今日は一日クスコ観光です。クスコ観光は今日と明日半日あるので、今日はインカ時代のクスコを中心に巡ってみることにしました。
ホテルの部屋の窓からは、アルマス広場(中央広場)の西にあるクシパタ広場(Plaza de Kusipata)に続く通りが見えます。正面には教会(Basilica Menor de la Merced)。
ゆっくり朝食を食べて、9時過ぎにクシパタ広場に出てきました。
まず、クスコの北の高台にあるサクサイワマン遺跡に行く予定ですが、上り坂なのでタクシーで行くことにしました。今日はのんびりムードでいきましょう。
広場の脇でタクシーを拾ってサクサイワマン遺跡まで。距離はさほどないのですが、ぐるっと山道を上っていかなくてはなりません。
やっぱりタクシーでよかったね〜と言っているうちに遺跡の入口に到着。
ここがサクサイワマンの入口です。共通チケットで入場。
ピサック遺跡で購入した共通チケットの有効期限は明日まで。このチケットで多くの遺跡を見ました。上手に使えましたね。
さて、ここでガイドの男性が声をかけてきました。『ちゃんと理解するにはガイドが必要ですよ!』 確かにサクサイワマンについてはあまり事前勉強していなかったので、30ソーレスで彼に案内してもらうことにしました。
彼はエディといいます。早速冊子を開き、『クスコはプーマの形と言われていて、サクサイワマンはプーマの頭です』と説明してくれます。
この遺跡入口はちょうど鼻先にあたりますが、遺跡は大きな石がギザギザに並んでいます。写真でわかるでしょうか?
この形は星形の要塞のように守りやすいためでしょうが、ギザギザはちょうどプーマの歯にあたるのだそう。
サクサイワマンの遺跡は大きく、芝生の広場の両側に小高い丘となっており、右手(南側)は写真の石積みが連なり、左手は土を被って発掘途中のようです。
ここはインカ皇帝パチャクテクの時代の15世紀半ばに建設が始まり、約50年後に完成したそうです。しかし、その後スペイン人との戦いの場となりクスコは征服され、多くの建物は破壊され石材が持ち出されて、現在見られるのはかつての建造物の2割程度だといいます。
スペイン人は、クスコの街に彼らの建物を築くためサクサイワマンから石材を持ち出し、大き過ぎて容易には運べなかったものが現在も残っているのだそうです。
その大きさはこれ。ともかく巨大な石がたくさん積み上げられています。
こんな巨石をいったいどのように運び、積み上げたのでしょうか。
多くの人たちでコロを使って運んだ、とエディが絵で説明してくれます。
遺跡の石積みは、よく見るといろいろなデザインが施されています。気をつけていないと見逃しそうですが、エディがちゃんと教えてくれます。
これは『手』ですね。ガオ〜っていうプーマの前足かな?
これは? 5つの石がくっついているので足のようにも見えるけど、あるいは顔?
石は、大きなものでは200トンくらいもあるといいます。
遺跡の門をくぐり、上に上ってみましょう。
入口でエディとサイダーがポーズ。
石の階段を上ると、北側には広場と、その奥に小高い丘となっている遺跡が見えます。
この広場は数千人もの人たちが集まれる規模で、いろいろな儀式が行われたといいます。
この広場を使って、毎年6月24日に『インティライミ』というインカの伝統的なお祭りが行われます。
『インティライミ』は太陽を祀る重要な祭典で、日照時間が最も短くなる冬至(南半球では6月)を新年として祀るものだそうです。1535年までクスコの街の中心部で行われており、その後途絶えていましたが、1944年よりこのサクサイワマンの広場で復活したのだそうです。
遺跡の小高い丘に上ると、茶色い屋根に埋め尽くされたクスコの街が一望に見渡せます。クスコ市は人口40万人を超える大都市なのです。
次に案内されたのは、ムユックマルカ(Muyuq Marka)という遺跡です。
ここは太陽の神殿で、丸い基壇が残っていますが、ここに円筒形の塔があったそうです。
その塔はこんなだった、と絵を見せてくれます。3層の円筒形で、高さは20mくらいはあったといいます。
スペイン人の征服後、壊されてしまったのは残念。
サクサイワマンの遺跡は長年放置され土に埋もれていたそうで、今も発掘や修復が行われています。
あちこちで工事に携わる人たちの姿がみられます。
そんな人たちの横を抜け、大きな石の間の階段を通って再び丘の下の広場へ。
ギザギザの石積みに沿って歩いていると、石の鴨居を渡した門がありました。インティプンクと書いてあります。『太陽の門』という意味ですね。
そして、『ここ、注目』とエディに指摘されました。
この石積み、何でしょう。リャマの形がわかりますか?
この図でわかりますね。顔と耳、尻尾もあります。
遺跡の見学を終えると、エディが近くにあるアルパカのセーターや石を磨いた装飾品などのお店に案内してくれました。
買い物はしませんでしたが、いろいろと工芸品の説明を聞くことができました。ここでエディとはお別れ。私たちはカフェレストランで小休止です。
さて、ここからは徒歩でクスコの街へと下りていきます。その道の途中に『クリスト・ブランコ』という白いキリスト像と3つの十字架があります。
これは、1945年のインティライミを記念して、クスコに逃れてきたパレスチナ難民たちによって寄贈されたもので、地元クスコの彫刻家によるものだそうです。
このあたりの道路からのクスコの眺望もすばらしいです。
歴史的中心市街地を背景に1枚。
そしてクスコの街めがけて下りていくわけですが、かなりの崖の急坂です。
車の道はぐるっと迂回しなければなりませんが、私たちは徒歩なので、この長い階段をまっすぐ下っていきます。
ここは、ほんとに45度くらいと思われる急勾配の崖地が続いており、その崖地にも住宅が並んでいます。
車はもちろん通らず人も少ないので、階段脇を利用して食料を干したりしています。『キヌアとオカですよ』と奥にいたお母さんが教えてくれました。
そして、階段の真ん中でのんびり昼寝しているワンちゃんの多いこと。
ちょっと通してね〜、と脇をすり抜けて下っていきます。
どんどん下っていくと、見晴らしのよいテラスに出ました。ミラドール・デ・サン・ブラスです。
先ほどより随分下ってきましたが、クスコ市街の広がりがよくわかります。クスコの市街は1983年に世界遺産に登録されており、街並みがよく守られているのでしょう。
そこから下ると、サン・ブラス地区に入ります。
この地区はクスコ市街の坂の上にあり、古い街並みのいい雰囲気を保ちながら、オシャレなお店や小さなホテルなども並んでいます。この黄色い壁の建物もホテルになっているようです。
階段の下には、楽器を奏でる男性がいました。
家族連れが子どもと一緒の写真を撮っていたので、私たちも思わずパチリ。
ここはタンダパタ(Tandapata)という石畳みの小さな通りで、お店への荷を運ぶ人たちが行き交い、昔から変わらない街の姿を感じさせてくれます。
左の赤と緑の看板は、私たちがリマからアレキパまでお世話になったバス『PERU HOP』のオフィスです。
タンダパタ通りへ下りてくる昔ながらの坂道の脇には、インカ時代からの排水路が残っています。
その先に進むと、サン・ブラス広場の上に出ました。
下の右手に見えるのがサン・ブラス教会で、インカの雷の神を祀る寺院だったところに建てられたといいます。
静かなこぢんまりした広場で、花壇やベンチもあります。
この辺りには彫刻家や楽器づくりなど美術工芸家が多く住んでおり、お店を眺めるのも楽しそうです。
これがサン・ブラス教会。1544年に建てられたとされ、クスコで最も古い教会だそうです。
長方形の平面をアドベの壁で囲んだシンプルな造りですが、その後の地震により壁の一部は石材で補強されました。建物の横に鐘楼があります。
教会内部は撮影禁止なので写真はありませんが、見所はチュリゲラ様式の木造の説教台で、複雑で繊細な彫刻が施されています。
教会の前の階段には親子連れがいて、女の子に愛想してもらいました。
さて、サン・ブラスから細い石畳の道『アトゥンルミヨク通り』(Hathunrumiyoc)を中心部へと下っていきます。
アトゥンルミヨクとはケチュア語で『大いなる石』という意味だそうですが、これは現代になって付けられた名前とのこと。
『大いなる石』として最も有名なのは、この12角の石でしょう。いつでも観光客が記念撮影をしているので、すぐわかります。
これらの石積みは、1350年頃このクスコ王国を支配していた皇帝インカ・ロカの宮殿のものだったとのことです。
この12角の石のある街区を一回りしてみると、他にもいくつかありますよ。こちらはインカ・ロカ通り。
インカ・ロカ通りの石積みに隠されているデザインは何でしょうか。
道が狭いところに大きな造形で、ちょっと気づきにくいのですが、これはプーマです。
これでよくわかりますよね。これは、サクサイワマン遺跡でガイドのエディに見せてもらったガイド本の図です。
12角の石だけではありません。まだまだ複雑な形の石があります。
この街区を回り込んだエラヘス通りの門のところにある石に注目。
これ、「14角の石」です。この石はインカの時代ではなく、スペイン統治後につくられたものだとも言われていますが。
そんな街中の石組みを見て回っているうちに、昼の1時近くになってきました。お腹がすいてきた。
少し北西に歩いた小さな広場にあるレストランに行ってみましたが、今日はお休みのようです。この広場に面した建物は1592年築の修道院を改修したベルモント・ホテル・モナステリオだそうで、重厚な雰囲気があります。
12角の石のある通りに戻りました。
次の昼食候補は、門を入って中庭から2階に上がったレストラン『ア・ミ・マネラ』。
白壁に包まれた、落ち着いて雰囲気のいいレストランでした。愛想のいいウエイターさんの笑顔に、思わず(また)白ワインを注文。
食事はまずパンと、それに添えられたクリーミィな茄子の手作りディップにびっくり。すごく美味しいです。
そして、出てきたのはアルパカのカルパッチョ。ハーブやオリーブオイルの味付けで、味わい深い。
こちらはロコト・レジェーノ。大きな唐辛子のロコトに挽き肉などを詰めて、チーズをかけてオーブンで焼いています。
ロコト・レジェーノはお店によっていろいろなレシピがありますね。これはゴージャスで濃厚な味でした。全て美味しくいただきました。
2階にあるレストランの窓からは、向かいの屋根の上のトリート・デ・プカラが見えました。
ここのは2頭の牛にいろいろな装飾の施された十字架と一緒に飾られています。
満足の昼食を終え、再びクスコの街へ繰り出しました。
石壁の雰囲気のあるサン・アグスティン通りを南へ下っていきます。
さらに進むと、通り沿いには石壁の1階の上に木のバルコニーが張り出した家が並んでいます。
クスコのこの辺りでは、いい雰囲気を残す路地が縦横に張り巡らされています。
ふと足元を見れば、石畳の真ん中にこんもりと丸っこいマンホールの蓋。
シンプルにして豪快なこのマンホールの蓋、ジオポタ・マンホール部会としてはコレクションしなければなるまい、と写真を1枚。
そして、路地の突き当たりを右折すると、正面に大きな建物が見えてきました。サント・ドミンゴ教会です。
16世紀に建設が始まったサント・ドミンゴ教会は、インカの太陽の神殿があったところに建てられています。教会は正面にバロック様式の太い塔が建ち、ギリシア十字の形をした内陣があります。
内部はミュージアムになっており、その一部でインカ時代の神殿の一部を見ることができます。このインカの遺跡はコリカンチャ(Qorikancha)と呼ばれています。
この教会の外側を西側へ回り込むと、教会の建物の下部に黒っぽい石が積まれ、美しいカーブを描く壁を構成しています。
この黒い壁の部分こそ、かつてインカ帝国で最も豪華な太陽の神殿であったところです。
スペイン人は、太陽の神殿を壊してその基壇の上にサント・ドミンゴ教会を建てました。
その後、クスコを何度か襲った地震で教会の建物はかなり損壊しましたが、これらの堅牢なインカの石壁は当時のままに立ち続けています。
コリカンチャの敷地にある芝生のサグラド庭園の地下に、小さなコリカンチャ博物館(Museo de Sitio de Qorikancha)があります。
その5つの部屋には、1992〜1995年にかけてのコリカンチャの発掘によって発見されたプレインカ時代からインカ時代、スペイン統治時代の陶器や彫刻、石材などが展示されています。
さて、改めてサント・ドミンゴ教会、コリカンチャの見学です。インカの神殿は、15世紀半ば、第9代皇帝パチャクテクの時代に建てられたといいます。元々はインティカンチャまたはインティワシ、すなわち太陽の庭・建物という名前だったそうですが、現在はコリカンチャ、つまり黄金の中庭と呼ばれています。
サント・ドミンゴ教会の回廊に囲まれた中庭の中央には、一枚岩をくり抜いてつくられた水盤が置いてあります。これはインカのもので、かつては黄金で覆われていたそうです。
内部は撮影禁止なので写真はありませんが、インカの遺跡として太陽、月、星、虹、雷の神を祀る神殿があり、精巧な技術で加工され組み上げられた美しい石壁の部屋に驚かされます。
こうした壁はかつては黄金に覆われ、あたりには黄金でつくられた等身大のリャマや牧夫などが置かれていたとか。それらは全て壁から剥がされ、溶かされてスペインへと運ばれていきました。
コリカンチャから西の庭を見たところ。足元の芝生には、インカの世界観で天、大地、地下を表すコンドル、プーマ、蛇が描かれています。
コリカンチャを出て北上し、これまでに増して細い路地のロレート通り(Calle Loreto)に入りました。
通りの両側はインカの壁に覆われています。東側(右手)の壁はクスコでも最も古いものの一つと言われています。ここはインカ時代は『アクリャワシ』、すなわち選ばれた女性たちの家だったそうで、スペインの統治後はサンタ・カタリナ修道院となっています。
通りの西側の壁の内部は『アマルカンチャ』(蛇の中庭)と呼ばれ、現在はリャマやアルパカがいる中庭に向かって、工芸品の店が並んでいます。
その向こうに見える建物は、インカ帝国11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿の跡に建てられたラ・コンパニア・デ・ヘスス教会です。
そして、リャマかアルパカたちがのんびり草を食み、チップを要求しています。
路地を抜けると、そこはアルマス広場でした。赤みがかったカテドラルが西日を受けています。
今日は、サクサイワマンの遺跡を皮切りに、インカ時代の道や建物の石壁などがそのまま残るクスコの街歩きをゆっくり楽しみました。クスコの街の観光としてはもう少し西側にもいろいろありますが、あとは明日にとっておきましょう。