今朝も快晴です。朝も硫黄泉に浸かりおいしい朝食をいただいたら、ゆっくり9時過ぎに宿を出発。
まずは、宿から150mほど北にある那須温泉神社へ。神社にお参りして、松尾芭蕉が訪ねたという『殺生石』を見に行きます。
自転車を停めて、神社の最初の鳥居をくぐります。那須温泉神社の創建は630年だそうで、鹿が傷を癒している温泉を発見して建立されたとか。
両側に雪の残る階段を上ります。
左は社務所。雪の中、まっすぐな参道が続きます。
途中に推定樹齢800年というミズナラの古木がありました。
いくつもの瘤が隆起した幹からは生命力が伝わってくるようで、このミズナラの名前は『生きる』なんだそうです。
参道のつきあたりにあるのが拝殿です。
平安末期の武将、那須与一はこの神社にお参りした後、屋島の合戦で見事扇の的を射止めたのだそうです。
拝殿から右手に出ると、高台になっていて眼下に『賽の河原』や『殺生石』のあるエリアが広がっています。
神社から遊歩道で殺生石へ向かいましょう。
その遊歩道は『あじさい小径』と名付けられているようですが、今はこんな感じで雪に埋もれています。
『転びそう〜』とおそるおそる歩き出すサイダー。
最後に小さな木の橋を渡ると、そこに『殺生石』があります。
殺生石とはここにある溶岩の岩で、付近一帯に火山性ガスが噴出するため『生き物を殺す石』だと信じられたことから名付けられたものです。鳥羽上皇が寵愛した『玉藻前』は九尾の狐の化身で、退治された時にこの殺生石になったという伝説があります。
『どれが殺生石なんだろうね』とサリーナ。『ここ全体がそうなんじゃないの』と、いいかげんなサイダー。
あとで調べてみると、実は大きめの岩が『殺生石』とされて注連縄が掛けられていたのですが、何とこの日の前日にその岩が真っ二つに割れてしまったんだそう。写真を見直すと、左に割れた岩があってその下に縄のようなものが見えますね。
殺生石から振り返って南を見れば、なだらかな谷の間に木道が続いています。
雪の木道を進んでいきましょう。
木道の右手側にずらりと並んだのは『千体地蔵』。
ここのお地蔵様は皆手を合わせて拝んでいらっしゃいますね。雪に半分埋もれていますが、赤い毛糸の帽子がほっこりします。
左手側には、湯の花採取場跡がありました。江戸時代には湯の花を年貢として納めたそうです。
このあと観光案内所で聞いてみたら、湯の花を売っているのは『鹿の湯』さんと、あと近くのコンビニに置いてあるかな〜とのこと。今は湯の花はあまり取れないのでしょう。
殺生石の見学を終え、改めて本日の自転車スタート。那須街道からロイヤルロードに入り、木立に囲まれた道を爽快に下ります。
続いてファミリーロードに入り、りんどう湖ファミリーパーク入口に着きました。湖の遊覧船、動物とふれあえる牧場などがあるそうですが、この日はお休み。
りんどう湖を過ぎたところで左折し、ローカルな道に入ります。車はほとんど通らず快適。
牧草地に出てくると、後ろに那須連山の白い山並みが見えました。かなり下ってきましたね〜
昨日よりは霞んでいますが、山並みが見える景色はいいですね。
今度は木立の中を走ります。木漏れ日がやさしい。
気持ちのいい道を通り抜けていきます。
牧場エリアに出てきました。今日も牛さんとご挨拶。今日は黒牛さんたちでした。
そして、広い田畑の中の道に入ると、また背後に那須連山。
ルートは東北新幹線の線路下をくぐります。
余笹川に出てきました。対岸は那須町中央運動公園です。
中余笹橋を渡り、那須町の中心部へと進みます。
那須町役場の近くを通り抜け、商店が並ぶ県道28号を走ります。
那須高校の先を右折し、ローカルな道へ。
ローカル道は畑の中を抜け、雑木林を通り過ぎます。
細かいアップダウンが出てきましたが、気分のいい道が続きます。
林を出て、黒川を渡るところでちょっと小休止。景色を眺めつつ水分補給するサイダー。
今日は下り主体で、ここまで快調に走ってきました。
黒川を渡り、丘を上ったところに『芦野温泉』があります。
ホテルが1軒、そしてテニスコートやレストランもあるようですが、お昼にはまだちょっと早いので先へ進みます。
丘を下ったら、芦野エリアに到着。緑の丘に両側を囲まれ、田畑が広がっています。
まず菖蒲川という小さな川沿いに進みます。
そして、田んぼの真ん中の道を突っ走る。
小さな集落を抜けると、前方の田んぼの中に木立が見えてきます。
『何かな〜、あの木立は?』とサイダーが問えば、『あれが今日の目的地だよ』とサリーナ。
田んぼを回り込んで、木立への入口へ向かいます。
田んぼの東側に参道の入口があり、そこには『遊行柳』と碑があります(TOP写真)。これが松尾芭蕉の『奥の細道』にも出てくる『遊行柳』。
西行法師が『道の辺に 清水流るる 柳蔭(かげ) しばしとてこそ たちどまりつれ』を詠んだと伝えられる場所で、これを題材にした柳の精の老人が現れる『遊行柳』という能があります。
芭蕉は『田一枚 植えて立ち去る 柳かな』と詠む。
遊行柳を過ぎてさらに進むと、丘のふもとに鏡山温泉(上の宮)神社があります。温泉神社という名前、芦野温泉の関係でしょうか?
小さな祠ですが、横にイチョウの大木があり、背後の山は岩が荒々しい崖地でちょっと迫力がありました。
本日2つ目の『奥の細道名所巡り』を終えたところでお昼タイム。
遊行柳のすぐ近くに産直のお店『遊行庵』があり、食堂も併設しています。私たちは野菜たっぷりのタンメンをいただきました。
昼食を終えたら遊行庵から旧奥州街道に入り、1kmほど先の芦野の中心部へ向かいます。
ここが芦野の中心部。奥州街道の宿場の一つで、旧街道の雰囲気が少し残っています。
写真の左手の小道を入ると芦野氏の築いた芦野城址があります。那須七騎の一人だった芦野盛泰は豊臣秀吉の小田原城攻めに参陣。関ヶ原の戦いでは徳川家康側となり、加増され旗本となって二の丸に陣屋を築いたとのこと。
このすぐ近くに『石の美術館』があります。大正~昭和初期に建設された石蔵を改修・増築して2001年に開館したこの美術館は、隈研吾氏の設計。
水の上に浮かぶ蔵を、小道を辿って訪ねます。
芦野は、門柱や外壁などに使われる『芦野石』(石英安山岩質溶結凝灰岩)の産地。ここは石材の可能性を広げる美術館として構想されたそうで、石蔵ギャラリーや茶室、石を学べる展示などがあります。
続いて芦野城址の方へ上っていくと、その途中に那須町の歴史を紹介する『那須歴史探訪館』があります。
こちらも隈研吾氏の設計で、写真は現在芦野の上野町にある芦野氏陣屋裏門を模して造られた陣屋裏門。後ろに見える小山が芦野城址です。
奥州街道へ戻ります。その途中の道沿いにあるこの門は、芦野家家臣の屋敷の門で、この地域の武家屋敷の門や構えを伝える『旧平久江家門及び構え』として那須町の指定文化財となっているそうです。
そして、庭の枝垂桜の大木は樹齢400年とのこと。桜の季節はゴージャスでしょうね。
芦野からは、旧奥州街道(県道72号)をひたすら進みます。
小さなアップダウンを繰り返し、林を抜け、川を越えて走ります。
奥州街道の越堀宿にやってきました。那珂川の東岸にあり、那珂川の増水で川留めになった時の奥州側の宿場として賑わったそうです。
明治時代の大火と道路拡幅により、宿場町の面影はあまり残っていません。
那珂川には昭明橋がかかり、橋を渡るとすぐに次の宿場、鍋掛に入ります。鍋掛も那珂川の川留めの際の宿場だったそう。
鍋掛の少し先で旧奥州街道を離れ、脇道に入ります。田んぼの中を抜け、
見上げるような大木の脇を通り、
杉林に入りました。しばらく県道を走っていたので、こんなローカル道は楽しい。
杉林を抜けたところに広く水を湛えた池があり、水鳥がたくさん群れていました。
その中の大きな白い姿はオオハクチョウです。もう3月なのでそろそろ北へと渡る時期ですが、まだ残っていたんですね。
餌をあげている女性が、『随分減りましたね』と教えてくれました。
灰色っぽい左の鳥は幼鳥です。白鳥は10数羽、そして数え切れないほどのカモがいます。
よく見るとカモはオナガガモばかりで、他の種類は見当たりませんでした。
『ここのこと、他のカモには教えるなよ』と示し合わせたのでしょうか?
ともあれ、オオハクチョウを見ることができて感激のサイダーです。
写真中央のオオハクチョウは水の中で立っているように見えますが、ここは本来田んぼで、冬の時期は水を引いて白鳥飛来地にしているそうです。
しばらく眺めていたら、近所の方が車でやってきて餌を与えていました。目ざとく見つけた鳥たちが駆け寄ってきます。
オナガガモは雑食性で植物の種子や水草、貝などを食べ、オオハクチョウは水生植物の葉や茎、根などを食べるそうですが。
田んぼの餌場を後にして、もう1箇所の白鳥飛来地へ向かいます。
2kmほど走ったところに『羽田(はんだ)沼野鳥公園』がありました。
ここに飛来する白鳥は多い時には数百羽にもなるそうですが、この時には20羽ほどがカモたちと一緒に泳いでいました。
羽田沼野鳥公園は白鳥飛来地として有名なんだそうで、車で見物に来た家族連れもいます。
ここにはオナガガモだけでなく、色々なカモがいました。
写真は鮮やかな光沢のある緑の頭のマガモ、クチバシの先端が黄色いのがカルガモ。
赤茶色の頭、額が白いのがヒドリガモのオス、中央はメスでしょうか。右はグイグイ泳いでいくオオバン。
にわかバードウォッチャーのサイダーとサリーナは、鳥たちをたくさん見られて大満足。しばらく楽しんだら、7kmほど走って那須塩原駅でフィニッシュです。硫黄泉と奥の細道名所めぐり、白鳥ウォッチングを楽しんだ2日目でした。