今日はプーノからクスコへの移動日です。PERU HOP のバスは10時発でゆっくりのはずでしたが、運行中止のため新たに購入した INKA express のバスは6時50分発です。ああ、忙しい。でも宿の朝食は6時からで助かりました。
タクシーで乗りつけたバスターミナルは青いアクリル屋根に覆われた建物で、カフェや土産物屋が並ぶ中を進むと各バス会社のブースがあります。
INKA express のブースにたどり着くと、カウンターには昨日オフィスで手配してくれたお姉さんが笑顔で迎えてくれました。
『これがチケットです。バス乗り場に行く前にまずバスターミナルの税金を払ってね』と言われました。少し手前にある税金窓口に戻り、1人1.5ソレスの税金を払うとチケットに領収書を綴じ込んでくれます。
そして、ようやくバス乗り場へ。真っ赤な2号車が私たちの乗るバスです。
大きなリュックは車体の下に納めて、いざ乗車。
私たちの席は真ん中の少し前寄り。飲み物が置いてあるカウンターの前です。最後に残っていた席なので、ひょっとしたらスタッフ席だったのかな?
とにかく、『これでクスコに行けるね〜』と一安心。このあとイタリア人のグループが大挙して乗ってきて、バスは満席です。
7時にバスターミナルを出発。バスターミナルは港の南にあり、チチカカ湖に面しています。
その湖畔では、マーケットの準備かいろいろな物資が積まれたトラックやバイクが集まって荷解きを始めています。羊さんもいますね。
バスはプーノの町を北へ、丘を上っていきます。
プーノ郊外の丘は赤茶色の住宅で埋め尽くされており、その間からチチカカ湖が見えました。これでチチカカ湖ともお別れです。
チチカカ湖が見えなくなってしばらくすると、あたりは一面枯れ草に覆われた草原となりました。これぞ、ペルー南部からボリビアに広がるAltiplanoと呼ばれる平原の風景です。
今は乾季で不毛の地のように見えますが、これらは農地で雨季になると緑の大地に生まれ変わるのだそうです。
さて、我らのバス『インカ・エクスプレス』は、スペイン語と英語の2ヶ国語ガイド付き。
ガイドのエリサベートさんが、ペルーの気候風土やAltiplanoの暮らしなどについていろいろと説明してくれます。気候や地理的条件が多様性に富むペルー、『ペルーは何でも持っているんですよ』という言葉が印象的。
チチカカ湖に着いた日に通ったフリアカの町と空港を通り過ぎると、右手は大平原、左手は丘陵地が続きます。
大平原には蛇行する川が現れ、バスは川とともに北上していきます。
そして出発から2時間ほど経ったところで小さな町プカラに到着しました。
バスは町の中心のアルマス広場に入って停車。広場の前には立派なサンタ・イサベル教会が建っています。
今は午前9時。教会の周りでは、土産物屋が店を広げ始めています。
その教会の南に面した黄色とクリーム色の建物(写真左)が、Museo Lítico de Pukara です。
"Lítico" とは『石の』という意味で、ここにはプレインカのプカラ文明の重要な石像や石柱などが展示されています。エリサベートさんに導かれて、早速中へ。
プカラ文明は紀元前2世紀から紀元6世紀頃にチチカカ湖の北西部で栄え、ここプカラの町の南西にカラッサヤ・ピラミッド(Pirámide Kalassaya)という遺跡が残されています。
さて、展示物の中でも有名なものの一つはこれ、Hatun Ñakaj (Degollador)という『首切り人』の石像です。片手に武器、片手に人間の首を持ち、頭に被った帽子にはプーマの顔が3つ描かれています。
これは渦巻き模様の石柱ですね。川や水を意味したものでしょうか。
この地で生きていくためには水は非常に重要で、そのために多くの祈りが捧げられたのでしょう。
こちらの石柱の浮き彫りは魚でしょうか?
エリサベートさんの説明によれば、『4世紀頃に大干ばつが起こり、プカラの人々は多くの生贄を捧げ神に祈ったけれど雨は降らなかったため、ついに人々はこの地と神を捨てて移住しプカラ文明は終焉を遂げた』のだそうです。
これは鳥の乗っかった頭ですね。
ところで、石像の多くは偶像崇拝を厭うスペインのコンキスタドールたちによって頭部を壊され、全体が残っている石像は少ないとのこと。
こちらは、写真ではちょっと見にくいですが『チャカナの十字架』(Chakana Cruz) と呼ばれる文様です。『チャカナ』とは『橋』とか『階段』を意味し、スペイン人がやってくる前からアンデス文明の神殿でよく見られるものでした。
十字架の文様であることからキリスト教会でも受け入れられ、アンデスの教会でも描かれているそうです。
石像だけではなく、陶器もいろいろあります。
こちらの陶器にはプーマの顔が描かれています。こうした大型ネコ属のデザインはアンデス地方で古くから見られるそうです。
こちらの石板の中にも、プーマが描かれていますね。
小さいながら、結構見所の多い博物館でした。
そのプカラ文明の遺跡『カラッサヤ・ピラミッド』(Pirámide Kalassaya)は近くにあるのかな。博物館の警備の人に尋ねてみると『町の南西だけど、この通りの奥のコーヒーショップの屋上テラスに行くとよく見えるよ』と教えてくれました。
というわけで、コーヒーショップ(お土産屋さん)の階段を上って屋上テラスに出てみました。
すると、岩山の足元に段々畑のようなものが見えました。これが『カラッサヤ・ピラミッド』(Pirámide Kalassaya)です。
幅300m、奥行き150m、そして高さは30mあり、儀式の場であり墳墓もあるのだそうです。
そして、この屋上からはサンタ・イサベル教会もよく見えます。
この教会は、バロック・メスティーソ様式で1800年前後に建てられたもので、1972年にペルーの国の歴史的遺産に指定されています。
ところでこの辺りの建物の屋根には、こんなものが乗っかっているのをよく見かけます。これは先ほどの博物館の屋根の上のもの。
これは『トリート・デ・プカラ』(Torito de Pucará)といって、家の幸福の守り神のようなもの。沖縄のシーサーみたいですね。
お土産屋さんの屋台でも定番で売っています。いろいろな色はそれそれ意味があるそうな。
『トリート・デ・プカラ』、つまり "プカラの牛ちゃん" という名前がついていますが、実は始まりはプカラではなくその近くの Checa Pupuja というところだそうです。プカラという名前がついたのは、もっとも近い鉄道駅が『プカラ』で、主にその駅前で販売したからとのこと。
プカラをあとに、バスは北西へと向かいます。
大平原には時折牛や羊が現れます。写真は撮れませんでしたが、アルパカかリャマらしき一群も。
バスは少しずつ高度を上げているようです。
そして次第に山並みが迫り、その間から雪を冠った険しい頂きが顔を覗かせてきました。
ラ・ラヤ峠(Abra La Raya)に到着しました。ここは本日の最高標高地点、標高4,335m。目の前には険しい山々の壮大な景色が広がっています。プーノからクスコへの行程のちょうど中間点で、プーノとクスコの県境にあたります。ここでしばらくバスを降りて、素晴らしい景色を楽しみます。
雪を冠った頂きは、左がクンカ(Kunka 5,200m)、中央奥がチンボヤ(Chimboya 5,489m)。
来た方向の東を見ると、正面の山はクヌラナ(Cunurana 5,414m)でしょうか。
ところで、ずっと道路と並行して1本の線路が通っています。アレキパからプーノ、そしてクスコを2泊3日で結ぶPeruRailの豪華列車が運行しているのです。
峠の絶景を愛でる人たちを目当てに、お土産屋台もたくさん並んでいます。フカフカの帽子や、色とりどりの暖かそうなショール、手袋などなど。
そして、アルパカを連れた可愛い民族衣装のモデルさんも。思わず写真を撮りたくなりますね。
素晴らしい景色に『わしは満足じゃ〜』と笑顔のサイダー。
10分ほどの休憩でバスはラ・ラヤ峠を出発し、それから30分もしないところでまた停車しました。
ここはマランガニという小さな町で、ここで昼食です。
ビュッフェスタイルの食堂には、スープやサラダ、肉、魚、ポテト、パスタなどが並んでいます。そしてライブ演奏付き。
ツアーバスの御用達となっているようで、別のツアーグループも次々と入ってきます。
昼食を終え、再びバスで北西へと向かいます。これまでのプーノ県では乾燥した枯れ草の草原だったのが、峠を越えてクスコ県に入ると草木の緑が目に付き始めます。丘もかなり緑に覆われており、この急な景色の変化にはびっくり。
そして、この辺りから道路と並行して流れる川はウルバンバ川で、マチュピチュのあるウルバンバ渓谷を流れ、アマゾン川に注ぎ込んでいます。
しばらく進んだところで、バスは右折して細い道を入っていきました。どうやらラクチ(Raqchi)に着いたようです。
バスを降りて教会前の広場を進みます。
広場の角にラクチ遺跡の入口があります。ラクチはインカ帝国の遺跡。ついにインカ帝国に初遭遇となりました。
中に入ってみると、すぐに大きな土の壁がど〜んと建っているところに出ます。
この壁は、インカの最も重要な神ビラコチャを祀る神殿の中央を支えたもので、建物は間口26m、奥行き100mの長方形に屋根のかかったものだったといいます。
エリサベートさんが絵本で説明してくれるので、とてもわかりやすい。
ビラコチャ神殿に近づいてみると、高さ14mの土の壁はかなりの迫力です。この土壁は、土に卵白や動物・人間の毛などを混ぜて強度を高めているのだそうです。
壁の両側には丸い柱の土台となった石積みも残っています。
中央の壁も土台の部分は石積みで、その上にアドベ(日干しレンガ)が積まれています。
土台は色々と違うサイズの石が見事に組み合わさっています。あとでクスコで見ることになる12角の石などと同じように、すごい技術です。
ビラコチャ神殿の横には地位の高い人たちの居住区、そしてその奥には「コルカ」と呼ばれる倉庫群があります。
円筒形の壁に藁屋根の建物が、コルカを復元したもの。ここラクチはインカ帝国の宿場町であり、食料貯蔵庫のコルカは156もあり、戦争の際の非常食を貯蔵する意味があったのだそうです。
居住区に入ってみましょう。中央に細い通路があり、その両側に建物が並んでいます。
壁の上に小さな屋根が乗っていますが、これは土壁を保護するために後から設置されたものです。
これが居住区の絵です。ほぼ東西に伸びる通路の両側に家が並び、その間の屋外スペースで機織りなどいろいろな作業が行われた様子が描かれています。
ここラクチは、インカ帝国がアルティプラーノに勢力を拡大する際の重要な都市であり、戦いも繰り広げられたようで、遺跡を囲む丘の尾根沿いには城壁が巡らされています。
居住区を出ると、そこは畑になっていました。畑に座って作業する人も見られます。
最初は、遺跡の中の生活再現展示?と思ったのですが。。
よく見ると観光客以外に、普通に荷物を抱えて通行したり牛を放牧したりしている現地の人たちがいます。
ここが遺跡として博物館になったりする前から、ずっとこうして生活してきた方たちなのでしょうね。
ビラコチャ神殿のそばでのんびり佇む牛たちと牛飼いさん。
遺跡を出て、小さな広場に戻ってきました。中央にある小さな教会に入ってみます。
石とアドベでできた教会の内部は白い壁と天井で、奥の祭壇も白く、簡素ですが温かい雰囲気があります。
壁にはクスコ派の絵画が飾られていました。『最後の晩餐』もありましたが、どうやら真ん中のお皿に乗っているのは『クイ』らしい。
バスはさらに北西へと進みます。
ウルバンバ川の両側に迫る丘には階段状の畑がつくられ、緑の木々に囲まれています。
そんな時、丘の上で煙が上がっているのが見えました。よく見れば、広い範囲で草が燃えています。
チチカカ湖で見たように、これも草の生育を良くするために人為的に燃やしているのでしょうか。範囲がかなり広いけど大丈夫かな。
ラクチを出て1時間少々経った頃、バスが左折し、細い路地を進み始めました。
そして500mほど進んだところに広場と教会がありました。本日の最後の立ち寄りスポット、アンダウアイリリャス(Andahuaylillas)の教会です。広場に大きく枝を広げているのは、赤い花をつけた不思議な木。気根のようなものがワサワサとぶら下がっています。
こちらがアンダウアイリリャスの教会です。正式名称は "San Pedro Apóstol de Andahuaylillas"。
結婚式でしょうか、着飾った人たちが教会前の石段に集っていました。
16世紀の終わり頃から建設されたアンダウアイリリャスの教会は、『アメリカのシスティナ礼拝堂』と呼ばれているそうです。それは、内部の壁や天井が絵で埋め尽くされ、祭壇は金で装飾され、システィナ礼拝堂のように豪華絢爛だということでしょう。
残念ながら内部は撮影禁止です。WORLD MONUMENTS FUND の San Pedro Apóstol de Andahuaylillas Church でご覧ください。
天井はムデハール様式の美しい模様が描かれ、壁には直接描かれた壁画と、その後飾られた額装の絵とがあります。絵画はクスコで発展したバロック・メスティーソ様式で、ヨーロッパ絵画のようでありながら、アンデス文化が所々で顔を出しています。
さて教会の見学を終えた後は、教会の隣にある小さな博物館に入りました。アンデスの文化を紹介する展示があります。
これは、いろんな種類のトウモロコシですね。日本では黄色い小粒のものがほとんどですが、ここでは大きさも色も、さまざまなものがあります。
こちらは神様へのお供え物。コカの葉が定番のようですが、他にも豆とかビスケットとかいろんなものが見られます。
そして、アンデス文明では頭の形が細長いのが高貴な印とされていたようで、身分の高い家の子どもは頭を縛りこんなに変形させていたとのこと。
アンダウアイリリャスは小さな町ですが、こんな豪華な教会があるとは驚きです。
観光客もほとんど帰った夕方の教会は、丘を背景にとても静かに佇んでいました。
これで本日のバス観光は終了。あとは一路、40kmほど先のクスコを目指します。
クスコに近づいてくると、丘の上にも建物が密集してきました。
そして、道路の渋滞が始まります。帰宅ラッシュの時間帯でしょうか。
予定より30分ほど遅れましたが、18時少し前にバスターミナルに到着。ガイドのエリサベートさんが呼んでくれたタクシーに乗ってホテルに向かいます。
私たちのホテルは、クスコの中心『アルマス広場』のすぐ近くにあります。
広場で降ろしてもらい、広場を横切ってホテルに到着。『今日も見所いっぱいだったね〜』と言いつつ、シャワーを浴びて少し休憩です。
20時頃部屋を出て、フロントで近くのお勧めのお店を2軒ほど教えてもらいました。けれど、それらを覗いてみると、どちらもダンスショーがあってビュッフェ形式など観光客向けのものでした。ちょっと違うよな〜とウロウロしたあと、事前に調べておいた店の一つに入ることにしました。
ところでこの辺りを歩いていると、やたらに『マッサージ、マッサージ』と声をかけられます。クスコで流行っているのかしら?
夕食に入ったお店は『LIMO』、日系ペルー料理レストランです。
というわけで、入るとまず寿司カウンターがあり、イキのいいお兄さんが愛想を振りまいてくれます。
ここはアルマス広場を見下ろす2階にあり、ロケーションも素敵です。
メニューには刺身や寿司、天ぷらなど和食も並んでいますが、『日系ペルー料理』的なものを、と選んだのはサーモンのタルタル(サーモンマリネと、アボカド、キュウリ、アヒなどをポン酢で和えたもの)、アロス・コン・マリスコス・ニッケイ(お米を味噌やアヒ、スモークしたタコ・イカ・エビなどと炊いたもの)。おお、どちらも美味〜
今日は急遽観光バスでの移動となりましたが、いろいろな見所を見られてかえって面白かったと思います。さて明日は日曜日。ピサックの遺跡と日曜市が待っています。