昨夜ナスカ(Nazca)を20時ごろ出発した夜行バスは、10時間ノンストップで走り続け、600km離れたアレキパ(Arequipa)の街に朝の6時に到着しました。四半世紀ぶりの夜行バスでしたが、あっという間に眠りにつき、明け方まで目覚めることなくぐっすり。特に疲れたという印象もなく、問題ない移動でした。
しかし標高2,300mにあるアレキパの朝はとても寒いです。我らがガイドのウォルターの予告では5°Cとのことでしたが、そこまでではないにしろ10°Cは下回っているでしょう。
さて、今日は夜行バスで疲れているだろうと思っていたので、軽い街歩きです。宿に荷物を置き、いざアレキパの街に出発。日が昇ると、気温はみるみるうちに上がってきました。
アレキパはリマに次ぐペルー第二の都市で、伝説では14世紀初頭に、インカの第4代皇帝のマイタ・カパック(Mayta Qhapaq)が人々に "Ari qhipay"(アリ・ケパイ:ここに住みなさい)と言ったのが、この町の名の語源と言われています。
しかしここにはインカの遺跡はなく、現在のアレキパの街の基礎はスペイン・コロニアル時代に造られました。多くの建物が近郊で採れる白い火山岩からできているため "Ciudad Blanca"(白い町)と呼ばれています。
街の中心はアルマス広場。巨大なカテドラルやアーケードを持つ立派な建物が広場を囲んでいます。
今は朝の7時。今日は日曜日なのでこの時間帯でもカテドラルが開いているかと思い覗いてみましたが、これはまだでした。
街はまだ目覚めたばかりでお眠なのです。しかしこの時刻にも活動を始めている場所があります。市場です。私たちは朝食をとっていないので、市場で朝食にすることにしました。
市場方面へ向かうと、道の両側にコロニアルな建物が並んでいます。長い年月を経て現在は少し灰色がかっている火山岩の外壁ですが、これはかつてはもっと白かったのでしょう。
アルマス広場から15分ほど歩くとサン・カミーロ市場に着きました。
その入口付近ではサルテーニャ(Salteña)が人気です。サルテーニャはペルー版肉まんとでも言いましょうか。エンパナーダの一種で、小麦粉で作った生地にひき肉やじゃがいもを入れて焼いたものです。1ソルくらい。
市場の中に入ると、そこにはありとあらゆるものが並んでいます。
雑多なものが棚に並んでいるこの店はいったい何屋さんでしょうか。目に留まった看板には "MACA" とあります。マカ・ジュース!
マカは日本では特に男性が元気になるサプリメントに配合されることで有名ですが、こちらでは健康食品、スーパーフードとして知られています。マカはペルー産の植物なのです。
ちょっと面白いジュースとしてはこのマカ以外にカエルのジュースというのがありました。マカはともかく、こちらはちょっとね・・・
市場の中で一際華やかなのはやはり果物屋でしょう。ペルーは緯度が低く、標高0mの海から6,000m超えの山まであり、砂漠もジャングルもあるため、ありとあらゆる果物があります。
バナナ、パパイヤ、マンゴー、スイカ、メロンなどのおなじみのものはもちろん、すっぱいパッションフルーツのマラクヤ(Maracuya)や、インカでは聖なる食べ物だったという、そのまま食べるとサツマイモのような味のルクマ(Lúcuma)など、ちょっと変わったものもたくさん。
建物の奥にずらりと並んでいるのはフルーツ・ジュース屋さんです。かわいらしいおばさまたちが一段高いところに陣取り、さあさあ、何でも言ってちょうだい、好みのジュースを作ってあげるわよ、と甘くささやきます。その前には何種類ものフルーツがずらりと並んでいて、たくさんの人がそれぞれ好みのジュースを飲んでいます。
私たちもここでジュースをいただくことにしました。写真に見える小さなオレンジ色の実はほおずきです。日本でもかつてはほおずきが食べられていましたが、最近はまったく見かけなくなりましたね。
最初はこのほおずきにしようかと思いましたが、最終的にはこれまで見たことのないノニ(noni)という、ちょっと見た目の悪い果物をチョイス。おばさんによるとこれはどうも健康にいい薬のような果物らしいので、オレンジともう一つ(なんだったかな)のミックスに。オレンジなどの単品は6ソーレスあたりからですが、このミックスは10ソ−レス。しかし一人前はとても多く、二つに分けてもらってちょうどいいくらいでした。ノニそのものはほんのり甘いという以外はあまり味がしませんが、ジュースはとてもおいしかったです。
アレキパは海岸線から100kmほど内陸に入ったところにありますが、新鮮な魚も売っていました。さすがペルー第二の都市です。右下に見えるのは鰹ですね。
私たちの旅はこのあとさらに内陸に向かうので、そろそろ海のものが食べられなくなりそうです。今日のランチは魚介類にしようかな。
おっと、その前に腹ごしらえを。この市場には5ソーレスから食べられる定食やサンドイッチ類がたくさんあります。サンドイッチで人気なのは豚肉の素揚げのチチャロン(Chicharon)を挟んだものですが、これはちょっとごつそうなので、私たちはアレキパ・ソーセージにしました。
ペルー原産の農作物はかなり多いです。ジャガイモはアンデス地方が原産地で、かつてその種類は3000もあったそうです。現在でも100種以上あるといい、ここでも様々なジャガイモが売られています。
色も様々で、私たちが良く目にする黄土色のものはもちろん、黒っぽいものや黄色っぽいもの、そして赤っぽいものもあります。変わったところではチューニョ(Chuño)といい、冷凍解凍を繰り返し、乾燥させた保存食として用いられるジャガイモもあります。
トウモロコシはインカのころから大切な作物で、これから作られるチチャ・デ・ホラ(Chicha de Jora)という酒はインカの儀式に欠かせないものだったそうです。
トウモロコシは200種類ほどあるそうですが、ここで一番目を引くのは紫トウモロコシ(Maíz Morado)でしょう。紫トウモロコシはアントシアニンをたっぷり含んでいて、これからはチチャ・モラーダ (chicha morada) というペルーの国民飲料とでもいうべきジュースが作られます。
サン・カミーロ市場をぶらつき尽くしたら、街の中心部に戻ります。
先ほどは人の出もまばらだったアルマス広場ですが、この時はなにかイベントが行われているようで、かなり人が集まっています。
そのアルマス広場の北一辺すべてを占めるのはカテドラル。長大な建物です。
1540年8月15日、総督フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro)の名の下にガルシ・マヌエル・デ・カルバハル(Garcí Manuel de Carbajal)によってアレキパが設立された日、この大聖堂の建設は開始されました。
その後、地震や火災で崩壊するもそのたびに再建され、現在は立派な真っ白な火山岩の外壁を持つ建物になっています。
アルマス広場に立つと、一瞬ここがどこなのか分からなくなってしまいます。突然ここに連れて来られ、ここがヨーロッパのどこかの都市だと言われたら、きっとそれをそのまま信じてしまうでしょう。
面白いことにこのカテドラルは内部を通り、アルマス広場側からその北の小径に抜けられます。
この北の小径は静かでいい雰囲気です。
アルマス広場からは『太陽の路地』(Callejón del Solar)という古い地区に向かいます。途中、サン・アウグスティン教会(Iglesia de San Agustín)の前を通ると、日曜の礼拝にやってきたのか、それとも結婚式か何かなのか、きれいな衣装に身を包んだチョリータ(cholita)が何人もいました。
チョリータとは先住民の血を引く若い女性のことで、帽子と髪型、そして服装に特徴があります。 帽子はいわゆる山高帽で、これは出身地によって色や形などが少しずつ異なるそうです。髪型は長い三つ編み。服はポリェラ(Pollera)と呼ばれる、ひだが多く、すその広がったスカートで、この色や形なども出身地によって異なるそうです。
『太陽の路地』にやってきました。この地区はこじんまりしていますが、白い火山岩の外壁の建物が状態良く残っています。この中の教会はちょっと珍しいファサード。
時はまだ朝の9時半ですが、緯度の低いアレキパの日差しは強く、目に突き刺さるようです。
白い壁の前に美しく並べられた植木鉢。
ブーゲンビリアも白い壁に良く似合います。
『太陽の路地』を出てボリバル通り(Calle Bolivar)を北に向かえば、インディヘナにとっては神聖な山の一つだというチャチャニ山(Chachani:6,075m)がド〜ン。(TOP写真)
ボリバル通りからモラル通り(Calle Moral)に入れば、18世紀半ばに建てられたモラル邸(Casa del Moral)があります。
この入口上部にはバロック様式の密な装飾が施されたペディメントがあります。
この時は日曜日で内部の見学はできませんでしたが、そこには豪華な装飾の部屋と植民地時代の家具があり、中庭にはこの館の名の由来となったブラックベリー(mora)の木が植えられているそうです。
アルマス広場から北に延びるサンタ・カタリーナ通り(Santa Catalina)に入れば、先に大きな塔が見えます。あれが通りの名にもなっているサンタ・カタリーナ修道院(Monasterio de Santa Catalina)です。
サンタ・カタリーナ修道院はスペインによるアレキパ設立から40年後の1,580年に建てられました。
この修道院の外壁は固く閉ざされており、ごく一部の開口部しかありません。外から見るとかなり愛想のない建物で、近づきにくい雰囲気があります。
建物の端にある入口を入ると、驚くことに内部は赤い壁で、袖壁に開けられたアーチの先にパティオがあるのが見えます。
このパティオは『静寂のパティオ(Patio el Silencio)』という名で、面白いことに二方だけに廊が回されています。
『静寂のパティオ』の奥にはそれより一回り大きなパティオがあり、こちらはパンフレットには『新人用回廊(Claustro Novicias)』と記されています。
この回廊の天井はレンガの構造がそのまま見えて面白いです。
『新人用回廊』という名は、修道院に入って間もない女性たちが生活する空間がこのパティオの廻りに配されたからでしょう。
その新米修道女(あるいは修行中の女性)たちが生活した部屋はこんなところだったようです。これはかなり立派で驚き!
『静寂のパティオ』まで戻って新人ゾーンとは別の方向に行くと、突然壁の色が鮮やかな青になり、『オレンジの木の回廊(Claustro los Naranjos)』に出ます。
この『オレンジの木の回廊』付近にも個室がありますが、そこへはさらに小さな中庭を経てアプローチしています。
この小さな中庭を見上げると、空の青と壁の青が交錯して頭がクラクラします。
ここはいったいどこだ!
こちらの個室は新人のそれより暗く狭いようです。一人前の修道女用のものでしょうか。
『オレンジの木の回廊』の奥は『マラガ通り(Calle Málaga)』と名付けられた空間です。
ここでまたあの赤い色が戻ってきました。
修道院の生活がどのようなものかはよく分かりませんが、ここではあちこちに台所が分散して置かれています。
これはそれぞれのゾーンで別々に調理がされていたことを意味します。一般的には、大きな台所で一遍に調理した方が効率的なはずですが、ゾーンごとに生活のレベルや食事の内容などが異なったのでしょうか。
写真の台所は、かつては礼拝堂だったと考えられています。
『オレンジの木の回廊』から『マラガ通り』と別の方向に行くと、今度は『コルドバ通り(Calle Córdova)』です。この修道院ではスペインの有名な街の名を通り名として付けているようです。
『トレド通り(Calle Toledo)』も。
台所は各所に分散してありますが、面白いことに洗濯場は一カ所です。
水は中央の樋から分水され、陶製の大甕を半分に割った大きな洗い桶に導かれ出るようになっています。この半割の大甕は、穀類やトウモロコシ、ワインなどの貯蔵に用いられていたものだそうです。
ここはサンタ・カタリーナ修道院でもっとも大きな回廊の大回廊(Claustro Mayor)で、懺悔室が5つ設けられています。
外の通りからはちらっとしか見えなかった聖堂のドームが、ここからはよく見えます。
修道院の屋上に上ってみました。アレキパの街は想像とは違い、残念ながら上から見てもあまり美しくありません。これは雨がほとんど降らないため、陸屋根の建物が多いということと関係しています。
しかし北に聳えるチャチャニ山への眺望は素晴らしいです。
そして日系人がペルー富士と呼ぶというミスティ山(Misti:5,822m)の勇姿も。
サンタ・カタリーナ修道院を堪能したらちょっと疲れたので休憩です。
サンタ・カタリーナ通りをアルマス広場方面に少し戻ったところに "Craft Beer" の文字があったのを思い出したので、そこに向かいます。
"1846" と掘られた火山岩の白い壁の建物の二階に Arequipa Beer Club がありました。ここは看板のとおりにクラフト・ビールをたくさん置いていて、私たちが大好きなベルギーのビールもあったのですが、ここではやはりペルーのビールでしょう。
白ビール好きのサイダーは Cumbres の Trigo を。虎好きのサリーナは三対の目玉がある虎の絵の Magdalena の Tres Tigres を試してみました。ビールだけでは寂しいので、なにかツマミはない? と聞いたら殻付きの落花生が出てきました。これはサービスでした。
Arequipa Beer Club には狭いながらもバルコニーがあり、そこからはあのチャチャニ山がよく見えます。
ビール休憩のあとはアレキパでもっとも古い地区だというサン・ラザロ(Barrio de San Lazaro)に向かいます。
その地区の中に、アルパカがいるというムンド・アルパカ(Mundo Alpaca)があるので立ち寄ってみました。ムンド・アルパカはアルパカ・ワールドという意味で、アルパカ製品のブティックとその製造工程などを展示するゾーンから成ります。この中に製品の元となる毛をとるための動物であるアルパカなどがいるのです。
さて、そのアルパカですが、これと良く似た動物には、リャマ、ビクーニャ、グアナコがいます。これらはみんなラクダの仲間で、残念ながら私にはほとんど見分けが付きません。
しかし、上の写真はほぼ間違いなくアルパカでしょう。これはアルパカの特徴が良く出ているのです。小柄でふさふさの毛、やや丸まった背中、小さな三角形の耳。
では下はどうでしょう。この動物は上の写真のものより大きいです。耳はアルパカより大きく長いのでリャマのようですが、リャマの毛はこんなにふさふさしていないように思います。基本的にリャマは毛をとるためではなく、労役用の動物として育てられているのです。顔が黒いところを見るとグアナコでしょうか。しかしグアナコのお腹は白いといいます。アルパカには二種類あり、毛が短く立ったワカイヤと長く縮れたスリがいます。これはもしかするとスリかもしれません。まあ、よくわからんのです。。
さて、アルパカなどから毛をとるとこうなります。ふかふかです。種類によって滑らかさが異なり、リャマの毛はゴワゴワしているため繊維にはあまりされません。
この毛からゴミを取り除き、洗浄し、長く伸ばして糸を作ります。
糸は天然素材で染色されることもあります。
織り機にたて糸を通し、パッタンパッタン。これはどこでも同じですね。
写真の糸は元の毛のそのままの色で作られているようでちょっと地味ですが、
染色された糸を使うとこのようにカラフルになります。
ムンド・アルパカでアルパカ製品の勉強をしたら、サン・ラザロの散策です。
サン・ラザロはアレキパでもっとも古い地区で、アレキパが設立されると同時に作られました。
道は狭く、その両側に今ではだいぶ灰色掛かってしまった火山岩の外壁の建物が建ち並んでいます。
アルマス広場付近の建物は二階建程度のものが多いですが、ここでは平屋建のものも多く、これは何だったのか、かまぼこ型の建物もいくつかあります。
グラウ橋通り(Calle Puente Grau)に出てサンフランシスコ教会広場(Plaza Iglesia de San Francisco)に続く小径に入ると、両側は高い塀のような壁。
このブロックの建物は平屋建なのですが、先ほどまでのサン・ラザロとはスケールがまったく違います。
サンフランシスコ教会広場に出ました。
この広場の横には19世紀初頭のコロニアル建築であるギジェルモ・ゼガラ・メネセス市立歴史博物館(Museo Histórico Municipal Guillermo Zegarra Meneses)が立っています。ここには紀元前からインカまでと植民地時代以降の戦争史の展示があります。
広場の横を派手な衣装を身に付けて歩いてくる人たちがいました。何かなと思って聞いてみると、どこかでダンスをするんだそうです。アルマス広場でも何かイベントをやっていたようなので、お祭りなのでしょうか。
ここからもあのチャチャニ山が見えました。
この山は6,000m超えですよ。なんとも想像がつかない高さですね。
サンフランシスコ教会は1569年に建設が開始されますが、何度かの地震により破損し、1687年の地震の後、ほぼ完全に再建されました。
メスティーソ(mestizo)様式で、内部は単一身廊で煉瓦のボールトが見えるそうですが、この時は昼休みで入れず。
アレキパでは決して見逃すことのできないものがあります。少女フアニータ(Juanita)のミイラ。これは私たちの宿の目の前のアンデス聖域博物館(Museo Santuarios Andinos)にあります。日曜日は15時までなので、いったん引き返してこの博物館に行くことにしました。
アルマス広場を通り抜け、メルセド通り(Calle la Merced)に入ります。
アンデス聖域博物館の入口は平屋建のこの建物です。
フアニータと名付けられたミイラは、1995年9月にアレキパの北部に聳えるアンパト山(Ampato:6,288m)の山頂付近で、完全に保存された状態で発見されました。
年齢は12〜14歳ぐらい。身長147cm。 500年前のインカの少女です。インカの人々には自然のものに神が棲むという信仰がありました。突然噴火した神聖な山の神を鎮めるため、無垢な少女が生け贄に捧げられたのです。
長い旅のあと、気温−10°Cという極寒の中で生け贄の儀式は執り行われました。王族しか着られないような豪華な衣装を身に纏った少女に、トウモロコシから作られた強い酒チチャが与えられると、少女は両膝を胸に引き寄せるようにして両手を組んで坐りました。次の瞬間に何が起こるか知っていただろう少女は、しっかり目を閉じて衣服の端をグッと握り締めます。少女の右側頭部に一撃が加えられると、彼女は500年の眠りについたのです。
今彼女は眠りについた時と同じ気温の−10°Cのガラスケースの中にいます。
アレキパは食の街。おいしいものを食べるぞ!
サンタ・カタリーナ修道院の近くの Dimas にやってきました。まずワインはペルーのイカ地方の白を。
アレキパの名物料理はたくさんありますが、魚介類だとこれだそうです。チュペ・デ・カマローネス(Chupes de Camarones)。
Camarones は海老で、Chupe は煮込んだスープを指すようです。アレキパでは海老ではなくザリガニが使われます。具は他に、じゃがいも、ニンジン、キャベツ、トウモロコシ、ごはん、白いケソ・フレスコと呼ばれるチーズなどが入ります。
今日はもう一仕事あります。明日はアレキパ郊外にサイクリングに出かける予定なので、自転車を調達しなければならないのです。宿で聞いたりして貸し自転車がありそうなところを二三廻りましたがうまくいかず、結局WEBで探しておいた Peru Adventures Tours に行くことにしました。
なんとかここで自転車を調達できたので、ホッ。さて、今日はもうおしまいにして宿に帰るとしましょう。
18世紀前半に建てられたメスティーソ・バロック様式の Casa Tristán del Pozo の前を通り、
アルマス広場の角にある、これも同じ様式のコンパニーア教会(Iglesia de la Compañía)に寄りました。この教会は16世紀の終わりに建設が始まり、17世紀の末に完成しています。
ちなみにメスティーソとは、白人と先住民の混血である人々をさす言葉で、建築様式として使う場合は、ヨーロッパのルネッサンス様式とバロック様式の建築の特徴を先住民族のモチーフと組み合わせたスタイルで、スペインの植民地時代と先住民族の様式が調和したものという意味になります。
この建物もアレキパの多くの建物と同様に、ミスティ山の採石場から運ばれた火山岩で造られています。火山岩は多孔質なため深く彫ることは困難ですが、柔らかいので簡単に彫ることができます。こうした特性が、大きな石のタペストリーを形成するという装飾の開発をもたらしました。
内部には金箔で覆われた彫刻が施された木製の祭壇があります。
聖具室にはサン・イグナシオ礼拝堂(Capilla San Ignacio)があるのですが、この時それは見られませんでした。
夕暮れのアルマス広場は昼間の強い日差しの中で見るそれとだいぶ印象が異なり、しっとりとした雰囲気です。
この周囲の建物には屋上がありレストランなどになっていますから、そこに上ると夕焼けのミスティ山やチャチャニ山が見られるかもしれません。しかし待てよ、私たちの宿にも屋上があるんじゃあないかな。
というわけで宿の屋上へ。しかし残念ながらここからは、ミスティ山やチャチャニ山への眺めはあまり良くありませんでした。昼間は雲一つありませんでしたが、この時は西の空にうっすらと雲が掛かっていました。それが夕陽を受けて空を赤くしています。
アレキパは美しい街でした。想像以上に。
さて、明日は自転車で郊外に行き、プレ・インカの段々畑からミスティ山とチャチャニ山を眺めます。