今日はカパチカ半島(Península de Capachica)を離れ、アマンタニー島(Isla Amantaní)に向かいます。
リャチョン(Llachón)のカサ・デ・バレンティン(Casa de Valentin)の食堂で朝食をいただき、中庭に出ると、そこではお母さんがペルーの国花のカントゥータで飾りを作っています。
身支度を整えて8時にカサ・デ・バレンティンを出発。
ヘスス、お父さん、お母さん、お世話になりました。
バレンティンからはコレクティーボがいるリャチョンの中央広場に向かいます。
下に二日間お世話になった、カサ・デ・バレンティンが見えています。チチカカ湖を背景にした、この美しい景色とももうお別れです。
私たちはコレクティーボでまずカパチカ(Capachica)まで行き、そこで乗り換えてアマンタニー島行のボートが出るチフローン(Chifrón)に向かう予定です。
しかし歩き出すとすぐに一台の車が停まりました。共同タクシーです。共同タクシーはコレクティーボの小型版のようなもので、利用する方にとってはあまり変わりありません。私たちが乗った共同タクシーはリャチョンの中央広場で何人か乗せ、その後も何人か乗り降りさせながらカパチカに向かって行きます。
カパチカで乗客が全員下りると、運転手はこのままチフローンに行ってもいいよと言って来ました。値段は少し高いような気もしますが、びっくりするほどではないので、このままチフローンまで行ってもらうことにしました。
チフローンには広いビーチがあり、民宿も何軒かあり、カパチカ半島の東側ではもっとも開けたところです。
チフローンにはアマンタニー島に渡るのにもっとも近いという地の利があるのですが、旅行者のほとんどはプーノからツアーで直接アマンタニー島に行くため、この埠頭はほぼ地元人専用となっています。
穏やかなチチカカ湖。右手の奥に見えるのがこれから向かうアマンタニー島です。
タクシーがチフローンの埠頭に着くと、アマンタニー島行のボートに客が乗り込んでいました。すぐに出航しそうな気配だったので何も考えずにこの船に飛び乗ってしまったのですが、実はここまでうまく来過ぎて、予定より一時間半も早いのです。まあいいでしょう。
このボートには私たち以外に観光客はおらず、あとは全員アマンタニー島の住民と思われる人々で、みんな買い出しにでも行っていたのか、大きな荷物を持っています。
私たちが乗り込むとすぐ、ボートはチフローンの埠頭を出航しました。アマンタニー島までは約50分の航湖です。
この写真の中央のやや左の山が低くなったところがチフローンです。
私たちを乗せたボートはティコナタ島(Isla Ticonata)をかすめて進んで行きます。
ティコナタにはちょっと変わった円形の平面を持つ伝統的な家が立っていました。時間的に余裕があったらここにも泊まってみたかった。
先にアマンタニー島が見えてきました。ボートは島の北西部に向かってアプローチしており、どうやらエル・プエブロ(El Pueblo)の港に入るようです。
この島には高い山が二つあり、中央にちょこんと飛び出して見えるのがパチャタタ(Pacatata:4,100m)、右手のなだらかな方がパチャママ(Pachamama:4,120m)です。パチャタタもパチャママもアンデス地方に古くから伝わる神様で、パチャタタはパチャパパ(Pachapapa)とも呼ばれるようにお父さん、パチャママはお母さんです。パチャママの方が高いことからもわかるように、こちらではお母さんの方が存在感があります。あ、これはどこでもそうか。(笑)
アマンタニー島がぐっと近づくと、急な斜面に段々畑が見えます。
カパチカ半島もそうでしたが、この島も段々畑だらけのようです。
チフローンから予定通りの50分で私たちを乗せたボートはエル・プエブロの埠頭に着きました。
いくつかの情報ではこの島に上陸する際には入島税8ソーレスが必要とのことでしたが、これは徴収されませんでした。
アマンタニー島はプーノからの一泊ツアーに組み込まれているため、最近は特に観光客が増えていると聞きます。そんなわけでか、この埠頭の横の船溜まりにはたくさんボートが停泊しています。
小舟もたくさんあるので、ここでは漁もそれなりにやられているのでしょう。
さて、無事にアマンタニー島に上陸した私たちですが、予定より一時間半も早く着いてしまいました。
ここには本日の宿から迎えが来ることになっているのですが、迎えを待たずに宿に向かうか、そのへんをぶらぶらして迎えを待つか、ちょっと悩みます。
ここは『エル・プエブロ』、つまり『ザ・村』という意味ですから、アマンタニー島の中で一番開けた場所のはずです。まあこのあたりを散歩しても面白かろうということで、結局、迎えを待つことにしました。
埠頭の周りにはたくさん人が集まっていて、思い思いの物を売っています。これはフレッシュ・ジュース屋さん。炎天下なので果物は日影にしまわれています。
ジャガイモはアンデス原産なので、ジャガイモ売りはどこにでもいます。
写真手前のオレンジ色のものはオカ(Oca)という根菜で、アンデス地方のような高地でしか育たず、このあたりではよく食べられる野菜の一つです。
これはジャガイモを冷凍解凍を繰り返して乾燥させたチューニョ(Chuño)というもので、昔から保存食として重宝されてきました。
物売りをしている多くは女性ですが、彼女たちは売り物すべてを巨大な風呂敷状の布に入れて運びます。
男の仕事は力仕事。こちらは女以上の巨大な包を背負ってどこまでも行きます。
男でも担げない荷物となれば、ロバの登場です。ロバや馬はこの島では荷物運搬用の動物として今でもとても重要な存在です。この島に車はありません。モーターバイクはごくわずかにありますが、それはごく限られた範囲でしか使い物になりません。なぜならこの島はアップダウンだらけ、階段だらけだからです。
ロバの向こう側を羊たちが悠然と歩いて行きます。羊たちのうしろにいる女性が羊飼いでしょうか。
その羊たちが向かっている方向に行ってみることにしました。
埠頭から南西に向かえば、すぐに道脇に石垣が現れ、その向こう側は畑になります。
今は乾期で畑に作物はあまりありませんが、今まさに種まきをしている農民がいます。
その先に緑の作物があったので覗いてみると、それはソラマメでした。
日本のソラマメとまったく同じですね。
船溜まりから一隻のボートが出てきました。このボートは進行方向を変えると、チチカカ湖の沖に向かって去っていきました。漁に出かけたのか、それとも旅行者を迎えに行ったのか。
人々を眺め、そのへんをうろついて時間を潰し、ようやく私たちが本来到着する予定の時刻の11時半になったので、埠頭に向かいます。しかしどうしたわけか、宿の人らしき人とは行き会えません。
うろうろしている私たちに、人々がどこへ行くんだと聞いてくれるので、カサ・インティ・ロッジ(Casa Inti Lodge)と言うと、え、それどこだ、おまえ知っているか? という案配で、そこを知っているという人はいませんでした。
そこは誰のところだい? と言うので、セグンディーノ(Segundino)とバレリャーナ (Valeriana)がやっている民宿だと言うと、あ〜、セグンディーノとバレリャーナ か、そりゃあ、おまえ、遠いぜ。山の向こう側だからここからだと一時間以上かかるよ。とのこと。
まあ、それはわかっているんですが、迎えに来るって言うので待っているんです。
しかし結局それらしき人は現れなかったので、ボート乗り場のおじさんに訳を話して、インティ・ロッジから人が来たら、私たちは宿に向かったと伝えてもらうことにして、埠頭をあとにすることにしました。
エル・プエブロの埠頭からはいきなり上りです。チチカカ湖の標高は富士山より高い3,800mなので、上りになるととたんに息切れしてしまいます。
ハヒハヒしながら坂道を上って行くと、石で造られたこんなゲートがいくつも現れます。みんな花で飾られていてきれいです。
カパチカ半島もそうでしたが、ここアマンタニー島の家々もアドベで出来ています。
アドベとは日干しレンガのことです。そのへんにある土に藁などを混ぜ、直方体にかたどって天火に干せばできあがり。
アドベはとても簡単に造れますが、耐久性はあまりありません。しかし雨が極端に少ないこの地方では、これで十分なのでしょう。
へろへろしながらもだいぶ上って来た感じがします。チチカカ湖から100mほど上ったでしょうか。
このあたりでエル・プエブロの集落はほぼおしまいです。
さらに登って行くとまたアーチのゲートが出てきました。ここはサンタ・ロサ(Santa Rosa)という集落の入口で、道案内の黄色い標識が立っています。
左オコスヨ(Ocosuyo)、右パチャタタとあります。オコスヨは島の東にある港がある集落で、私たちの宿はそこから少し上ったコルキカチ(Colquicachi)という集落にあり、これはパチャタタから少し下ったところです。
どちらの道もパチャタタを廻って行くのですが、距離的には右の方が近いので、ここは右に。
ところがこの道はその後ずっと上りなのでした。あとで知ったのですが、ここは左に行った方が距離は少し長くなりますが、ほぼ平らなので楽なのでした。
日影がなく暑くてきつい。上りもきつい。とにかくこの道、きついです!
いつの時代の物か、昨日見たのと同じような古代のものらしい塔が現れたので、その僅かな日影で休憩です。
視線を西にやると、遠くにはカパチカ半島のコトスあたり、そしてその手前にはかなり急な段々畑が見えます。
なんとか気を取り直してさらに登って行くと、羊の群れがほとんどひからびたような草をムシャムシャしています。
暑い! 苦しい!! もう登りたくない!!!
ようやくパチャタタの山頂に向かう道が見えてきました。
ここにも山頂まで段々畑が続いています。先ほど見た段々畑もそうですが、アマンタニー島の段々畑はみんな石で築かれています。この頂上にはインカ時代以前のものだという遺跡があるので、この段々畑もインカ以前のものかもしれません。
周囲は一見荒野のように見えますが、これはみんな立派な畑です。
あと数ヶ月するとここは緑で覆われるそうですが、この景色からそれはちょっと想像できません。
パチャタタの山頂に向かう道を過ぎると、ちょうどそこがピークで、その先は下りになります。先にボリビア側のチチカカ湖が見えてきました。
このボリビア側のチチカカ湖は目が覚めるような碧です。
右手にはパチャママに上って行く非常に細かく刻まれた段々畑があり、その下の方に赤茶色の屋根が見えます。コルキカチに着いたのです。
ちょっとしたグラウンドが現れました。そこではきれいに着飾った人々がなにやらやっています。
そう言えば私たちの宿から、今日はお祭りがあるよ、と連絡があったので、これはきっとその準備をしているのでしょう。
私たちの宿はこのグラウンドから細道を入ったところなので人に聞いてみましたが、カサ・インティ・ロッジを知っている人はいませんでした。
そこでセグンディーノとバレリャーナ の家と言うと、ああ、それはこの上よ、と教えてくれたのでした。ご主人と奥さんの名前はたまたま口コミにあったのをメモしておいたのですが、これがなかったら迷子になっていたかも知れません。
で、なんとかそれらしい家に着いたのですが、案の定そこには "Casa Inti Lodge" という名はどこにも見当たらないのでした。
こんにちわ〜 と言うと、やあやあ、良く来たね、あれ、うちの息子と一緒じゃあないの? と、お母さんが言います。この方がバレリャーナ です。港には息子さんを行かせたらしいです。
事情を話すと、わかったといった仕草をして、じゃあもうお昼の時間だから荷物を置いたら食堂にいらっしゃい、と言います。
アマンタニー島には食堂がないので、宿は三食付なのです。
この宿は小さく、本日の宿泊客は私たちだけのようです。食堂はキッチンの隅っこのテーブル。まず出て来たのはスープで、ニンジンやジャガイモ、そしてキヌアが入っています。キヌアはこのあたりでは良く食べられる食材の一つです。
もう一皿は玉子焼と野菜です。手前の細長い芋のようなものは港で見たオカを茹でたものです。これはほんのり甘く、ジャガイモとサツマイモの間の子のような味です。
玉子の下に隠れていて見えませんが、港近くで見たソラマメもあります。これは外見も味も日本のそれとまったく同じ。あとはトマトとキュウリとジャガイモで、トマトもアンデスが原産なのでどんな味かと思いましたが、意外にこれも日本で食べるのとほとんど同じでした。
このあたりはハーブの宝庫で、テーブルの上にはいろいろな種類のハーブが置かれています。これは昨日カパチカ半島の野原で摘んだものと同じムーニャ(muña)で、こんなふうにハーブティーとしても飲まれます。ミントに似た爽やかな香りです。
私たちが食事をしているところに、ワレリャーナの息子のビダル(Vidal)が帰ってきました。彼は11時ごろに港に着いたらしいのですが、そのころ私たちは散歩をしていたのでどこかで行き違いになってしまったようです。
ビダルは、今日はエル・プエブロの広場で夕方からお祭りがあるから、ぜひ行ってみてほしいと言います。私たちは特にやることもないので、パチャタタに登ってから祭りに行くことにしました。
ということで、ちょっと休憩したあと、パチャタタに向かいます。宿を出ると真っ青なチチカカ湖の先に白い雲のようなものが見えます。あの形には見覚えがあります。昨日セーロ・カルス(Cerro Carus)に上った時に見えたボリビアのアンデスです。たぶんレアル山脈のアンコウマ山(Ancohuma:6,427m)でしょう。
民家の庭先にごろごろしているのは羊さんでした。
この島にはリャマやアルパカはいないのか、家畜のほとんどは羊です。羊と言えば羊飼いで、大抵そこには犬が付きものですが、この島には犬がいません。車もなく犬もいないので、物音と言えば風の音くらいしか聞こえません。とにかくこの島は静かです。
先ほどやってきた道を戻り、パチャタタに向かいます。時は14時半で暑い盛り。
来る時もきつかったけれど、この時はさらにきつく感じるのでした。
ようやくパチャタタの上り口に辿り着きました。
山頂までは良く整備された石畳の道が続いています。
その道を登って行くと、道脇に土産物の織物が並んでいます。これは帽子ですね。
アマンタニー島は隣のタキーレ島ほどは有名ではないものの、やはり織物が重要な産業になっています。
土産物屋の主人はこの少女です。観光客はここには夕陽を眺めるためにやってくるそうなので、まだ商売を始めるには時間が早いらしく、この一軒しか店開きしていません。
ようやく品物を並べ終わった少女は、近くの日影に移動して客を待っているようです。
少女の横をかすめ、さらに登って行くと石のアーチがありました。
港付近で見たアーチはもっと大きな石を加工して造られていましたが、ここのものはそのへんに転がっている石を積み重ねただけの、かなりプリミティヴな造りです。
このアーチをくぐったところでやってきた方面を見下ろします。
向こうに見えるのは、今朝まで私たちがいたカパチカ半島です。昨日上ったセーロ・カルスはあの左端あたりで、そこからこのアマンタニー島を眺めたのでした。
アーチの先にもう一つアーチが現れると、そこがパチャタタの頂上です。
なんとか登ってきました。ここの標高は4,100mなので、港とはたった300mの差しかありません。ところがこのたった300mが恐ろしくきついのです。まあ、これは標高4,000m超えの体験した方でないとわからないと思いますが、とにかくアヘアヘです。
パチャタタは『父なる大地』。ここは神聖な場所。
ここからぐるりと四方を見渡せば、南には『母なる大地』パチャママに刻まれた段々畑とタキーレ島(Isla Taquile)への眺望が開けています。(TOP写真)
この頂上には四角形の神殿があります。地元の伝説によれば、この神殿は4,000年の歴史があるそうです。
その門は閉じられていて、年に一度、1月の第3木曜日に行われる儀式の時だけ開かれるそうです。ここでどんな儀式が行われるのかちょっと興味がありますが、それはピンキージョという縦笛と太鼓の音に合わせ、大地の神に祈りを捧げるものだそうです。
パチャタタで瞑想に耽ったら、山を下ります。
港から登ってくる時に見た羊なのか、ちょうど羊の群れが山を下って行くところに出会いました。ここでも羊飼いは女性のようです。
このあと余裕があったらパチャママにも登ろうと思っていたのですが、パチャタタだけでもうヘロヘロです。パチャママはあえなく断念。
ということで、羊たちの後を追ってエル・プエブロの広場までやってきました。この広場には教会があり、中央には誰だか偉そうな人の像が立っています。
その周りにはすでにかなり人が集まって来ています。
今日は特別な日なので土産物屋もたくさん出ています。
カラフルな織物の上部に飾られているのは、ペルーの国花のカントゥータの花です。中央に黄色い花が見えますが、これもカントゥータ。カントゥータには赤と黄色と二種類の花があります。
16時半、祭りが始まりました。この祭りは一週間続き、アマンタニー島の各村がそれぞれダンスなどを披露して、その出来映えを競うのだそうです。
一日に二つの村が参加し、全部の村の中から選ばれた二つの村が最終日にもう一度出演して、一位が選ばれるのだとか。
この日はたまたま私たちの宿があるコルキカチ村が参加します。
それがこちら。男たちは一般的にパンフルートとして知られる笛と太鼓を演奏し、それに合わせて女たちが踊ります。
このダンス、クルクル回ったり、あっちに行ったりこっちに来たりと動きが激しく、かなり大変そうです。
衣装はご覧の通りで、男女共に羽根飾りが付いた帽子を被り、特に女性は華やかな衣装を身に付けています。
コルキカチ村のダンスが終わり、もう一つの村が出てきました。
こちらはコルキカチ村に比べると、音楽も衣装もダンスもかなり地味です。青い旗を左右に振り続けながら踊るのですが、それなりにハードなようで、ちょっと年配の方は途中で旗を振るのをやめてしまったり・・・
二つの村は二回づつ出番があり、再びコルキカチ村になりました。
ダンスは前と同じですが、最後は見物客を引っ張り出して、大勢で楽しく踊っていました。
一時間ほどダンスを楽しんだら、集合写真を撮って村のダンス・レースはおしまいです。
ちょうどこの時ビダルがやってきて、ダンスに出ていたお父さんのセグンディーノを紹介してくれました。
サイダーはセグンディーノの帽子とパンフルートを借りてちょっとポーズ。
さて、祭りはこれで終了かと思ったら、これから火の祭りが始まると言います。ビダルはこれをフォガタ(fogata)と呼んでいました。fogataはたき火のことですが、火祭りと訳していいでしょうか。
女たちが枯れ草のようなものを背負って出てきました。そのうしろからは、藁で出来た大きな像が大勢の人によって担がれてきます。この像は尻尾があるので人魚でしょうか。手には琵琶のような楽器を持っています。
この人魚像が真ん中に置かれ、それを取り囲むようにして枯れ草があちこちに置かれます。そのうち子供や女たちがダンスを始め、さらに大男や悪魔らしき仮面を被ったものたちが5〜6人出て来て、おもしろおかしいパフォーマンスを始めました。
このパフォーマンスが一段落すると、外側に置かれた枯れ草から順番に火が付けられていきます。この枯れ草が燃えるのが早いこと早いこと。ボッという音とともに大量の火の粉を舞上げるので、近くにいる人々は避難を余儀なくされます。
最後に中央に置かれた人魚像に点火されると、この像も見る見るうちに燃えていきます。
こうして火祭りは終わったかに見えました。
しかしそのあともう一体の像が引きずり出されてきて、先ほどと同じようなパフォーマンスが繰り広げられました。最後は観客を巻き込んだダンスが行われ、私たちもこれに引きずり出されてちょっとだけ踊りました。これ、楽しかったです。
ダンスが終わると再び人形に着火され、祭りは最高潮に達し、そして終わりを迎えました。
充分に祭りを楽しんだ私たちは、このあとビダルとともに真っ暗闇の中を宿に向かいました。この帰り道に見た星空はものすごくきれいでした。驚いたことに星の一粒一粒が大きい! そして星がまったく瞬きしない!! ここは標高4,000mなのです。
さて、少し慌ただしいですが、明日はもうこのアマンタニー島を離れ、隣のタキーレ島に向かわねばなりません。アマンタニー島とタキーレ島は数kmしか離れていませんが、タキーレ島の人口はアマンタニー島より遥かに少なく、コミュニティ意識や家族意識が強い純粋なケチュア族とも言われるタキレーニョ(Taquileño)と呼ばれる人々が、共同生活と集団意思決定という強力なコミュニティ構造の中で生活を営んでいるそうです。そこはどんな世界なのか、これは明日に。