ペルー二日目は首都リマから南に200kmほどのところにあるパラカス(Paracas)に移動します。
鉄道があまり発達していないペルーでの標準的な足はバス。これは日本でいう高速バスタイプのものがかなり走っています。私たちの今回の行程はリマからまずは海岸沿いを南下し、その後内陸に入って、ナスカ、アレキパ、チチカカ湖、クスコを経由してリマに戻るというもので、うまい具合にこれにぴったりの周遊バスとでもいうべきPeru Hopが見つかりました。
各路線ごとに単独で買った方が割安なのですが、Peru Hopは宿までの送迎付きなのが気に入りました。タクシー代やその予約などを考えると、多少割高でもメリットは大きいと思います。また、ルート途中の見どころにも立ち寄ってくれ、各地のツアーの予約もしてくれます。乗り降り自由で一年間有効ですから、のんびり回ることもできます。
予定より15分早い朝の6時に、私たちの宿に迎えのシャトルバスがやってきました。乗客はリマの各所に散らばっているので、ゾーンごとに小さなシャトルを走らせて客を回収し、集合ポイントまで乗せて行く仕組みです。
その集合ポイントは昨日貸し自転車を探し始めたミラフローレス中央公園の入口でした。しばし歩道上で待機していると大型のバスがやってきて、ぞろぞろと全員これに乗り込みます。
定刻の7時、バスはミラフローレス中央公園を出発し、バランコ(Barranco)で海岸に出ると、そのあとは海辺を行きます。
残念ながら今日の天気も昨日同様、ガルーアと呼ばれる霧が空を覆い、どんよりしています。
ほどなく海岸沿いの道がなくなり内陸を行くようになると、車窓から見える風景が一変し、積み木を積み上げたような家が密集したゾーンになります。
我らがガイドのウォルターによれば、これは1980年代に起こったテロの影響で住むところを失ったアンデス高地の人々などを移住させるために造られたものだとのこと。
遠目に見ればイタリアの山岳都市のようでもありますが、これはちょっと凄いです。
しかしこの地区も比較的リマの中心地に近いため、最近は家をきれいにして資産価値を高めて売却したりする人々が現れるようになってきているとか。
さて、その山岳都市を抜けると、文字通りの海岸道になります。
リマは海岸砂漠地帯(コスタ)に属しているので、海辺には砂漠があります。もちろんビーチの砂浜もありますが、砂漠・・・です。
8時半、バスはとあるレストランの前で停車しました。朝食休憩です。私たちは朝食はすでに宿で済ませてあるので飲みものを。
ウォルターによればエモリエンテ(emoliente) という飲み物がお薦めだというのでそれを試してみました。 エモリエンテがどんなものだかはまったく知らなかったのですが、ほんのり甘酸っぱくておいしいです。暖かいのが標準のようですが冷たいものもできるそうです。
あとで分かったのですがこの飲み物はペルーの健康飲料のようなもので、様々な薬草やハチミツが入っているのだとか。必ず入っているものとしては大麦、スギナ、亜麻仁(フラックスシード)で、アロエやライムなどが加えられます。これ、お世辞抜きに本当においしいですよ。
さて、朝食が済んだらバスの出発までリラックスタイム。
レストランの裏手ではお馬さんをパッカパッカする赤マントのおじさんがみんなに、『ちょっと乗ってみますか〜』と声を掛けています。
これはリャマじゃなくてアルパカ、だよな・・・
なぜ君がここに・・・
あたし、『クイ』って名前なのよね〜
テンジクネズミの仲間なんだけどさぁ、かなり昔からアンデスの高い山でそこの人たちに育てられるようになったのよ。でもそれって、あたしを食べるためなんだってぇ〜
確かに、食べたくなるくらいかわいい!
そのクイちゃんを真ん中にポイッ。どの家に入んのよ、あんた。あたしの札は5番よ。よろしくね。
おっと、な〜んだ、隣の15番じゃあねえかよ。ちぇっ!
さてさて、朝食の後は海岸線をひたすら南下します。っと、ここで警官のような方にバスが誘導され停止させられました。乗客は全員降ろされ、セキュリティーチェックを受けさせられます。ウォルターによれば、最近はあまりなかったそうですが、これはテロや密輸の防止対策だそうです。
セキュリティーチェックでひっかかったものはおらず、なんとかバスは再出発です。周囲は砂漠なのですが、なかなかうまくその写真が撮れません。で、この写真からちょっと想像してみてください。前方に見える灰色の壁のようなものは砂丘なのですが、その真ん中を道が貫いています。そこで砂丘は切り通されて、ブチッとちぎれているように見えるのです。何だかほとんど出来の悪い模型の世界のようです。
この切り通しの先にまた次の砂丘が見えているのが分かるでしょうか。どこまでもどこまでも砂漠は続いていくのです。
この道はずっと海岸に沿って走っているのですが、大抵海から少し距離があるので、波打ち際はあまりよく見えません。ここでようやくそれらしい写真を撮ることができました。
こうして見ても、この砂は海から来たものなのか、はたまた砂漠のものなのか判然としませんね。まあこれはおそらく後者でしょう。
道脇はうず高い砂の山。その天辺にポツポツと妙な木が植えられています。
これらの木はおそらく砂丘の崩落や砂の移動を防ぐためのものだと思いますが、どれほどの効果があるのやら。
バスが海岸道を離れ内陸に向かうと、ちょっとした街に入りました。今日のコースはパラカスに着く前にアシエンダ・サン・ホセ(Hacienda San Jose)に寄ることになっているので、そこが近づいたのでしょう。
街中を走る小さな車は三輪のタクシー。タイ贔屓の私はついついこれをトゥクトゥクと呼んでしまいますが、こちらではモトカーとかモトタクシーと呼ばれています。写真のフルガードタイプはクイのような丸っこい姿から、『モトクイ』と呼ばれるとか。寒さが厳しい地方では、このモトクイが人気だそうです。
バスはいきなり砂利道に突入。走っているのはれっきとした幹線道路なのですが。
実はここは川なのですが、最近の洪水で橋が流されてしまったため、その河床を渡っているのです。乾期のこの時期は川に水がないためこうした芸当が可能ですが、これが雨期になるとひどく遠回りをしないといけないそうです。
そこにたくさんヤギを連れた羊飼いならぬヤギ飼いが砂埃をたてながらやってきました。この光景、なかなか迫力があります。
ガッタンゴットンと、なんとか川を渡って、エル・カルメン(El Carmen)のアシエンダ・サン・ホセに到着。いつの間にか空は晴れています。このあたりとリマとでは少し気候が違うようです。
17世紀の終わりにマナーハウスとして建てられたアシエンダ・サン・ホセは、現在はホテルとして使われていて、このようにとてもきれいです。しかしこの建物の背後には悲しい歴史があります。
当時ここでは何千人もの奴隷が働いており、サトウキビの生産によりペルー沿岸で最も裕福な場所の1つとなっていました。18世紀になると良質の綿花と砂糖が栽培されるようになります。
当時のペルーでは奴隷制度は合法だったので、アシエンダの所有者はアフリカから奴隷を買い入れ、この土地で働かせたのです。しかし奴隷は輸入品であり輸入税がかかったので、この課税を逃れるため、家と港をつなぐ秘密の地下トンネルが作られました。
奴隷は夜遅くに到着してこの地下トンネルを通ってアシエンダに密輸されました。彼らはトンネル内に何ヶ月も滞在させられることもあり、過酷な条件のためにその多くが死んでいきました。
農園が裕福になり、より有名になると、アシエンダは太平洋を航行する海賊にとって大きな標的となりました。この危険を回避するため、トンネルは拡張され、所有者の寝室、教会、その他のさまざまな部屋をトンネルシステムと結び付けて、家中に多数の秘密の脱出ルートが作られました。
教会では何と聖体拝領のためにパンとワインを保管する聖櫃がトンネルへの秘密の入り口として使用されました。
1854年に奴隷制が廃止されるとこれらのトンネルは、悪名高い所有者により行われた処罰で亡くなった労働者の地下墓地として使用されました。
2007年のピスコおよびチンチャ地震では、床の一部が崩壊し、地下トンネルへの新しい入り口が発見されました。
建物内の小さな狭い階段を下ると、30km以上あるという秘密の地下トンネルに出ます。
このトンネルはアシエンダ・サン・ホセとこの地域の他の4つのアシエンダを結んでおり、約17 km離れた古いチンチャ港に接続しています。
写真はフラッシュを焚いているので明るいですが、明かりを消すと真の闇です。
美しくも恐ろしいアシエンダ・サン・ホセを見学したら、やってきた道を戻ります。
このあたりで緑が見られる場所はほとんどないのですが、ここは河川敷で、一面うっすらと緑色です。その中の白い点は羊。
バスはピスコ(Pisco)の街中を通り抜けて行きます。
ピスコはここの港から輸出されたブドウの蒸留酒ピスコで有名になりました。ペルーのカクテルといえばピスコサワーと言われるくらいに有名な、あのピスコです。
蒸留酒の方のピスコですが、これはピスコ地方で栽培されたブドウを使い、伝統製法で作られたもののみがピスコと呼ばれているそうです。
さて、バスはピスコの街の先で海に出ました。これまで海の傍は通ってきたのですが、ここでようやくはっきり海が間近に見えるようになりました。
小さな漁船がたくさん浮かんでいて、その上を海鳥が舞っています。
そうそう、ピスコという言葉はケチュア語(かつてのインカ帝国の言語)で鳥を意味するピスク(Pisscu)に由来するそうです。
浜では女たちが海藻だか貝だかを拾っています。
海辺の光景は世界中、どこでも同じですね。
予定より30分遅れの14時半、本日の目的地のパラカスの中心の町エル・チャコ(El Chaco)に到着しました。
ここにはBC700年からAD400年ごろに繁栄したパラカス文化がありました。しかし今日ここを訪れる人々が足を向けるのは、このすぐ沖合にあるバジェスタス諸島(Islas Ballestas)かパラカス半島の砂漠です。このいずれもパラカス国立保護区(Reserva Nacional de Paracas)に指定されています。
バジェスタス諸島は『貧乏人のガラパゴス』と称され、海洋生物がいっぱいのところ。まあ、ガラパゴスには行けないけれどここなら、ということでしょうか。そういう意味ならあたしゃあ行く権利があるぞ。(笑)
それはさておき、バジェスタス諸島はこの冬の時期は午前中しか行けないので、今日は砂漠に行きます。
宿にチェックインし貸し自転車がないか聞くと、フロントの方は我らがアシスタント・ガイドのチャーリーを呼んで、『チャーリー、この人たちレンタサイクルしたいって言うから連れてってあげて!』 と。
で、チャーリーについて行った先が、このPlaya Roja Tours。自転車は5〜6台店先に並んでいて、どれでも好きなのをどうぞとのこと。海辺なのでチェーンなどはサビサビですが、まずまずなんとか動きます。で、良さそうなバイクを選んで、錠をちょうだいって言ったら、『このあたりじゃあ錠なんて必要ないよ〜』ってことでした。
自転車が入手できたので腹ごしらえです。
ここは海辺なのでやっぱり魚介類でいきましょう。セビチェは昨日やったので、今日はティラディトス (Tiraditos)を。ティラディトスは生魚の薄切りにソースかけたもの。このソースはレモン汁が基本ですが、最近はチリ・ソースが人気で、ここで出てきたものもそうでした。
黄色い色は黄色唐辛子アヒ・アマリーリョの色でこれは辛くありません。
もう一品はペルー料理の定番、ロモ・サルタード(Lomo Saltado)を。
ロモ・サルタードは牛肉の細切りと玉ネギ、ピーマン、トマト、フライドポテトなどを一緒に炒めたもので、どこでも食べることができる国民食です。隠し味が醤油というところがミソで、日本人の口にも良く合います。
昼食を済ませたらすっかり遅くなってしまいました。
まあ今日はちょこっとでも自転車で砂漠が走れればそれで良しとします。ざっとですが、明日、保護区を回る時間はあるのです。
街中を出てリゾートエリアの海辺を進んで行きます。対岸にはパラカス半島の頭の部分が見えています。
このゾーンに並んでいる建物はみんなプール付きの豪邸かリゾートホテルです。
ここは入り江なので海にはまったく波がなく、穏やかそのもの。ちょっとした湖畔を走っているような錯覚に陥ります。
しかし風が少し強いような。。
慣れないマウンテンバイクでワッセワッセと行くサリーナですが、
『ひゃっほー、ここは気持ちいい〜』
海辺の道がなくなり、一般道に出て進むも、その道も行き止まりになってしまいました。
幹線道路に出るために止むなく砂漠の中を行きます。これ、全然進みません! 100mでヘコヘコです。
そんな私たちをあざけり笑うように、うしろではカイトサーフィンが華やかに舞っていました。
なんとか幹線道路に出ると、マウンテンバイクでこちらに向かってくる人がいます。何かなと思っていると、それは国立保護区の監視員で、私たちはゲートを通らずに保護区内に入っているので入場料を払えとのこと。特に入場料が惜しくて砂漠の中を走ったわけではないんですが。。
ちょっと戻って入場料を支払い、やり直し。この監視員は私たちが日本人の旅行者だと知るとすごく驚いたようで、ここに日本人の旅行者で自転車に乗ってやってきた人は始めてだと言っていました。まあ、日本人はやってきても自転車には乗らないですかね、普通は。
周囲は砂だけ。ここは砂漠だ〜
道はごく僅かに上りで、風が強く、全然進まん・・・ 砂漠の中を豪快に疾走するぞ〜 という夢は、この時点ではかなくも消えたのでした。
予定のPlaya Rojaまではもう行けないことが確実になりました。
しかしこのすぐ先に博物館があるので、そこまで行ってみることにしました。
先の監視員がこの博物館に日本人のボランティアがいると教えてくれたので、ちょっと興味が沸いたのです。
しかし残念ながらその方にお会いすることはできませんでした。
この博物館は二棟から成り、片方は博物館でもう一方は学習館とでもいうようなものでした。
博物館で一息付いたら、エル・チャコに戻ります。帰りは下りの追い風でス〜イスイ。ここは砂丘の状態が良くわかります。
どこまでも続いて行く赤い砂丘。なんか凄い景色だ。
『砂漠もいいわねぇ〜』 と、最初は砂漠に興味を示さなかったサリーナ。
『砂漠、凄いね〜。やっぱり10時に着く便で来て、サイクリングしたほうが良かったかな〜』 と、あまり走れなかったのを残念がるサイダー。
ここはパラカス。海鳥の楽園でもあります。
砂漠の海鳥ってなんかシュールな感じだね〜 と突然の海鳥の襲来に驚くサリーナでした。
陽がぐっと傾いて、影が長くなってきました。
砂漠に落ちる太陽も見てみたいですが、今日はやめておきましょう。
再びリゾートゾーンに入り、
砂浜を行きます。
正面に落ちていく陽の光が眩しい。
結局この日は、たった16km走るのに2時間も掛かってしまいました。結構疲れました〜
18時に宿に戻って、シャワーを浴びてすっきり。少し休憩したら、喉を潤しに出かけます。
パラカスはリゾート地であり、バジェスタス諸島の入口の街なので、リゾートホテルからバックパッカー用のドミトリーまで宿泊施設は何でも揃っています。私たちが街に入った時、夜飲めるところとしてウォルターが紹介してくれたココペリが宿から近かったので、出向いてみました。
オスタルのココペリはどちらかというと若いバックパッカー向きといった感じで、ラウンジからバーに掛けてはオープンな造り。
ここでやるのはやっぱりピスコサワーしかないでしょう。なにせピスコの膝元ですからね。
ちなみにピスコサワーは、ピスコ酒、ライム果汁、ガムシロップ、卵白、氷をミキサーで7~8秒混ぜ、3回に分けてグラスに注ぐ(氷は入れない)。 最後にアンゴストゥーラ・ビターズを2~3滴落として出来上がりです。
クラシックとフルーティーとがあったので一つずつやってみました。
まずクラシックなピスコサワーは、ベースのピスコが良質なのか、きつく感じることなくす〜っと入っていきます。卵白が独特の柔らかさを出しているのが特徴で、ライムのほのかな香りもグッドです。アンゴストゥーラ・ビターズは効いているのかどうか、ちょっとわかりませんでした。
サリーナがオーダーしたフルーティーな方にはイチゴが入っていて、より華やかな印象です。
今日のメインはパラカス国立保護区の砂漠でしたが、これは結果的に入口付近までしか行くことができませんでしたが、かなり魅力的です。もう一度チャンスがあったら今度は是非ゆっくり時間を取り、また自転車で走りたいと思いました。
さて、明日は貧乏人のガラパゴスことバジェスタス諸島に行き、フンボルトペンギンやアシカ、ペリカンなどを見たいと思います。そしてそのあとは再び砂漠を。これはどちらもたいへん楽しみです。