『今年の鮟鱇鍋はいつですか?』 ベネデッタからこう聞かれたのが2月末。鮟鱇は冬の食べ物でせいぜい3月いっぱいくらいまでが旬なのですが、そこまでで空いている週末は一日しかなく必然的にその日に決定。人数は数名集まったものの、みなさん都合で走らずにアンコウを食べに行くだけだと。なぬ〜(怒)
某が走る予定だったものの、前日にインフルエンザだとわかりキャンセル。わたしはというと、ここのところあまり走れていないのでこの日は是非走りたい。ということで、今回は久しぶりにソロです。
以前70kmのコースを組んだ時には風が強くみなさんヘロヘロだったので、今回はルートを短く設定しJR常磐線の高浜駅をスタートし大洗までの50kmということにしていたのですが、一人だと時間が余りそうなので高浜より一つ東京寄りの神立駅を出発地にしました。
神立駅は思っていたより立派な駅でちょっとびっくり。ここは駅の西側が開けており東側は畑ばかりのところでしたが、最近はその東側にも駅前ロータリーが整備され、開発が少し進んでいるようです。
駅前のメインロードを僅かに進んでカントリーロードに入ります。この辺りまで来ると車の道をほとんど走らず、すぐにこんな道に入れるのがいいところ。
関東平野のこのあたりは常陸台地と呼ばれ、標高は30mほど。
ここはかすみがうら市宍倉の鹿ノ山という集落のようです。田園にはこんなふうな瓦屋根の住宅が似合います。
鹿ノ山の集落はこじんまりしており、すぐに集落を抜けて畑の中を行くようになります。
春に向けてきれいに耕された土がきれい。
自然の道はまっすではありません。それが視点の移動を生み、景色に変化を与えてくれます。
台地から霞ヶ浦の引力に引き寄せられて田んぼに下ると、筑波連山が見えて来ました。一番左に聳えるのが双耳峰の筑波山(877m)。
今日はほぼ終日あの山を見ながら走ることになります。
霞ヶ浦に出ました。霞ヶ浦は霞ヶ浦でもここはその北の端っこ。霞ヶ浦の中央部からこの高浜方面に伸びる枝の部分は『高浜入』と呼ばれます。
霞ヶ浦の湖畔には『つくば霞ヶ浦りんりんロード』が通っています。この自転車道を行くとすぐに霞ヶ浦から恋瀬川に入ります。正面にはあの筑波山がバーン。
景色は良いのですが今日はとても風が強く、ここは周辺に風を遮るものがないのでビュービューで前に全然進みません。予報では北風なので今日の行程は一日中向かい風になりそうです。
先にようやく県道に架かる愛郷橋が見えてきました。あの橋を渡ると石岡市の高浜です。
愛郷橋は工事中で交通量が多くちょっと走りづらいですが、側道橋が完成すれば自転車はそちらを通れるようになるのでしょう。
愛郷橋を渡ったら高浜の街のメインストリートを行くつもりでしたが、県道の交通量が多っかったこともあり、すぐに高浜入の左岸のつくば霞ヶ浦りんりんロードに入ってしまいました。高浜は小さな街ですが古くからあり、その街を覗いてもいいと思ったのですが、これは次の機会にしましょう。
小美玉市に入りました。ここは湖畔を南向きに進むので追い風で楽チン。でもこれは貯金にはならず、逆にあとで高い利子を付けて返さなければならないことになるのでした。
霞ヶ浦はザブンザブン。ものすごい波で溢れそう!
道脇にはレンコン畑がたくさん。この辺りはレンコンの生産が盛んなのです。今の時期はまだ畑の中は空っぽのところが多いですが、3月も下旬になるとそろそろ植え付けが始まります。
園部川を渡り霞ヶ浦に別れを告げ、蒲田川沿いを北上。
国道355号線に出ると、5世紀後半築造と考えられている前方後円墳の三昧塚古墳が目に入って来ます。
この古墳は全長85mで、周囲には深さ2mほどの濠が巡らされ、三重に円筒埴輪が並んでいたそうです。
ここからは箱式石棺、金銅製馬型飾付冠、金銅垂飾付耳飾、平緑変形四神四獣鏡などが見つかっています。
三昧塚古墳からは蒲田川の谷戸を行きます。
民家の庭先では梅が最後の花を開かせています。今年の梅は早く、遅咲きのものもピークを越した感があります。
県道紅葉石岡線に出ました。今日はあらかたカントリーサイドを走るので補給ポイントが少なく、昼食をとるのは難しいところがありますが、この道沿いに数件食堂があります。
県道紅葉石岡線を渡った先で蒲田川を渡ります。ここのレンコン畑はどうやら植え付けの準備が整ったようです。きれいに水が張られていました。
道をノソ、ノソっと横切るものあり。今では見かけることがあまりなくなったガマガエルです。なかなかいい姿!
谷戸の中の田んぼはまだ何もなく空っぽで、この景色は早くともゴールデンウィークごろまで続きます。
蒲田川の谷戸を離れちょっと高台に上りました。
これまで道脇は田んぼでしたが、これからは畑に。この赤い土は関東ローム層でしょう。
ここで本日初めての砂利道に。もっとも硬く締まっている上に距離は短かったので問題なし。
霞ヶ浦の東にある北浦に注ぐ巴川沿いに出ました。
西に見える筑波山はその二つの頂をぴったり重ねているようです。
空高くに雲雀の鳴く声。この鳥が鳴き出すと春が来たと感じるのですが、最近は冬でも暖かいからか、2月ごろから鳴き出していますね。
巴川からその支流の黒川の谷戸に入ると小さな冨士前山観世音の前に出ました。ここは谷戸の縁に沿って町道が通っており、その道沿いに下座の集落の家々が立ち並んでいます。
黒川の谷戸は目的地の大洗と反対の西へ向かってしまうので途中で離脱。谷戸の両側は丘なのでこうしたところはいつも上りで、大抵林になっています。
林の中はこんな様子。通りは少ないものの、まだいくらかは使われている道です。
高台から下ると今度は寛政川の谷戸に入ります。広さはそうないもののこの谷戸はなんとなく気分がいいです。
寛政川は涸沼川(ひぬまがわ)に流れ込んでいるので、ここは涸沼の引力圏。
急に視界が開け空が広くなると県道大洗友部線を渡り、涸沼川に沿ってできた田んぼの中に放り出されます。
そこにはこれまでと違って区画整理された土地と広い道が伸びています。
涸沼川の新橋に出ました。西を見れば筑波山から北に連なる低い山々が見えています。写真にはありませんが、筑波山はこの左手の少し離れたところにあります。
涸沼川の土手は自転車道なのですが、この辺りは改修工事中でした。先に見える集落は船戸でしょう。湖の近くらしい集落名ですね。
それにしても田んぼが広い。これまでの谷戸とは比べ物になりません。この低地の先は小高い丘になっていますが、あれはおそらく河岸段丘でしょう。
涸沼大橋に出るとその東に伸びる涸沼自転車道は健在でした。涸沼自転車道は全般に狭いですが、利用者はほとんどいないので問題なし。
涸沼川から涸沼に入ったようです。この境は厳密にはないのでどこからが涸沼とも言えませんが。
涸沼は関東圏で唯一の汽水湖で魚の種類がとても多いそうです。こうした小舟を見るとここではまだ漁業がいくらかされているのでしょう。
親沢公園に到着。ここにはすごく小さなビーチがあり、子供達がパチャパチャやるには快適なのですが、さすがにそれにはまだ少し時期が早いですね、
この公園はごく狭いのですがキャンプができるようになっているので、最近のキャンプブームでテントがいくつか張られています。静かな湖畔で快適なキャンプが楽しめそうです。
キャンプ場の一角に梅の花が咲いていました。少しピンク色がかったこの梅の花はちょうど満開で、キャンパーの目を楽しませています。
親沢公園の先端部分は涸沼に突き出した形の三角形で親沢鼻と呼ばれています。長年の侵食によりその先端部分は削られてしまったのか、天然石で『鼻』が作られていました。
鼻を廻って西側の浜に出ると、筑波山が漣の向こうに鎮座しているのが見えます。漣ではあれど涸沼は通常は大きな波は立たないので、これでもかなり荒れた方だと思います。(TOP写真)
親沢鼻から筑波山を眺めたら2kmほど東にある涸沼自然公園に向かいます。
涸沼自然公園は34haと広大で、5つの広場とキャンプ場があります。このあたりには日本のトンボの中ではもっとも新しく1971年に発見された体長3cmほどの小さなヒヌマイトトンボが生息しており、それにちなんだイトトンボ橋という吊り橋があります。
ここには早咲きの桜が咲いていました。見た感じでは河津桜のようですが、今年のそれは梅同様にかなり開花が早かったので、もしかすると違う品種かもしれません。
涸沼の側に展望広場と太陽の広場とがあるので行って見ました。展望広場からの眺望は期待外れでしたが太陽の広場の前からは涸沼が一望に。
涸沼自然公園の入口から東には遊歩道があり、これは湖面が近くて気持ちいいです。
振り返れば先ほど散策した涸沼自然公園がこんもりした森のように見えます。
このあたりの涸沼の護岸は人の手によって補強されていますが、勾配が穏やかな上にそれが植物で覆われていて、人工物でることをあまり感じさせないものになっています。
長洲の船溜まりには小型の船がたくさん並んでいます。涸沼はレジャーとしての釣りも盛んですが、これらの船を見ると漁業もまだやられているのでしょう。
そうそう、涸沼は汽水湖で大粒のヤマトシジミの産地としても有名です。
長洲の先は広浦。ここは広浦公園になっており、水戸徳川家の第九代藩主斉昭が選定した水戸八景の『広浦秋月』の碑が立っています。
月色玲瓏廣浦秋
月色玲瓏たり 廣浦の秋
広浦には大杉神社があり、夏にはあんばまつりという祭りが行われています。これは湖がある土地ならではのもので、神輿が湖に入るのはもちろんなのですが、一般的には山車上でやられるおかめやひょっとこの舞いが船上で行われるのが特徴です。
広浦公園を出ると涸沼自転車道が復活。その横で白い鳥が何十羽か地面を這っています。アヒルがガチョウのようです。遠くなのではっきりとはわかりませんが、これはおそらくアヒルでしょう。
アヒルは漢字では『家鴨』と書くように元はカモで、マガモを食肉用に改良して家畜化した家禽です。あいつら、北京ダックになっちゃうのかな。。
この辺りの涸沼自転車道は二車線なのですが幅員は上流部とそう変わらず、相変わらず狭いです。しかし対向車はまったく現れず、今日はわたしの専用道路となっています。いつもいる釣り人も風が強いからか、姿が見えません。
小さな船溜まりがあります。伝統的な木造の平底の船が並んでいます。こういう船を造るところはもうなくなってしまいそうだと聞いたことがありますが、これも日本の伝統的な文化ですから、しっかり引き継いでいってほしいものです。
大葦原に出ました。ここの名称は『砂並草原』というようで、ノスリ、ミサゴ、チュウヒといった猛禽類の鳥がよく見られるため、バードカメラメンが大きなカメラを据えていました。
砂並草原から北は涸沼が急激に狭くなり再び涸沼川になります。その涸沼川に架かる赤いアーチ橋の大貫橋を渡り、大洗の市街地に入ります。
広大な大洗サンビーチ海水浴場のすぐ内側を通る海岸道路のサンビーチ通りに出ました。この通りには防風防砂のためと思われる松並木があり、その中に自転車道が通っています。
この自転車道の終点が本日の目的地の鮟鱇屋さんです。待ち合わせ時刻よりかなり早く着いてしまったので、目の前にあるサンビーチから太平洋を眺めてみましょう。
大洗はその名のとおりに波が荒い海岸として有名で、各地からサーファーが押し寄せてきています。
真っ黒なウェットスーツに身を包んだサーファーがたくさん波間に浮かんでいました。
ベネデッタが早めに着いてビーチにやって来たのでいっしょに海を眺めていると、ペタッチ、マージコ、ルビオも到着したとの連絡。さっそく鮟鱇屋に向かいます。
大洗で上がった活きのいい刺身や焼きものなどをいただいて、いざ鮟鱇だ〜
鮟鱇鍋は漁師が船上で作って食べたのが始まりとされますが、それは空煎りした肝を加え、船上では貴重だった水は加えられなかったものだったようです。その姿は肝から出た肝油で濁酒のように濁っていた事から『どぶ汁』と呼ばれるようになります。今回はそのどぶ汁風に煎った肝を加えた鍋をいただきます。
この肝を煎っている時の匂いがたまらん!
ここでは水を加えない仕様の鍋もやっているので、『無加水だとどうなるんですか〜』とマージコが女将に聞けば、『この10倍くらい肝が入ります!』とのことで、目を丸くするルビオ。
好みですが、水(出汁)を加えたものの方が一般的には食べやすいでしょうと、女将。その鮟鱇鍋は実に旨いです。しっかり〆のおじやもいただき、完食!
『おいしかった〜 来年は無加水、ぜひやりましょう!』と、食べ終えたばかりのベネデッタ。これには全員唖然。(笑)
本日の鮟鱇メンバーは後列左から、ルビオ、サイダー、ベネデッタ、前列マージコ、カメラはペタッチでした。
あ〜、うまかったぜ〜〜