レスヤ(Lesja)の朝は小雨。気温は10°C。少し肌寒く感じるが、熱帯の東京に比べればここは快適だ。
私たちが宿泊したロッジのオーナーは酪農を営んでおり、家の前のローゲン川の谷が牧場になっている。この時刻に牛はまだ放たれておらず、緑の牧草が広がるだけだ。
その先には国立公園になっているラインハイムン(Reinheimen)のなだらかな山が低い雲の向こうに見えている。
左の白い建物がオーナーの家で、ここに客用のキッチンと洗面所がある。その洗面所で顔を洗って出てくると、タンクローリーのような車がやってきてホースを隣の建物に入れていた。その建物は牛小屋だ。
いったい何をしているのか聞いてみると、この車は集乳車で、今朝搾った牛の乳を回収に来たのだそうだ。
これが私たちが一晩世話になったロッジの内部だ。窓は写真に見える小さなもの一つしかないので、入口のドアを締めるとかなり暗い。元々はパン焼き小屋として使われていたらしいので、天井はかなり低い。ノルウェイは寒いので、室温が下がらないように一般的な民家の天井も低いようだ。
しかし、暖炉、テーブル、ロッキングチェアなどが設えられていて、なかなか快適だった。なによりここは周辺の環境が素晴らしい。
このロッジで朝食を済ませ、今日の行程を検討する。今日の走行はビョーリ(Bjorli)までの40km。短いのでいつ出発してもかまわない。
天気は徐々に恢復し午後には上がるようだ。ここは少し様子を見ることにする。
今日の出発予定時刻は10:00だが、ビョーリでのんびりする手もある。それに不慣れな土地では行動は早いに越したことはない。
08:40、雨はかなり止んできたので出発することにした。
ロッジの周辺には牧草地が広がっている。この谷ではこのあたりがもっとも広がりを感じる。その理由は、ここにはかつてレスヤ湖(Lesjavatnet)があったが、人口増加にともない農地を拡大する必要があり、19世紀にそれを排水し、牧草地として利用するようになったためらしい。
ここの牧草地は雨なのに自動散水機が水を撒いているのがちょっとおかしい。その先に見える低く棚引く雲はおそらくこの谷を流れているローゲン川(Lågen)の上にある。川の上は雲が出来やすい。
牧草地の中を行く道は砂利道だ。日本ではこうした道もほとんど舗装されているが、ここノルウェイでは幹線道路以外はほとんどが砂利道だ。
この先は幹線道路のE136を使うか、ローゲン川に沿う道を使うか思案のしどころだ。自転車の環境としてはローゲン川沿いの方がいいと思うが、道路の状態が心配だ。ローゲン川とE136はそう離れていないので、ローゲン川沿いの道の状態を見て判断することにする。
牧草地の中の砂利道を下って行くとローゲン川の畔に出た。川面は静かで流れているのかいないのかわからないほどだ。
道は細かい砂利敷きで締まっており、悪くない。ここはこの道を行くことにする。川の上にはあの低い雲が棚引いている。
川岸には寒い地域でよく見かける赤紫の花が咲いている。何ていう名だろう。
あとで教えてくれた方によると、これはヤナギラン(Epilobium angustifolium)かエゾミソハギではないかという。
『やっぱりこっちに来たのね。ちゃんと行けるの〜』 と、この先の行程がちょっと不安なサリーナ。
『なんとかなるじゃろ。。』 と、いつもいい加減なサイダー。
『砂利道だけれど、気持ちのいい道ね〜』 と、この環境には満足そうなサリーナ。
人っ子一人通らない道、静止したような川、手が届きそうなところに棚引く雲、穏やかに上って行く緑の斜面。霊験の世界だ。
道は谷で一番低いところを通っている。
その側には穏やかな傾斜を持つ牧草地がどこまでも続いている。
道は砂利道だが完全にフラットで、この谷底に傾斜がほとんどないことを示している。
このあたりのローゲン川には両岸に道がある。
その道はどちらも同じようなもので、どちらを走っても大した違いはなさそうだ。
橋から川を覗いて見ると驚くほど静かで、流れをまったくといっていいほど感じさせない。
道が平らなように、このあたりは川底もほとんど平らなのだ。
川の向こうに民家が並んでいる。このあたりの民家はほぼ100%木造で、その外壁は赤茶色が圧倒的に多い。
この外壁には現代では人工的な塗料が塗られていると思うが、古くは鉱物や土などの自然素材から作られたものが使われたはずだ。赤はおそらく鉄の色だろう。このあたりの土には鉄が多く含まれているのではないかな。
あの山のずっと先にはフィヨルドがある。
フィヨルドといえばU字谷だ。この谷はかなり広いのでU字谷には見えないが、両側に立ち上がる山の姿を見ると、かつてここを氷河が流れたことがわかる。
ローゲン川沿いのこの道から見える景色は最高だ。
『この道通ってよかったね〜』 と、ご機嫌なサイダー。
ローゲン川が大きくカーブすると、川の落合だ。牧草地の広がりがここで急になくなり、先には森が見えている。
かつてあったレスヤ湖の端に辿り着いたようだ。
ここから森の中を行くか、それともE136に出るか少し迷った。E136に出る派はサリーナ。少しでもE136を走る距離は短くしたいサイダーは森派。
森の先にも道があるらしいので、ここは森の中へ。
しかしこの森の中の道はすぐに行き止まりになる。その手前に小さな橋があるのだが、工事中だ。向こう側には道は見えず、なんだか怪しくなってきた。
サイダーが斥候として川向こうへ。なんとか道は見つかったようだ。
橋の下には細い川が流れている。驚いたことにこの川が、先ほどまでその横を走っていたローゲン川だ。
さっきの橋のところで川が落ち合ったが、もう一方の方が広い流れでそちらが本流かと思っていたら、地図にはこちらにローゲン川とある。本流はこの細い方らしい。
さて、橋は無事に渡れたが、そのあとは。。
もちろんここでサイダーはサリーナから激しく非難されることになる。
川は谷底を流れている。E136はそれからだいぶ高いところを通っている。つまり上りだ。
そしてこの上りがきつい。その上、ガタボコの地道だったのだ。
なんとか自転車を押し上げてE136に出た時にはもうヘトヘトだった。しかもここで、
『あ、自転車が壊れてる!』と、サリーナが呻く。
『あんな道を通るからだ〜』 と、また非難の矢が飛んでくる。
サリーナの自転車はかつて溶接箇所に亀裂が入り修理したのだが、今回また同じ箇所に亀裂が入ったのだ。
カタボコ道を走ったせいもあるだろうが、これは溶接不良だろう。
状態を確認したが走行には問題ない程度なので、あまり負担を掛けないように気をつけて走ることにする。
ここからはE136一本だが、具合の良いことに、ここには自転車道が整備されている。
牧草地はE136を通り越して、その上まで続いている。その中にちょっと大きめの農家の建物が見えている。あの丸いところは何だろう。サイロみたいなものか。
道脇にはあの赤紫の花が咲いている。
人の手で植えられたものではないと思うが、こうして見るとなかなかきれいだ。
ここの自転車道はE136の側道的に造られている。車道との間には2mほどの緩衝帯が設けられていて、不安なく走れる。
この緩衝帯は道路の排水溝を兼ねている。
その後のサリーナの自転車の様子はというと、特に問題なさそうで、このあたりは快調に走っている。
レスヤヴェルク(Lesjaverk)に到着した。ここはオップラン県(Oppland)の最低気温記録 -45°Cを保持しているという。
道脇にCoopがあったので一休み。ここにはかつてはレストランだかカフェが併設されていたようだが、現在は閉鎖されていたので、Coopで飲物を買って店先のベンチで休憩だ。
今日はたっぷり時間がある。
レスヤヴェルクには小さな教会とレスヤスコーグ湖(Lesjaskogsvatnet)があるので、これらを見に行く。
ラウマ線のレスヤヴェルク駅の横を通って坂道を下って行くと、先に小さな教会が建っている。
三角屋根の上に四角錐の塔が載っている。平面は単純な長方形で見るからにシンプルな造りだ。
内部には入れなかったが、さして見るべきものもなさそうだ。
教会から地道を西へ進むとすぐにレスヤスコーグ湖が現れる。この湖は幅は狭いが長さが10kmもある。ここの海抜は611m。
レスヤヴェルクの verk は英語の work と同じ意味の単語だ。ここでの verk は ironwork を意味する。ここには17世紀の半ばから19世紀の初頭にかけて製鉄所があったという。レスヤスコーグ湖はこの製鉄所のために川を堰止めて造られた人造湖だそうだ。
この湖には出口が二つある。東のそれから流れ出した水はローゲン川となり、西のそれはラウマ川(Rauma)となる。写真はローゲン川が始まるところだ。このローゲン川はミョーサ湖(Mjøsa)に流れ込み、最終的に北海に流れ出る。一方のラウマ川はオンダルスネス(Åndalsnes)でロムスダールフィヨルドに出て、ノルウェイ海に流れ出す。
つまりこの湖は分水嶺を成しているのだ。これまでローゲン川が水上に流れているように感じたのだが、それはこのあたりでもっとも標高が高いドンボス(Dombås)を通っているからだった。しかし実は、ローゲン川の谷はごく緩やかにドンボス側に下っていたのだ。
レスヤヴェルクを出ると、次の街はレスヤスコーグ湖の西の端にあるレスヤスコーグだ。
そこまで山から流れ落ちる川が何本もある。これらは山の斜面に沿って流れているので、ほとんど滝のように見える。
ノルウェイの自然には動物がいっぱいだ。これはヘラジカ注意の道路標識。
ここから4kmは注意してね。ヘラジカ、見てみたいな〜
レスヤスコーグの直前で、ドンボスからオンダルスネスへ向かうラウマ線がやってきた。車輛は二両編成と、想像していたよりずっと少ない。
この線は景勝路線として有名で、現在は日常的な交通機関というより観光列車になっている。
レスヤスコーグの街はE136沿いではなく、その旧道らしき道沿いにある。私たちはもちろんその旧道らしき道を行ってレスヤスコーグを抜ける。
街の西の端のあたりに、ザワザワと音を立てて落ちてくる水の流れがあった。ここの勾配はあんまりきつくはないが、山の斜面に沿って流れ落ちてくる川滝だ。
自転車道らしき道を辿って行くと、街の裏を通ってレスヤスコーグを抜けてしまった。
この街外れには白い小さな教会が建っている。
教会のまわりは墓地になっている。どこにでもあるような墓地だが、なんときれいなことか。こちらの墓地はみんなこんな感じで、とても良く手入れされている。
今回の旅で気付いたのだが、どこでも墓石はみんな東を向いて建てられている。これには何か決まりごとがあるのだろうか。
ここに来てちょっと雨がパラついてきたので先を急ぐ。
レスヤスコーグの南はレスヤスコーグ湖の西端だ。そこにはラウマ川の出口があるはずだが、旧道に入ってしまったため、これは確認できなかった。
レスヤスコーグを出るとE136に戻るが、そこにはこれまであった自転車道はなかった。
しかし土地があるところでは、自転車道を造る工事がされている。
本日の終着地ビョーリが近付いてきた。
先にはこのあたりでは珍しいポコッとした山が見えている。あの山は谷の中に一つだけ取り残された島のようなものだ。
雨の中、ビョーリに到着。雨はなんだか朝方よりこの時間帯の方が強く降っている。
ビョーリはスキーリゾート地で、今宵の宿はその中に建つ普通のホテルだ。
チェックインし、カッパを脱ぎ捨てたら宿のレストランへ向かう。この日は雨だったこともあり、途中に昼食をとる適当なところがなかったのだ。
ところがここで一大事件が発生。なんとこのレストランにはアルコールがなかった。ノルウェイでは酒類販売のライセンスが厳しいのだと思うが、古くから家族経営でのんびりやっているらしいこのホテルは、そんなのいらないと、とっていないのだろう。
仕方がないので水で乾杯だ。ノルウェイの水はタダだから、これはお金がかからなくていいのだが、ちょっと寂しい。
昼食を終え一休みしたら、街の中心部にあるスーパーにアルコールを買いに出かける。夜は飲まなくちゃ。
ここはスキーリゾート地であり、また別荘地でもある。森の中にたくさん別荘が建っているが、その一角で不思議なものを見かけた。細長い小屋の横にキャンピングカーがぴったり横付けされている。それがもの凄い数並んでいるのだ。
最初は小屋だけが分譲かレンタルされていて、そこにキャンピングカーを持ってきたのだろうと想像したのだが、ほとんど全部の小屋にキャンピングカーが停まっている。いくらなんでもこの状況は不自然だと思う。これは小屋とキャンピングカーを組み合わせたローコストの新しい形式の別荘なのだと思う。水廻りはキャンピングカーのものを使用し、小屋は拡張的な居住スペースなのではないだろうか。
ビョーリはノルウェイの中でもかなり早い時期からスキーが楽しめる場所だという。この夏の時期には想像できないが、冬はかなり早くやってくるのだろう。
これがビョーリのスキー場だ。斜度がかなりきつそうだが、どんな滑り心地だろうか。
今日は雨で天気は冴えなかったが、その分幻想的なローゲン川の谷を味わえた。明日はこの谷の終点、ロムスダールフィヨルドのオンダルスネスまで行く。途中にはラウマ線が通る石造のシリング橋や『トロルの壁』といった見所がある。