東青梅駅
いつの間にか秋の彼岸を迎えるころになっていたが、しばらくそれに気が付かなかった。彼岸といえば彼岸花、曼珠沙華じゃあないか。
ということで、都心からほど近い彼岸花の見どころへ。
東青梅駅付近
いつもは高麗の巾着田へ行くのだが、今回はその前に青梅の塩船観音寺を加えてみた。巾着田の彼岸花は見事だが人出が多い。塩船観音寺ではもっと静かな雰囲気の中で彼岸花が見られそうだからだ。
ここのところずっと秋雨前線が停滞しており、雨続きだ。この企画は土曜日に予定していたが、その日も雨で、一日延期しての開催となった。
一丘越え
JR青梅線は紅葉シーズンには大変混雑するが、この時期はハイカーの姿もちらほらで、意外と空いていた。東青梅駅周辺の混雑も思ったより少ない。市街地はいつもなら裏道を探して行くのだが、大して交通量がなさそうので、東青梅六丁目の交差点からは城山通りを進んで行く。
吹上中学校の手前で、塩船観音寺左の案内板が出てきたので枝道に入る。この道はちょっとした丘を越えるが、静かでいい道だ。
塩船観音寺山門
上って下って大きなカーブが終わると、塩船観音寺の山門(仁王門)の前に出る。
この山門は小さいながらも茅葺きで、なかなかいい雰囲気だ。これを見ただけで、塩船観音寺がかなり立派な寺であることが感じられる。
阿弥陀堂
山門の正面には銅板葺きの阿弥陀堂が建つ。この屋根は元々は茅葺きだったそうだ。山門と阿弥陀堂は室町時代に建立されたもので、ともに国の重要文化財に指定されている。
この参道の両側に、萩や彼岸花が咲いている。萩はほとんど終わりだが、彼岸花はちょうどいい頃合いだ。萩も彼岸花も、そしてそれ以外の植物も人工的に配されたものだろうが、これらは整然と並んで咲いているという感じではなく、寺らしく、あまり気取りのないところがいい。
萩
終わりかけの萩だが、中にはまだ見られる花もある。
だが萩は一輪一輪の花を見るものではなく、やっぱり、霞むようにして咲く柔らかな木全体を鑑賞するものだろう。
参道に咲く彼岸花
対する彼岸花は、群を鑑賞するもよし、また花自体が大きいから、一輪だけを眺めてもいいものだ。
ここは萩も彼岸花も圧倒的なボリュームというわけではなく、むしろ数は少ない。こうした花だけ観に来ると少々落胆するかもしれないが、ここは、それらを周囲の雰囲気とともに味わうところだろう。
大杉
境内は阿弥陀堂の奥へと続く。開けていた空が木々に覆われだすと、大杉が立っている。
大杉とはいってもこれは、世の中の大木たる大杉に比べればかなり小さい。だがここも本堂へのアプローチとしては悪くない雰囲気だ。
薬師堂
大杉の脇の石の階段を上ると、小さな平場があり、その先に薬師堂が建っている。
このお堂は小さいが、山門同様、茅葺きだ。山門が切妻だったのに対しこちらは寄棟で、ひっそりとした空間の中に佇む姿はなかなか味わいがある。
本堂
薬師堂の手前には右手に上がる石段がある。その石段を上ると本堂(観音堂)だ。これも国の重要文化財。
階段からお堂までは僅かな距離しかなく、これは建物の大きさにそぐわないように感じられる。それに、通常、寺の重要な建物は山門から一直線となるように配置されるのが一般的だが、この本堂はその中心線からずれたところに建てられている。それはここが山寺で、かつては山を切り開くのが大変だったからだろうと推測する。
この屋根は、奥多摩地方独特の虎葺きと呼ばれる少々変わった葺き方がされている。茅と杉皮が交互に葺かれているのだ。茅と杉皮を混ぜて葺く葺き方は、ここ奥多摩地方以外では筑後川流域で見られるという。
招福の鐘から観音像を見る
本堂からさらに奥には鐘楼(招福の鐘)があり、山の上に立つ観音像とその下の護摩堂を見ることができる。
このあたりは山一面がつつじの木で埋め尽くされている。塩船観音寺はつつじの名所としても知られたところだ。
シュウカイドウ
ここにはシュウカイドウも咲いていた。
この花はベゴニア科の多年草で、ピンクの花の真ん中のぼんぼりのような黄色いおしべがかわいらしい。
霞丘陵自然公園へ
塩船観音寺からは高麗の巾着田へ向かう。この場合、一般的には山根通りから岩蔵街道に出るのが順当だが、それはあんまり面白い道ではない。そこで塩船観音寺の後ろに広がる霞丘陵自然公園を抜け、その北側を通る厚沢通りで岩倉へ抜けることにした。
寺の横の道を進むとほどなく、それは砂利道になる。この道の横の畑の中には、真っ赤な彼岸花がたくさん。
霞丘陵自然公園を行く
霞丘陵自然公園は自然公園なので、その中の道は遊歩道として整備されてはいるものの当然のように土の道で、階段があったり急な斜面を上ったりと、自転車では少し厳しいところがある。
『今日も試練がありましたね。』と、遊歩道の激坂を押し上げるマサキン。
霞丘陵自然公園の雑木林
周囲の森は雑木林で、下草はきれいに刈られており、そこに所々日差しが届いていて気持ちいい。
だけれど、その中で自転車を押し上げた勾配はこんなだ。
霞丘陵自然公園の先のゴルフ場と山並み
だが、この試練はそう長くは続かず、すぐに尾根道に辿り着く。この尾根道からは、霞丘陵自然公園を取り囲むようにして開発されたゴルフ場が下に見え、彼方には赤城山あたりか、栃木県の山とおぼしきものが見える。
尾根道を少し進んで、ゴルフ場の間を行く道を下って行く。
尾根道を行く
この道は公道だが狭く、両側に『立ち入り禁止』という札があちこちに立っていて、なんだか肩身が狭い思いを強いられる。しかも、ゴルフ場内の道がこの公道から直接分岐していて、どこが道でどこからがゴルフ場なのかよくわからなくなる。
ようやくこのゴルフ場を脱し、厚沢通りまであと200mというところで、なんと道は潰えた。地図には道はあるのだがそこは草木に覆われており、事実上廃道と言っていい状況だった。
岩倉の日影林通り
ここからの迂回路はない。尾根道まで戻ってハイキング道を岩蔵方面へ向かうか、さらに戻って山根通りを行くか。昨日までの雨で足元はかなり危うくなっているから、ハイキング道は少し危険だ。ということで、ここは安全策を取り山根通りまで戻ることにした。
山根通りと岩倉街道は前に言ったようにごく普通の道で、ありきたりだ。岩倉に入るとごく短い区間だが、岩倉街道をショートカットする日影林通りがあるので、これを行く。
コスモス
この時期は彼岸花の季節であると同時にコスモスの季節でもある。熱帯アメリカが原産だというこの花は、あちこちの道脇でその姿を見ることができるが、よく考えるとコスモスとはまた大した名を持った花だ。
だって、コスモスって宇宙だよね。
成木川
日影林通りは黒沢川を渡り、そのあと入った小曽木街道は成木川を渡る。
このあたりはあまり大きくない川があちこちに流れていて、子供たちの格好の遊び場になっている。
飯能大河原への上り
成木川からは本日最大の上りが待っている。そうは言ってもこの上りは、たかだか高度差50mのものだ。その頂部は、山を切り開いて開発された美杉台団地の端っこの飯能大河原の交差点だ。
そこへ至る道は小曽木街道から分岐した二車線片側歩道付のr28で、おそらくこれは団地の開発に伴い整備されたものだろう。こうした歴史の浅い道は大抵、どこか周囲になじまない不自然さがあり、自転車で走ってもしっくりこないことが多い。
飯能河原
飯能に下ると岩根橋で入間川の流れに出会う。霞丘陵で予定外の時間を費やしてしまったので、もう昼時だ。飯能河原にそば屋が一軒あるので、そこで昼食にする。
飯能河原は入間川がうねって向きを変えるところにできた中州で、ここでは大勢の人々がBBQなどをして楽しんでいる。
岩根橋から入間川上流を見る
岩根橋に戻って入間川の上流を眺めれば、そこには下流の飯能河原とはまったく異なる風景がある。
ここと飯能河原との間には堰があり流れが塞き止められているので、下流側はひどく浅いのだ。一方、上流側は両岸を木々が覆い、この少し先は名栗渓谷と呼ばれるところとなっている。
高麗への下り
飯能からは西武池袋線に沿うR299を行く。国道はあまり通りたくないが、他にぱっとした道はないし、距離が短いから良しとする。
ここもごく僅かに上って、下りだ。上りはゆっくり歩道を行き、下りは車とそう変わらない速度で車道を飛ばす。下り切る直前に赤い旗が立ち並んでいるところがあるが、これは滝不動。
高麗駅と巾着田を繋ぐ細道
道が平らになり左にカーブすると高麗駅近くに辿り着く。いつもはここから巾着田まで細道を行くのだが、この日は時間が遅いため、もの凄い人出で、道が埋まっている。この道沿いには、巾着田へのアプローチに相応しく彼岸花が咲いている。
車の道に出てやり直し。
巾着田付近の高麗川
高麗川に出た。この向こう側が巾着田だ。
巾着田の名称は、この高麗川の流れが大きくうねって、巾着袋のような形をしているところから呼ばれるようになったという。
管理事務所付近の土手
私たちは上流側の鹿台橋から巾着田にアプローチした。この橋の袂から巾着田に続く道はとても狭く、満員電車並みの混雑だったが、なんとか巾着田の入口に辿り着いた。
管理事務所付近から川辺に降りると、土手に彼岸花が咲き出す。ここは密集度は低いが、ちょうど見頃だ。
土手に咲く彼岸花
彼岸花は曼珠沙華とも呼ばれる。マンジュシャゲは『天井に咲く赤い花』という意味のサンスクリット語からきているそうだ。
一見きれいなこの花は球根に毒を持っており、食べると死に至ることもあるそうな。お〜こわ。田んぼや畑の周囲で見かけることの多い彼岸花だが、これはこの毒で、鼠やモグラの害から作物を守るための知恵だそうだ。しかし一方で、昔の人はこの毒を抜いて球根を食べていたともいう。
上流エリア
巾着田の有料ゾーンは上流エリアと下流エリアに分れる。上流エリアの駐車場奥に自転車を置き、有料ゾーンに入る。
下流エリアに比べ上流エリアの方がやや咲きが早いようで、この時期は少しピークを過ぎた感じだが、花の密度が高く、まるで床一面に緋毛氈を敷き詰めたようだ。
上流エリアその2
どこまでも続く赤。
中間地点
中間地点の林の中は日差しが弱いためか、ちょうど良い咲きぶり。
ドレミファ橋
高麗川に対岸に渡る細いドレミファ橋が現れると、上流エリアが終わる。
ここと下流エリアの間にはこの時期、出店がぎっしりで人もびっしりだ。
サイダー、マサキン、シロスキー
その人ごみを掻き分けるのが億劫で、下流エリアはパス。
土手沿いの別ルートを辿り、自転車を置いた地点に戻る。
巾着田の土手を行く
これで本日のメインイベントは終了。ここからは近くにある高麗神社へ向かう。
細道を行く
巾着田までの前半は大味な道ばかりだったが、ここからは裏道が選べる。
さっそくr15と高麗川の間の細道に入る。
獅子岩橋から見る高麗川
この道で最初に渡るのが獅子岩橋だ。
このあたりの高麗川は巾着田を始めとし蛇行が激しく、ここの両岸は侵食されて急峻な崖となっている。
高麗神社
正面の山の上に聖天院が見えて来る。この寺は日本に移住した高麗人(高句麗人)の菩提寺として建立されたものだそうで、山門が一風変わっている。
その横に建つのが高麗王若光(こまのこきし じゃっこう)の御霊を祀った高麗神社だ。大陸の高句麗は668年に滅んだ。その後多くの高句麗人が日本に渡ってきたが、716年、高麗王若光は武蔵国に新設された高麗郡の首長となり、各地から移り住んだ高麗人とともにこの地の開拓に当たったという。
この地は現在も高麗の名が残るように、朝鮮半島と繋がりが深い土地なのだ。
高麗家住宅
高麗神社のすぐ裏手には、代々宮司を務めた高麗家の住宅がある。通常はこの内部見学には事前申し込みが必要らしいが、巾着田の彼岸花の季節はいつも開いているようだ。
高麗神社の宮司は代々、若光の子孫が務めたそうで、現在の宮司は60代目だとか。
高麗家住宅の表座敷
表座敷にはすすきと団子が飾られている。
そういえば中秋の名月というものがあった。今年は9月15日だったからすでに過ぎてしまったが、十三夜は10月13日だ。忘れなかったら月見をしよう。だがこれらの片方しか見ないのは『片見月』といって縁起が悪いそうだ。どうしよう。
高麗家住宅土間の天井
この住宅は慶長年間築と伝えられている。日本の住宅には大抵大黒柱があるが、ここにはそれがない。
柱や梁の仕上には手斧(ちょうな)や槍鉋(やりがんな)が使用され、どこかふんわりした印象だ。そして竹を荒く組んだ天井も面白い。
高麗神社付近の高麗川
高麗神社からは、高麗川に付かず離れずでその下流へ向かう。
このあたりの高麗川は両岸の崖はなくなり、河原が出て来る。
茶畑
できるだけ細い道を探して進んで行くと、茶畑が現れた。お茶の生産で有名な狭山市はこのすぐ近くだ。
今はお茶のシーズンではないからか、葉っぱは伸び放題だ。
栗畑
次は栗畑だ。これはシーズン。大きな栗の実がたくさん生っている。
そういえば、十三夜は『栗名月』とも言うそうじゃないか。やっぱり片見月になっても栗を食べながら月見といこうか。
多和目天神橋
何度目かの高麗川の流れだ。彼岸花が両側に並ぶ道の先に架かるのは多和目天神橋。
この橋は一見木造に見えるが、柱と桁に鉄が使われている。
多和目天神橋を渡る
まあそれでも上部は木なので、なかなか味わいがある。
これを渡るとゴロゴロ、ガタピシ、ドンドン、と音がする。
多和目天神橋袂の桜並木
多和目天神橋の右岸はちょっとした公園でも整備しようとしたのか、下流に向かって道が伸びているのだが、どうしたわけかこれは通行止めになっている。
反対側の上流に向かって進んで行くが、ここは川沿いもその上の道もなかなかいい感じだ。
仮設の橋?
この先で少し広い道に出るとすぐまた橋に出るのだが、この橋は前後の道からするとちょっと狭く、その上床板が木でできている。世の中には車が通れる木造の沈下橋もあるにはあるが、これはどうも仮設っぽく感じる。
このあと川辺に僅かな区間だが道があるところを見つけたので行ってみたが、それは草ぼうぼうでちょっと走れそうになかった。だがその脇で珍しいものを見つけた。
マコモ
水が入った沼地のような小さな区画に、人の背丈より少し高い植物が植えられている。ちょうどその中で農家の方が作業していたので声を掛けてみると、この植物はイネ科のマコモというもので、そこから収穫しているのは新芽だが、これは根元に出来、肥大した茎となるらしい。これをマコモダケ(真菰筍)と呼ぶそうだ。
マコモダケは中華料理などで使われる食材で、今が旬らしい。茎の葉を剥ぎ取っていくと、中から真っ白な可食部分が現れる。その味はというと、クセがあまりなく柔らかい筍のような歯ざわりで、ほのかな甘味に加え、かすかにトウモロコシのような香りがするという。
畑の中を行く
食べ物ついでにこの先は、坂戸にただ一軒だけあるぶどう農家を訪ねてみることにする。
もう高麗川の近くに道はないので、畑の中の細道をどんどこ行く。
墓地下の彼岸花
すると、ここにも真っ赤な彼岸花。この上は墓地だ。
彼岸花は墓地の周囲に植えられることも良くある。これは田畑の場合と同様、虫除けや、土葬だった時代に死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐ効果が期待されたという説があるが、それより『彼岸』という名が墓と結びついたように思う。
ぶどう畑
坂戸に入った。いつもなら高麗川に架かる沈下橋の若宮橋へ向かうのだが、ここでその少し上にあるぶどう農家を訪ねてみる。高麗川へ下る傾斜地が平らになる境に、そのぶどう畑はあった。
意外と畑は広い。ここはぶどう狩りも出来、ちょうど一組の家族が出て行くところだった。しかし、だらだら走っていたので時はもう夕刻。ということで今回はぶどう狩りは止め、たっぷり試食をさせてもらって、お土産に巨峰などを求めた。ここは都心から近いので、手軽にぶどう狩りが楽しめそうだ。
越辺川自転車道
さて、ぶどうを食したあとはいつもの宴会に突入だが、居酒屋が開くまでは少し時間がある。そこで少し回り道をということで、高麗川の北を流れる越辺川に出た。
ここには快適な自転車道があり、その土手にも彼岸花が咲き並んでいる。うしろの秩父から奥多摩にかけての山並みも、なかなかよろしい。
高麗川自転車道
越辺川はこの先で高麗川に合流し、自転車道はぐるっとUターンして高麗川沿いに入る。
高麗川の対岸に坂戸の街が見えてきた。
秋空
天気にやきもきした企画だったが、今日はなんとか雨に降られずに済んだ。
天を仰げば、秋の雲に日差しが反射している。