今日はオスロから北へ350kmのところに位置するオップラン県のドンボス(Dombås)へ移動し、レスヤ(Lesja)まで自転車で走る。ドンボスまでの移動は鉄道なので、まずはオスロの宿から中央駅へ向かう。
中央駅は歴史的な建物とその横の現代的な建物からなるようだが、内部は洗練された現代的なデザインだ。
ノルウェイ国鉄には自転車OKの列車がある。欧米のほとんどの国には輪行袋というものがなく、自転車はそのままの姿で列車に載せるのが一般的なのだ。
すべての車輛が同じシステムかどうかはわからないが、私たちの列車の場合は最後尾の車輛の一部が貨物室のようになっており、車掌に申し出てそこに載せてもらった。
乗ったのは国鉄のドヴレ線(Dovrebanen)で、リレハンメルなどを経由してトロンハイムへ向かう列車だ。
この列車は特急というわけではないと思うが、二人掛けのシートでなかなか快適だ。出入口まわりには荷物を置くスペースもあり、あまり大きくないスーツケース程度ならそこに置くことができる。しかし自転車は折り畳みでもちょっと難しそうだ。
自転車を無事預けられてホッとひと息付いていると、列車は出発した。
オスロ中央駅の周辺は高層ビル群が建ち並ぶ地区で、超モダンな建築がいっぱいだ。
オスロ空港を過ぎるとヴォルマ川(Vorma)が右手に現れるようになる。小高い山の中に牧草地が広がるのんびりした風景だ。
ヴォルマ川はこのあとミョーサ湖(Mjøsa)となり左手に移る。このミョーサ湖はかなり長く楽しめるので、左の席が良かったが、残念ながら私たちは右側の席だった。
リレハンメルを過ぎるとミョーサ湖はなくなり、しばらくして右手にロスナ湖(Losna)が現れる。
しかしこのロスナ湖はすぐに狭くなり川となる。
この川はローゲン川(Lågen)で、ノルウェーの最高峰が連なるヨートゥンヘイメン山地(Jotunheimen)の北東斜面に源を発し,グドブランスダール(Gudbrandsdalen)谷を南東に流れて行き、ミョーサ湖に流れ込む。
つまり今私たちが走っているのはグドブランスダール谷なのだ。
空と雲と穏やかな川面がいい感じだ。
リンゲブ(Ringebu)、オッタ(Otta)といった街を通り抜け、ドンボスが近付くと急に川の流れは細くなり、草原が現れる。オッタでローゲン川は二手に分れていたのだ。
この景色を見て気付くことがある。山の斜面が一定の角度で平滑だ。これはかつてここを氷河が流れていたことを意味している。あの山は氷河によって削り取られたのだ。
分れたローゲン川の片一方は渓流の趣だ。
オスロから四時間、ドンボスに到着。空には青空も見える。気温は20°Cで爽やかだ。
右側が私たちが乗ってきたドヴレ線で、左奥に見えるのが景観ルートとして名高いラウマ線(Raumabanen)の車輛だ。ラウマ線はここドンボスからローゲン川そしてラウマ川に沿って走り、オンダルスネス(Åndalsnes)までの114kmを1時間20分で結んでいる。
私たちはこのラウマ線とほぼ同じルートを自転車でのんびり行く。
ドンボスの駅付近からローゲン川方向を眺めると、結構広い谷なのがわかる。緑の斜面がローゲン川に向かって落ちて行くのが見える。
今見えている山の先のずっと向こうにロムスダールフィヨルドのオンダルスネスはある。かつて氷河はこの谷を下り、山々を削りながらロムスダールフィヨルドに辿り着いたのだろう。
ドンボス駅は標高650mでオンダルスネスは標高0mだから、基本的には下りだ。もっともその平均斜度は1%に満たないが。
さて、いよいよ自転車で出発だ。だがその前にここで食料を調達しておくことにする。ノルウェイは物価が高いので、今回の旅はできるだけキッチン付の宿に泊まることにしたのだ。今日はそうした施設の初日。
ドンボスがどういう街なのかはわからないが、ここには大規模なショッピングセンターがある。
そのショッピングセンターの入口にトロールがいた。
トロールは北欧、特にノルウェーの伝承に登場する怪物で、妖精とも言われるものだ。姿形は一定ではないが、多くは醜い姿で巨大、知能はあまり高くなく粗暴、といったところだ。このあとトロールの伝承にちなむ地名がたびたび登場してくるようになる。
さて、買い出しが終わったらいよいよ出発だ。ドンボスからレスヤへは、車ならローゲン川の北を通るE136を使うだろう。そこで私たちは川の南を通るFv496を使うことにした。
まずはローゲン川まで豪快に下る。
ここで見たローゲン川はドヴレ線の車窓から見たものとは大分印象が違う。さらにうんと川幅が狭くなっている。
下ったら上る。いきなりだが、この上りが結構きつい。斜度10%ほどありそうだ。
ノルウェイの本格的なひと漕ぎは、強烈なこの上りで始まった。
えっこらよっこらが1kmほど続くとようやく上りは納まり、今度は細かいアップダウンが始まった。
道脇に昨日博物館で見たのと同じ草屋根の民家が建っている。
この家は比較的新しい建築で、草屋根が現代でも一般的に使われていることを教えてくれる。
広い谷を行くのは気持ちいい。
私たちが走っているのはローゲン川の南の少し高くなったところなので、時々、眼下にローゲン川の流れが、そして谷の反対側にE136を走る車が見える。
道はいつの間にか森の中を行くようになる。
ここは密度の高い針葉樹林だ。
道脇に小さな小屋のようなものが建っている。何かな、と思って中を覗いて見ると、そこには四角い箱が並んでいる。この箱は郵便箱だ。ここに団地はないが、これは日本の団地の玄関にあるのと機能的には同じ集合郵便受けなのだ。
ここノルウェイは冬は雪に閉ざされる。家々は道路から離れた奥まったところにある。そんな家々への道には冬、郵便配達は入って行くことが出来なくなる。そこで道路に集合郵便受けを設定したのだろう。このシステムはヨーロッパの環境の厳しい地域で何度か見かけたことがある。
森を抜けると穏やかな下りになった。
道はどうやらローゲン川に向かって下っているようだ。
今日何度目かのローゲン川との出会いだ。ここには小さな木造の橋が架かり、対岸に渡れるようになっている。橋の入口に門扉が設置されているが、これは橋の一部で工事が行われているからだ。
川の流れはレスヤ側からドンボス側だ。この流れ、なんだかちょっとおかしい気もする。私たちは今、山から海へ向かっているのに、この川は逆に山へ向かって流れている。
よく考えてみれは、ローゲン川はミョーサ湖に流れ込んでいたはずだ。だからこの流れの向きは正しい。だがおかしいだろう、なぜオンダルスネスに向かわないのだ。この謎は明日解けることになる。
僅かな距離だが、このあたりはローゲン川に沿って走ることができる。
すぐにもう一つ橋が現れた。
先ほどのものは歩行者専用橋だったが、こちらは車も通れるもので、川幅も先ほどより広い。
橋の袂には看板が建てられていて、魚の種類などが案内されている。
そのすぐ近くでは鱒釣りをする人の姿も。
ノルウェイは寒いので農業は酪農が主力で、農作物はジャガイモと麦くらいしかない。
ここでは左手に麦畑が、右奥に牧草地が広がっている。
先に雪を残した山が見えてきた。今は八月なので、あれは万年雪かもしれない。
ローゲン川の谷は広く、ここが氷河由来のU字谷であることに気付き難かったが、この山の斜面を見て、どうやらそれらしいと頷くことができた。
道はローゲン川に近付いたり離れたりし、穏やかなアップダウンだ。
先の森の中に高い塔が見え出した。あれがレスヤの教会だろう。
教会の塔が近付くと道は下り出し、ローゲン川を渡る。
川向こうには氷河が削り取った山の平らな斜面が見える。
ここの川は浅いが川幅は意外と広い。
川を渡ると上りだ。
周辺は緑の牧草地。
ここに来て風が吹き出した。向かい風だ。正面に教会の塔が見えてからが意外ときつい。
Pagan places of worship
なんとか坂道を上り切ると、こんな石碑が建っている。
宗教関係のもので、かつてここに祈りの場があったようだ。
レスヤは小さな集落だが、ラウマ線が停まる駅があり教会がある。
教会は十字平面を持ち、1749年に完成。ノルウェイのバロック時代だ。
外観からはバロックは感じられない。尖塔は比較的良く見かけるタイプ。
内部装飾にバロックを見ることができるようだが、この時は入れなかった。
レスヤの教会のすぐ傍には野外博物館(Lesja Bygdemuseum)がある。
昨日オスロで見たノルウェー民俗博物館のレスヤ版だ。この博物館は本館が草屋根だ。草屋根は小さな建物ばかりでなく、比較的大きなこうした建物にも使われる。
そしてそのうしろに、小さな建物がたくさん並んでいる。
ここでログハウスと草屋根について学習しよう。
ログハウスの用途は様々だ。もちろんメインは住居だが、それに付随した様々な用途の小屋がある。家畜小屋、物置、倉庫、粉挽き小屋、鍛冶小屋などだ。
草屋根はノルウェイの伝統的な屋根の葺き方の一つだ。草屋根の名はここでそう呼ぶことにしただけで、現地でどのように呼ばれているかはわからない。最初にこの屋根を目にした時には、建物が古くて屋根に草が生えてしまったのだと思った。しかしそうではなかった。
白樺などの木の皮をはぎ、それを屋根板の上に葺く。この木の皮が防水材となる。木の皮は風ですぐに飛んでしまうので、それを押えるために上に土を載せる。土も乾燥すれば風で飛び、雨が降れば流れてしまうので、それを緩和するために草を生やしてその根っこで土がばらばらにならないようにする。土は断熱材としても有効だ。
けらばの土の端は、少し上等な建物になると石や木片で押えられることが多い。写真は土の様子がよくわかるものを選んで撮影したのでそうなっていない。
ログは丸太のことで、ログハウスはそのログを水平に積み重ねて主要構造材として使用したものだ。つまりログハウスには基本的に柱がない。そしてログは直行方向のそれと井桁に組み合わされる。ログの断面形状は異なるが正倉院の校倉造りのようなものだと考えて良い。
ログの形状は、木の皮を剥いただけの丸太から、四角に製材されたものまで様々だ。原始的には本来の丸太に近い形状で使われたと考えられるが、製材技術の向上とともに、生産性、耐久性、構造的要件、機能性などから様々に加工されるようになったのだろう。
この民家の壁のログの中には丸太を削って室内側を平面に仕上げてあるものがある。丸太は大きさが不揃いで、大きな丸太は室内側に大きく出っ張って具合が悪い。構造的にもその出っ張りは不要で、太いと重くなる、などの理由から削られたと考えられる。
展示品は糸巻きだ。日本で一般的なものとは大きさが大分異なるが、基本的な構造はまったくいっしょだ。
これはこの地方の民俗衣装だろう。
チェック柄がスコットランドのタータンを思わせる。そのスコットランドはノルウェイからかなり近く、ヴァイキング時代にも行っていたので、この柄はタータンの影響があるのかもしれない。またはタータンの紀元が実はノルウェイにあったということも考えられなくはない。
ワッフルはベルギーが有名だが、それはここノルウェイにもある。ベルギーのものより薄くてぱりぱりしている。
これは昔使われたワッフルの型だろう。
毛針。私は釣りはやらないのでわからないが、鱒釣り用だろうか。
毛針はそこに生息する虫を真似て作られることが多いそうだから、このあたりにはこんな虫がいるのだろう。
教会と野外博物館を見学したら、あとは今宵の宿へ向かうだけだ。ここからはE136に入る。
E136の頭のEはヨーロッパにおける国際的な道路網である欧州道路を示す記号だ。つまり幹線中の幹線ということになる。しかしその道路に入ってみて驚いた。これまで見てきた欧州道路は日本の高速道路のようなもので、もの凄く広く、もの凄い交通量だった。しかしここのそれは日本の国道以下の造りで、車の通りもべらぼうなものではない。
しかもすぐに側道として自転車道が現れた。
E136にはこうした自転車道がオンダルスネスまでの間の半分近くに整備されている。
レスヤまではローゲン川の南を走っていたが、今はその北にいる。
あの雪を残した山が谷の向こう側に見えるようになった。
そして下にはローゲン川と牧草地の中の牛。
今宵の宿はレスヤの中心部から3kmほどのところにある。
E136を離れ宿へ向かうと、道は地道の下りになった。
私たちの宿は、E136とローゲン川の間にひっそりと佇んでいた。
ここのオーナーは酪農を営んでおり、母屋の隣には大きな牛小屋がある。
私たちのここでの住まいは、母屋の裏手の敷地の一角にある1732年築のかつてはベーカリーとして使われたらしい小さな小屋だ。
小屋の内部には電気だけは通されたが、それ以外は最低限の改修が行われただけで、キッチンはもちろんトイレもない。キッチンとトイレは母屋に客用のものが設えられており、それを使う。
だがこのスペースと周辺の環境は、私たちにとってはとても素晴らしいものだった。
私たちの小屋の隣には二階建の小さな建物と、より小さな草屋根の平屋建の小屋が建っている。
二階建の方は宿泊用として整備されているが、平屋建の方は母屋の付属として使われているようだ。
私たちはドンボスで今夜の食材を調達してきたが、ここの近くに地元産の乳製品などを扱うミニスーパーがあるので行ってみた。そこでオレンジジュース(450円)、ビール二種(600円+1000円)、チーズ(750円)を入手した。この四点で2,800円也。ノルウェイの物価はかなり高い。
ノルウェイ・サイクリングの出だしのこの日はまずまず快適だった。明日はここレスヤからスキーリゾート地のビョーリ(Bjorli)まで、さらにこの谷を下って行く。