今日は昼過ぎの飛行機で首都のリマへ。クスコ、そしてアンデス高地の最終日です。この半日を、クスコ中心部のコロニアルな街の観光で過ごすことにしました。
朝8時前に出発。ここは泊まっているホテルからすぐ近く、バシリカ・メノール・デ・ラ・メルセド教会前の小さな広場です。朝日が眩しい。
西へ向かうマルケス通りには、職場や学校へ通う人たちが行き交っています。
そしてサン・フランシスコ広場に出ました。サン・フランシスコ教会の塔が見えます。
ここは、2日前の夜にオリャンタイタンボからコレクティーボで到着したところです。
サン・フランシスコ広場の南西角には、サンタ・クララのアーチ(Arco de Santa Clara)という凱旋門があります。
1835年に建造されたもので、ペルーとボリビアの同盟の始まりを記念したものだそうです。
アーチをくぐった先は、サンタ・クララ通り。そして、その左手側にはサンタ・クララ教会があります。
クスコのサンタ・クララ教会は16世紀に創設され、現在の建物は1622年に完成したものだそうで、1650年の地震にも耐えて、現在クスコで最も古い教会の一つなのだそうです。
サンタ・クララ教会を過ぎたところにサン・ペドロ市場があります。この大きな市場はクスコ庶民の台所。
市場はあとでゆっくり見物することにして、まずはその横に建つサン・ペドロ教会へ。
この教会は1572年に病院の敷地内に建てられましたが、その後の地震で被害を受け、現在の建物は1688年に着工したものです。
バロック様式の建物の中に入ると、壁には絵画が飾られ、奥の祭壇には金色に輝く飾り壁があります。
飾り壁は、18本の柱やその上で踊る天使などで飾られたきらびやかなもの。銀の聖櫃も置かれています。
では、サン・ペドロ市場に入ってみましょう。鉄骨平屋の大空間の下に様々な店のブースが並んでいます。
まだ朝8時過ぎなので、開いていないお店もあるようですが、賑わっているところに行ってみましょう。
ここはフレッシュジュース屋さん。山盛りの果物の後ろで女性たちがジュースを絞っています。
こちらは果物屋さん。ラインナップは日本とはちょっと違いますね。
ノニ、ザクロ、パパイヤ、アンズ、洋梨などが並べられています。
そしてこちらには様々なドライフルーツとナッツ類が並んでいます。色も鮮やか。
こちらは専門店。アボカドのみを売っています。いろいろな大きさのアボカドがありますね。
花屋さんは、赤や黄色などで色鮮やか。こういうビビッドな色が好まれているようですね。
肉屋さんでは、内臓やいろいろな部位を売っています。
こちらはチーズ屋さん。チーズはよく食べられるようで、ずらりとチーズ屋さんが並んでいます。
そして、今の時間帯、市場では朝ごはんブースが活況のようです。
このお店は、いろいろなスープやエスカベチェ(魚や鶏肉などのマリネ)がメニューにあります。
何を食べているんですか〜、と覗いてみると、こちらは蒸し鶏を入れたスープ麺でした。美味しそう!
市場の中の広いエリアが食べ物屋さんのブースになっていて、子どもから大人まで、大勢の人たちが朝ごはん中。
朝食は5ソーレスくらいからと値段もお手頃です。
子どもたちはテレビを夢中でみながらお食事中です。近所にこんな市場があったらいいなあ。
サン・ペドロ市場を出てサンタ・クララ通りを戻ります。
鮮やかな背負子を背負ったインディヘナの女性が通る。道端で開店しているのは、体重を図るお店でしょうか?
サン・フランシスコ広場に着くと、角の建物の前で何か式典を行っている様子です。
建物には『国立科学学校』と書かれています。この学校は、南米アンデス諸国をスペインからの独立に導いたシモン・ボリバルにより、1825年に創設されたといいます。
何だろうね、と見ていると、正装した白い髭の素敵なおじさまが『学校のOBが集まって記念行事をやるんですよ』と説明してくれました。
胸に輝くCのマークは、この学校のエンブレムです。
こちらは現在学校に通う子どもたちでしょう。みんなで校旗掲揚のようですが、大丈夫かな?
学校の隣には、この広場の名前にもなっているサン・フランシスコ教会があります。
1572年にこの場所で建築が始まり、その後、建替や地震での崩壊を経て、現在の建物は1652年に建てられたそうです。左手の木に隠れていますが、左に鐘楼があります。
サン・フランシスコ広場の北端から、スペイン統治時代の面影をよく残すガルシラソ通りに入ります。
この通りの名前は、インカの年代記を記したガルシラソ・デ・ラ・ベガにちなんだもの。
その通りの中程に、ホテル・マルケセスがあります。
この3つ星ホテルは17世紀の終わりに建てられた住宅を改装したものだそうです。感じのよいスタッフに『どうぞどうぞ』と言われ、早速中に入ってみます。
入口を入った正面にパティオがあり、アーチの回廊に囲まれています。
中央には石づくりの噴水、そして中庭に張り出した木造のバルコニーと木のドアなど、とても優美でいい感じです。
ガルシラソ通りを抜けると、私たちのホテルの近くのクシパタ広場に戻ってきました。真ん中に噴水のある静かな公園です。
その広場の南端にある白壁に青い窓とバルコニーのコロニアルな建物が、地域歴史博物館(Museo Histórico Regional)です。
ここは、インカの年代記を記し、クスコのカテドラルに埋葬されているガルシラソ・デ・ラ・ベガが1560年まで住んだところです。
建物を入ると中庭を囲んだ部屋があり、プレインカやインカ、そしてスペイン統治時代に至る様々な展示物や絵画などがあります。
そして、アルマス広場にやってきました。ここは、インカの時代にも中心広場として様々な儀式が行われており、元はプーマの形で周囲にはインカ皇帝の宮殿が並んでいたそうですが、スペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロがクスコを占領した後、正方形に形を変えて教会を建設したそうです。
中央の噴水の上に立つのは、金色に輝くインカ皇帝パチャクテク像です。
ポルティコのある建物に囲まれたアルマス広場からは、周囲の高台へと広がる家並みが眺められ、夜は周囲に瞬く星のように幻想的に見えます。
この広場の東側には、巨大なカテドラルがでんと構えています。
1559年から建設が始まり、完成まで100年ほどかかったというこのカテドラルの中には、クスコ派の絵画など多くの植民地時代の美術品がありますが、まだ10時の開館前なので、あたりをちょっとぶらぶらします。
カテドラルの左手に、1735年完成の聖家族教会(Templo de la Sagrada Familia)が並んでいます。
教会のファサードには、コーニスの上に縁取りのある半円形の飾り台があり、聖家族の像が置かれていました。門は閉ざされており、中に入ることはできませんでした。
そして、広場の南側にはラ・コンパニア・デ・ヘスス教会があります。
この2つの塔を持つ美しいバロック様式の教会は当初1571年に建てられ、1650年の地震で壊れた後に再建されたそうです。
カテドラルの横からアルマス広場の西側を見たところ。こちらからも周囲の丘を埋める家々が眺められます。
ラ・コンパニア・デ・ヘスス教会に入ってみます。
この教会は、脇の階段を上って2階からその上階の窓まで行くことができました。最も上の窓は後ろ向きなので、横の屋根が見えるだけでしたが、
2階のバルコニーからは、アルマス広場がよく見えます。アルマス広場とそれを囲む丘、そして右手には壮大なカテドラルの姿を見ることができます。
カテドラルの屋根の背後の丘の上をよく見ると、頂上に白いキリスト像が立っています。
昨日、サクサイワマン遺跡のあと横を通った『クリスト・ブランコ』が、こんなところに見えていました。
コンパニア教会を出て、今度はカテドラルに入ってみましょう。カテドラル内には、多くのクスコ派の絵画が展示されています。
その中でも特に有名なのは『最後の晩餐』。テーブル中央に置かれているのは、アンデスのごちそう『クイ』のロースト。また1650年の大地震のクスコを描いた絵もあり、建物が壊れる様子や逃げ惑う人たちなどが描かれていました。
さて、今日は14時51分発の飛行機で首都リマへ向かいます。空港は混むので2時間前には着いた方がいいと言われていたので、まだ11時過ぎですが早めの昼食にすることにしました。
アルマス広場の北側の路地でよさそうなレストランを探し歩きます。
このあたりは石畳の坂道が入り組んでおり、歴史ある街の雰囲気を見せています。
しかし、今はまだ11時過ぎ。前もっていくつか選んでおいたレストランは閉まっています。開いているかに見えたレストランも、『あら、まだ準備中よ。12時からよ』との返事。
あまり時間もないしお腹もそれほどすいてはいないので、開いているお店で軽食をとることにしました。
アルマス広場の北のプロクラドーレス通りで見つけたレストランに入ります。
注文したのはパパ・レジェーノとディエタ・デ・ポリョ。
パパ・レジェーノはポテトとマヨネーズのサラダみたいな感じ。ディエタ・デ・ポリョは蒸し鶏スープ麺で、やさしい味です。
昼食を終えてアルマス広場に戻ってきました。
ホテルに預けていた荷物を受け取ったら、これでクスコともお別れです。
クスコ空港に行くには、タクシーかコレクティーボ(乗合バス)か。値段はタクシー30ソーレス、コレクティーボ0.8ソーレス/人と、かなり違います。ホテルで聞いてみるとコレクティーボのバス停は近いので、コレクティーボで行くことにしました。『ちょっと冒険してみるのもいいんじゃない?』とホテルのお兄さんも後押し。
バス停で待っていると、コレクティーボより前に空港行きの普通のバスが来たので、それに乗って出発。
路線バスは繁華街を巡りながら進みます。ショッピングセンターの前を通ったり、何やら大きな施設の前を通ったりしています。
バスは庶民の足代わり。乗客はどんどん入れ替わり、車掌さんも大忙しです。
そして狭くて混んだ道を通るので、渋滞に巻き込まれています。空港までは20分くらいということだったけど、なかなか着きません。
学校の前を通ったら、混んでいる車内にさらに子どもたちがどんどん乗ってきて、身動きとれないくらい超満員。超満員だけど、女の子たちはおしゃべりに夢中で楽しそう。
私たちが降りる空港前になるとちゃんと車掌さんが教えてくれて、大勢の乗客の間をくぐり抜けて何とかバスを降りました。
30分以上かかり時刻は13時を過ぎていますが、ともかく無事到着です。空港ターミナルは思ったほどの混雑はありませんでしたが、何と我らの飛行機の出発時間は少し早まったようです。こんなこともあるのか〜、なかなか油断できません。
飛行機は1時間半ほどでリマ空港に到着。事前に依頼していた送迎車がやってきました。運転手は最初にリマに到着したときと同じおじさんでした。
リマの天気は相変わらずどんよりした曇り。アンデス高地では毎日のように快晴だったので、『リマに戻ってきた』というのが実感できます。
運転手さんとペルー南部の旅の話などいろいろおしゃべりをしながら、本日のホテルへ。
3週間前に泊まったホテルなので、『帰ってきたなあ〜』という感じです。部屋でシャワーを浴びて少しリラックスしたあと、フロントのお兄さんに近くのレストランを教えてもらって夕食に出かけます。
そのレストランは、リマ初日に訪れた遺跡ワカ・プクヤーナのすぐ横にあるイタリア料理店でした。
海辺のリマだから海の幸をと、1皿目はアボカドとサーモンの前菜です。
そしてメインは、白身魚のバジルソース。ワインと共においしくいただきました。
今日はアンデス高地の最終日、コロニアル時代のクスコを楽しんだあと、出発地点の首都リマに戻ってきました。ペルーの旅も、もう明日一日を残すのみ。明日はリマの中心部をゆっくり散策しようと思います。