標高3,800mのチチカカ湖(Lago Titicaca)に飛び出したカパチカ半島(Península de Capachica)の南端にあるリャチョン(Llachón)で一夜を明かした私たちですが、昨晩はとても寒かったです。私たちの宿に、いやこれはこのあたりのすべての家にと言っていいのですが、暖房設備はないのです。タイツを履きフリースを着て、毛布を5枚重ねで寝ました。なんでもこのあたりの8月の平均最低気温はー3°Cだとか。ブルッ!
朝は爽快な目覚め。真っ青なチチカカ湖の湖面近くを鴨が隊列を作って飛んで行くのが見えます。
今日は今回の旅のメインイベントの一つがあります。
チチカカ湖にはインカ帝国が起こる前から住んでいるウロ族がおり、彼らは葦に似たトトラ(Totora)という植物で造った浮き島で生活しているといいます。今日はそのウロ族が住む浮き島に行きます。
その島は一般には『ウロス島(Islas de Uros)』と呼ばれていて、ガイドブックにはプーノ(Puno)のすぐ沖合に40(100とも)ほどあると書かれています。ほとんどの旅行者はプーノからボートに乗り、これらの島の一つか二つを見学するでしょう。
しかしウロ族の人々はこのプーノの沖合の島には住んでいません。じつは彼らは1950年代に、政策的に移住させられたのです。彼らは現在はプーノに住み、土産物屋をするためにプーノの沖合の浮き島に『通勤』しているのです。
私たちはこの事実を知って、とたんにウロス島に行く気がなくなってしまいました。いや、これは真実ではありません。行ってみたいけどなんだかな〜。。というのが本当のところでした。これは、観光客のために設えられた常設会場で毎日繰り広げられる伝統芸能のダンスを見たいか、という問いの答えに近いものと言っていいでしょうか。
行こうか行くまいか、あーだこーだしているうちに偶然、今でも実際に人々がそこで生活をしているウロス島があるという情報に行き当たりました。しかしそれは、プーノからはかなり遠く、カパチカ半島のラチョンからなら行きやすいという程度の情報でしかありませんでした。
カパチカ半島は今回の旅のターゲットポイントの一つだったので、ラチョンに宿泊する前提で情報の収集を始めると、その島は『ウロス・チチノス(Uros Titinos)』と呼ばれること、そしてボートをチャーターすれば小一時間で行けることが分かりました。
私たちの宿となったバレンティンからは、漁師のボートのチャーター料は110ソーレス、ウロス・チチノスまでは片道45分、行くなら午前中の方が良い、と返事をもらいました。これは行くしかないでしょう。
朝9時に小さなボートでリャチョンの埠頭を出発します。同宿のドイツ人の親子も行くことになったので、ボート代は折半で一組55ソーレスになりました。ありがたい。
我らがボートドライバーの漁師のおじさんアントーニオによれば、かつてはチチカカ湖にはたくさん魚がいたけれど、カナダから鱒を持ち込んで放流したため、元いた魚がいなくなって漁が成り立たなくなってしまったそうです。現在チチカカ湖には、その鱒の養殖生け簀があちこちに作られています。
しばらく行くと前方に群生するトトラが見えてきました。このトトラは一直線にどこまでも続いていきます。
そのトトラの中に小さな小屋のようなものが見え出しました。最初はこの小屋は陸上にあるように見えたのですが、近づくにつれそれは陸上ではなく、湖の中にあることがわかりました。
ウロス島です。ここがウロス・チチノスです。実は私たちはウロス・チチノスがどこにあるか良くわかっていなかったのです。バレンティンでもらった地図にはラチョンの西の集落であるコルパ(Collpa)のすぐ沖に『ウロス・チチノス』と記載されていたのですが、それはデフォルメされた位置だと思っていました。しかし実際、ウロス・チチノスはその場所にありました。
google マップの航空写真を見ると一目瞭然なのですが、プーノとカパチカ半島との間はトトラで埋め尽くされています。昨日私たちがフリアカからリャチョンに向かっている途中、沖に見えたのは、この広大なトトラの群落だったのです。そのカパチカ半島に近いところにウロス・チチノスはあります。
ウロス・チチノスの最初の島が近づいてきました。その島には簀の子葺きのような建物というか小屋が数棟立っています。ウロス島は建物もトトラでできているのです。ちょっとびっくりしたのは、その島に大きなボートが横付けされていたことです。近年はプーノからもツアーでこのウロス・チチノスにやってくるようになったのだとか。
我らがアントーニオはこの最初に見えた島の横をすり抜け、さらに先に向かっています。
すぐに次の島が見えてきました。アントーニオはこの島にボートを横付けしました。なんとこの島には、あのインカ帝国の初代国王マンコ・カパック(Manqu Qhapaq)と同じ名が付けられていると言います。
ボートが横付けされたのはトトラでできたボートで、そこにカラフルな衣装を身に纏った女性が近づいて来て、上島の手助けをしてくれます。
この人々がウロ族です。純粋なウロ族は半世紀以上前に途絶えたそうなので、正確にはウロ族の血をひく人々と言うべきでしょうか。バレンティン父さんによれば、彼らはインカよりずっと前からこのあたりに住み、元々は言葉も異なる民族だった。不安定な浮き島の上で長い間生活してきており、フワフワするトトラの上にしっかり立たないといけないので、彼らの足には土踏まずがなくのっぺりしていて、またガニ股をしている。
彼女たちに手を引かれ、二隻のトトラ製ボートをまたいで降り立ったウロス島の最初の感触は、何とも言えないものでした。
やはりこれはありきたりですが、フカッと言うしかないものです。
ついにウロス・チチノスにやってきました。
想像とは違いここもすでに観光化されていて、島の上で行われるイベントはプーノ沖のウロス島でのそれとほとんど同じようで、まずウロ族の歴史と島の作り方などの説明があります。
1. ウロ族は元は陸上で生活していたが、外敵に追われ、湖に逃れてトトラのボートで生活するようになった。
2. しかしボートの生活は危険が多いので、人工の島を造るようになった。その島の造り方は、
3. まず、7km先でトトラの根っこの固まり(写真で土のように見えるもの)を切り出し、それを小さくして運んでくる。
4. 次に、この固まりを並べてそれぞれをロープで縛り、さらに、移動しないようにロープで湖底に固定する。
5. 7ヶ月経つとそれぞれの固まりの根が絡まり合って一体の土台になる。
6. 最後に、土台となった地面の上に乾燥したトトラを井桁状に何層にも敷き並べる。
7. 島は20〜30年もつが、地面のトトラは月に二度敷き直さなければならない。
8. 島ができたらその上にトトラの家を建てる。
9. 舟ももちろんトトラで造る。
10. かまどが必要だがトトラは燃えるので、地面の上に平らな石を置いてその上にかまどを置く。 かまどで火が使えるのは10分。
11. 島の大きさはその時の家族数やその構成、人数により、大きくなったり小さくなったりする。
12. 生活の糧は主にチチカカ湖から得ていて、こんな魚を獲っている。
13. キニョラという鳥を鉄砲で撃って獲ることもある。
14. 三番目の産業は手工芸品。
次に手工芸品の紹介があります。この織物にはいくつかの伝説の場面が描かれており、その中にアンデスの古い神話に登場する女神・パチャママ(Pachamama:母なる大地)がいたように思いますが、どれだっけな。
中段左に見えるのは動物の頭のようですが、これはプーマだと思います。チチカカの『チチ』はアイマラ語でプーマを意味するのです。では『カカ』は? これはケチュア語で岩を意味するようです。チチカカはプーマの岩という意味なんですね。偶然だとは思いますが、チチカカ湖を地図で(上下逆さにして)見ると、プーマが兎を追いかけているように見えるそうです。
子供を連れたお母さんと思われる女性がトトラのアーチのそばに座ると、なにやら始めました。
どうやら先ほど見た織物の刺繍のようです。
隣に座った子供は、お椀のスープをきれいに食べ終わったところ。
私たちが上陸した島には切妻屋根の建物が7棟、とんがり帽子の建物が3棟、トイレが一棟、物見塔が一つあります。小さな太陽光発電パネルも見えますが、これは数年前に政府から支給されたものだとか。 これらの家はアイマラ語で "ootha" と呼ばれるそうです。
現在この島には5家族18人が生活しているといいます。かなり大所帯ですね。
物見塔に登ると島の様子が一目瞭然です。こうした塔はどの島にもあるようで、あれば何かと便利そうではありますが、本来は何のためのものでしょうか。
先ほど見たトトラのアーチに土産物が吊り下げられています。こうしたアーチの目的は第一にはゲートとしての役割かと思うのですが、こんなふうに実用的な使われ方もするようです。
ずっと向こうに見える水平の帯状のものはトトラの群落です。陸のように見えますが、あそこは陸から離れた沖で、湖の中です。
トトラの島の台所は屋外です。大きな平石の上に煎った小麦を置き、少女が一生懸命、石でゴロゴロしています。
出来た粉を一口食べさせてもらいましたが、なつかしい麦焦がしの味がしました。
陶器製のかまどに鍋が置かれ、乾燥したトトラを燃料とし火が起こされました。火が燃やせる時間は先ほど聞いたように10分程度と決められており、それ以上は危険なためやってはいけないことになっているそうです。
いい匂いがしてきました。鍋の中身はスープのようで、そこに先ほど少女が作っていた小麦粉が投入されました。
さて、家の中はどんなでしょう。ちょっと覗いていい、と聞くと、いいよというので覗かせてもらいました。
家の中はひどく簡素でほとんど何もなく、奥に寝具であるだろう毛布が敷かれているだけです。食器などは別の小屋にしまわれています。
島から外を見ると、少し離れたところに別の浮き島が見えます。ウロス・チチノスにある島は全部で6つで、それぞれに3〜8家族が生活しているそうです。これらの島の子供たちが通う学校も浮き島にあるそうです。
トトラは、島そのもの、家、燃料と、ここでの生活に欠かせないものです。月二回も敷き直さなければならない地面を造る作業は大仕事です。そんなんで男たちの仕事の多くはトトラの収穫ということになります。
トトラはそこいら中に生えているので、適当なところのものを採ってくるのでしょう。ボートに乗った男はすぐ近くでトトラを集めています。
これが収穫されたばかりのトトラ。
採って来たばかりのものは食べることもできるそうですから、食料がない時にはこれを食べて飢えを凌いだかもしれません。
ウロス・チチノスの人々の足はトトラ舟(balsa de totora)で、これはなんとメルセデス(Mercedes)と呼ばれています。メルセデスには何種類かあり、小型の細長いものは漁用で、太めのゆったりサイズはあちこち出かける時に使うものだそうです。しかし最近は、漁用のものはごく普通のボートが使われるようになったそうです。
私たちは土産物は買わないので、メルセデスに載せてもらうことにしました。一人10ソ−レスと僅かな額ですが、ここの家計の助けになればという思いもあります。
小型の舟はたいていどこでもそうですが、オールを使う場合と突き棒を使う場合とがあります。
ここは比較的浅いので突き棒を使って進んでいきます。
やって来た時とは異なる方向から見たマンコ・カパック島。
で、メルセデスの乗り心地はというと、
『わ〜、ふわふわね。これ、メルセデスじゃあなくてロールスロイスじゃない?』 と。
一時間ほどウロス・チチノス・マンコ・カパックに滞在し、浮き島の生活を垣間見たら、ラチョンに戻ります。
ウロス・チチノス、よかったわねぇ〜 と語り合いながら、ボートで帰路に就く面々。
彼方に灰色の煙が立ち上っているのが見えます。昨日見たように、これはトトラの野焼きでしょう。
トトラは今でもこの辺りの人々の生活になくてはならないものなのです。
富士山の山頂より高い標高3,800mのチチカカ湖を私たちは今、走っています。
ラチョンが近づくと、小高い丘が見えてきます。小高いとは言え、あそこは標高4,000mオーバーですが。
よく見ると、その丘には水平の線がびっちりと刻まれています。あれは段々畑です。段々畑と言えばインカ文明のそれが有名ですが、ここにはインカより古い文明の跡もたくさん残っています。
11時半、ウロス・チチノスへ出発してから二時間半でラチョンに戻ってきました。ちょっと休憩して、バレンティンでお昼ごはんを頂いたら午後の部開始です。
カパチカ半島は静かで景色が良いところと聞いていたので、ぜひ自転車で走りたいと考えました。そこでメールでバレンティンの息子のヘススに、サイクリングできないかと聞いたのです。ヘススからの返事は、『考えてみる』とのことでした。ここはロケーションはとても良いのですが、ちょっとアップダウンが多いので、普通の方はサイクリングはやらないのかもしれません。
ペルーに向かう直前にヘススから、『自転車を用意したからサイクリングできるよ!』と返事が。これはやらないわけにはいきません。
ヘススが用意してくれたのは、なんと真新しいマウンテンバイクでした。ヘルメットも手袋もあります。一体どうしたのかと聞くと、『僕の自転車が古くなったから買ったのさ。』と言います。しかし二台は必要ありません。私たちのためにわざわざ用意してくれたのでしょう。ヘスス、ありがとう!
出発の段取りをしていると、ヘススが、『僕もいっしょに行くよ。』と言ってくれました。ヘススがいてくれれば心強い限りです。
食堂の前でバレンティン父さんの見送りを受け、三人で自転車に股がります。
しかしバレンティンの家はチチカカ湖沿いの低いところにあり、その門まではダートの上りです。ヨロヨロ〜っと低速で進むサリーナとサイダーでした。結局この坂道は上り切ることができず、押し! あ〜、初っ端から疲れた〜
ひとまず呼吸を整えるため、昨日できたばかりのバレンティンの入口の門の前で記念撮影です。
門の先はアスファルトの舗装路です。これならなんとかなりそうです。でもこの道もいきなり上りです。
忘れてはいけません。ここの標高は3,800mオーバー。僅か標高2,300mのアレキパ(Arequipa)でヘロヘロしてしまった私たちは、このあとどうなるのか正直ドキドキものなのです。
これから向かうのは眺望ポイントとして有名なカルスの丘(Cerro Carus)で、そこにはアマンタニー島(Amantaní)とタキーレ島(Taquile)とが見渡せる絶景があるそうですが、なんとその頂上は標高4,100mなのです。
とにかくゆっくりゆっくり上って行きます。
先にラチョンの中心部に入ったことを示すゲートが現れました。
その先には中央広場に立つ白い教会が見えます。そのさらに向こうに見えるのがカルスの丘です。
その中央広場をかすめて進むと、道はダートに。
ここでほぼ村が終わりということです。
少し行くと大きな建物が現れました。ここはヘススが通った学校だそうです。
この学校の先は建物がまばらになり、畑が増えてきます。そろそろラチョン村も終わりのようです。
道はご覧の通りで、気温も高く暑い。マウンテンバイク初心者の私たちにとってはかなりきついものとなってきました。標高が低ければ、これくらいのダートはなんともなかったでしょう。しかし標高4,000mとなると、普段できることもできなくなるのです。すでにここでへーへーです。
私たちの様子を見たヘススは、ちょっと休憩しようと申し出てくれました。助かった〜
彼はその辺に生えている植物をむしって、ぐしゃぐしゃとやって、それを手で包んで鼻を被いました。『同じようにやってごらん、呼吸が楽になるよ。』と教えてくれました。この植物はムーニャ(muña)と言い、ハーブティーとしてもよく飲まれます。
ムーニャには少し香りがあり、鼻がスーとします。この香りは私たちが良く知っているものだとミントに近いでしょうか。確かにこれで呼吸が少し楽になったような気がします。
しばらくムーニャ休憩をしたら出発です。しかし道はここから上りに。
上りとは言ってもその勾配は3〜4 %といったところで、ごく僅かなものです。しかしこれが上れない。
あっという間に押しになってしまうサイダーでした。あちゃ〜、このあとどうなるの・・・
へろへろ〜と自転車を押し上げていくと、これまで見えなかったチチカカ湖が現れました。
素晴らしい景色です。写真の左に写っているのは織物などでユネスコの無形文化遺産に登録されているタキーレ島。
さて、一息ついたらまた自転車に股がって上を目指します。しかしここから本格的な上りが始まります。
えっちらおっちです。
苦しいけれど、チチカカ湖の眺めは最高です。
ヘススによれば、チチカカ湖は二つに分けられると言います。カパチカ半島とその向かいのチュクイト半島で囲まれたプーノ側のゾーンは『小さな湖』と呼ばれるそうです。
その小さな湖を背後にサリーナが行きます。
サリーナのうしろの丘の上に石造のアーチが見えますが、あそには遺跡があるのでしょうか。このあたりには古い遺跡がたくさん残っているそうです。そしてそこまで段々畑が続いているのがわかるでしょうか。このあたりはどんな斜面でも段々畑が作られています。
対岸のチュクイト半島の遥か先に陸地が見えてきました。あそこはボリビアです。
このチュクイト半島から先のボリビア側のチチカカ湖は『大きな湖』と呼ばれるそうです。
この『小さな湖』と『大きな湖』を隔てるチュクイト半島を眺めながら、ちょっと休憩を。
これが今回私たちがお世話になった自転車です。有名メーカーのものではありませんが、ヘススが心を込めて準備してくれたもの。右のサイダーが乗る方のタイヤは26インチで、左のサリーナのものは24インチ。上りは24インチの方が楽だな〜
道はついにヘアピンカーブを描き始めました。ちょうどこの最初のカーブが標高4,000mでした。
とうとう4,000m台に突入です。
景色は最高ですが、道はもうずっと上りっぱなし。
あとたった100mと思ってペダルを回すも、すぐにへなへな〜となってしまい、ここからはほとんど押しに。
『大きな湖』の先に白い雲が掛かっているな、と思ったら、ヘススによるとあれはボリビアのアンデスだそうです。
目を凝らして良く見れば、あれは確かに山です。アンデス山脈はここの少し北で東西に分かれており、あの山はその東側の山脈にあるのです。あのあたりはアンデスの中でもレアル山脈と呼ばれるところで、方角からするとアンコウマ山(Ancohuma:6,427m)でしょうか。
アレキパでも6,000m超えの山を見ましたが、あの山はそれより遥かに高く見えます。そしてここは、チチカカ湖の青と白い雪を被った山の対比がなんとも素晴らしいです。
美しい景色が上りの辛さを和らげてはくれますが、この上り、押しでもきついです。しかしようやく道の終点に辿り着きました。自転車を停め、ここからは徒歩で山頂に向かいます。
するとすぐに直径10mほどの円形の構造物が現れます。これはティワナク文化(Tiwanaku)の寺院ではないかと考えられているそうです。ティワナクはボリビアのラパス近くを中心とし、紀元前800年ごろから紀元後1,150年ごろまで続いたとされる文化です。つまりここにはインカ以前から文明があったということです。
ティワナク寺院を過ぎるとそこは平坦で広がりのある空間になり、先に円形の島が見えます。アマンタニー島です。
カルスの丘の頂上に着いたのです。標高4,100m !
アマンタニー島の左にはコトス(Ccotos)がある小さな半島が見えます。
その半島の向こう側の入り江には、アマンタニー島への定期航路があるチフローン(Chifrón)があります。私たちは明日、そのチフローンからアマンタニー島へ渡ります。
コトスの半島、アマンタニー島、そして右端にちょっとだけ見えているのがタキーレ島。絶景です。
アマンタニー島はまん丸ですが、タキーレ島はひょろ長い。このタキーレ島にはあさって行きます。
ここでヘススがカントゥータの花を見つけ、この花が彼らにとってどれくらい大切なものか説明をしてくれました。
カントゥータはペルーの国花で、特にアンデス地方に多く咲いていおり、インカ時代には太陽神インティ(Inti)に奉納されていた。古くから織物や陶器などに描かれ、葉っぱは染料として、枝は篭の材料として使われもする。お葬式にはこの花がよく用いられるし、家の装飾に使われたりもする。
カルスの丘の頂上から下り、反対側のチチカカ湖に出てみます。
そこには石で造られたこんなものがあります。ここは神聖な場所らしく、パチャママと関係があり、カルト的な儀式が行われたところというようなことをヘススは言っていたような。
この先にチチカカ湖が見渡せる絶景ポイントがありました。
ちょっと怖いけど、岩の上に乗って一枚。
標高4,100mのカルスの丘を堪能したら、下界に下るとしましょう。
上りはダメでも下りならOKよ、とサリーナがビューン。真っ青なチチカカ湖に吸い込まれそう!
サイダーが行き、サリーナがそれに続き、ヘススはみんなを守るようにしてあとから着いて来ます。
下りはあっという間で、ラチョンの村が近づくと、数頭のロバが私たちの前を走っています。
このロバの群れを率いている人はいないようですが、ロバたちだけで家に帰れるのでしょうか。
バレンティンに戻ると庭先のカントゥータがお帰りと言っているようでした。
今日はグラ〜シアス、ヘスス。
今日の二つのイベント、ウロス・チチノスとカルスの丘はどちらもとても素晴らしいものでした。ウロス・チチノスは観光化が進んでしまったのが残念ですが、やはりそこに人々が暮らし続けているということに大きな意味があるでしょう。カルスの丘の頂上まで上るのはちょっときついですが、ここはやはり自分の足で上がることで、その価値が何倍にもなるところでしょう。
カパチカ半島のラチョンは、日程に余裕があったら一週間滞在しても良いと思うほど、素晴らしいところです。しかし残念ながらそうもいきません。明日はカルスの丘から見たチフローンからボートに乗り、アマンタニー島へ向かいます。