2003.01.02(木)曇りのち晴れ/麗しき古都フエへ!
発着地 | 発着時刻 | 備考 |
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ハノイ駅 | 発20:30 | フエまで列車:50$+自転車18$/6人用コンパートメント |
フエ駅 | 着12:43 |
自転車で2kmほどのところの宿へ |
フエの宿 | 着13:20 発14:30 |
シャワー後、自転車で王宮へ |
王宮 | 着14:50 発16:30 |
王宮:5万5千D/人、駐輪場:2千D/台 午門/大和殿 |
パラダイス ガーデン |
着16:40 発18:20 |
フォーン川沿いで景色が良いガーデンカフェ: フエ風サラダ(エビ/鶏/野菜/ピーナッツ)/春巻/黄金水/10万8千D/4人 |
フエの宿 | 着18:30 |
自転車を置いて徒歩で夕食へ |
トロピカル ガーデン |
着19:30 | 伝統音楽ライブ付:ビール/蟹スープ/生春巻/ バナナの花入り鶏サラダ/蒸しマナガツオの野菜スープ煮/ エビとセロリのニンニク炒め/ブンボーフエ/34万D/4人 |
フエの宿 | 着21:30 | 泊:THUAN HOA/W35$/★★★ |
1000DON=0.065$=7.86円 |
ハノイで一日観光を楽しんだ私たちは次の目的地である中部のフエへ、
夜行寝台列車で移動です。4人と4台の自転車の為に6人用コンパートメントをキープ。6人用のコンパートメントは2列3段で、最上段に自転車と荷物を載せるとそこはもう満杯。
座席はソフトで頼んだつもりが、板の上にゴザが敷いてあるだけ。これはどう見てもハードシートだ。日頃から贅肉をそぎ落としていて骨と皮ばかりのチューボーは、横になってみるや『あ痛たたっ〜』と呻く。で、みんな横になってみると、本当にギシギシと痛いのでした。ボラれたかな。これで16時間はちょっときついかも。。
私たちはこの列車のチケットをホテルで手配してもらったのですが、車掌がやってきて怪しげな紙のプリントから正規のチケットに交換してくれました。これでなんとかフエまで行けそうです。あとで布団も持ってきてくれたので凍えずに済みそう。ということで、あとは長い夜を楽しむだけ。中段のベッドを押し上げ、列車宴会のはじまりです。
私たちのチケットは食事付きでしたが、車内販売でいろいろなものを売りに来ます。そこでおやつに買ってみたのが、ちょっととろっとした肉ちまきと玉子。
玉子はゆで卵だと思ったのですが、これは『ホビロン』という孵化する前のアヒルの卵。ホビロンは孵化までの段階によって何種類かがあるのですが、とにかく小さいながらもほぼ完全な鳥を丸ごと食べるわけで、結構ショック。骨や羽根がボソボソするんです!
あーだこーだと騒いでいるとうちに消灯時間になったようで、車内の電気が消えて真っ暗に。もう寝ろということですね。こちらの列車は常夜灯がなく、ほとんど真っ暗。とてもおしゃべりしては過ごせない環境なので、おやすみなさい。
朝の8時半、列車はドンホイ駅に着きました。
ここにしばらく停車するようなので、プラットフォームに降り立ちます。
ドンホイ駅はまずまずの大きさの駅で、2階建の駅舎の他にこんな売店があります。
売っているものは飲み物や軽食、おやつの類いで特に珍しいものはありませんが、果物が量り売りなのが日本とは違います。
こちらも同じような売店ですが、テント下に並べられたものがとても多く、店じまいの時はどうするんだろうとちょと心配になります。
列車の朝ご飯には肉まんが付いていて、これは旨かった。
昼食はスープ、炒め物、牛肉の煮物、ごはん、ミネラルウォーターというもので、豪華ではないですが、味は悪くありません。
12時50分、16時間かけてやっとフエに到着。
駅を出るとシクロ(自転車タクシー)ドライバーや自称ガイドが寄ってきて、営業そっちのけで私たちの自転車を撫で回します。ベトナムではどこでも大抵そうで、特にサリーナのベルトドライブは珍しいから人気で、よくウニウニとかブチューとやられます。
まあ、彼らはただちょっと触るだけでまったく害はないので、問題はありません。
さて、ここからはフエの観光です。
フエはベトナム最後の王朝であるグェン朝(1802〜1945)の都で、同国初の世界遺産に指定されています。グェン朝の遺産はフォーン川の畔に王宮や寺院、皇帝の廟などが点在しています。まず最初はお決まりの王宮(Kinh thành Huế)へ。
王宮は高さ4m、一辺600mほどの城壁に囲まれており、敷地面積は36ha。入口はコの字型の午門(Ngọ Môn)です。1833年完成の総二階建で幅は60mほどもあり、門というよりもうこれ自体が立派な城と言ってもよさそうな建物です。
午門の2階は『五鳳凰樓』と呼ばれ、皇帝が新年の挨拶と科挙の合格発表の時に姿を表すところだったといい、眺めが良いです。午門の名は正午にこの門の上に太陽が来ることに由来しているそうですが、正午っていつの正午かな? この手すりの装飾に使われている陶器はカラフルなお皿を割ったもので、結構楽しい。
ここで今回のメンバーが揃った写真を撮っていただいたので紹介を。左から、マラソンで全国制覇を目論むチューボー、BD-2.1の走行距離世界一を更新し続けるサリーナ、社会主義には興味が大いにあるナオボー、今回は付いて行くだけのサイダー。
王宮の中心は太和殿(Thái Hoà Điện)で、これは中国の紫禁城を模したものと言われています。
紫禁城の規模とは比べるべくもありませんが、手前の濠と端正な佇まいがいい雰囲気です。
太和殿は皇帝の即位式などの儀式が行われた場所で、実際に皇帝が使用した玉座が置かれています。かつてはここに女性は足を踏み入れることを許されず、皇后もその例外ではなかったそうです。
この太和殿の後ろにも王宮は広がっているのですが、そこはベトナム戦争の折にほとんど破壊されてしまい、現在見るべきものはほとんど何もありません。
王宮内部はいくつかのブロックに分かれており、それらの周囲には塀が巡らされ門が設けられています。
これらは煉瓦造のようで、その上に漆喰で装飾が加えられていますが、損傷が激しいものもあります。
王宮で太和殿に次ぐ重要施設は、歴代皇帝の廟所である世廟(Thế Miếu)ですが、その前閣に当たる3層の顕臨閣(Hiển Lâm Các)の姿がちょっと面白いです。
この左右には鼓楼がある崇功門と鐘楼がある峻烈門が配されています。
本日の見学は王宮でおしまい。夕食に、フエの伝統音楽の演奏があるレストランへ出かけてみました。
胡弓、鉄琴のような楽器、打楽器やなんだかよくわからない楽器という編成で、歌が入ります。見た目からは想像しにくいですが意外と元気な音楽で、静かなムードミュージックではありませんが、食事をしながら気軽に楽しめてよかったです。
フエの中心市街地と王宮との間を流れるフォーン川に架かるチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を眺めて宿に戻りました。
ベトナムではこのような派手なライトアップがあちこちでやられています。
2003.01.03(金)雨/ドンバ市場
発着地 | 発着時刻 | 備考 |
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フエの宿 | 発12:30 | 泊:THUAN HOA/W35$/★★★ 08:00朝食:オムレツ/パン/コーヒー |
ハン | 発13:50 | 昼食:ミニ・お好み焼きのバインコアイx8/ビールx4/6万D/4人 |
ドンバ市場 | 着14:20 | チェーンオイル/自転車のゴム紐/レインコート/もんぺ 生鮮や味噌が面白い |
ホテル サイゴン・モリン |
着15:30 | ★★★★カフェ休憩:コーヒー/カップケーキ/ バナナケーキ/ココナッツケーキ/シュークリーム |
フエの宿 | 着17:00 発18:30 |
|
オンタオ2 | 着18:30 | 夕食:牛肉のミント巻/イカしゃぶ/空心菜炒め/ 焼きそば/チャーハン/ビール/21万8千D/4人 |
フエの宿 | 着21:30 | 泊:THUAN HOA/W35$/★★★ |
1000DON=0.065$=7.86円 |
フエの二日目は生憎の雨。この季節、ベトナムの中部地域は雨期だったのです。知らんかった〜!
ということで、この日はまず自転車整備から始めます。
整備が終わると早お昼時。今日はお好み焼きにしてみました。ベトナムのお好み焼きは一般的にはバインセオ(Bánh Xèo)ですが、フエのものは少し違ってバインコアイ(Bánh Khoái)と呼ばれます。
バインコアイはバインセオより小さくて生地が厚く、ボリュームがあります。バインセオはヌクマムを付けて食べるのが一般的ですが、バインコアイは特性の甘辛いタレを付けます。
ホテルの近くのお好み焼き屋さんに入って驚いたのは、小麦かなにかを突き棒で突いて粉にしていたことです。
いや〜、ここまで人力とは恐れ入りました。
お好み焼きの中身は海老や豚肉、もやし、人参、キノコなどを炒めたもので、写真のものにはうずらの卵も入っています。左の生野菜、右下の大根と人参の酢漬け、そして辛味味噌などをお好みで加えます。
手前の器に入っているのがタレですが、これはピーナツやゴマが入った薄めの焼肉のタレのような味で暖かく、フエ料理にはよく使われます。ベトナム料理といえばヌクマムですが、フエ料理はヌクマムの変わりにこのタレを使うといっても良いでしょう。
お好み焼きですから見てくれはそう良くはありませんが、おいしいですよ。
これ一枚が3000ドン(24円)。なんだか申し訳ないような値段ですね。
ベトナムには信仰心が厚い方が多いようで、先ほどのお好み焼き屋さんの厨房にもあったのですが、こんな神棚のようなものをあちこちで見掛けます。
多くの場合、お金の神様と土地の神様が祀られますが、ここのは何でしょうか。
昼を過ぎても雨は上がらないので今日は自転車はやめて、近くのドンバ市場に歩いて行くことにしました。
昨夜ライトアップされていたチャンティエン橋を渡ってフォーン川の左岸へ。
フォーン川を覗けばこんな小舟が行き交っています。
屋根付きなのでこの舟で生活しているのかもしれません。
ドンバ市場はチャンティエン橋の北側にある大きな2階建の建物ですが、その周辺の露店や半屋外の空間で開かれている市も同じ名称で呼ばれています。つまりこの一帯すべてがドンバ市場というわけです。
箱ものの市場には食料品に雑貨、そして衣料品が溢れています。ここはもちろんそれなりに面白いのですが、やはり場外の露店や半屋外の店の方が、ぐちゃっとしていて熱気に溢れ、断然魅力的です。ここでサイダーはチェーンオイルを、サリーナは自転車用のゴム紐を、チューボーは合羽を購入しました。
ここにはなんでもありますが、やはり生鮮ものが面白いですね。
その中でもやはり魚屋が一番でしょう。
この魚市場はフォーン川沿いにあり、そこから直接荷揚げできるので、穫れたての魚がずらり。
フナやドジョウ、エビにタチウオみたいなものなどなど、とにかくたくさんの種類の魚が並んでいます。
魚が並べられるのは、笊や大きな盥、そして洗面器くらいの大きさの器と様々です。
これは小型ですが、どう見てもナマズかな。
右端にちらっと写っているのは、これも小さいですが海老です。
真っ白です。深海魚?
こんなふうに見たことのないような魚がたくさん売られています。
小型の魚は一匹単位かそれ以上の纏められた単位で売られますが、ちょっと大きな魚は日本と同じように切り身として売られていました。
『ねーねー、おばちゃん、これいくら。えっ、もうちょっとまけられまへんかな〜』と、値切り交渉に入るチューボーでした。
奥にはあらゆる種類のニョクマム(魚のしょうゆ)や味噌を売る店があり、これもなかなか面白かったです。
魚屋の次は八百屋です。
ここには野菜や果物が山のように積まれています。
今日は雨で人出は少ないと思いますが、そんな中でもこうして荷車にキャベツをぎっしり積んでやってくる農家の方がいます。
トマトにパイナップル、ネギにカボチャと日本と同じものもあれば、まったく見たことがないものもあります。
上のおばさんは簡単な造りながらも建物といえるものの中にいますが、手前の女の子はテントの下です。寒そうですね。
ここで名前のわからない果物を買ってみら、ナシとリンゴをミックスしたような味でした。
まあ結局この八百屋街で買ったのはその名前の分からない果物だけで、あとはあっちこっち冷やかして廻っただけでしたが、なかなか面白かったです。
さて、今日は寒いのでそろそろ引き上げるとしましょう。これは帰りがけに出会った風景ですが、トラックの荷台から大きな葉っぱがダーッと降ろされていました。それを鉄の網駕篭に入れて運んで行く人たち。
この葉っぱはいったい何でしょう。普通の食用の野菜とは違うような気がするのですが、家畜の餌にでもするものでしょうか。
今日雨だったのは残念なのですが、雨は雨で面白い景色が見られます。
ハノイでは圧倒的に多かったモーターバイクですが、ここフエではそれと同じかそれ以上に自転車が多いです。自転車で雨の中を走る際はこんな合羽を着ます。かつて日本でも良く見掛けたポンチョですね。
自転車もモーターバイクも、みんなポンチョを着て走ります。
自転車タクシーのシクロはというと、これは乗客をすっぽり覆うフルカバー仕様なのでした。
いや〜、前が見えないと怖いよね、それに、窒息しない?
ここはおそらく学校か何かの公共的な施設だろうと思うのですが、あっちもこっちもモータバイクだらけ。
ここ、横断できないよね〜
ホテルに戻って一休みしたら夕食です。先代が宮廷料理人だったという食堂で、あまり一般的ではなさそうなメニューを選んでみました。牛肉のミント巻。
ベトナムでは牛肉はポピュラーですが、香りが独特のミントで巻いたものは他では見掛けません。焼くとミントの強さが中和され、意外とおとなしい感じで、日本風に言うなら、牛肉のシソ巻きといったところでしょうか。しかしあのミント独特の爽やか感があります。
2003.01.04(土)雨/グェン朝の廟巡り
発着地 | 発着時刻 | 備考 |
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フエの宿 | 発08:40 | 泊:THUAN HOA/W35$/★★★ 朝食07:00:フォー・ガー、雨のためタクシー25$で廟巡り |
トゥドゥック帝廟 | 着09:00 | グェン朝第4代皇帝/在位1847年〜1883年 蓮池がある別荘として使われた美しい廟 |
カイディン帝廟 | 着10:40 | グエン王朝12代皇帝/在位1916年〜1925年 フランス風バロック建築 |
ミンマン帝廟 | 着11:50 | グエン王朝2代皇帝/在位1820年〜1841年 池に囲まれた広大な敷地に中国式の建築物が一直線に並ぶ |
ホンチェン殿 | 着13:10 発13:40 |
年2回の祭りが有名なチャム族の神社 静かでひっそり |
ブンボーフエ | 着14:00 | 昼食:ブンボーフエ/ビール/1万5千D/人 |
ハン | 着14:40 | 昼食:ビール特大2/お好み焼きx6/5万D/4人 |
フエの宿 | 着15:15 発15:50 |
THUAN HOA 7人乗りワゴンタクシー30$ |
ランコー村 | 着17:00 | 泊:THANH TAM/W15$ 夕食19:00:宿の食堂/蒸しムール貝/ごはん入り魚のスープ/ エビのニンニク炒め/焼きそば/チャーハン/ごはん/22万5千D/4人 |
1000DON=0.065$=7.86円 |
フエの郊外にはグェン朝の皇帝廟がたくさんあります。自転車で行くのにちょうど良さそうな距離なので、一夜明けた1月4日はこれを巡ることにしました。外は曇り。なんとか行けるかなと思って朝食のフォー・ガーを頂いて出発準備をしていると、雨が降り出してきました。ちょっと自転車ではきつそうなので予定変更です。
お天気だったら気持ち良さそうな、しかも廉価なボートトリップがあるのですが、この雨ではその魅力も半減しますし、もう時間が合わないので、タクシーを半日貸し切ることにしました。4人ならタクシーでもかなり割安になりますし。
まずはグェン朝第4代皇帝のトゥドゥック帝(在位1847年〜1883年)の廟(Lăng Tự Đức)へ。グェン朝で最長の35年という在位期間を持つトゥドゥック帝は、ここに自身の霊廟を建て、生前は別荘として使っていたそうです。
入場してまず目を引くのは大きな蓮池で、ここで皇帝は舟遊びを楽しんだそうです。
蓮池の畔には冲謙榭と愈謙榭という建物があり、ここで皇帝は詩を書いたり書物を読んだりしたそうです。
さすがに皇帝だけあり贅沢ですね。
あたしたち、皇帝になった気分よ!
謙宮門をくぐって進むと、
和謙殿と呼ばれる本殿で、現在はここにトゥドゥック帝と皇后の位牌が祀られています。
和謙殿の後ろにはベトナムで2番目に古い劇場だという鳴謙堂があります。
ここで皇帝は演劇や音楽を楽しんでいたのでしょう。
和謙殿のブロックの横にあるのがトゥドゥック帝の霊廟です。そこにはなぜか象さんの石像が。タイのお寺で象の彫像がたくさんあるところがありましたが、東南アジアでは象は特別な存在なのかもしれません。
この象に次いで馬や役人の石像が立ち、廟を守っています。
墓の前には、帝自らが自身の功績を書いたという重さ20tの石碑を納めた碑亭があり、その後方両側には塔が立っています。
このうしろに小さな蓮池があり、その奥がトゥドゥック帝の墓です。
そこには石棺がおかれているのですが、遺体は親族によって秘密裏に埋葬されたため、どこにあるか分かっていないそうです。
トゥドゥック帝廟の次はカンディン帝廟です。カイディン帝はグエン王朝の12代皇帝で在位期間は1916年〜25年。
高台にあり借景が素晴らしいその廟は、1920〜30年に西洋風で造られています。山の斜面にあり、道路からすぐに階段を登り始めます。
すると平場に出て、その先にまた階段が続いています。最初の階段にも次のそれにもひょうきんな龍が4匹ずついます。この龍のモチーフは中国文化の影響を受けたあちこちで見られるもので、ここだけのオリジナルというわけではありませんが。
この階段の上には、ちょっとどこの様式なのかわからないような石造の門が立っています。
門の先はまた平場になっており、そこにはトゥドゥック帝廟にあったと同じように、象、馬、役人の石像がずらり。
これらの石像は二列ずつ両側にあり、それらの中心の奥に八角形の碑亭が置かれています。
碑亭の両側にはやはりトゥドゥック帝廟同様に塔が立っています。役人たちの像や塔、そして碑亭などの配置は、この時代の廟の一つの様式なのかもしれません。
碑亭のゾーンからもさらに階段が上へ続きます。
その向こうに見えるのが本殿の『啓成殿』。
啓成殿を見ると、この廟がバロック様式であることに気が付きます。
ベトナムはフランスの影響を受けていたので、これはそこからのものでしょう。そもそもカイディン帝はフランスの擁立があって皇帝の座に付いたようで、当時のベトナムはすでにフランスの統治下にあったことになります。
この建物の全体の印象はフランスバロック様式といって良いと思いますが、装飾の細部を見ると、龍などの中国的なモチーフが用いられているのが面白いです。
ベトナムはフランスの前は中国の影響を受けていたのでここには漢字も見られますが、現在のベトナムで公式に用いられている文字、アルファベットの上に独特の声調記号がある『クオック・グー』は、このカイディン帝の時代に作られたものだそうです。これはフランスが、中国の影響である漢字文化からアルファベット文化に転換させたことを意味します。
この建物はコンクリート造だそうで、当時すでにフランスからベトナムにその技術が入っていたことがわかります。
この建物には中国文化とフランス文化の融合が見られると言っていいでしょうか。
外部にはフランスの影響が大きく見られましたが、内部はどうか。
天井には一面、龍の絵。
そして壁は磁器やガラスの装飾で絢爛豪華。このレリーフはどう見ても中国的ですね。
この類いには嫌味なものも多いのですが、ここはモチーフが東洋趣味でなじみがあるからか、あまりそう感じません。日本的な『梅にうぐいす』なんていうのもあります。
柱の形状はヨーロッパ、装飾は中国。
こうした装飾は磁器や硝子のモザイクで、きらびやか。
お堂の中心には金箔が貼られたカイディン帝の彫像があり、この下に帝は眠っているそうです。
トゥドゥック帝を始めとする他のグェン朝の皇帝は埋葬された場所がわからないのに対し、このカイディン帝だけが例外です。
カイディン帝は1922年にマルセイユで開催された博覧会に出席し、そこで見たフランスの建築などに大変感動したそうです。 帰国すると積極的にフランス文化を取り入れ始め、自らの廟をフランス風にすることにし、増税したようです。
こうしてカイディン帝は国民からフランスかぶれの皇帝とみなされ、増税の反発から反感を買うことになったようです。帝は結局この廟の完成を待たずして亡くなりました。
カイディン帝廟の次はミンマン帝廟(Lăng Minh Mạng)へ向かいます。
ミンマン帝廟はフォーン川の川向こうにあり、近くに橋がないため渡しで渡ります。
ミンマン帝はグェン朝の2代皇帝で、在位は1820年〜41年。廟は1841〜44年にかけて建立されました。
先ほどのカイディン帝がフランスかぶれだったのに対し、このミンマン帝は儒教を重んじ、中国の清と深い関わりと持った皇帝だったようです。西洋文化を嫌ってキリスト教を廃絶しようともしたそうです。
その廟の敷地は広大で、全長約1,700mの城壁で囲まれています。正門は大紅門と呼ばるものですが、この門が開いたのはミンマン帝の棺が持ち込まれた時だけだそうで、皇帝以外の人は東側の左紅門か西側の右紅門から出入りします。大紅門は、よく似た門が王宮にも見られましたので、グェン朝の建築の特徴を備えたものなのでしょう。
そんなミンマン帝の廟では、死後の皇帝をお守りする役人たちも中国風です。
このお役人たちが立ち並ぶ先には顕徳門があります。
これをくぐると寝殿(礼拝堂)である崇恩殿で、内部にはトゥドゥック帝廟同様に、ミンマン帝と皇后の位牌が祀られています。
その屋根の日本でいえば鬼瓦に相当する部分には龍の装飾。
中央部の装飾は一見蜘蛛のようにも見えますが、これも龍でしょうか。
ともに色鮮やかです。
崇恩殿のうしろにはまた門があり、その向こうに明楼が見えます。
この門をくぐると中国式の庭園が広がり、澄明湖と呼ばれる池を橋で渡ります。
この橋は3本あります。大紅門から始まる要所要所には出入口が3つずつありましたが、それらの真ん中は皇帝の道で、その他の下々は左右の出入口を通るようにということでしょうか。それとももっと別の意味があるのでしょうか。
明楼は正方形で二層構造をしています。少しずんぐりしたプロポーションに見えますが、それがかえって端正な落ち着きを感じさせます。この建物は皇帝の魂をリラックスさせる場所だそうですが、はて、どういうこと?
現在、この明楼にはミンマン皇帝が使っていた寝台が置かれています。
明楼からこれまでやってきた方角を振り返ります。この廟の主たる建物は、大紅門からの中心軸上に配置されています。
さて、明楼を抜けるといよいよミンマン帝廟の中核部です。
中国式の庭園の向こうに池があり、さらにその先が円墳のように盛られ、林になっています。あの林の中にミンマン帝は眠っています。
ミンマン帝の陵墓の前にある大きな両開きの扉は通常閉ざされており、見学できるのはここまで。
ミンマン帝の父であるグエン王朝の初代皇帝は、混乱していたベトナムをフランスの援助で統一しました。しかしミンマン帝は西洋文化を嫌い中国の文化を取り入れ、官僚の採用試験『科挙』に加えて『殿試』を行い優秀な人材を集めました。そして中央集権化を進めていったのです。ここに現在のベトナムの礎が築かれたと見る方が多いようです。
ここまではかろうじて舗装路があったものの、やっぱりダートも多く、今日のような雨の日は泥だらけ、ぬかるみだらけでタクシーもはまってしまいそうです。自転車で来なくて良かった〜
さて、次はホンチェン殿(Điện Hòn Chén)です。これは元々はチャム族の神社だったもので、川向こうなので渡し船で行きます。
今日のホンチェン殿は1832年に建てられましたが、ここにはチャム族の2人の女神が祀られており、年2回の祭りで有名です。この祭りは16世紀にフエを統治していたチャンパ王国時代から続くものだそうです。
祭りでは、フエから多くのドラゴンボートがフォーン川を遡ってこの神社にやってくるそうです。そのドラゴンボートはきらびやかで、中には神社の社の姿をしているものもあるのにびっくり。
ここにはミンマン帝にまつわる伝説が残っています。
皇帝がここを訪れた時、誤って翡翠の杯を川に落としてしまいましたが、川底から大きな亀が浮かび上がり、口に加えた杯を返したというものです。これは『ホアンチェン』が『翡翠杯を返す』という意味を持つことからとされています。
どういうわけかこの神社には、未婚の女性が参拝すると婚期が遅れるという言い伝えがあるそうです。
ここはのんびりした誰もいないところで、他の観光地とはだいぶ様子が異なります。ちょっと寂しいくらいなので、賑やかなところが好きな方にはどうかな。
このホンチェン殿で時間切れ。川を再び渡ってタクシーでフエの街に戻ります。
今日はこれから60kmほど離れたランコー村へ移動しなければなりません。しかしその前にフエで食さなければならないものがあります。それは『ブンボーフエ』。
『ブン』はビーフンのことで、『ボー』は牛肉。『フエ』はここの地名です。つまりこの料理は『フエの牛肉入りビーフン』ということになりますが、汁そばです。このビーフンは日本で一般的なあの細いやつではなく、うどんくらいの太ささなので『フエの牛肉うどん』と思えばいいでしょう。
このブンボーフエでもっとも有名な食堂は、その名も『ブンボーフエ』。座れば黙ってブンボーフエが出てくる。メニューはこれしかないのです。牛肉はスジらしく力強い味。全体としてフォーとは対照的にごつい感じです。