昨夜辿り着いた宿は寺山観音寺の霊湯の寺山鉱泉で、ここは160年の歴史を持つとのことですが、建物は35年前に建て替えられています。
健康に良さそうな朝ご飯をいただいて、出発です。
宿の前には細い沢が流れ、その横にはきれいな赤に染まった木が立っています。
宿の先の道は一応舗装路なのですが、最近の台風の影響でか、落ち葉や枯れ枝、それに泥が覆い被さり、ほとんどダートです。
昨日この道を通った時は暗くて、かなり危なっかしく感じました。
『昨夜通ったのはこんなところだったんですねぇ〜』 と、周囲のを眺め回す先頭のシュンシュン。
森を抜けると田圃の中を行くようになります。
しかし道幅は依然として狭く、車だったら対向車が来るとたちまち往生してしまいそうです。
周囲の田圃はすでに稲刈りが終わり、冬の風景に変わろうとしています。
寺山鉱泉はこの田圃の奥に見える山の中にありました。
今日の午前中のイベントは、宿泊地近くの矢板市長井でりんご狩りですが、そこへ向かう途中に古い民家が残っているので寄ってみることにしました。
17世紀後半築の荒井家住宅です。この家は庄屋だったそうで、建物は桁行12間半、梁間5間半と大きくて立派。
家主さんによると、今から30年ほど前までここで生活されていたそうですが、やはり冬は寒くてたいへんだったそうです。
表には写真の奥から、土間、カッテ、ナカノマ、ザシキと並んでいます。
土間は桁行5間半で、隅には馬屋(マヤ)が作られています。馬屋の裏側にカマドとナガシがあります。土間に飛び出しているのは板間で、面白いことに土間に開いた囲炉裏が切られています。
カッテは南北の二室に分れています。これが県北部になると広い一室になるそうです。それぞれに囲炉裏が設けられており、北間には大きな神棚が祀られています。北間の右の部屋はナンド。
座敷は数寄屋風で、鍵座敷と呼ばれる形式のものです。南にナカノマとザシキ、ザシキの北にカミザシ。ザシキとカミザシキの外側には濡縁が設けられており、外には庭が作られています。
屋根は茅葺きの寄棟造。
茅は幾層にも分けて葺かれており、層によって材料が異なるようです。
室内に入ってまず驚くのはやはり小屋組。
真っ黒でうねった梁が交差し、圧倒的な空間のボリュームがあります。部屋の壁は梁で止まっていて屋根まで届いていません。巨大な一室空間です。
土間の奥には板間があります。
座っているマージコの手前に見えるのは、土間に開いた囲炉裏。奥には吊し雛が飾られています。
荒井家住宅からは小さな切り通しを越えて、長井のりんご園に向かいます。
ぐわっと下るとりんご園が並ぶ県道272号県民の森矢板線に出ます。この周辺には20軒ほどのりんご園があるそうですが、正直どこがいいのかわかりません。とりあえずWEBで見つけた某りんご園で今日から参加のタキスキーと待ち合わせたので、そこへ向かうことに。
ところが鼻が動いたのか、サイダーが入ったのは手塚郁夫りんご園。道の奥に普通の民家が建っています。
その庭先には真っ赤なりんごがたくさん。
これはこれからが季節のフジ。大きくていい色に育っています。このりんご畑の向かいには、りんごの仕分けなどに使う小屋があり、そこがこの時期は販売所になっています。
こんにちわ〜 とおじゃますると、テーブルの上にりんごが並んだ並んだ。名月、陽光、青林、パインアップル(りんごです)! 次々と試食していきます。
『私は名月がおいしいな〜』 と、サリーナが言えば、
『陽光がうまいよ。』 と、シロスキー。
『僕は青林がいいと思います。』 とは、シュンシュン。
『おじさん、紅玉はもう終わっちゃったかな〜』 と、突然サイダーが言い出すと、
『紅玉は終わり。食べたいの? じゃあ持ってきてあげる。』 と、おじさん。しばらくするとその手にはいくつかのりんごが。
『これ、紅玉の最後のやつ。甘くなっちゃったけどね。よかったら食べて。』 と、サイダーに手渡してくれました。
この手塚さんは奥から写真を持って戻ってきて、いろいろ説明してくれました。りんごは最初に咲く花の周りに四つほど花を付けること。りんごの実として育てるのは最初に咲く中心花であること。この中心花以外の側花は不要なので摘み取ること。花を摘み取ると花梗が残り、写真下の実の上に見えるように、元あった花の数だけ果梗のように残ること。
『りんごの木の下に敷いてある銀色のシートは何ですか?』 と聞けば、
『日本人は均一の色じゃあないと買わないからね。光りを反射させて下の方も赤くするんだよ。』 とのこと。
このほかにも、実に影を落とす葉っぱを取り去ったり、実自身を回転させて日陰部を太陽の方に向けたりするそうです。この作業が結構手間がかかるので、近年は青いりんごが多く生産されるようになっているとか。
さらに手塚さんは裏手にあるりんご畑に連れて行ってくれ、いろんな話を聞かせてくれました。
このりんご畑は手塚さんが生まれたのと同じ60年くらい前に作られたこと。一番花でも残すのは全体の四分の一くらいだけれど、ついつい多く残してしまいがちなこと。摘花はパートのおばさんでもできるが、剪定はむずかしいので他の人にはまかせられないこと。
りんごの種類は60種類以上あるが、日本では生産量の70%ほどがフジであること。時代により趣味指向が変わり、品種改良も進むので、現在ではほとんど生産されていない品種も多いこと。
これは年配の方ならだれでも知っている、甘いりんごの代名詞だったインドりんご。もうまったく出荷されないそうですが、記念にとってあるそうです。一つもいで食べさせてくれました。確かに甘い。ですがやっぱり現代的な味じゃあない。
手塚郁夫りんご園ではりんご狩りしないでりんご狩りしちゃいました。(笑) いや〜、ここは楽しかった。ありがとう、手塚さん。
各自お好みのりんごを買って、タキスキーの待つ某りんご園へ向かいます。
ところがここでシロスキーがパンク。いや〜、遅れてすまん、タキスキー。
なんとか無事にタキスキーと合流して、りんご街道を戻ります。
午前中のメインイベントが終了したら、鬼怒川へ向かいます。
りんご街道を離れると、そこは田圃の中の気持ちのいいカントリーロードで、うしろには今朝までその山麓にいた高原山が見えています。
ここの標高は250mと低いので、まだ紅葉はあまり見られませんが、それでもいい色に色付いた木々が何本か見られます。
矢板高校の近くにやってきました。
特に何ということのない風景ですが、稲刈りが終わった田圃と小さな集落がいい感じです。
矢板高校から西へ入っていくと、道は林道弥五郎坂線になります。
舗装は真新しくピカピカで、あまり暗くなく、とても走りやすい道です。この林道で一丘越えます。
R461玉生バイパスに出てコンビニエンスストアで小休止したら、さらにカントリーロードを行きます。
花は菊でしょうか。
その向こうにはあの高原山。
県道74号に出て荒川橋を渡ります。
荒川橋ですからその下を流れるのは荒川ですが、これはもちろん東京を流れているそれではなく、那珂川水系の荒川。
高原山を背にして荒川沿いを走るシロスキー。
いつもしんがり、ご苦労さん。
前方に見えるは羽黒山。
もちろんこれは出羽三山のそれではなく、栃木県の山です。荒川といい、この羽黒山といい、このあたりの名称は紛らわしいぞ。
荒川を離れたら、また田圃道を。
ここは鬼怒川に沿って入り込んできた関東平野の末端です。
塩谷町の大久保あたりで田圃道を抜け出ると、民家の庭先にきれいなサザンカが咲いています。
サザンカを見ると、ロートルばかりのジオポタメンバーはついついこんな歌を歌ってしまします。
童謡『たきび』 作詞:巽聖歌 作曲:渡辺茂
かきねの かきねの まがりかど たきびだ たきびだ おちばたき あたろうか あたろうよ きたかぜぴいぷう ふいている
さざんか さざんか さいたみち たきびだ たきびだ おちばたき あたろうか あたろうよ しもやけおててが もうかゆい
こがらし こがらし さむいみち たきびだ たきびだ おちばたき あたろうか あたろうよ そうだんしながら あるいてる
そうだんしながら あるいてる
サザンカの先には鬼怒川が流れています。
その土手上は河川管理道路になっていて、これはほぼ自転車道といっても良さそうな作りなので、ここからはこの土手上を行きます。
砂利道を少し進んで、土手上に自転車を押し上げます。
鬼怒川の土手からも、あの高原山がしっかり見えます。
鬼怒川の土手上を快調に走り出した面々。
先頭を牽くのはジオポタIT部長のマージコ。この御仁、空も飛べるがITにも強い。
鬼怒川は大河。
この川は河川敷が広くてなかなかその川面が見えないのですが、鬼怒川運動公園が近付くとようやく、その姿を目にすることが出来ます。
鬼怒川上流部の土手はあちこちで途切れており、当然その上の道も途切れることになります。土手が最初に途切れるのが鬼怒川運動公園で、ここはいったん土手を下りて、公園の小さなスタンド状の通路から上り直します。
先頭はロードバイク仕様の折り畳み自転車で飛ばすタキスキー。
鬼怒川運動公園からそのすぐ下流に架かる氏家大橋まではすぐです。
氏家で、昨日紅葉狩りをした尚仁沢湧水を教えてくれたベネデッタと落ち合い、昼食をとったら氏家大橋を渡り、鬼怒川の右岸へ。
氏家大橋から見る鬼怒川です。
鬼怒川は鬼怒川温泉や龍王峡あたりでは渓谷の様相を見せますが、ここまで下って来ると、その流れはゆったりとしています。
氏家大橋の右岸上流側には『やな』があるので寄ってみました。『やな』は梁と書き、所によっては『やない(簗)』とも呼ばれます。これは川に杭や石などを敷設して水道を作り、誘導されてきた魚を捕える仕掛けです。
ここは観光やなで、営業は10月いっぱいなのでもう店はないのですが、仕掛けだけ残されていました。竹の簾を斜めに置いて、導かれた魚が自動的にこれに打ち上げられる仕組みです。しかしこの前の台風の影響でか、やなには魚ではなく、たくさんの漂流物が打ち上げられていました。
やなを眺めていると、上空にグライダーが飛来してきて氏家大橋の向こう側に着陸したようです。どうやらこの近くに滑走路があるようなので行ってみました。この河川敷はボコボコの砂利道。
それは氏家大橋の右岸下流側にありました。滑走路の入口は私たちがアプローチした道とは反対側にあるようで、手が届くまでには近づけませんでしたが、優雅な姿のグライダーが何機か停まっているのが見えます。このあと離陸も見ることができましたが、その機はもの凄い角度で上昇して行きました。
やなとグライダーを眺めたら、鬼怒川の右岸の土手に上ります。
しかしこの土手は僅か1kmにも満たないでおしまいになってしまいます。
し方がないのですぐに下の道に下りて、次の土手にシフト。
『な〜んだ。こんなんなら土手に上らなければ良かったのに〜』 と、不満げなベネッデッタでした。
次の土手は目と鼻の先にあります。
『な〜んだ、こんなに近いんなら、土手同士を繋ぐ下の道だけでも整備してほしいですよね。』 と、ちょっと砂利道を通らされて不機嫌なベネデッタ。
しかしこのあと、空が広くて気持ちのいい道に笑みが出るベネデッタでした。(TOP写真)
ところがこの土手も1km少々で終わり、今度は目と鼻の先どころが、鼻の穴と穴ほどのところにある土手に乗換えです。走っているより土手の乗換えに使っている時間の方が多いくらいですが、そこはまあ、まあ。
1km少々走ると県道125号線の阿久津大橋の袂に出ます。ここはアンダーパスがないので、慎重に車道を渡ります。
ところで、どうしてこのあたりの土手はこんなに途切れているのでしょうか。土手が繋がっていないと大雨の時に水が流れ出して洪水になってしまうと思うのですが。
一つ考えられるのは、土手が充分強くなく、大量の水が押し寄せると土手そのものが壊れてしまい、より大きな被害をもたらすというものです。そうならないように、少しだけ川の水を土手の外側に逃がしてやる。こういうことでしょうか。
阿久津大橋から2kmほど走ると、河川敷にゴルフ場が見えてきます。鬼怒グリーンパーク白沢です。
ここでまたまた土手が途切れます。ここはこの先で鬼怒川に西鬼怒川が流れ込むので、これは仕方ありませんね。しかしこの土手は高く、下りるのに一苦労。あ、土手が途切れた所には、ほとんど下に下りる道はないのです。
鬼怒グリーンパーク白沢は、パークゴルフ場、テニスコート、多目的広場がある運動公園で、駐車場横にトイレがあるので、ここで一休み。
鬼怒グリーンパーク白沢の出口で西鬼怒川を渡り、再び鬼怒川の土手に上ります。
この先は2.5kmほどは無事に進むことが出来ます。しかしJR東北本線の線路とR4の鬼怒川橋、新鬼怒川橋に塞がれて、ノックアウト。
これら三つの橋の下をくぐって、しばらく行ってからようやく土手上に復帰です。
このあたりは鬼怒川が近くなり、その大きな流れが楽しめます。
『ここは川が大きくて気持ちいい〜』 と、はしゃぐベネデッタ。
左手が柳田緑地になると、その中のいくつかの木がいい色になっています。もう少ししたらこの緑地の紅葉は見事でしょう。
柳田緑地の先には柳田大橋が架かります。ここもアンダーパスがなく、しかも中央分離帯付きの四車線で交通量が多いので、渡るのに一苦労。
しかしこの柳田大橋より下流は自転車道になり、これまでのように土手を乗り換えたり、広い車道を渡ったりしなくて済むようになります。
少し行くと土手の作りががらりと変わり、片側に車道が並走するようになります。
ここまで気付きませんでしたが、北西にはうっすらと日光の男体山が見えています。
この反対側の南には、関東平野の真ん中に鎮座する筑波山があります。
先に優雅なアーチを持つ鬼怒橋が見えてきました。
この橋は1915年(大正4年)に木橋として完成したものの、わずか15年で腐食のため架け替えられることになります。1931年(昭和6年)に煉瓦と切り石積みの橋脚を1.2m嵩上げして、現在の鉄橋に架け替えられました。
鬼怒橋と新鬼怒橋をくぐると、桜堤です。
左手に見える水路は鬼怒川の一部で、釣りを楽しむ人々の姿があります。
河川敷が鬼怒川緑地運動公園になりました。空に舞うエンジン付きのパラグライダーを眺めながら、ここで最後の休憩をとります。
手塚郁夫りんご園で買い求めたりんごをみんなで頬張ります。
陽がだいぶ傾いてきました。今日の最終目的地は宇都宮駅から一つ東京寄りの雀宮駅です。
鬼怒川緑地運動公園で鬼怒川を離れ、西に進路を取ります。ここは夕陽を浴びた田圃がきれい。
田圃から住宅地をかすめて進むと田川に出ます。
田川には自転車道があり、安心して進めます。この道脇にはコスモスがまだ残っていました。
この日の夕陽はとても大きく、それがゆっくり田川の向こうの民家の屋根の中に沈んでいきます。
雀宮駅前の焼肉やに飛び込んで、二日間の打ち上げ開始。地元のプリンとコンタも加わって、賑やかに夜は更けていきました。