リスボンの水道橋
今日はリスボンから東100kmほどのところにある、アレンテージョ地方のエヴォラに行きます。
地下鉄青線でジャルディン・ズロジコ(動物園)駅まで行き、その前のセッテ・リオスのバスターミナルからエヴォラ行きのバスに乗ります。バスはモンサント森林公園の脇を南に向かっています。すると突然、車窓にアグアス・リブレス水道橋が現れました。これは18世紀のもので、なんと高さは65m! 現在はその役目を終え、歴史的建造物として保存されているそうです。
『発見のモニュメント』方向を見る
この水道橋をくぐると、バスはかつてはサラザール橋と呼ばれた4月25日橋でテージョ川を渡ります。そういえば、エヴォラがあるアレンテージョは、テージョ川の彼方という意味だそうです。
右手には『発見のモニュメント』が見えています。そして行く手には巨大なクリスト・レイ。
コルク樫が並ぶ平原を行く
4月25日橋を渡り切ると、しばらくはリスボン郊外の街が連なりますが、それも徐々に薄くなり、いつしか周囲はオリーブやコルク樫の平原に変わります。
この平原はいつ終わるとも知れないほどに続きます。
モンテモル・オ・ノヴォ
リスボンから1時間ほど走ると、その平原の向こうに丘が見えてきました。バスはメインロードを離れ、この丘の上に向かい出します。
そこはモンテモル・オ・ノヴォという街で、エヴォラ同様、城塞都市のようです。
エヴォラのサン・セバスチアーノ通り
バスはモンテモル・オ・ノヴォに数分停車し、そこからさらに30分ほど走ると、エヴォラのバスターミナルに到着です。
バスを降りると、もの凄い日差しです。緯度が低いアレンテージョの夏はかなり暑いと聞いていましたが、これは予想を遥かに上回ります。
エヴォラ入口の城壁の門
バスターミナルからはオビドスの城壁の門まで続くサン・セバスチアーノ通りを進みますが、まだ11時前だというのに、すでに木陰を伝って歩かなければならないほどです。
500mほど行くと城壁の門に辿り着きました。
セルパ・ピント通り
この門から街の中心にあるジラルド広場に続くのはセルパ・ピント通りです。
城壁にへばりつく建物
城壁の後ろ側を見れば、そこには建物がぴったりとへばりついています。
セルパ・ピント通りを進む
セルパ・ピント通りを行けば、左手に教会のような塔を持つ大きな建物が見えてきます。
そしてその向こうにも尖塔が見えています。
サン・アントニオ教会
先に見えていた尖塔は、ジラルド広場の端に建つサン・アントニオ教会です。
この教会の中央上部には時計が、左側の尖塔には日時計が仕込まれています。
ジラルド広場の南東を見る
ここがエヴォラの中心となるジラルド広場。
ジラルド広場の北西を見る
周囲には立派な建物が並び建ち、その中には一階部分がピロティーになっている、かなり古そうなものもあります。
10月5日通りで大聖堂に向かう
ジラルド広場の真ん中から10月5日通りに入って大聖堂に向かいます。
土産物屋が並ぶ大聖堂への道
この道の両側には土産物屋さんがびっしりで、アレンテージョ名産のコルクを使ったバッグや帽子などが並んでいます。
大聖堂
この通りの突き当たりに建つのが12世紀末から13世紀初頭にかけて建てられた大聖堂。
当初はロマネスク様式でしたが、その後ゴシックで拡張されたようです。どっしりとしたロマネスクをベースとしつつも、ゴシック的な尖頭アーチがあちこちに見られます。入口両側には14世紀に造られた大理石の十二使徒の像が立っています。
大聖堂屋上の八角形のドーム
大聖堂は屋上に上れるので、さっそく上がってみました。
このドームは円形ではなく八角形で、外観ではそれぞれのコーナーに小さな塔が付いているのがユニークです。それからもっとユニークなのはドームに載る屋根で、これは石でできていますが、そこには屋根葺き材を模したと思われる魚の鱗のような模様が刻まれています。このドームはおそらくバロック時代のものではないかと思います。
大聖堂屋上から南西を見る
さすがに大聖堂だけあり、その屋上からの眺めはエヴォラの街のみならず、その外側に広がる平原まで見渡せます。
大聖堂屋上から南西を見る
エヴォラはこうした平原の中にポツンとあります。
回廊の屋上から本堂を見る
本堂の横には回廊がありますが、その上も屋上になっています。本堂の上もそうでしたが、こちらの屋上もフラットで、金属などの覆いがありません。アレンテージョは雨が少ないのだとは思いますが、これほど古い建物でこれだけ大規模なフラットルーフというのは珍しいのではないでしょうか。
回廊の屋上から中庭を見る
本堂と回廊の外壁は控壁付きで、回廊のアーチは尖頭形です。
ゴシックの回廊内部
回廊の角にはゴシック様式で福音伝道者の像が彫られています。
大聖堂内部
外観はロマネスクをベースとしていましたが、聖堂内部はゴシックです。
日本では、この聖堂は1584年9月に天正遣欧使節団が訪れたことでも知られています。その中の伊東マンショと千々石ミゲルの二人は、ここのパイプオルガンを演奏したそうです。写真左上にちらりと写っているのがそのオルガン。
バロックの礼拝堂
主礼拝堂の上にあるのがあの八角形のドームで、そこから降り注ぐ光が内部の色大理石などによる繊細な装飾を照らしています。ここはさらに後世に拡張されたところのようで、バロック。聖堂の基調であるゴシックとはちょっと似合わないような気もしますが。。
宝物館には、13世紀に作られた象牙の『天国の聖母』や17世紀に作られたもの凄い数の宝石をちりばめた『聖レーニョの十字架』などがあります。
ディアナ神殿とロイオス教会
大聖堂の前から北に向かうとすぐ、ディアナ神殿が現れます。
ディアナ神殿とロイオス教会その2
エヴォラは紀元前57年に共和制ローマの支配下に入り、この神殿は紀元1世紀に、ローマの初代皇帝アウグストゥスを祀るために建造されたようです。
現在これはディアナ神殿と呼ばれていますが、月の女神ディアナに捧げられたものだという根拠はなそうです。しかし2世紀末から3世紀にかけて改築されており、その改築がディアナに捧げるためのものだったのかではないかとも考えられているようです。
ディアナ神殿の列柱
規模こそ小さいものの、これは2000年も前に造られたものなのです。
繊細なコリント様式の柱頭
大理石で造られた、繊細なコリント様式の柱頭!
そうそう、この近くにはローマ時代には温泉があったようですよ。
ロイオス教会
ディアナ神殿の横には15世紀に建造されたロイオス教会が建ちます。
18世紀の地震後にポーチ以外のファサードは造り直されたようです。右は現在はポウサーダになっているロイオス修道院で、教会はこの修道院付属のものでした。
珍しいことにこの教会内部へは、階段を数段下りて入ります。
アズレージョで埋め尽くされたロイオス教会内部
階段下の入口前の床には大司教の紋章が彫られた大理石板が埋め込まれています。いつの時代だかの大司教がこの下に眠っていると思われますが、なんで人々に踏みつけられる場所にわざわざ、と思うのは私だけでしょうか。宗教の違いによる感覚の違いといえばそれまでですが、こうしたものにはこのあと、もっと凄いものに出会います。
外観は地味なロイオス教会ですが、内部に入るとあっと驚かされます。その壁は青と白のアズレージョで埋め尽くされているのです。これは18世紀初期のもので、聖ローレンスの生涯を表したものだそうです。
カタヴァル侯爵邸
ロイオス教会のすぐ隣にはカタヴァル侯爵邸があります。
この建物は14世紀にジョアン1世がエヴォラ市長のために建てたものだそうです。現在はカタヴァル侯爵が集めた、東西の様々なコレクションが展示されています。
昼過ぎのジラルド広場
さて、これでエヴォラ散策の午前中の部はおしまい。いったんジラルド広場まで戻って、レストランを探すことにします。
この時間帯になると外気温はますます上昇し、軽く30°を超えています。お〜、あつぅ〜〜
カルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ
ジラルド広場から小径を少し入ったところにあるレストランに飛び込みました。とにかく暑くて、あまり歩きたくないのです。
そこでアレンテージョ地方の郷土料理の代表であるカルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテジャーナ(アレンテージョ風豚肉)をやってみました。アレンテージョは内陸では豚が有名なようですが、海にも面しているのでアサリもあります。ということで、豚とアサリという、なんとも考えにくいコラボレーション。豚肉は赤ピーマンのペーストで味付けされています。緑の葉っぱはコリアンダー。でこれがとっても美味しいんです。でもアサリだけのほうがいいかな。
サン・フランシスコ教会後部
午後の部はサン・フランシスコ教会からです。ジラルド広場から南に延びるレプブリカ通りを行くと、サン・フランシスコ教会の裏手に出ます。
サン・フランシスコ教会
南側をぐるっと廻って西の広場に出ます。そこから見るサン・フランシスコ教会は、大きな倉庫のようで、ちょっと味気ない外観に見えます。
サン・フランシスコ教会正面
この建物は15~16世紀に建造され、ゴシック様式とポルトガル独特のマヌエル様式が混在しているようですが、外観の主たる部分はマヌエル様式です。
サン・フランシスコ教会入口
入口部分もかなり特徴的な意匠です。
サン・フランシスコ教会内部
内部はゴシック。白漆喰の細かい化粧目地が大聖堂と共通しています。
人骨堂
さて、ロイオス教会のところで述べた、宗教の違いによる感覚の違いの最たるものがこちら。
サン・フランシスコ教会には人骨堂なるものがあります。
人骨堂の骸骨
ここには5000体といわれる人骨が集められ、それがびっしりと壁や柱を埋め尽くしているのです。ここは修道士が黙想する場らしいのですが、どうして人骨を集める必要があったのか。
牛のアート?
サン・フランシスコ教会のあとはその前にある市場をちらっと覗いて、水道橋に向かいます。
街角に牛がいる、と思ったら、これはオブジェでした。いったいなんのため?
人気のない通りを行く
エヴォラは人口4万人の都市です。もちろんこの城壁内にそのすべてがいるわけではありませんが、通りに地元の人の姿はまったくありません。
とにかく、カッと暑いのです! ポルトガルにシエスタの習慣があるかどうかはわかりませんが、きっとみんなシエスタしているのではないでしょうか。
水道橋
水道橋が見えてきました。これは16世紀のもので、設計はリスボンのベレンの塔を建てた建築家だそうです。
アーチが塞がれた水道橋
面白いことにこのアーチが高くなると、そこは塞がれ、民家の出入り口として使われています。
家が挿入された水道橋
アーチがさらに高くなると、家が丸々一軒入っている。ん〜〜ん、どこかのガード下のように、きっと不法占拠からはじまったのでしょうな。
道路を渡る水道橋
道路を渡るところはさらに高い。
城壁外へ延びる水道橋
城壁から飛び出した水道橋はサン・アントニオ要塞を突き抜け、さらに郊外へと延びています。
水道橋近くの門
城壁から飛び出した水道橋から街を見ると、こんなふうです。
城壁
がっしりした城壁。
カルヴァリオ修道院
水道橋近くの門から城内に入ったすぐのところに、16世紀のカルヴァリオ修道院があります。ここには美しい回廊と礼拝堂があるようなのですが、この時は改修中で入れませんでした。
エヴォラの城壁
時は16時45分、気温はなんと37°Cで、ちっとも涼しくなりません。もうとても歩く気になれず、これでエヴォラの散策はおしまいにして、バスターミナルに向かうことにします。
エヴォラのメインゲート
帰りは城壁の外側を通ってみました。ここエヴォラの城壁はオビドスのそれと同様、ほぼ完全な形で残っているようです。
20時のリスボン
再びバスに揺られてリスボンに戻ると、お城が夕日を浴びて赤く染まっていました。
さて、明日はリスボンのベレン地区まで自転車で行こうと思います。