今日は、マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスへ列車で移動します。私たちの列車は8時29分発なので、出発準備を済ませて7時にロッジの1階で朝食です。
ところで、アグアス・カリエンテスは近年『マチュピチュ村』と呼んでいるようですが、マチュピチュ遺跡と混乱しないように、ここでは『アグアス・カリエンテス』と記します。なお、駅名は『マチュピチュ駅』。
朝食はパンと卵、チーズのほか、『フルーツサラダ』といってこんなオシャレなものも。
フルーツたっぷりのヨーグルトかけ。おいしいです!
食事を終えたら宿をあとに、オリャンタイタンボ駅まで歩いて向かいます。
まずは石畳の通りを村の中心に向かいます。ロバを連れたおじさんとすれ違う。
村の中心からは川沿いの舗装路をまっすぐ進みます。
この道は、その名も『フェロカリル通り』。つまり鉄道通りです(Ferrocarril:鉄道)。
道路の周囲には畑が広がっています。朝日を浴びる山々を背景に、畑に植えられているのはトウモロコシですね。
フェロカリル通りをまっすぐ歩いて駅に近づくと、お土産屋さんが並び、人通りも増えて賑やかです。
駅の方向からは、大きな荷物を抱えた人たちがどんどんやってきます。キャンプしながらインカ道を歩こうという観光客のポーターたちなのでしょう。
私たちが乗るのはペルーレイルという会社の列車です。こちらの改札でチケットとパスポートを確認します。
ペルーレイルのマチュピチュ行き観光列車は、豪華食事とダンスやライブ音楽付き、飲み物付きなどいろいろありますが、私たちは一番安い何もついていないやつ。
改札で教えてもらった方向に行ってみると、すでに青いピカピカの列車が停まっています。急げ急げ!
乗降口で係の人にチケットを見せると、『ああ、このチケットはこれではなく次の列車ですよ』と言われ、ほっと一息。
ペルーレイルでは、アレキパ、プーノ、クスコ、マチュピチュをつなぐ観光列車を運行しています。そのマークはこれ。マチュピチュとリャマ、コンドル、そしてインカの石積みですね。
次の列車が来るまで、待合所のベンチで一休み。早くこないかな〜
ほどなく列車がやってきました。乗車前に列車の先頭で記念撮影。
先頭の機関車は青い車体に黄色のフレームがオシャレ。
そして、乗車にあたっては入口の係員に列車と車両を確認してもらいます。
『はい、この車両ですから乗ってください』と係のお姉さん。
そして、いよいよ乗車です。ペルーに来て初の列車の旅が始まります。ワクワク。
乗車してみると、ほとんどの席はすでに埋まっていました。2時間近く前に始発のクスコから乗ってきた人たちです。クスコは朝早い出発ですから、皆さんお休みモードですね。
車両には、天井にも窓がついています。どんな景色が見られるのかな。
列車はオリャンタイタンボ駅をほぼ定刻に出発。
出発して間もなく、前方に雪を冠って聳える山が姿を現しました。ウルバンバ山脈のネバード・ベロニカ(Nevado Verónica 5,682m)です。
ウルバンバ川の流れる聖なる谷は、このあたりから角度を増して狭く深い谷となります。その谷底から5,000m級の山々を見上げるのです。天井の窓には白い頂が次々と現れます。
天窓から見えているのは、ネバード・ベロニカの西側にあるネバード・ボナンタ(Nevado Bonanta 5,300m)。
列車がチルカ(Chillca)の集落に近づいたあたりで少し視界が広がり、ウルバンバ山脈の連なりが見えてきました。絶景〜
左手側では、ずっとウルバンバ川が横を流れています。
時に激しい流れとなり、崖地を削りだしています。
そんな川沿いに、赤いウエアの人々が集まっていました。インカトレイルを歩くトレッキングの人たちのキャンプでしょう。
オリャンタイタンボを出て30分ほどです。この人々のキャンプ地のすぐ先がKM82駅でした。KM○○はクスコからの鉄道距離を示しています。クスコから82km地点ということです。
この駅のすぐ先に、インカトレイルの起点となるピスカクーチョ(Piscacucho)の吊り橋が見えました。インカトレイルを歩く人たちは、ここから厳しい峠を越え谷を抜け、4日かけてマチュピチュを目指します。
私たちの列車はアグアス・カリエンテス(マチュピチュ駅)まで停まらないので、ここは通過していきます。
ほどなく左手の高台に遺跡が現れました。ウルバンバ川に注ぐクシチャカ川(Cusichaka)沿いにあるパタリャクタ(Patallacta)遺跡です。
ここには、近くの要塞の兵士の住まいなど多くの建物があったそうですが、マンコ・インカ・ユパンキがコンキスタドールの侵攻を受けてジャングルへと撤退していく際に、追撃を阻むため焼き払われたといいます。
パタリャクタ遺跡のすぐ先に、また小さな吊り橋がありました。
そして、その先には河岸に階段状の農地のアンデネスが見られます。
このアンデネス、やっぱりインカ時代から続いているものなのでしょうね。石をはめ込んだインカの階段が見えます。
オリャンタイタンボを出て1時間近くが経過しています。
終点のアグアス・カリエンテスまでは、あと30分くらい。乗客の間でも、少しずつマチュピチュに向けての期待が膨らんできたようです。
いつの間にか、車窓の景色がクスコやオリャンタイタンボのあたりとは随分違ってきています。
赤や黄色の花が咲く木々が生い茂り、
ウルバンバ川沿いは深い緑に覆われています。
オリャンタイタンボから1時間ほどのうちに、あたりはジャングルの様相になってきました。
谷はますます深く、列車はトンネルを通りながら進んでいきます。
そして、KM104のあたりで左手の丘の上にチャチャバンバ(Chachabamba)遺跡が現れました。これは1940年に見つかったもので、インカの宗教施設であり、マチュピチュへの関所の役割も担ったのではないかと言われています。
谷がぐるっと蛇行するところに、水力発電所がありました。
ここを過ぎて北上すれば、もうマチュピチュ駅は間近です。
ウルバンバ川は、四方を緑に覆われた険しい山々に囲まれています。
いよいよ、あのマチュピチュにやってきたことを実感せずにはいられません。盛り上がる〜
そして、終点のマチュピチュ駅に到着しました。
オリャンタイタンボからは1時間半ほどと短い列車の旅でしたが、ゆっくりと景色の変化を楽しむことができました。
外に下り立つと、あたりにはハイビスカスが咲き乱れ南国ムードです。それほど暑いわけではありませんが日差しは強く、これまでより湿気がありそう。
駅を出て町中へと向かいます。
駅前は広い工芸品市場となっていて、カラフルな布のバッグなどのお店がひしめき合っています。
そんな市場を通り抜けると、アグアス・カリエンテス川に面した広場に出ました。
その川の対岸には、多くの人たちが並んでいます。何でしょうか?
橋を渡って聞いてみると、マチュピチュ行きのバスに並んでいるというのです。列車を下りて、すぐにマチュピチュ遺跡に向かう人たちも多いのでしょう。
私たちは、今日はこのアグアス・カリエンテスでゆっくり過ごし、明日の朝早くマチュピチュ遺跡に行く予定です。
今日の宿は、レストランやお店が並ぶパチャクテク通り(Avenida Pahcacuteq)にあるB&Bです。
ここが私たちの泊まる『ペルーマンタB&B』です。まだ午前中ですが『部屋に入れますよ』と言われ、部屋に荷物を置きます。
そして支度を整えて外に出てきました。支度って何かというと、水着を下に着込んでいるのです。
この宿から北に行くと、このアグアス・カリエンテスの村一番の観光スポット『温泉』(Baños Termales)があるのです。アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)という名前自体が『熱い水』という意味で、温泉を示しています。
このあたりの店では、温泉に行く人向けに水着も売っています。日本と違って水着着用の温泉施設ですね。
お店が途切れた先に、温泉の入口がありました。外国人は1人20ソル、ペルー人は10ソル、地元の人は5ソルです。
ところで、この村の発展に貢献したのが、日本からペルーへ移民した野内与吉という方だそうです。鉄道工事に携わり、アグアス・カリエンテスで初のホテルを建て、その後村の最高責任者である行政官も務めたそうで、温泉を発見したのもこの方だと言われています。
入口からは、緑に囲まれた川沿いの遊歩道をしばらく上ります。遊歩道の横にはこんな大きなレリーフも。
ジャングルの中の小道を上っていくと、
温泉施設に到着。遊歩道の下に屋外プールのような浴槽が6つほど並んでいます。子どもたちが歓声をあげていて楽しそう。
私たちも早速入りましょう!
まずは奥の建物へ。手前にはカラフルなカフェがあり、奥に入るとトイレ、着替え室があります。ここで水着の準備。
荷物を預かってもらうこともできますが、私たちは特に預けるものはないので、小さなリュックを抱えて温泉へと進みます。
屋外の温泉は、『うわ〜、日焼けしそう』とサリーナ。
緑のジャングルと険しい山に囲まれた温泉、なかなかユニークです。
プールの脇の棚にリュックを置いたら、まずはシャワーを浴びます。
『ひゃ〜、つ、つめたい〜』とサイダー。
各プールの横には、そのお湯の温度が書かれています。34〜37度とぬるめです。まず37度の湯に入ってみました。
床には砂が敷かれ、お湯は黄土色に少し濁っています。壁には『毒素を抜く、メタボ対策、消化促進、お肌の若返り』とか何とか、温泉の効能が書かれています。『いい湯だな〜』としばらくここでまったり。
日差しがきついので、次に半分日影になっている34度のプールに移動。
『もうちょっとあったかい方がいいかな。。』とサイダー。
少しずつお客さんが増えてきました。地元の方も、観光客も混じっています。ここで飲み物を頼むこともできます。ちょっとのんびりする日の過ごし方にはぴったりですね。
やっぱりここがいいね、と再び37度の湯へ。『うん、これが気持ちいいねえ』とサリーナ。
もちろん日本の温泉に慣れている身からするとちょっと物足りなさはありますが、ペルーのマチュピチュの麓で入る温泉、貴重な体験でした。
温泉からあがって着替え、温泉を見下ろすカフェでちょっと一休み。
このカフェ、いろいろなものが置いてあり、アンデスの楽器などもあって楽しい。
すると、飲み物を持ってきてくれたおじさんが『あの正面の山の頂上付近は、聖人の横顔と言われているんだよ』と教えてくれました。正面右の山、上の方からおでこと鼻とあご、わかりますか?
温泉を眺めてゆっくり過ごした後、緑の山に囲まれた温泉をあとにしました。
さて、宿に戻ってシャワーを浴びた後、再び外へ。まずは明日のマチュピチュ遺跡へのバスチケットを買っておかなくてはなりません。
宿の前のパチャクテク通りを、今度はどんどん下っていきます。
通りのつきあたりはマンコ・カパック広場(Plaza Manco Cápac)です。
中央にインカ皇帝パチャクテクの像が立ち、教会やホテルなどが広場を囲んでいます。
バス乗り場はアグアス・カリエンテス川沿いにあったはず、と広場を横切って左に曲がると、鉄道線路にある道に出ました。私たちが乗ってきたペルーレイルの観光列車の駅はもっと南側にある終着駅ですが、この鉄道路線はさらに先の水力発電所駅(私たちがペルーレイルで通過した水力発電所とは違う場所)行きとなっています。
そして、鉄道に積んだり降ろしたりする荷物を手押し車で運ぶ人たち。この村は坂が多く、でも車は通れないので荷物を運ぶのは大変ですね。
こちらがアグアス・カリエンテスからさらに先へ行くペルーレイルの列車の駅です。
貨車から荷物がどんどん運ばれています。
線路の道を南へ進み、川の手前を左に入ったところがマチュピチュ遺跡行きのバス乗り場です。
通り沿いには、今も多くの人たちが並んでいます。
チケット売り場は、その先の路地を左へ入ったところにありました。
明日のバス2人分の往路チケットを無事購入。復路は元気と時間があれば歩いて帰るかもしれないので、様子見です。
これで、明日のマチュピチュ遺跡めぐりの準備はすべて整いました。というわけで、これから遅めの昼食です。向かったのは、南のマチュピチュ駅の横のウルバンバ川沿いにある地ビールレストランです。
早速、豊富な地ビールメニューの中からキヌアのビールを選択。ちょっと酸味があり、個性的でおいしい。
このレストラン、2階はウルバンバ川を望むとてもいいロケーションです。そして、ウエイターのお兄さんたちも明るく愛想よくていい感じ。
『日本から来たんですか。スペイン語が上手ですね』と褒められて楽しげなサリーナ。日本語の勉強もしてみたいというお兄さんと盛り上がっておしゃべり。ビールの次はピスコサワーで乾杯!
そして、頼んだのはアボカドとチキンのサラダ、アロス・コン・マリスコス(魚介の炊き込みご飯)。
どちらも、とても美味しかったです。
さて、もう夕方に近く。これからどうしましょうか。ここアグアス・カリエンテス村はマチュピチュ観光の拠点ですが、村の観光スポットといえば午前中に訪れた温泉施設くらい。他に、マチュピチュ遺跡への上り口にある博物館(Museo de Manuel Chávez Ballon)は、ハイラム・ビンガムによるマチュピチュ遺跡発見時の写真や、クスコの考古学の父と呼ばれたマヌエル・チャベス・バリョンによる発掘の出土品など見応えがあるといいます
マチュピチュ遺跡方面の道路脇のお店で聞いてみると、ここからは徒歩30分くらいかかり、もう閉館時間になっているといいます。じゃあ仕方ないねと言っていると、その道の前方からトレッキングスタイルの人々がやってきて、『着いた〜』とハイタッチしています。マチュピチュ遺跡から徒歩で下りてきた人たちなのでしょう。
私たちは、明日のマチュピチュ行きに思いを馳せながら、今日はゆっくり過ごすことにしました。というわけで、マンコ・カパック広場へ戻ります。
広場の中央にはインカ皇帝パチャクテクの像があります。パチャクテクは1438〜1471年の在位期間中、それまでのクスコ王国からインカ帝国へと勢力を拡大した皇帝です。
パチャクテク像の前で気勢を上げるサイダー。『行くぜ、マチュピチュ!』 ついに明日はこの旅の最大のイベント、マチュピチュ遺跡を訪れます。