9月に入り、夏の異常な暑さが少し和らいできました。
暑かったら水浴びでもしに行こうかと思っていたのですが、天気予報ではこの週末の最高気温は28°Cとのことなので、みんなが集まりやすい近場企画の発動です。
荒川に流れ込む芝川を遡り、見沼の『緑のヘルシーロード』の周囲をポタリングということにしました。
ということで、荒川の縁にある足立区立都市農業公園の前に集合。
今回の企画者は左から3番目のコムラン。そして参加者は直前の案内にもかかわらず総勢9名ということになりました。みなさん8月はさすがに暑くて走れなかったようで、うずうずしていたのでしょう。
ただいま8時半。公園は9時オープンなのでその前の兄弟が釣りをしている像の前で、記念の集合写真を。
写真を撮ったらいざ出発。
芝川沿いは自転車道が整備されているので安全、安心です。
うしろを振り向けば、芝川が荒川に注ぐところに芝川水門が見えます。
最近活躍しているコテッチャンは今日も自走で登場。なんと集合場所まですでに30km以上も走っているのでした。
山王橋を渡り、川の右岸にシフト。実は今見ている川は『新』芝川です。
芝川はここから6kmほど先の青木水門から芝川水門のすぐ近くまで、これとは別の旧流路を流れており、この新芝川は治水のために開削された放水路なのです。
新芝川を少し行くと斜張橋の稲荷橋が見えてきます。この橋、ランドマークとしては効果がありますが、川幅の割にちょっと大げさな感じかな。
青服のペタッチは電動アシスト付きのニューバイクで登場。実は正丸峠でへろへろになったので11速のBD-1からE-bikeのハリー・クインに乗り換えたのでした。今日が初乗りなので、わくわくドキドキ。
新芝川が90°方向を変えると都道の南平大橋を渡ります。
するとその先に芝川マリーナの水門が現れます。この水門の奥にはヨットやレジャーボートがずらり。
川口市の清掃工場で巨大煙突がランドマークとなっている朝日環境センターの横を通り抜けます。
このあたりの新芝川は人工的に開削された水路なので、どこまでも真っすぐ。
新芝川は青木水門で芝川の旧流路を分け、さらにそのすぐ先で竪川を合わせます。
ここで進路は大きく変わり、北へ向かいます。この先の芝川の流路は古いままなので、これまでのように真っすぐではなく、自然の流れに沿っていて川らしいです。
右手にイオンモールが見えるとほどなく都道332号を越えます。このオーバーパスが本日一番の坂。
このあたりを縄張りにしているユッキーによれば、本日のルートの標高差は5mだそう。(笑)
川口市は工場のまちなので所々にそうしたものが目に付きますが、このあたりは基本的に住宅街で、戸建住宅がびっちり立ち並んでいます。
網代橋で芝川の右岸から左岸にシフトします。網代橋へ上るは久々に登場のサンダリアス。真っ黒に日焼けしていますがここ一月ほどドタバタがあり、乗れていないそうです。今日もいつものようにサンダルでペッタンペッタンやってきました。
先頭は今回の企て人コムラン。初企画なのでみなさんの期待に応えられるよう入念な下調べをしてきたようです。
さて、結果はどうかな。
ここ数年海外に行けずにちょっとフラストレーションが溜まり気味のサリーナですが、今日は涼しくてまずまずご機嫌です。
暑いの嫌いなサイダーは、今日はコムランにお任せでリラックス。
ミルミルもなんとニューバイクで登場。こちらもE-bikeでカーボンフレームのVELMO PEGASUS。5段階のアシストに、なんと9段変速付きというすごいものです。
『今日は平地なのでE-bikeでなくても良かったんですが、お披露目で〜す。』ということで。
芝川を1時間ほど遡ると国指定史跡の『見沼通船堀』に到着します。
見沼通船堀は1731年(享保16年)に完成した閘門式運河(こうもんしきうんが)です。閘門式運河とは水位の異なる二つの水域間に船を通す仕組みを持つ運河で、閘門は言わば船のエレベーター。その代表はあの中米のパナマ共和国にあるパナマ運河です。
江戸時代、徳川吉宗はここに江戸の食料を確保するために新田開発を行いました。それが見沼田んぼです。その米を江戸に運ぶために造られたのが、東西の見沼代用水と芝川を結ぶこの見沼通船堀です。
見沼通船堀は芝川を挟んで、東縁(ひがしべり)側が約390m、西縁(にしべり)側が約650mで合計1kmちょっと。芝川と見沼代用水の水位差は3mで、東西それぞれの側に2つの閘門が設けられました。閘門は全長が5間半から6間(9.9~11.7m)、幅9尺(2.73m)、高さ12尺(3.64m)。閘門の中央に見える太い木枠はケヤキ材で造られた鳥居柱と言うもので、これに角落(かくおとし)と呼ばれる板を取り付けたり外したりして水位を調整します。角落は、長さ11尺(約3.33m)、幅6寸(約18cm)、厚さ2寸(約6cm)だそう。
見沼通船堀の見沼代用水東縁接続部付近にトイレとベンチがあるのでそこで一休みしたら、見沼代用水の東縁に沿って北上します。
この用水沿いの道が『緑のヘルシーロード』です。
緑のヘルシーロード沿いになつかしい花が咲いていました。ケイトウ(鶏頭、鶏冠)です。
最近はこの花はあまり見掛けなくなりましたが、私が子供の頃には身近にあったものです。鶏のトサカに似ていることからその名が付いたと言われていますね。
見沼代用水は徳川吉宗の命による新田開発のために引かれた灌漑農業用水で、『代』の名の通りに、江戸時代の初期に造られた灌漑用溜池の見沼溜井に替わるものとして利根川から取水されました。
ですからこの流れはここから利根川の利根大堰付近まで続いているのです。見沼代用水の東縁には右岸左岸ともに道が続いていますからどちらを通ってもいいです。見沼通船堀付近は左岸は遊歩道になっています。
JR武蔵野線の頭をぶつけそうな低いガードをくぐり抜けると芝川第一調整池です。
芝川は細い川ですがそれなりに氾濫を繰り返す川でした。事実つい最近の2019年(令和元年)の台風19号では国道463号浦和越谷線が冠水しました。調整池はそうした時に水を貯めて氾濫を防ぐ役目を持っています。我らが鳥博士のルビオによれば、ここは野鳥がたくさん来るのでバードウォッチャーに人気の場所だそうです。
そうそう、台風19号ではこのあたりでは住宅の被害はありませんでした。見沼田んぼ全体が調整池の役割を果たしたのです。ダムを造るよりこうした広大な土地を利用した自然の調整池の方が安上がりですね。
芝川第一調整池をぐるりと廻ったら、そのすぐ北にあるフルーツパークで一休み。
ここは季節により様々な果物狩りが楽しめます。今の時期はブルーベリーはそろそろおしまいでブドウが盛期です。
道路際のオープンエアの小屋の向こう側にはブドウ棚が広がっています。そこにブドウのフサがびっしりぶら下がっています。今がまさに旬ですね。
『これ旨そうじゃないか。』 と、ユッキーが指差せば、
『ん〜ん、どうかな、こっちの方が良くないかな・・・』 と、マージコ。
『どっちもまだ早すぎますよ、これがいいです。』 と、ブドウのこととなるとちょっとうるさいミルミル。
これはシャイン・マスカットと天山の交配種の新種、UFOというやつでしょうか。ここではUFOとありましたが本当は『雄宝』と書くようです。大きさは写真では判然としませんが、シャイン・マスカットよりかなり大きくなるようです。
ここで扱っているブドウで一番安いのは1,000円/kgのヒムロット・シードレスで、シャイン・マスカットは高級な部類で3,000円/kgです。ところが驚いたことにこのUFOは何と5,000円/kgもする超高級品なのでした。
ではではさっそく味見をしてみましょう。緑色のは小粒ですがシャイン・マスカットで500円也。紫色のは巨峰で700円也。
ここは年功序列?でまずはペタッチから。『やっぱりボクらの世代は巨峰だべ。子供の頃はデラウェアしか食えんかったからのう〜』
サイダーは、『ん〜、このサンシャイン・マスカット、うめ〜』 って。サイダーはシャイン・マスカットをサンシャイン・マスカットと覚えてしまったらしく、サンシャイン、サンシャインと連発。確かにシャイン・マスカットの名はサンシャイン・マスカットでもよかったかなと思えてきますね。(笑)
ブドウをいただいて一服したら次は『浦和くらしの博物館民家園』です。この民家園には、さいたま市内にあった伝統的な建造物7棟が移築復元されています。ここではそのいくつかを紹介します。
これは2001年(平成13年)に寄贈された旧高野家住宅で、それまで浦和の中山道に立っていました。
高野家は煎餅の販売と製造をしていた商家でした。
この写真の一番奥に煎餅が入った硝子ケースが見えます。ケースの中の煎餅は本物ではなく紙粘土による作り物なのですが、パッと見にはまったく本物に見えます。
高野家の内部に展示されていたものの一つに大正時代の末期の浦和中心部の地図があります。
この図の23が『高野せんべい』で、図のほぼ中央に位置しています。中山道には建物が続きますが、そのすぐ外側は田畑だったことがよく分かります。
旧高野家住宅の横に立つのは旧綿貫家住宅。
綿貫家は屋号を『菱屋』といい、浦和宿の中心部からやや北の旧中山道沿いで肥料荒物商を営み、砂糖や米穀なども扱っていたそうです。復原された店蔵は虫籠窓(むしこまど)がある塗屋(ぬりや)造りです。内部には明治時代のものか、巨大なレジスターが展示されていました。
旧蓮見家住宅は江戸時代中期18世紀の前半の建築と推定されており、市内最古の民家と目されています。
建物の南面中央部には格子が入ったシシマド(獣除けの腰窓)があります。
この住宅は平面の半分が土間で、そこで農作業も行われていたと思われます。
先ほど巡った芝川第1調整池の辺には、このお宅の名を冠した蓮見新田という地名が残っています。由緒あるお宅なのですね。
今日は十五夜、お月見ですよ。
お天気なのでおそらく今宵は大きなお月さまに出会えるでしょう。
民家園からはそのすぐ側にある『さいたま市園芸植物園』へ。
このあたりは自転車に乗っているより各施設を見学している時間の方がずっと長いです。
『園芸』とあるのでこじんまりした植物園を想像していたのですが、これがどうしてどうして、かなり立派なものでびっくり。
温室も複数棟あり、ここはわりと大型の植物が展示されています。
これはオオギバショウ(扇芭蕉)で、タビビトノキ(旅人の木)とも呼ばれます。さすがにここでは完全に扇の形にはなれませんが、その片鱗が伺えます。
オオギバショウはマダガスカルの固有種ですが、現在はメキシコなど数カ国に持ち込まれており、そういったところでもたまに目にします。
次のゾーンは食べられる植物を集めたようです。カカオや私の大好きなバニラといったものに混じってバナナが実を付けていました。
ハバナの実を知らない方はまずいないと思いますが、さて花はどうでしょう。このバナナの実からぶら下がっている茎状のものの一番下に付いているものが花です。あまり知られていませんがこの花は食用になるんですよ。東南アジアなどの南国ではわりかしポピュラーに食べられています。
さいたま市園芸植物園には温室以外にも屋外に花木園があり、それをぐるりと廻りました。驚いたことにその中に植えられていた彼岸花はすでに咲き終わっていました。え〜っ! まさかや!!
植物園を一巡りしたらその隣にある大崎公園を覗いてみます。
大崎公園もちょとした広さの公園で芝生広場や池があります。しかし今回の企て人のコムランによればここの一押しは子供動物園だそうな。
子供動物園には大型の動物はいませんが、小型の動物と鳥類はそれなりにいます。これはかなり大型の鳥のマナヅル。
日本に生息する鶴はタンチョウ、ナベヅル、そしてマナヅルの3種です。もっとも有名なタンチョウはかつては江戸にも飛来したそうですが、現在は北海道にだけ生息し渡りは行いません。ナベヅルとマナヅルは冬にロシアや中国から渡って来ますが、こちらも江戸時代には全国にいたのに、現在は西日本を中心とする一部地域でしか見られなくなってしまいました。マナヅルをこうして近くで見るとかなり大きいです。私は子供の頃に自然にいる鶴を見たことがありますが、それはどの鶴だったのかな。
マナヅルは檻の中で飼われていますが池にはオシドリや鴨などがたくさんいます。これはツクシガモ(筑紫鴨)で、西日本にはよく飛来するようですが関東のこのあたりではほとんど見掛けません。
毛繕いでダンスしているようにクルクル回っていました。
フラミンゴは日本には生息していません。身体が赤くなることで知られていますが、この色は藍藻類の色素、β-カロテンやカンタキサンチンによるもので、これらを含むプランクトンや藻を摂取することで赤くなります。
ここにいるフラミンゴはあまり赤くありませんが、それはこの色素が抜けてしまったからで、元々は白い色なのだそうです。
これはモルモット。テンジクネズミ(天竺鼠)です。
野生のテンジクネズミは南アメリカに棲んでおり、アンデス地方では現在も重要なタンパク源として食用にされています。その味はまあ鶏に近いと言って良いでしょうか。見た目ほどに肉付きは良くなく、食べるところはあまり多くありません。
ここでは他に羊や山羊に加え、カピバラ、ハワイガン、怪我をしたオオタカなどがいました。
動物園で童心に帰ったら、再び見沼用水沿いを行きます。すると道の横のフェンスが偽木に変わりました。
この対岸は国昌寺で、ここからこの先500mほどは代用水原形保全区間になっており、コンクリートの護岸がない素敵な見沼代用水です。
このすぐ先に藁で造られた見沼龍がいます。
かつてこのあたり一帯は見沼という沼でしたが、そこには見沼の主といわれる龍神が棲んでいたそうです。ここにはその龍神にまつわる伝説がいくつも残っているそうです。
原形保全区間の向こう側が竹林になりました。
この竹林周辺はさいたま緑のトラスト保全第1号地で『龍の森』という名が付けられています。
『
竹林はきれいに手入れされており、気持ちがいいです。
奥の森にはシジュウカラやオオタカが生息しているようですが、保全のため立ち入りはできません。
『龍の森』の先の代用水もまだ原形保全区間のようでいい感じが続きます。
そうそう、お気付きかもしれませんが、ここはずっと桜並木です。
ユッキーによると総延長は20kmで日本で一番長い桜並木ではないかと。
そろおろお昼にしましょうと、さぎ山記念公園を抜けて日光御成街道にある蕎麦屋に向かいます。
入ったのは『砂場』。砂場は、薮、更科と合わせて蕎麦の3大系統ともされますが、こんなところにもあったんですね。
みんな思い思いの蕎麦やうどんをいただきました。おいしゅうございました。
お蕎麦をいただいたら代用水に戻るのですが、ここでマージコがパンク。
いえいえ、実はマージコ、先日新種のパンク修理用具を買ったのでそれをお披露目したかったようです。超簡単にタイヤ交換ができるとの触れ込みでしたが、まあ宣伝のようにはなかなかいきませんな〜(笑)
さぎ山記念公園でマージコがパンク修理をしている間に、ニューバイクで登場のメンバーを中心に愛車撮影大会をしました。
この写真はそのうち愛車紹介のペイジに載ると思いますので見てあげてください。
さぎ山記念公園からも北を目指して進みます。このあたりは代用水沿いの『緑のヘルシーロード』はかなり狭いので田んぼ際の道を行きます。
すると収穫目前の田んぼが見えてきました。見沼代用水は見沼田んぼのために引かれたわけですが、これまでその肝心の田んぼは見掛けませんでした。実は見沼たんぼは日本の各地の田んぼと同様に、かなりの部分が転用されたり耕作が放棄されたりしたのです。
現在は小規模な農家や農家から土地を借り受けてボランティア的に活動するグループによって、広大な土地のうちのごくごく一部に田んぼが作られているのです。
我らがセーナの田んぼがこのあたりにあるはずなのですが、まだがんばってやっているのかな。
P.S. あとで聞いたらこの田んぼがセーナたちが世話をしているところでした。
今の時期なら本来このうしろには黄金色の稲穂が頭を垂れている景色があるはずなのですが、ここは畑に転用されており、そこに作物も見当たりません。
七里(ななさと)総合公園までやってきました。
午後になって少し気温が上昇したようで、暑い暑い。水辺の木蔭に避難しました。
ユッキーとコテッチャンは今日が初顔合わせでしたが、その自転車がなんとダホンの兄弟車ということで大盛り上がり。
左がユッキーのK3 Plus、右がコテッチャンのK3です。ちょっと見た目にはその違いはほとんどわかりませんね。
だいぶ暑くなってきたので今日はここまでにしようということで、全員集合の記念撮影を。
『どこかでアイスクリーム食べたい!』と、言うサイダーに企て人のコムランはすかさず、公園を出たところにローソンがあるのでそこへ行きましょうと。
ローソンの前は木蔭がなかったので、代用水沿いの桜の木の下まで移動してアイスクリーム休憩です。
七里総合公園からだと大宮が近いのですが、多くのメンバーが南へ帰るのでやってきた道を引き返すことにしました。
再び見沼田んぼを眺め、緑のヘルシーロードを行き、
見沼通船堀から芝川をどんどこ。
出発点の足立区立都市農業公園まで戻って解散となりましたが、その後はお決まりの反省会に突入。
コムラン、よくやった、お疲れさま〜