丘の上の城塞都市オビドス
今日はリスボンの北80kmほどのところにある中世の城塞都市オビドスへ行きます。
オビドスは人口3000人ほどの小さな町で、その起源は1世紀まで遡るとされ、以後ローマ人や西ゴート人、アラブ人が占領しました。ローマ時代に砦が築かれ、城壁で囲まれるようになりますが、現在その城壁の中に住むのは800人ほどのようです。12世紀、アフォンソ・エンリケスがポルトガルをアラブ人から奪回すると、この地は王家の人々の休息や憩いの場として使われるようになります。
リスボンからバスで一時間揺られると、丘の上にオビドスのお城と街を取り囲む城壁が見えてきます。高速道路を下りたバスは城壁に向かって進み、やがて大きなカーブを描いて、今度は水道橋に向かって行き、その足下に停車しました。
水道橋
その水道橋とはこれです。
オビドスは13世紀に、時の王がここを気に入った王妃に町をプレゼントし、その後なんと19世紀まで代々王妃の直轄地になったという、ちょっと変わった歴史を持つ街でもあります。
この全長3kmの水道橋は16世紀の王妃の命により造られたもので、街の噴水に水を供給していたそうです。
オビドスの町の門
自転車を組み立て短い坂を上ると、オビドスのメインゲートである14世紀の終わり頃造られた『町の門』(Porta da Vila)の前に辿り着きます。
町の門上部のアズレージョ
この門の上はこの町の聖人、聖ピエダデに捧げられた祈祷室になっており、その壁は聖書の一場面をモチーフとしたアズレージョで覆われています。
この入口はクランクしていて、いかにも中世の城壁都市的な造りです。
門から街の中を見る
門を入ると穏やかなカーブを描いた二本の道があります。左手のそれはやや上りに、右手のそれはやや下りになっていて、この都市の中に高低差があることを伺わせます。
門の上から街を見る
オビドスの城壁はほぼ完全に都市を囲む形で残っており、その上を歩けるようになっているので、さっそく門の上の城壁に上ってみました。
見えている道は入口正面左手の道で、街のメインストリートであるディレイタ通り。その脇に建っているのはカモンイス記念碑で、これは叙事詩ルジアダスに触れられている場所にのみ建つそうです。ずっと先にはお城が見えます。
遠くに街を囲む城壁
この都市は西側が高く、ここからはその西側の城壁が街を取り囲んでいるのがよく見えます。
左手の青い建物は町立の公会堂カーザ・ダ・ムジカ。
ディレイタ通りを行く
街のメインストリートのディレイタ通りを行ってみます。
石畳の道の両側に、白い壁に黄色や青色で装飾された家々が並びます。この黄色と青色はオビドスの町の色だそうで、ここの町旗にはこれらの色が使われているようです。
ディレイタ通りを行く その2
現在のオビドスの主要産業は観光業のようで、土産物やさんがびっしりですが、どこかの観光地のように下品でなく、ほのぼのとした感じなのがいいですね。
サンタ・マリア広場前
300mほど行くとサンタ・マリア広場の上に出ます。
ペロリーニョとサンタ・マリア教会
ここにはペロリーニョと呼ばれる柱が建っています。これは罪人のさらし柱で、権力のシンボル。柱頭の網目模様は15世紀末に水死した王子を偲び、母の王妃が、遺体を引き上げた漁師の小海老取りの網を刻ませたものだとか。この柱の広場側には水道橋から水が供給されていた噴水があります。
その向こうに建つのはサンタ・マリア教会で、西ゴート族の聖堂跡でありモスクの跡でもあったところに建っています。
サンタ・マリア教会内部
この教会の内壁は唐草模様ともいえるような植物が描かれた17世紀のアズレージョで埋め尽くされており、17世紀の女流画家ジョゼファ・デ・オビドスの絵が掛けられています。
古いポルティコのある家
サンタ・マリア広場の脇には古いポルティコのある家が建っています。
この建物は中世に建てられ16世紀に再建されたもので、当時は農業労働者と契約するために使われ、広場でセレモニーが行われるときは、名誉バルコニーともなったようです。
ディレイタ通りをお城へ向かう
サンタ・マリア広場からさらにお城へ向かえば、正面に白いサンティアゴ教会が見えてきます。
教会とお城の塔
この教会は12世紀に建てられましたがリスボン大地震で全壊してしまったようです。現在は町の図書館のような公共施設になっており、その両側にはお城の塔が聳えます。
お城側からディレイタ通りを見る
教会の入口からやってきたディレイタ通りを振り返ります。この街はいずこも赤やオレンジや紫の花々で飾られています。
ポウサーダ入口
お城は現在、国立のホテルであるポウサーダとして利用されています。その入口にもきれいな花が。
ポウサーダから街を見る
ポウサーダの入口まで上ると、そこからは街が一望にできます。
お城=ポウサーダの塔
ここはポウサーダの第一号となったところで、客室数は極めて少なく、予約するのが困難なことで有名だそうです。その客室の中にはこうした塔を使ったものもあるといいます。
お城はローマ時代に起源があるらしいのですがアラブ人の城砦で、現在のお城そのものは13世紀のもののようです。
城壁
ポウサーダから北側の城壁に上ってみます。城壁は約1.6kmあり、その上は歩くことができるようになっていますが、高くて怖い。
城壁から街の外を見る
ここから街の外を眺めると、穏やかな丘陵地帯が続いています。
お城と街の間の城壁
ここのお城は街の端部に建っており、街との間には下に下りる城壁があります。これでお城は二重の壁で守られることになります。
アルバラン塔
この街との境の城壁の位置は、あの白い教会のところで、ここからは街の南側の城壁も見ることができます。
アルバラン塔は12〜13世紀にはタウンホールや公文書館として使われ、また刑務所にもなっていたことがあるようです。
美術館のアーチをくぐる
あの城壁にはもう一つ別の門があるので行ってみることにします。この門の外には少し街がありますが、急な坂道を下って行くので、あとで自転車で巡ることにし、引き返します。
サンタ・マリア広場の南には19世紀までタウンホールや裁判所として使われ、20世紀に刑務所となった建物があります。現在は個人の美術館となっているこの建物の一階はアーチのトンネルになっています。
サンタ・マリア広場のカフェ・テラス
サンタ・マリア広場まで戻ると、そこには気持ち良さそうなカフェ・テラスがあったので一休み。フレッシュ・オレンジ・ジュースがおいしい。
ジンジーニャのボトル
さくらんぼの一種から作ったジンジーニャという20°ほどの甘いリキュールがオビドスの名産です。このちょっとおしゃれなボトルがそれです。
ジンジーニャやさんの前で
ということで、あちこちにジンジーニャやさんがあります。なぜかそれはチョコレートでできた小さなカップに入れられて飲まれます。もちろんジンジーニャを味わったあとは、カップのチョコレートをいただきます。
サン・マルティーニョ礼拝堂
この14世紀のサン・マルティーニョ礼拝堂は、観光案内所でもらったパンフレットにはゴシックとありますが、全体の雰囲気はロマネスクに近いと感じます。内部の天井は尖頭形の丸天井で、インテリアはすべてが簡素。
サン・ペドロ教会
サン・マルティーニョ礼拝堂の向かいにはサン・ペドロ教会建っています。リスボン大地震の前まではゴシック様式だったようですが、これは地震後再建されたものです。
ディレイタ通りの一つ下の道を行く
サン・ペドロ教会からはディレイタ通りの一つ下の道使って自転車のところに引き返すことにします。この通りもきれいな花々でいっぱい。
井戸の噴水
ここはかつてオビドスの正面入口ではなかったかと思われるようなところで、ペディメントのある水場を中心に道が二手に別れ、左手に行くと『町の門』に、右手を行くともう一つの門に辿り着きます。中央にある水場は、既にあった井戸の上にマリア一世が建設を命じた噴水で『井戸の噴水』と呼ばれています。
私たちはここでオビドスに別れを告げ、20kmほど西の大西洋に突き出したペニシェに向かいます。
緑の丘の上のオビドス
オビドスを出ると周囲は畑になります。その畑の向こうに緑の丘があります。一瞬気がつかなかったのですが、この丘の上に、さっきまでいたオビドスはあります。
よく見れば街を取り巻く城壁とお城の塔が見えています。
梨畑
しばらくはぶどう畑や梨畑といった畑の中を進んで行きます。
穏やかなアップダウンが続く
N114に入ると、もう畑はあまり見かけなくなり、林が多くなります。オビドスの城壁の上から見たように、このあたりは丘陵地帯で、穏やかながらも道にはアップダウンが続きます。
カントリーロードをバレアルに向かう
小さな街を通り抜け、N114からカントリーロードに入ってどんどこ。
周囲の林はいつの間にか松林になっています。この林の中になんと水着を来た人々がいてちょっと驚かされますが、ここはもうビーチが近いのです。
バレアルのビーチその1
小さな街を抜けると、バレアルの袂に辿り着きます。
バレアルのビーチその2
バレアルはペニシェの北東に飛び出した、それはそれはちっちゃな半島というか岬のようなところで、三方が海に囲まれています。
これはバレアルの付け根から北東に延びる海岸線を見たところ。
バレアルの街を見る
そしてこれは小さなビーチの先に突き出したバレアルの街を見たところです。
ここでランチにしたかったのですが、よさそうなレストランが見つからなかったので、ペニシェに向かうことにします。
バレアルからペニシェに向かう
バレアルとペニシェの間にも三日月状の穏やかなビーチが広がり、そこは海水浴にぴったりなのですが、道路とビーチの間には小さな砂丘というようなものがあり、道路からビーチは見えません。
バブルの遺産
先に山岳都市ならぬ、巨大な集合住宅が見えてきました。他の建物は二階建てなのにこれは異様ともいえる大きさです。
ポルトガルは数年前にバブル経済を経験し、日本と同様それが崩壊した現在は当時投資された建物などが負の遺産として残っています。このあたりはバブル時代にリゾート地として開発され、売れ残った建物があちこちにあります。
バレアルとペニシェの間のビーチ
これはバレアルとペニシェの間のビーチを見たところで、ここにはこうしたビーチが5kmに渡り続きます。しかし、手前の砂丘が数mの高さで横たわっているので、どこからでもビーチにアプローチできるというわけではありません。
ペニシェの漁港
ペニシェに入って、ビーチと反対側にある漁港にやってきました。
時はすでに14時を過ぎていて、お腹がぺこぺこ。さっそくこのすぐ近くのレストランに飛び込みます。
巨大カルディラーダを食す
ペニシェにやってきた目的の一つは、ここでおいしい魚介類を食べることです。ここではこれまでやっていなかったカルディラーダにしてみました。カルディラーダはポルトガル風のブイヤベースといわれることがありますが、南仏のそれとは大分趣きが異なり、まあ、魚介と野菜のトマトベースの鍋、といったところです。
私たちにはメイン料理は一人前で充分なのですが、鍋はどこでも二人前からです。出てきたカルディラーダはバケツのような巨大な鍋に入っていました。見ただけで食欲をなくす、、、 いえいえ、もちろんおいしいです。
ペニシェの港近く
昼食のあとはバスターミナルの位置を確かめ、ビーチに向かいます。
ペニシェの城壁
バレアルから続くビーチの一番端っこにやって来ました。ペニシェは16世紀以降に築かれた城壁の町でもあり、ここにその一部を見ることができます。
この城壁のところは如何せんビーチの一番端っこなので、詰まった感じがあり、リラックスするには少々都合が悪いので、少し東よりに移動することにします。
ペニシェのビーチその1
すぐにシンゼイロ海岸という標識のあるビーチに出ました。
ここには大勢の海水浴客が来ていて、入口にはカフェと小さなシャワーがあります。
ペニシェのビーチその2
このビーチでしばしリラックスすることにします。
海に浸かるサリーナ
腰掛けるのに丁度いい、小さな岩陰に陣取り、早々に海に飛び込みます。この日はかなり暑いのでした。
冷たくて、きもちいい〜
海に浸かるサイダー
ここは大西洋。外洋です。三日月状の湾になっているので、波は他から比べると少しは穏やかなのですが、それなりの波がやってくるので、あまり沖には出られません。岸辺の波が黒いのは、海藻の色です。
大西洋岸に立つサリーナ
小一時間ほど海で体を冷やしたあとは、ペニシェをぐるりと一廻りします。
断崖
ビーチは穏やかでしたが、そこから一歩出ると、海岸線の様子は一変します。
砂浜はなくなり断崖絶壁が現れるようになるのです。
海岸線を行くサリーナ
断崖絶壁とはいっても、このあたりの高さはせいぜい数十mほどなので、驚くほどではありませんが、それがずっと続くのでなかなか見応えがあります。
ごろごろした岩の海岸
海岸線はずっと岩場のようで、地表にはごろごろとした岩が現れています。
奇岩
そしてその先には、潮風と波によって浸食された奇岩が続きます。
海の向こうにうっすらと見えるのはベルレンガス島で、特有の植生が見られ、またさまざまな海鳥の営巣地になっているところで、自然保護区に指定されています。
ペニシェ西海岸
ペニシェを半周して、西の凸先に近づきました。
西端から南を廻り出す
西端には四角い建物の上にランプが載ったようなちょっと変わった灯台があり、その周辺には海洋施設らしき建物が、いくつか建っています。
この灯台の先で大西洋を眺め、半島の南側を通って港に戻ります。
港近くの砦
港のすぐ西には砦がありますが、ここをゆっくり見て廻る時間はないので、バスターミナル近くのヤコブ・ロドリゲス・ペレイラ広場で休憩です。
これでペニシェ散策はおしまい。バスでリスボンに向かいます。
リスボンのエドゥアルドⅦ世公園の上からの眺め
リスボンのセッテ・リオス・バスターミナルから旧市街に向かうと、エドゥアルドⅦ世公園の上に出ました。時は20時半で、ちょうど日没の時刻。空は赤く染まっていました。
さて、明日はリスボンの東100kmほどのところにある、アレンテージョの古都エヴォラに向かいます。