今日は移動日。いよいよこの旅の出発地だったエディンバラへ向かわなければならない。
さて、どこを通ってエディンバラに入ろうか。ここキリン(Killin)の東には、13〜15世紀に掛けてスコットランドの首都だったパース(Perth)が、南東にはこちらもかつて首都で、お城が有名なスターリング(Stirling)が、そして南にはグラスゴー(Glasgow)がある。グラスゴーはすでに通ったので、ここはパースかスターリングだろう。
今回の旅は出発が一日遅れたため、予定より一日少ない。抜いたのは、グラスゴーの西にあるヘレンズバラ(Helensburgh)からロモンド湖(Loch Lomomd)へ出て、グラスゴーに入るというルートだ。この行程全部は無理だが、ヘレンズバラに行けばマッキントッシュ(C.R.Mackintosh)のヒルハウス(Hill House)が見られる。
今日は天気が崩れるとの予報もあり、パースやスターリングのお城よりヘレンズバラのヒルハウスの方がどうも魅力的だ。ということで、クリアンラリッチ(Crianlarich)まで走って、列車でヘレンズバラに向かうことにした。
キリンを出る前にこの村にはストーンサークルがあるというので見に行く。
メインストリートを南へ行くとドックハート川(River Dochart)を渡る。
その下は岩場になっていて、落差はあまりないが、川の水が複雑に流れ落ちる滝になっている。
滝の横には小島があり、その中にちょっと古そうな石の門などが建っている。
ここはクラン・マクナブの埋葬地で、鉄器時代の遺跡だそうだ。
ストーンサークルはこの小島の向こう側らしい。
橋を渡って小径に入ると、周囲は森になった。
森が薄くなったところから草原が見え出すと、その中にいくつか小さな石が立っているのが見える。
あれがストーンサークルだろう。
森の突き当たりまでやってくると、橋のところで見た門と同じようなものがここにもある。このあたり一帯がクラン・マクナブのなにがしかなのだろう。
石の門の手前に見えるのは家畜用のゲートで、ここで牧畜が行われていることを示している。
森の横の草原は牧草地だったわけだ。
その中にあのストーンサークルが見える。
近付いて見ると六つの石が円形に並んでいる。その大きさは人の背から肩ほどで、意外と大きい。
こうした石の文化は世界中あちこちにあり、英国にもたくさんある。その中でもっとも有名なのはイングランドのストーンヘンジだろう。だがスコットランドには約140ものストーンサークルがあるという。この数は相当なものと言えるだろう。これらはBC3,500年の新石器時代から、BC1,000年の青銅器時代までの間に造られたというが、だれが何のために造ったのかははっきりしていない。
ストーンサークルで太古の昔に思いを馳せたら、ドックハート滝まで戻り、いざクリアンラリッチへ。
このコースはまったく下調べしていなかったので、クリアンラリッチまでは幹線のA827しかないかと思っていた。しかしドックハート川の向こうにちょっとした道があることに気が付いたので、ダメ元でこれに入ってみる。
建物が並んでいる間はそれなりの広さのあった道だが、1kmも進まないうちに民家はなくなり、こんなシングルトラックのカントリーロードになってしまった。しかしなんとか先へ繋がっている気配なので、この道をどんどこ。
この道はA827に並んで走っているので、どこかでそれに出ることが出来るだろう。
A827はそれなりに車が通るが、ここは車はおろか人さえいない。いるのは放牧された家畜だけ。
川に向かってなだらかに落ちて行く牧草地の中では、羊がのんびりと草を食んでいる。
川の反対の山側には牛が。
その先の森の奥には、霧とも雲ともつかぬものが降りていて、ちょっと幻想的な景色だ。
道はドックハート川沿いを進む。左手を流れる川に対し、右手にはなだらかな山の斜面が見える。
ここはまだ丘といえる高さだが、この奥には標高800mから1,000mほどの山が連なり、ハイランド最大の見どころとも言われるコー渓谷へと続く。
キリンを出てからドックハート川は気配だけで川面は見えなかったが、ここでようやくその姿を表した。
静かないい流れだ。
前方の視界が開けてきた。左右は山。ここはドックハート川を底とする谷だ。渓谷をこちらではグレン(glen)と呼ぶから、さしずめここはグレン・ドックハートといったところか。スコットランドでは特にどうというほどの景色でもないかもしれないが、いい景色だ。
ここは、ロモンド湖&トロサックス国立公園(Loch Lomond & The Trossachs National Park)という広大な国立公園の中だ。スコットランドはどこも自然豊かなので特別にここに自然をより感じるということはないが、このあたりでは自然が保護されていることは間違いないだろう。
ここまで快適に延びてきた道だが、先はついに地道に。
やむなく橋を渡り、A827が合流した先のA85へ向かう。ドックハート滝の橋もそうだがこの橋も石橋で、かなり古そうだ。もしかするとローマ時代のものということも考えられなくもない。
ここはレッドチャーリー(Ledcharrie)というところらしい。特に廻りには民家も見当たらないが、ヨーロッパの田舎では民家が一軒あったらそこに村の名が付くと思ってもいい。
左手にあった丘が今は正面に見える。ドックハート川の南にもいい感じの丘が並んでいる。
A85に入った。この道はパースとオーバン(Oban)を結ぶ幹線道路なのでそれなりに交通量があるが、恐ろしいというほどではない。
右手にドックハート川が膨れたラブヘア湖(Loch Iubhair)が見えてきた。
ラブヘア湖は短い水路を経てドックハート湖になる。その先では川もまたドックハート川から名を変え、フィラン川(River Fillan)となる。
この左手には標高1,000mを越えるベン・モア(Ben More 1,174m)があるが、山が近すぎてその存在はまったく認識できない。道の先にはこれよりずっと低い山が見えるだけだ。
その低い山を眺めながら走っていると、道端にポツポツと建物が並ぶようになってきた。クリアンラリッチに入ったようだ。ここを通る列車は日に数本しかない。その午前便はすでに出てしまっているので、この街中でしばし休憩だ。
ちょうど駅の少し手前のロードサイドにレストランが見つかったので、ここで昼食を。
ゆっくり食事をし、午後の便がくるまで休憩。充分余裕を持って駅へ向かう。
クリアンラリッチは何もないところかと思っていたが、ここをベン・モアの登山者たちがベースにすることが多いのか、B&Bとレストランはそれなりにあるようだ。うしろにそのベン・モアが姿を現した。
線路をくぐってすぐ南へ向かう道に入ると、クリアンラリッチ駅に到着。
クリアンラリッチは、数日前に滞在したフォート・ウィリアムとグラスゴーの途中にある。今私たちが走ってきたA85はこのすぐ先でA82に合流し、それを北へ向かうとコー渓谷を経てフォート・ウィリアムに辿り着く。逆に南へ向かうと、ロモンド湖を経てグラスゴーだ。
一方列車で南へ向かうと、ロモンド湖の北でロング湖沿いに入り、ヘレンズバラを経由してグラスゴーに辿り着く。
クリアンラリッチ駅のプラットフォームに上ってみると、なんとそこにはティールームがあった。数日前に降りたランノホ(Rannoch)駅にもあったが、一日数本だけの路線のごく小さな駅で、どうやったらこんなものが営業できるのかちょっと驚く。
定刻に列車がやってきた。スコットランドの列車はかなり時間に正確に動いているようだ。
この列車の自転車置場は吊り下げ式だ。天井から吊り下げられたフックに後輪を吊るし、車体の下は下部にある金具にベルトで固定する。
スコットランドには、MTB向きのトレイルもたくさんあるようだ。
私たちのバイクの向かいには、今まさに山から降りてきたばかりという感じの、ドロドロのマウンテンバイクが吊るされた。いや〜、こういうの、いいねぇ〜
そのMTBが走るのはこんな山だろうか。
列車はファロック川(River Falloch)沿いを南下して行く。
そのファロック川が流れ込むのがロモンド湖だ。この湖は『ロモンド湖&トロサックス国立公園』の中にあり、その美しい景色はグラスゴーから程近いためかなり人気だそうだ。
この日は天気が悪く、かなり霞んでいて視界が効かないのが残念だ。
しばらくロモンド湖の北端の細長い湖面を眺めていると、少しの間その湖面が見えなくなり、気が付くといつの間にか反対側の車窓にそれは移っている。
ロモンド湖を離れロング湖(Loch Long)に入ったようだ。ロモンド湖は湖だがこのロング湖は海の細長い入り江だ。
ロング湖の畔にある村はアローチャーチだろう。
ロング湖にゴイル湖(Loch Goil)が合流する地点にやってきた。あの山影にゴイル湖があるはずだが、ここからはよく見えない。
ここで列車はロング湖を離れ、ゲア・ロック(Gare Loch)へ向かう。
Gare Lochはゲア湖としていいのだろうと思うが、ここではゲア・ロックとした。普通はLochを前に置きLoch Gareとなるはずだが、ここではLochがうしろに付いているからだ。
ゲア・ロックの向こうに見える山はロモンド湖やロング湖のそれと違って、ずいぶん低い。あそこはロング湖との間に突き出た狭い半島だ。
いくつもの湖と山を眺めつつ一時間ほど列車に揺られると、ヘレンズバラ・アッパー駅に到着。
列車を降りると、いつのまにか雨が降り出していた。この駅は無人のようで、乗降客もごく僅かしかいない。
ヘレンズバラはグラスゴーの北西35kmほどのところにある町だ。
ここにはグラスゴーの実業家や商人たちの豪邸が建ち並び、一時は英国の億万長者の四分の一が住んでいたともいわれる。
A818と並行するアッパー・コルクハウン・ストリートを上って行くと、そんな豪邸のいくつかを目にすることができる。
その一つがこれだ。とてつもなく広い敷地、赤い石の壁に黒いスレートの屋根。まるでお城のようだ。
アッパー・コルクハウン・ストリートの一番上に、目指すヒルハウスはあった。
この建物はチャールズ・レニー・マッキントッシュにより20世紀初頭に設計されたものだ。
マッキントッシュはグラスゴー生まれで、グラスゴー派と呼ばれる一派の建築家であり、画家であり、デザイナーだ。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者で、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人とされている。
彼の多くの仕事はグラスゴーに残されており、グラスゴー美術学校などはこの旅でも8月6日に見学させてもらった。
このヒルハウスはグラスゴー美術学校とともにマッキントッシュの代表作とされるもので、保存状態も極めて良い。現在はナショナル・トラストによって管理されている。
建築主はこのころ台頭してきた中産階級に属する出版業者で、彼はマッキントッシュにスコットランド西部の伝統的な建築様式を求めることはせず、灰色の荒いキャスト・ウォールとスレート屋根を求めた。
一方のマッキントッシュはスコットランドの伝統建築に興味を持っていたようで、民家や教会のスケッチを多く残している。
建物の隅の塔が特徴のスコットランド・バロニアル様式は彼の好みだったようで、ヒルハウスの南東入隅の階段室にその様式を取り入れている。
マッキントッシュはここで建築のみならず、家具を始めとする調度品のほとんどすべてをデザインしている。また彼の妻マーガレット・マクドナルドは、美しい暖炉のパネルのほか、テキスタイルの多くをデザインし、製作した。
それらの多くは修復または複製され、現在も建設当初とほぼ同じ姿を見ることができる。
広大な敷地を持つヒルハウスには当然、庭園があった。
現在見ることができるよく手入れされた美しい庭園は、当時利用可能だったであろう植物を使って、初期のデザインに沿って修復されたものだ。
『あら、あなたたち、この嫌な雨の中、よくいらっしゃいまし。』 と受けの係員。実はここに到着した頃には雨も本降りになっていた。
内部は写真撮影できないので紹介できないのが残念だ。この建物はやはり外観より内部が魅力的なのだ。空間と完全に一体となった家具や調度品。建築とはこうした総合的な空間を造ることだと、あらためて認識させられる。
ゆっくりヒルハウスを見学したら、ヘレンズバラの駅へ戻る。ヘレンズバラには私たちが降りたアッパー駅の他に中央駅がある。
アッパー駅に寄って見たものの、無人駅なので誰もおらず、日本のように時刻表もないのでいつ列車がやってくるのか皆目見当がつかない。そこで中央駅へ向かう。
中央駅周辺はちゃんとした街で商店街になっている。これならなんとかなりそうだ。
海外の駅にも切符の自動販売機があることがあるが、これは結構やっかいで私たちは苦手だ。この駅にはちゃんと有人の窓口があったので助かった。その窓口でエディンバラ行の切符を買う。
『エディンバラまで二人ね。次は何時?』
「16時53分だよ。」
『グラスゴーで乗り換えるの?』
「いんや、エディンバラまで行くよ。」
『何番線から出るの?』
「2番線だよ。」
と、こうして無事切符を入手。商店街で飲物とつまみも入手して、いざ列車へ。
私たちが列車に乗り込もうとすると、その直前にドアがバシューンと閉まってしまった。アチャー、乗り遅れた? と思ったら、近くにいた人が何やら合図している。何かを押せといっているようだ。この列車、日本の北国を走るそれのように、自動でドアが閉まり、ボダンを押して開けるやつだったのだ。
なんとか無事に列車に乗ることができ、ホッ。あとは喉を潤しながらエディンバラに着くのを待つだけだ。ヘレンズバラはクラウド川の北岸にある町で、列車はそのクラウド川に沿って東へ向かっている。グラスゴーに入ると、日本の新国立競技場の設計コンペで一等になったハディドが設計したグラスゴー交通博物館が見えた。外観はほとんど倉庫のようだが、これもまた内部を見てみなければわからない建築の一つだろう。
ヘレンズバラから二時間ほどで、この旅の出発地である首都エディンバラに到着した。グラスゴーとエディンバラ間のルートは二本あるらしく、行った時よりだいぶ早く着いた。
エディンバラのウェーヴァリー駅から宿まではひと漕ぎだ。19時、宿に辿り着く。やはり出発地には『帰ってきた』というような、どこか安心感がある。
シャワーを浴び小休憩していると、あっという間に21時近くになってしまった。ここが首都のエディンバラとはいえ、そう遅くまで開いているレストランは多くない。
宿の近くのパブに駆け込んで、まずばビールだ。Belhaven はエディンバラの東30kmほどのところで造られているもので、West はグラスゴーのものだ。Belhaven はブラックを、West は小麦入りの白ビールを。
すでに良い時間なので、食事はスープ、サラダ、鱈のフライ、ピタパンと簡単に済ませた。
さて、明日はこの旅の最終日だ。フォース橋まで一走りし、夜はミリタリー・タトゥーの鑑賞だ。