今日はスコットランド最大の都市グラスゴーを散策する。
グラスゴーは、古くはタバコや砂糖を中心とした貿易で栄え、石炭と鉄鉱石による工業化ののちは造船を主とした製造業で発展した。かのクイーン・エリザベス2もここで造られている。しかし20世紀半ばには造船業は衰退し、一時は貧困と犯罪の街ともいわれた。現在は金融業などで経済は立ち直り、芸術・文化都市として再起した。
朝起きると空が青い。スコットランドは天気が悪いと聞くが、昨日今日とまずまずだ。宿の窓からはその青空の下にちょっと古そうな教会が見えている。ゴシック・リバイバルによる19世紀初頭のレムズホーン教会(Ramshorn Kirk)だ。
グラスゴーはちょっとした建築都市でもある。数ある建築の中でも、アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者でありスコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者でもあった、チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh)の作品がこの都市のウリだ。今日はこのマッキントッシュの作品を中心に見どころを巡る。
レムズホーン教会がある通りはイングラム・ストリート(Ingram St)で、これは、東はハイ・ストリート(High St)から西はロイヤル・エクスチェンジ・スクエア(Royal Exchange Square )を繋ぐ600mほどの道だ。
レムズホーン教会のすぐ西には、同じリバイバルでもギリシャ・リバイバルの裁判所(County Buildings & Courthouses)が建つ。これは正面はパルテノン神殿みたいなやつであんまり面白みがないが、その手前の建物はリズミカルな窓と屋根が面白い。
裁判所の先で横町を覗くと、市庁舎の四隅に建つ塔のうちの後ろ側の二本が見えている。この横町は遊歩道になっているジョン・ストリート(John St)で、なかなか雰囲気がいい。
市庁舎の正面にはジョージ・スクエア(Georg Square)があるが、それは今日の最後に巡ることにする。
次はローマ風バロック様式のドーム屋根が載る貯蓄銀行(Glasgow Savings Bank)だ。
イングラム・ストリート側の銀行会館が平屋建てなのが珍しい。
イングラム・ストリートはギャラリー・オブ・モダン・アート(Gallery of Modern Art)に突き当たっておしまいになる。
その手前で細道に入り、南にあるアーガイル・ストリート(Argyle St)に抜けてみる。
そこにはこれまで見てきたものとはずいぶん雰囲気が異なるバックスヘッド・ビル(Buck's Head Building)が建っている。
建物名のとおり、この建物のコーナーの頂部には鹿の像が置かれているが、特徴的なのはその像ではなく、湾曲したコーナーと鉄の細い柱によって構成される軽やかなファサードだ。
かつて鉄の産業が華やかだったグラスゴーらしく、ここでは特許の鋳鉄梁が使われているという。
ヴィクトリア朝の建物がいくつも並んでいるミラー・ストリート(Miller)に入る。その中に『タバコ商人の家』(Tobacco Merchant's House)がある。18-19世紀のグラスゴーはタバコや綿の貿易で栄えていたという。この建物はそのころの豪商のものだそうだ。
ミラー・ストリートとイングラム・ストリートの交差点あたりには、かつてマッキントッシュのティールーム(Ingram Street Tearooms)があったが、これはすでになくなっている。
イングラム・ストリートに戻ると、西の突き当たりに新古典主義のギャラリー・オブ・モダン・アートの正面が現れる。この建物は、18世紀後期にタバコ豪商のタウンハウスとして建てられたものだというから驚く。世の中には石炭王だの鉄鋼王だのがいるが、ここにはタバコ王がいたらしい。
その後この建物はロイヤルバンク・オブ・スコットランドや王立証券取引所として使われ、20世紀末に現在の用途になったという。正面前に大きな騎馬像があるが、その騎士の頭には、よく道路で見かける赤と白の三角コーンが載っている。これは若者のいたずらだったが、現在はグラスゴー人のユーモアの現れとしてそのまま残すことにされているとか。
この周辺はロイヤル・エクスチェンジ・スクエア(Royal Exchange Square)と呼ばれており、周囲を立派な建物が取り囲んでいる。
ギャラリー・オブ・モダン・アートの西には、こんなクラシカルなロイヤルバンク・ビルが建つ。
ロイヤル・エクスチェンジ・スクエアからはブキャナン・ストリート(Buchanan St)に出る。
この通りはグラスゴー一の繁華街で、東京でいえば銀座通りといったところだ。
ブキャナン・ストリートから入る狭いミッチェル・レーン(Mitchell Ln)の上に、The Lighthouse の看板が架かっている。The Lighthouse はかつてはグラスゴー・へラルド・ビル(Glasgow Herald Building)で、これはアシスタントとして修業していた時代の若きマッキントッシュが、最初に手がけた作品と言って良いものだ。
この建物の入口があるミッチェル・レーンは極めて狭く、その立面はまったくといっていいほど見えない。時間が早かったため内部にも入れないので、東側のミッチェル・ストリートに抜けると、ようやく赤い砂岩で覆われた建物が姿を現す。ここには独自の世界を築いた後期のマッキントッシュの色はほとんど見られないが、コーナーの塔やパラペットのペディメント的な扱いに僅かながらそれを感じることができるだろうか。
これはブキャナン・ストリートにある Wylie & Lochead's で、外壁はライトハウスと同じような赤砂岩だ。
ライトハウスより10年ほど前に建てられたが、ガラス面が広く、より現代的に見える。
マッキントッシュの住宅の代表作であるヒルハウスの施主でもあるミス・クラントンは、いくつかのティールームの内装設計をマッキントッシュに依頼している。
それらのオリジナルはすべて失われたが、マッキントッシュの意匠を参考に、場所を変えて再構築されたティールームがブキャナン・ストリートにある。
これはかつてイングラム・ストリートにあったティールームのうちのホワイト・ダイニングルームとチャイニーズ・ルームが元になっているという。
この時はホワイト・ダイニングルームの意匠を持ってきた二階部分のみが営業していた。オリジナルのイングラム・ストリート・ティールームは写真で見る限りだが、ここはそれより天井が低く、面積も狭い。テーブルもかなり蜜に配置されており、あまりリラックスしてお茶を飲める環境にない。ただマッキントッシュがデザインした家具や照明器具を使っただけの空間に終わっている。
三階部分はかつてのチャイニーズ・ルームの意匠を持ってきている。過去の写真はすべてモノクロで詳細はわからないが、チャイニーズ・ルームを構成する格子は明るい青だったという。
この青なのか。これには正直驚いた。マッキントッシュの椅子の中には驚くほど強烈な色が使われているものもあるが、それを考えるとこの青には頷けるものがある。
この近くには鉄とガラスでできた初期のアーケードの一つであるアーガイル・アーケード(Argyle Arcade)があるので寄ってみたかったが、ここでマッキントッシュ最大の作品であるグラスゴー美術学校(Glasgow School of Art)へ向かわねばならない時刻になった。
ブキャナン・ストリートを北へ進むと道は90°方向を変え、ソーキホール・ストリート(Sauchiehall St)になる。この道もブキャナン・ストリート同様、繁華街だ。
ソーキホール・ストリートにはかつてウィロー・ティールームだった建物が残っている。その一階にはシャッターが下ろされ、二階の窓は完全に塞がれているが、かつての看板がそのまま残されている。
ここは二年前に閉鎖されたようだが、その後の用途が見つからないらしい。
ソーキホール・ストリートの一本北側には、マッキントッシュの代表作であるグラスゴー美術学校がある。
急坂に面するその東立面と北側立面の東側半分は完成当時の姿のままだ。
この建物の工事は予算の関係で二期に分けらたが、ちょうどその二期工事に当たる北面の西半分は、工事用足場で覆われている。
去年電気系統から出火し、かなりの損傷を受けたため、現在その修復作業が行われているのだ。
美術学校という性格のため、この建物の主開口は北面に取られており、この特に上階の開口部が大きい。
建物全体はソリッドなマッスが支配するが、その中に細やかな鉄の装飾があちこちに見られる。上階の窓を補強し、窓ふきのための足場を渡すためのものと説明される、草をぐるぐる巻いたようなものや、その手前のフェンスの支柱から上に伸びた剣のようなものの先に付く日本の家紋なようなものが見られる。
マッキントッシュがこの美術学校を手がけた当時、彼の手元には日本の絵画や資料が数多くあったという。
この建物を印象付けるものの一つに、エントランス廻りの造形がある。
一階の玄関、その上の二階の校長室の開口部廻り、そしてそのさらに上の三階の校長室のスタジオの壁面後退による階段室の強調。
二期の北側立面はほぼ一期と同じものが連続するが、これが西側立面となると、かなり雰囲気が異なる。この面は二期の北面同様、足場が架かっていて見えないが、模型がある。
当初の設計ではこの面はまったく異なるデザインだったが、10年後に設計変更がなされ、完成したものだ。
この西面のデザインが大きく絡む部分の内部は図書室になっている。残念なことに現在は内部の見学ができないので、模型をゆっくり眺めてみることにした。
三層に及ぶ縦長の窓は、図書室の上のギャラリーとさらにその上の倉庫では、室内側に反転した出っ張りの窓が付けられているという。
最上階の倉庫では、今回の火災後に解体された時にちょっとした発見があったようだ。下階には木造の柱が建つが、その柱の頂部は屋根の梁まで行かず、梁から鉄のプレートで吊られているのが分かったという。
マッキントッシュの建物のすぐ北に、スティーブン・ホールによる新館が建っている。
外壁は完全フラットなガラス覆われており現代的そのもの。ともすると倉庫に見えかねないが、これはマッキントッシュの旧館の存在感と喧嘩しないようにと解釈しておこう。
内部も比較的おとなしいく、主動線の階段廻りに工夫が見られる程度だ。
先に紹介した旧館の模型は、この新館の一階エントランス付近に展示されている。
そして上階の一角がマッキントッシュの家具の展示室となっている。
マッキントッシュは、まず、インテリアデザインや家具のデザインで知られるようになった。
ここにはそうしたもののいくつかが展示されている。
椅子には有名なラダーバックチェアのように、現代のデザインといわれてもおかしくないものもあるけれど、マッキントッシュはやはりアーツ・アンド・クラフツやアール・ヌーヴォーの時代の人で、それらしい装飾を至る所で見ることができる。
マッキントッシュの装飾に大きな影響を与えていたのが、マッキントッシュ夫人でもあるマーガレット・マクドナルドだ。
ここグラスゴー美術学校の学生だったマーガレットとその妹は校長の紹介で、夜間の部に通っていたマッキントッシュと知り合う。もう一人のデザイナーを加え彼ら四人は、仕事で協力関係を築き、のちにザ・フォーと呼ばれるようになる。マッキントッシュはマーガレットの才能を高く評価し、彼女には天賦の才があるというようなことを言っている。
マッキントッシュの仕事の中にはマーガレットの手によるものも数多くある。
チャイニーズ・ルームところで、マッキントッシュの椅子の中には驚くほど強烈な色が使われているものもあると書いたが、これもそうしたものの一つだ。
彼は建築家なので、単にこの椅子だけデザインしたということではないだろう。この椅子がどんな空間に置かれたのか、かなり興味がある。
マッキントッシュの展示室からは旧館の上部階の様子が伺える。
セットバックした三階のスタジオの開口部は、延々と続くガラス張りだ。この面には構造がまったくないのだ。
さて、マッキントッシュ最大の見どころグラスゴー美術学校を見学したあとは、もう適当で良い。
これはセント・ジョージズ・ロード(St George's Rd)に建つ St George's Mansions だ。この建物が建設されるより前にグラスゴー美術学校の一期工事が完了していることを考えると、それがどんなものだったかが少しは理解できるだろう。
King's Theatreも同じ頃の建物だ。
この劇場は現在もその機能を保っているようで、入口付近には大勢の人だかりができている。
King's Theatreの斜め向かいにちょっとクラシックなバーがあるので入ってみた。
この建物も20世紀初頭のもので、アールヌーボー様式の木の窓とエッチングされたガラスは当時のものだという。
内装は当時のものではなく、ごくありきたりだが、気軽に立ち寄れる雰囲気がいい。
今日の昼はここで魚介のチャウダーとスモークサーモンのサラダをいただく。基本的に寒い国なのでスープ類はどれもおいしく、英国といえば食事はまずいとの噂だが、スモークサーモンはその例外とされるほどで、これは日本のそれの比ではない。
グラスゴーの西には広大なケルヴィングローブ公園が広がっている。
ケルヴィングローブ美術館・博物館 (Kelvingrove Art Gallery and Museum)やグラスゴー大学がある一帯だ。
午後はそのグラスゴー大学の一角にあるマッキントッシュ・ハウス(Mackintosh House)に行ってみることにした。
この公園の中にはケルヴィン川が流れている。公園からグラスゴー大学への上り口が分からずちょっとうろうろしたが、なんとか辿り着いた。
英国で四番目に古いグラスゴー大学は15世紀半ばに設立され、ジェームズ・ワット、アダム・スミスなど幾多の歴史上の重要人物を輩出している名門校だ。ニッカウィスキーを設立した竹鶴政孝氏もここで学んでいる。
そのキャンパスは歴史ある名門校に相応しい風格がある。目指すマッキントッシュ・ハウスはメインキャンパスから道を隔てた図書館側にある。
ところがマッキントッシュ・ハウスはあまり知られていないようで、道行く人に訪ねても皆知らないという。ついに知っている人に出会って教えてもらうと、図書館の角を入ったところだという。ところがそれでも見つからない。図書館の前に戻って再び訪ねると、なんとマッキントッシュ・ハウスはハントリアン・アートギャラリー(Hunterian Art Gallery)と同じ建物にあり、内部で分れているだけだった。
マッキントッシュ・ハウスは、マッキントッシュとマーガレットが1906年から1914年まで住んだ家の主要部分の内装をそっくりそのまま再現したものだそうだ。再現にあたっては部屋の方角まで合わせたという。少し残念なのは、完全な再現とはいえ、それがインテリアだけに留まることだ。しかしここを見学すると、マッキントッシュの家具は建築空間に合わせて設計されたものであることが理解できる。撮影禁止なので写真はないが、Glasgow Mackintosh : Attraction : The Hunterian で雰囲気がわかるだろう。
マッキントッシュ・ハウスのあとはグラスゴーの中心部へ戻るだけだ。しかしここで雨が降り出した。やっぱりスコットランドでは一日に一回は雨が降るようだ。しかしその雨は大抵長くは続かない。小降りになったのを見計らって出発する。
この帰り道はケルヴィングローブ公園内のケルヴィン川に沿う自転車道でクライド川(River Clyde)に出ることにした。ケルヴィングローブ公園の端っこには英国でも有数の美術館・博物館である、ケルヴィングローブ美術館・博物館が建っている。
クライド川に出れば、川に沿って National Cycle Network の7番線が通っている。
この NCN は全国を結ぶ大規模自転車道で、これは必ずしも自転車道として整備されているものばかりではないが、このあたりは歩行者自転車道で快適だ。
クライド川はグラスゴーの経済を支えた立役者だった。タバコや綿花の貿易然り、その後の重工業の発展もこの川なくしては成り立たなかっただろう。
かつてはクレーンや工場、倉庫が建ち並んでいたこの一帯も現在は再開発が進み、世界建築博覧会の様相を呈している。東京の国立競技場の設計で日本でも有名になったザハ・ハディド(Zaha Hadid)のリバーサイド博物館(Riverside Museum)やスコットランド観光局の VisitScotland でも評価の高いグラスゴー科学センター(Glasgow Science Centre)などが建つ。
通称アルマジロはノーマン・フォスター(Norman Foster)のクライド・オーディトリアム(Clyde Auditorium)で、これは SECC(Scottish Exhibition and Conference Centre)の一部となっている。
その前の道端に建てられた白いフェンスの中から爆音が聴こえてくる。いったい何事かと思ったら、巨大スクリーンにカーレースのようなものが映し出された。あの白いフェンスの中でカーレースが行われているとは驚きだ。
スコットランドBBCのニュース番組の扉で映し出されるのが、クライド川に架かるこのクライド・アーク・ブリッジ(The Clyde Arc Bridge)だ。スコットランドBBCは科学センターの隣に建っているので、そこから常にこの橋を撮影しているのだろう。
クライド・アーク・ブリッジは橋としては特別珍しい構造でもないと思うが、グラスゴーといえばこの橋というくらい、有名だ。
クライド川沿いの快適な自転車道を使って街中に戻ってきた。グラスゴー中央駅近くのジャマイカ・ストリート (Jamaica St)には、19世紀半ばに建てられたGardner & Son's Warehouse がある。この瀟酒な建物は鋳鉄でできている。
鋳鉄を使った建物としては1851年のロンドン万博のクリスタル・パレスが有名だが、この建物はそれから僅か数年後に建てられたもので、当時としては極めで斬新であったろう。並んでいる石造りのがっしりと重そうな建物に比べ、なんと軽やかに見えることか。
さて、グラスゴー中央駅である。この駅はスコットランド最大の駅で、地図で見てもかなり大きいことがわかる。日本の大規模駅ではあまり多くないが、ここは始発駅(ターミナル駅)タイプになっている。
写真はその中央部をくぐるアーガイル・ストリートで、道の上に駅が載っている。
そしてこちらがゴードン・ストリート(Gordon St)に面するメインエントランスだ。緑色の優雅なキャノピーはいいが、この前の道はかなり狭く、車で乗り付けるには苦労しそうだ。もちろん駅前広場はない。
この駅は19世紀末から20世紀初頭にかけて増築されたものだが、その当時の交通手段としてはおそらく馬車を想定したものだったのだろう。かのT型フォードは1908年にならないと登場しないのだから。
外部は当時のまま残っているようだが、構内も電光掲示板などを除けばほぼ当時のままのようだ。
木造に見える二階建ての建物には、グランド・セントラル・ホテルの文字が見える。
中央駅のすぐ北の路地にはマッキントッシュのデイリー・レコード・ビル(Daily Record Building)がある。最初期の仕事であるグラスゴー・ヘラルド・ビル(ライトハウス)のすぐあとで、マッキントッシュはグラスゴー美術学校を設計する。そしてその一期工事が完了したのち、このビルは設計された。
グラスゴー・ヘラルド・ビルとこれを比べると、ちょっと面白い。まず外壁の主要部分は前者が赤砂岩だったのに対し、ここでは白いレンガタイルのようなものが使われている。そして前者にはこの赤砂岩以外の色はないが、ここでは窓を始めとする各部に鮮やかな色彩が使われている。ここのコーナーと頂部に見られるベイ・ウィンドウはグラスゴー美術学校以降のマッキントッシュの仕事に度々登場するものだ。グラスゴー・ヘラルド・ビルではほとんど感じられなかったマッキントッシュの個性が、ここでははっきり現れているのがわかる。
St Vincent Chambers(Hatrack)
ホープ・ストリート(Hope St)とセント・ヴィンセント・ストリート(St Vincent St)の角にはグラスゴー・スタイルを代表する建物の一つとされる St Vincent Chambers が建っている。
この建物はかなり迫力があるが、どこか陽気な楽しさを感じさせるところもある。
Union Bank
セント・ヴィンセント・ストリートに入るとかつてのユニオン・バンクが聳えている。
イオニア調のオーダーとコーニスを持つこの建物は、ニューヨークにあるとあるビルとそっくりに造られたものらしい。記念碑的なアメリカン・クラシズムのレプリカだが、妙にいじり回さず、そっくりそのままというのが潔い。
ウェスト・ジョージ・ストリート(W George St)に入ると、その正面に良いアイストップとなる高い尖塔を持つセント・ジョージ教会(St Georges' Tron)が建っている。
この教会は19世紀の初頭に開設されたようだ。
セント・ジョージ教会をぐるりと廻ると、そのままジョージ・ストリートに入る。そこにはグラスゴーの一つの中心ともいうべきジョージ・スクエアがある。
このジョージ・スクエアの北西に建つのが、ドームを載せた塔をコーナーに持つイタリアン・ルネッサンス風の Merchants' House。Merchants' House は直訳すれば『商人の家』だが、このあたりには銀行が並んでいたようなので、この商人とは金貸業だったかもしれない。あるいはこれは商人のギルド会館のようなものだったか。
ジョージ・スクエアの東側にはグラスゴー市庁舎が建つ。こちらもイタリアン・ルネッサンス様式で1890年に完成している。スクエアの真ん中に聳えるのはエディンバラに60mの記念碑が建っていたウォルター・スコットの像。やはりこの作家は、ほとんど神様のように崇められているようだ。
グラスゴーの建築早巡りはこれにて終了。マッキントッシュについてはまだ見るべきものがあるが、これはまたの機会としよう。
明日はここグラスゴーからアラン島へ渡り、いよいよ本格的な自転車旅が始まる。