タクシーで旧市街へ
ペルー最後の一日は、リマの旧市街を散策します。私たちの宿はミラフローレスに近いサン・イシドロ地区にあり、旧市街からはやや離れています。
ホテルのマダムにバス停はどこかと尋ねたら、『旧市街に行くなら絶対タクシーよ! ギュウ詰めのバスに乗って、渋滞に巻き込まれたくないならね』。というわけでタクシーを呼んでもらいます。確かに道路は渋滞が続いています。
エディフィシオ・リマック
リマの中心部にやってきました。エクスポシシオン公園の横を通り過ぎると、広い中央分離帯が公園と歩行者空間となり、裁判所や官公庁など重要な建物に囲まれたエロエス・ナヴァレス通りにやってきました。
この通りの北端に構えているのは、エディフィシオ・リマック(Edificio Rímac)またはカサ・ルーズベルト(Casa Roosevelt)と呼ばれているフランス様式の建物で、1924年に完成したものです。ここにはリマで最初のデパートが入り、最初のエレベーターが設置されたといいます。
サン・マルティン広場
エロエス・ナヴァレス通りから2ブロックほどさらに北に進むと、サン・マルティン広場に到着しました。ここが私たちの散策のスタート地点です。
20世紀前半につくられたこの広場は、その前後に建てられたアール・ヌーヴォーやアール・デコの豪華な白い建物に囲まれて美しい佇まいを見せています。
サン・マルティンの騎馬像
サン・マルティン広場の中央には、南米諸国を独立に導いた英雄の一人、ホセ・デ・サン・マルティンの騎馬像があります。
ここでガイドブックを見ていると、『場所はわかりますか?』と日本語で声をかけられてビックリ。この男性は日本に住んでいたことがあり、今は市の職員として観光案内をしているそうです。サン・マルティン像の前で記念写真を撮っていただきました。
グラン・オテル・ボリバル
広場の北西端にある豪華な白い建物は1924年に建てられたグラン・オテル・ボリバルで、リマで最初の大規模な近代的ホテルだったそうです。
ここにはかつて、クラーク・ゲーブルやミック・ジャガーも泊まったといいます。
エントランスホール
ホテルのエントランスホールは筒型ヴォールト天井にシャンデリア。数段の階段を上ると、
ラウンジ
丸いガラス天井に覆われた明るいラウンジに出ました。
列柱に囲まれて格式を感じさせながらも、軽快で華やかな雰囲気を持つラウンジです。
T型フォード
もう少し奥に進んでみると、エレベーターホールに置いてあるのは何と、T型フォードです。
このホテルが開設した頃は、このあたりをT型フォードが行き交っていたのでしょうか。
ヒロン・デ・ラ・ウニオン
サン・マルティン広場から北東へ向かうヒロン・デ・ラ・ウニオン(Jirón de la Unión)という通りに入ります。ここは車は通れず歩行者専用の通りとなっています。
アルマス広場へと繋がるこの通りは、フランシスコ・ピサロがリマを建設し始めたのと同年の1535年に築かれたといいます。
20世紀前半の雰囲気を持つ通り
20世紀前半には、この通りには高級店やカフェ、レストランが並び、セレブたちが集まる場になっていたそうです。
通りを歩いていると、そんな雰囲気を偲ばせる建物があちこちに見受けられます。
メトロポリターノの駅
2ブロックを歩いた交差点に出ると、直交する通りには駅のようなバス停とバス専用レーンが設けられていました。
これは『メトロポリターノ』と呼ばれるリマ市内の高速バスシステムで、北はインデペンデンシア地区のナランハルから南はチョリーリョ地区のマテジーニを専用レーンで結ぶもので、2006年に建設が始まったのだそうです。今では1日平均60万人が利用する市内の公共交通の要になっているといいます。
ラ・メルセッド教会
さて、ヒロン・デ・ラ・ウニオンのちょうど真ん中に、チュリゲラ様式のねじり柱で飾られたファサードを持つラ・メルセッド教会があります。
当初1541年に建設され、その後何度か再建されました。現在見られる教会の多くの部分は18世紀のものだそうです。
ラ・メルセッド教会内部
1534年、リマで最初のミサが行われたのはこの教会のある場所だったといいます。
教会内部に入ると、正面の主祭壇の他にも左右に祭壇が並んでいます。
木造の祭壇
祭壇の一つ。黒光りする木造の祭壇が彫刻で埋め尽くされています。
銀の十字架
そして、入口のすぐ右側には大きな銀の十字架がありました。
ここにはペルー中から巡礼者が集まり、この十字架に手を置いて奇跡を祈るのだそうです。
青空が見え始めた
ヒロン・デ・ラ・ウニオンをさらに北へと進みます。
雲が途切れ、青空が見え始めました。私たちがリマで初めて見る青空です。
アルマス広場と大聖堂
ヒロン・デ・ラ・ウニオンの北端のアルマス広場に到着。
ここは、16世紀にフランシスコ・ピサロが建設を始めたリマの中心であり、広場は大聖堂や大統領官邸など重要な建物に囲まれています。
大統領府
こちらは広場の北東ブロックを占める大統領府(Palacio de Gobierno)です。この場所には、ピサロの時代から継続して国を統治する機能が置かれています。
現在の建物は1938年に建てられたネオバロック様式のものです。
クルブ・デ・ラ・ウニオン
アルマス広場の周りには、黄色い似通ったデザインの建物がいくつも見られます。
写真の右手はクルブ・デ・ラ・ウニオンという民間団体の建物です。
市庁舎のポルティコ
こちらはリマ市庁舎のポルティコ。こちらも黄色い建物です。市庁舎の建物裏手には観光案内所があります。
観光案内所はアルマス広場とは反対側にあってちょっとわかりにくいですが、観光地図をもらい、『リマ歴史地区観光で1日だけとは、少ないですね〜』と言われつつ、お勧めの観光ポイントを教えてもらいました。
サント・ドミンゴ教会の塔
アルマス広場の北西に2ブロック進んだところに、ピンクの塔のあるサント・ドミンゴ教会があります。
ここは歴史的な建物であるとともに、ペルーの重要な3人の聖人が祀られているところでもあります。
教会の内部
教会の中に入ると、白を基調とした内陣の奥に金色の祭壇が見えます。
祭壇に近づいてみると、その横にも祭壇が並んでいます。
聖人たちの祭壇
主祭壇の右手にある祭壇には、中央にサンタ・ロサ・デ・リマ、左にサン・マルティン・デ・ポレス、右にサン・ホアン・マシアスの像が祀られています。
そしてサンタ・ロサ、サン・マルティンの像の足元をみると、ガラスのケースに頭蓋骨が納められていました。
最初の回廊と鐘楼
教会の横には、中庭を囲む2つの回廊が設けられています。
最初の回廊は赤い半円のアーチが並び、その向こうに教会の塔(鐘楼)が見えました。
最初の回廊
回廊に繋がる小部屋の入口の柱は赤と白の縞模様で、小部屋の内装もムデハール様式でした。
そして、回答の壁や柱には絵タイルがはめ込まれています。
絵タイル
絵タイルには1604年、1606年の文字が見えます。
これらのタイルはスペインで作られたもので、13世紀の聖人サント・ドミンゴ・デ・グスマンの生涯を描いたものだそうです。
図書館
回廊から繋がる部屋の一つに図書館があります。重厚な木の天井に覆われ、壁面には木造の書棚が並んでいます。
サント・ドミンゴ教会の図書館には、ドミニコ会修道士たちが使った貴重な古い書籍が残っているそうです。
2番目の回廊
2番目の回廊にやってきました。最初の回廊より小さく、黄色いアーチが軽快が感じです。この回廊の横にサン・マルティン・デ・ポレスの礼拝堂があります。
中庭には3聖人の像。あれ、4人ですね。どなたでしょうか。
鐘楼の鐘
回廊を見学し終わってちょっと休んでいると、係の方が『今から鐘楼の見学を行いますので、参加しますか?』と声をかけてくれました。
せっかくなので、鐘楼に上ってみることにしました。階段を上っていくと、大きな鐘が吊り下げられています。
鐘楼から回廊を見る
この鐘楼は当初17世紀に建設され、その後地震で壊れ、現在の塔は1766年に建設されたものだとか。上のバルコニーからリマの旧市街を見渡すことができます。
すぐ下に見えたのは、最初の回廊です。そして公園の向こうにはリマック川が流れています。実は、リマ旧市街の景色は屋根が美しいというわけでもなく、上から見ると今ひとつでした。
アルマス広場方面の景色とサイダー
そんな中、アルマス広場の方向には黄色い市庁舎や大聖堂の塔が見えたので、ここで記念撮影。
大聖堂と司祭の館
さて、アルマス広場に戻って今度は大聖堂へ。
2つの塔を持つ大聖堂の左にある『司祭の館』は1924年の建築で、繊細な木造のバルコニーが見事です。
大聖堂の内部
大聖堂はさすがに規模が大きい。この大聖堂は1535年、ピサロが『ここに教会を建てる』と指定した場所に建っています。
しかし、建物自体は再建や修復を繰り返し、現在みられる建物の姿は主に1940年の大規模修復によるものだそうです。
ピサロの遺骨
入ってすぐ右手にある礼拝堂には、フランシスコ・ピサロの遺骨がガラスケースに納められています。
1977年、地下礼拝堂を清掃していたが人が、いくつかの遺骨と、頭蓋骨を納めた鉛の箱を見つけました。鉛の箱には『これは、ペルーを発見し征服したフランシスコ・ピサロの頭部である』といったことが書かれていたそうで、その箱も展示されています。
主祭壇と聖歌隊席
大聖堂の奥には金色に輝く主祭壇があります。
それを取り囲む木造の聖歌隊席はロココ彫刻の傑作と言われています。
礼拝堂の祭壇の一つ
そして、内陣の横には多くの礼拝堂が並び、様々な様式の祭壇が設けられています。
サンタ・ロサ通り
さて、時刻は13時過ぎ。この辺でお昼にしましょう。
アルマス広場から東へ、市庁舎横の歩行者専用道サンタ・ロサ通りにはいくつかレストランがあります。
レストラン・タンタ
その一つに入ってみると、地元のお客さんが大勢入って賑わっている様子。
何にしようかな〜、と隣のテーブルを覗いてみると、いろいろ美味しそうだけどどれも大盛りです。女性たちもこの大盛りを一人で食べているのかあ。
緑のスープ
私たちにはとても食べきれません。ウエイターさんが『2人で1皿でも問題ないですよ』と言ってくれたので、頼んだのはこのスープ。ちゃんと2つの土鍋に分けて持ってきてくれました。
鶏肉とジャガイモ、トウモロコシ、赤ピーマン、人参などが入り、スープの緑色はパクチーです。これ、かなり美味しい当たりでした!
大統領府の横を進む
お腹も満たされ、午後の観光へと出発です。
大統領府の横のヒロン・デ・ラ・ウニオンを北東へ進みます。
カサ・アリアガの玄関
この通り沿いの左手に『カサ・アリアガ』があるはずですが、なかなか入口が見つかりません。
道路沿いには店舗が並んでいますが、その横の木の扉がこの邸宅の入口でした。階段を上って2階にこの玄関があります。ガイドさんに連れられて見学するのは、私たち2人とウルグアイからやってきた女性3人の計5名。
アリアガ家の当主
そこにちょうど、この家の当主の方がやってきました。見るからにセレブな雰囲気。私たちは日本人だと知ると、『家の中には日本の品もあるので、どうぞ見ていってください』とおっしゃいます。
ピサロが1535年、臣下のヘロニモ・デ・アリアガに与えた土地に建つこの家は、アリアガ家の子孫が代々住み続け、今に至っています。
タイルのサロン
では早速、セレブのお宅拝見。ホールを通り抜けたところにあるリビングルームは『タイルのサロン』と呼ばれ、壁や床に青いタイルがはめ込まれています。
右手の棚の青い内張のショーケースに納められているのは、ヘロニモ・デ・アリアガが愛用した剣なのだそうです。
中庭
様々な部屋をつなぐ中庭の中央には噴水が置かれ、大きな木が空まで伸びています。
アリアガ家のご家族は、季節の良い時には中庭に面したバルコニーで朝食を取るのだそうです。
ホール
こちらの金色に輝くホールの鏡や調度品はフランスのルイ王朝時代のもの、中央のブロンズのストーブは1889年のパリ万博で賞を取ったもの、なのだそうな。
日本の絵付け壺
そして、2つの大きな日本の絵付け壺が置かれていました。このカラフルな壺は、明治時代に輸出用につくられたものでしょうか。
アルマス広場の馬車
再びアルマス広場に戻ってきました。
大統領府の衛兵
大統領府の前を通り過ぎます。
ここでは毎日昼12時に、ブラスバンドで『コンドルは飛んでいく』を奏でながら衛兵交代があるそうですが、見逃してしまいました。
ラ・ムラジャ公園の歩道橋
次に向かったのは、リマック川のほとりにあるラ・ムラジャ公園です。
ラ・ムラジャ公園から歩道橋を上ってみると、
城壁跡
下に遺跡のようなものが見えます。
17世紀、リマの中心部は城壁に囲まれていたそうですが、1870年代には市街地の拡大によってほとんどが取り壊されたといいます。この公園では城壁の一部が発掘されており、かつての姿を偲ぶことができます。
城壁の形が残る
このあたりは城壁の形が残っています。ここには小さな博物館もあるそうですが、私たちは先へと進みます。
サン・フランシスコ修道院
途中、サン・フランシスコ修道院を通り過ぎました。この明るい黄色をした修道院で有名なのは、カタコンベと図書館だそうです。
修道院前の柵に囲まれた広場には、おしゃべりする人たち、そしてたくさんの鳩がいました。
ボリバル広場
そして、ボリバル広場に着きました。この1街区分の広場の中央には、ラテンアメリカの解放者と呼ばれるシモン・ボリバルの像があるはずです。
しかし、広場の入口門の前には盾を構えた警察官が並んでいます。何かあったのかな。またストライキでしょうか? シモン・ボリバルの騎馬像は横目でちらっと見るだけとなりました。
ペルーの国会議事堂
この広場に面したネオクラシックの建物は、ペルーの国会議事堂です。
ムニシパル・グラン・マリスカル・ラモン・カスティージャ市場
国会議事堂の手前を右折して1ブロックほど歩くと、ムニシパル・グラン・マリスカル・ラモン・カスティージャ市場があります。
広い市場は種類ごとのエリアに分かれ、このあたりは乳製品エリア。チーズが山積みされています。
魚売り場
魚売り場。クスコの市場に比べると、さすがに魚介類は充実していますね。
手前はサバ、その左はアジです。
肉屋さん
こちらは肉類。ソーセージもあります。
ルクマ
そして、サリーナが求めていたのはこれ。ルクマ(Lúcuma)という果物です。
東京でペルー人のスペイン語の先生に『ぜひ食べてみて』と勧められたもので、写真中央の緑色の果物です。1個2ソルと、市場の果物にしては意外に高額でしたが、ともかくゲット。
中華街の入口
さて、この市場の南端には赤い門が聳え、ここから中華街が広がっています。
ペルーの中華街はどんな感じかな。早速、門の向こうのカポン通りへ足を踏み入れます。
カポン通り
中華街と言えば、赤い柱に赤い提灯に赤い旗。歩いているのは、ほとんどが地元の人たちのようです。
歩行者天国の通りのところどころに小さな屋台風の店が出ています。
ラッキーグッズ屋さん
何の屋台かと覗いてみれば、お守りとかラッキーなグッズを売っているようです。金の豚がいます。中国では『豚』は富・財産や子孫繁栄のシンボルだといいます。
そして、なぜか招き猫も鎮座。
実演販売
突き当りを右折すると、通り沿いにはまだずっと中華料理店などが並んでいます。
そして、狭い歩道は屋台や行き交う人で大混雑。こちらは『さあ、お立ち会い!どんな野菜でもこれを使えばこの通り!』と、何だか懐かしい実演販売でした。
買い物を終えた人々
中華街で買い物パワーに圧倒され、そろそろお疲れモードになってきました。
カサ・アリアガで出会ったウルグアイ人の女性から『絶対行きなさい!』と言われていたリマ芸術博物館(Museo de Arte de Lima)とか、ラ・レセルヴァ公園の噴水のイルミネーションショーとか、まだまだ行きたいところはあるものの、残念ながらそろそろ電池切れ。タクシーでホテルに戻ることにしました。
ルクマ
ホテルに戻り一休みしている時、私たちは明日の朝早くリマを出る飛行機に乗るんだということを思い出しました。先ほど買った果物ルクマは飛行機には持ち込めないので、今食べなければ食べる機会はありません。
というわけで緑の果物を割ってみたら、あらびっくり。果物というからジューシイなものを想像していたら、全く果汁のようなものはなく、ふかしたサツマイモのような感じ。ほんのり甘いのですが、飲み物と一緒でないとあまり食べられません。
あとで調べてみたら、栄養豊富なスーパーフードとして最近注目され人気が出ており、アイスクリームやケーキにして食べることが多いそうです。一度、アイスクリームにしたものを食べてみたいものです。
サリーナはピスコ・サワー
ペルー最後の晩餐は、ホテルから歩いて行けるエル・ボデゴンというレストランにしてみました。落ち着いた内装に写真などが飾られ、なかなかいい雰囲気です。
バーカウンター席なら空いているというので、そこに座ってサリーナはピスコ・サワーで乾杯。
サイダーはモヒート
サイダーはモヒートで乾杯。つまみはタコとジャガイモのグリル、美味しいです。この席、目の前で黙々とカクテルをつくるバーテンダーさんの仕事ぶりをずっと見られて飽きません。
これで、私たちのペルーの旅もついに終わりです。ペルーの広大さ、見所の多さに比べて、3週間という期間は何と短かったことか。
ともかく、素晴らしい体験の数々に感謝です。またぜひ、じっくり訪れてみたいと思います。