朝、鳥の声で目覚めて窓の外を見ると・・・ グレーともカーキともつかない色がぼや〜っと一面を支配しています。
砂の山。
ここは砂漠の中の街ワカチナ。周囲をぐるりと砂丘が取り巻いています。
今日はこの砂漠の街を出て、この旅の序盤のハイライトであるナスカ(Nazca)の地上絵を見に行きます。
宿の屋上で砂漠を眺めながら朝ごはんをいただいたら、私たちがこの旅で利用しているPeru Hopのミーティング・ポイントになっているWild Rover Backpackersに向かいます。
私たちがWild Roverに着くと、次々と人々が集まってきました。今日はバスのグループが二つに分かれます。ナスカで地上絵フライトをする組としない組です。Peru Hopの標準コースはフライトをしない方なので、する人たちのために本隊とは別のシャトルバスが手配されます。
今ここに集まってきているのはフライトをする人々で、この中には私たちのバスの乗客以外に、ナスカの地上絵ツアーの客としてやってきた人もいるようです。
やってきたシャトルバスは昨日までのバスより少し小さめのものでこれは満員となり、この旅で知り合ったマークは別の車に分乗しました。8時45分、定刻より15分遅れて私たちはナスカに向けて出発しました。
バスはイカ(Ica)のブドウ畑を抜けて進んで行きます。イカはペルーのワインの7割を生産する最大のワインの産地です。
この周辺には緑がありますが、イカを出るとまた砂漠地帯になります。
そんな中に時折、こんなところにどうしてと思うような村が出現します。
景色に少し変化が出てきました。砂漠は砂漠なのですが、その中にポコポコと小さな山がいくつも現れるようになったのです。
しかしこれも一時で、その後はまたほとんど平坦な砂漠が続くようになります。
道はどこまでもまっすぐで障害物はありません。
しかし意外と交通量があり、大型のトラックがいるとなかなかスピードを上げられず、車が数珠繋ぎになってしまうこともしばしばです。
山が近づいてきてサンタクルス川を渡るころになると、パルパ県に入ります。パルパはナスカとともに地上絵で世界遺産に登録されているところです。
車窓に突然畑が現れました。砂漠地帯のこのあたりでは、農作物は大きな川沿いでしか育たないので、ここぞとばかりに畑が作られているのです。
道はついに平坦地から山に入ったようで、バスは結構な勾配の坂道を上って行きます。
このあたりが海岸沿いに広がる砂漠地帯と山とのちょうど境界のようです。
ウインウインとうなり声を上げて上るバスですが、その前に大型のタンクローリーがいて追い抜くことができません。坂道を大型車が何台も連なってのろのろと登って行きます。そんなこんなで予定よりだいぶ遅れています。
道の先にはいくつもの山ひだが見えています。もうここから先は山しかないような雰囲気になってきました。
いつの間にかピークを超えたようでバスはうなり声を発するのをやめ、右に左に大きく旋回しながら山を下って行きます。
向こう側に緑の谷が見えてきました。
その谷まで下ると川を渡ります。この川、なんとその名もリオ・グランデ(Rio Grande)。
これは大きな川という意味なのですが、この時は乾期のまっただだ中で、川の水はほとんどひからびる寸前といったところでした。
しかしそれでもその川沿いには、しっかり緑が延びています。
このグリーンベルトが窄まって消えてなくなると、その先でグランデ川はパルパ川およびビスカス川と合流します。
小さな上りの向こう側でパルパの中心の村サン・アウグスティン(San Agustín)を通り抜け、バスは川沿いの平坦な道をどんどこ進んで行きます。
パルパの周辺で多く見かける作物はサボテンとオレンジで、道端にはオレンジを山のように積んだ果物屋がたくさん並んでいます。
周辺から建物がなくなると、バスは荒野を行くようになります。これまでの砂漠とは異なり、地表は砂ではなく小石に覆われています。このあたりにパルパの地上絵があるのですが、残念ながら車窓からは発見できませんでした。パルパの地上絵はナスカのものとはだいぶ違って、子供がクレヨンで描いたような面白い絵です。
小さな集落(Case la Pascana)が現れると、道の反対側に白い塀に囲まれたマリア・ライヒェ博物館(Museo Maria Reiche)が見え出します。マリア・ライヒェはナスカの地上絵の発見者とされるポール・コソック(Paul Kosok)の仕事を引き継ぎ、生涯を地上絵の研究に捧げた人です。
しばらく行くと車窓から地上絵の線らしきものが見えるようになります。アイレベルが低いのではっきりはしないのですが、これは間違いなく地上絵でしょう。そんな地表を眺めながら進むと道端に華奢な鉄塔が立っています。ライヒェが建てたナスカライン展望台です。写真は古い方で、この向かいに最近完成した新しい展望台もあります。この展望台からは地上絵の『木』と『手』を見ることができますが、私たちは上空から見るのでここはスルー。
鉄塔の展望台からナスカ方面に1.5kmほど行くと、小石がごろごろした荒野の中にこんもりした小さな丘が見えてきます。
これはナチュラル・ミラドールと呼ばれるもので、無料で登れ、ここからも地上絵が観察できるそうです。
私たちのバスはナスカの街をすり抜け、予定より一時間近く遅れの11時50分にようやくナスカ空港に到着しました。
ナスカ空港は想像より遥かに小さく、航空会社が入る建物は掘建て小屋に毛が生えたようなものです。
バスから降りた乗客がドドッーとアエロナスカのチェックイン・カウンターに押し寄せます。
体重を計り、荷物を預けて待機するもなかなか順番がやってきません。カウンターは大忙しなのでしばらく待って手があいた係員に何時頃になるか聞いてみると、何と一時間半も後とのこと。当然ながら機体数には限りがあるので、チエックインが遅れた人は次のフライトになってしまうのです。
ちょうど昼飯時なので昼食をと思いましたが、このフライトは酔うことが多いと聞いたので、ここはビールだけでなんとか時間を潰します。
さて、ようやく私たちの番がやってきました。私たちのセスナは8人乗りで、乗員二名、乗客六名です。
ナスカの地上絵はどれくらいの数があるのか知りませんが、有名どころはこの飛行で廻れるようです。
地図の下側が空港で、クジラから始まってほぼ時計回りに見ていきます。
さて、いざ上空へ、ブゥWoo〜ン!
私たちのセスナは見る見る高度を上げていきます。
下に見えるのはナスカ川で、周囲は小石がごろごろした荒野。ナスカの地上絵はこんな大地をキャンバスにして描かれたのです。
ヘッドフォンを通してガイドの声が聞こえてきます。下にクジラがいると言うのです。
ん〜ん、どこだ〜、よくわかんないなぁ。。 お、あれか〜 いた、いたよ、クジラ!
しかしペルー沖の海にクジラはいないのです。いったいどこから現れたの、このクジラは?
ところでこの写真を見て気が付かれた方も多いと思いますが、現場にはクジラの絵の線だけではなく、たくさんの他の線があり、なかなかぱっとこれがクジラというふうには見えないのです。
まあそれはさておき、いきなりクジラ発見で大喜びの私たち。セスナは左右の乗客ができるだけ同じ条件で地上絵を見ることができるように、右に左にと機体を傾けながら飛んで行きます。
上のクジラの写真は絵が見やすいようにコントラストを調整しているので黒っぽいですが、実際はこの写真のような明るいグレーの大地が広がっています。ここに大きな矢印というか三角形のようなものが二つ映っているのがわかるでしょうか。これも地上絵です。
私たちがバスで通ってきたパンアメリカン・ハイウェイ(Carretera Panamericana Sur)が下に見えます。
この道はまだナスカの地上絵が知られる前に造られたので、地上絵をブチッと突っ切ってしまっているそうです。ああ、もったいない。
さて、次は宇宙飛行士だ〜
この絵は他の地上絵と異なり、山の斜面に描かれています。この絵を宇宙人だという人もいるようですね。
ナスカの地上絵は紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたと考えられています。荒野の表面にある酸化した黒い小石を払いのけて、下の白い地面を表しただけという、とても簡単な方法で作られています。取り除かれる石の範囲は、幅1〜2m、深さ20〜30cm程度だそうです。
ぐるぐるしっぽはお猿さん。
ところでこれらの絵はどれくらいの大きさなのでしょうか。この猿は全長55m、ハチドリは96m、コンドルは136m、フラミンゴは285mだそうです。かなり大きいですね。
ではこれらの絵はどうやって描かれたのでしょう。『種まき応用法』と『拡大法』が唱えられています。
犬だって。人に蹴飛ばされたのかな。。キャン!
きれいな一筆書きのハチドリ。ペルーにはハチドリがたくさんいますが、最近の研究でこの絵のモチーフとなったハチドリはナスカ付近には生息しないことがわかったそうです。
『種まき応用法』は畑に種を蒔く時のようにみんなが並んで、歩幅によって距離を測定しながら絵を描くというものですが、この方法では50mほどの大きさが限界だそうです。そうすると100m近くあるこのハチドリはこの『種まき応用法』では描けなかったことになります。
芸術的なクモ!
そこで登場するのが『拡大法』です。『拡大法』はある大きさの原画を基準点から糸を引いて拡大するものですが、糸をピンと張れる限界は200m程度らしく、300m近くあるフラミンゴはどのようにして描かれたかまだわからないそうです。
尾っぽが切れちゃったけど、コンドルと呼ばれているものです。
コンドルって嘴がこんなに長くないから、きっと別の鳥ですね、これは。
ん〜〜ん、何じゃらホイ?
幾何学的な羽根のオウム。ペリカンとも。
ちょっと見にくいですが、首がうねうねしたフラミンゴ。アルカトラズともサギとも言われています。くちばしが長〜〜いです。
これが本日見たものの中で最大の285mです。
バスで横を通った展望台が見えてきました。『木』と『手』が見えます。
『手』は片側の指が四本しかありません。全体としてはヒヨコのように見えなくもないですね。『木』は海藻のようでもあります。
まさかナスカの地上絵を自分の目で見られる日が来るとは思ってもいませんでした。
ちょっと感動。
セスナが飛行場に戻る直前に、下に妙なものが見えました。これはカンタリョークの水道システム(Acueductos de Cantalloc)です。
地上絵と同じく、今から1,500年ほど前のナスカ文化によって建設されたものだそうです。
この水道システムは、ナスカの街と周辺の畑に水を供給し、乾燥したこの地域で、綿、豆、ジャガイモなどの作物の栽培を可能にしました。
30分少々のフライトを終え、ナスカ空港に戻ってきました。
いや〜、ナスカの地上絵、良かったです〜 やはり、神秘の世界です。
空港からは送迎車でナスカの街中へ。
昼食がまだだったので、みなさんが薦めるRico Polloに入り、鳥のローストと野菜サラダのランチを。
今日はこのあとアレキパにバスで向かうのですが、出発は19時なのでまだ時間があります。そこで空から見えたカンタリョークに行ってみることにしました。
カンタリョークまでは4kmほどなので、自転車があったらそれが一番なのですが、なかなかそうはいきません。仕方がないのでタクシーを探すも、これも見当たらず。白タクが二三台停まったのですが、50ソーレスなどととんでもない値段を吹っかけてきます。ようやく三台目で往復10ソーレスで折り合いがつきました。
10分ほどでカンタリョークに到着です。このあたりの水道システムは全部で46見つかっているそうですが、驚くことにこのうちの32が現在も稼働しているそうです。
水道水は地下数メートルのところを流れていますが、ここには35のpuquiosと呼ばれる螺旋状の換気井戸があります。
これらのpuquiosは、水道の清掃、保全、水の収集のために造られたと考えられています。
puquiosには大小ありますが、おおむね直径10m程度です。
puquiosの螺旋は石積みで、一段の高さは0.5〜2mほど。
しかしこんなふうに急な螺旋もあります。
これはちょっと大きめ。
二連です。
カンタリョークは山に囲まれていて、その間を流れるナスカ川沿いにあります。
その横に植えられたサボテン。
サボテンは花が綺麗ですが、実もおいしいです。
ここではヤギが放牧されていました。
カンタリョークの見学を終えた私たちですが、まだ時間があります。
そこで近くにあるパレドネス(Los Paredones)に向かうことにしました。
パレドネスはナスカ文化ではなく、もっとずっと時代が新しいインカ文明のもので、トゥパック・インカ・ユパンキ(Tupaq Inka Yupanki:在位1471〜1493)時代に、海岸と山の間の行政管理センターとして造られたものだそうです。
この建築は、彫刻が施された石の基礎の上に長方形のアドベ(日干し煉瓦)を使って建てられています。
大きな台形の広場、管理棟、倉庫、兵舎、儀式またはサクリファイスの場所、望楼などから成り、これは同様の集落に共通する特徴だそうです。
さて、パレドネスの見学を終えたら、ナスカの街中に戻ります。白タクにはパレドネスを廻ってもらったお礼として、2ソーレスを加えて渡してあげました。
アレキパに向かうバスの待ち合わせ場所の Mom's Cafe には、早くも何組かがやってきていておしゃべりを楽しんでいました。私たちは昼食が遅かったので夕食はサンドイッチをテイクアウトすることにして、ビールでしばしまったり。
ナスカを出発する予定時刻の19時になりましたが、バスはやってきません。そのうちガイドのウォルターがどこからともなく現れ、イカから来るバスが遅れているので出発時刻は少し遅れると言います。なんだかんだで一時間ほど経ったところで、ようやくバスの準備が整い、乗車。このバスは昨日までのよりゆったりした座席のものでした。これからアレキパまで深夜走行で、10時間ぶっ続けで走るのです。あたし、夜行バスってマリ以来だから、もう四半世紀近く乗っていないのよね〜 どうなるかな。。