今日の目玉はなんといってもロシュフォール(Rochefort)。そこには世界でも数えるほどしかないトラピストビールを醸造している修道院があるのです。
セルの聖アドラン教会
ナミュール州の小さな村セルは、聖アドラン教会と丘の上のエルミタージュの対比が面白く、家々はきれいな花で飾られた、美しいところです。
聖アドラン教会内部
朝、ホテルの豪華な朝食をいただいたあと、聖アドラン教会を覗いてみました。11〜12世紀に造られたこの教会の内部は、シンプルで気持ちいい。
ヴェーヴ城
セルからはまず、すぐ近くにあるヴェーヴ城に向かいます。
川沿いの谷を行くN910で南西に向かうと、2kmほどでヴェーヴ城が見えてきます。お城は本質的には軍事的な施設ですが、時代が下るにつれ多くの場合、その本来の性格より住居としての性格が強まるようになり、中にはほとんど宮殿のようなものも現れます。しかしこのヴェーヴ城は、元は城本来の軍事的な施設で、15世紀の5つの円塔を持つ外観には要塞の趣があります。
ここにお城が建てられたのは13世紀頃のようで、破壊、再建、焼失、再建という道を辿りますが、中世の終わりまで要塞としての機能があったようです。内部はルネッサンス時代に大改装され、ルイ15世の統治下でさらなる改変がされたとのこと。徐々に軍事施設、要塞としての機能が薄れていきますが、最終的には20世紀後半に復元工事がされ、現在の姿になったといいます。
ヴェーヴ城付近の上り
昨日アップダウンに痛めつけられ走行予定時間を超過したので、今日は予定より早く出発しました。そんなわけで、ヴェーヴ城は内部も見学する予定でしたが、開館時刻まではまだ大分あり、外観の見学のみです。
ヴェーヴ城からはロシュフォールに向かいますが、その前にウイエ(Houyet)を目指します。お城を出るとすぐ、道は上りになり、森の中へ入って行きます。
森から牧草地へ向かうサイダー
この森の中を行く道は幅員が3mにも満たないもので、日本でなら自転車道といっても通りそうなくらいです。道には木々が覆い被さりますが意外と明るいのは、ここが急な傾斜地で片側がぐっと落ち込んだ谷になっているから。
その右手の谷がいつの間にか上がっていたようで、急に視界が開けると、そこは畑。道が森を離れ、牧草地に向かうように方向を変えると、そこには緩やかに上って行く道が見えます。
畑の中を行くサリーナ
しかし、いつまでもこの牧草地の中の道を走って行くわけにはいきません。こうした道はいわば農道のようなもので、大抵国道に突き当たっておしまいになります。ここもその例外ではなく、今日の出発地のセルから南下してくるN94に突き当たっておしまいに。
広がる牧草地
N94はまず穏やかな下りで畑の中を進み、そのうち森に入っていきます。直線だった道にカーブが出てくると、それは谷への下りで、ちょっとした川を渡ってから穏やかな上りに転じます。
民家と牧草地
谷の上りが終わったようで、道が再びフラット基調の直線になると、そこには民家が現れるようになります。
ウイエの入口
N929に入るとこの道は谷を下って行き、長い森を抜けて進みます。
ウイエの標識が現れるとすぐ、レス川(La Lesse)を渡ります。
ウイエ駅
道の突き当たりにあったウイエ駅は、それなりに歴史のありそうな煉瓦造のシックな建物。
この先には、レス川でカヌーをするために準備をしている人々が大勢いました。
自転車道入口
今日の出発地セルからロシュフォールへは、幹線道を使うと近いのですが、私たちは遠回りをしてこのウイエにやってきました。ここにはロシュフォールまで続く自転車道の入口があるからです。
森の中の自転車道
その自転車道に入れば、さっそく道は森に入り、
レス川
レス川を渡って進んで行きます。
煉瓦造のアーチ
この自転車道は鉄道の廃線跡を利用したものなので、基本的にフラット。ほとんどアップダウンはありません。川を渡り、畑の中を進み、トンネルをくぐり、森を行く。いや〜、これは快適。
そしてここではあちこちで面白い構造を見ることができます。これは道路なのか鉄道なのかは不明ですが、煉瓦造のアーチ。
レス川と畑
鉄道は基本的にまっすぐ通すので道もほぼまっすぐですが、レス川は大きく蛇行しているので何度もこの川を渡ります。
トンネル
今度はトンネル。
旧駅舎
これはかつての駅舎でしょう。
木いちご
道端で何かを摘んでいる人たちがいました。何かな、と廻りを見れば、そこらじゅうに木いちごがなっています。これはラズベリーとブラックベリーでしょう。ブルーベリーを見ることもできます。
牧草地を行く自転車道
自転車道の廻りは基本的には牧草地になっていて、時折草を食む牛さんたちがいます。
レス川沿い
そのうち道はレス川沿いを行くようになります。森、川、牧草地と繋がるこのあたりはいい感じです。
このレス川を眺めながら休憩をしていると、空からポツポツと冷たいものが降ってきました。カッパを着込んで先を急ぐことにします。
サン・レミ修道院へ
ロシュフォールが近づきました。早めに出発したこともあり、ここまで時間的には快調です。
ロシュフォールでは街で食事をしてからサン・レミ修道院に行こうと思っていましたが、時間に余裕があったので、先に修道院を訪れることにしました。
サン・レミ修道院へその2
自転車道を離れると、道は牧草地の中の一本道。
サン・レミ修道院付近
ロシュフォール郊外の住宅地を抜けると、サン・レミ修道院へのアプローチ・ロードに入ります。
この脇はもう修道院の敷地で、森になっています。この森を横目に進めば、まずブリュワリーの入口らしきところが現れます。その奥にはごく普通の工場のような建物が見えています。これはブリュワリーではなく出荷用の倉庫かもしれません。しかしここから中には入れません。醸造所は非公開なのです。
サン・レミ修道院
この入口から先に進むと、すぐ先の角に正門が現れます。トラピスト会のサン・レミ修道院に到着しました。
この修道院の正式名称はサン・レミ・ノートルダム修道院(Abbaye Notre-Dame de Saint-Remy)というようで、ロシュフォールの街から3kmほど北にあります。
サン・レミ修道院の教会
トラピスト会は厳律シトー会とも呼ばれるように、数ある修道院会の中でも特に戒律が厳しいといわれています。多くの厳律シトー会は今でも一般世俗との交流を断つような生活をしているといいます。このサン・レミはブリュワリーもそうですが、内部は見学できないと聞いていました。厳律シトー会だからそんなもんだろうと思っていました。それで、まあ、ここは外からちょっと覗くだけ、というつもりでいたのですが、、
ところが来てみると、夏の間は修道院に関する展示が見られるといいます。これはラッキー! じゃあさっそくその展示をみよう、という時に、鐘がガランゴロンといいだしました。
サン・レミ修道院の教会内部
入口の左手にある教会の方に人々が移動しています。なにかな、と思って行ってみると、ミサが始まったところでした。まさかここで教会に入れて、しかもミサに立ち会えるとは。
この教会はロマネスクのすばらしく美しいものです。
醸造所内部(展示資料より)
1230年に設立されたここは、1595年にビールの醸造を開始します。フランス革命の時に建物が破壊され、100年ほど閉鎖されますが、19世紀の終わりに再建されます。ビール醸造も再開され、現在までこの敷地内で製造を続けているといいます。
醸造されるビールのラインナップはロシュフォール6、8、10の三種類で、この数字は初期比重を現しており、それぞれ、1060、1080、1100。アルコール度数は7.5%、9.2%、11.3%。
昔のジョッキなど
ロシュフォール6は年一度、新しい酵母を育てるために造られるだけだそうで、日本国内はもちろん、ベルギーでさえなかなか手に入りません。これは8に爽やかさが加わった感じですが、軽くなりすぎずにしっかりとした味わいもあります。私は好きです。
8と10は二次発酵時にキャンディシュガーが加えられ、まろやかな甘みと苦みがあります。それは10の方がより強く、これはブランデーかと思わせるものがあります。以前のロシュフォールの専用グラスはやや縦長でしたが、今日のそれは、ブランデーグラスを思わせる丸みが強いものに変わっています。
一般的に数種類のラインナップがある場合、たとえばトリペルだけは系列が異なるということが多いのですが、このロシュフォールは6から10まで、統一の取れた同系統の味です。
サン・レミ修道院の北東部
まったく予想外のうれいい訪問になったサン・レミ修道院をあとにして、ロシュフォールの街に向かいます。
修道院の東の道は牧草地から森に入ると、砂利道。これが上りの上に先ほどの雨でぬかるんで、ちょっと大変。
ロシュフォールのロム川
しかしなんとか乗り越えて、街の入口のロム川(La Lomme)まで下りてきました。ここから街の中心に向かい、レストランを探します。
ロシュフォールの教会
先に大きな教会が見えてきました。このあたりが街の中心でしょう。通りには立派な建物が並んでいます。
こうして見るとロシュフォールはかなり立派で大きな街に見えます。しかし人口は1.2万人で、日本的にいえば村の規模しかありません。ここに都市型構造をしたベルギーの街と農家型構造の日本の町の差が見て取れます。
教会を眺めているうちに雨が降り始めたので、その横にあるレストランに飛び込みました。
あるテーブルのロシュフォールの6と8
ロシュフォールの名を冠したトラピストビールを醸造している修道院があるこの街のほとんどのレストランには、そのビールはもちろんおいてあります。写真は6と8ですが、私が最も好きなのは青いマークの10。味わいの深さでこれに比するのは数えるほどしかないでしょう。まあそれはともかく、この丸っこいグラス、いいでしょ。
ロシュフォールにはチーズもありますが、これはサン・レミで造られたものではありません。しかし、サン・レミのビールで洗ったウォッシュタイプがあるようです。ちなみにトラピストビールの名称を名乗れるかどうかは、国際トラピスト協会によって決められますが、チーズもしかりで、トラピスト・チーズとして Authentic TRAPPIST Product と表記できるのは、シメイ、オルヴァル、ウェストマールの三つの修道院で作られるチーズだけだそうです。
まあでも、ここはちょっとチーズを味わってみたいね。ということで、チーズ入りのキッシュを試してみました。これはなかなかいけます。
ロム川と丘の上のロシュフォールの教会
レストランでゆっくり昼食を楽しみつつ雨が上がるのを待ちます。ちょうど食事を終えた頃、雨はほとんど降り止みました。
ロシュフォールには洞窟(Grotte de Lorette)や古代ローマのヴィラ(Villa gallo-romaine de Malagne)の遺跡など、いくつか見るべきものがあります。洞窟の見学には時間を要するので、古代ローマのヴィラを覗いてみることにしました。
古代ローマのヴィラの再現模型
古代ローマの勢力範囲などについてはご承知でしょうから割愛するとして、とにかくここにも古代ローマはやってきていたのです。
そしてこの模型のようなヴィラを造ったのです。庭を中心に、本館と付属棟で構成されていたようです。
遺跡の羊さんと戯れるサイダー
遺跡なのでそれ自身に大して面白いものはなく、当時のヴィラの基礎など僅かな構造物と、再現された家畜舎兼鋳造工場などを見ることができるだけですが、
温泉(展示資料より)
展示資料の中に興味深いものがありました。これです。温泉!
古代ローマには、少し前に公開された映画テルマエ・ロマエを見るまでもなく、優れた温泉施設がありました。それをこの地でも実現していたのです。普通の温泉以外に、蒸し風呂や水風呂もあったといいます。なんとすばらしい!
どうしてキリスト教はこんなすばらしい文化を破壊してしまったのか、悔やまれてなりません。
お城
ロシュフォールの見どころのもう一つは12世紀の遺構とされるお城(Château comtal de Rochefort)です。これはN803を数百m南下した、ちょっと小高いところにあります。
しかし残念ながら日曜日のこの日は入場できませんでした。仕方がないのでここは諦めて、街を出ることにします。
森を行く
ロシュフォールを出れば、あとは本日の終着地のソイェ (Sohier)に向かうだけ。ここからまず自転車道を進み、そのあとはほとんどがカントリーロードです。
牧草地を抜け森に入り、
牧草地を行く
再び牧草地を行けば、
ラヴォー・サン・タンヌ城
ラヴォー・サン・タンヌ(Lavaux-Sainte-Anne)です。
この村には、中世の城郭の風格を色濃く残すお城(Château de Lavaux-Sainte-Anne)があります。
ラヴォー・サン・タンヌ城の横を行く
この最初の塔は13世紀に造られたといいます。その後15世紀に現在見ることのできる大部分の姿が完成し、さらに17世紀に宮殿風に改築されます。現在は主塔一つと巨大な三つの隅塔が立っています。アルデンヌは古城が多いことで有名で、ここも観光スポットの一つだそうです。
しかし大分疲れていたのと、ちょっと雲行きがあやしいので、ここは外観だけをさらりと眺めるだけにし、ソイェに急ぎます。ここからもカントリーロードです。遠くに見えるなだらかな丘を眺めつつ、のんびり牧草地の中を行くつもりでしたが、雲行きは増々怪しくなるばかり。
迫る雨雲
空を見上げれば、いや、見上げなくともアルデンヌでは否応なく空が見えてしまいます。左手には青空も見えるのに、右手には怪しい黒い雲の帯が。あそこで雨が降っている。ってのが見えるんですね、アルデンヌは。
そしてついにその雲がやってきた。雷を伴い、ザーー、というより、ジャッジャー! という降りっぷり。100m先に民家が見えるのに、そこまでたどりつけないほどの強さで、ちょうどあった森の枝道に入り、木陰で息を潜めることしかできませんでした。
森の中なので下は土。上から流れてくる雨水はどろどろで、もうすぐくるぶしまで浸かりそう。この時ほど靴がゴアテックスで良かったと思ったことはありません。
雨のち晴れ
身じろぎもできずに森の中で待つこと30分、この時間の長いことといったらありません。しかし日本の雷雨より半時ほど早く、この雨はあがりました。あがって見ればなんのことはありません。もうお日様が顔を出している。
よろよろ〜っと立ち上がり、ホテルのあるソイェへまっしぐら。
ソイェ入口の花々
とにかくホテルで一息つきたいと、脇目もふらずソイェに飛び込みました。ソイェは村おこしコンクールのようなもので表彰されたところのようで、その入口の道端にはきれいな花々が植えられ、おそらくこの村の生活を写したと思われる、お人形さんなどが置かれています。
ソイェのお人形さんたち
これはほぼ実物大の馬と人。馬が曳く荷車は実物です。
ソイェの民家その1
周囲に牧草地が広がるこの村は本当にちっちゃくて、教会の周囲にパラパラと数軒の民家が建つだけのように見えます。
そうした民家は19世紀に建てられたまま保たれており、同様に改修された農場が13あるそうです。
ソイェの民家その2
そしてどの家もみんな、きれいな花々で飾られています。
ホテルのはずの建物
この村はずれに近い所に、私たちの今宵の宿はあります。いや、あるはずでした。
やっとついたー! とへろへろと自転車から下り、ホテルの玄関に近づくと、なにかおかしい。まず鍵が掛かっている。そしてどこにも人気がなく、窓ガラスにうっすらとほこりが積もっている。これはいったいどうしたことか。ここは某ホテル予約サイトで予約してあるのだが。。
玄関を叩くも返事はなし。向かいの家の人が今まさに車で出かけるところだったので、ここどうなってるの、と合図をしてみたが、さあね? という合図が帰ってきただけ。仕方がないので建物のうしろに廻ってみると、犬がバウバウ吠えてくる。コンチクショウ、犬だけいやがる、と思ったけれど、犬がいるなら人間だっているだろう。この犬とバトルと繰り広げていると、やれやれという調子で、建物の上階から男が顔を出した。
『お〜い、このホテル、予約した者なんだけど〜』と叫べば、その男
『このホテルは7月に閉鎖しちまった。』 と宣う。
『そんなばかな、出発前にちゃんと確認したんだぜ。』 と叫ぶも、
『そんなの知るもんか、とにかくここにもうホテルはないんだ!』 と怒鳴る。
それを聞いてこっちはかなり焦っている。なにせさっきの土砂降りでもうへとへとなのだ。
『そんじゃあ、どおしろってんだ!』 と言えば、
『ウェランになら宿があるから、そこに泊まりな。』
『バカ、いってんじゃねえ。おいらは自転車でやっとこ、ここに着いたんだぜ。』
『とにかくここ宿はないんだ。ウェランまではたったの4kmさ。自転車でだってへっちゃらだぜ。』
と、まあ、こんな調子が続いたのでした。とにかくここに泊まれるところがないことは明白なので、ウェラン(Wellin)に向かうことにしました。
ソイェの教会
そんなわけで、ソイェは村をゆっくり眺めることもできずに、ただ一目散に今宵の宿を探し求めて、その通りを駆け抜けるしかありませんでした。
ウェラン
まっしぐらにウェランに向かい、19:15にその中心部に到着。19時は日本でなら暗くなる時間帯ですが、ここベルギーの日没は21時。19時はまだ夕方で、宿があるとわかっていれば、特に焦る時間帯でもないのですが。
運良く、すぐにホテルは見つかりました。ほっ!
ヒューガルデン・ホワイト
荷を解くと疲れがドッと襲ってきます。シャワーを浴びるともう21時。へたをするとレストランのラストオーダーを過ぎてしまうので、急いで身支度を整え、ホテルの下へ。このホテルはイタリア・レストランもやっていたので、ちょうどよかった。とても外へ行く元気がなかったから。
イタリアンといえども、ここはベルギー。まずはビールです。ここまで具体的には紹介していませんでしたが、ここでは日本でも有名な白ビール、ヒューガルデン・ホワイト(Hoegaarden White)を。
ブリュッセルから程近いヒューガルデン村では14世紀ごろから白ビールが作られていたといいます。20世紀に入ると、多くの上面発酵ビールはラガータイプのビールの勢いに押され、次々に姿を消していくことになります。ヒューガルデン村付近のブリュワリーも次々に姿を消し、ついに20世紀半ばにそれらすべてが消え去ってしまいます。これをひどく残念がっていたある牛乳屋さんが、その10年後、潰れた工場を買い取り、白ビール作りを再開します。このビールこそ、ヒューガルデン村の名を冠したヒューガルデン・ホワイトです。
このビールを評するときには必ず、小麦とコリアンダーそしてオレンジピールが出て来るように、そうしたもののバランスがよく取れたビールで、爽やかで、軽すぎない、絶妙さがあります。このビールは日本でも瓶なら一般的に入手しやすい上、生を飲めるところが多いのも魅力です。もちろん生のほうがぐんとおいしい。
タコのカルパッチョ
ここにはなんとタコのカルパッチョがあります。ここに来てタコが食べられるとは、さすがイタリアン!