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四国八十八ケ所の記録 第2ステージ 高知編

開催日 2021年06月23日(水)〜
参加者 シロスキー/ミルミル/マージコ/マサキン
ナオボー/マコリン/サイダー/サリーナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 512km
地域 高知県

第37番岩本寺
第37番岩本寺

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング四国八十八ケ所の第2ステージは高知県の16か寺を巡ります。

基礎情報:四国八十八ケ所第1ステージ 徳島編

地図:Googleマップgpxファイル/GARMIN Connect/Ride With GPS/トライアル記録

発着地 累積距離 標高 コメント/寺院縁起・見所
Stage2 【土佐(高知県)】修行の道場 16か寺・512km
県境 START
0km
276km
20m 徳島県-高知県
●室戸岬 40km
316km
0m ▶室戸岬
海岸線には豪快に波が打ち寄せる岩礁・奇岩が続き、亜熱帯植物が茂り、乱礁遊歩道を歩くことができる。国の名勝に指定されているほか、世界ジオパークにも認定されている岬。
第24番
最御崎寺
42km
318km
280m ▶第二十四番札所 室戸山 最御崎寺(ほつみさきじ)
室戸岬の突端にある土佐最初の霊場。792年、弘法大師19歳の頃、洞窟の樹下で虚空蔵求聞持法の修法に励んだ。唐から帰朝した翌年の807年、大師は勅命をうけて再び赴き、虚空蔵菩薩像を彫造して本尊とし本堂を建立。嵯峨天皇はじめ歴代天皇の尊信が厚く、足利幕府時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により隆盛した。
【見所】重要文化財:石造如意輪観音半跏像、木造薬師如来坐像、木造月光菩薩立像(全て平安後期)。御厨人窟(みくろど。大師が修行した洞窟)
第25番
津照寺
48km
324km
20m ▶第二十五番札所 宝珠山 津照寺(しんしょうじ)
弘法大師が四国修行の際、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠に似ているところから地蔵菩薩を刻んで本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号した。1602年、山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭った時、大僧が現れ船の楫を取り室津の港に無事入港。この大僧が実は本尊地蔵菩薩であり、楫取地蔵(かじとりじぞう)とも言われるようになった。
【見所】本堂前からの行当岬・室戸スカイライン・太平洋の景観
第26番
金剛頂寺
54km
330km
180m ▶第二十六番札所 竜頭山 金剛頂寺
行当岬の頂上にある。807年、大師が平城天皇の勅願により本尊の薬師如来像を彫造して寺を創建。当時は「金剛定寺」といわれ、女人禁制で婦女子は行当岬の不動堂から遙拝した。嵯峨天皇が「金剛頂寺」とした勅額を奉納したことから現在の寺名に改め、住職は第十世まで勅命によって選ばれ、以後、16世の頃まで全盛を誇った。
【見所】霊宝殿(木造阿弥陀如来坐像、金銅旅壇具など重要文化財多数)、奴草、鯨供養塔、一粒万倍の釜
第27番
神峯寺
85km
361km
450m ▶第二十七番札所 竹林山 神峯寺(こうのみねじ)
神峯山中腹に山門、境内が広がる。神功皇后(在位201〜69)の勅命の天照大神などを祀る神社が起源とされ、聖武天皇の勅をうけた行基が730年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。809年、弘法大師が伽藍を建立し「観音堂」と名付けた。幕末頃、岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し往復20kmを21日間日参したという話が伝わる。
【見所】庭園(石段沿いの景観)、石清水(神峯の水)
●安芸城跡 100km
376km
20m ▶安芸城跡
1308年、安芸親氏が築いたと伝わる安芸城の跡地。城の周りには武家屋敷の町並み『土居廓中武家屋敷』があり、土用竹やウバメガシの生垣などかつての雰囲気を残す。また近くには、三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の生家がある。
●安芸タイガース球場 106km
382km
40m ▶安芸タイガース球場
1965年度から阪神タイガースが春季と秋季のキャンプを開催する野球場。2003年以降、春季キャンプは2軍のみ(1軍は沖縄県宜野座村。2021年現在)。メイングラウンドのほか、サブグラウンド、安芸ドーム(屋内練習場)がある。野球場のスタンドからは太平洋が望めて美しい。周辺の名物は『しらす丼』。地元の柚子でつくった『ゆのす』をたっぷりかけていただきましょう。
●絵金蔵 123km
399km
10m ▶絵金蔵
江戸末期の狩野派の絵師金蔵、略して『絵金』。土佐藩家老桐間家の御用を勤める絵師であったが訳あって城下追放となり、赤岡に滞在して「芝居絵屏風」を大成させた。絵金蔵では絵金の芝居絵屏風を守り、絵金と芝居屏風の魅力を伝えている。
第28番
大日寺
129km
405km
80m ▶第二十八番札所 法界山 大日寺
聖武天皇の勅願により行基が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創。その後寺は荒廃したが、815年に弘法大師が末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫りこれを祀って復興。以後隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭からは土佐藩の祈願寺となって堂塔も整備された。
【見所】重要文化財:金剛界大日如来坐像(行基作とされるが平安後期作)・聖観世音菩薩立像(智証大師作とされる、平安後期)。本堂、大師堂
第29番
国分寺
138km
414km
20m ▶第二十九番札所 摩尼山 国分寺
741年、聖武天皇が全国68ヶ所に国分寺を建立。土佐では行基が天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽を願う祈願所として開創。歴代天皇の尊信が厚く、加護をうけてきた。弘法大師が815年頃に訪れ、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置。その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修め、以来、「星供の根本道場」となった。
【見所】重要文化財:金堂(1688年再建)、木造薬師如来立像2躯(平安中期、鎌倉時代)、梵鐘(平安前期)。国の史跡:境内
第30番
善楽寺
145km
421km
20m ▶第三十番札所 百々山 善楽寺
大同年間(806〜810)に弘法大師がここを訪れ、土佐国一ノ宮・総鎮守である高鴨大明神の別当寺として開創し霊場と定めた。以来、神仏習合の寺院として法灯の護持につとめ、神仏の信仰を啓蒙して栄えた。特に土佐2代藩主・山内忠義公の頃には武門の庇護をうけて寺は興隆し、繁栄を極めた。
【見所】梅見地蔵、天邪鬼、本堂(昭和58年改築)
●高知城 151km
427km
20m ▶高知城
1601年に山内一豊が築城を開始し、2年後に本丸・二の丸が完成。1721年に大半を焼失するが、1749年に再建され現在に至る。天守や追手門など15の建造物が重要文化財。天守に接続した本丸御殿を持つ形式で、本丸がほぼ完全に残っているのは現存の城の中で高知城のみである。
第31番
竹林寺
156km
432km
120m ▶第三十一番札所 五台山 竹林寺
724年、聖武天皇が中国・五台山に登り文殊菩薩に拝した夢を見て、行基に五台山に似た山容を見つけるよう命じた。行基はここが天皇の霊夢にふさわしいと感得、文殊菩薩像を彫り山上に本堂を建てて安置した。その後、弘法大師が滞在して瑜伽行法を修法し、荒廃した堂塔を修復、霊場とした。土佐の信仰や文化の中心地とも、土佐随一の名刹ともいわれる。
【見所】五台山(山全体が高知県立都市公園)、本堂(文殊堂、江戸前期、重要文化財)、書院(江戸後期、重要文化財)、宝物館(重要文化財の仏像17躰を収蔵)、五重塔、庭園(夢窓国師の作と伝えられ、国の名勝)
●牧野植物園 157km
433km
140m ▶高知県立牧野植物園
高知県出身の植物学者・牧野富太郎の業績を記念して、1958年に五台山に開園。五台山は牧野博士が青年期に訪れていた山で、植物園建設計画の際、牧野博士が「植物園を造るなら五台山がいい」と言ったことから、第31番札所「五台山 竹林寺」より土地を譲り受けて造られた。園内には3000種の植物が栽培されている。
第32番
禅師峰寺
162km
438km
60m ▶第三十二番札所 八葉山 禅師峰寺(ぜんじぶじ)
聖武天皇の勅命を受け、行基が土佐沖を航行する船舶の安全を願って堂宇を建立。806年に弘法大師が訪れ、奇岩霊石が立ち並ぶ境内を観音の浄土、仏道の理想の山とされる天竺・補陀落山さながらの霊域と感得し、ここで虚空蔵求聞持法の護摩を修法。十一面観世音菩薩像を彫造して本尊とし「禅師峰寺」と名付け、峰山の山容が八葉の蓮台に似ていたことから「八葉山」と号した。
【見所】仁王門の金剛力士像(鎌倉時代、定明作、重要文化財)
●桂浜 169km
445km
0m ▶桂浜
太平洋に向かって龍馬像が立つ景勝地。一帯は桂浜公園として整備され、桂浜水族館や坂本龍馬記念館などがある。
第33番
雪蹊寺
172km
448km
10m ▶第三十三番札所 高福山 雪蹊寺
弘法大師によって815年に開創され「高福寺」と称し、鎌倉時代に運慶と長男の湛慶がこの寺に滞在したことから、寺名を「慶運寺」と改めた。戦国時代、長宗我部元親が廃寺となっていた寺を再興し、臨済宗から月峰和尚を開山として初代住職に招いた。元親の死後、長宗我部家の菩提寺となり、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改めた。
【見所】薬師如来像と日光・月光菩薩像(鎌倉時代、運慶作)、毘沙門天像・吉祥天女像・善膩師童子像(鎌倉時代、湛慶作)、12神将立像10躯(鎌倉時代、道運、海覚作)、以上16体は重要文化財
第34番
種間寺
179km
455km
10m ▶第三十四番札所 本尾山 種間寺
6世紀後半、大阪の四天王寺を建立するため百済の皇子が派遣した仏師や造寺工が帰国の際に暴風雨に襲われ、本尾山近くの港に寄港。彼らは航海の安全を祈って薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。弘仁年間(810-824年)に弘法大師がここを訪ね、その薬師如来像を本尊として安置し諸堂を建てて開創。その折に唐からもち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けた。
【見所】薬師如来像(重要文化財)、底抜け柄杓、手水鉢(1677年作。市の指定文化財)
第35番
清瀧寺
188km
464km
140m ▶第三十五番札所 醫王山 清瀧寺(きよたきじ)
723年、行基が薬師如来像を彫り本尊として堂舎を建て「影山密院・釋本寺」と名づけて開山。弘仁年間(810〜24)に弘法大師が岩上に壇を築き五穀豊穣を祈願して17日の修法を行い、満願の日に金剛杖で壇を突くと岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったため、山号や院号、寺名を現在のように改めた。 この水は田畑はもとより紙漉きに重宝され、やがて土佐和紙産業を興すことにも貢献。
【見所】木造薬師如来立像(重要文化財)、山門(天井画は1900年の久保南窓による「蛟竜図」)、厄除け薬師如来立像、逆修塔
第36番
青龍寺
205km
481km
30m ▶第三十六番札所 独鈷山 青龍寺(しょうりゅうじ)
弘法大師が唐の長安の青龍寺で密教を学び、真言の秘法を授かって真言第八祖となり、日本に寺院を建立しようと東の空へ独鈷杵を投げ、有縁の勝地が選ばれるよう祈願した。帰朝後、巡教の旅の際、大師は独鈷杵が今の奥の院の山の老松にあると感得し嵯峨天皇に奏上。815年、ここに堂宇を建て石造の不動明王像を安置し、寺名を青龍寺、山号は遙か異国の地から放った「独鈷」とした。
【見所】愛染明王坐(重要文化財)、奥の院
第37番
岩本寺
268km
544km
210m ▶第三十七番札所 藤井山 岩本寺
聖武天皇の勅により、行基が仁井田明神の傍に建立した末寺七ヶ寺をもつ福圓満寺が前身。仁井田明神の別当寺。弘仁年間(810〜24)、大師は仁井田明神のご神体を五社に分け、さらに末寺五ヶ寺を建立。16世紀後半に兵火で焼失し、後に再興、足摺へ向かう途中の宿坊であった岩本坊に別当が移り、岩本寺に改称。戦国・江戸時代には神仏習合の札所として隆盛を誇った。
【見所】大師堂、本堂内陣の格天井画(575枚の天井絵)
●四万十川 269km
545km
200m ▶四万十川(サイクリング起点)
『最後の清流』として知られる四国最長の大河(196km)。火振り漁や柴づけ漁など伝統的な漁が今も行われ、上流から下流に数多く残る沈下橋と周辺の景観は、国の重要文化的景観に認定されている。ここから四万十川沿いに河口まで約120kmを走る。
●足摺岬 431km
707km
40m ▶足摺岬
四国最南端の岬。太平洋に向かって断崖が聳え立ち、眼下の岩礁にぶつかる波しぶきは豪快。足摺岬灯台から椿のトンネルや奇岩などを巡る遊歩道がある。
第38番
金剛福寺
431km
707km
60m ▶第三十八番札所 蹉跎山 金剛福寺
足摺岬を見下ろす丘の中腹にある。822年、弘法大師が岬突端に広がる太平洋に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得し嵯峨天皇に奏上、勅願により伽藍を建立し開創。三面千手観世音像を彫り安置し「金剛福寺」と名づけた。「金剛」は、大師が唐から帰朝の際に五鈷杵(金剛杵)を投げたこと、「福」は観音経の「福聚海無量」に由来。歴代天皇の勅願所となり武将からも尊崇された。
【見所】大師堂、本堂内陣の格天井画(575枚の天井絵)
●竜串 459km
735km
0m ▶竜串
千尋岬の付け根にあり、奇岩奇勝が連続する景観の中を散策できる。竜串海域公園はサンゴが群生する美しい海辺。足摺海洋館や足摺海底館など、水族館や天然のミュージアムを楽しめる。
第39番
延光寺
498km
774km
50m ▶第三十九番札所 赤亀山 延光寺
724年に行基が聖武天皇の勅命を受け、薬師如来像を彫造、本坊ほか十二坊を建立し開創。当時は「亀鶴山宝光寺」。本尊の胎内には行基が感得した仏舎利を秘蔵。 延暦年間(782〜805)に弘法大師がこの寺を桓武天皇の勅願所として再興。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が「眼洗い井戸」。911年、赤亀が背負った銅の梵鐘を寺に奉納し、名を「赤亀山延光寺」に改めた。
【見所】銅鐘(平安前期、重要文化財)、眼洗い井戸、1680年建立の石碑、大赤亀の石像
県境 GOAL
512km
788km
50m 高知県-愛媛県
参考資料:(一社)四国八十八ヶ所霊場会HP阿波ナビ(徳島県観光情報)/よさこいネット(高知県観光情報)/いよ観ネット(愛媛県観光情報)/うどん県旅ネット(香川県観光情報)

2021年06月23日(水)曇り/24°C/徳島県境→室戸岬/上野コース/走行距離15km/累積距離15km/サイダー

不忍池の蓮不忍池の蓮

四国八十八ケ所の第2ステージ土佐編が始まりました。参加者は第1ステージの阿波編から1名増えて8名となりました。ワイワイ賑やかにやりましょう。

第2ステージの出発点は徳島県と高知県の県境、阿佐海岸鉄道阿佐東線の終点、甲浦駅の近くです。ここから高知県で最初となる八十八ケ所の24番最御崎寺(ほつみさきじ)を目指すのですが、最御崎寺は室戸岬の上にあり、そこに辿り着くには室戸岬を廻って行くことになります。ということでまずは室戸岬へ。県境から室戸岬まではちょうど40kmです。

県境をスタートするとすぐ左手に白浜海水浴場が見えてきます。ここはその名のとおりに白砂のビーチが500m続きます。入江になっているのでまさに海水浴にぴったりなところですが、実は沖に出ると珊瑚礁があり、サメの産卵を見ることができる世界でも希少なポイントがあるそうです。

白浜海水浴場からちょっとアップダウンをこなすと白い砂浜と青い松林の生見海岸です。ここは外洋に面しているので、先ほどの白浜海水浴場とは反対にサーフィンに打ってつけ。さらに穏やかな上り下りをこなすと野根川に出ます。野根川は鮎釣りのメッカで、川エビもたくさん捕れます。野根川を眺めたら、あとはコバルトブルーの太平洋を眺めながらR55土佐東街道をまっしぐらに進みます。

さて、私の実走コースは文京区の小石川から上野公園、不忍池あたりを巡って戻ってくるというものです。不忍池では数日前から蓮が咲き始めました。

2021年06月23日(水)ゲリラ豪雨/24°C/徳島県境→室戸岬/中野コース/走行距離5km/累積距離5km/マージコ

ムラサキクンシランムラサキクンシラン

さて今日から、四国八十八ヶ所(第2ステージ高知編)開始です!

朝から時折小雨の入る曇りで、午後は急なゲリラ豪雨が断続的にありましたが、隙間を縫って中野四季の森公園を一周りして帰ってきました。距離は5kmと控えめですが、出だしとしてはまずまずかな?

四季の森公園の一帯は警察学校の跡地ですが古くは江戸時代「生類憐れみの令」で有名な徳川綱吉が設置したお囲い(犬小屋)があったところです。中野区のホームページに書かれてますが、区役所前に犬の像があります。

江戸時代の風景に思いを馳せながら走っていると、近くの教会脇に咲くムラサキクンシランを見つけました。梅雨のこの時季によく見る清楚な花です。

四国は室戸岬に向けて険しい海岸線を走り始めました。

2021年06月24日(木)曇り/23°C/野根川河口近く→番外札所「佛海庵」→佐喜浜町/市川・京成線付近ウォーキング、駅往復/走行距離9km/累積距離17km/ミルミル

ダリア?ダリア?

きのうから始まった第2ステージ、走行距離512kmは長く楽しめそうですね。

朝は日差しが強くて今日は暑くなるかと思っていたら、空の色が怪しくなったりして、梅雨らしい安定しない天気です。京成線路沿いを歩いていたら線路脇にたくさん花が咲いている所がありました。前のお宅の方が育てているのでしょうか。ダリアやアガパンサスがきれいでした。

四国は海を眺めながら進んで行き入木川を渡ってすぐ、国道から一本入った市道脇に番外札所「佛海庵(仏海庵)」があります。佛海という人は宝暦10年(1760年)にお遍路さんのためにここに庵を作り、70歳の時に宝篋印塔(読み方がわからない! 多分「ほうきょういんとう」)を建ててその地下に入り即身成仏したそうです。もう少し進んで、今日は佐喜浜町まで。ここに札所はありませんが、神社やお寺、鎌倉時代に造られた高知県最古の経塚もある、由緒ありそうな町です。

2021年06月25日(金)うす曇り/26°C/阿波(徳島)県境→室戸岬/鰭ヶ崎散策/走行距離11.7km/累積距離35.1km/マサキン

守龍山証明院東福寺守龍山証明院東福寺

お遍路第2ステージ土佐(高知県)が始まったので、千葉県流山市鰭ヶ崎(ビレガサキと読む)で弘法大師ゆかりの東福寺に詣でました。真言宗 守龍山証明院東福寺と称し、814年(弘仁5年 平安時代)弘法大師空海によって開山(弘法大師が巡錫の折、薬師如来像を自刻して堂安を建立)されました。このお寺の中門には、左甚五郎作と伝えられる「目つぶしの鴨」の彫刻があります。その由来は昔、村人たちが田畑を荒らされ困っていました。犯人はどうやら鴨たちのよう、村人たちが追いかけていくと、ボス的存在の鴨が東福寺の山門の方へ飛んでいきました。泥のついた足跡をたどると、山門の鴨居の鴨が悪さをしていたのです。そこで村人たちが二度と悪さの出来ないように鴨の眼に釘をうちました。それからは田畑が荒らされることはなくなったとか。「目つぶしの鴨」は表と裏の2ヵ所にあり、「阿吽」の表情をしています。

さて、四国ですが23番札所薬王寺から24番札所最御崎寺までは75kmに達する長い道のりで、長い海沿い道が延々と続き、行けども行けども海ばかりです。足摺岬の38番札所金剛福寺に次いで2番目の長さです。日和佐、牟岐、海陽と徳島を行き、やっと県境で 高知の甲浦(カンノウラ)、土佐街道に入ります。室戸岬までは、あと5km位なのでしょうが、途中に御厨人窟(ミクロド)があります。御厨人窟は平安時代初期、当時青年であった弘法大師がこの洞窟に居住したと伝えられています。この洞窟から見える風景は空と海のみで、ここから「空海」の法名を得たとされています。

2021年06月28日(月)晴れ/25°C/佐喜浜→室戸岬→元川/上野コース/走行距離18km/累積距離50km/サリーナ

進開屋進開屋

先週末は全く走れず、第2ステージ開始早々であっさりペースメーカーに抜かれてしまいました。挽回目指し、今日は梅雨の晴れ間のいつもの上野コース。

コース終盤に通る文京区千石あたりは、江戸城に近いということで(近いといっても5kmほどありますが)江戸時代には一橋徳川家の下屋敷などの武家屋敷や町屋が集まっており、一橋家から区に寄贈された『千石緑地』も残っています。

そんな千石で、コースは出桁造の渋いお店の前を通ります。まだ入ったことはありませんが、看板の『親子丼』がとても気になる。『進開屋』という蕎麦屋で建物は昭和初期のもの、登録有形文化財に登録されています。

そして、今日の四国は佐喜浜から出発し、しばらく行くと2018年にオープンしたむろと廃校水族館に到着。ここは廃校となった小学校を、元の施設を活かしつつ地元の魚やウミガメを飼育する水族館に活用したもので、学校のプールではシュモクザメやウミガメが泳ぎ、手洗い場にはナマコやエビなどがゴロゴロ。地元の漁師さんが珍しい魚がかかったら提供してくれるので、展示はとても流動的なのだそう。ぜひ立ち寄ってみたいですね。

続いて海辺をひたすら南下し、弘法大師が修行した『御厨人窟』(みくろど)を過ぎて、室戸岬の先端へ。雄大な海と奇岩の景色を間近で眺めたら、岬をぐるっと回って室戸スカイラインに入り、広い太平洋を横目にハヒハヒと坂を上って土佐最初の札所、第24番の最御崎寺(ほつみさきじ)に到着。

緑に覆われた広大な寺域には本堂、大師堂、多宝塔、鐘楼堂などの建物が並びます。宝物館にある『石造如意輪観音半跏像』を見逃してはいけません。日本では珍しい大理石の丸彫像で、海岸近くの洞窟に安置されていたそうで、大陸的な装飾を身につけ、伏目の穏やかな表情がとても印象的な美しい仏像です。大師が唐から持ち帰った? いやいや表情は平安後期の定朝様式? と、そのルーツはまだ謎だそうです。

今日はもう一つの札所『第25番津照寺(しんしょうじ)』に立ち寄ったら、行当岬の手前でフィニッシュ。旅はまだ始まったばかり、今宵はこぢんまりした民宿に泊まってゆっくり美味しい魚と日本酒を楽しみましょう。

2021年06月29日(火)雨/25°C/県境→室戸岬/リハビリ歩行距離4km/累積距離24km/シロスキー

甲浦駅甲浦駅

昨日の話になりますが、いつものコースを歩くと、午前中は涼しく感じられ 、草刈りの終わった公園で保育園児10人程が駆け廻っていた

歩き始めは、左足が痛いが終わりにちかずくと痛みが和らぐ(少し良くなったかな)

矢川・ママ下湧水後2年ぶりの設計仕事が入りパソコンに縛り付けられていたので、皆さまより一週間遅れのスタートとなりました。

室戸岬に向かうのですが、スタート地点に鉄道終点の阿佐海岸鉄道の甲浦駅があり寄り道しました。国鉄時代には太平洋側の奈半利駅まで接続予定だったが実現せず 、写真は1985年4月で、長い階段の上がホームです。周りに何もない辺鄙な駅ですが現在この景色は見られません。駅舎の前に道路構造物が立ち大きく変化しました。

高い位置のホームからスロープが造られデュアル・モード・ビーグル(DMV)が降りてきます。それは、“世界初のDMV”です。甲浦岸壁まで延長さらに海の駅東陽町までも延長されます。又、土日は室戸岬までも1日1往復します。

7月開通予定で、現地は複雑な思いです。鉄道は無くしたくない思いで実現し、さらに観光客で栄えるか??

阿佐海岸鉄道のDMVの紹介記事

2021年06月29日(火)雨のち曇り午後より時々晴れ/27°C/26番金剛頂寺→27番神峯寺/中野コース/走行距離12km/累積距離69km/マージコ

紅葉山公園のC11紅葉山公園のC11

今日の一日は朝の雨から始まりました。 さぼれるかなと思ったのもつかの間でした。 午後2時過ぎには青空も覗いて、 あれれ、さぼれなくなってしまいました。このバーチャルのよいところは皆でワイワイ頑張れること。 ひとりですとダレてさぼるところ、 皆が頑張ってることがリアルタイムで分かるので 自然とこちらも身を正して続けられます。 また御朱印代わりのレポート提出がありまして、 うまいことを考えたねー、これまたなかなかサボれない。

さて重い腰を上げてひと走り。 近所の町中を走って、町の変化を楽しむもよし、 変化しない景色でも昔子供を連れて行った公園とか改めて寄ってみるのも味わいがあります。 最初に足を伸ばしたのは、 なかのZERO脇の紅葉山公園。 ここには蒸気機関車が展示されていて子供を連れて行った覚えがあります。 昭和21年制作の「C11」で昭和47年7月まで石巻線で走ってたそうです。今も変わらずに園内に設置されていました。調べてみたら四国の徳島でも昭和40~50年頃まで「C11」が運行されてたようです。徳島県の徳島駅から海部郡海陽町の海部駅を結ぶ牟岐線を走るNHKの動画を見つけました。

いやぁ中々の迫力、味わいがあります! そのあと新井薬師のたきびのうた発祥の地の看板と垣根を横目に見ながら帰りました。 たきびのうたは「日本の歌百選」に選ばれていて、巽聖歌(たつみせいか1905~1973)の作詞です。 このあたりを散歩中に作詞したものと思われます。

走行距離は12kmです。四国の方は室戸岬の最御崎寺までは大変な難所でしたが、宿泊した宿坊の遍路センターでおいしい「皿鉢料理」を頂き元気回復、26番金剛頂寺を過ぎて27番の神峯寺に向かって走っています。

2021年6月30日(水)曇り一時雨/23°C/佐喜浜町→26番金剛頂寺/隣の駅往復ウォーキング、葛飾八幡宮/走行距離10km/累積距離59km/ミルミル

葛飾八幡宮の茅の輪葛飾八幡宮の茅の輪

時折パラパラと弱い雨が降りましたが、私が歩いた時間は何とか大丈夫でした。 近所の葛飾八幡宮は寛平年間(889年〜898年)に創建されたという神社で、源頼朝が社殿改築をしたとか、太田道灌が社壇修復をしたとか書いてあります。

今日は6月30日、今年も半分が終わります。そして「夏越の祓(なごしのはらえ)」の日です。夏越の祓とは1月から6月までの半年間の災厄を清める儀式です。 写真にある「茅の輪(ちのわ)」を8の字、というより無限大を表す“∞”を書くように三度くぐってお詣りしてきました。 これで、今年の後半がより良くなりますように。

四国は26番金剛頂寺を過ぎて、もう少しで吉良川町です。 吉良川町は昔、良質な木炭と薪が取れることから「土佐備長炭」の積み出し港として大いに栄えたという町で、土佐漆喰を使った白壁と独特な屋根や石塀の素敵な景観の中を歩ける所だそうです。 WEBサイトにも書いてありますが、この町では毎年たくさんの家に「雛人形」が飾られて、観光客も見ることができます。 以前にジオポタで行った真壁でも見られましたが、こういう行事はこの吉良川町が発祥の地だと言われているそうです。

06月30日(水)曇り/21°C/加領郷→27番神峯寺→伊尾木駅/上野コース/走行距離22km/累積距離94km/サイダー

花園稲荷神社花園稲荷神社

走り始めて一週間が経ちました。雨で走れない日もありましたが、ここまではまずまずといったところです。 写真は上野公園内にある花園稲荷神社。ここは江戸時代には『お穴様』と呼ばれた忍岡稲荷社で、江戸名所図会にも描かれた由緒あるところです。寛永寺を創建した天海が、当時このあたりに棲んでいた狐たちのすみかを奪ってしまったことを憐れんで洞窟をつくり、その上に御堂を建てて祀ったとされています。上野戦争では黒門・穴稲荷門の戦いと呼ばれる激戦の舞台になった場所としても知られます。周囲に寛永寺の花畑があったことから、明治時代に花園稲荷神社と改名されました。

四国は室戸岬を廻ってすでに、第24番最御崎寺、第25番津照寺、第26番金剛頂寺と巡り、今日は第27番神峯寺(こうのみねじ)にお参りしました。神峯寺は、その名のとおりに神様の住む山である神峰山の中腹にあり、高知県の四国八十八箇所では最高地点にあります。その参道は真っ縦(まったて)と呼ばれる急峻な山道で、『土佐の関所』また『遍路ころがし』と呼ばれる屈指の難所として知られ、江戸時代には麓の前寺で遥拝し納経をすませる遍路もいたほどだったといいます。唐浜駅から神峯寺までは約3.8kmで標高差370m、平均勾配9.7%!

参道の途中には800本ほどのソメイヨシノが植えられている『桜の名所・九丁公園』があり、神峯寺からさらに山を登った神峯山の頂上には『空と海の展望公園』があります。この展望公園からは天気のいい時は室戸岬から足摺岬までが一望できるそうです。

2021年7月1日(木)雨のち曇り/21°C/安芸城跡→絵金蔵→第28番大日寺/近隣散策、大洞院ギャラリー/走行距離10km/累積距離129.5km/マサキン

大同院ギャラリー大同院ギャラリー

今日は朝から雨なので、ワンコの散歩(トイレが外の躾なので、雨・嵐・雷・雪なんでも行かねば)と、ペースメーカー10kmの不足分はエアロバイクで対応です。 昨日、陶芸講座の羽二生隆宏先生(光風会名誉会員)の展示会が柏市花野井の大洞院ギャラリーであるので、Birdyで出かけました。片道11km約50分です。大洞院は平安時代(9世紀)に始まり、慶長元年(1596年)に曹洞宗となったお寺です。平成24年(2012年)から本堂脇にギャラリーを新設し、東葛地域で活躍する作家の文化や芸術を発信する場としています。

さて四国お遍路ですが、6/23(水)にスタートして、7/1(水)までの 9日間で累計129.5km(平均14.3km)、第28番大日寺に到着しました。大日寺の創建は天平年間(729~749)聖武天皇の勅願により行基が開基、その後荒廃したが、弘仁6年(815)弘法大師が再興、大師は楠の大木に爪で薬師如来を刻んだとされています。

前回の報告では、室戸岬手前の御厨人洞でしたが、その後第24番最御崎寺(ホツミサキジ)に到着、弘法大師は室戸岬から雄大な海と空を眺め「わが心空の如くあれ、わが心海の如くあれ」と詠み、それまでのの教海から空海に改めたと伝えられています。 最御崎寺には「食わずの芋」の言い伝えがあります。おばあさんが小川で芋を洗っていたおり、お大師さんが通りかかり、お腹が空いていたので「一ついただけませんか」と頼みました。ケチなおばあさんは「この芋は硬くて食べられません」と断りました。お大師さんは仕方なく諦め立ち去りました。 おばあさんは「ああ、良かった。一つ減るところだっだ」と言い、家に帰って、早速煮込みました。ところが食べようとすると硬くて食べられない、これ以後おばあさんの芋は幾度作っても硬くて食べられなくなったとのことです。これは、「自利」よりも、「利他の心」を諭しているとのことです。

第25番津照寺(シンショウジ)へは第24番寺から6kmで到着、地元では「津寺(ツデラ)」と呼ばれています。本尊の楫取地蔵(カジトリジゾウ)は船乗りにとってありがたいお地蔵さんです。更にまだ第26番金剛頂寺と続くのですが、今日はこの辺で。

2021年7月3日(土)曇り/25℃/室戸岬→26番金剛頂寺/多摩境→橋本→自宅⇔相模総合補給厰(ジョギング)/走行距離18㎞+ジョギング6.8㎞(実質3.4㎞)/累積距離56㎞/マコリン

元祖まころん元祖まころん

金曜から降り続いた雨が上がったタイミングを狙って、近隣ライドへ。多摩境近辺の道はコストコ渋滞で、車がほとんど動いていない。休みの午後は大抵こんなで、都市計画をした人の先見のなさにいつもは文句を言っているが、今日はそれから解放されて軽快に走る。雲の隙間からちょっとだけ青空が見えて、もうすぐ夏であることを思い出す。

橋本駅前では、リニア中央新幹線・神奈川駅(仮称)の工事が着々とすすんでいる、と言いたいところだが上から見る限りただの更地で、コンクリートで土留めされた溝が遠くに見えるばかり。見えない地下での工事がすすんでいるのであろう。2027年開業の予定はどうやら延期になるらしい。駅で名前に惹かれて「まころん」を買う。

夕方は再び雨予報だったがまだ降る様子がないので、今のうちにジョギングへ。横浜線沿いを走ると程なく米軍の相模総合補給厰が見えてくる。私が知る限りずっと前から駅周辺の広大な一等地を米軍が占めている。フェンス越しに見えるのは広大な空き地と倉庫。生きているうちに返還されるのかしら。

四国八十八ケ所高知編はやっと室戸岬をこえ、土佐東街道を北西に進む。ここから海に沈む夕日を待つのも悪くないなと思いながらも、みんなとはだいぶ遅れてしまったので先を急ぐ。25番札所津照寺をすぎて、26番札所金剛頂寺へ。ここからはこれまで通ってきた室戸の町が一望できる。

2021年7月5日(月)曇り時々雨/22°C/唐浜→安芸タイガース球場/上野コース/走行距離18km/累積距離106km/サリーナ

野良時計野良時計

今日の四国は安芸市に入り、名所旧跡をのんびり観光します。1両編成のかわいい車両が走る『ごめん・なはり線』の安芸駅にあるぢばさん市場では、地元のとれたて野菜や特産品を販売しており、ここのレンタサイクルは何と無料。徒歩で挑戦中のジオポタお遍路さんたちも、今日は自転車を借りて一緒に安芸の名所を訪ねましょう。

まずは、黒い瓦の上に時計が乗っかる野良時計。明治20年頃に個人の方が手作りして自宅に設置したそうで、なかなかオシャレ。時計を自作とはものづくり達人だね〜と感心しつつ、そこから少し北へ進めば、竹やウバメガシの生垣が美しい武家屋敷の一画、土居廓中が現れます。その奥の丘の上には安芸城跡があり、石垣、土塁、堀などが残されています。

続いて広々とした田んぼの間を北西へ向かうと、ほどなく岩崎弥太郎生家に到着。弥太郎の曽祖父が1795年頃建てたという茅葺の住居があり、土蔵では三菱マークの原型となった岩崎家の家紋『三階菱』を見ることができます。

そして海側へ戻って丘を回り込めば、本日のメインイベント、安芸タイガース球場が見えてきました。1965年に阪神タイガースのキャンプ地となって半世紀以上、海の見える高台に立派な屋外球場とサブグラウンド、安芸ドームが揃っています。 現在の春季キャンプは2軍のみ(1軍キャンプは沖縄県宜野座村)ですが、若手中心の選手たちの躍動する姿を間近に見て、その成長を感じ期待を膨らませるのもまたファンの大きな楽しみ。キャンプ期間の2月であれば、私サリーナはしばらくここに滞在を決めるところでした。

そんな安芸の締めは、安芸しらす食堂で名物『しらす丼』。私は豪華に『プラスかき揚げ』で注文。地元のゆずで作られた『ゆのす』をたっぷりかけていただきましょう。

2021年07月06日(火)曇り時々雨/27°C/24番から25番/走行距離13.5km/累積距離49.5km/シロスキー

トランポリントランポリン

梅雨の合間をぬってやっと2日間トレーニングコースを歩きました。

日頃雨の日は3週間程前から”トランポリン”を家の中でやっています 写真は8本脚で直径120CMと大き目で手すり付きの物を購入しました、折り畳み式なので、たたむとゴロフバッグ程度になります

内臓がまだ安定していないので、飛び上がる運動は控え目にしていますが体調はいいですよ 不安定な足場で歩く、走る、片足立その他やり方はいっぱいあります 宇宙飛行士もレベルは違いますが訓練に使用しているそうです

トランポリンのエクササイズ8つの健康効果
1.リンパ液の浄化
2.美肌効果
3.疾病の予防
4.便秘解消
5.肩こり腰痛の改善
6.脳の活性化
7.骨密度の回復
8.ストレス解消

88ケ所は24番最御崎寺では弘法大師19歳の頃、洞窟の樹下で。。。とありますが、ゆかりの場所、御厨人窟・神明窟にもよってきました 室戸岬港を越えて25番津照寺も過ぎ、本日は 民宿”うらしま”に泊まります

天気回復しないと皆に追いつかないよ

2021年07月07日(水)雨のち曇り午後より時々晴れ/29°C/安芸タイガース球場→29番国分寺/目黒区学芸大学コース/走行距離27km/累積距離141km/マージコ

世田谷観音寺の六角堂世田谷観音寺の六角堂

今日は年2回の歯科定期健診の日です。 雨が上がってれば自転車で行こ〜うと思ってたら、 思いが通じてやったぜ小雨からどん曇へと変わりましたよ。

高校時代の学友が歯医者やってまして俺が見てやるよと言われてもうかれこれ10年、大変にお世話になっています。場所は目黒区学芸大学駅前、片道13kmで1時間の道のりです。

いざ出発、走っていたら日差しも出てきて 蒸し暑さを我慢すれば風を肌に受けて快適なもんです。

予約時間があるので行きは直行し帰りは寄り道して帰りました。

まずは「世田谷観音寺」、次は太子堂の「目青不動尊」。 世田谷観音寺は鬱蒼とした樹木に囲まれた不思議な空間でした。 一見したところ古刹風なのですが、昭和26年に建造されたそうです。 なのにこの雰囲気、お堂には重文の仏様がいらっしゃるらしい。 写真は不動明王と八大童子が奉られている「六角堂」。 長居する雰囲気でなかったので早々に退散しましたが、 どなたか詳しい方いらっしゃったら教えて下さい。

雲行きが怪しくなったので、足早に回りました。 太子堂の「目青不動尊」に着くと、 お堂の暗闇に青い目の仏様が鎮座されていて怖かったです。 (ジオポタの江戸五色不動巡りで2019年の正月に行ってます)

さて、太子堂の名前の由来は弘法大師? だとするとお遍路と関係あるかな? と期待を持ったのですが、残念聖徳太子でした。 太子堂三丁目にある円泉寺には 聖徳太子の像がある太子堂が境内にあるそうです。 そこから太子堂の地名が出てきました。

バーチャル四国の方はと言うと、 タイガースはサリーナに任せて、 安芸タイガース球場を横目に見て出発、 29番国分寺を経て30番善楽寺に向かってます。西暦741年に建てられた国分寺は国の史跡に指定されていて土佐文化発生の礎となった土地で「土佐日記」ゆかりのお寺です。 境内のお寺カフェでゆったりとした時間を過ごしました。 もう少しで高知市内に入ります。

30年前10日間かけて家族で四国を回りました。 一番の思い出は高知の「皿鉢料理」。 大皿に贅沢に盛った色とりどりの海産物。 みなさまも高知に行かれた折にはぜひご堪能下さい。 リアルとバーチャルの二刀流、梅雨の合間の一走りでした。

2021年07月8日(木)曇り時々雨/24°C/27番神峯寺→安芸駅/市内ウォーキング/走行距離8km/累積距離96km/ミルミル

夾竹桃夾竹桃

今日もはっきりしない天気で自転車には乗らず、市内をウォーキングしました。通りかかったお宅の庭に夾竹桃が咲いていました。肌色のような淡い色、こんなのもあるんですね。夾竹桃は排気ガスにも強いことから高速道路の中央分離帯などによく植えられていました。今もそうかな? 夏休みの旅行帰り、渋滞する車の中から見た濃いピンクの夾竹桃の記憶は、暑さや遊び疲れから来る気怠い感覚と一緒になっています。

四国はやっと安芸駅まで来ました。安芸駅の前には童謡作家弘田龍太郎さんの説明板と童謡『靴が鳴る』の歌碑があるそうです。「お手てつないで 野道を行けば♪」って若い人は知らないかな? 弘田龍太郎さんは安芸市出身で「靴が鳴る」「浜千鳥」「叱られて」「雀の学校」「春よ来い」などの作曲をした人だそうです。

現在私はマサキンさん、サイダーさんの約半分の距離です。少しずつでもペースをあげたいなぁ。

2021年07月9日(金)小雨・曇り/26°C/第35番清龍寺→第36番青龍寺→第37番岩本寺途中/地元 一茶双樹記念館/走行距離11km/累積距離214.8km/マサキン

一茶双樹記念館一茶双樹記念館

地元(流山市)の一茶双樹記念館にポタリングです。 流山は、江戸時代から江戸川を利用した水運・みりん醸造の街として繁栄していました。みりんの開発者の一人、五代目秋元三左衛門(1757~1812)は本業の一方、双樹と号して俳句をたしなみ、小林一茶(1763~1827)と深い親交を持ちました。一茶は流山の双樹のもとに生涯50回以上も訪れたことが知られています。(パトロンだったのでしょうか?)  庭園内の句碑には、一茶の故郷である長野県信濃町の黒姫山の石を用い、一茶が流山で詠んだ句の一つ 「夕月や流残りのきりぎりす」が刻まれています。

さてお遍路ですが、第35番清龍寺(キヨタキジ)(累積距離188km)から、塚地峠を下りて宇佐大橋を渡り海岸沿いの道路を右手に入るとまもなく第36番青龍寺(ショウリュウジ)(累積距離205km)に到達します。延暦23年(804)に唐に渡った弘法大師は、長安の青龍寺で恵果和尚に真言密教の奥義を授けられ真言八祖となりました。 大師は和尚の恩に報いるために日本にも青龍寺を建立したいと考え、唐から密教の法具「独鈷」を東の空に投げました。 帰国後、大師は四国を巡錫、老松に自ら投げた独鈷が刺さっているのを見つけ、嵯峨天皇に奏上して、一宇を建立し不動明王の石像を安置しました。ここから山号を独鈷山、院号を伊舎那院、寺名を青龍寺といたしました。

モンゴル出身の元横綱朝青龍の名前はこの青龍寺に由来しているとのことです。 というのは明徳義塾高校(高知県須崎市)に留学し、相撲部の朝青龍は、同校近くの青龍寺境内の178段の傾斜のきつい石段の登り下りで強靭な足腰を築いたので、シコ名はこれに因んだとのことです。

青龍寺から第37番岩本寺へは、なんと63kmもあり、まだまだ先です。どうやら2つのルートがあるとのことで、一つは横浪黒潮ラインに沿って歩く海岸ルート、もう一つは佛坂(ホトケザカ)峠越えの山側ルート(これが本来の遍路道とか)です。この二つのルートは22km+α?先の土崎合流地点で合流します。まぁ坂が嫌いな私は、素直に海岸ルートを進むつもりです。

2021年07年11日(日)晴天/28°C/第29番国分寺→第30番善光寺/舞子の浜コース/走行距離13km/累積距離143km/ナオボー

walkingスタート地点(淡路島と明石海峡大橋)walkingスタート地点(淡路島と明石海峡大橋)

週に3日、舞子の浜コースをWalking。今日もいつものコース、明石海峡大橋の袂の淡路島を望む地点からスタートし、ほぼ4km/hの速度で、5~7kmを右手に瀬戸の海を眺めながら、芝生の公園内を歩く。今日は4.4km。(走行距離の入力はwalking距離×3で入力しています)。

右手に展開する景色は、淡路島を過ぎると紀伊水道を挟んで紀伊半島が見えてくる。紀伊半島の西端の岬町にある関西空港の管制塔が遠くに霞んで見える。晴れた日は、奈良県葛城市と大阪府太子町にまたがる「二上山 にじょうざん」が見える。更に歩を進めると神戸港の沖に埋め立てた神戸空港への橋と管制塔が見えてくる。夜のwalkingはこの二つの管制塔の点滅する灯りで位置が確認できる。 西風の強い昼間は、中国大陸のゴビ砂漠から飛んでくる黄砂で、海面と紀伊半島は黄色い煙幕で被われる。

4km余りで、JR垂水駅南に着く。垂水駅前で、古民家活用の馴染みの珈琲店で一休みし、図書館に寄り、帰路は駅前からバスに乗車。

私は今、第30番善光寺付近で、振り返って記憶に残っている印象を報告します。

(1) まず、室戸岬に立って感じたことは、「一隻の船も見えない= 船がいない」という不思議さ。瀬戸内海は一日の通航船舶隻は約800隻。最近は減少傾向にあり、1990年代は1400隻だったそう。私が毎日眺めている瀬戸の海は船の姿が見えないことは無い。

(2) 次に高知県安芸郡「柚子の村馬路村」。サリーナさんお馴染みのタイガース球場から北東に15kmほどの山奥。2007年に「第16回おらが村・心臓やぶりフルマラソン大会」に、チューボーが参加し応援に行った。チューボーの記録は、350人中138番で4:12:02。裸足で走りとおした人が居てびっくり。足底を触らせてもらったら、柔らかだったので、感動した。マラソン終了後は村民総出の盛大な歓迎会があり、柚子のお土産をたくさんいただいた。馬路村の人口は現在約800人で、1960年代のピーク時は3,400人程だったそうで、林業の低迷と過疎化が進み、現在は約800人。2007年に訪れた時はまだ1000人強だった。

(3) 次もマラソンの報告で、「四万十川100Kkmマラソン」に友人が参加したので、応援に行った。朝5時半にスタートで、制限時間は14時間。友人は前夜から近くにテントを張ってスタートに備えたが、応援組は温泉宿でいい湯だな。因みに箱根駅伝は108kmだそう。

2021年07月13日(火)曇り/27°C/34番種間寺→35番清瀧寺/上野コース/走行距離20km/累積距離200km/サイダー

不忍池辨天堂と蓮の花不忍池辨天堂と蓮の花

ここ数日サボっていたら、サリーナに追い抜かれ、すぐ後ろにマージコが迫っています。これはまずい、気を引き締めねば。

私のデイリーコースはかつては3つ4つあったのですが、ここのところ上野コースに固定されています。このコースは細かいバリエーションが可能で、なおかつ上野公園を含む景色が良いところが魅力です。写真は定点観測的な不忍池で、ここにきて蓮の花がほぼピークを迎えています。首都圏の蓮で有名なところはずいぶん前から咲きそろっているようですが、ここはちょっと遅めなのです。

さて、四国は高知市内を抜けて桂浜も通り越し、34番の種間寺から35番の清瀧寺あたりを走っています。かつてジオポタでこのあたりを走った時は海岸ルートだったので、少し内陸に入ったこれらのお寺には寄りませんでしたから、今回が初参りです。種間寺はでっぷりの薬師如来様。これは四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が作ったものだそうですが、ちょっと時代がちがうんじゃないでしょうかね。でも立派なお姿をしておいでです。清瀧寺は仁王門の天井画が見事。こちらの本尊の厄除け薬師如来立像は高さが15mもあり、台座の中で88段の戒壇巡りができます。

2021年07月14日(水)曇り/25°C/36番青龍寺→須崎/上野コース/走行距離20km/累積距離227km/サリーナ

御室八十八ケ所御室八十八ケ所

上野公園では今週から蝉がわんわん鳴き始めました。また一つ季節が巡り、そろそろ梅雨明けも近いようです。

今日のレポートは4日ほど前に遡り、7/10に京都の仁和寺を訪ねた時のこと。仁和寺は京都のまちの北西部、金閣寺や龍安寺の近くにあるお寺で、創建は888年。皇室出身者が代々門跡(住職)を務めた格式高い寺院だそうで、応仁の乱でほとんど焼失し、徳川家光の時代に再興が始まりました。広い敷地内には金堂や五重塔など1600年代前半の建物が多く残り、世界遺産にも登録されています。

そんな華麗な建物を見たかったというのもありますが、ここを訪れた理由の一つは、仁和寺境内(裏山)に四国八十八ヶ所を再現した巡礼地があると知ったからです。御室(おむろ)八十八ヶ所といって、1827年に四国に行けない人たちのために88のお堂を設け、各札所から持ち帰った砂を埋めたのが起源とされています。というわけで、ジオポタとは別にバーチャル四国にチャレンジ中のチコちゃんと一緒に、御室八十八ヶ所巡り開始!

ハイキングコースのような山道に入ると、小さいながらちゃんとお堂が設けられ、仏様が祀られています。最初は札所の間隔が10mくらいで楽勝ムードでしたが、次第に上り坂がきつくなり、次の札所が遠くなっていきます。全行程3kmとあったので軽く考えていましたがどうして、高低差がありかなりキツい。しかも蒸し暑い上に山道は湿って滑りやすく、近年の台風による被害で石段が破損しているところもあったりして(*)、半分過ぎた頃にはかなりヘトヘト。見晴らしの良いところでしばし休憩し、眼下に広がる市街地の景色を眺めながら『随分上ってきたね~』と自分を褒める。

後半は下り続きかと思いきやまさかのフェイントが何度もあり、鎖につかまってよじ登る難所(3段くらいですが)なんかもあって気を抜けません。2時間かかってようやく結願所の88番大窪寺にヨレヨレと到着。ここは大きめのお堂の前に弘法大師の像もあり、ゴールの達成感に浸れます。

万歩計によれば、この日は他の場所の訪問も含め全14kmを踏破。翌日は筋肉痛で苦しむかと思ったら意外にダメージは少なく、日頃のバーチャルツアー鍛錬の賜物かとニンマリ。筋肉痛はこれからやってきたりして。。 ちょっとキツいですが山道の雰囲気は良く人もほとんどおらず、成就すれば四国八十八ヶ所霊場巡礼と同じご利益を得ることができるそうですから、京都で時間があれば歩いてみてはいかがでしょうか。

*御室八十八ヶ所霊場開山200年の記念の年(2027年)を目指して、現在整備事業が段階的に進められているそうです。

2021年07月15日(木)曇りのちにわか雨午後より時々晴れ/30°C/桂浜→36番青龍寺/東中野小滝橋コース/走行距離15km/累積距離221km/マージコ

中野区立おかのうえ公園から見た新宿ビル群中野区立おかのうえ公園から見た新宿ビル群

連日の豪雨、今年の梅雨末期は例年になく激しいですね。明日か明後日には梅雨が明けると天気予報は言ってまして、早く明けてほしいですが、明けたら明けたで蒸し暑いんでしょうねー?

そんな中、少し頑張ろうと走りました。行き先はいつもその日の気分任せ、今日は早稲田通りに沿って東に向かいました。目指すは、中野区立おかのうえ公園、東中野小学校の跡地です。江戸時代はいくつもあった御鷹場のひとつがありました。私が始めて来たのは今年5月のこどもの日のころ、公園いっぱいに沢山の鯉のぼりが泳いでまして、とてもきれいな公園です。そして公園は神田川を見下ろす高台にあって、新宿方面の見晴らしがすごい。見渡す限りのビル群に感動しました。

帰りは中井に出て、妙正寺川沿いに帰りましたが、沼袋の平和の森公園近くに行くと、新しくできた体育館に目が行きます。サイダーレモンスポーツセンター、いや違う、キリンレモンスポーツセンターでしたね! 中野区は広い土地が少なく大変なのですが、旧中野刑務所跡地にスポーツ広場とともにスポーツセンターが整備されまして命名権がキリンに渡されこの名前になりました。何か安芸タイガース球場と名前の付け方似ていそう・・

さて、四国は高知城、桂浜とつないで、36番青龍寺を過ぎました。高知城は30年前の春に行きましたが、桜が綺麗でしたねー! 桂浜は坂本龍馬像が記憶に鮮明に残ってます。

36番青龍寺、創建は西暦815年の古刹です。本堂・大師堂に行くには170段の急な石段を登らないといけません。どうやら相撲の横綱「朝青龍」の四股名はこのお寺の名前から取ったそうです。なんでも青龍寺近くの「明徳義塾高校」に高校生の頃モンゴルから相撲留学していたそうです。このお遍路コース2もそろそろ半分です、もうひと頑張りしましょう!

2021年7月16日(金)晴れ/31°C/桂浜→33番雪蹊寺→/真間川コース、駅往復/走行距離10km/累積距離175km/ミルミル

戸定邸/芝生の庭から戸定邸/芝生の庭から

とうとう梅雨明け、今年も猛暑が始まるようです。やれやれ。

レポートはちょっと前の日曜日に行った戸定邸(とじょうてい)のお話。我が家のある市川市のお隣、松戸市にある戸定邸は、徳川昭武(とくがわ あきたけ)が住んだ場所です。NHKの大河ドラマを見ている方いますか? 板垣李光人(いたがき りひと)君が演じているのが昭武です。最後の将軍徳川慶喜(よしのぶ)の弟で、幕府が続いていれば次の将軍になると目されていた人物です。彼は数えで14歳(満13歳)の時にパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として派遣され、ヨーロッパ各国を訪問しました。その後もフランスで留学を続ける予定でしたが、大政奉還を知って帰国しました。

戸定邸は明治17年(1884年)に別邸として建てられ、後に本邸となりました。豪華な装飾はないものの杉の柾目材がたくさん使われた贅沢な造りで、欄間の模様や釘隠し金具などが徳川家の紋、葵の意匠になっています。慶喜もこの屋敷を何度も訪れたそうです。短期間とはいえヨーロッパで学んだ影響でしょう、庭は日本庭園ではなく芝生の中に木を配したものになっています。この庭は最近大改修をしたそうですが、昭武も慶喜もカメラが趣味だったので大量の写真があり、ほぼ正確に復元できたとのことでした。敷地内にある戸定歴史館では欧州訪問の企画展をやっていました。

四国は、桂浜を過ぎて33番雪蹊寺を過ぎます。私は一昨年の夏、四国4県の駆け足旅行をしましたが、高知へは行ったのに桂浜に行き損ねてしまいました。いつか必ずリベンジで訪れたい場所です。

2021年7月17日(土)晴れ/36°C/第37番岩本寺→四万十川→足摺岬途中/地元 近藤勇陣屋跡/走行距離12km/累積距離293km/マサキン

近藤勇陣屋跡近藤勇陣屋跡

梅雨明け、早速の猛暑日、ちょっと走っただけでも汗だくです。そんな中近くの近藤勇陣屋跡に行きました。

慶応4年(1868)4月近藤率いる部隊200名が流山村に入り光明寺等に分宿したとのことです。近藤勇等幹部は酒造業を営む永岡三郎兵衛方に陣屋を構えました。流山は新政府軍により包囲されましたが、最後は近藤勇が単身投降(流山の街を兵火に巻き込むことを嫌ったためか)したために戦闘はおきませんでした。

さてお遍路ですが、第37番岩本寺を過ぎて、四万十川に入り、足摺岬を目指している途中です。岩本寺といえば天井格子絵、昭和53年(1978)に建立された本堂の天井には575枚の絵が正方形に描かれ、仏様・花・鳥・猫・人形・能面・樹木・ヨット・マリリンモンローまで多岐にわたっています。

四万十川では、天然うなぎを想い出します。大宮駅の「うなぎ天ぷら山家(創業明治5年)」では、偶に天然ものが入荷した時にタイミングが合えば贅沢(良き時代でしたね(笑))をしました。

足摺岬までは、まだまだ長丁場です、のんびり行くことにします。

2021年7月20日(火)晴れ/28°C/四万十川/上野コース/走行距離18km/累積距離329km/サリーナ

伊勢五伊勢五

今日も走ったのはいつもの上野コース。朝7時前には走り始めたのですが、8時近くになるともうかなり暑い! これからさらに早起きできるかどうか。。

レポートは、6/28の続きです。蕎麦屋の『進開屋』から不忍通りを渡って少し西へ行くと、文京区千石のもう一つの登録有形文化財、お米屋さん『伊勢五』の建物があります。どっしりとした構え、大きな看板もシンプルでカッコイイですね。

主屋は明治初期、蔵は大正時代の建築だとか。お店の創業は江戸中期の1700年代前半なのだそう。私は通りから外観を見ただけですが、伊勢五のホームページには内部の写真が掲載されていて、土間の床や年期の入った道具たちがたまりません。

さて、四国は四万十川を走っています。ジオポタで2008年にこのあたりを走った時には、朝の雨のため、私は窪川から土佐大正駅を電車移動することとし、午後自転車組に合流。沈下橋を何度も渡りながら緑の中を蛇行する川と共に進めば、十三でたくさんの鯉のぼりが出迎えてくれて嬉しかったなあ。

ジオポタ2008ではこの先もどんどん進んでいきますが、今回の私は近くに柳瀬温泉という宿を見つけたので、ここで終了。岩風呂にゆったりつかり、山菜、椎茸、川エビなど豊富な山の幸・川の幸を楽しむつもりです。ああ、リアルに行きたい~

2021年7月21日(水)晴れ/34°C/37番岩本寺→38番金剛福寺向け四万十川下る/豊島区トキワ荘コース/走行距離14km/累積距離304km/マージコ

トキワ荘の昭和の雰囲気漂う共同炊事場トキワ荘の昭和の雰囲気漂う共同炊事場

梅雨開けのカンカン照りの太陽が弱まる夕方を待ち、いざ出発! さすがにこの時間帯になると、何とか走れる状態になりました。

まずは練馬駅前に出て南長崎通りを東に、そのままトキワ荘通りに入って椎名町駅の南西方向に位置する南長崎花咲公園の「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」に立ち寄りました。公園前のトキワ荘通りには、所々に昭和の趣を残したお店があっていい感じです。

以前にも何回か通ったんですがねー、毎回コロナで休館。今日は大丈夫でしょうね? やった開館していましたよ! 入館料は必要でしたが、展示物もしっかりしていて、再現されたアパートの懐かしい昭和の雰囲気に浸ってきました。手塚治虫や赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄など沢山の漫画家が入れ代わり立ち代わり生活していました。(写真は生活感溢れたトキワ荘の昭和の雰囲気漂う共同炊事場です)

帰りは山手通りまで行き南下して早稲田通りに出て帰りました。

四国は37番の岩本寺を発ちました。奈良時代の8世紀、天平年間に行基によって建てられたお寺で、本堂の575枚の色とりどりの天井絵が圧巻です。清流で有名な四万十川に沿ってお遍路が続きますが、足摺岬にある38番金剛福寺まで大変に長い道のりです。

この辺りの四万十川はNHKブラタモリでも紹介されてましたが地形的にくねくねと山の間を這うように流れて、大きく変化する流れの中で、天然うなぎなどの自然に任せて逞しく育った川の幸が有名です。

2021年07月22日(木)晴れ/27°C/第37番岩本寺→上宮沈下橋/上野コース/走行距離18km/累積距離282km/サイダー

上宮沈下橋上宮沈下橋

梅雨明けから一週間が経ちました。連日34°Cという暑さにヘーコラ。これはとても走れるような気温ではありません。しかし陽が登る前ならなんとか。朝6時の気温は27°Cで、7時までがいいところでしょう。

四国は四万十川に入りました。四万十川は最後の清流とも呼ばれるとても清い流れにたくさんの沈下橋が架かることで有名です。第37番岩本寺にお参りして窪川を出ると、ほどなく岩井沈下橋が見えてきます。四万十川の流れはまるで蛇がのたうったようにくねくね曲がり、次に出てくるのは上宮(じょうぐう)沈下橋です。これらの沈下橋は鉄筋コンクリート造ですが、なんとも言えない良い姿をしています。

2021年7月23日(金)晴れ/22℃→25℃/36番青龍寺→七子峠/真間川+大柏川コース、駅往復/走行距離15km/累積距離248km/ミルミル

梨畑梨畑

今日も暑くなるようなので、早朝から動き出しました。朝5時、出発時の気温は22℃。このくらいなら気持ちいい! いつもの真間川コースでは時々カワセミが見られます。「一度くらいは写真が撮れたら」と思うのですが、素人がスマホのカメラで撮影できるものでもありません。今朝も姿は見たけれど撮れたのはただの水面でした。 よく見られるポイントで静かに見守る人はいますが、鳥の撮り屋さんはいません。SNSなどで写真が拡散されると人が増えそうなので、カワセミにとってもこれでよかったと思います。

ふなっしーを憶えていますか? 最近はあまり見ませんが、彼によっておとなり船橋市の梨は有名になりました。我が市川市も梨の産地として一部では有名なんですよ。そろそろ幸水(こうすい・・・梨の品種)が出回り始めました。大柏川沿いにも梨畑があります。食べごろも近そうな梨がたくさん実っていました。

四国はまた山の中に入りました。ダラダラと続く上り坂をヒイヒイ言いながら進みます。もう少しで七子峠。 登りきると海までのすばらしい眺望が望める展望台があるそうです。

2021年7月24日(土)晴れ/38℃/四万十川→足摺岬途中/地元 赤城神社/走行距離12.5km/累積距離368.7km/マサキン

赤城神社赤城神社

ものすごい暑さ!なんですが、レポートのネタで、太極拳の帰路に赤城神社に立ち寄りました。海抜15mのお椀を伏せたような小山(赤城山)の山頂に神社が祭られています。神社の石碑には、昔 上州(群馬県)の赤城山が噴火し、土塊がここに流れ着いたと記されており、「山が流れてきた」から流山という地名が付いたとあります。別の言い伝えでは上州の赤城山のお札が流れ着いたからだとか、地名の由来です。

赤城神社には大しめ縄行事があります。10月の祭礼に先立ち、氏子ら300人が力を合わせて作ります。青竹4本に稲わらをかぶせ、縄で巻き締めた直径40cmの太縄3本を作り、これを撚り合わせます。出来上がった大しめ縄は、長さ6.5m、太さ1m、重さ500kgあり、近郊では屈指の大きさを誇ります。

さてお遍路ですが、まだまだ四万十川を走っています。四万十川には47の沈下橋があるとのことで、先ほど高瀬沈下橋を通過したので、残りは最下流の佐田の沈下橋だけになります。佐田沈下橋を過ぎて「中村」に入れば土佐の小京都と呼ばれる優雅な香りを楽しめそうです。四万十川の河口目指して走ります。

2021年8月27日(火) 晴天/28℃/第36寺→第37寺へ向かう/舞子の浜/走行距離15km/累積距離243km/ナオボー

瀬戸内海のferry瀬戸内海のferry

今日のwalkingもいつもの舞子の浜コースを東に向かう。この頃は夕刻遅く18時過ぎにスタートする。舗装道路の照り返し暑さを少し感じるが、涼しい風が気持ちよい。自宅から舞子の浜のまで1.2kmほどの下り坂、速足で駆け下りる。Warming upにちょうどいい。浜はジョギングする人が行き交う。みんな涼しくなってから下りてくる。

海上の船も疎らで、西に向かう大きなferryと引き船に導かれた貨物船、小さな漁船が浮かぶ程度。2隻の貨物船を引っ張っている引き船もあり、スピードはのろのろ。かわいそうに、重くてしんどいやろうなと同情する。

東に向かう船舶が無いのはどうしてかしら? ちょっと考えた。 Ferryは大阪港or神戸港を夕方に出航すると明け方に下関、関門トンネルに着く。下関発のferryは夕方に出航すると、神戸港に朝方到着することになる。夜中に到着しても上陸後の行動ができないので。 引き船や小さな漁船は、多分近場の明石漁港や姫路漁港着なので、夕刻後に到着しても作業ができるのだろう。

海の反対側の舞子公園に沿って北側に走る国道2号に「ダイビングスクール」のビルある。ダイビングスクール用の深い水槽が見える。まるで水族館みたい。

舞子公園は、明治政府が先進諸国に追いつくために公園の建設を国策とし、1873年1月に公園制度を布達。1900年(明治33年)7月25日、初じめての県立都市公園として開設し、県立公園としてはもっとも歴史のある公園。いにしえより舞子は淡路島を望む白砂青松の景勝地として親しまれ、現在も立派な松林にその面影をみる。一方で国道2号線の拡幅、明石海峡大橋の建設などから、舞子公園は再整備され、その姿を大きく変えたが、その一環として歴史的建造物の保存整備も行われ、「孫文記念館(移情閣)」、「旧木下家住宅」、「旧武藤治邸(旧鐘紡舞子俱楽部)」として公開されている。

さて、四国は第36寺青龍寺を出発しました。累積距離243kmは驚きです。神戸から名古屋までの陸路約250kmに相当します。と言っても、walking距離×3倍なので、実際に歩いた距離は81kmですが、こうして記録して見ると感慨深いです。『最後の清流』として知られる四国最長の大河(196km)、四万十川まであと一息で楽しみです。

2021年07月28日(水)晴れ/33°C/37番岩本寺→38番金剛福寺/中野坂上コース/走行距離18km/累積距離412km/マージコ

かどやかどや

今日も暑いので早朝ライド。早稲田通りを行くと、東中野の寺町の手前に 古い佇まいの「かどや」という酒屋さんがあります。 ご当地物の中野サイダーというのが売られてまして 以前レイナさん宅で催されたジオポタ忘年会に かどやさんで1ダース買って持って行った懐かしい記憶があります。山手通りに出ていざ中野坂上に向かいます。 拡幅された山手通りは歩道の中に自転車通行帯ができ気持ちよく走れます。

中野坂上の南西住宅街の中に朝日が丘公園があって、 その前に「象小屋跡」という駒板が立てられています。 江戸時代の頃の1728年に将軍吉宗の希望でベトナムから象がやってきました。長崎に上陸し陸路江戸へ道々で初めて見る巨像は人々の大きな話題をさらいました。吉宗の上覧後に浜御殿で飼育、10年過ごし中野村の源助に下げ渡しとなり このあたりにその象小屋があったそうですが、今は公園になってます。 ちなみに源助はこの象のおかげで、随分と儲かったみたいです。

四国の方は、四万十川の河口を過ぎてもうちょっとで室戸岬です。 河口の町の中村には大きな沈下橋が掛けられていて、 四万十川で沈下橋が沢山見られる由縁は度重なる台風への対策でしょうね。 30年前にこちらに自動車旅行した折、興味半分怖さ半分で 車で対岸まで往復しましたが、それはそれはヒヤヒヤものでした。 これから室戸岬にある金剛福寺に向かいます。

2021年07月29日(木)曇り/25°C/岩間沈下橋→三里沈下橋/上野コース/走行距離21km/累積距離372km/サイダー

三里沈下橋三里沈下橋

今日は出発が6時過ぎと遅くなりましたが、曇りで気温は低く走りやすかったです。東京オリンピックが始まりスケボーで日本が男女とも金メダルを取りました。その影響でか、上野公園の大噴水周りには『スケボー禁止』の表示が至る所に設置されました。ちょっとこれってどうよ。。

四万十川は上流、中流、下流と景色がだいぶ変わり、それぞれに素敵な表情を見せてくれます。江川崎で広見川を合わせると川幅が一気に広くなり、カーブは緩やかになり、ゆったりとしたおおらかな流れになります。沈下橋は、岩間沈下橋、口屋内沈下橋、勝間沈下橋、そして高瀬沈下橋と渡り、三里沈下橋までやってきました。ここは慌てず急がず四万十川の幸を楽しみながら、ゆっくりのんびり行きたいところですね。

2021年7月30日(金)曇り時々晴れ/30℃/土佐昭和付近→星神社/真間川コース、駅往復/走行距離10km/累積距離320km/ミルミル

うちの梅干しうちの梅干し

怪しい雲は見えるし、あちこちではげしい雨が降ったようですが、我が家の辺りはまだ降っていません。昨日よりは気温が低めですが、蒸し暑いですね。

いつものコースで今日はネタ切れなので、自転車とも町のスポットとも別のお話。お遍路ともつながらない家の中の話だけど、たまには、ということで許してください。今年は6月に梅がたくさん無料で手に入りました。近所の友人のお母さまがお歳で梅仕事を引退、友人は多忙なので梅の収穫を手伝いに行った息子が山ほどいただいたのです。やっと梅仕事のラスト、梅干しの土用干しが終わりました。私は甘い梅干しが苦手なので、とっても酸っぱくてしょっぱい梅干しができます。そのままごはんと食べても料理に使っても、梅割りもイケますよ。この写真で唾が出ましたか?

四国は蛇行する四万十川に沿って進むと、「星神社」というのがありました。どんなものかと見てみると、なんと、隕石を祀っている神社だそうです。また、北斗七星を神様として信仰していることから漫画「北斗の拳」とのつながりで、フィギアメーカー海洋堂と四万十町がコラボした北斗の拳フラフ(大漁旗みたいなもの)が元祖「こいのぼり川渡し」の時に掲げられたこともあるそうです。

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