チチカカ湖(Lago Titicaca)に浮かぶアマンタニー島(Isla Amantaní)の民宿カサ・インティ・ロッジ(Casa Inti Lodge)での目覚めは壮快。
6時に外に出てみると、ちょうど朝日が昇ってくるところです。物音はまったくせず、静寂そのもので、チチカカ湖もまだ鈍い色を放っています。気温は低く、おそらく5°Cを下回っていると思います。ブルッ!
今日はここアマンタニー島を離れ、隣のタキーレ島(Isla Taquile)に寄って、プーノ(Puno)に行かなければなりません。
朝の6時半にパンケーキ、いちごジャム、バター、バナナ、そしてお茶という朝食をいただき、7時過ぎにセグンディーノ父さんとバレリャーナ母さんに別れを告げます。バレリャーナ母さんはお別れの記念撮影用に、サリーナにきれいな民族衣装を貸してくれました。
セグンディーノ父さんは港まで送ってくれるというので、ありがたくそうしてもらうことにしました。
家を出るとすぐ、昨日登った聖なるパチャタタ(Pachatata)が正面に見えます。この時の気温は8°Cですが、すでに太陽が昇っているので寒さはあまり感じません。
昨日私たちはアマンタニー島の北西のエル・プエブロ(El Pueblo)に着きましたが、タキーレ島に向かうボートは島の東側のオコスヨ(Ocosuyo)から出るそうです。
東に1km少々下って行くと、オコスヨのチチカカ湖が見えてきました。陽が昇り、チチカカ湖はいつもの青い色を取り戻しています。
ところがなぜかこの先きで道はなくなり、野原(畑?)の端を伝って埠頭に向かいます。
そんなんでオコスヨの埠頭はどんなだろうと思いましたが、これはかなり立派なものでした。
セグンディーノ父さんはボートの船長に挨拶して、私たちをよろしくと頼んでいるようです。
サリーナに近づいてくる方が船長さんで、タキーレ島に寄ってプーノまで行くから安心していいよ、と声を掛けてくれました。
さて、出航の時刻です。セグンディーノ父さんに別れを告げ、ボートに乗り込みます。
このボートは昨日カパチカ半島から乗ったものとはだいぶ乗客の性格が異なり、地元の方はごく僅かで、ほとんどが旅行者です。
オコスヨの埠頭付近からは島のほぼ中央に位置するパチャタタと、南に位置するパチャママが並んで見えます。
こうして見ると二つはほぼ同じ高さであることがよくわかりますが、左に見えるパチャママの方が僅かに高いです。
私たちを乗せたボートはなぜかタキーレ島に向かわず、あらぬ方角に進んでいます。いったいどこへ向かっているんだろうとちょっと不安になりましたが、この航路は、アマンタニー島の西側にある別の埠頭に寄ってからタキーレ島に向かうというものだったようです。
その埠頭で数人をピックアップした私たちのボートは、無事にアマンタニー島を離れ、タキーレ島に向かいました。
正面にタキーレ島が見えてきました。
タキーレ島は南北に長い島ですが、ボートは北からアプローチしているので一番狭いところしか見えず、とても小さな島に見えます。
タキーレ島にはいくつか埠頭がありますが、私たちのボートはアマンタニー島から一番近い、島の北側にある埠頭に接近しているようです。
島の北斜面がはっきり見えてくると、そこはアマンタニー島同様に、水平に細かい筋がびっちり刻まれています。段々畑です。この段々畑の下に小さな埠頭が見えてきました。
遠くからはこの埠頭はひどく頼りないようなものに見えましたが、着いてみると意外にもこれはしっかりしたもので、びっくりです。
これは、埠頭が貧相に見えるほどにタキーレ島の北側は斜度がきついということでしょうか。
タキーレ島に上陸です。ここでは埠頭の突き当たりにある小さな小屋で、入島税8ソ−レスが徴収されました。やって来た方面を振り返ると、カパチカ半島とアマンタニー島がきれいに並んで見えます。
私たちの船長はここで、別の埠頭に船を廻すからフェルナンドに付いて行って上の広場で待っていて、と言って船に戻って行きました。
道は一本道。私たちはフェルナンドに従って、段々畑の間を行く道を登っていきます。この道は船から見たときは良くわからなかったのですが、比較的勾配が緩く、石で舗装されたきちんと整備された道です。
フェルナンドは船長の息子で14歳の中学生。この時は冬休みらしく、船長のアシスタントをしているようです。
ちょっと登って行くと、石のアーチが出てきました。
チチカカ湖の標高は3,800m。穏やかな上りとは言え、やっぱり上り坂はきついです。
フェルナンドはスタスタ登っていきますが、私たちはすぐにハーハーしてしまい、ゆっくりゆっくり登っていくのが精一杯。
この道からは、先ほどまでいたアマンタニー島が良く見えます。
その下をボートが行くので、あれが私たちが乗っていたものかと思いフェルナンドに聞いてみると、私たちのは反対側に向かうので違うそうです。
どんどこと登っていくと、民家がポツポツと現れ始めました。
この民家は結構な斜度のところに立っていて、眺めはよさそうですが、生活するのはいろいろと大変そうです。
そんな民家の近くに、羊が飼われていました。
アマンタニー島もそうでしたが、この島の主な家畜はアルパカではなく羊のようです。
えっこらよっこらと上り詰めていくと、二番目のゲートが現れました。
こうしたゲートは大抵集落の入口にあるので、ここから別の集落になるのかもしれません。
このゲートの上には帽子を被った男の像が載せられています。これまで見てきたゲートにはこうした具象的な像はなかったと思うので、これはタキーレ島独自のものでしょうか。
このゲートの中に、ちょうどアマンタニー島がすっぽり収まって見えています。
このゲートで上りはおしまいになるかと思いましたが、その先にも坂道は続いていました。しかしここから勾配は緩やかになります。
チチカカ湖から急な斜面を上ってくるようにして段々畑が続いていて、その上を一羽の大きな鳥が舞っています。振り向けばその段々畑の向こうにアマンタニー島が見えます。(TOP写真)
道端に物売りが出てきました。
ここタキーレ島は『タキーレとその織物技術』の名でユネスコの無形文化遺産に登録されているのですが、道端で売られているのは小さな人形とミサンガです。ミサンガは僅か1ソル。
今は休みだからか、物売りの中には小学生になるかならないかぐらいの女の子もいます。30°C近い強烈な炎天下で、彼女たちは1ソルのミサンガを売るために延々と客を待ち続けています。
しかし、彼女たちは決して向こうからは声を掛けてきません。これはとてもいいことです。押し売りに会い、それだけでそこの印象が極端に悪くなるということは実際良くあることですから。
道端にはこれといったものはないのですが、ここには黄色い花が咲いていました。
道は段々畑の中を通っているので、当然ながらそれは上にも続いています。
見上げればこんなで、もの凄い角度です。
段々畑の中の民家が増えてきました。集落の中心に近づいたのでしょう。
突然建物が密集してきて、先にゲートが現れました。あそこが島の中央広場のようです。
標高3,915m。ここまでかなり大変な上りに感じたのですが、埠頭からたった100mしか上っていない・・・
ゲートをくぐるとそこはかなり広いスクエアで、教会を始めとし、石造の建物が周囲を取り囲んでいます。この広場の片隅にある標識によると、ここから東京までの距離は16,335kmのようです。
時は10時過ぎ。しかしすでに気温は30°Cととても暑いためか、この広場にあまり人はいません。
それでもこんなふうに仕事の手を休めておしゃべりに夢中になっている女性たちや、
黙々と糸を紡いでいる女性がいます。この方のように女の人は皆、四隅にボンボリが付いた黒い布を被っています。タキーレ島の人々は服装で既婚か未婚かわかるそうです。女性は、黒いスカートは既婚、カラフルなのは未婚。男性はみんな毛糸の帽子を被っているのですが、この帽子の先端が白いのは未婚者だそうです。
そう言えばこのタキーレ島では、糸を紡ぎ織るのは女性の仕事で、編むのは男性の仕事とのこと。なんと男は8歳から編み物をするそうです。残念ながらこの時は編み物をする男性は見かけませんでした。
船長との待ち合わせ時間まではまだかなりあるので、近くをぶらぶらしてみることに。
地図を見ると、このあたりには遺跡があるようなので行ってみることにしました。
カパチカ半島やアマンタニー島の家はほとんどがアドベ(日干しレンガ)で出来ていますが、ここタキーレ島では石造の建物も結構あります。
当然ながら石の方が運搬も加工も大変なわけですが、ここでは石が豊富に産出するのでしょうか。
その石はこんなふうに筋が入ったものが多いです。
地図の遺跡の場所はかなりアバウトなものなので通りがかりの人に聞いてみると、ちょっと方向が違うようです。戻ってやり直し。
木の枝を曲げただけの簡単なアーチがある道に入ると、
玄関の上にカントゥータの花飾りがあったり、
こんな雑貨屋があったり。
この雑貨屋から少女が飛び出して来たと思ったら、それは先ほど道端でミサンガを売っていた子でした。
少女のお母さんらしい方に遺跡の場所を聞くと、そこの角を曲がってまっすぐと言います。
ところがその道は民家の庭先でおしまいに。結局この遺跡は諦めて、広場に戻ることにしました。
この写真は広場からほど近いところですが、もう農村の風景です。ここは広場の周囲の一皮だけが都市を構成しているのです。
広場に戻ると船長が、ここで昼食にしてくださいと言います。まだ11時ですが、タキーレ島からプーノまでは3時間近く掛かるので、ここで頂いておいた方が無難です。
船長は広場の角にあるレストランに案内してくれました。私たちの船に乗っていた旅行者はみんなここにやってきたので、彼らはプーノからの一泊ツアーの帰りなのかもしれません。
このレストランからはチチカカ湖が見渡せ、最高のロケーションです。
メニューは二つ。鱒(trucha)かオムレツなので、ここはやはりチチカカ湖産の鱒でしょう。
キヌアのスープのあと、鱒のグリルが出てきました。鱒の味付けは極めてシンプルなもので、写真上に見えるタマネギなどの野菜を刻んだサラダをまぶして食べると、ちょっとしたアクセントになっておいしく頂けました。
タキーレ島の人口は僅か2,000人ほどで、ここにはコミュニティ意識や家族意識が強い純粋なケチュア族と言われる、タキレーニョ(Taquileño)と呼ばれる人々が住んでいます。そしてほとんどの方が今でもケチュア語を話しています。基本的には自給自足で、今でも物々交換が行われるそうです。
彼らは今でもインカの道徳規範である『盗むな、嘘をつかない、怠けない』に基づいて社会を運営しているといい、共同生活と集団意思決定という強力なコミュニティ構造の中で生活を営んでいるそうです。そんなわけで、島にあるレストランはみんな同じメニュー、同一価格となっています。この価格は少し高く感じますが、島の発展のために小額を寄付したと思えばいいでしょう。
一時間ほどチチカカ湖を眺めながら食事を楽しんだら、島の西側の埠頭に下ります。
しばらく行くとここにも人の像が載っているゲートがあります。この近くの道脇のフェンスには、帽子を被った男性の像が載っていました。こうした像はだれか特定の人物なのではないかと想像するのですが、どうなのかはっきりしませんでした。
このゲートの先には茅葺きの家がありました。今回の旅で始めて見る茅葺きの建物です。
このあたりの家はみんなトタン葺きなので、その下がどうなっているのかわからなかったのですが、元はこんなふうに茅葺きだったのかもしれません。
この先は斜度がきつくなり、ついに階段になりました。
脇の段々畑や家も凄いことになっています。
どこまでも青いチチカカ湖。
下に埠頭が見えて来たようです。
するとまたゲート。
もう一つ!
このゲートはなかなか芸術的だと思いませんか。
ゲートが芸術的なら、そこから埠頭に下りる道もこれまた芸術的。
ほとんど転がり落ちそうです。
なんとか転がり落ちずに埠頭に到着しました。
さて、ここからは一路プーノに向かいます。
プーノまでは2時間半の航湖です。
西に舳先を向けたボートはやがてチュクイト半島(Península de Chucuito)の沖を行くようになります。
半島とチチカカ湖の間に細い茶褐色の帯が見え出しました。あれは人工の浮き島であるウロス島(Islas de Uros)などの材料として使われるトトラ(Totora)という植物です。
私たちはしばらくボートの船室にいたのですが、屋根の上に上れると教えてもらったので登ってみました。
そこには地元のおじさんが一人いるだけです。風を切って進むボートの上はとても気持ちいいです。
やがてボートはトトラの間に人工的に作られたと思える水路を行くようになりました。
この水路、どこまでもま〜っすぐ。
そのうち水路の中に妙なものが見えてきました。大きな鳥の形をしているようです。
この時屋根に上って来たフランス人が、あれはウロス島だと教えてくれました。よく見れば大きな鳥は展望塔に取付けられた飾りで、その周りにトトラのアーチや、やはりトトラで造られた家が見えます。
これがプーノの沖のウロス島です。このウロス島の人々はプーノに住み、島には商売をしに『通勤』しています。
相変わらずボートはトトラの群落の中を進んでいます。
この群落、どこまでもどこまでも果てしなく続いているように見えます。実際、これはこの写真の彼方にうっすらと写っているカパチカ半島(Península de Capachica)のすぐ近くまで続いているのです。
ボートがようやくトトラの中を抜け出ると、先に都市が見えてきました。プーノに着いたのです。
それにしてもプーノはもの凄く建物が密集しています。ここ数日、田舎を巡っていたので、その差にちょっとびっくりしてしまいました。
私たちのボートがプーノの埠頭に着くと、そこにもまた驚くべき光景が広がっていました。
ボートの山です。私たちは埠頭に辿り着くまでに二隻のボートを渡らなければなりませんでした。
時は15時。タキーレ島を出発してちょうど二時間半です。
この時分にはここから出航する船はほとんどなく、みんなどこかからやって来る船ばかりですが、それもそう多くはありません。
埠頭周辺は土産物屋や食堂などがびっしりなのですが、すでに店じまいしているところも多く、半分以上のシャッターが下りています。
しかしここはやはり大都会なので、現地の人々もあちこちからやってきているようで、華やかな民族衣装を着て記念の写真を撮っている方なども大勢います。そんな中にこんな艶やかな衣装の人たちがいました。お祭りでもあったのでしょうか。
さて、さっと埠頭の周りを眺めたら、プーノの中心部の宿に向かいます。ここからプーノの中心部までは2kmほどなので歩いても良いのですが、私たちはまだモトタクシーに乗っていません。そこで、適当なモトが見つかったら乗ることにして、宿方面へ向かいます。
埠頭を出たすぐのところに待ち構えていたモトに値段を聞くと8ソーレスと言います。街中はタクシーでも5ソーレスなのでこれは高過ぎ。さらに歩いていくと、ちょうど客を降ろしたクイ型のモトタクシーがいたので話しかけると、ぴったし予定価格の3ソーレス。
私たちを乗せたモトタクシーはウィーンと唸り声を上げ、街中に向かい出しました。このうなり声、たまらなく楽しいです。
クルトゥーラ公園(Parque de la Cultura)をかすめ、モトはモケグア通り(Moquegua)から私たちの宿があるアレキパ通り(Jirón Arequipa)に入りました。
無事にアレキパ通りの宿に着いた私たちは、暑いお湯が豊富に出るシャワーに感動。昨日は水だったのでね。(笑)
想定よりだいぶ早くプーノに着いたので、アルマス広場(Plaza de Armas)に出かけてみました。しかしそのアルマス広場はこの時、大工事中でした。しかしカテドラルは見ることができました。
18世紀中旬に建てられたこのカテドラルはバロック様式で、かなり立派なものです。
グレーの石に覆われた内部は広く、比較的シンプルな造りです。大理石の祭壇も全体とよく調和しているように見えます。
カテドラルを覗いたら、そのすぐ横のプーノ一番の繁華街であるリマ通り(Lima)で両替をすべく、両替商を当たります。ここは大都市なのでレートが悪いかと思いましたがそうでもなく、逆に良いくらいでした。
無事に両替も済んだので、いったん宿に戻って夕食までちょっと休憩です。
しかし、ここで事件発生!
部屋に戻ってメールをチェックしていたサリーナが、『大変〜〜!』 と、叫び声を上げます。またなんじゃらホイ!
我らが Prue Hop から連絡があり、明日のプーノからクスコへ向かうバスは運行中止とのこと。
え〜〜〜〜〜っ!
数日前アレキパでストライキがあり、私たちのバスが運行中止になった話は以前しましたが、そのストライキが今もって収まらず、現在もアレキパから先にバスが進められないのだそうです。ここを出発するバスはアレキパからやって来るのです。それで、各自で足を確保してほしいとのこと。この足代についてはキャッシュバックするとあります。
まあ、時間があったのだから代行バスを手配するとか出来たのでは、という思いもなくはないですが、そんなことは言っていられません。早急に明日の足を確保せねば。
プーノからクスコまでのバス移動は最短でも7時間近く掛かります。通常の時間帯だと一日潰れてしまうので、ここをただ移動するだけではもったいないなと思っていたのですが、この路線には観光バスがあるのを思い出しました。インカ・エクスプレス(Inka Express)。もちろんこれは観光なしのバスより値段は大分高いのですが、それだけの価値があると思います。早々に空きをチェックすると、ラッキーなことに二席空いています。
しかしどうしたわけか、インターネットではその席がクリックできません。仕方がないので、インカ・エクスプレスのオフィスに出向くことにしました。幸いなことにそこは宿からそう遠くありませんでした。オフィスもまだ開いています。中に入ると、やさしそうなお嬢さんが丁寧に案内してくれ、無事に二席を確保できました。よかったぁ〜〜
この騒動でかなりアセアセしましたが、かなり短時間で処理できて、とりあえずホッ!
さて夕食です。本当は地元の方が行く普通のレストランにしたかったのですが、さすがにもう遠出する気力はなく、宿の近くで評判がよさそうなところに飛び込みました。ここはほぼ観光客しかいませんでしたが、雰囲気のいい内装に、おしゃれなフレンチのような料理。
海老の揚げ春巻きと、定番のロモ・サルタード(Lomo Saltado)を。揚げ春巻きは見た目はアジアンですが、ソースがペルー。ロモ・サルタードは普通のものとはかなり異なり、牛肉は細切りではなくブロック。しかも野菜とは別に出て来てびっくり。これ、どちらもたいへんおいしかったです。
さて、今日のタキーレ島ですが、さっと通り抜けただけだったのでかなり消化不良です。やはりここは、少なくとも宿泊しないといけないところでしょう。しかし、島の雰囲気はとても素晴らしいです。ゆっくり二三泊して、静かな誰もいないような島の南部を巡ってみたいと思いました。
さてさて、先ほどの騒動でもうご存知の通り、明日はチチカカ湖を離れ、ここプーノからクスコへバスで移動します。本来なら単なる移動日となるはずでしたが、幸運?にも予定が変わったので、途中、いくつかの見どころに寄ります。
まず期待すべきは何といってもアルティプラーノ(Altiplano)と呼ばれる標高4,000m付近に広がる平原を突っ走ることでしょう。このどこまでも続く平原の外側にアンデス山脈が立ち上がります。アルティプラーノを行く道はラ・ラヤ峠(Abra La Raya)でピークを迎え、間近に迫るアンデスを眺めます。そしてこの旅初となる、インカの大遺跡に立ち寄ります。