2016年夏の海外ツアーはスコットランド。この旅は最初からかなりドタバタ騒ぎとなった。
航空機材トラブルのため一日遅れでスコットランドの首都のエディンバラに到着したものの、予約していた宿に宿泊できないというトラブルがあり、とにかく近くの旧市街のホリールード宮殿(The Palace of Holyroodhouse)近くに慌ただしく宿を確保した。
朝、その宿の窓から外を眺めると、「アーサー王の王座」を意味する小高い丘アーサーズ・シート(Arthur's Seat)が横たわり、その手前に地球の歴史博物館ともいうべきダイナミック・アース(Dynamic Earth)の昆虫を思わせる白いテント屋根が見える。
到着が一日遅れたのと、昨夜のドタバタで少し休養したかったので、今日は当初予定のフォース橋(Forth Bridge)まで走るのを止め、エディンバラ旧市街を散策することにした。
朝方パラパラと降っていた雨は朝食を済ませているうちにあがったようだ。しかし気温はかなり低く、12-3度といったところだろうか。フリースの上にレインジャケットを着込んで出発する。
私たちの宿は、旧市街のエディンバラ城とホリールード宮殿を繋ぐ大通りロイヤルマイル(The Royal Mile)の一本南のホリールード
ロードにある。ロイヤルマイルとこうした道はいくつもの狭いクローゼス(closes)と呼ばれる小径で繋がれており、そのうちの一つを使ってロイヤルマイルに抜けてみる。道の周りには古い建物が建ち並び、ロイヤルマイルにはそのうちの一つの建物の足元に造られたトンネルをくぐり抜けて出る。こうしたクローゼスはどこも味わい深く、楽しい。
ロイヤルマイルはお城側から、キャッスルヒル、ローンマーケット、ハイ・ストリート、カノンゲイトの四つに分けられる。
トンネルをくぐり抜けて出たのは、一番ホリールード宮殿側のカノンゲイト。道沿いに建ち並ぶ建物から一歩退いてカノンゲイト教会(Canongate Kirk)が建ち、その少し先にアイストップになる時計を張り出した塔を持つ建物が見える。ロイヤルマイル周辺の建物はみな古い石造で、3階建から高くともせいぜい5階建といったところだ。
カノンゲイトをお城の方へ進んで行くと、右手に分岐するちょっとした道が現れる。
こうした交差点には大抵、コーナーの顔を持つ建物が建っている。ここはRの平面の上に丸いとんがり帽子の屋根。
次の交差点は十字路で、ここから先がハイ・ストリートになる。
ここまで道はアスファルトだったが、ここから先は石畳みだ。
この十字路から南へ延びるセント・メアリーズ・ストリートにも石畳が続き、三角屋根が並んでいるのが見える。
そうそう、ここに写っている黒い車はタクシーで、エディンバラではこのクラッシックなタイプが大勢を占めている。このタイプのタクシーはうしろのトランクルームを廃し、その分客席を広くとって後部に対面で4人が乗車できるようになっている。この前方の座席は折り畳め、そこにトランクなどの大型荷物も積載できる。外観と異なりこれはなかなか機能的だ。
スコットランドで有名なものといえばバグパイプ、ウィスキー、タータンといったところだろうか。
セント・メアリーズ・ストリートにはバグパイプ店がある。バグパイプ(bagpipe)は文字通りバッグとパイプからなる楽器で、スコットランドではグレート・ハイランド・バグパイプ(Great Highland Bagpipes)と呼ばれるものが一般的だ。管は、息を袋に吹き込むためのブローパイプ(Blowpipe)が一本、旋律を奏でるチャンター(chanter)と呼ばれるものが一本、ドローン(drone)と呼ばれる通奏管が三本の計五本からなる。ドローン管はテナーが二本、その一オクダーブ低いバスが一本だ。吹き込んだ息が溜められるのがバッグ(写真では青い布に見えるもの)で、これは伝統的には牛や羊の革が用いられていたが、最近は合成皮革やゴアテックスなども使われているそうだ。
バッグに溜められた空気を腕で押し出すようにし、各パイプに送り出す。パイプにはオーボエやファゴットと同じようなダブルリードが取り付けられており、これが振動して音を鳴らす。構造上、音に強弱を付けたり音を止めたりできないのが特徴で、一度鳴り出したら止まらず、その音はけたたましく強烈極まりない。スコットランドの軍隊がこの楽器を使ったというのも頷ける音なのだ。
ハイ・ストリートに入ると道の両側に土産物屋やカフェ、パブなどが連なるようになる。
スコットランドの有名品のもう一つのタータンは日本ではタータン・チェックと呼ばれるが、こちらでは単にタータンという。タータンはスコットランドの中でも特にハイランドと呼ばれる地方と結びつきが強く、民族衣装であるキルト(kilt、指し縫いのquiltではない)に使われる柄だった。この柄はクラン(Clan)と呼ばれる氏族ごとに異なり、これは日本の家紋に似ているともいえる。
日本で菊の御紋や三つ葉葵の紋を安易に使うとどうなるか。これと同じことがタータンにもいえるが、現在はファッションとしてのタータンが数多く作られているのが現実だ。タータンにはスコットランド・タータン登記所なるものがあり、少なくともここに登録されているものは安易に使わない方が良さそうだ。
ハイ・ストリートを西へ進んで行くと、ノースブリッジとサウスブリッジが交わる交差点に辿り着く。
その角には先ほどから見えていたロイヤルマイルのランドマークの一つである高い尖塔を持つトロン教会(Tron Kirk )が建っている。
そしてそのさらに先に、セント・ジャイルズ大聖堂(St. Giles’ Cathedral)の冠塔が現れる。この塔はトロン教会の塔ほど高くないのであまり目立たないが、外観的にはちょっとしたインパクトがある。
この大聖堂のアプス側には国富論で有名なスコットランド出身の経済学者アダム・スミスの像が立ち、正面入口側にはクイーンズベリー公爵七世という人の像が立っている。
現在残るセント・ジャイルズ大聖堂の最古部分は中央部分の四本の柱で、これは12世紀のものとされるが、14世紀に火災で損傷したため、大部分はこれ以降に再建、拡張、改築され、全体としては15世紀ごろのゴシック様式のようだ。
この教会はスコットランドの歴史とともに数機な運命を辿り、一時、最高裁判所や刑務所にもなっていたらしい。スコットランドの宗教改革の指導者であり長老派教会の創立者であるジョン・ノックス(John Knox)はこの教会の庭に埋葬されたという。
セント・ジャイルズ大聖堂を過ぎるとお城まではもうすぐだ。次の交差点からはハイ・ストリートに替わりローンマーケットになる。
時は10時も過ぎ、通りには観光客もかなり出てきた。8月のエディンバラといえばエディンバラ国際フェスティバルだ。今年は5日から29日までがその開催期間で、今日はその開催初日となっている。このフェルティバルには世界中から人々が集まり、舞踏、オペラ、音楽そして演劇と幅広い催しが行われる。
そしてストリート・パフォーマンスも盛んだ。道の真ん中にヨーダが立っている。時々見かけるじっとしていて動かないパフォーマンスかと思って通り過ぎようとしたが、このヨーダには足がない。宙に浮いているのだ! お〜、やるねぇ〜
そんなパフォーマンスをいくつか眺めているうちに、通りはキャッスルヒルに入る。
キャッスルヒルの入口にはかつては教会だったろう高い尖塔を持つ建物が建ち、この日それはフェスティバルの何かの会場になっているらしく、たくさんの人々が中に吸い込まれて行く。
道はここから狭くなり、かつ、かなりの上り坂になってお城へ向かう。
エディンバラ城はキャッスル・ロックという岩山の上に建っており、ここがロイヤルマイルの突き当たりで、かつ旧市街の西端でもある。
この北、西、南は崖で、城へのアプローチはロイヤルマイルの狭い通りしかない。しかもそのロイヤルマイルは馬の背となっていて、どこからも上りとなる。この城は天然の要害に守られているといえるだろう。
そのエディンバラ城の入口のエスプラナード広場には、フェスティバルの一環であるミリタリー・タトゥー(The Royal Edinburgh Military Tattoo)のための仮設スタジアムが造られている。ミリタリー・タトゥーはスコットランドの軍楽隊を中心に、様々な国から招聘された団体により壮麗な演奏や舞踏が繰り広げられるもので、これを目当てに世界各国から観光客が集まる。私たちは今回の旅の最終日に観に行く。
このエスプラナード広場の奥、中央に英国国旗、その横にスコットランド国旗が掲げられているところがエディンバラ城の入口だ。
先ほどまであがっていた雨がここでパラついてきた。スコットランドの天候は目まぐるしく変わるというのでレインジャケットを着てきたが、これは正解だった。
入口を入って細い道を進んで行くとアーガイル・タワーだ。入口付近が狭いのは、この城が軍事用に造られたからだろう。案内図にはこのアーガイル・タワーに城門とあるので、ここからが正式なお城ということだろうか。
アーガイル・タワーの先は徐々に開け、アーガイル砲台に辿り着く。
この周辺からはエディンバラの北部が一望にできる。
手前にプリンシズ・ストリート・ガーデン、その向こう、プリンシズ・ストリートを挟んだブロックが18世紀後半から建設された新市街だ。
さらにその先にうっすら見えるのがフォース川で、このずっと左手には恐竜のような姿のフォース鉄道橋も見える。
視線を右手の東方向に移動すれば、教会の塔のような黒ずんだスコット記念塔(The Scott Monument)、そのさらに右にエディンバラの三つの丘の一つのカールトン・ヒル(Calton Hill)が見える。白く平べったい建物がウェーヴァリー( Waverley)駅。
エディンバラの三つの丘のうち残る二つは、今いるエディンバラ城、そして今朝方宿から見えたアーザーズ・シートで、そのアーサーズ・シートもカールトン・ヒルのさらに右側に僅かながら見ることができる。
エディンバラ城は何十という建物が複雑に絡み合って出来ている。これは歴史のなせる技であり、何世紀にも渡って様々な増築がなされた結果だ。
そのうちもっとも古い建物は、城のほぼ中央部にある12世紀初期のセント・マーガレット礼拝堂。岩山の地形をそのまま利用したこの城は、城内にも高低差があり、セント・マーガレット礼拝堂へは急坂を上って行く。
その坂道がヘアピンカーブを描き、さらに上ったところに小さな小さなセント・マーガレット礼拝堂が建っている。
12世紀の建物とは思えないほど、外観はしっかりしているが、これは後世にかなり手を入れられたのだろう。
時代的にはロマネスクに位置づけられるこの建物の、5つの丸窓と入り口扉上の丸いアーチは、ノルマン様式そのものだそうだ。
内部もかなりきれいで、こちらもかなり手が入れられていると思われる。
セント・マーガレット礼拝堂からさらに上ると、クラウン・スクエアとも呼ばれる中庭にロイヤル・パレスなどが建つゾーンに至る。パレスとあるように、ここは宮殿として使われた時代がある。この城は軍事的な施設ではあるものの、長い歴史の中で様々な利用がなされてきた。
この中にはスコットランド王家の宝器を展示するクラウンルームがあり、そこに「三種の宝器」と呼ばれる、王冠、剣、王笏(装飾的な杖)や「運命の石」とも呼ばれる「スクーンの石」がある。17世紀にエディンバラ城が陥落した際、「三種の宝器」はそれを守るべく土中に埋められ、それから100年以上を経た後に発見され、今日に至るという。「スクーンの石」は、スコットランド王が代々この石の上で戴冠式を挙げたとされるもので、13世紀末にイングランドに戦利品として持ち去られ、永らくウェストミンスター寺院に置かれていたが、1996年にスコットランドに返還されたものだ。
グレート・ホールは16世紀に建てられ、スコットランド議会の議場として使われたが、その後軍事用の火薬庫に転用された。19世紀末に軍が撤去したのち大規模な改築工事が行われ、かつての豪華な大広間が蘇っている。
木製の天井は16世紀の建設当初からのもので、 アーチ型の梁で屋根を支えるハンマービームが採用されている。
ざっと城巡りをしたのちは、旧市街の散策を続ける。
ロイヤルマイルに戻ると、フェスティバルのパフォーマンスなのか、単なる観光客向けのイベントなのかはわからないけれど、街角で巨大なシャボン玉を飛ばしているお姉さんがいた。たくさんの子供たちが近くで、この膨らんだシャボン玉をパチンとやろうと待ち構えている。
ガイドブックによれば、城からロイヤルマイルに出たすぐのところには、17世紀のキャノンボール・ハウス(Cannonball House)というのがあることになっている。言わずもがなキャノンは大砲のことでキャノンボールはその砲弾だ。その建物には大砲の鉄の弾が埋め込まれているという。しかしそれらしい建物はない。近くにいた警察官に訪ねてみると、近年その建物は取り壊され建て替えられてしまったそうだ。
ロイヤルマイルからすぐに北に下る小径に入れば、ちょっと奥まったところにラムゼイガーデン(Ramsay Garden)が建つ。これは19世紀後期に建てられた16のアパートメント群で、当時手狭となってきた旧市街を再生するためのプロジェクトの一つだったらしい。このアパートメント群はプリンシズ・ストリート側から見ると、いくつもの建物が寄り添うようにして建っているのが良くわかる。
カーブした道をさらに下って行くと、お城からも見えたスコット記念塔が近付く。この記念塔のスコットはスコットランドではなく、著名な作家であるウォルター・スコット(Walter Scott)を指す。
この塔の高さは実に60mもあり、個人の記念碑としてこれだけのものが造られるのだから、このスコット氏はよっぽど人気があったのだろう。
さらに進んで行くとエディンバラ大学のカレッジがある。なんとこれがニュー・カレッジ。
ヨーロッパの古い街の「ニュー」には気をつけなければいけない。あるところで観に行った『新教会』は15世紀のものだったことがある。
ここのニューはそこまで古くはないが、それでも充分歴史を感じさせるものだ。
この時はここでもフェスティバルのいくつかの催しが行われていた。この中庭にはジョン・ノックス像が立っている。
ロイヤルマイルから北へ下って来てしまったので、いったんロイヤルマイルまで上る。
前に書いたようにロイヤルマイルは馬の背で、そこまでは急な階段のクローゼスが続いている。
今度はロイヤルマイルの南側を覗いてみることにする。やはりこちらもロイヤルマイルから細いクローゼスを抜ける。
するといきなり視界が開き、建物の三階だか四階部分だかに出た。下は穏やかなカーブを描いているヴィクトリア・ストリート。ロイヤルマイルとヴィクトリア・ストリートは今見えているだけの落差があるということだ。
ここによくテラスを作ったものだ。このテラスのおかげで、ヴィクトリア・ストリート側は空間が深みを増し、ロイヤルマイルともより深い関係が築かれている。
そしてなにより、ここからは眺めがいい。
ちょうど昼時なので、このテラスで昼食とする。
スコットランドの飲物といえば日本ではスコッチ・ウィスキーが有名だ。だがここはビールの国でもある。それも日本でよく飲まれるラガーより、圧倒的にエールが多い。今回の旅はこのビールを飲む旅でもある。
先ほどまでは曇っていたが、ここで青空が顔を出した。その日差しは意外にも強く、レインウェアを脱ぎ、さらにその下の長袖をも脱いで丁度いい案配だ。これが、『スコットランドには一日のうちに四季がある』とされる所以だろうか。
ヴィクトリア・ストリートが急なカーブを描いて南に向かうと、その突き当たりがグラスマーケットだ。
この交差点付近にはカベナンター記念碑(Covenanters Monument)がある。カベナンターと呼ばれる人々は17世紀にここで宗教的信念のために絞首刑にされた。またここは公開処刑場として19世紀半ばまで使われたらしい。
こうした眺めを楽しみつつ昼食を終え、下のヴィクトリア・ストリートに下る。
そこから先ほどまで食事をしていたテラスを見上げてみる。上からの眺めもいいが、ここは下からも独特の雰囲気が感じられる場所となっている。
90度のカーブを曲がってエディンバラでもっとも古い地区の一つであるグラスマーケットに出る。グラスマーケットは市場や商店街の名ではなく、この一帯の地名だ。
より正確には、15世紀から馬や牛の取引が行われる市が開かれ、18世紀にはホース・マーケットとグラス・マーケットがあったが、こうしたマーケットは20世紀初頭に閉鎖された。現在にグラスマーケットの名だけが伝わったところというべきか。
大規模な市が立てば、当然、居酒屋や宿屋ができる。ということでここは今日、パブ&レストラン街となっている。
パプ『THE LAST DROP』の前にはタータンのキルトを着る人々が集まっている。スカートのように見えるキルトだが、これはかつてハイランドの男性用の衣装で、その下に下着は付けなかったらしい。元々はスカートより上部もある長い一枚布でできており、その上部は肩や背にピンで留めていたという。
キルト着用時には、スポーラン(Sporran)と呼ばれるポシェットをぶら下げ、キルトホースというハイソックスにフラッシーズというリボン付きのピンを付ける。そしてホースの利き手側にはスキャンドゥという短剣が差し込まれる。
グラスマーケットを西へ進んで行くと、現在は一階が緑色に塗られた、最も古いパブの一つである『White Hart Inn』がある。
ここは、ほとんどスコットランドの第二国歌ともいうべきスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne)の作詞者でもある、詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns)が通ったところだそうだ。「オールド・ラング・サイン」は「螢の光」の原曲といえばご存知の方も多いだろう。
通りではフェスティバルに参加している大道芸人があちこちで思い思いの芸を披露している。
この御仁はアコーディオンに似たコンサーティーナ(concertina)を演奏。
こちらはまさに大道芸といったパフォーマンスだが、ちょっと何をやっているのかよく分からなかった。
このほか、高自転車曲技や手品といったパフォーマンスが繰り広げられている。
こうした大道芸を眺めながらぶらついていると、あっという間にグラスマーケットの西端に辿り着く。
グラスマーケットは全長わずか200mほどの短い通りなのだ。
グラスマーケット西端はエディンバラ城の東南端でもある。
エディンバラ城はこんなふうにぐるりと三方が崖となっている。
さて、グラスマーケットをぶらついた後は、やってきた道を引き返しカウゲートへ入る。
カウゲートは現在は通りの名だが、かつてはマーケットに至る牛が通る門がこのあたりにあったのかもしれないな、などと思ったりもしたが、実はゲートはスコットランド語では道や道路を意味する単語だということなので、門とは関係ないようだ。
カウゲートもそれなりに歴史がある街で、その中に17世紀初頭のテーラーのギルド会館が建っている。
この建物は当時から残る数少ない商業建築とされる。現在はホテルやパブとして使用されており、この時はフェスティバルに訪れた人々で大賑わい。一階のパブにはかなり古そうな鉄の内装柱などが残るが、人が多すぎてゆっくり観察できず、早々にここを立ち去るはめに。
カウゲートからはオールド・フィッシュマーケット・クローズ(Old Fishmarket Close)を使ってロイヤルマイルへ上る。
名前からしてここにはかつて魚屋が軒を並べていたに違いないが、残念ながら現在魚屋は一軒も見当たらない。ただ急な斜面の石畳の上りが続き、壁にはガス灯だった時代のものらしい街灯が残っているだけだ。
ともかくロイヤルマイルのハイ・ストリートに戻った。今朝方ここを通ったときはまだ人はまばらだったけれど、午後二時というこの時間帯にはものすごいことになっている。
道の真ん中はある一定の距離を置いてパフォーマーがテンションを高めており、それを取り巻く無数の観客がざわめいている。イベント好きにはいいかもしれないが、この人出はちょっと疲れる。
ハイ・ストリートからは再び北に下ってみる。
ここにある小径はアンカー・クローズ(Anchor Close)で、これは数多くある路地の中でもかなり良く昔の雰囲気を残している。そう、ちょっと昔の映画を撮るのに良さそうな雰囲気だ。
アンカー・クローズの先はコックバーン・ストリート(Cockburn St)だ。
ここはちょっとした商店街となっており、あまりに観光的なロイヤルマイルよりはもう少しゆっくりウィンドウショッピングを楽しめそうだ。
日本の屋根には入母屋だの寄せ棟だの切り妻だのがあるが、ごく少ないバリエーションしかなく、せいぜい鯱が載っているのが珍しいくらいだ。しかしヨーロッパの建築の屋根はたいていどこでも面白い。
同じ地域、同じ時代のものでも、ちょっとした様式の違いや、円錐の塔、ドーマー、それに煙突の突起などがあって、これは見飽きない。
ここまで、ロイヤルマイルのお城側の半分とそのごく周辺の見どころを巡ったが、そろそろ宿へ向かわなければならない。
ロイヤルマイルをずっと下ってその終端近くに達すると、歴史的な建造物が並ぶ中に現代的なスコットランド議会議事堂(Scottish Parliament Building)が建っている。
こうした施設は霞ヶ関の国会議事堂やロンドンのウェストミンスター宮殿を見てもわかるとおり、大抵、様式ばったものが多いけれど、ここのはモダンで軽やかだ。
内部も見学できるようになっており、それは木を使った内装に明るい光が差し込み、気持ちのいい空間だ。
この向かいには英国王室コレクションを展示するクイーンズギャラリー(The Queen's Gallery)があり、ロイヤルマイルはここで終わりとなる。
その奥にホリールード宮殿(Palace of Holyroodhouse)が建っている。この宮殿はエリザベス2世が夏の住居として使用し、滞在中はそれを示す旗が掲げられるという。
さて、残念だがここで完全に時間切れ。今日はこれからグラスゴーへ移動しなければならないのだ。
宿で荷物をまとめ、自転車でウェーヴァリー駅へ向かう。エディンバラの旧市街はあちこちに石畳が残っており、小径車で走るにはちと辛い。
ウェーヴァリー駅のすぐ近くにエディンバラの三つの丘の一つであるカールトン・ヒルがあるのでついでに寄って行くことにする。
カルトン・ロード(calton Rd)からちょっと近道をしようと入った道は遊歩道で、とてもきつい上りだった。
この道を上り切ると、スコットランドを代表する詩人ロバート・バーンズ(Robert Burns )を記念して建てられたバーンズ記念碑(Burns Monument)の前に出る。
ここからはアーサーズ・シートが良く見える。
バーンズ記念碑からA1ロードに出て少し行くと、カールトン・ヒルの入口だ。
カールトン・ヒルは車では行けないが、自転車はOK。
その頂部には、ナポレオン戦争の戦没者を記念したパルティノン神殿風のナショナル・モニュメントと円形の塔ネルソン・モニュメントが建っている。ネルソンは、トラファルガー海戦で英国海軍を率いた提督の名だそうだ。
ここからの眺望は素晴らしく、特にお城方向への写真はエディンバラを代表するショットとしてよく使われている。(TOP写真)
さて、いよいよエディンバラを後にし列車でグラスゴーへ向かう。
さすがに8月のエディンバラだけあり、駅周辺はかなりの混雑で、構内にも結構人がいる。
エディンバラは首都でグラスゴーはスコットランド一の大都市だから、この二つを結ぶ列車はさぞ立派なものだろうと思っていたら、やってきたのはあまり立派には見えないたったの四両しかない車輛で、ちょっとびっくり。本数も想像以上に少ない。
しかしスコットランドの列車は自転車そのまま持ち込みOKで、自転車専用ラックが設置されている車輛がある。しかも無料だ。車内の様子は後日報告しよう。
スコットランドはハイランドとローランドに分けられる。その名の通り、ハイランドは高地でローランドは低地だ。今回の旅は主にハイランドを中心に巡るが、エディンバラやグラスゴーはローランドに属する。
ということで、エディンバラからグラスゴーまでの車窓からは山はまったくと言って良いほど見えず、平地ばかりが続く。この平地はほとんどが牧草地だ。
スコットランドでは英語の他にスコットランド・ゲール語が使われている。
写真は駅名標示板で、上が英語、下がスコットランド・ゲール語だ。中には同じ読みの駅名もあるようだが、こうして見ると両者には何の関係もないように見える。
エディンバラからグラスゴーまでは列車で50分から1時間20分かかる。私たちが乗ったのは遅い列車で後者だった。とにかくグラスゴーに辿り着いた。
一日遅れで始まった今回の旅はこの夜から当初予定の通りとなる。明日はここグラスゴーの散策だ。