ついにマチュピチュの日がやってきました。このあまりに有名な世界遺産のインカの遺跡を一目見ようと、世界中から多くの人たちが訪れています。
そんな中、私たちも今日の遺跡への入場と、さらに朝7時からマチュピチュの後ろに聳えるワイナピチュへ上るチケットも予約しました。ワイナピチュへの入場は、朝7時から200人、10時から200人の1日400人に制限されています。
というわけで朝4時過ぎ起床、5時にB&Bを出て、まだ暗いうちにバス乗り場にやってきました。もう随分な人たちが行列をつくっています。こんな時間でも周囲にはサンドイッチなどを売る店が開いており、昼食用のサンドイッチを購入。
バスは5時から動き始め、私たちも5時半のバスに乗ることができました。暗い中、村を出たバスは、ウルバンバ川を越えて上りに入ります。
この超有名な『マチュピチュ』は、15世紀半ばにインカ皇帝パチャクテクによって建てられたと考えられています。その後、スペイン人の侵略によりインカ帝国が滅亡に向かうと、マチュピチュから人々は去り、何世紀もの間放置され忘れ去られてしまったといいます。
そして1911年、アメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが地元の農民の案内でこのマチュピチュ遺跡を発見しました。彼は、マチュピチュをインカ帝国最後の都『ビルカバンバ』(Vilcabamba)だと考えましたが、今日では、ビルカバンバはもっとジャングルの奥地のエスピリトゥ・パンパ( Espíritu Pampa)の遺跡だとされています。
バスは、約400mの標高差の13ものカーブのあるつづら折れの道『ハイラム・ビンガム・ロード』を上っていきます。少しずつ空が明るくなると、周囲を囲む急峻な山々の頂上の並ぶ姿が見えてきました。こんなところにマチュピチュという都市があったのです。
マチュピチュがなぜ、何のために建てられたのか、確かなことはわかっていません。王の別荘だったという説もあれば、アマゾンとアンデス高地を結ぶ交易の地だったという人もいます。何にせよ、その石造りの見事さから見ると、とても重要な祭礼の場だったことは間違いありません。
バスは30分ほどでマチュピチュ遺跡の入口に到着しました。ここでチケットとパスポートのチェックを受けて入場します。
ところで、遺跡の中に入るとお店もトイレもありません。この入口手前に有料トイレ(2ソーレス)とカフェがありますが、遺跡全体は広くいったん入ると戻ってくるのはなかなか大変なので、計画的に見学しなくてはいけません。
入口を入って少し回り込むと、いきなり目の前に遺跡群、そして背後のワイナピチュが姿を現しました。
『うわあ〜、いきなり凄い!』と度肝を抜かれたサイダー。
見えているのは、丘から張り出した東側の居住区とその下の段々畑アンデネスです。
そして、後ろを大きく覆う山はワイナピチュ。ケチュア語でマチュピチュは『老いた峰』、ワイナピチュは『若い峰』を意味するのだそうです。
通常のマチュピチュ見学ルートは、南側の段々畑の脇を上って見張り小屋に行きますが、私たちは7時からワイナピチュに上るので、北の端にあるワイナピチュの入口を目指します。
そんなわけで人のほとんどいない段々畑をまっすぐ進み、太陽の神殿のある上の街区に出てきました。
さらに北へと進むと、大きな芝生の広場に出ました。広場は静寂に包まれ、空気は澄みわたっています。
あたりはようやく明るくなってきましたが、まだ月の姿も見えるこの広場で私たちを迎えてくれたのはリャマの群れ。
大広場のいろいろな場所で、リャマたちが朝ごはん中です。その後ろには東の居住区、そしてワイナピチュ。
ところでこのリャマたち、もともといたのではなくコマーシャル撮影用に連れてこられて増えたのだそう。
そして、東の居住区の背後には、ウルバンバ川の狭い谷間から聳え立つ険しい山々が幾重にもマチュピチュを取り囲んでいます。
広場の北端に着くと、今度ははるか西側にちょうど朝日を受けた白い山並みが見えてきました。
30kmほど西にあるビルカバンバ山脈の山々です。
左の峰はラスナヨク(Lasunayoc 5,960m)、右はプマシーリョ(Pumasillo 5,991m)。
そんな周囲の景色に見とれているうちに、ワイナピチュへの入口近くまでやってきました。
この藁葺き屋根の復元された建物は、儀式の前やワイナピチュに登る前の準備室として使われていたと言われています。
そして、その奥にあるのは『聖なる石』。インカの人たちは山々を神として信仰していたそうで、マチュピチュには山を模した石がいくつか残されています。
この『聖なる石』は、後ろのヤナンティン山を模したもの。
ワイナピチュ入口に集まった10数人の人たちと一緒に待っていると、係の人がやってきて、ちょうど7時に入口が開きました。
登山名簿に名前などを記入して、順に登山道へと入ります。ようやく朝日が山の間から差し込んできました。
さあ出発。マチュピチュ遺跡とは約300mの標高差のある頂上を目指します。最初は下りでちょっともったいない気分になりますが、すぐに上りが始まりました。
とにかく、ひたすら階段を上ります。私たちは朝日を浴びながら、休み休み上っていきます。
この登山道はインカ道を修復したものだそうで、かなりの勾配です。まあ、この後現れる階段に比べれば、このあたりはそれほどキツいものではなかったと言えますが。。
見上げれば、ワイナピチュの山頂が前方に聳えています。
岩や木々の陰に隠れて、下からは頂上へのルートは見ることができません。
ゆっくり上って上ってふと振り返ると、背後にマチュピチュの遺跡が見えるようになりました。
『うわ〜、きたきた〜!』と上ってきたことを実感しますが、先はまだまだ続きます。
勾配はさらにキツくなってきました。傍らの手すりを掴まなければ、とてもじゃないけど上れません。
よっこらよっこら上っていくサリーナの背後には、マチュピチュと、ワイナピチュの横にある小さい峰のウチュイピチュ(Huchuy Pichu)が見えます。
そしてついに山頂近くの段々畑までやってきました。こんな急斜面にまたなぜ段々畑?と思いましたが、山崩れ防止の意味があるそうです。貯蔵庫と言われる建物の跡もあります。
その段々畑の脇の階段は、これまでに増して急勾配で踏み面は狭く、四つん這いにならないと上れないほどです。見下ろすと、はるか下のウルバンバ川まで転げ落ちそう。こわ〜
そんな段々畑を上っていくと、ちょっと広めのテラスに出ました。そこから振り返ると、『おおお〜!!』
マチュピチュ山からワイナピチュに至る尾根に設けられたマチュピチュの遺跡が一望に。はるか先の白い頂は、方角からするとサルカンタイ(Salcantay 6,271m)でしょう。
ここから見ると、マチュピチュの遺跡がものすごい崖地の尾根沿いに建てられていることがよくわかります。
マチュピチュはコンドルの形をしていると言われていますが、さてどうでしょう。
そのテラスで一休みのあと、建物の壁の間をもう少し上ったら、ついに『ワイナピチュ 2,682m』と看板に書いてあるところに出ました。頂上に到着です。
休み休み上って1時間少々かかりましたが、ともかくアタック成功です。やった〜
しかし、その看板のあるところはマチュピチュの方を向いているわけではありません。みんな、もう少し先へと回り込んで進んでいきます。
それでは、と私たちも進みます。上りなので、さっきのところは頂上ではないのでは?
岩の間の細い通路を上ると、すぐにマチュピチュを望む岩場に出てきました。巨大な岩がごろごろ、その先にはマチュピチュ、ハイラム・ビンガム・ロード。
狭い岩の上に乗り移ると、後ろの岩に座っていた監視員さんがたくさん写真を撮ってくれました。その1枚。どうです?この絶景!
ワイナピチュからの絶景を満喫し、下りに入ります。ワイナピチュのさらに北に行くと『月の神殿』(Templo de la Luna)がありますが、ここまでの上りで結構疲れたし、マチュピチュの遺跡をちゃんと見ようということで、来た道を帰ることにしました。
段々畑の脇道を下っていくサイダー。
こんな小さな段々畑もあります。インカ階段も。これも山崩れ防止用なのでしょうか。
ともかくどんどん下っていきます。
道が少し東寄りに回り込んだところから眺めると、マチュピチュ遺跡へ上っていくハイラム・ビンガム・ロードがよく見えました。このつづら折れの道をバスで上ってきたのです。
そしてその手前、マチュピチュ遺跡のかなり下の崖地にも段々畑がつくられているのが見えます。凄いというか、ちょっとあきれてしまいます。
東を見れば、足元を回り込むウルバンバ川からにょっきりとプトゥクシ山(Phutuq K'usi 2,560m)が立っています。
さて、ワイナピチュ入口に近づいた私たちですが、せっかくだからと脇道に入り、ワイナピチュの横の小さい峰ウチュイピチュ(Huchuy Pichu 2,496m)にも上ってみることにしました。
この道もやっぱり険しい上りです。やっぱりやめときゃよかったかな。。
しかし、上から下りてきた男性が『最高の景色だよ!』と教えてくれたので、がんばって上ります。
ウチュイピチュから見えたのは、こんな絶景でした。
ワイナピチュより低くマチュピチュ遺跡に近いので、遺跡のすぐ上という感じでその姿がとてもよくわかります。
左手に見えるのは、広場の東側の居住区です。
そして、奥には石切り場、南の大きな段々畑、上の方には三角屋根の見張り小屋がよく見えます。
ウチュイピチュに行く人はほとんどいませんでしたが、マチュピチュ遺跡の全体像がはっきり見えて、とてもすばらしいところでした。
ワイナピチュの登山口を出て、ここからはマチュピチュ遺跡を巡ります。
未完成の神殿と呼ばれているところを過ぎると、技術者の居住区に入ります。入口がいくつもあるこの建物では、女性たちが織物や工芸品をつくっていたとされています。
この技術者の居住区には切妻の石壁が並んでいます。
大きめの建物は、職人が作業する工房であったり、学校のような場所だったとも言われています。
石積みの壁からは、丸い石が出っ張っています。木を組んで屋根をかけるためのものです。
これは、斜面を利用した2階建ての家。1階部分が住居用だったといいます。
目の前にはプトゥクシ山。
その先の整然とした石積みの壁に囲まれた建物の中に、2つの丸い水槽が彫られた石がありました。
これは天体観測をするためのものだそうで、水を張り、夜に月や星の軌道を観察したのだそうです。
少し南に下りたところに、石壁と合体したような大きな岩が見えました。『コンドルの神殿』です。
写真には映っていませんが、この手前の地面にある平たい石にはコンドルの頭のような形が彫られています。そして、大きな岩はコンドルが羽を広げた姿と言われています。
東の居住区とコンドルの神殿を過ぎた南側には、広大な段々畑が広がっています。
奥に見えるいくつかの小屋は貯蔵庫です。また段々畑の上にある建物は、見張り小屋だったのではないかと言われている建物です。
段々畑の横には水路がつくられています。
斜面に石を積んでつくられた段々畑。右は市街地で、角が丸い石壁は『太陽の神殿』の外壁です。
段々畑の中央に立って北を眺めると、市街地の先の丘が見え、その向こうにワイナピチュが聳えています。この小高い丘の上には、『インティワタナ』(日時計)があるはずです。
そして、段々畑の脇にある貯蔵庫です。
ジャガイモを乾燥させた保存食のチューニョやキヌア、乾燥リャマ肉などの食料や、農具、土器などが保管されたそうです。
貯蔵庫は屋根をかけて復元されています。内部はこんな感じ。
さて、時刻は11時。ここでいったん遺跡の外に出て、入口横のカフェでお昼の休憩にすることにしました。有料トイレも借りて一休み。
1時間ほど休憩したら、再び遺跡入口を通って中へ。貯蔵庫の横を上り、山道をさらに上ると見張り小屋の下に出ます。
ここからは、マチュピチュ遺跡の全景とワイナピチュを見渡すことができます。『マチュピチュ』と言えば、、という定番の写真スポットで、私たちももちろん記念撮影。
見張り小屋の後ろには、『葬儀の石』があります。この石は、ハイラム・ビンガムが1912年に調査した際にこの辺りを墓地と考えたことからそう呼ばれるようになったそうですが、今は山々の神に捧げ物をした儀式の石と考えられています。
3段の階段が彫られ、平らなところは捧げ物を置いたところでしょうか。
見張り小屋からさらに奥へと進み、主要な遺跡から少し離れたところにある『インカ橋』を目指します。
このあたりから遺跡を振り返ると、市街地の裏側にある石切場、その奥の主神殿、さらに先のインティワタナのある丘がパノラマとなって見えます。
インカ橋へ行く道の入口には小屋があり、入る人は名前と時間などを記入します。『またアップダウンがあるんでしょ』とサリーナが恐る恐る聞くと、係の人は『平らな道なので大丈夫。15分くらいで着きますよ』ということなので、ほっとしてスタート。
その道は崖の端伝いに設けられており、右手の石塀のはるか下にはウルバンバ川が流れているのが見えます。
そんな道をどんどん進んでいくと、石塀が低くなり、ちょっと下りになりました。右手側の崖がよく見えます。
ひょえ〜、と言いつつ慎重に下っていくと、
石塀は全くなくなり、左の手すりに掴まりながら何とか進んでいきます。
その先に門、そして崖沿いの道が続き、『インカ橋』が見えてきました。
門は閉ざされており、インカ橋まで行くことはできません。行っていいと言われても遠慮したいですが。。
狭い道を分断して木をかけたこの橋は、敵が攻めてくれば橋を外して通れなくしたということです。
インカ橋から見張り小屋まで戻ってきました。
青空が見えなくなり、見張り小屋の向こうの山々が少しずつ雲に覆われてきています。
さて、ここからは市街地、そして神聖なエリアへと入っていきます。
写真の左下が市街地の入口です。
市街地入口までやってきました。頭上には3トンもあるという大きな石がかけられています。
この門の裏側には石の出っ張りなどがあり、木の扉が取り付けられていたといいます。
この通路を進むと、右手にカリャンカと呼ばれる訪問者の休憩所があります。
カリャンカの下にある建物。『作業小屋』と呼ばれています。
近年、ここで建物の屋根を支えるための出っ張りとなる石が多数発見されたため、職人が石の加工をしていた作業小屋ではないかと考えられているそうです。
その下に見えたのが、カーブを描く壁に囲まれた『太陽の神殿』です。
東の窓は冬至、南の窓は夏至の日の光が差し込み、中の聖なる石を照らすのだそうです。
市街地から聖なるエリアへと進むと、その途中の左手には大きな岩がごろごろ。
ここは、マチュピチュの建物の建設に使われた石が切り出されたところです。
その北が聖なるエリア。
建物に囲まれた神聖な広場、主神殿、そしてピラミッドのような丘の上にインティワタナがあります。
こちらは主神殿です。このエリアの建物の中でも、ひときわ大きな石が使われています。右奥の壁が崩れそうですが、ハイラム・ビンガムが訪れた時にはすでにこのような状況だったとか。
主神殿の前の広場の一角は、地面を固める作業をしているところでした。
広場の東側には『3つの窓の神殿』があります。
3つの窓はインカの発祥を表すものと言われています。
主神殿の北にあるピラミッドを上れば、インティワタナ(日時計)があります。ところが、ここから見ると誰も上っている様子がありません。
おかしいなあ、と思いながら工事をしている人に入口を尋ねると、『今日の入場は終わり。明日は10時からですよ』と言われました。ええっ、ここだけ時間制限があるなんて聞いてない。。マチュピチュの見所の一つであるインティワタナを見損なってしまいました。
聖なるエリアから大きな広場、そして技術者の居住区とワイナピチュを眺めます。この広場では、様々なイベントや儀式が行われたといいます。
これで、マチュピチュ遺跡を概ね一周しました。
そろそろ帰りのルートを行きましょう。
段々畑の横を抜け、
山を模した聖なる石を通り、遺跡の入口へと向かいます。
遺跡の入口を出て、結構歩いたのでバスで帰ろうと思ったのですが、バスを待つ人がかなり並んでいました。
そこで、ハイキング路のサインのあるところに行き、休んでいた現地の方に下りはどのくらいかかるか聞いてみると、『1時間だよ』との答え。
この徒歩ルートは、つづら折れのハイラム・ビンガム・ロードではなく、それを縦に突っ切って降りていく標高差400mの下りです。
かなりの勾配の階段山道を下りていきます。
途中で何度も車道(ハイラム・ビンガム・ロード)を横切るのですが、車道に下りるのにこんなインカ階段もあったりします。
下り続けて1時間、やっと徒歩ルートの出口に到着。
距離はそれほどではありませんが、何せ下り勾配がきついので足が疲れました。
出口のすぐ先でウルバンバ川を渡ります。
この橋は歩行者専用ですが、この先の道路はマチュピチュ遺跡との行き帰りのバスがどんどん通っており、砂埃を避けながら歩きます。
ここからアグアス・カリエンテスまでの道のりが意外に遠く感じられます。徒歩ルートが終わって、終わった気分になった後の精神的なものでしょうか。
バスが頻繁に通る埃の舞い立つ道路の脇を、へろへろと歩いていきます。平坦路なのに、きつい。。
マチュピチュ遺跡を出てから1時間半、ようやくアグアス・カリエンテスの村に到着しました。まだ夕方5時前ですが、今日はこれから列車でオリャンタイタンボへ、そして乗り合いバスでクスコまでと移動が続くので、ここで夕食にします。
選んだのは、宿で教えてもらったイタリアンレストランです。パスタとサラダ、とても美味しい。
夕食を終え、宿で預かってもらっていた荷物をピックアップして、マチュピチュ駅に向かいます。
私たちが予約したのは、18:20発のペルーレイルの列車です。この時間帯はいろいろな列車が行き交っているようで、右往左往して聞きながら、何とか我らの列車に乗車。
予定では1時間半ほどでオリャンタイタンボ駅に着くはずでしたが、途中で対向列車が遅れているということで、待つこと約30分。2時間少々かかってオリャンタイタンボ駅に到着。
ここからクスコまでは、コレクティーボ(乗り合いミニバス)かタクシーかという選択肢です。駅前に大勢の客引きが『タクシー、タクシー』と声をかけてくるので値段を聞いてみると100ソーレスだという。一方、『クスコ、クスコ』と呼んでいるコレクティーボでは『1人10ソーレス』と言います。安さに負けて、コレクティーボに乗ることにしました。
さて、コレクティーボ。乗客が多いほど儲かるわけですから、車が満杯になるまで乗客を探し続けます。次第に『早く出ろよ〜』という乗客の声も上がりますが、車掌のおばさんが粘ってついに満員に。30分近くかかってようやく出発です。
暗い道をコレクティーボはひたすら走り、1時間半ほどしてようやくクスコに到着。終点は私たちの宿からそう遠くないサン・フランシスコ広場でした。宿に着くと、これでチェックイン3度目となるフロントでは『お帰りなさい』と笑顔で迎えられました。
さて今日は、マチュピチュ遺跡を堪能。やっぱり凄い。一度は見るべき世界遺産でした。明日はクスコの街をゆっくり観光します。