ポンテ・デ・リマのローマ橋下流側
リマ川に架かる美しいローマ時代の橋を持つポンテ・デ・リマ。
31のアーチを持つローマ橋の向こう岸はアルコゼロと呼ばれる地域で、現在はほとんど何もないのですが、ローマ時代には都市があったところのようです。ここからは19世紀の聖アントーニオ教会が見えていますが、その付近は公園になっていて、かなり古い時代の遺構がいくつか残っています。
アルコゼロ側のローマ橋上流側
ここはシャベスのローマ橋同様、ブラガとスペインのアストルガを結ぶ要衝だそうで、この橋をあのブルータスが渡ったという逸話があるようです。
ローマ橋上部
この橋は14世紀に大改修されたものの、現在も歩行者用の橋として使われています。
橋の街側の欄干の上には、飾りなのかそれとも橋を守る防衛装置なのかはわかりませんが、石の柱のようなものが等間隔で並んでいます。これは現在は一部にしか残っていませんが、かつてそれが建っていた痕跡がずっと先まで延びています。
カモンエス広場
ローマ橋の街側の袂にあるのはカモンエス広場で、ここにはカフェが並び、大きな水盤がある18世紀の噴水があります。
アズレージョが嵌め込まれた塔
カモンエス広場から南に延びる道はきれいな並木道になっており、それに沿って古い建物が並んでいます。
その中でも一際目を引くのは二つの塔で、こちらにはアフォンソ・エンリケスを題材にしたアズレージョが嵌め込まれています。
旧刑務所の塔
そしてもう一つの塔はかつては刑務所だったとか。この塔の横に続く城壁には出入り口が開いているのが見えます。
これら二つの塔はいずれも14世紀の要塞のようです。
表通りからマトリズ教会を見る
二つの塔の間にある通りの奥にはもう一つ塔が見えています。
マトリズ教会
これは15世紀のロマネスクのマトリズ教会で、壁にはやはりアズレージョが。
マトリズ教会の奥
ここまでのポルトガルの自転車の旅ではいくつもロマネスクの教会に出会いました。これらはロマネスクの中では比較的新しいものが多いけれど、それでもこの僅かな期間にこれほど多くのロマネスク建築に出会えるとは、驚くべきことです。
マトリズ教会横から通りの奥を見る
ポンテ・デ・リマは僅か人口3000人足らずの、いうなれば村です。しかしここは間違いなく都市です。それは中世から受け継いできた遺産によるところが大ではあると思いますが、どうしたらその遺産を守り続けられるのか。これも驚くべきことに感じます。
この街にはかなり観光客が来ているようですが、それが都市の規模を越えず、賑やかだけれどひっそりしている。そこもすばらしい。
並木道を行く
今日はこのポンテ・デ・リマから山ひだをいくつか越えて、ジェレス山脈の麓にあるアマーレスのボウロに行きます。
まずはポンテ・デ・リマの表通り、リマ川に沿った並木道を南に向かいます。
ポンテ・デ・リマのローマ橋を南の橋から見る
この並木道の途中に聖フランシスコ教会があるのでそれをちょっと覗いて、さらに南下するとポンテ・デ・リマの南に架かる新しい橋に出ます。
そこからローマ橋を見るとこんなふうです。
ポンテ・デ・リマ郊外
ポンテ・デ・リマからサンタ・マリア・ド・ボウロへは幹線道を南に下り、ブラガの手前でカーヴァド川沿いを遡るのが簡単ですが、幹線道はできるだけ使いたくありません。
そこで基本的には田舎道を繋いで進むことにします。
石畳と石の塀
ポンテ・デ・リマは小さいので、走り出すとすぐに街の外に出てしまいます。
そこにはより小さな集落がいくつもあり、そうした中を行くと、畑脇には石の塀が建ち、道は石畳に。そしてこうした道には必ずアップダウンがあります。のっけからアヘアヘモードに。
小さな村の中を行く
畑はぶどうです。ここミーニョ地方の名産、ヴィーニョ・ヴェルデのぶどうでしょうか。
ヴィーニョ・ヴェルデは白が有名ですが赤もあり、こちらもすっきり軽めで、この暑い時期に飲むのにちょうどいいです。
森の中を行く
いくつかの集落を抜けると森になりました。この森はユーカリのようです。
これまで見てきた林は松が多かったのですが、ユーカリは成長が早いため、紙の原料として40年ほど前から植樹されてきたのだそうです。
ぶどう畑の横のダート道
この森の先からぶどう畑の中を行くようになります。
そこは細いダート道でした。この道をしばらく進んでみたものの、だんだん怪しくなってきたのでここを離脱し、近くを走っているN307に向かうことにしました。
ぶどう畑から幹線に上る
ぶどう畑は小さな谷間にあり、そこからN307に出る道はまたもや激坂です。
アルヴィト付近
ここはアルヴィトという村の近くで、畑の中に農家が点在しています。
今日のコースはこの写真にあるような小さな山をいくつも越えて行くコースです。
N307を東に向かう
なんとか激坂をこなしN307に上ると、それは国道なのにほとんど車が通らない快適な道でした。
右手に山、左手に谷だったのがいつの間にか反転し、右手に深い谷が現れるようになります。
谷沿いに上るサリーナ
この谷底は見えませんが、トルヴェラ川という小さな川が流れているようで、緑に覆われた美しいところです。
谷の頂部が見えた
私たちは川の上流に向かっています。その川はこのすぐ先に源流があるようで、谷が徐々に狭まってきます。
エイド・デ・バイショ方面
そしてついに谷が閉じ、反対側の集落が見えてきます。
道は谷の上からあの集落の方に向きを変えて行きます。
谷の上からやってきた方面を見る
アルマダという小さな集落を過ぎるとほぼこの道のピークに達したようで、ここからはやってきた谷とそのずっと先、たぶんポンテ・デ・リマの先の山がよく見えます。
標高ほぼ0mのポンテ・デ・リマからここまで600m上りました。ここが本日の最高標高地点です。
木造のエスピゲイロ
ここから道は下りとなります。少し下ったエイド・デ・シマにバールがあったのでちょっと休憩を。
この近くにはエスピゲイロ(伝統的な穀物倉庫)があったのですが、それはこれまで見た石造のものではなく、木造でした。木造のものはこのあとも見かけることはなかったので、ちょっと珍しいかもしれません。
森の中の下り
休憩のあとはすぐに上り返しがありましたが、そのあとはしばらく下りで、ペドレガイスまでは快適。
ペドレガイスから上って出たM532-2
ところがペドレガイスで道を乗り換えるために入った小道が凄かった。
石畳に加えて斜度20%超えかと思われるような激坂が。自転車が持ち上がらない! ということでこの区間は一枚も写真なし。ようやく撮れたのは、この道を上りきったところのこの一枚のみ。
ペドレガイスの上からやってきた方面を見下ろす
激・激・激坂だったから、上った先の眺めは当然良かったのですが、
疲れ顔のサリーナ
息切れ、動悸、めまい状態です。
耐えるサイダー
しかもこのあとも勾配こそ緩いものの、上りなのです。
息も絶え絶えに上り続けるサイダー。
N101手前の教会
しかしいつまでも上り続けるわけではありません。1kmほどふんばると、やっと下りになりました。
今度は標高400mから一気に350m下り、N101を渡ります。このあたりはそれなりに建物の密度が高く、ちょっとした街という感じのところです。
松林の中の上り
そうはいっても、道はまたすぐにダートになったり、こんな林が現れたりするのですが。
しかし低地になってきたようで、小さなきれいな川を渡ります。
背の高いエスピゲイロ
その川のすぐ先に、ほぼ一階分かさ上げされたエスピゲイロがありました。こんなに高いと作物の出し入れは困難だと思うのですが、これはいったいどうしてこんなに高いのでしょうか。
この先でN205-3を渡ります。そこから一歩入ったところに運良くレストランを発見。ここのランチは飲み物からデザート、そしてコーヒー付でリーズナブルな価格。おいしく雰囲気もいいところでした。
カーヴァド川に架かるポルト橋
このレストランからN205に抜ける道はちょっとした丘を越えなければなりませんが、おいしい食事のあととあってこれは難なくパス。
N205の先にカーヴァド川は流れています。ここにはポンテ・デ・リマ同様、中世の橋が架かっています。その名はポルト橋ですが、このポルトはあのポルトガル第二の都市のことではなく、古いポルトガル語で『横断場所』という意味から来ているそうです。
ポルト橋を渡る
古くはここに『渡し』があり、そのあとにこの橋が架けられたことから、『横断場所の橋』といった意味でポルト橋と名が付いたようで、この名はこのあたりの地名にもなっています。
この橋はポンテ・デ・リマのものに比べればずっと規模は小さく、造りも少々荒っぽいのですが、逆にそれがいい味にも感じられます。
ポンテ・ド・ポルトからボウロ方面を望む
ポルト橋を渡ってカーヴァド川を遡り出すと、ボウロあたりが見えてきます。
周辺はやはりぶどう畑でいっぱいです。
カーヴァド川沿いを行く
ここまで来たらもうアップダウンはないだろうと思っていましたが、それは甘かった。
川はその土地で一番低いところを通っていますからね。
聖マリア教会
微妙なアップダウンの先についに聖マリア教会がその姿を現しました。
ここまでかなりきつかったけれど、あそこが本日の我らが宿、ポウサーダです。
サンタ・マリア・ド・ボウロ
へろへろしつつもボウロに到着です。
サンタ・マリア・ド・ボウロはこの教会の名で、これは現在もそのまま教会として使われていますが、隣の修道院だった建物は現在はポウサーダになっています。ポウサーダとは歴史的な建物などをホテルにした国営のもので、スペインのパラドールのようなものです。
ポウサーダの中庭
この修道院はポウサーダのWEBによれば12世紀の建物とのことですが、レセプションの方は17世紀といっていたような。これはベースは12世紀にあり、17世紀に現在の形になったということかもしれません。
古い建物をホテルにするには大改修が必要ですが、ここはポルトガルを代表する建築家の一人、ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)が手掛けています。その仕事はある意味で古い建物の改修のお手本とも呼べるようなもので、元の建物をできるだけいじらずに、現代に要求される機能をひっそりと目立たぬように加えています。新しく使った材料は、元の建物の補修用の石と漆喰の類い、そして新しいものとしては鉄とステンレスに僅かな造作のための材料しかありません。この建築家はある意味でここで完璧な仕事を成し遂げたといえるでしょう。
しかしここにはホテルという場に求められるrelaxationというべきものが、少し欠如しているように感じたのも事実です。建築家やデザイナーは機会があったら是非ここを訪れるべきだと思います。しかしもしあなたがそういったことに興味がない方だったら、ここはすこしがっかりするかもしれません。
ポウサーダのレストランで郷土料理を食す
でも、ここはポウサーダです。レストランは楽しめるかもしれません。ポウサーダはその地方の伝統的な料理を提供することでも知られています。
どこにでもあると思っていたカルド・ヴェルデにやっとここでありつくことができました。カルド・ヴェルデは今では全国区ですが、本来はこのあたりの食べ物だそうです。これはじゃがいものポタージュにちりめんキャベツを入れ、その中に赤いスモークソーセージを一切れだけ浮かべただけの簡単なもの。調理の段階でオリーブオイルが使われていますが、さらにオリーブオイルを加えて食べることも多いそうです。非常にあっさりしたやさしい味。
サラブーリョ。これはお粥ですが、豚の血が加えられていてアズキ色をしています。ちょっと酸っぱい。モンゴルなどビタミンが野菜から採れないところでは家畜の血をそのまま飲むようですが、サラブーリョもビタミン補給が目的でしょうか。
この地方の郷土料理としてはもう一つ、ロジョンエスがあります。これは豚の各部などをワインソースに漬け込んで揚げ煮たもので、いうなればごった煮です。
さて、せっかくのポウサーダですからここに連泊して、明日は少しのんびりしようと思います。