爽やかな、ちょっと肌寒いくらいの朝です。この宿ペルー・ケチュアズ・ロッジはパタカンチャ川(Patakancha)のほとりにあって、水の流れとその土手に繋がれたヤギさんたちを見ているのも楽しい。
朝日がオリャンタイタンボを取り囲む険しい山々の岩肌を照らしていきます。
今日は、レンタサイクルで近郊を回るという案もありましたが、ここオリャンタイタンボにもかなり見応えのあるインカの遺跡があるということで、徒歩で遺跡を巡ることにしました。
この町は13世紀から人々が住み続けており、15世紀半ばにインカ王パチャクティに征服され、整備拡張が進められました。そして16世紀、スペイン人の侵攻の際にはここにマンコ・インカによる暫定的な首都が置かれたのです。
格子状に通る狭い石畳の道がインカ時代そのままに残り、往時の雰囲気を今に伝えています。そこを、学校へと急ぐ子どもたちがリュックを背負って歩いていきます。
この町にはインカの貴族や神官の住まいがつくられたそうで、南北方向に4本、東西方向に7本の道がグリッド状に配置されています。
大きな石が積まれた塀に挟まれた東西方向の道は本当に狭く、人がすれ違うのがやっとです。
そして、道に囲まれた各ブロックには石塀がめぐらされ、その内部には2つの中庭を囲む住居が並んでいます。
大きな石が積み重ねられた格式高い門。1本の石でできた鴨居は、ここが重要な人の住まいであることを示していたのだそうです。
そんな道路を子どもたちと一緒に曲がっていくと、
オリャンタイタンボのメインストリートに出ます。ここを右に行けば遺跡の入口、左に行けば町の中央広場につながっています。
ここまで道路脇を流れてきた水は、この道の中央に設けられた溜まりに勢いよく注ぎ込み、ここからは地下を流れていきます。
私たちは右へ曲がり、遺跡の入口方面へ。もう目の前に遺跡の段々畑が見えています。
道の両側にはレストランや店舗が立ち並び、川を渡ったその先にはインカ時代の広場があり、その先が遺跡の入口です。
途中の道端には、丸いパンのサンドイッチを売る屋台が出ていました。仕事に行く途中に朝食を食べる地元の人たちで賑わっています。
さて、巨大遺跡の入口に着きました。入口を入ると、山の急な斜面にど〜んと広がる段々畑のアンデネス。これはプマタリス(Pumatallis)のインカテラスと呼ばれています。
そして、その上の写真左手側が神殿のあるエリアです。
インカテラスの脇の階段を上っていくと、左手の丘の頂上に太陽神殿のエリアが姿を現してきます。
その手前の段々はプレインカのものらしい。
この辺りの標高は2,800〜2,900mくらい。階段を上るとやっぱり息が切れます。急な階段をゆっくりゆっくり上っていきます。
眼下には、入口の前の広場や水の神殿エリア、そしてその先に町並みが見えます。
神殿エリアまで上ってきました。
このあたりの壁面に使われている石は、インカテラスの石とは違って大きく、美しく加工されています。
ここでもインカの石工による見事な石積みが見られます。
そして、さまざまな形に美しく加工された石の壁。
この神殿は建設途中のものだそうで、エリア内には使われないままの石材がごろごろと放置されています。
その先の石壁には、10個の壁龕が並んでいます。
石材を美しく加工して穿たれた壁龕。
この神殿エリアで最も重要な建物が、太陽の神殿(Templo del Sol)です。
神殿はほとんど破壊されて壁の部分を残すのみですが、巨大な赤い6枚の長方形の壁にただ圧倒されます。
この石壁の大きさと加工の美しさ。
そして、はるか後ろに聳える白い頂きの山は、ウルバンバ山脈のネバード・ボナンタ(Nevado Bonanta 5,300m)です。
神殿エリアの北側にはミリタリーゾーンがあり、建物跡が残っています。
ウルバンバ川の流れる谷の見晴らしも良く、コンキスタドーレスとの戦いの際に要塞として使われたものでしょう。
石を積み、泥で固められた建物は、明らかに神殿の建物とはつくりが違います。
ここの壁にも壁龕が並んでいます。
さて、インカの遺跡はここから少し丘を上ったところにもあります。
山道を上らなければならず、やや躊躇するところもありましたが、今日は時間があるので行ってみることにしました。
やっぱり上りはキツい。南側に広がるウルバンバ川沿いの景色を見ながら、ヘロヘロと上っていきます。
丘の斜面につくられた山道を上る観光客はわずかです。遺跡の管理担当者なのか、地元の方が『ゆっくり上りなさいね』と声をかけてくれました。
そんな山道は枯れ草やサボテンだらけですが、そこに真っ赤なバラのようなサボテンの花が咲いているのを見つけました。癒される〜
『お〜い、サイダー。もう着いたよ。いい景色だよ〜』と先行するサリーナが声をかけます。今日は結構元気です。
サイダーも到着。
太陽の神殿より100mほど標高は高く、ウルバンバ川沿いの聖なる谷が一望に見渡せます。そして背後には白いネバード・ボナンタ。
その時、突然汽笛が聞こえました。見下ろすと、川沿いの線路をペルーレイルの列車が通るのが見えました。
私たちも明日はあの列車に乗って、マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスに行く予定です。
そして、東側にはオリャンタイタンボの町並みが広がります。
写真の正面は聖なる谷で、ウルバンバ川がピサックやウルバンバを通ってここまで流れてきているのです。
こちらは北東へと続く谷の景観。谷は、私たちの泊まるホテルの脇を流れるパタカンチャ川沿いの上流へと続いていきます。
丘の上にある遺跡はインカ・ワタナ(Inka Watana)といいます。
この眺望の良さからして、軍事的な見張り場所として使われたのでしょうか。
ここの建物はあまり立派なつくりではありませんが、眺望は素晴らしく、何はともあれ来た甲斐があったというものです。
しばらく休憩して周囲に広がる壮大な景色を楽しみました。
太陽の神殿からの上りは30分以上かかってしまいましたが、下りは半分くらいの時間でさっさと下れます。
そして、最初に上ってきた段々畑(インカテラス)まで戻ってきました。インカテラスの下正面にはインカ時代の広場があり、今はテントに覆われたお土産などのマーケットになっています。広場の奥には、インカの神殿があった場所に建てられたカトリック教会が見えます。
今度はインカテラスの上を通って丘を北東へと進みます。
その途中、神殿エリアを見渡せるテラスのような場所(バルコン・パタ Balcón Pata)があったので、記念撮影。丘の上に10個の壁龕の壁や太陽の神殿の壁などが見えます。
丘を回り込んでいくと、別のインカテラスの上に出ました。
この下に見えるのは、水の神殿があるエリアです。
さらにインカテラスの上を先へと進んでいくと、
細い山道が丘の斜面に延びており、コルカス(Qolqas)はこの先、という道しるべがあります。
そのコルカスに到着しました。コルカとは倉庫の意味で、これらの建物は倉庫として使われたものです。
そのうちの1棟は復元されて、屋根がかかっています。
復元された建物は中にも入れます。
斜面を利用して、上の窓から穀物を入れたのでしょう。
コルカを出て少し戻り、インカテラスを下ります。
この北東側のインカテラスはまだあまり修復されておらず、やや荒れた階段を下っていきます。
これが、この遺跡のほぼ全景です。左手に水の神殿があり、丘の上に太陽の神殿があります。そして、これから向かうのは右のインカ・ミサナ(Inka Misana)というエリア。
この辺り一帯は、水の神を祀る場だったということです。水の流れる音が聞こえています。
近づいてみると、石段の間から水が小さな滝のように流れ出ています。
ここは水の神殿があったところで、この泉は水の儀式の場だったそうです。
その先にも建物の跡やインカテラスがあり、横の水路には清らかな水が勢いよく流れています。
建物入口や壁の壁龕など、インカの建物の特徴が見られますが、何に使われたものでしょうか。
少し南へ戻ったところには、水の神殿を復元した建物がありました。
その手前の岩から流れ落ちる水は、やはり儀式に使われたものです。
水の神殿の建物入口は南西側にあります。左右対照の建物に入っていくと、
建物の中央には岩から水が流れ落ちていました。
こうした幾つもの泉で、水の神を祀る儀式が行われていたといいます。
オリャンタイタンボの主要な遺跡の見学を終えて、町の中央広場(Plaza de Armas)にやってきました。
この広場は、元はインカ時代の町の入口だったところに植民地時代につくられたもので、四周をお店やレストランに囲まれ観光客で賑わっています。
遺跡を歩き回ったので、中央広場の角のカフェでちょっと一休み。
頼んだのはカクテルです。『キューバ・リブレ』はラムのコーラ割りですが、『ペルー・リブレ』というのがありました。ペルー特産のピスコ(ぶどうの蒸留酒)のコーラ割りです。ちなみにコーラはインカコーラではなく、コカコーラでした。
カクテルをゆっくり楽しんだあと広場の近くを歩いていると、市場を見つけました。サン・ペドロ市場といいます。
市場の前の道端では、大きな袋に入ったジャガイモがごろごろ。
こちらの屋台では、丸いものを焼いて売っています。団子じゃありませんよ。茹でたジャガイモです。鶏肉の串焼きもあります。
市場を見ると入らずにはいられないサイダーとサリーナ。建物の中へと足を踏み入れます。
早速、色あざやかな野菜たちに目を奪われます。つやつやした唐辛子の類のアヒやロコト、トマト、ニンジンなどが並ぶ。
こちらの芋はユカ。キャッサバですね。
ジャガイモ、唐辛子やトマト、そしてこのユカも南米が原産地なんだそうです。
市場を出ようと思ったら、ジュース屋さんに『これ、飲んでみないかい?』と声をかけられたサイダー。
紫色のジュースは、トウモロコシのチチャ・モラーダです。『うん、美味しい!』
さて、ここからもう1箇所の遺跡、ピンクイリュナ(Pinkuylluna)の丘に入ります。先ほどの巨大遺跡から町を隔てて向かい側にある丘で、『ピンクイリュナ』の名前は、ケーナのようなアンデスの楽器『ピンクイリョ』(pinkuyllo)からきているそうです。
ピンクイリュナには倉庫群などの遺跡があり、そこからの眺望が素晴らしいといいます。ということで、門をくぐると早速きつい階段上りが始まります。
しかし、階段を少し上っただけで、この素晴らしい景観が見渡せるようになりました。
絶景は続くものの、厳しい上りも続く。
『キツい〜、ゼイゼイ』、と息も絶え絶えのサイダー。景色はどんどん広がっていきます。
何とか南側の建物跡群に到着しました。
荒く積まれた石と土の壁が残っていますが、これらの建物は何だったんでしょうか。丘の南端の見晴らしの良い場所にあるところからすると、要塞とか見張り所だったのかな。
高い壁も残っています。一回りして景色を見たら、北にある倉庫群を目指します。
しかし、道しるべもない山道をヨロヨロと歩いていると分かれ道を見落としてしまい、また同じところに戻ってしまいました。このキツいアップダウンでまたまた体力を消耗。
行きたいのは、この先に見えるギザギザ頭の倉庫群です。
目を凝らしてみれば、丘の中腹にそこを目指す人の姿があり、何とかルートを確認できました。
近づいてみると、斜面に3列の建物が並んでいます。これらは穀物などの倉庫だったと言われています。
丘の上に倉庫群をつくったのは、そこが地上に比べて風通しがよく気温が低いため、保存により適していたからだとのこと。
各倉庫の間には通路があり、この通路を使って倉庫の上側の窓から穀物が投入され、下側の窓から取り出したのです。
丘の上の斜面地に建物がこんな形状でつくられたのには、ちゃんと機能的な理由があったのですね。
丘を上るのは結構大変でしたが、なかなか興味深い遺跡でした。
そして、先ほどの南端とはまた違った角度からの景観。オリャンタイタンボの遺跡と町の素晴らしい景色が眼下に広がっています。
丘を下りると、もう昼の2時に近くなっていました。美味しそうなレストランはないかな〜、と昼食の場所を探します。
そんな通りで赤い袋をつけた棒を発見。チチャ・デ・ホラ(トウモロコシのお酒)があるという印ですね。今は食事処を探しているので、ここはスルーします。
メインストリートでウロウロしていたら、とあるレストランから出てきた観光客の方が『ここは美味しくてお勧めだよ』と声をかけてくれたので、そのレストランへ。
いつものように2人で2皿をシェアしようと思っていたら、本日の定食(Menu del dia)があるのを発見。何と1人前17ソルで、スープ、サラダ、メイン(肉か魚)に付け合わせ(ポテトとご飯)がついています。ということで、定食を注文。ボリュームたっぷりで美味しくいただきました。
昼食を終え、宿に戻って休憩です。『今日はよく歩いたね〜』などと言いつつ、シャワーを浴びてリラックス。
という間に夜になりました。さっき昼食を食べたので、まだあまりお腹が空かないなあ、と言いつつ再び町の中心へと歩きます。
じゃあ軽く食べようということで、午前中に休憩した中央広場にあるレストランで、麺入り鶏スープ(Dieta de Pollo)とロコト・レジェーノ(Rocoto Relleno)を注文。
麺入り鶏スープはとてもやさしい味。ロコト・レジェーノは、丸っこい唐辛子のロコトにひき肉やポテトなどを詰めて焼いたもの。ちょっと辛かったけど、なかなか美味しいです。
今日は徒歩でゆっくり散策、と思ったら意外にキツい丘上りとなりましたが、オリャンタイタンボの遺跡や眺望を楽しむことができました。さて明日は、いよいよ列車に乗ってマチュピチュの麓、アグアスカリエンテスへと向かいます。