クスコの宿は、町の中心アルマス広場に繋がる路地を20mほど入ったとても便利な場所にあります。
1階は中庭に屋根がかかった雰囲気の良いつくりで、朝食はここでいただきます。今日はピサックにバスで行くことにしたので、朝はゆっくりスタート。
フロントでピサック行きのミニバス(コレクティーボ)乗り場の場所を聞くと、プピット(Pupit)という通りにあるとのこと。というわけで、白い壁に赤い屋根の町並みの中をバス乗り場目指して歩きます。
実はサイダー、ピサックやその先のウルバンバまでレンタサイクルで行く計画も立てていたのですが、朝早く慌ただしいし、ピサックまでならミニバスの便もたくさんあるということで、のんびりしたいサリーナがミニバスを選択。
プピット通りに着くと、早速『ピサックまでかい? 5ソルで行くよ』とミニバスの運転手から声がかかります。
そんな中で、お客さんが乗っていてすぐにも出そうなミニバスに乗ることにしました。
乗客は15人くらい。みんな地元の方みたいです。
9時ちょうどにミニバスは出発。
ミニバスはクスコの北の丘をうねうねと上り、ケンコー(Q'enqo)やプカ・プカラ(Puka Pukara)、タンボマチャイ(Tambomachay)といったクスコ近郊のインカの遺跡の横を通過していきます。これらの遺跡は、あとで時間があれば立ち寄るつもりです。
山道を走っているといよいよ聖なる谷が見え、谷の間から白い頂きが顔を覗かせています。カルカ(Calca)の北にあるサウアシライ(Sahuasiray 5,818m)です。
そして、今度は左手が崖になり、視界が広がって谷の下に町が見えてきました。ピサックです。
ミニバスは谷へ向かってヘアピンカーブでガーッと高度を下げていきます。
ミニバスはピサックの町の中心には入らず、ウルバンバ川を隔てた橋の袂に停まりました。
ここで降りるのは私たちだけ。とりあえず町の方へと進みます。
ウルバンバ川にかかる橋を渡ります。
この川は、昨日のバスでアンダウアイリリャスまで一緒でした。その辺りよりもかなり谷は深くなっています。
橋を渡り終えるとタクシーやモトタクシーが数台停まっていますが、クスコよりかなりのんびりした雰囲気。
そして、北に向かう路地の奥には急斜面の丘に段々畑が見えて、『あれがピサックの遺跡だ!』と、かなり盛り上がります。
しかし、あれを人力で上るのは相当大変で、町から全て徒歩で巡るルートだと5時間コースになってしまいます。
というわけで、私たちは遺跡の上の入り口までタクシーで上り、歩いて降りてくるコースを選択(上りは勾配がきついので、モトタクシーでは行けないとのこと)。
タクシーは『30ソル』だという。『20ソルにして』と値切っていたら、運転手さんは他に乗客を見つけて相乗りとなり、無事交渉成立。
下の町から遺跡の上の入り口までは、標高差が500m近くあります。
つづら折れの道をどんどん上って行くと、入り口の手前にチケット売り場があります。私たちは、10日間有効でクスコ周辺の遺跡や博物館など16箇所を回れるインテグラルというチケットを購入。
タクシーは遺跡の入り口に到着。入り口の前には帽子やショール、お土産品などの屋台が並んでいます。
その先に、鳥居のような入り口がありますが、特に切符を切る人がいるわけでもなく、案内図をくれるわけでもなく、ちょっと面食らいますがそのまま通過。
すると、その先にはすでに遺跡のような石積みの壁が見え、左手にはタクシーで上ってきた道と集落や畑の景色が眼下に広がります。
いきなり凄いです!
ピサック遺跡はインカの時代、聖なる谷の南側の入り口を守る要塞でしたが、同時に農耕や宗教の場としても重要な場所だったそうです。
ところでピサックという名前は、ケチュア語のピサカ(P'isaqa シャコの仲間のキジ目の鳥)から来ているそうで、ピサックがシャコの形をしているという人もいるそうな。
石の壁を回り込むと目の前に、地形に沿った壮大なアンデネス(Andenes 段々畑)が広がっていました。(TOP写真も)
この険しい山腹に、ものすごい労力をかけて築かれた景観には、ただ息を飲むばかりです。
40段も続くアンデネスは、まさに天空の段々畑! そして、今もここで農耕が行われているといいます。
ふと見ると、アンデネスの脇に咲くカントゥータの赤い花に、ハチドリが蜜を吸いにやってきていました。
入り口から私たちが回り込んできた石積みの壁の向こうには居住区跡(Qantus Raqay)があり、アンデネスを見渡す絶好の場所となっています。
遠景では大きさがなかなか掴めませんが、段々畑といっても一段一段は相当大きなものです。
この辺りの一段の段差は4〜5mほどもあります。段差を支える石壁には、石をはめ込んだ階段が設けられています。
石壁は、さまざまな大きさの石でつくられていました。
段々畑はこの大きなものだけではありません。先ほどの壮大なアンデネスの反対側の小さな谷に向かっても、小規模なアンデネスがつくられています。
そして、ここから正面に見える丘の上にあるのが、カリャ・カサ(K'alla Q'asa)と呼ばれる建物群です。
カリャ・カサに入ってみましょう。
と簡単に言いますが、ここは標高3,400mを超えており、上りはすぐに息切れしてしまいます。石の壁の間の階段をゆっくりゆっくり上ります。
建物の中はこんな感じ。
建物に使われている石は、それほどきれいに加工されているわけではないことから、これらは宗教的な場所ではなく居住用、そして見晴らしのいいところは軍事的な目的で使われたと考えられています。
小山を上り終えたと思ったら、目の前にまた階段が。ちょうど東屋とベンチがあったので、ヘナヘナとしばし休憩です。
ちょっと休んだ後、横にミラドール(Mirador 展望所)と書いてあったので行ってみました。
すると、目の前には先ほど通った遺跡の入り口と広いアンデネス、そしてその向こうにはタクシーで上ってきた山道と途中の集落の絶景が広がっていました。
これを見ると、段々畑が山の地形そのままに築かれていることがわかりますね。ちなみにこのミラドールは標高3,525m。
2つ目の小山を越えたら、その先は一気に下りとなりました。下りは下りでかなりの急勾配なので、下りるのも結構大変です。
そして、こちらでは遺跡の入り口付近で下の方に見えた段々畑の全貌がよく見えます。
その段々畑の最上部には建物の遺跡群が見えます。
この場所はピサカ(P'isaqa)と言って、やはり居住区があったところのようです。
下り始めて間もなく、目の前には黒い溶岩のような岩肌が行く手を阻んでいます。と思いきや、細いトンネルがありました。
『うわ〜、途中で挟まっちゃうよ〜』と叫びながら、何とかすり抜けるサイダーです。もちろんサリーナも楽々?通過。
トンネルを抜けると、石積みの塔が並ぶ場所に出てきました。リャクタ・カワリナ(Llaqta Qawarina)です。
これは何だったのか、見張り塔か防御のための要塞でしょうか?
さらにどんどん下りていきます。
結構きつい勾配の丘を下りているわけですが、こんなところにも段々畑?
段々畑を回り込むと、南の眼下には美しく方形につくられた遺跡群が見えてきました。
ピサック遺跡の中でも重要な太陽神を祀る神殿のあるインティワタナ(Intihuatana)です。
インティワタナに下る途中に、ティアナヨック(Tianayoc)という建物跡があります。
これは管理者用の建物と言われており、中庭スペースにイスのような形の石が置かれています。
そして、ついにインティワタナに到着しました。ここは全体が宗教的な施設で、赤っぽい石が整然と美しく積まれており、これまで見た建物より重要度が高いことはすぐにわかります。
インティワタナとは『太陽と繋がる』という意味だそうで、右奥の丸く囲まれた石の部分が日時計の役割を果たしたインティワタナです。
壁の間の通路を歩いてみましょう。石積みの壁に囲まれた中、石が何かの形に彫られています。どういう意味や機能を持ったものなのでしょうか。
壁の石積みは、モルタルなどは使わず寸分の狂いもなく同じ高さに並行して積み上げられ、その技術の高さを物語っています。
インティワタナへの階段と門です。この周りは石積みの土台が巡らされています。
ここは、これらの建物群だけでもとても見応えがあるのですが、さらにもう一つ。
インティワタナから南へ小さな水路がつくられ、実際に水が流れているのです。宗教的な儀式にも使われ、それから農業用水としても活用されたのでしょう。
『インティワタナはすごかったね〜』と言いつつ、山道をさらに下っていきます。
周囲はサボテンや、細い葉の草に覆われています。
乾燥した地域では、葉っぱがトゲトゲになった植物が多くみられます。
トゲが痛そうですが、よく見ると黄色い小さな花が咲いていました。
インティワタナから少し降りたところにピサカの建物群があります。
丘の地形に沿って扇形につくられている居住区です。
そして、居住区の北東方向の斜面には、大きな段々畑が谷の下まで続いています。
一段はこの高さ。そこに、インカの石の階段が4段つくられています。これを下りるのは結構怖い!
北東の谷まで続く段々畑は壮観。左手には上の入り口から続く段々畑が見えます。
絶景を背に、サイダーがジャンプ!
再びピサカの居住区に戻り、さらに南へと山道を下りていくと、ピサックの町を望む絶壁の上に出てきました。ウルバンバ川が流れ、そして赤い建物の並ぶ町の中央の白く四角いところはテントに覆われた広場です。
端っこは絶壁で目が眩みますが、こんなところにも段々畑をつくる人たちってすごい。。景色を見ながらちょっと休憩です。
ここからもさらに、標高差250mほど下らなければいけません。その道は、北側の小さな谷に向かってジグザグと続いています。
そんな小さな谷の両側にも段々畑がつくられています。う〜ん、すごい。。谷を下り、橋を渡って対岸をさらに下っていきます。
下って下って、ようやくピサックの町の屋根が大きく見えてきました。やっと町に到着です。
こちらが徒歩で上る場合のピサック遺跡の入り口。ここから歩いて上ってきた人たちも見かけましたが、私たちには到底不可能でした。
素晴らしく見応えのあるピサック遺跡でしたが、タクシーで上まで行って下りてきただけでも3時間以上かかり、日差しが強く途中に上りもあって、もうヘロヘロ。
何はともあれ、お昼ご飯です。日曜市の白いテントに覆われたコンスティトゥシオン広場(Plaza Constitución)の南の路地にあるレストランに入りました。
ぷはあ、ビールがうまい! そしてメニューから選んだのはサラダとアルパカの炒め物(Alpaca Saltado)。アルパカ肉は柔らかくて特にクセはなく、隠し味に醤油の入ったサルタードで美味しくいただきました。
お腹がいっぱいになって満足したら、広場の日曜市の散策開始です。
ピサックでは工芸品のマーケットが毎日開かれているそうですが、特に日曜日は近隣の村々から野菜や果物を売りに来るそうで、カラフルな果物が並ぶ市場は華やかです。
民族衣装の女性たちが果物を物色中。果物も、背負っている背負子布もカラフルですね。
果物は、パイナップルやバナナ、りんご、洋ナシ、ぶどうなど、馴染みのものもあれば、初めて見るものもあります。
左下はサボテンの実ですが、真ん中の黄色い果物は何でしょうか。
聞いてみたら『グラナディージャ(Granadilla)』だといいます。1つ買ってみました。『割って、種も一緒に食べると消化を促すのよ』と教えてくれました。
これは2日後に食べることになりますが、ちょっとビックリでした。その話はまた後日。
ここでは、いろいろなサイズ・種類のトウモロコシやキヌアを売っています。
ペルーのトウモロコシには、とても大きいサイズのものもありますね。
そして八百屋さん。ピーマンやブロッコリー、レタスなどの手前にわんさかと置かれているのはパクチーです。
珍しいお店を発見。染料を売るお店です。鮮やかな色、ちょっとくすんだ渋い色など、色とりどりです。
観光客用に、いろいろな染料の小瓶のセットもありました。
これまで広場の外周を歩いてきましたが、中央の白い布に覆われたエリアには手工芸品が溢れんばかりに並んでいます。
カラフルなショールやセーター、バッグなどに目を奪われます。
その中で楽器屋さんを見つけました。
ケーナ(縦笛)、サンポーニャ(パンフルート)、チャランゴ(弦楽器)などが並んでいます。
ピサックの市場歩きを楽しんだら、そろそろクスコ方面へと帰りましょう。
橋を渡ってミニバス乗り場にやってくると、観光客や地元の人たちが10人くらい待っていました。そこへミニバスがやってくるのですが、すでに満員でなかなか乗れません。
数台目のミニバスで『立ち乗りなら4人乗れるよ〜』と言うので、私たちともう1組の観光客が乗り込みました。カーブの多い道のりは横揺れが激しい。
通路で立ったり座ったりしながら、30分後にミニバスはタンボマチャイ(Tambomachay)の遺跡に到着しました。ここで降りるのは私たちだけです。
道路沿いの遺跡の入り口から、アルパカを連れた民族衣装の女性やお土産やさんが並ぶ中を進んでいきます。
入り口から500mほど進んだところに、石積みの壁から水が流れ出る場所に出ました。
ケチュア語でタンボは宿泊施設、マチャイは休息所を意味するそうで、ここはインカの王族の沐浴場だったと言われています。
4段の石壁のうち下2段はプレ・インカ時代のもので、インカ時代に上2段を追加し整備したそうで、石積みの精度の違いがよくわかります。この流れの水源は今でも解明されていないそうです。
この沐浴場の向かいの斜面には見張り台が設けられ、そこに登って遺跡の入り口方向を眺めると、視線の先にプカ・プカラの遺跡が見えました。(写真左の丘)
この見張り台では、プカ・プカラの見張り要員と旗信号でやりとりしながら沐浴する王を護衛したのだといいます。
では次にプカ・プカラへ。タンボマチャイ遺跡の入り口から500mほどですが、道路を歩いている間も丘の上の遺跡がずっと見えています。
プカ・プカラはケチュア語で『赤い要塞』という意味だそうですが、インカ時代に何と呼ばれていたかはわかっていません。インカの首都クスコへの関所、そして首都防衛のための軍事要塞だったそうです。
プカ・プカラ遺跡は、赤みを帯びた石灰岩で外壁や見張り台が築かれています。
ここは、9代目のインカ王チャパクテックの時代につくられたといいます。
石積みをよく見ると、いろいろな形の石が組み合わされているのがわかります。
ただし、他のインカの遺跡に比べるとつくりが荒く、何らかの急な必要に迫られて急遽つくられたのではないかとも言われています。
周囲の山並みと重なり合って、いい風景です。
夕暮れ時には壁の色が変化して美しいとのことですが、日没まではまだ1時間くらいあるのでそろそろクスコに戻ることにしました。
遺跡の前でミニバスを待っていると、地元の一般車が停まり、5人ほど乗っていてかなりキツそうですが詰めて乗せようとしてくれます。どう見ても2人は乗れそうにないので行ってもらいましたが、この辺りではタクシーやバスでなくても当たり前のように停まって乗せてくれるみたいです。
そして、次に来たのはミニバスではなく路線バス。これに乗ってしばらく行くと、家族連れがどんどん乗車して超満員になりました。私たちはクスコの町の北部サン・ブラス地区にある PERU HOP のオフィスに行きたかったので、どこで降りようかとあたふたしていると、乗客の女性が親切に最寄りの停留所を教えてくれました。
というわけで、路線バスを降りて PERU HOP のオフィスにたどり着き、無事プーノからクスコへのバス運賃を返金してもらうことができました。
ホテルに戻るともう18時半です。明日からのマヌ国立公園へのツアーの事前打ち合わせが19時半。慌ててシャワーを浴びた後、ホテルのロビーでツアーリーダーのルイスと打ち合わせです。
無事打ち合わせを終えて夕食に出かけます。ホテルで紹介してくれたレストランの料理は、とてもリーズナブルで美味しい。白ワインを頼むと『何のお祝いなんですか?』と聞かれました。ペルーでは日常的にはあまりワインを飲まないのかな。
今日は、ピサックの遺跡と日曜市を十分に楽しんだ素晴らしい1日でした。明日はアンデスを東へ下り、自転車も使いながらいきなりジャングルへ。どんな風景が広がっているのか楽しみです。