聖バルバラ教会正面
チェコ・サイクリングの走行を終えた私たちはクトナー・ホラに連泊して、ここと隣のセドレツを散策することにしました。
クトナー・ホラは13世紀から16世紀に掛け、銀鉱山によりチェコを繁栄に導いた銀の町で、当時はプラハを凌ぐ都市だったとも言われています。 ここでは聖バルバラ教会を始めとするいくつかの建物がユネスコの世界遺産に登録されています。
聖バルバラ教会側面
その聖バルバラ教会は鉱山労働者の守護聖人、聖バルバラを記念した教会で、街の一番高いところに後期ゴシック様式で建てられています。
ちょっと面白いのは、街の中心からこの教会にアプローチすると、建物の正面にではなく後方側面に出ることです。(TOP写真参照) そして正面は街から一番遠いところにあるのです。
聖バルバラ教会後方
正面から見ると少しずんぐりして見えるのは、塔を持たないためでしょうか。
しかし三つに分けて架けられた屋根の形状は特徴的で、フライング・バットレス(飛梁)とその上の尖った装飾がいかにもゴシックです。
聖バルバラ教会内部
内部は外観の印象を引き継いで、がっしりした感じ。
ゴシックの家具
家具もゴシックです。
これは確か当時からのものだと解説にあったように記憶しています。
装飾的なリブ・ボールト
天井はゴシックの決まりのようなリブ・ボールトですが、これはどう見ても花柄ですね。
しかも花弁の中には紋章などが描かれており、カラフル。
華やかなバロック様式の祭壇
多くの石造の教会がそうであるように、この教会も14世紀の終わり頃から長い年月を掛けて建てられています。 一応の完成を見たのは16世紀の中頃ですが、その後も手が加えられ17〜18世紀にはバロック様式の要素が加えられ、19世紀の終わり頃ネオ・ゴシック様式として完成したとか。
見返りにあるパイプオルガンや写真の祭壇などはバロック様式のようです。
炭坑労働者の像
内部で面白いものを発見! この像は炭坑労働者で、この教会が鉱山労働者にゆかりがあることが良くわかります。
コーパス・クリスティ礼拝堂
聖バルバラ教会の隣に建つコーパス・クリスティ礼拝堂は、14世紀終わり頃、聖バルバラ教会の建設の第一段階と同時に二階建ての礼拝堂として建て始められましたが、一階のみが完成したとのこと。
現在ここは、コンサートなどのイベント会場として使われているようです。
コーパス・クリスティ礼拝堂脇から中心部を臨む
礼拝堂の脇からクトナー・ホラの中心部を見るとこのようです。
中央に高く聳える塔を持つ建物は聖ヤコブ教会。
バルボルスカー通り
聖バルバラ教会とコーパス・クリスティ礼拝堂から街の中心に向かう道はバルボルスカー通り。
この道の片側には聖人の像がいくつも並んでいます。
イタリアン・コート
このバルボルスカー通りを下るとかつては街の砦とされていたフラーデク鉱山博物館の前を通り、聖ヤコブ教会、イタリアン・コート(VLAŠSKÝ DVŮR ブラシュスキー・ドゥヴール)と続きます。
イタリアン・コートは13世紀ごろからあり、かつての造幣局であり15世紀初頭には王宮になった建物です。
イタリアン・コート内部
13世紀ごろまで使われていた複数の硬貨は廃止され、プラハ・グロシュ銀貨に一本化され、ここでその鋳造が開始されることになります。
内部には12世紀からの様々なコインが展示されており、かつて王様が住んだ部屋などが見学できます。
小広場とマリア柱像
クトナー・ホラはこれまで見てきた都市と大きく異なる点があります。 それはここには街の中心となる広場がないということです。 観光案内所があるパラツキー広場がありますが、それは広場というよりいくつかの道が集まった交差点が広がったような感じで、圧倒的ではありません。
その広場のすぐ西に、ペスト終焉を記念したマリア柱像の建つ小さな広場というか少し広い道があります。 一般的にマリア柱像はメインの広場に建てられますから、この点を考えてもこの街の中心がどこなのかという素朴な疑問が湧きます。
貴族の館?
中世にはここは市場だったところのようで、この日も小さな市が開かれていました。
この小広場に面してちょっと変わった建物が建っています。 外壁一面にびっしりと絵や文様、紋章が描かれています。 おそらくこれは貴族か裕福な中産階級の人の館でしょう。 あとでこのあたりの案内を見るとマーブルハウスというのがありますが、これがそうでしょうか? 外壁は大理石ではなさそうですが。
石の家
この小広場の北の通りには『石の家』があります。 ゴシック様式のファサードを持つこの建物は15世紀の終わり頃現在の姿に改築されたそうです。
現在この中は17世紀から19世紀の生活を展示した博物館になっています。
聖ヤン・ネポムツキー教会
聖ヤン・ネポムツキー教会はヤン・ネポムツキーの列聖祝賀に合わせ、18世紀に建てられたバロック様式の教会です。
聖ヤン・ネポムツキー教会内部
フレスコの天井にきらびやかな内装はいかにもバロック的です。
石の泉
1495年に作られたゴシック様式の泉。 チェコの広場には石造の彫刻を持った噴水がたくさんありますが、それらの多くはバロック時代のもので、ここまで古いのは珍しいのではないでしょうか。
クトナー・ホラの街並
クトナー・ホラの街を一日散策した翌日は、隣村セドレツの大聖堂と墓地教会を見学に向かいます。
セドレツの大聖堂前
クトナー・ホラからセドレツはわずかに2kmほどなので、あっという間に到着。
聖母マリア大聖堂はマサリコヴァ通りの脇に突然その姿を現します。
聖母マリア大聖堂正面
セドレツは12世紀にシトー会の修道院ができて以来の歴史を持ち、この修道院の領地内で銀の採掘が行われるようになったのがクトナー・ホラ発展のきっかけだそうです。
セドレツの聖母マリア大聖堂の場所にはかつてロマネスク様式の教会が建っていたそうですが、1300年頃に建て替えられ、18世紀にバロックとゴシックの混交様式で完成したようです。
聖母マリア大聖堂側面
外観の尖った装飾や側面の尖頭アーチはゴシックのモチーフですが、正面頂部の花柄のような意匠はバロックでしょう。
聖母マリア大聖堂内部
内部空間はちょっと不思議な感じです。
空間の骨格はゴシック的ですが、ベージュと白の塗り分けや天井のボールト装飾はバロック的のような気がします。
墓地教会外観
聖母マリア大聖堂から横道に入ると墓地教会があります。
この教会はその名の通り、周囲を墓地に囲まれています。 立ち姿は有名な割りに小さい。
墓地教会エントランス
この教会には納骨礼拝堂という別名もあります。
その理由は、一歩その内部に足を踏み入れたとたんに分かります。
おびただしい人骨の山
内部は人骨の山!
しかもその人骨が紋章やシャンデリアといった装飾としても使われているのです。
人骨の紋章
これが人骨の紋章で、
人骨のシャンデリア
こちらがシャンデリア。
13世紀に修道院の院長がエルサレムから持ち帰った土をここに撒いたことから、以後聖地とされ、各地からここに埋葬を望む人々が現れ、その後の戦争やペストで亡くなった人々の遺体が集まることになります。
そして16世紀の初頭に、はじめてここに人骨が積み上げられることになります。 ここには4万人の骨が納められており、そのうち1万人分の骨が装飾に用いられているとか。
田舎村の駅
クトナー・ホラとセドレツの観光を終え、いよいよこの旅の出発地でもあったプラハに戻ります。
クトナー・ホラ駅でプラハ行きの電車が到着するプラットフォームで待ち、ちょうどその電車がやってくるころに乗り込んだ電車は、なぜかプラハとは反対方向に向かっています。 まあ、線路はまっすぐじゃあないからそういうこともあるかとのんびりしていましたが、いつまで経ってもプラハ方向に向かいません。 これはおかしいと気付いて乗り合わせた人に聞けば、やっぱり反対行きだって。 あちゃ〜。。
プラハ行きの電車
降りた駅はクトナー・ホラ駅から二つ目で、プラハ行きまでは一時間以上もあるので、この街を散策。
暑い中歩いて、運良く見つかったカフェでビールを飲みながら時間を潰します。
プラハ駅
15分ほど遅れてやってきた電車は12:50発、14時丁度にプラハ本駅に到着しました。
ヴァーツラフ広場から国立博物館を望む
久しぶりのプラハは、まず新市街のヴァーツラフ広場周辺をうろうろ。
この通りは巾60m、長さ750mに及ぶ目抜き通りで、銀座通りよろしく高級ブティックやホテル、レストランが軒を連ねます。
旧市街広場の市庁舎の塔
その後やってきたのはプラハ旧市街の中心にある旧市街広場です。 そこには市庁舎の天文時計のある塔が、この旅の出発時と違わず、聳えていました。
明日はいよいよチェコの最終日。 プラハの街のまだ見ていない見どころを巡ります。