イストラ半島南端の街プーラの朝。6時半に起床、今日もまた快晴です。お馴染みになった共用キッチンでサンドイッチの朝食を済ませたら、出発準備。
今日はまずプーラ駅から列車移動。8時に宿を出発します。
朝はまだ涼しくて気持ちがいい。北西の駅に向かう途中で、円形闘技場の横を通り抜けます。
プーラ駅は宿から1kmほどと近く、すぐに到着。
駅舎の横には蒸気機関車が置いてありました。こんな機関車が走っていたのかな。
到着したのは8時15分。駅舎はピンクっぽいかわいい建物ですが、まだ駅員は誰もおらず建物の鍵は閉まったまま。イタリア人らしきサイクリストが1人、ホームのベンチで開くのを待っていました。
8時半に駅員がきて、しばらくするとオフィスが開いたのでチケット売り場へ。
イタリア人サイクリストは自転車用チケットも購入していたので、私たちも乗車券45kn/人と自転車用チケット15kn/台を購入。
これで折り畳まなくても乗せられるはずですが、やってきた車両は小さくて、これで折り畳まずに乗せられるのかな?
確かに車両の先頭には自転車置き場がありましたが、1台でいっぱいです。私たちは、半分に分かれている車両の後ろ部分に移動。
自転車置き場はありませんが、後ろ車両の乗客は私たち以外は2人ほどと少なかったので、座席の横に自転車を立てかけました。
9時13分、予定通り出発です。プーラを過ぎると次第に内陸に入り、海は見えなくなりました。
小さな車両はガタゴトと車体を揺らしながら進みます。
車窓から見えるあたり一面には緑に覆われた低い丘が続き、時おりオリーブやぶどう、とうもろこしなどの畑が点在しています。
各駅停車の列車は、一見何もない「駅?」というところにも停車しながらのんびり進みます。
やっと大きめの町が見えました。この町パジン(Pazin)は、イストリア半島のまさに真ん中に位置する交通の要衝であり、ジュール・ヴェルヌにインスピレーションを与えたという100mにも及ぶ高さの断崖と地下を流れる川があるそうです。
プーラ駅を出発して1時間半ほど。車掌さんが「この駅で下りて、フムの町はあっちだよ」と教えてくれたフム・ウ・イストリ(Hum u Istri)駅で下車。
下りたのは私たちだけ。駅には小さな小屋が一つ、他には何もありません。
線路を渡って車掌さんの教えてくれた方向へ。むむ、最初からかなりの勾配の上りです。一応、舗装路のようですが。
いきなりの激坂をヨロヨロと押していると、牧草を満載したトラクターに追い抜かれました。急勾配のため、荷台からはボロボロと牧草が落ちています。
ようやく自転車に乗れる勾配になり、林の中を折れ曲がりながら走ります。
上り基調のアップダウンは結構きついのですが、先ほどのトラクター以外はほとんど車にも会わず、ゆっくりと上ります。
フムの町の入口に到着。道の脇には駐車場を整理する係の人のブースがあり、車で来る観光客が少なくありません。
フムは、人口20人ほどのとても小さな町ですが、『町』としての公的機能を果たす施設があり、町長もいることから『世界最小の町』としてギネス認定されたそうです。
そういえば、2014年に訪れたベルギーのデュルビュイも『世界最小の町』と言われていましたが、そちらは人口約500人。フムの小ささは桁違いですね。
城壁の入口と反対側には、12世紀のロマネスク建築の聖イエロリム聖堂があります。
こちらは後で訪れることにして、まずは城壁の中へ。
城壁を回り込むと、鐘楼の足元に小さな入口が見えます。
ところでこのフム、伝説では、イストリア半島にある数々の丘の町を石で造った巨人が、余った小石でフムを造ったのだとか。ちっちゃいわけですね(笑)
石畳の門を入ると前室のような空間があり、そこを抜けると町で唯一の広場に出ます。
入口の城壁、教会と鐘楼、住宅、店舗の建物に囲まれた小さな石畳の広場は、中世の町に迷い込んだようです。
正面のお店では、ワインやフム特産のグラッパBiskaを売っています。
フムの教会は、13世紀の教会の跡地に1802年に建てられたバロック様式で、内部は白を基調とした明るい空間でした。
教会を出て、石壁の家並みに導かれるように町の奥へと入っていきます。
細い通りを50mほども進めば、もう家並みは途切れます。
そして崩れかけたようなアーチをくぐると、町のはずれに到着です。
そこは、城壁と円形の塔が残る見晴し台になっていました。
周辺の丘や遠くの山並みを望む場所には、ぽつんとベンチと街灯が。
今はかんかん照りの日差しですが、ここで夕暮れ時に休憩するとよさそうですね。
町の北側の路地を行くと、いくつか宿泊施設がありました。
城壁にぶらさがっているようなこのアパートタイプの宿泊施設、5つ星だというから驚きです。小さな町は観光客にも人気が高いようです。
『世界一小さな町』を一巡りし、いったん城壁を出て向かい側の丘にある聖イエロリム聖堂に足を運びます。
手前の門扉を開けて入ると墓地があり、その奥に聖堂があります。
ロマネスクの簡素な聖堂の入口は、後ろの北西側にありますが、しっかりと鍵がかかっています。あらら。
しかし、ふと手元のガイド『ロンリープラネット』を見ると、城壁内のレストランで鍵を渡してもらえると書いてありました。
そこで再び城壁内へ。レストランのマダムに言うと、すぐにこんなでっかい鍵を出してくれました。よかった〜、さすがロンリープラネット。
ロマネスクの聖堂は内部も至ってシンプルなつくりで、奥に半円形のアプス、南西の壁に2つの窓が穿たれています。
そして、壁には鮮やかな色彩で描かれた12世紀のフレスコ画が残っていました。
これらのフレスコ画はキリストの生涯を描いたもので、ビザンチン絵画の影響が見てとれます。
北東の壁には、十字架から降ろされたキリストが描かれています。
聖堂の鍵を返したついでに、この気持ちのよいテラスのあるレストランで小休止。
食事もとてもおいしそうでしたが、今日の行程を考えると昼食にはまだちょっと早いので飲み物のみで。手前のはマスカットのビールだそうで、香りも味も爽やかです。
12時過ぎにフムを出発。とても小さな『町』でしたがゆったりした時間が流れていて、泊まっても楽しそうだと思いました。
フムを出ると、しばらくは気持ちのいい下りが続きます。
ところで、フムとロッシュをつなぐ7kmのこの道は『グラゴールの小道』(Aleja glagoljaša)といって、古代スラブ語のアルファベット『グラゴール文字』を表現したモニュメントが数カ所にわたって設置されています。下りの気持ちよさに、写真を撮る機会を逃してしまいましたが。
しばらく下ると景色が開け、周囲には緑の丘や小さな町も見えてきます。
グラゴールの道はR44にぶつかり、その後幹線のR44を西に向かいます。
すると、道路の前方に丘の上の町が見えてきました。ブゼトです。
ブゼトの少し手前でR44を離れ、丘のふもとへ進みます(TOP写真)。
しかし、丘の上の町ですから坂を上らなければいけません。わかってはいるけどね〜
激坂を上りきったと思ったら、さらに階段があって『担ぎ』。(車の道もあります)
自転車を抱えてヨロヨロと上ったところはブゼトの入口、『大扉』(Vela Vrata)でした。
そこから少し上ると、すばらしい緑の景観が広がる城壁に沿って、テラスが並んでいます。
その中の1軒、感じのよさそうなホテルVela Vrataのレストランで昼食をとることにしました。
城壁沿いの見晴らしのよいところに席をとり、城壁にワインを置いてゆっくり昼食です。
まず、イストリア盛り合わせ。何が来るのかな〜と期待していると、それはチーズ、オリーブ、サラミの盛り合わせでした。
濃厚な味のチーズとサラミ、そしてかわいいパンもおいしい。
メインは、ポークリブのカントリースタイル(豆、パプリカ、タマネギなどの煮込みソース)、ポテトフライ添え。
柔らかいポークリブと、味わい深いソースが絶妙。ポテトもジューシィでした。ロケーション、雰囲気、味と、すべて満足なサリーナです。
ゆっくり昼食を終えたら、徒歩でブゼトの観光に出発。ブゼトの歴史は古く、青銅器時代から集落があったといいます。その後、古代ローマ、ビザンチン、フランクなどを経て、1497年よりヴェネチア共和国の統治を受けます。ヴェネチア時代に城壁の補強など大きな改修が行われ、現在見られる町の形になったそうです。
路地を抜けると、1784年に完成した教会(Chiesa dell'Assunzione)と、1897年に再建された鐘楼の前に出てきました。
教会の内部は優雅なバロック様式。白とクリーム色で、華やかな装飾ながら落ち着きを感じさせます。
旧市街の建物は16〜18世紀のものが多く、やや寂れた印象のものもありますが、中世の雰囲気の中で静かな散策が楽しめます。
実は、ブゼトの住民の多くは丘のふもとの新市街へ移り住んでいるとのこと。
旧市街の北西端にある見晴し台から、ふもとの新市街やその向こうに連なる丘を眺めます。
丘の中腹のどこかに鉄道のブゼト駅があるはずです。
南に戻りつつ町歩きを続けると、通りの真ん中に井戸(大きな井戸)を見つけました。ロココ調の鉄製の柵に囲まれたこの井戸は、1788〜1789年にかけて、古い井戸を改修してつくられたものだそうです。
井戸の先を右に曲がって西方面を見ると、門がありました。
これは1592年に完成した『小扉』(Mala Vrata)です。
門を出てみると、外側からのつくりは威厳がありますね。
アーチの要にあるレリーフは、ヴェネチアのライオンでしょうか。
門の内側に戻り、さらに南に歩くと、現在はミュージアムになっているヴェネチア時代の貴族の館があります。しかし、そろそろ駅に向かわなければならない時間となりました。
レストランの横の城壁まで戻り、置いていた自転車に乗って出発です。
Vela Vrataを過ぎると激坂の下り。
いくつかカーブが続く道をぐわーっと下ると、あっという間にふもとの新市街に到着しました。
平らな道を少し走りますが、丘の中腹にある駅までは標高差約300mの上りです。
丘の上の町は標高150mだったのに、80mまで下ってまた上りとは、何とも残念。
時刻は午後4時。かあっと日差しが照りつけ、木陰もないまっすぐなアスファルト道を黙々と上ります。
勾配も心なしか次第にきつくなり、ヨロヨロと上るサリーナ。まっすぐな道はちっとも進んだようには見えず、心が折れそうになります。
途中、木陰で休憩をはさみながら、汗だくで何とか駅に到着したのは発車15分前。はあ、疲れた〜 急いで自転車を折り畳みます。
駅舎の横から南側に目をやると、丘の上のブゼト旧市街やふもとの新市街が一望に見えました。あそこから下って上ってきたのね。
私たちが乗るのは、小さな落書き列車。乗車を待っていると、駅員さんに「スロヴェニアに行くの?」と尋ねられました。ブゼトはスロヴェニアとの国境最後の駅なので、ここで出国のパスポートチェックが行われるのです。
列車で国境を越えると、スロヴェニア最初の駅ラキトヴェツ(Rakitovec)で、今度は入国のパスポートチェックです。列車マークのスタンプが押されて、無事スロヴェニアに入国。
45分ほどでディヴァーチャ(Divača)駅に到着し、リュブリャナ行きに乗り換え。今度の列車は真っ赤なピカピカで、さすがは首都行きの幹線列車です。
途中、旅の最初に訪れたポストイナを経由して、1時間ほどでロガテツ(Logatec)駅に到着。
時刻は午後7時。灼熱のイストリア半島に比べると、すいぶん爽やかな感じがします。
ところで、この駅にも蒸気機関車が置いてありました。スロヴェニアやクロアチアの人たちは鉄道好きのようですね。
駅から500mほどで、本日の宿に到着しました。
家族経営のこの宿は、1階でレストランもやっています。ロガテツは観光地というわけではなく、レストランには地元の人たちも多く賑わっていました。
夕食はトマトとモッツァレラ、ターキーのタリアテッレ。モッツァレラはピザに乗せるような形状で見た目ちょっとイメージ違いでしたが、ともかくイストリア半島の旅を無事に終え、再びスロヴェニアに入ったことを祝して乾杯。
さて、明日からは旅の雰囲気ががらりと変わり、スロヴェニア北西部の山岳地帯に分け入っていきます。