津郵便局があります。
ここで、ケンボー、ミエちゃん、ベネデッタ、マージコの電車組とバッタリ。「この旧今津郵便局は中を見られるので、見てくるといいよ。私たちはもう見たので、徒歩だからお昼処に先に向かいますね〜」ということで、自転車組も中を見せてもらうことにしました。
この建物は昭和11年に建てられ、昭和53年まで郵便局として使われていました。その後しばらくは倉庫になっていたそうですが、地域住民を主体として保存再生活動が進められ、2015年から公開され、イベントなどにも使われているとのことです。
中に入ると、昔の小さな町の郵便局の雰囲気がそのまま残っています。ボランティアの方に案内していただき、郵便物の区分け箱や2階の電話交換室などの説明をしていただきました。
面白いのは鬼瓦。郵便局マーク入りのオリジナルですね。
2階の室内にも、マーク入り鬼瓦が飾られていました。
ゆっくり見ていると、昼食の予約時間になってしまいました。あわてて自転車でうなぎ屋さんに向かいます。
うなぎ屋さんの「西友(にしとも)」に集まった総勢11人は、ひつまむし、うな重、うなとろ丼など好みのメニューを注文し、いただきま〜す。写真の「ひつまむし」は、1回目はそのまま、2回目はネギとわさびで、3回目は出汁をかけてお茶漬け風にと、3回分楽しめる優れものでした。
お腹も満たされ、ケンボー、ミエちゃんとアンドレはここ今津駅から帰路につきます。お店の前で、みんなで記念撮影。
午前の電車組のベネデッタとマージコが自転車組に新たに加わり、自転車は総勢8名で午後の部出発です。
今津は古来、北国の産物を都へ運ぶ湖上交通の要衝として栄えた町です。旧街道には、江戸や明治の雰囲気を感じさせる家並みが残っています。
今津の町を引くキルピコンナ。
町を出ると湖沿いのダートなども軽くこなしつつ、松林の道を今度はベネデッタが行く。
午前中の体力温存の成果か、ばりばり引くベネデッタ。
そして、湖周道路と湖の間にヨシ原が広がっているところに出てきました。
ここ針江浜は琵琶湖の三大ヨシ原の一つで、今日は年に一度のヨシ苅りの日です。ヨシの群落の再生を促すためにはヨシ苅りが欠かせないそうですが、このヨシ原は約2haあるといいます。
大勢のボランティアの方たちがヨシ苅りを行っていました。
電動もありますが、多くは手作業で苅っています。人数がいるときは、手で苅ってその都度運んでいく方が作業を進めやすいとのことでした。
苅ったヨシは束にして、「丸立て」といってお互いに立てかけていきます。
ヨシ苅りは、琵琶湖に冬の訪れを告げる風物詩なのだとか。
しばらく作業を見せてもらったあとは、ヨシ原を抜けて水路沿いに内陸へと向かいます。
マージコが飛ばし、シロスキーが続く。
水路に導かれてやってきたここは、「針江 生水の郷(しょうずのさと)」です。
ここには、比良山系に降った雪、雨による豊かな伏流水を利用した独特の仕組み「川端(かばた)」があります。これは各家庭での水利用のシステムなので見学するには事前に予約しなければなりませんが、この日は年に一度のヨシ苅りのためガイドツアーは休み。私たちはちょっとだけ雰囲気を味わおうと、水路のあたりを散策することにしました。
そんな散策の途中に見つけたのが、家庭の庭先でたたずむサギです。「あれ、置物じゃないの〜」とマージコ。あ、ちょっと動いた。
かわいいね、おっきいね、などとおしゃべりしていましたが、このあとすぐに、サギくんの評価はガタ落ちとなります。
各家の前の水路には、とても澄んだ水が流れています。水路の水はそれぞれの家が利用する地下水を溜める池から流れ出て、琵琶湖に注いでいるのです。
私たちがある家の前の水路を見ていると、ちょうど戻ったご主人が「どうぞ、中も見てください」と川端を見せてくださいました。
地下から湧き出た水は、飲料水としても使わるおいしい水です。そして、まず流れ落ちる手前右の水槽では、口に入れる野菜などを冷やし、そして次の水槽は野菜を洗ったりするために使うそうです。一番下の水槽には大きな鯉やヒブナなどが放たれており、外の水路からやってくる小魚もいるそうです。
これらの鯉たちにも、実はくず野菜などを食べて水をきれいに保つという大事な役割があるそうです。しかし、鯉やヒブナを狙って猫やアライグマ、ハクビシン、さらにはサギもやってくるそうで、「だから水槽の上に網を張っているんですよ」とご主人。サギがやってきて川端の魚を狙っている動画を見せてもらい、「あ、あいつだ〜」「横着しないで、食事は琵琶湖で調達しなよ」と、先ほど見かけたサギを戒める?ジオポタメンバーでした。
このご主人、実はガイドツアーのガイドをやっておられるそうで、豊かな水を利用した生活の仕組みや琵琶湖の水など、いろいろと詳しいお話をうかがうことができました。突然の訪問でしたが、本当にありがとうございました。
通りを歩いていると、空き地になった宅地にも川端のあとがありました。各家庭でこうした仕組みを利用しているんですね。
さて、針江をあとに自転車で走り出したジオポタですが、「ちょっと待って〜」とシロスキー。この清らかな水とそこで育った米を使って仕込んだお酒があるというのです。
というわけで、川島酒造に立ち寄り地酒「松の花」を購入し、新幹線で飲むのが楽しみ〜、とご満悦のシロスキーです。
あとは終点の駅まで突っ走るのみです。
広い河川敷にグラウンドなどがある安曇川(あどがわ)を渡ります。安曇川は琵琶湖に流入する河川では野洲川に次ぐ52kmの長さを持つ川で、上流からの土砂が堆積し、それに対して堤防を上積みした結果、長さ6kmの天井川が形成されているのだそうです。
田んぼの中を疾走するシロスキー。「はやく日本酒が飲みたいな〜」とのつぶやきが聞こえてきます。そして、ひたひたと追うのはベネデッタ。
夕陽の中、ついに終点の安曇川駅に到着しました。高架の駅の前、不思議なかけっこポーズで無事到着の記念撮影です。
琵琶湖の2日目はお天気に恵まれ、いくつもの素敵な見所を訪ねることができました。琵琶湖はさすが、歴史も自然もあり、琵琶湖ならではの魅力がたくさんありました。そして、それぞれの興味や都合に応じて電車・徒歩散策コースが選べる企画もよかったですね。
関東組と関西組の合流企画の琵琶湖は、とても楽しいツアーとなりました。また一緒に楽しい旅しましょう。