天気は昨日に引き続き晴れ。連続で晴れるのはかなり久しぶりです。
旧碓氷峠の北、霧積川の谷あいにある鄙びた霧積温泉金湯館の朝は寒く、気温が上昇してきた8時でもわずか3°Cしかありません。
サ〜ッという雨が降っているような音がします。このすぐ横に霧積川が流れているのです。そこから引かれ木製の樋を伝って流れ落ちる水が、水車をゆっくりと回しています。
今日の前半は旧碓氷峠付近まで登り、そこから旧中山道で坂本まで下るというもの。これは担ぎ必須の山行です。実は旧中山道は昨日下る予定だったのですが、都合でコースを今日と入れ替えたので、今日の山行は二倍に増えてしまいました。ん〜ん、大丈夫かな・・・
かつて山の中で散々な目にあったマージコと体力に自信がないというサリーナは、ゆっくり観光メインの別働隊P組(ポタ組)を組織。S組(スーパースペシャルサイダー組、山行担ぎ組)は、マコリン、シンチェンゾー、ムカエル、そしてサイダーの四人で、P組とは横川で待ち合わせすることにしました。
金湯館の前の赤い橋で記念撮影をしてS組が出発。
金湯館は谷底にあるので、まず上の林道に出なければなりません。自転車は押して登るのですが、この勾配がきつくて初っ端からあへあへです。
林道に出るとごく緩い上り。ここは陽の光が届いていてあまり寒さは感じません。お日様はやっぱり偉大ですね。
この林道はすぐに下りになります。
昨日アセアセと上ってきた道を、ぐわ〜んと一気に下って行きます。
林道のゲートまで下ったら、旧碓氷峠に抜ける山道の入口があるr56北軽井沢松井田線の終点まで進みます。そこにはかつてあった霧積館という宿の入口に設えられていた水車がオブジェとして残っていました。
この水車の奥は駐車場になっています。私たちがお世話になった金湯館へは、徒歩の方は基本的にはここから山道でアクセスします。『鼻曲山→』の表示もあるので、ここに車を置いて登山をされる方もいるのでしょう。
この駐車場から私たちは旧碓氷峠に続く林道に向かいます。山道です。
ここの標高は950m。山道を抜けた先の林道は1,200m。自転車を担いで少なくとも250mは登らなければなりません。距離は2km。さてどうなる・・・
いざ、出陣! と意気込んで山道に突っ込んではみたものの、この道は初っ端から激上りで、
あちゃ〜〜
そんな時は、上を向いて歩こぅ〜お〜
木々はまだ緑色が強いですが、うっすら紅葉し始めています。
『え〜〜ぇ、本当にこんなところ行くのぉ〜〜』 と、スポーツマンながら山はあまり乗り気でないシンチェンゾーでした。
このルートは地理院地図に出ていません。旧碓氷峠から霧積に行くにはかつてはこの道しかなかったわけですが、現在は歩く人も少ないようで、踏み跡がはっきりしないところがちょっとあります。
『え〜、こっちかな、、』
『いや、こっちじゃない、、、』
十歩進んで休み、また十歩進んでは休みと、休んでは進み休んでは進みを繰り返します。そしてかなりの勾配のところが出てきました。巻き道を探しましたがどうも行けそうにありません。仕方なくこの激勾配を担ぎ上げます。
『え=、こりゃあきついぜ。自転車置いてくりゃ良かったよ〜』 と、自分で引いたルートに悲鳴を上げるサイダーでした。(笑)
なんとか最初のピークを越えたようです。しかしちょっと下りになったものの全体としては上りなので、このあとも登り続けなければならず、またピークが現れては穏やかになり、またピークが現れては穏やかになりを繰り返します。
いや〜、このルート、本当にきついです・・・
そんな時は、上を向いて歩こぅ〜お〜 (笑)
え〜、レポートは途中を大幅にカットし(写真を撮っている余裕がなかった・・・)、旧碓氷峠の熊野神社まで2時間の標識が現れたところにワープします。
『なぬ、これから熊野神社までまだ2時間も掛かるの・・・』
この標識にショックを隠せないマコリンでした。
とにかく標識があって道に迷っていないことを確認出来たのはいいことです。ところが、、、この先に問題有り!
標識があったのは林道まで100mほどの地点です。そしてあと50mというところまで進んだのですが、ここで道がなくなってしまいました。サイダーが西方面を斥候するも行けそうにありません。そこでムカエルが東方面を斥候、下に林道を発見したので、なんとか下りられそうなところを見つけて進んで行ったのでした。
道だかどうだかかなり怪しいところを下りて、なんとか林道に辿り着きました。
下った先の林道は南東に視界が開けていて開放的な気分。
あ〜、やっと山道を脱した〜〜
ところで、、、 ここまでの乗車率、ほぼゼロ! (泣)
ともあれ、標高1,200m地点の林道から見た山は麗しい紅葉に包まれています。
青空! ここのところ天気がパッとせずずっと空は灰色でしたから、あらためてこんなスカイブルーは気持ちいいなと感じました。
しかし、しかし、ここからも問題が。
林道というのは大抵それなりに整備されているものですが、ここのそれは違いました。金湯館で一応情報を得てはいたのですが、この道は予想を上回る荒れようでした。
草に覆われ、小石、中石、そして落石の大石も多く、ほとんど走れない!
そんな時は、、、 上を向いて歩こぅ〜お〜 (笑)
ただ救いなのは、この道は旧碓氷峠までほぼフラットだということ。
ガレ場を脱し、走れそうなところは走って進みます。
この林道の眺望は最初に現れたきりで、その後はほとんどありません。そんなわけで休憩ポイントがないのです。しかし、一箇所だけ足を止められるところがありました。
うねうねと進んでどうやら墓場尻川の谷に出たようです。山側に小さな滝が落ちています。滝そのものは木々が邪魔をして絵にならなかったので、そこから流れ出る沢を。これが墓場尻川の源流です。
西条八十が『ぼくの帽子』(のちに『帽子』と改題)を詠んだのはこのあたりのようです。この墓場尻川の谷に、あの麦わら帽子は落っこちたのでしょう。
霧積山の西斜面が陽の光を浴びて輝いています。紅葉、かなり進んでいますね。
私たちはその谷の西側を進んで行きます。林道も後半になると乗って走れるところが多くなります。
こちらの紅葉もぼちぼちいい感じ。
ちょっとガリガリやって小石を弾きながらもなんとか進んで行くと、ゲートが現れました。
よやく林道を抜けたのです。
このゲートを越えると道幅が広くなり、ガレ石もなくなり走りやすくなります。しかも逆光に照らされた素敵な紅葉!
このすぐ先に左に分岐する道があります。これは幕末に皇女和宮が降嫁する際に造られた和宮道で、その勾配は旧中山道と比べるとかなり穏やかです。旧中山道は急勾配で危なっかしいので新たに造られたものと思われます。ということで、自転車で行くならこっちだろうと思っていたのですが、ムカエルとシンチェンゾー先行してしまったので、思婦石(おもふいし)まで進むことにしました。
道には落ち葉が敷き詰められ、木々は黄色からオレンジ色のグラデーションが素晴らしいです。
いや〜、ここは良かった〜
やっと、やっと、思婦石に到着。ちなみにここまでの山道で出会った人は、なんとゼロでしたよ〜(笑)
ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら
関橋守(せきはしもり)/1857年(安政4年)建立。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征した際、尊を助けるために海に身を投じた妃をこのあたりで偲んだ、という故事に想いを馳せた和歌だそうです。意味は良くわかんないけどこんな碑が出てきたので、ここが中山道であったことがちょっとだけ感じられました。
宿の出発が10分遅れ、ここまでの山行で20分遅れ、トータルで予定より30分も遅れてしまいました。ありゃまあ。この先の旧碓氷峠までは僅か200mほどなのですが、当然しげの屋で力餅を食べるだけの時間はなく、ここから直接坂本に向かいます。
さて、いよいよ旧中山道です。マコリンのうしろに続く細い道がそれ。ここから坂本までのルートはざっと
思婦石→長坂道→人馬施行所跡(笹沢)→化粧水跡→陣場が原→山中茶屋跡→線刻馬頭観音→栗が原→廃車→座頭ころがし→南向馬頭観世音→掘り切り→碓氷坂関所跡(東屋)→四軒茶屋跡(これより下り)→弘法の井戸→覗(眺望)→大日尊碑→柱状節理→常峰番所跡→坂本
この旧中山道、始めは自転車に乗って進めたのですが、200mほど行ったところにある『長坂道』の標識から先は狭くて急な坂道となり、とても乗ってはいられなくなりました。この長坂道、本当に長坂でした!
去年の台風でか、はたまた今年の連続降雨でか、道はV字に抉れていて自転車がなくても大変そうなところです。とてもここを皇女を輿に載せて運ぶなんて不可能ですね。写真はその前の序盤で、まだ道の状態も良く、勾配が緩いところです。
ここで一人のハイカーとすれ違うと、自転車を担いでいるのにびっくりし、一番下にもの凄くきついところがあると教えてくれました。え〜〜〜っ!
とにかくこの激坂を下って行き一瞬平場に出たかと思えば、そこには沢が流れていました。笹沢と呼ぶようです。
このV字地獄を500〜600mほど耐え忍んで下ると勾配が緩み、なんとか自転車に股がることができるようになります。しかしそのあとは激細ダートの下り。
『ぎゃ〜、こんなところ行くんですか〜』 と、担ぎには強い山女のマコリンも、こんなところを自転車で走ることになるとは夢にも思っていなかったようで、悲鳴を上げます。
地図を見ると、この真下あたりを北陸新幹線が通っています。なんだか嘘みたいですね。
新田-足利、武田-上杉が戦ったとされる陣場が原まで下ると和宮道の追分で、私たちが降りて来た道の数倍広い和宮道が北から合流します。この追分には『安政遠足』(あんせいとおあし)の表示があります。これは安政年間に行われたマラソン大会で、現在はその名を冠した催しが行われています。
陣場が原の東には小高い子持山(写真左)があります。その横を通る道は掘割状に見えますが、これは人工的なものかどうかは良くわかりません。ここをかつて侍が旧碓氷峠まで競争して走って上ったのです。
左右から地面が迫り、足下は一昨日までの雨でぬかるんでいるため、かなり進み難くなってきました。
押したり引いたり乗ったりの繰り返し。
こんな小さな谷状の地形をしばらく進むと、ようやく右手が開きました。
栗が原です。
栗はないけど・・・ きれいな紅葉がありました。(笑)
左側が濠のように下がっています。自然の地形としては何か変だと思いましたが、これはどうやら人口的なもののようです。
秀吉の小田原攻めの時、松井田城主が防戦した場所とのこと。
私たちが今通っている旧中山道のルートの地形は複雑で、ちょっと頭の中で整理が付きません。基本的には尾根付近を通っているはずなのですが、見通しが効かないからかどうもピンときません。
しかしここに来て右手、南側に谷が現れるようになりました。
だいぶ荒れてはいるもののこの道は基本的には下りですから、半分位は乗れるんじゃあないかなと期待していたのですが、実際は一割くらいの乗車率でしょうか。
しかしもこの終盤にきて上りが出てきました。ひょえ〜〜 どうやら刎石山(はねいしやま)の山頂に向かっているようです。
その上りが一段落すると、再び南側の視界が僅かに開きました。木立の向こうに見えるのは碓氷川の谷向こうの尾根でしょう。
するとこの下辺りに昨日通った碓氷第三橋梁めがね橋が架かっているのかもしれません。この先にある碓氷坂の関所跡に東屋があったので上ってみましたが、残念ながらそこからはほとんど眺望は得られませんでした。
四軒茶屋跡で方向を変えた道は急な下りに転じました。しかしこれがまた極細な上に、木の根っこが出っ張っていてじゃまなことこの上なし。
『あのハイカーさんが言っていたきついところってここですかねぇ。』 と、マコリン。はて、どうでしょう。
自転車を担いだりひっぱったりしながら、なんとか下って行きます。
風穴がでてきたと思ったら、そのすぐ先に馬頭観音が立っていました。途中にも馬頭観音がありましたが、やはり街道といえばこれですね。
かなりへばってきたころ、ついに『覗き(のぞき)』に到着。
いや〜、ここまで長かった〜〜
下に見えるのが坂本で、あの道に沿ってかつては宿場町が形成されていたのです。ここからまだあそこまで下らなければなりません。意外と標高差がありますね。
ということで、下ります。
ところがここからがかなりきつかった。なぜか角が尖った石がバラまかれていて、歩き難いことこの上なし。へたをすると足をぶつけて怪我をしそう。この近くに柱状節理があるので、これらの石はそれを運んで舗装したものかもしれません。
怪我をしないように注意しながら下って行くと、大日尊碑などいくつかの石塔が並んでいるところに出ました。
このあたりは刎石坂と呼ばれ、碓氷峠で一番の難所とされる場所だそうです。たぶん上で遇ったハイカーさんが言っていたのはこのあたりのことでしょう。
ガレ場の下で道が南向きになると先が明るくなり、逆光に照らされた美しい木々が見えてきます。
木々の間から下の様子が見えます。だいぶ下りました。出口はもうすぐです。
ここからまた道は向きを変え、それを一気に下ってR18に出ました。あ〜、長かった〜〜
この旧中山道だけで計画より20分の遅れ、トータルで50分も遅れてしまいました。この出口には東屋があるのでそこで身支度を整え、マージコとサリーナが待つ横川に急ぎます。
私たちが下ってきた旧中山道の出口からR18をちょっと上ったところに碓氷湖があります。
金湯館でまったりしてから山を下ったP組のマージコとサリーナは、この碓氷湖にやってきました。湖を一周出来る散策路があるので、それを回ったそうです。
私たちS組は昨日食事をした玉屋ドライブインを横目にR18を下って行きます。
碓氷峠のR18にはカーブが184ありますが、その一番目はどこでしょうか。それは坂本浄水場の横にありました。ここから184のカーブをこなして上ると碓氷峠に辿り着くのです。
先ほど『覗き』から見た坂本宿にやってきました。現在ここには中山道時代を感じさせるものは少ないのですが、町の作りはどことなく当時の雰囲気を残しているように思います。
1835-1837年(天保6- 8年)頃に描かれた渓斎英泉の『木曾海道六拾九次 坂本宿』によれば、この宿場を通る中山道の真ん中には水路があったようですが、今日それは見ることができません。
坂本宿には本陣が2軒、脇本陣が2軒、最盛期の旅籠は40軒ほどあり、比較的大きな宿場だったようです。
そのかつての面影が残るのが旅籠かぎや跡。シンプルな大屋根に水平材と垂直材による伝統的な木造の骨組みが印象的です。
うしろを振り返れば、先ほどまで悪戦苦闘していた旧中山道が通る刎石山が見えます。
へ〜、中山道ってあんなところを通っていたんだ。
坂本宿からは奇妙な山が見えます。一瞬妙義山かなと思いましたが、それはもっと南のはず。
あれは裏妙技ってやつでしょうか。
さて、一方のP組は碓氷湖のあと碓氷関所跡にやってきました。
中山道の関所となれば箱根の関所などとともにかなり重要なものだったはずです。『入鉄砲出女』は文字通り鉄砲と女の出入りを取り締まったことですが、女の取り締まりは江戸に人質として置かれていた大名の妻たちが国に逃げ帰るのを防ぐためです。しかし女が大名の妻かどうかを見極めるのは簡単ではなかったため、一般にすべての女の出入りを禁止したのです。そのため手形制度ができたわけですが、日常的に手形を使うのは煩雑なので抜け道を作ったり、近所の女たちに限っては例外として行き来が認められていたとも。
マージコとサリーナが次にやってきたのは鉄道文化むら。旧碓氷線の歴史を伝える『鉄道のテーマパーク』ということで、親子連れで賑わっていました。
展示広場にはいろいろな列車が並んでいます。その前でバンドがビートルズを熱唱中。
展示広場の脇に園内一周列車の乗り場があります。早速乗り込むマージコとサリーナ。
ふだんは蒸気機関車も走っているのですが現在故障中だそうで、ディーゼルエンジンの『あぷとくん』が引いてくれます。『アプト式』で走るわけではないけどね。車内は木の内装でぬくもりが感じられます。
『アプト式』とは勾配を上る列車のためのラック式鉄道の方式の一つで、横川から軽井沢まで登っていた旧碓氷線ではレールの間にギザギザが付いたラックレールを3枚敷き、列車側の歯車を引っ掛けて上っていったのだそうです。これが、実際に走っていたアプト式列車の歯車。
そんな旧碓氷線の歴史を学び、ジオラマを走る列車に歓声を上げ、鉄道に浸るマージコとサリーナ。テッチャンではありませんが、結構楽しめました。
一方のS組はかっとんで横川駅に到着。一時間遅れでP組と合流です。
横川駅といえばやっぱり峠の釜めしでしょう。昼飯は『おぎのや』に決まりですね。
その釜めしが出てきてびっくり。なんと駅弁スタイルで包装されています。特にお店用ということではなく、本当の駅弁をそのままお店でも提供しているのでしょう。
まあこれがおいしいこと、おいしいこと。最近料理にハマっているムカエルはこの釜を二つ持ち帰りました。重!(笑)
さて、午後の部は横川駅から高崎までです。まずは信越本線に沿って松井田方面に向かいます。横川-軽井沢間はなくなってしまった信越本線ですが、さすがに高崎-横川間は本数が少ないとはいえ健在です。さっき一本通過して行きました。
このまましばらくは旧中山道を行きます。松井田から安中に掛けての見所としては、松井田商工会館(昭和13年築/元警察署)、安中原市杉並木、新島襄旧宅、武家長屋、郡奉行役宅、旧碓氷郡役所があります。
ちょっと走ったところ、旧中山道はR18より断然交通量が少ないので走りやすいのですが、それ以上のものではなさそうです。そこで安中市の郷原に入ったところで九十九川に下ることにしました。
この流域には田んぼ広がり、しばらく行けば自転車道もあるからです。
予想の通り、九十九川流域の田んぼはいい感じでした。
西に、先ほどまでいた霧積から碓氷峠あたりの山が見えるのもいいところ。
九十九川の自転車道に乗りました。
横には田んぼ、川面も見えてなかなかいい気分です。
安中の米山公園に到着。このすぐ横にはコンビニエンスストアがあるので、コーヒーブレイクです。
陽がだいぶ傾いてきました。その光を反射して芝生のすぐ上が輝いています。よく見るとそれは無数に張り巡らされた蜘蛛の糸でした。なんだかちょっと幻想的です。
しばらく行くと九十九川は碓氷川と合流します。碓氷川は昨日眺めた碓氷第三橋梁めがね橋の下を流れていた川です。
落ちて行く太陽が妙義山の上に懸かりダイヤモンド妙義のようになっているのですが、残念ながらこれは写真に残りませんでした。
前に超高層ビルが現れました。あそこが高崎の町です。
碓氷川の自転車道は高崎の町の入口まで続いています。
この自転車道が終わると八千代橋を渡ります。ここからは碓氷川と夕やけの西の山々がきれいです。
到着予定時刻を10分過ぎましたが、なんとか真っ暗になる前に高崎駅に到着出来ました。よかった〜
さて、今日のコースですが、前半のコースは担ぎが好きな方だけにお勧めします。そうでないなら歩いて行く方がいいでしょう。(笑) 霧積温泉から旧碓氷峠までの山道と林道とは、そう遠くない将来に通行出来なくなりそうな雰囲気です。旧碓氷峠と坂本とを繋ぐ旧中山道は、自然の道といえばそう呼べるかもしれませんが、少し手を入れた方がいいような気がします。管理されていないものは獣道であって、道とは呼べませんから。
今年の山の紅葉は少し遅いそうです。ピークは1〜2週間あとくらいでしょうかね。後半の九十九川・碓氷川は安心して走れる初級コースで誰でも楽しめます。
◆ひとこと by マコリン
前日の夜、突然マージコが明日はサリーナとP組ルートを行くと言い出しました。P組ルートとは回避ルートのこと。聞くと、以前山歩きで担いだり、迷いまくったり大変な目にあったとのこと。確かにこの日も山歩きがあって、自転車を担ぐところもあると聞いてはいましたが、自転車旅行なんだからまあ大丈夫でしょ、なんて安易に考えていました。それが歩き始めてすぐに吹っ飛びました。本格的に山道で自転車に乗るどころか、押していくのも難しい。しかもあまり人が通らないのか、道が分かりづらく迷い迷い。マージコの予想は当たりました。
でも、担いだ自転車が肩に食い込む重さに耐えながら、一歩一歩を登っていると、次第にこれもありかなんて思うようになってたのは、いったいどうしたことでしょう? これがサイダーマジックか!? 結局、霧積温泉から熊野神社手前まで登り、そこから旧中山道を下るルートを、ほぼ自転車に乗ることなく歩き通しました。旧中山道の杉林を黙々と歩くと、昔の人の旅情が感じられました。 その後マージコ達と合流し、横川で食べた釜飯がまあ美味しかったこと!