2020年、関東地方は6月11日に梅雨入りしたようです。梅雨の入り始めは例年だと雨はあまり多くないのですが、今年は多雨の予想で、毎日かなりの量の雨が降っています。だめかな〜と思っていた週末の天気予報が急転し、なんとこの時期としてはこの上は望めまいという天気に。
というわけでそろそろ見頃となる、蓮とアジサイを見に出かけることにしました。やって来たのは栃木県の小金井駅。
このあたりには現日光街道のR4が通っていますが、そのすぐ西を走るのが旧日光街道です。
その旧日光街道は、ベネデッタが、
『え〜、日光街道って意外と狭かったんですね〜』 と、言うように、ここは現在の規格の道からすれば、あまり広い方ではありません。しかし江戸時代にはこれが、最大規模とも言える道だったのです。江戸時代の末の記録では五街道の実態としてその標準的な道幅はおおよそ3間から4間(5.4〜7.2m)とあるので、ここはその標準と言えそうです。
この旧日光街道には小金井一里塚があります。ここは日本橋から22里だそう。
一里塚は基本的には道の両側に小高い盛り土がされ、そこに高木が植えられます。旅人の目印となり、木陰で休めるようにということでしょう。
この塚は元々は四角形で両側ともに榎が植えられていたようなのですが、現在は円形になり、片側には榎に加え大きなクヌギも生えています。
小金井一里塚でかつての日光街道に思いを馳せたあとは現実界に戻り、本日の第一チェックポイントの『天平の丘公園』に向かいます。
みなさんは『かんぴょう』をご存知でしょうか。まあ一度くらい寿司屋でかんぴょう巻を食べられたことがあるでしょう。このあたりはそのかんぴょうの産地です。
かんぴょうは夕顔の実です。夕顔は朝顔や昼顔に対して名付けられたものですが、朝顔や昼顔がヒルガオ科なのに対し、夕顔はウリ科でヒョウタンの仲間。この畑では夕顔が大きな実を付けていました。この夕顔の実は『ふくべ』とも呼ばれます。
最近は温暖化の影響もあるのか、田植えはずいぶん早く行われ、多くの田んぼが梅雨入り前にそれを終わらせています。
しかしこの田んぼはつい最近田植えされたばかりのようで、苗は苗代田から出てきた時の大きさです。その向こうの田の苗は、もうずいぶん大きくなっています。
お使者橋で姿川を渡ると桜並木の道になり、その先にこんもりした天平の丘が見えてきます。
天平の丘公園は古墳や自然林がある広大な公園で桜で有名なのですが、その中に蓮池があるので立ち寄ってみました。
ここの蓮の見頃は6月の終わり頃からのようなので、ちょっと早いかなと思いましたが、少し咲き出していました。
蓮の花は午前中しか開かないといい、昼には閉じてしまうそうです。今はまだ9時で、ちょうどいい開き加減のようです。
花びらの先だけうっすらとピンク色に染まったこの花は、きれい。
当社の三人娘も、きれい?
凛として美し。
はんなり。
本日のメンバーは左より、マコリン、ミルミル、ベネデッタ、サイダー、シュンシュン、コンタ。
カメラはなんちゃって写真家のムカエル。
蓮に満足したら天平の丘公園の南のゾーンを出て、道路を挟んだ北のゾーンに入ります。
そこには風土記の丘資料館があり、その東西に下野国分尼寺と下野国分寺との跡があります。
国分寺は奈良時代に聖武天皇が日本各地に建立を命じたもので、全国に60数か所あるようです。下野の国分寺はこの図のように七重塔を持つ巨大なものだったと想像され、伽藍配置は全国の国分寺の総本山である東大寺と同じです。
現在この国分寺跡はきれいに整地されているというだけで、まったく見るものはないのですが、かつてそこに国分寺が立っていたという空間が残っているだけでも、なんだか凄い気がします。
この写真の視点は上の図の南大門のずっと右側で、この正面に南大門が立っていたことになります。
下野国分寺の跡にちょっと感激したら、田んぼの中をどんどこ。
そんな道端には紫陽花が見事に咲いていました。
目が覚めるような青! 紫陽花は白から青に移りいく姿もまたいいですね。
畑の縁の小径をどんどこ行き、
思川を渡ると、
田んぼの先に太平山が見えてきました。
あの山にある太平山神社の参道は紫陽花の名所なので、あとで行ってみることにします。
ここは関東平野の末端で、先には日光へ続く山並みも見えています。
あの山から先は、もうどこまで行っても山です。
ここのところ最高気温は連日30°Cを超す真夏日だったのですが、今日は晴れにもかかわらず、その予想は28°Cと低く、コースの多くが田んぼ道なので、気化熱でかなり涼しく感じます。
下野国分寺跡から向かったのは、天平の丘公園同様に蓮の花が咲く『つがの里』なのですが、地元のコンタが途中に面白いところがあるから寄って行こうと言います。
それでコースをちょっと変更してやってきたのがこちら。合戦場(かっせんば)郵便局。この外観は黄色い壁に赤い屋根と、ちょっと派手などこかのお店のような感じで、特に面白くも何ともありません。しかしその前に置かれているのは、な、なんと、金色のポスト! 郵便局といえば貯金、金か〜。。 残念なのはこのポスト、飾りで現役の郵便ポストじゃあないから、郵便物を投函できないこと。
ちなみに合戦場はこのあたりの地名ですが、これは室町時代の1523年に宇都宮氏と皆川氏が戦ったことから来ている名だそうです。
この合戦場郵便局の真ん前には日立製作所の創始者である小平浪平(おだいら なみへい)の生家があります。
浪平は次男だったため、家を出て日立の鉱山に入社したことがきっかけとなり、のちに日立製作所を起こすことになったようです。浪平の孫には最高裁判所を設計した岡田新一がいます。
さて、合戦場郵便局と小平浪平の生家を眺めたら、つがの里に向かいます。
田んぼの先に小山が見え出しました。つがの里はあの小山の裾にあるようです。
つがの里に到着すると、すぐに蓮池の前に出ました。
『わ〜、ここは天平の丘公園より咲いていますね〜』 とミルミル。
確かにここは天平の丘公園より花の数が圧倒的に多い。
時は10時半。朝見た天平の丘公園の花はまだ蕾か半開きでしたが、すでに陽が高くなっているためか、ここはより開いた花が多いです。
逆に言うと開き過ぎのものが多く、ちょうどいい具合の咲きぶりのものは少ないのですが、これはまずまず。
ここには睡蓮も咲いています。
これは赤。
こちらは白。
睡蓮は花の大きさでは蓮には及びませんが、より控えめで清楚な感じがします。
蓮です。
桃みたい。
つがの里で蓮を堪能したら、太平山に向かいます。
細い赤津川沿いの道は車が通らず快適。
ところがこの川に架かる橋に目をやると、なんとそれは崩落していました。こんな橋が三つも! 去年の台風の影響でしょうか。
その橋の先に見えるのが、私たちが向かっている太平山です。
赤津川から永野川に入り、しばらく南下したところから太平山公園線に入りました。
太平山公園線は太平山の中腹にある六角堂までずっと上りで、少しあへあへ。
六角堂の少し手前にイタリアン・レストランがあったので、ここでお昼に。
観光地にあるレストランは不味くて高いと相場は決まっていますが、ここは例外。おしゃれな内装で、食事もとてもおいしいです。
ゆっくり一時間半ほど食事を堪能したら、六角堂まで自転車を押し上げます。太平山公園線の突き当たりには太平山神社の鳥居が立ち、その横に六角堂が立っています。
六角堂は元は太平山の別当寺で太平山神社の境内にあったようですが、明治元年の神仏分離令により移転、その後この地に京都の頂法寺の六角堂を模して建てられたそうです。
この六角堂から太平山神社の随神門までは『あじさい坂』という名の階段が続きます。
坂の両側には色とりどりの紫陽花が咲き乱れています。
時期的にはちょうど良かったようで、しおれた花がなく、盛期という感じ。
淡い紫色の紫陽花もいいですね。
紫陽花はきれいで素晴らしいのですが、この坂道、けっこうきついです。
紫陽花の原種は日本に自生するガクアジサイだそうです。
ガクアジサイの花のように見えるものは顎が変化した装飾花と呼ばれるもので、それらに取り囲まれた中央にあるグチャっとしたものが本当の花(両性花)です。ここではその本当の花が咲いているのが見えます。このちっちゃい花には雄しべも雌しべもあり、種子を作ることが出来るそうです。
紫陽花は品種改良が盛んな花で、現在では数えきれないほどの種類があるそうです。
花びらの先がぎざぎざで、濃いピンク色の花。あ、ここでいう花びらも実は顎で、これもまた装飾花です。装飾花の真ん中にプチッと小さくあるのが花です。この花は中性花といい種子は作れません。この中性花はガクアジサイの装飾花の真ん中にもあります。
あまり見ることはできませんが、こうしたアジサイの両性花は装飾花を掻き分けた奥にあることがあります。
二の鳥居で方向を変えた坂道はより角度がきつくなり、へ〜こら。
先に赤い色が見え、やっと神社に着いたかと思うも、そこは随神門で、まだ神社の入口に立ったに過ぎないのでした。
『え〜、だまされた〜』 と、ショックを隠せないマコリン。
この随神門からはさらに勾配がきつくなったようで、足を引きずるようにして上って行きます。
この時期は紫陽花が咲いていて目を楽しませてくれるので、なんとか上って行けます。
大きなガクアジサイの先に石の鳥居が見えてきました。どうやら今度は本当に太平山神社に着いたようです。
太平山神社の拝殿の前には、撫でることにより災厄を祓い霊験を得るという石があります。
この石を撫で撫して、お詣りを済ませます。
太平山神社の境内からは広々とした関東平野と筑波山が望めます。
こうして見ると関東平野ってのは本当に真っ平らですね。その中にぽつんと飛び出た筑波山も不思議。
お詣りを済ませたら奥社へもうひと登り。
ここに何度も来ている地元のコンタと、もう足腰が立たなくなってきている(笑)ベネデッタは茶店で休憩しているそうです。
鬱蒼とした木々の中を進んで行くと、『奥社→』の標識があり、登山道から枝道に入ります。するとすぐにこんなところに出ました。この小さな石のお宮が太平山神社の奥社です。
さて、ここまで来たら太平山の山頂まで行こうというサイダーですが、これに同意するものはおらず、ここから引き返すことに。ちなみに太平山の山頂はここから300mほど奥にある富士浅間神社のところで、そこまではもう上りはあまりないのですが。
コンタとベネデッタが待つ茶店まで下ると、そこには栃木のまち方面の眺望がありました。
栃木は蔵のまちで、なかなかいいところです。
さて、六角堂まで戻ったら、そこからはちょっとばかりきつい上りが待っています。
もっともこの区間はごく短いので、押してもOK.
林道下皆川線を下って大中寺に抜けたら、これまでは下に下りてぶどう畑の中を行っていたのですが、今回は山側の林道西山田線に入ります。
この道は通称あじさい林道と呼ばれ、両側に紫陽花が植えられています。
ここの紫陽花も満開でいい調子。
モデルが悪くてスミマセン。(笑)
あじさい林道は太平山から続く晃石山の中腹を進むので、少々アップダウンがあります。
『あ〜、また上りだ〜』 と、ベネデッタは怒りまくり。(笑)
まあ、そんなところは押してもOKよ。
この時期のここはとても素敵な道なのですが、通る人はほとんどいません。私たちにとっては好都合ですが、もったいないね。
ジオポタ専用道となったあじさい林道をどんどこ行きます。
途中からなだらかになったあじさい林道を進むと、清水寺の下に辿り着きます。
そこにはあでやかな紫陽花がたくさん。
目が覚めるような赤!
この上にある清水寺は『きよみずでら』でも『しみずでら』でもなく、『せいすいじ』と呼ぶとマコリンが教えてくれました。その清水寺は下野三十三観音札所の26番で、十一面千手観音があるのですが、観音堂まではちょっとした上りとあり、これは全員、
『もういい!』 とのことで、あえなく断念。
清水寺から先にも林道西山田線は続きます。しかしこれを行くのはベネデッタの猛烈な反対に合い、これも断念。潔く下のぶどう畑に下ります。
このあたりは太平ぶどう団地と呼ばれるところで、ぶどう農園がたくさんあります。
まだぶどうの季節ではないと思っていましたが、ぶどう農家が店を開けているようなので覗いてみました。
するとそこには、おいしそうなぶどうが並んでいるではないですか。これは食さねば、ということで一房を購入。今の時期はまだハウス栽培ものだそうですが、それは巨峰でした。
みんなで数粒をおいしく頂きました。
さて、予定外のうれしいぶどうにありついたあとは渡良瀬遊水池に向かいます。
うしろの山はいつの間にか晃石山から馬不入山に変わっています。
JRの両毛線の線路を越えると、足尾山地の最南端に位置する岩船山が見えてきます。
この山ではかつて凝灰岩の一種である岩船石の採掘が行われ、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で崩落したこともあって、見る角度によっては山肌が露になっていて痛々しいのですが、それがこの山の特徴にもなっていて、映画などのロケ地としてかなり使われているようです。
続いて見えてくるのは三毳山(みかもやま )。
このあたりの山はみんな低いのですが、逆にそれがなんだかいい感じなんです。
三毳山の横を通って渡良瀬川に向かいます。
うしろにはこれまで見てきた山々の稜線が続いています。
渡良瀬川に出ました。
この土手には自転車道が延びているのですが、東京の多摩川や荒川のそれとは丸で異なり、ここを走るサイクリストはほとんどいないようで、これまたジオポタの専用道となりました。
渡良瀬川は足利あたりではかなり広い流れなのですが、このあたりではぐんとその幅を狭め、こんな調子。
渡良瀬川が利根川に合流する直前には渡良瀬遊水池があります。
このあたりは利根川と渡良瀬川に加え、恩田川、巴波川などたくさんの川が集まってきていて、かつては大洪水に見舞われた土地でした。足尾銅山から渡良瀬川に流れ出した鉱毒被害もあり、ここに洪水対策と鉱毒を沈殿させる目的で大規模な調節池が造られたのです。それがこの渡良瀬遊水池です。
私たちは今、その遊水池の中を走っています。周囲は鬱蒼とした葦だかなんだかそんな植物が生えているだけ。
『ぎゃー、ここはいったい何なんですかぁ〜、広すぎて、どこがどこだか、まったくわかりませんねー』
と、このあたりは始めてのマコリンが呻きます。
その面積33km2 。私が住む東京都文京区は僅かに11km2 しかありません。
ここはなんとその3倍もの面積があるのです。おったまげた〜
行けども行けども、ただ葦原が広がるだけ。ベネデッタが言うには、ここは、
『漕いでも漕いでも風景が変わらない。私、本当に走っているの?』 って感じだったそうな。
この渡良瀬遊水池で最近話題になったニュースがあります。コウノトリの赤ちゃんが誕生したのです。いい話題ですね。
渡良瀬遊水池の中の谷中湖に到着。遊水池の他の部分にはほとんど水がないのに、ここだけ広い水面が広がっています。ここは東京などに水を供給するための貯水池で、湖底にはコンクリートが張られているのです。
ここに来てなんだか急に雲行きが怪しくなってきました。宇都宮方面を見ると、どうも夕立のようです。私たちの本日の最終目的地はその反対側の古河。そこまで降らないといいのですが。
谷中湖を出て古河に向かいます。前方に見えるのが古河の駅前に立つ超高層ビルです。
あそこまでもうひと走り。
天気はなんとか持ちこたえそうなので、渡良瀬川の左岸に渡ったところにある野木町煉瓦窯に寄ることにしました。
ここは正式名称を旧下野煉化製造会社煉瓦窯といい、1890年(明治23年)から1971年(昭和46年)まで煉瓦を生産したところで、ここで生産された煉瓦は東京駅や日光金谷ホテルなどに使われたそうです。残念ながら内部の見学時間を過ぎていたので、外観だけの見学になりましたが、資料によればこの煉瓦窯には16の窯があり、1つの窯で1回に約14,000本、全ての窯を連続して使用した場合には約22万本の煉瓦を生産することが可能だったそうです。
建物は十六角形をしており、その辺の一つ一つに入口が付いていて、奥にある16室の窯を火が順番に回ることで、搬入から焼成を経て搬出までを繰り返し行えるようになっていたとのこと。時間がある時にぜひ内部を見学したいと思います。
野木町煉瓦窯を出ると、雲の合間から陽の光が溢れていました。雨に当たらすに古河駅に到着。
今日は天気に恵まれ、最高の一日になりました。蓮良し、紫陽花も良し。ぶどうも食べられたしね。お天道様、ありがとです。