ガンゴンガンゴン… 6時半、教会の鐘の音に起こされました。今日も快晴です。共用キッチンでサンドイッチの朝食を食べ終えたら、早速徒歩でクロアチアのプーラ観光に出発。
まずはプーラ最大の見所、円形闘技場を目指します。この宿はとても便利な場所にあり、200mほど歩くともう見えてきました。
こちらは円形闘技場の南東にあたり、アドリア海に向かう斜面の高い側になります。闘技場を囲む壁は2段でちょっと低い感じ。
その壁に沿ってカフェが並び、のんびり朝食を食べるおじさんたちがいます。入口は反対側のようなので、壁沿いにぐるっと回ります。
この円形闘技場は、地元ではアレーナ(Arena)と呼ばれ、1世紀の古代ローマ時代に建てられたものです。
楕円の闘技場は長辺133m、短辺105mで、収容人数は2.3万人だったとか。ローマのコロッセオは長辺188m、5万人の収容人数なので、それよりはちょっと小ぶりですが堂々としたものです。
アーチの続く壁を見上げる。最上段には雨水を集めて流す溝が彫られているそうです。
壁沿いを北に下っていくと、壁面は3層になってさらに迫力を増します。
ここでは剣闘士同士の戦いや、剣闘士と猛獣の戦いなどが繰り広げられたそうです。
今はコンサートや映画祭の会場になったり、夜には古代ローマの衣装を着た剣闘士のショーが行われたりしています。『グラディエーター』ですね。
それにしても、この楕円形の壁全体がよく残ったものです。
ローマのコロッセオの場合、全面の壁内側に客席が設けられているのでもう少し安定感がありますが、プーラ円形闘技場はこの薄い壁だけがぐるりと取り囲んでいるので、とてももろそうに見えます。
北に設けられたこの塔(客席?)は、外壁の中で最も重厚な感じです。えらい人の客席だったのかな?
近年洗浄あるいは修復されたのか、この部分だけが特に白く輝いています。
現在の入口は広場に面した西側にあります。では、いよいよ中に入ってみましょう。
客席を上って見渡すと、楕円のアーチ壁に囲まれて壮観です。
観客席の最上段は芝生席、ではなくて、ここに木の座席が設けられていたのでしょうか。
いにしえのローマ時代に思いを馳せるサイダー。
さて、中央の舞台下には地下通路があり、出番前の猛獣の控え場所等として使われていたそうです。
今は小さな展示室として、古代ローマ時代にイストリア地方で生産されたオリーブやワインについての展示があります。写真は、オリーブ油をしぼる機械のレプリカ。
こちらはオリーブ油やワインを入れる壷。いろいろな形がありますね。
イストリア半島では良質のオリーブ油やワインが生産され、ローマ帝国でも大変重視されたのだそうです。
この古代の地図にも、イストリア半島やプーラなどの都市が絵入りで示されています。
プーラ円形闘技場を見終わったら、プーラの旧市街へ。
旧市街は城壁に囲まれた直径500mほどの小さなエリアです。今も残る城壁の入口の一つ、双子門(Porta Gemina)は1世紀の終わりから2世紀初めにかけて建てられたもの。
少し南に下ると、今度は2つの丸い塔に挟まれたヘラクレス門に至ります。
あまり見えにくい、というか現地では気づかなかったのですが、アーチのキーストーン(要石)には、プーラの守護聖人であるヘラクレスのレリーフがあるようです。
城壁に沿ってジャルディーニ(Giardini)通りを南下します。ここは広い歩道にカフェが連なる気持ちのよい通りです。
そしてアイスクリーム屋を発見し、吸い寄せられるサリーナ。
ここはシャーベット風のちょっとオシャレなアイス屋さんで、洋梨アイスを賞味。うま〜い!
ジャルディーニ通りの南端に、セルギウスの凱旋門(Arch of the Sergii)があります。
これは、プーラを統治していたセルギウス家によって紀元前28年に建てられたそうです。
コリント式の柱に挟まれたアーチの上部には、翼を持つ天使のようなレリーフがありますが、これは勝利の女神ニケ(ローマではヴィクトリア)だそうで、アントニーとクレオパトラで有名なアクティウムの海戦の記念とされています。実は、プーラは勝利者側ではなかったそうですが。
凱旋門をくぐると旧市街に入り、細い通りに小さな店が軒を連ねています。
ここは凱旋門の名前にちなむ「セルギウスの通り」(Ul. Sergijevaca)で、ブティックや靴屋、土産物屋などが並ぶ楽しげな通りです。
この先のあたりにローマのモザイクがあるはずですが、通りは建物が並んでいて見当たりません。
それは、建物の並ぶ通りを裏側にまわり、駐車場を抜けた奥にひっそりとありました。元々あった場所から移設されたそうですが、どうしてここだったのかしら?
簡単な屋根がかかる柵を覗き込むと、長方形の床一面に幾何学模様や魚、そしてギリシア神話を描いた3世紀のモザイクが見事に残っています。
これは、ギリシア神話に登場する女性ディルケー(Dirce)が、殺そうとしたアンティオペーの2人の息子によって雄牛の角につながれて殺される場面を描いています。
モザイクの近くには、初期キリスト教の聖マリア・フォルモサ教会があります。
6世紀に建てられたこの教会は、ギリシア十字形の南のチャペルのみが残っています。
この教会の敷地の横には公園があります。
この公園、木陰があって芝生があって、ところどころに何気なく石棺や石柱がごろりと置かれているのです。特に何の説明もないのですが、これらはローマ時代のものだったりして? こんなに無造作でいいのか、と心配になりますね。
ともかくこの旧市街は、古代遺跡の宝庫ということでしょう。公園の先には古代ローマのフォーラムがあります。
広場にはアウグストゥス神殿が残り、その横には市役所があります。この市役所の建物は1296年に建てられたヴェネチア共和国庁舎ですが、市庁舎の裏側には、古代ローマ時代のヘラクレス神殿の一部を見ることができます。古代ローマのフォーラムの姿をよく留めている貴重な広場です。
アウグストゥス神殿は紀元前2年から紀元14年にかけて建設され、その後はキリスト教会として、さらに後には穀物倉庫として使われていたそうです。
1944年の爆撃により破壊された後、1945〜47年にかけて修復され、現在はミュージアムになっています。
神殿の柱頭はコリント式、繊細なアカンサスの葉の意匠が浮かび上がっています。
アウグストゥス神殿の基壇にすっくと立つサイダー。
シンプルな柱と三角ペディメントと四角い建物ですが、存在感と迫力に満ちています。
フォーラムをあとに、道沿いに北東に向かうと、そこは昨日入れなかったカテドラルです。
カテドラルは、古代ローマの浴場跡地に建てられた初期キリスト教の建物です。一方、その前にそびえる鐘楼は18世紀初期の建物で、その建築にはプーラ円形闘技場の石も使われたのだとか。円形闘技場が薄い壁になったのはこのせいなのか?
カテドラルは4世紀に建築が始まり、当初は一身廊のシンプルな教会でしたが、5世紀に現在の三身廊の教会になったそうです。
その床下には5〜6世紀のモザイクもあるらしいのですが、私たちが行ったときは公開されていませんでした。
カテドラルを出て、通りのカフェでちょっと小休止。時刻は11時半、結構暑くなってきました。
隣のテーブルでは地元のおじさんたちが集まって、いい調子。今日は土曜、みんなお休みなんですね。
さてここからは、旧市街の中央の丘の上にそびえ立つ要塞をめざして上ります。
上り坂で最初に遭遇したのは聖ニコラス セルビア正教会です。当初建てられたのは6世紀、その後10世紀に一部再建されたそうです。中には入りませんでしたが、とにかく旧市街は歴史的な建物が多くて油断できません。
そして、坂道の途中で海側に見えたのは13世紀に建てられた聖フランシス教会。
後期ロマネスクと初期ゴシック様式で、14世紀に増設された修道院の回廊も美しそうで、入らなかったのはちょっと残念。
昼に近づき、ともかく暑い! じりじりとお日さまに照りつけられながら、かなりの激坂を上っていきます。
ようやく丘の上のヴェネチア要塞に到着。ここは旧市街の真ん中に位置し、アドリア海やプーラの街がよく見渡せます。要塞はヴェネチア共和国の命を受けたフランス人技師が設計し、1630〜1633年に建設されました。四角い砦の四隅に菱形の堡塁を配置しています。その後、オーストリア・ハプスブルグ帝国時代を経て、第一次大戦の終了とともに要塞としての役目を終えたそうです。
そして今はイストリア歴史博物館となり、歴史や文化、政治や軍隊などに関する展示が見られます。
ユーゴスラビア連邦人民共和国の国旗を掲げ、チトーのプラカードを持つ女性たちの写真です。旧ユーゴの複雑な歴史は、我々の旅行前の付け焼き刃な勉強ではなかなか理解し難いものでしたが、ともかくそんな展示を見て回ります。
建物を出ると外には大砲が並び、要塞の雰囲気を演出しています。
その先の白く丸い塔は見晴し台。早速上ってみましょう。
海側の北西を眺めれば、海辺に突き出たウリャニク(Uljanik)のドックヤードに巨大クレーンが林立しているのが見えます。
これらのクレーンは夜になるとカラフルにライトアップされ、「ライティング・ジャイアンツ」と呼ばれてプーラの夜を彩る観光の目玉の一つになっているそうです。
北東に目を移せば、言わずと知れた円形闘技場。そしてその向こうには赤い屋根の市街地が広がっています。
ヴェネチア要塞で旧市街散策はいったん終了、お昼に向かいます。
要塞の丘を下っていくと、丘の途中にあったのは古代ローマ時代の小劇場。特に柵のようなものもなく、草っぱらにひっそりと存在している遺跡でした。プーラの歴史は深すぎる。
昼食は宿のお姉さんに教えてもらったピッツェリア。「ジュピターはどこでしょう」と聞いて回ってちょっとうろうろしてしまいましたが、"Jupiter"はユピテルと発音します。丘の上り口、セルビア正教会のすぐ近くにありました。
2階に上がると中庭があっていい雰囲気です。
もちろんピザ。周りを見るとサイズが巨大なので、2人でシーフードピザ1つ注文。あとはチキンサラダを頼んだら、野菜の上に大きなグリルチキンが3枚も乗ってきました。
食べるぞ〜 と気合い十分のサリーナ。シーフードピザは、今や世界の『カニカマ』入りでしたが、結構おいしい。
食事のあとはいったん宿に戻り、1時間ほど休憩した後、今度は自転車で出発です。
アドリア海での最後のビーチを楽しもう、というわけで街の南西方面へ走り出します。海岸沿いは倉庫群やドックになっていて入れないので、並行した並木のArsenalska通りを行きます。
続いてSvetog Polikarpa通りへ。相変わらず海辺は見えませんが、交通量は少なく緑豊かな通りです。
そこから小さな半島の付け根を回って南側の海辺へ。周辺にはずっと松林が広がり、小さな岬が出たり引っ込んだりしている海岸沿いには、ビーチを楽しもうという人たちがたくさん来ています。
ここはValkaneというところ。どこのビーチにしようかな、と海沿いを自転車で流していきます。
さらに岬を2つほど回り込んだValsalineで、小さなビーチを見つけました。すぐ脇の茂みに自転車を立てかけておけるのも好都合。
日差しを浴びてのんびり楽しむ人たちの脇を抜けて、早速海へ。
ヤッホ〜、と海につかって楽しげなサリーナ。とても気持ちがいいのですが、足元は丸い砂利で水はちょっと濁っています。
しばらくパチャパチャと楽しんだら、もう少し先のビーチに行ってみることにしました。
Valsalineを過ぎると、自然豊かなVerudella半島に入ります。宿のお姉さんに「このあたりはとてもきれい」と教えてもらっていたところです。
腕のように突き出た半島を南に進むと、またまたステキなビーチに遭遇。Ambreraというところで、「ここにしよう!」
ビーチには、やはりたくさんの家族連れやカップルがくつろいでいます。
それにしても、イストリア半島をずっと走ってきて、どこの海辺を通ってもたくさんの人たちが楽しんでいるのには驚かされます。
ここの水はとても澄んで透明です。ビーチは玉砂利ですが、少し横の岩場に行ってみれば、いるいる〜 縞模様や、お腹のあたりに黒い点のあるやつ、ハゼみたいなのなど、小さいお魚をいろいろ発見。小型のウニもいました。
写真の真ん中の岩場にいるのがサイダー。
1時間ほどビーチで遊んだら、そろそろ日も傾いてきました。18時頃、ビーチをあとに宿に向かいます。
松林に覆われた半島内の道を進むと、Veruda通りというちょっと大きな通りに出ます。
しばらく走ると市街地に入り、宿に到着。4kmほど走ればきれいなビーチに行けるのですから、これはうらやましい環境ですね。
部屋でゆっくり休憩したら、今日も夕食は共用キッチンで自炊。ルッコラ、キュウリ、トマト、玉ねぎのミックスサラダと、ソーセージと玉ねぎ炒め、ちょうちょパスタ添え。白ワインでいただきま〜す。
明日は海辺を離れてイストラ半島中央部を少し散策した後、クロアチアから国境を越えて再びスロヴェニアに入ります。