私たちはここ2年、コロナウイルス感染症の影響でゴールデンウィーク企画の開催を見送ってきましたが、今年は『緊急事態宣言』や『まん延防止等重点措置』が解除されたこともあり、ゴールデンウィークはどこか行きたいね、と言う声が高まりました。
ゴールデンウィークは日本でもっとも美しい季節と言っていいでしょう。日本中が新緑で輝き、高山を覆っていた雪が溶け出し、田んぼに水が入る時期でもあります。ですからどこへ行ってもいいのですが、私たちの多くのメンバーの体力は2年前よりだいぶ落ちていると考えられることから、都心からそう遠くないところ、滞在型でルートが組めるところ、ということで企画の検討を始めました。
個人的にはここのところ大自然を感じるダイナミックな景色に飢えているので、北アルプスを眺めたい気分が高まってきています。2012年の北アルプス企画はとても素晴らしかったのですが、最後、白馬三山の眺めが曇りでぱっとしなかったのが心残りでしたので、今回そのリベンジをすることにしました。松本から安曇野を経て白馬村のあまり高くないところを巡るのであれば、初級者でもなんとかなります。
参加者を募ると、おやまあ、なんと9名も参加すると言うではありませんか。みなさん、やはりちょっとフラストレーションがたまっているようで、ここで一気に晴らそうと考えているのでしょう。
長野県の松本駅にやってきたのは、左から、企て人のサイダー、いつもニコニコのシュンシュン、コロナっちゃったけどもうすっかり元気なマコリン、久々に登場は遥々北関東からやってきたベネデッタ、おいらはやるぜ、やるぜ!のシンチェンゾー、カメラはいつものサリーナ。レイナとレイ、そしてタキスキーの3人はそれぞれ宿に直行とのこと。
さて、初日は松本市内の見どころを巡り、安曇野に下って北アルプスを眺めながら、ゆったりと仁科三湖の中綱湖まで走る予定です。
ところが天気予報では、10時ごろから雨が降り出し、その後もずっと雨とのことで、実際、松本駅のお城口の駅前に降り立つとすでにパラッとしています。
ということで、残念ですが今日は自転車走行は諦めて、徒歩で松本市内を散策して、その後、電車で中綱湖へ向かうことにしました。
さて、松本といえば国宝の松本城ということで、まずはそこへ向かいます。
女鳥羽川(めとばがわ)に出るとその上を数十匹のこいのぼりが泳いでいます。そういえばもうすぐ5月5日『こどもの日』、端午の節句ですね。
大通りに出ると『おやき』も食べられるおしゃれなカフェがありましたが、おやきはどこでも買えるし、こんな小洒落た店ではなく、ばあちゃんが一人で焼いている店で買おうとシンチェンゾーが言うので、これはあとにすることに。
松本城と書かれた交差点を渡ると右手にお濠があり、その先に『国宝 松本城天守』と彫られた石柱が立っています。ここからが松本城を中心とする松本城公園です。
正面に黒い建物が見えてきました。これは『黒門』と呼ばれるもので、松本城本丸へ入る正門にあたり、かつてはこの奥に本丸御殿がありました。黒門は一の門(櫓門)と二の門から成りますが、それぞれ、1960年(昭和35年)、1989年(平成元年)の建築です。一の門は設計図が残っていなかったので名古屋城の渡り櫓門を参考にして建てられたようで、二の門は復元とのこと。
黒門に近づくとその手前にお濠が見え出し、左に松本城の天守が現れました。松本城は言わずと知れた国宝5天守の内の一つで、さらに現存12天守の中で唯一の平城です。
『お〜、あれが噂の烏城(からすじょう)、松本城天守か〜、本当に真っ黒だね!』と、松本城は初めてのシュンシュン。シュンシュンが言うようにこのお城は一般的に烏城の別名でも呼ばれていますが、実はその呼び名は文献上の記述としては見つかっていないそうです。
松本城の背後に見える右に上っている山の上には、ヒルクライマーに人気の美ヶ原高原があります。
マコリンが、『どうして松本城は黒いんですか、どういう材料で黒くしているんですかね〜』と言えば、いつもいいかげんなサイダーは、『あたしゃあ黒が好きなのよ、白黒はっきりせい!ってことじゃろ。黒いのは煤を塗ってんじゃね〜のぉ〜』と甚だ怪しい答え。
サイダーが言うことは信用できん、とマコリンがインターネットで調べると、日本の城には黒派と白派があるそうな。それは簡単に言うと建築された時代の違いで、豊臣秀吉の時代に築かれたものは黒、徳川家康の時代以降のものは白が多いとか。
それから、松本城の黒い壁は煤ではなくて漆塗りだそうです。(笑) しかし漆は本来は透明に近い材料で、黒くありません。松本城の下見板が黒いのは、下塗りに松煙と墨を柿渋に混ぜた渋墨(しぶずみ)が用いられ、その上に黒漆が塗られているからです。黒漆は透漆(すきうるし)に鉄を混ぜることで、漆と鉄イオンとが化学反応をおこして黒くなるのですが、元々は鉄ではなく油煙などが入れられていたそうです。油煙、つまり昔は煤で黒かったってことですわ、っはっは。
松本城は内部の見学もできるのですが、この時は1時間待ちとのことでこれは諦め、近年国宝に指定された開智学校へ向かうことに。
開智学校は1876年(明治9年)に竣工した旧制小学校の建物です。
完全シンメトリーに見えますが良く見ると左右非対称で、左の窓は6つ、右のそれは5つです。正面のアプローチの軸線と玄関とがズレているのがこの写真でもわかると思います。
2階建で、中央に唐破風屋根付きのバルコニーと玄関とがあり、その上に八角形の塔屋が載っています。塔屋の窓に嵌め込まれているのはステンドグラスです。
唐破風の下では日本的な天使が両側から『開智学校』と書かれた旗を持っています。この天使たちは1897年(明治30年)の改築で唐破風とともに姿を消しましたが、1963年(昭和38年)からの移築工事の際に創建当時の姿に復元されました。
その下のバルコニーの奥に見える開口部は本来なら掃き出し窓のはずですが、これは腰窓で、バルコニーは単なる飾りであることが伺えます。
開智学校を見学していると雨が少し強くなってきました。昼食には少し早いのですが、そろそろ食堂が開店する時刻なので、近くの蕎麦屋へ。
信州といえばやっぱりお蕎麦でしょう。
マコリン、ベネデッタ、そしてシュンシュンの3人は王道の冷たいそば、天ざるを。
ちょっと寒いので暖かいそばが良いというサリーナは天ぷらそばを。
シンチェンゾーとサイダーはなんと冷たいのも暖かいのも食べたいと、もりそばと天ぷらそばのセットを。
そばは、白く透明感があり田舎蕎麦でないのは一目瞭然。見た目は更科に近いのですが短く薄い。食感はしっかりした歯ごたえがあり、味は田舎蕎麦とも更科とも異なり独特です。
鰹出汁が効いたつゆは甘めで薄め。
天ぷらはごま油で揚げているらしく、そのほんのりとした香りが食欲をそそります。
どちらもおいしゅうございました。
さて、お昼を済ませたら松本駅へ戻るのですが、途中にある見どころに立ち寄りつつ進んで行きます。
まずは松本城のすぐ北に位置する松本神社です。
この神社は地元では『五社(ごしゃ)』と呼ばれているそうです。その呼び名のとおりにここは暘谷大神社(ようこく だいじんじゃ)に四社を合祀し五社になったのです。その後若宮八幡宮が合祀され、松本神社と改名されました。
松本城主であった松平康長、松本城の前身の深志城の築城者である島立貞永などが祀られています。
松本神社の次は四柱神社(よはしら じんじゃ)へ。
四柱神社は松本城の南の女鳥羽川の畔という良いところに鎮座しています。神社名となっている四柱とは、天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神のことだそうです。わたしは天照大神しか知りませぬが。。(汗)
それはともかく、ここは全ての願いが叶うという意味で『願いごとむすびの神』だそうな。神社のWebペイジに掲載されているものを見ると、家内安全、商売繁昌、社運隆昌、交通安全、健康長寿、病気平癒、厄除開運、合格成就、縁むすび、安産守護、初宮詣、等々。
これは凄いぞ〜 なんでもお願いしちゃえ!(笑) でもその分、ご祈祷料や参拝料をたくさん用意しなくちゃいけないかも。。。
四柱神社の創建は意外と新しく、1879年(明治12年)です。
明治時代になると、神道(しんとう)の布教所として中央に大教院(東京の増上寺)が、地方庁所在地には中教院が置かれました。この神社の前身は松本に置かれた中教院なのです。そのため地元では『しんとさん』と呼ばれているそうです。
『惟神』の扁額は内大臣 三條實美筆。
四柱神社のすぐ南の女鳥羽川沿いには250mほど歩行者専用道路が続いており、その両側にお店がびっしり。
この道は縄手通りと言い、一本の縄を伸ばしたような真っ直ぐな道であることから名付けられたそうです。
その縄手通りではカエルをモチーフとした様々なものを見掛けます。
かつて女鳥羽川には河鹿蛙(かじかがえる)がたくさんいたそうですが、川が汚れたために昭和時代にいなくなってしまったそうです。これを偲んで通りの中ほどに『かえる大明神』を祀ったことから、あちこちにカエルのモチーフが置かれるようになったようです。
女鳥羽川から一本南の通りは中町通りで、ここには土蔵造りやそれに似せた造りの店が立ち並んでいます。
かつてこのあたりは問屋街だったそうですが、その多くの建物は1888年(明治21年)の大火で焼失してしまいました。この大火で焼けずに残ったのが土蔵造りで、以降商品を守るために土蔵造りの建物が数多く建てられました。
そうした通りの中でも一際は目を引くのがこの『中町・蔵シック館』です。
『中町・蔵シック館』の元は造り酒屋だそうで、今日でも2階の軒先に杉玉が見えます。現在はカフェやレンタルスペースとして使われています。
この建物は奥行きは深いのですが間口が狭く、通りには二つしか窓がありません。その窓には漆喰で塗り固められたしっかりした観音開きの扉が付いています。
真ん中の扉を見ると、二枚の扉どうしがぴったりくっつくようにできているのが分かります。
その隣は伊原漆器専門店で、ここの看板がなかなか洒落ています。唐獅子と牡丹ですね。
1907年(明治40年)創業だそう。
土蔵造りの腰壁は多くの場合なまこ壁です。この蔵のなまこ壁の漆喰は真っ白なので、近年やりかえたのでしょう。中に入っているカフェとギャラリーも新しそうでした。
中町通りで松本の観光はおしまい。このあとはシンチェンゾーが言っていた、ばあちゃんがやっている『おやき』の店を探しつつ松本駅へ向かうのですが、それは見つからず、それどころかおやきの店を一軒も発見できずで、結局おやきは買えませんでした。どうしてくれんの、シンチェンゾー!(怒)
雨が降っていて寒いので駅ビル内のカフェに落ち着いて、電車の時間までしばらくまったり。
14時に改札をくぐり大糸線のプラットフォームに着くと、2両編成の電車はなんとすでに満席状態でした。運良くサイダーは座れましたが、あとの面々はしばらく立ち席。ありゃりゃ。こんなことならカフェをもう少し早く発つんでしたね。まあしかし2〜3駅乗ると空席ができて、みんな座れました。
車窓からの風景は、ぼーっと霞んだ安曇平の田畑が見えるだけで、山はまったく見えません。今日は仮に雨でなかったとしても、自転車で走っても ちむどんどん しなかったかな。
そんなんで、大糸線の電車も安曇平も写真を撮るのを忘れてしまいました。
松本から1時間少々大糸線に揺られると、簗場駅に到着。雨は松本を出た時より少し強くなっているようです。
西を見ると先に小高い山があります。あそこは雪のシーズンは鹿島槍スキー場になります。私たちがお世話になる宿はそのすぐ下にあります。
宿に着くとレイナとレイ、そしてタキスキーの3人はすでに到着しており、まったりしていました。
一風呂浴びてさっぱりしたら夕食です。
ここは山の中なので、食事は山菜や野菜、そして川のものが主です。お米や野菜類のほとんどは自家製で、その他のものも地元のものが使われています。
鍋に載っている小魚は青木湖で穫れたワカサギで、色鮮やかなコゴミは今年の初物だそう。ここの春は遅いですからね。
さて、今日は安曇野を快走する予定でしたが、それが雨でできなかったのは少し残念ではありますが、全員無事に来られたので良しとしましょう。天気予報では明日からはずっと晴れが続きます。ということで、明日からみんなで元気に走りましょう。