小町の湯
日本列島横断、磐越の旅の2日目は福島県の阿武隈高地の中にある小野町から、中通りの郡山をかすめて奥羽山脈の入口にある磐梯熱海まで。
朝の目覚めは小鳥のさえずりで。窓から外を見ると空には雲が掛かっていますが、天気予報によれば今日は晴れるはず。
小町の湯の前にて
小町の湯で朝風呂に浸かり、おいしい朝食をいただいているうちにお日様が出てきました。
いいぞ〜今日はいい天気だ〜 っと、いざ出発のポーズ。
小町の湯から街へ下る
私たちが一晩お世話になった小町の湯は小野新町の中心部から少し離れた山の中にあるので、まずは街の中心まで下って行きます。
リカちゃんキャッスル
すると突然、水色の尖塔がたくさん見えて来ました。
あれは一体なんだ、と近づいてみると、なんとそれはあのお人形さんのリカちゃんのお城でした。日本の女の子なら大抵一度はお世話になったことがあるだろうリカちゃんのお城がどうしてここにあるのかは謎ですが、ちょっとびっくりです。この時刻はまだオープン前だったので見学できなかったのが残念。
小川と菜の花
今回の旅の前半はJRの磐越東線(ばんえつ とうせん)の近くを進んで行くことにしたのですが、小野新町から三春までは線路沿いを行くと距離的に不利になるので、ここで磐越東線を離れ、直線的に三春のさくら湖を目指すことにしました。
小野新町の右支夏井川沿いの小径
小野新町の右支夏井川沿いの小径に入れば、土手には菜の花が咲き、道端には力強い緑色に変わりつつある桜の木が並びます。
満福寺へ向かうサリーナ
今日まず向かうは、東堂山(668m)にある満福寺。
道の周囲は田植えが済んだばかりの田んぼで、気分良し。
東堂山と日影山
その田んぼの向こう側、右に見えるのは日影山(879m)で、左の尖った山が東堂山。
田んぼの中を行くジオポタ
もしかして、あの山に上るんですか〜 と満福寺が東堂山にあることに気付いたレイナは、自転車のアシストがきちんと働いてくれるかしきりに気にしています。実は昨日、レイナの自転車の調子がおかしくなって、アシストがうまく働かないことがしばしばだったのです。
ハルジオンとレイナ
田んぼの縁にはハルジオンがたくさん、と花を見てにっこりのレイナですが、さてどうなる?
穏やかな上り
田んぼ道から二車線の広い道に出ると勾配がきつくなり、はっきり上って行くのが感じられるようになります。
ここから東堂山の中腹にある満福寺までは高度差100m。
満福寺への上り口の羅漢像
『東堂山→』の看板と石像が数体現れました。ここを入ると満福寺に着くようです。満福寺は昭和羅漢という現在では500体以上ある羅漢群で有名なところで、その羅漢さまの一部がここまで出張ってきたようです。
この像、こんな恰好している、なにやってんのかな? と、ある羅漢さまと同じ恰好をして不思議がるコテッチャンでした。
満福寺への激坂を上るレイナ
この満福寺の入口からは平均勾配10%の激坂でアヘアヘ。
レイナの自転車の電動アシストはどうにか作動しているようで、なんとか上って行きます。
満福寺
へこへこしながらもなんとか満福寺に到着。
このお寺は斜面に立っているので平地のそれによくある配置とは少し異なり、通常最初に現れる山門は見えず、ここからは細い階段が上に延びて行っているだけです。
入口下の羅漢群
その階段の下にも羅漢像が何体か置かれています。
羅漢は言わずと知れた阿羅漢の略で、これは仏教において最高の悟りを得た者を指すそうです。ここにある羅漢さまには少しそんな雰囲気があるでしょうか。
ひょうきん羅漢たち
上に続く階段を登って行くと、なんとまあ、お金ちょうだい、やエロ本でも読んでいるのかと思わせるような像が現れます。
これは一体何なんだ?
仁王門
仁王門の前に出ました。この門の手前に並ぶ像はわりかし普通のお坊さんのように見えます。
なるほど、門をくぐるまでは俗世間のものが置かれているのか、と思ったのですが・・・
鐘楼
仁王門の先にも階段が続いており、巨大な自然石の上に立派な鐘楼が立っています。
ここは青もみじが見事です。
観音堂
鐘楼で階段は終わり、奥に観音堂が見えますが、この観音堂の周囲はあまり手入れされていないようで、草が伸び放題。
昭和羅漢
観音堂の奥へ続く小径の奥に、昭和60年から奉安が始まったという羅漢群が置かれています。
まずまず普通のお顔の羅漢さま
この羅漢の表情がまたなんとも言えません。これはまだ普通の方なのですが、
笑う羅漢
こんなふうに大口を開いて笑う羅漢や、野球のボールを持っているという方もおられます。
現世の煩悩全開!
酒を呑むペタ羅漢
これは我らがペタッチ羅漢。本当にそっくりだ〜 とみんなで笑いころげました。ちなみにペタッチは下戸ですが。
こうした羅漢の裏には奉納した方の名があり、それぞれが思い思いの姿を彫らせているようです。
満福寺からの下り
おもしろおかしい羅漢さまたちを眺めて笑い転げたら、満福寺から下ります。
行きはコワイが帰りはヨイヨイで、あっという間に下の道に出ました。
三又へ向かう
やってきた広い道から再び田んぼ道に入ってどんどこ。
五蔵内のカントリーロードを行く
このあたりの幹線道はr65小野郡山線ですが、私たちはそれにほぼ平行して走るカントリーロードを行きます。この道、それなりに幅員はありますが、まったくといっていいほど交通はありません。
道は日影山をぐるっと廻るようにして北西へ進んで行きます。
馬頭観音
浮金に入って田んぼ道を進んでいると、道端に馬頭観音らしき石仏があります。
こうしたものがあるということは、この道もそれなりに古くからある道ということですね。
たばこ畑
福島県は米どころなので田畑の作物は圧倒的に米が多いのですが、この畑では珍しくたばこが栽培されています。
浮金越野
この浮金の平場にはお寺や神社がとても多く宮之前という地名もありますから、このあたりは古くからの集落なのでしょう。
小野町から郡山市へ
その平場が狭まってきて、道も狭まりちょっとした上りになると、そのピークが小野町と郡山市の境界です。
これより郡山市
ということでこれより郡山市です。
田植え
このあたりは山がちな土地なので棚田が多いこともあってか、田植えを人力でやられているところをしばしば見掛けます。この田んぼはそれほど狭くはないので、植えた苗の調整をしているといったところでしょうか。
中田町柳橋戸ノ内
周囲はどこを見ても田んぼだらけ。
中田町柳橋町向の水路
中田町の柳橋(やなぎはし)の中心部に入りました。表通りの小野郡山線の一本裏の道脇には小さな水路が流れています。
先に柳橋歌舞伎伝承館
この裏道を行くとの先に柳橋歌舞伎伝承館が見えてきます。
柳橋歌舞伎伝承館
柳橋歌舞伎はいわゆる農村歌舞伎で、現在も毎年9月にここで歌舞伎が行われています。
江戸時代、この地区は天領だったことから芸能が比較的自由に行える環境にあり、菅布禰神社(ふがふねじんじゃ)の祭りで村人による芝居が上演されたことがここの歌舞伎の始まりと伝えられているそうです。それにしてもこの柳橋歌舞伎伝承館はまちの規模からするととてつもなく大きなもので、維持管理が大変そうです。
柳橋のまち
柳橋のまちは小さいとはいっても郵便局と駐在所、そして雑貨店が一軒あるので、まずまずです。
菅布禰神社
表通りから脇道にちょっと入ったところに歌舞伎の元となった芝居が行なわれた菅布禰神社がありました。
その前に立つ碑を見ると、ここの獅子舞や太々神楽(だいだいかぐら)は市の重要無形民俗文化財に指定されているようです。柳橋は歌舞伎をはじめ、このような伝統芸能がまだ残っているところであることがわかります。
蟹沢
柳橋を出て山間を進み、三春へ向かいます。
ここは蟹沢というところで、田んぼの向こうを流れる小川は三春のさくら湖へ流れ込んでいる蛇石川。
根本の飯野三春石川線
目の前の空間が広がりr40飯野三春石川線に出るとそこは三春の根本で、空には青い色が広がりだしました。
ここに来て気温がグンと上昇したようで、かなり暑さを感じます。
中郷橋から見るさくら湖
ほどなくさくら湖が見えてきました。
この湖は阿武隈川の支川である大滝根川が三春ダムによって塞き止められたためにできたものです。
三春町嘉屋
三春町は滝桜で有名ですが、この時期は当然ながらその花はすでに終わっています。しかし小町の湯のおかみさんが、三春を通るなら花は終わっていても滝桜は木そのものが立派なので是非見ておくがいいと言うので、予定を変更して滝桜を観に行くことにしました。
三春滝桜
あまりに有名なこのエドヒガン系の紅枝垂桜は、桜の木としては初めて国の天然記念物に指定されたもので、樹齢は1000年以上とも言われています。
滝桜の名は一説では滝が流れ落ちるような姿からとも。ちなみにこの場所は三春町大字滝字桜久保。地名が先か滝桜が先かと考えると、どうやら桜が先のような気がしますね。
三春滝桜を眺める面々
高さ13.5m、根回り11.3m、枝張りは幹から北へ5.5m、東へ11.0m、南へ14.5m、西へ14.0m。
確かに大きく素晴らしい枝振りで、もう一度花の時期に再訪問したいと思わせるものがあります。この周辺にはこの滝桜を筆頭に、見事な桜がたくさんあります。
さくら湖と春田大橋
滝桜を眺めたらさくら湖を眺めてみましょう。
さくら湖には複数の川が流れ込んでおり、それだけこの周辺地形は複雑なので、湖自体も全貌が分からないほどに複雑な形状をしています。その中を斜張橋の春田大橋が横切っています。
石畑
さて、ここでお昼にしましょう。
三春は観光地だけあり飲食店はそこそこありますが、コテッチャンが茅葺き屋根の民家をレストランにした素敵なところを発見したので、そこへ向かいます。
里の茶屋
この一帯は『三春の里』といい、農産物直売所、入浴施設、宿泊施設、そしてレストランが数軒集まった公設施設のようです。
私たちが選んだ『里の茶屋』はこれらの中の一つで、建物は三春ダム建設により移築されたという大きな古民家です。
里の茶屋内観
正午過ぎのこの時、外の気温はかなり高くて暑かったのですが、室内に入ると冷やっとした空気が気持ち良く感じます。
この自然の冷房は、茅葺き屋根で天井が高いせいでしょう。
わっぱめしセット
ここで提供される食事は昔ながらの伝統食をベースにしたもので、いわゆる田舎料理の類ですが、リーズナブルで珍しい餅などもあって楽しめました。
三春町鷹巣中田
おいしい昼食をいただいたらさくら湖を離れ、北西へ向かいます。
周辺の景色はまた以前のように、田んぼと森だけになりました。
三春町山田栃久保
磐越東線の線路を渡り、栃久保の集落を抜けて進むとこれが激坂でアヘアヘ。
今日の前半は阿武隈川まで基本は下りなのですが、さすがにここはまだ阿武隈高地の中だけあり、時々上り坂が出てきます。
小和滝橋より阿武隈川上流を望む
磐越自動車道の上を跨いで阿武隈川に出ました。ここが本日の最低標高地点で、ここからは穏やかながらも上りになります。
ん〜ん、なんだかここまであんまり下った気がしないな〜(笑)
阿武隈川と安達太良山
ここで北西を見ると磐梯山がバーンと登場! と思ったのですが・・・
実はこの山は安達太良山(あだたらやま 1,700m)でした。しかしおかしいな・・・安達太良山はこんな山容じゃなかったと思うけど、と思って調べてみると、安達太良山は右で左の山は安達太良連峰の最南端に位置する和尚山(おしょうざん 1,602m)でした。この二つの頂が並んで、パッと見、磐梯山に見えたのです。
これからしばらくはこの和尚山と安達太良山とが風景の主役です。
安積山公園
阿武隈川を渡ったら目指すは安積山公園(あさかやまこうえん)です。安積山公園は安積山とされるところを公園としたものだそうです。
安積山は一般には有名ではないかもしれませんが、古くから歌枕の地として知られています。松尾芭蕉と曾良は『奥の細道』紀行で元禄2年5月1日(1689年6月17日)に訪れ、『花がつみ』を探したようです。
奥の細道の碑
この公園内の碑には『奥の細道』の次の文が刻まれています。
等窮が宅を出(いで)て、五里斗(ばかり)、檜皮(ひはだ)の宿(しゅく)を離れて、あさか山有り。路(みち)より近し。此のあたり沼多し。かつみ刈る比(ころ)も、やや近うなれば、いづれの草を花がつみとは云うぞと、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を尋ね、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。
等窮の家を出て五里ほど進み、日和田宿を離れると道のすぐそばに安積山がある。このあたりは「陸奥の安積の沼の花かつみ」と古今集の歌にあるように沼が多い。昔、藤原中将実方がこの地に左遷された時、五月に飾る菖蒲がなかったので、かわりにこの歌をふまえて「かつみ」を刈って飾ったという。今はちょうどその時期なので、「どの草をかつみ草と云うんだ」と人々に尋ねてまわったが、知る人はいない。沼の畔まで行って「かつみ、かつみ」と探し歩いているうちに夕暮れ時になり、日が山の端にかかってしまった。
ヒメシャガ
みちのくの 安積の沼の花かつみ かつみる人に 恋ひやわたらん --古今和歌集 詠み人しらず
この歌により花かつみは安積の沼の名物となり、多くの歌が読まれるようになりました。しかし花かつみについてはいろいろな説があり、よく分からないというのが本当のところのようです。しかし明治天皇の東北巡幸の際、ヒメシャガを花かつみとして天覧に供して以後、この地ではヒメシャガが花かつみとされ、郡山市の花に制定されています。
日和田町から見る和尚山と安達太良山
古くから歌に読まれた花かつみが何であるかはともかく、芭蕉はそれを探すことで、古より続く歌の世界を求めて旅する自らの姿を紀行文に認めたと思われます。
ヒメシャガを眺めたら芭蕉と曾良も通った日和田のまちを抜けて西へ向かいます。電動アシストが今一つ言うことを聞かないレイナは、東北本線の日和田駅から列車に乗るつもりにしていましたが、1時間後でさらに郡山で乗り換えが必要になるので、少し先の磐越西線の喜久田駅から乗車することに変更しました。
左:和尚山、右:安達太良山
このあたりからは和尚山と安達太良山の雄大な姿がはっきり見えます。
この安達太良連峰の姿は素晴らしいのですが、ここに来て風が強くなってきました。ビュービューの向かい風! レイナが日和田駅から乗車予定だったので、安積山公園をゆっくり目に出発したのが仇となり、喜久田駅の列車に間に合わなくなりそうです。ここはサイダーとコテッチャンが風よけになり、必死で走ることに。(笑)
喜久田駅で自転車をパッキングするレイナ
駅の場所をはっきり認識していなかったのでちょっと迷ったりして、列車が出発する10分前になんとか喜久田駅に到着しました。ここは無人駅です。
プラットフォームは向こう側とこちら側との二ヶ所。不思議なことにどちらも行き先案内が同じです。列車はその時々でどちらのプラットフォームに入ってくるかが変わるということでしょう。向こう側にしか人がいないので次の列車は向こう側に違いないと判断し、乗り遅れないようプラットフォームまで自転車を持って行き、そこでパッキングを開始。なんとかパッキングが終わったところに列車が入ってきたと思ったら、それは逆方向行きで、どひゃ〜! 同時に反対側のプラットフォームに乗るべき列車が入ってきたので、大慌てで跨線橋を渡りました。う〜っ、こういった時に電動バイクは重いよ〜(笑) 危なく乗り損ねそうになりましたが、サリーナが運転手にちょっと待ってねとウィンクしたので、ぎりぎりセーフで乗ることができたのでした。これに乗り遅れると次は1時間後だからねぇ。
安子ヶ島駅付近の田んぼ道
レイナを見送った三人は向かい風の中を磐梯熱海へと急ぎますが、風は益々強まってきていてまったく前に進みません。
正面には猪苗代湖周辺の小高い山々がずらりと並んでいるのが見えます。今日の目的地の磐梯熱海温泉はあの麓にあり、もう上りはありませんが、明日は猪苗代湖を廻って行くのであの山を上らなければなりません。
コテッチャンとサリーナ
風が強い時は風に逆らわずにゆっくり進めばその抵抗も小さくなると気付いたので、一生懸命ペダルを回すのをやめて、ゆっくり行くことにしました。もうすぐ温泉だ〜、と思いつつ。
それでもやっぱりきつい〜(笑)
磐梯熱海
田んぼがなくなり熱海のまちに入りましたが、なぜか周囲に温泉街の雰囲気はありません。
あれっ、温泉はどこだ?
ちなみに磐梯熱海の開湯は平安時代の末頃のとされ、その名はこの地の領主となった源頼朝の家臣、伊東祐長(いとう すけなが)が故郷の伊豆の熱海を偲んで名付けたとされています。本家の熱海に遠慮して、今日では頭に磐梯を付けて呼ばれるようになったのでしょう。
磐梯熱海駅前の足湯
磐梯熱海駅の前に辿り着くと、そこに足湯を発見!
この足湯の前でにっこり微笑むのは温泉好きのサリーナ。
きらくや
磐梯熱海の温泉街はこの駅前から西に細長く続いていました。今宵はその中の一軒のきらくやさんにお世話になるのですが、ここは着いてみてびっくり。もっと小さな鄙びた宿かと思ったら、意外と大きかった。この玄関先にEバイクのハリー・クインが置いてあったので、レイナはあのあと無事に辿り着いたようです。
この玄関先に着いた途端に硫黄の匂いがしました。温泉に来た〜っという感じが強くなる匂いですね。そうそう、私が硫黄の匂いと言ったらレイナから、一般的にこの匂いを硫黄の匂いと言っているけれど、これは硫黄の匂いではないそうですと指摘されました。そうですね、正確には硫化水素の匂いと言うべきなのかもしれません。
個室風呂
荷を解いたらさっそく温泉に浸かりましょう。この宿には大浴場の他に個室風呂が2つあります。たまたま個室の一つが空いていたので、まずはこれに。外で硫化水素の匂いがしたので硫黄泉なのかと思いましたが、この湯はアルカリ性単純温泉で、つるつるお肌になるいわゆる美人の湯です。
ぷわ〜ぁ〜、温泉、最高〜!