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四国八十八ケ所の記録 第4ステージ 香川編

開催日 2021年12月09日(木)〜
参加者 サイダー、ナオボー、マージコ、マサキン
シロスキー、ミルミル、サリーナ
総合評価 ★★
難易度
走行距離 193km
地域 香川県

丸亀城
丸亀城

コース紹介

ヴァーチャル・サイクリング四国八十八ケ所の第4ステージは香川県の23か寺を巡ります。

基礎情報:四国八十八ケ所第1ステージ 徳島編第2ステージ 高知編第3ステージ 愛媛編

地図:Googleマップgpxファイル/GARMIN Connect/Ride With GPS/メンバー用地図

発着地 累積距離 標高 コメント/寺院縁起・見所
Stage4 【讃岐(香川県)】涅槃の道場 23か寺・193km
県境 START
0km
1321km
410m 愛媛県-香川県 唐谷峠
第66番
雲辺寺
14km
1335km
910m ▶第六十六番札所 巨鼇山 雲辺寺(うんぺんじ)
784年、弘法大師が16歳のとき善通寺(第75番)の建材を求めて山に登り、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立し創建。807年、大師はここで秘密灌頂の修法をし、さらに818年、嵯峨天皇の勅を奉じて登り、本尊を彫造し仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし霊場と定めた。四国霊場で最も高い標高にある難所。現在は麓からロープウェーで登ることができる。
【見所】重要文化財:千手観音坐像(平安後期)、不動明王・毘沙門天立像(慶尊作、1184年)、絹本著色聖衆来迎図。毘沙門天展望館(360度眺望)
第67番
大興寺
25km
1346km
80m ▶第六十七番札所 小松尾山 大興寺
742年、東大寺末寺として建立。その後、最澄の影響で天台宗となる。792年に弘法大師が訪れ、823年、嵯峨天皇の勅によって大師が現在地より北西約1kmに熊野三所権現を鎮護する霊場として再興し、本尊に薬師如来と脇侍に不動明王と毘沙門天を刻んで堂宇を建立し安置。その後も東大寺の末寺として真言宗24坊、天台宗12坊の僧堂が連ね、空海と最澄の教えを修行する道場として栄えた。
【見所】仁王門(木造金剛力士像:伝・運慶作)、本堂(1741年再建、本尊、不動明王立像、毘沙門天立像、十二神将:堪慶作)
第68番
神恵院
33km
1354km
20m ▶第六十八番札所 七宝山 神恵院(じんねいん)
703年、法相宗の日証上人が宇佐八幡宮のお告げを受け、海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀った。このとき神宮寺として建てられた寺が起源(68・69番)。行基が722年に訪れた後、807年に弘法大師が訪れ、琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、後に院号を「神恵院」とし68番霊場とした。
【見所】本堂(2002年、RC造)、宝物館(絹本著色琴弾八幡本地仏像等:国重要文化財)、巍巍園(回遊式庭園。第45世大政大僧正道尊の作庭)
第69番
観音寺
33km
1354km
20m ▶第六十九番札所 七宝山 観音寺
703年、法相宗の日証上人が宇佐八幡宮のお告げを受け、海上で神船と琴を発見。琴弾山に引き上げ、「琴弾八幡宮」を建立して祀った。このとき神宮寺として建てられた寺が起源(68・69番)。807年に弘法大師が第7世住職として入山、奈良の興福寺を模して中金堂に聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、七堂伽藍を整備し仏塔を建てて七宝を埋め地鎮し、名称を七宝山観音寺と改めた。
【見所】国重要文化財:本堂(金堂)、木造釈迦涅槃仏像、絹本著色不動明王二童子像
第70番
本山寺
37km
1358km
10m ▶第七十番札所 七宝山 本山寺(もとやまじ)
807年、平城天皇の勅願により弘法大師が70番札所として開基。当時は「長福寺」といい、本堂は大師が一夜で建立したとの伝説が残る。中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となった。 天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけると脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、驚いた軍勢が退去して本堂と仁王門は兵火を免れたという。その後、「本山寺」と名を改めた。
【見所】本堂(1300年再建、国宝)、二王門(室町中期、重要文化財)、五重塔(1910年再建)、国の登録有形文化財:大師堂・十王堂・大日堂他
第71番
弥谷寺
49km
1370km
200m ▶第七十一番札所 剣五山 弥谷寺(いやだにじ)
聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔うため創建。当初は蓮華山八国寺と称した。弘法大師は7-12歳の時、寺にある獅子之岩屋で学問に励んだ。807年、大師が再び訪れ、獅子之岩屋にて護摩を修し蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し、唐から持ち帰った金銅四天王五鈷鈴と五柄の剣を納め、山号を剣五山、寺名を仏の谷という意味の弥谷に改めた。
【見所】大師堂本堂、奥の院 獅子の岩屋、弥陀三尊磨崖仏、金銅五鈷鈴(唐時代、重要文化財)
第72番
曼荼羅寺
54km
1375km
50m ▶第七十二番札所 我拝師山 曼荼羅寺
弘法大師の出身氏族である佐伯氏の氏寺として596年に創建され、当初は世坂寺と称した。大師が唐より帰国後、請来した両界曼荼羅を奉納し、大日如来を本尊として再興、母(玉依御前)の菩提寺とし、曼荼羅寺と改称した。 鎌倉時代には後堀河天皇から寺領を給わるほど栄えた。1560年、阿波の三好実休による兵火で焼亡、さらに慶長年間(1596~1615年)に戦火を受けたが復興している。
【見所】木造聖観音立像(平安後期)、笠松大師、西行の昼寝石
第73番
出釈迦寺
55km
1376km
100m ▶第七十三番札所 我拝師山 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)
弘法大師が7歳の時、倭斬濃山に登り「将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と断崖絶壁から身を投じた。すると釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、願いが成就された。大師は釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ出釈迦寺を建立、釈迦如来の像を刻み本尊とした。
【見所】捨身ヶ嶽禅定(奥の院)、捨身ヶ嶽遙拝所、本堂
第74番
甲山寺
57km
1378km
20m ▶第七十四番札所 医王山 甲山寺(こうやまじ)
壮年期の弘法大師が寺を建立する霊地を探していると、岩窟から老翁が現れ「ここに寺を建立すべし」と告げた。老翁が毘沙門天の化身と悟った大師は岩窟に毘沙門天を祀った。その後、嵯峨天皇の勅命を受け満濃池の修築を命じられた大師は、薬師如来を刻み修法すると数万の人々が集まり、無事に築造を完成。その功績に朝廷から二万銭が与えられ、その一部で堂を建立し薬師如来を本尊とした。
【見所】本堂、多聞天堂(毘沙門天の岩窟)、子安地蔵
第75番
善通寺
59km
1380km
30m ▶第七十五番札所 五岳山 善通寺
弘法大師は現在の善通寺市の出身。善通寺は大師の父で地元の豪族であった佐伯田公から土地の寄進を受け、807年に建立し始め813年に落成。大師の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立し、創建当初は金堂・大塔・講堂など15の堂宇であった。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は5つの山の麓にあることから命名された。
【見所】金堂(1699年再建、重要文化財)、五重塔(1902年、重要文化財)、御影堂(1831年)、金銅錫杖頭・一字一仏法華経序品(国宝)
●金刀比羅宮 67km
1388km
250m ▶金刀比羅宮
象頭山中腹に海上の守護神大物主命を祀る。参道の石段は本宮まで785段、さらに奥社まで583段。江戸中期頃から全国の庶民へ信仰が広がり、各地で金毘羅講が組織され「金毘羅参り」が盛んに行われるようになった。重要文化財:旭社(1837年築)、表書院(1659年築)・奥書院・四脚門、十一面観音立像(宝物館内)。また門前町にある旧金毘羅大芝居(金丸座)は、日本最古の芝居小屋(1835年築、重要文化財)。
第76番
金倉寺
76km
1397km
20m ▶第七十六番札所 鶏足山 金倉寺(こんぞうじ)
774年、和気道善が如意輪観音を祀り一堂を建立、自在王堂と呼ばれた。851年、道善の子・和気宅成の上奏により官寺とし道善寺と名付けた。その後、宅成の子・円珍が858年に唐より帰朝後、長安の青龍寺に倣した伽藍を造営、薬師如来を彫像し本尊とした。928年、醍醐天皇の勅命により金倉郷から「金倉寺」、山号は釈迦十大弟子の迦葉尊者が入定した山名の「鶏足山」と改めた。
【見所】大師堂(1651年、元の金堂)、訶利帝堂
第77番
道隆寺
80km
1401km
10m ▶第七十七番札所 桑多山 道隆寺(どうりゅうじ)
712年、当地の領主・和気道隆は桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったので矢を射ると、乳母に当たり誤って殺してしまった。道隆はこれを悲しみ、桑の大木を切り薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源。道隆の子・朝祐は807年、弘法大師に頼んで薬師如来を彫像しその胎内に道隆の像を納め本尊とし、また大師から受戒を受け第2世住職となり、七堂伽藍を建立し父の名から「道隆寺」と号した。
【見所】潜徳院殿堂(目なおし観音)、絹本著色星曼荼羅図(鎌倉時代、国重要文化財)
●丸亀城 84km
1405km
20m ▶丸亀城
1597年、生駒親正が高松城の支城として整備し、以来、山崎氏・京極氏が居城とした。江戸初期の3層3重の天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財。4重に重ねられ、合計で60mの高さになる石垣が美しい。
第78番
郷照寺
89km
1410km
20m ▶第七十八番札所 仏光山 郷照寺
725年、行基が阿弥陀如来像を彫造し「仏光山・道場寺」として開創。807年に弘法大師が訪れ伽藍を整備。その時に自身の像を彫造し厄除け誓願をした。この像は「厄除うたづ大師」として今も広く信仰されている。仁寿年間(851~854年)には理源大師が阿弥陀三昧の行を修し、寛和年間(985~987年)には恵信僧都が釈迦堂を建立。1288年には一遍上人が踊り念仏の道場を開いた。
【見所】観賞式庭園、境内から臨む瀬戸大橋の眺望
第79番
天皇寺
95km
1416km
20m ▶第七十九番札所 金華山 天皇寺
天平年間、行基がこの山がカナヤマビメとカナヤマヒコの御座す山だとし金山と名付け、薬師如来を本尊とした金山摩尼珠院を建立。後に弘法大師が訪れ、金山権現と出会い中腹より湧き出る神水と感応し、金華山妙成就寺摩尼珠院として再興。十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を刻み堂宇に安置した。後に保元の乱により配流された崇徳天皇の供養の寺として、崇徳天皇寺と呼ばれた。
【見所】三輪鳥居、本堂、大師堂
第80番
国分寺
102km
1423km
40m ▶第八十番札所 白牛山 国分寺
741年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により、行基が開基した讃岐の国の国分寺。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し霊場に定めた。1391年の文献には西大寺の末寺である旨が記されている。天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失。奈良時代の創建当時の遺構をよく残し、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。
【見所】重要文化財:本堂(鎌倉後期、創建時の講堂の礎石を利用)、木造千手観音立像(平安末期)、銅鐘。国の特別史跡:讃岐国分寺跡(金堂跡・七重塔の礎石等)
第81番
白峯寺
115km
1436km
280m ▶第八十一番札所 陵松山 白峯寺(しろみねじ)
弘法大師が815年に訪れ、白峯山頂に如意宝珠を埋め仏に供える水を汲む閼伽井を掘り、衆生救済の請願をした。また860年、円珍(智証大師)が山頂に輝く瑞光を見て登頂、地主神である老翁より神託を受け、瀬戸内海に現れた不可思議な光を放つ霊木で千手観世音菩薩を刻み、本尊として仏堂を創建。1164年、崇徳上皇が讃岐流刑地で崩御し、当山稚児嶽上で荼毘に付され陵墓が造られた。
【見所】重要文化財:十三重石塔2基、山門(七棟門)、御成門、勅使門、客殿、勅額門、頓証寺殿、薬師堂、行者堂、阿弥陀堂、本堂、大師堂、「頓証寺」勅額
第82番
根香寺
122km
1443km
350m ▶第八十二番札所 青峰山 根香寺(ねごろじ)
弘仁年間に弘法大師が訪れ、五色台の五つの峰に金剛界の五智如来を感得し、その一つの青峰に一宇を建立し五大明王を祀り「花蔵院」と称した。その後、円珍(智証大師)が832年に訪れた際、山の鎮守の市之瀬明神に蓮華谷の霊木で観音像を造るよう告げられ、千手観音像を彫像し「千手院」を建てて安置。この霊木は切り株から芳香を放ち続けたことから、2院を総称して根香寺と名付けた。
【見所】木造千手観音立像(平安時代、秘仏、重要文化財)、五大尊像、牛鬼の像
第83番
一宮寺
135km
1456km
40m ▶第八十三番札所 神毫山 一宮寺
奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正により法相宗の寺院として大宝年間(701~704年)に建立され、年号にちなみ大宝院と称した。和銅年間(708~715年)、諸国に一の宮が制定された際、行基が堂宇を改修し一宮寺と改めた。その後大同年間(806~810年)に弘法大師が伽藍を整備し、106cmの聖観世音菩薩像を刻んで安置し、真言宗に改宗した。
【見所】本堂、一宮御陵、薬師如来の祠(地獄の釜の煮えたぎる音がする祠)
●栗林公園 140km
1461km
10m ▶栗林公園
紫雲山を借景にし、6つの池と13の築山を配した75haの広大な大名庭園で、元生駒家の別邸を1642年に高松藩主松平頼重が庭園として整備し、1745年に作庭が完成。国の特別名勝。
●玉藻公園 143km
1464km
10m ▶玉藻公園
「玉藻城」と呼ばれた高松城跡地の公園。1588年に生駒親正が黒田如水の設計で築城し、かつては城壁が瀬戸内海に直接面し、3重の堀に海水が引き込まれ軍船が出入りできた。三重櫓や門など一部の建物や石垣、堀が現存し、外堀と内堀には海水が引き込まれ、往時の名残を残す。重要文化財:北の丸月見櫓、水手御門、渡櫓、旧東の丸艮櫓、披雲閣(旧松平家高松別邸)。
●四国村 149km
1470km
30m ▶四国村
四国各地から古い民家や伝統産業施設、灯台などの建築物を移築した野外博物館。重要文化財の民家2棟、重要有形民俗文化財の建物6棟をはじめ、ほぼ全ての建造物が文化財の指定・登録を受けている。2002年、村内に安藤忠雄設計の美術館と庭園で構成される四国村ギャラリーが開館。
第84番
屋島寺
153km
1474km
290m ▶第八十四番札所 南面山 屋島寺
唐の鑑真和上が朝廷からの要請を受け、苦難の末753年に鹿児島に漂着。翌年、船で東大寺に向かう途中、屋島の北嶺に登り普賢堂を建て普賢菩薩像を安置し創建。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲が堂塔を建立し「屋島寺」と称し初代住職になった。815年、弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪ね、伽藍を現在地の南嶺に移し十一面千手観音像を彫り本尊として安置した。
【見所】重要文化財:本堂(鎌倉時代の前身堂の部材を用いて1618年建立)、木造千手観音坐像(平安中期)、梵鐘(1223年)
●イサム・ノグチ庭園美術館 159km
1480km
20m ▶イサム・ノグチ庭園美術館
彫刻家イサム・ノグチのアトリエと住居を「イサム・ノグチ庭園美術館」として開設。この地が未来の芸術家や研究者、そして広く芸術愛好家のためのインスピレーションの源泉となることを強く望んでいたノグチの遺志を実現したもの。150点余の彫刻作品、自ら選んで移築した展示蔵や住居イサム家、彫刻庭園など、全体がひとつの大きな「地球彫刻」、あるいは環境彫刻となっている。
第85番
八栗寺
164km
1485km
230m ▶第八十五番札所 五剣山 八栗寺(やくりじ)
829年、弘法大師が虚空蔵求聞持法を修めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れ、ここが霊地だと告げた。大師は剣を山中に埋め、大日如来像を刻んで山の鎮護とし五剣山と名づけ開基。眺望が良く八つの国が見えたので「八国寺」と称した。その後、唐から帰った大師が、唐に渡る前に入唐求法の成否を占うため植えた焼き栗八つが芽吹いているのを見て、八国寺を「八栗寺」に改めた。
【見所】聖天堂、中将坊堂、大師堂横の多宝塔、鐘楼堂
第86番
志度寺
170km
1491km
0m ▶第八十六番札所 補陀洛山 志度寺
626年、凡薗子尼(おおしそのこに)が志度浦にたどり着いた檜の霊木から十一面観音を造立し、小さな堂を建て祀ったことが創建。681年、藤原不比等が堂宇を増築し「死度道場」と名づけた。693年に不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、寺名を「志度寺」に改めた。その後、弘仁年間に巡錫に来た弘法大師が伽藍の修理にあたった。
【見所】重要文化財:本堂(1670年)、仁王門、木造十一面観音立像および両脇侍(藤原時代)、絹本著色十一面観音像(鎌倉時代)、絹本著色志度寺縁起 6幅(鎌倉末~室町初期)
第87番
長尾寺
178km
1499km
40m ▶第八十七番札所 補陀洛山 長尾寺
739年、行基が楊柳に霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を刻み安置し創建。当時は法相宗。聖徳太子創建との説もある。弘法大師が渡唐前、入唐求法の成功を祈願し年頭七夜の護摩の秘法を修し、7日目に護摩符を人々に投げ与えた伝説があり、毎年1月7日の「大会陽福奪い」として今に伝わる。825年、唐より帰朝した大師は大日経を一石に一字写経し万霊供養塔を建立、真言宗に改宗した。
【見所】山門(1670年)、本堂、経幢2基(重要文化財)
第88番
大窪寺
193km
1514km
GOAL
460m ▶第八十八番札所 医王山 大窪寺
717年、行基がこの地を訪れたとき悪夢を感得し草庵を建て修行をしたのが開基。弘仁年間 (810~823年) に唐から帰朝した弘法大師が現在の奥の院にある岩窟で虚空蔵求聞持法を修し、谷間の窪地に堂宇を建て等身大の薬師如来坐像を刻んで安置し、また恵果阿闍梨から授かった三国伝来の錫杖を納めて、窪地にちなみ「大窪寺」と名付け結願の地と定めた。
【見所】木造薬師如来坐像(本尊、奈良末期)、本堂、大師堂
参考資料:(一社)四国八十八ヶ所霊場会HP阿波ナビ(徳島県観光情報)/よさこいネット(高知県観光情報)/いよ観ネット(愛媛県観光情報)/うどん県旅ネット(香川県観光情報)

2021年12月09日(木)晴れ/13°C/Start~66番雲辺寺/荻窪コース/走行距離9km/累積距離9km/マージコ

杉並区立中央図書館のガンジー像杉並区立中央図書館のガンジー像

昨日の雨が嘘のようで、9時過ぎにはいい天気。最終ステージスタートに最適な日和です。今日は青梅街道に出て、大田黒公園まで往復しました。

途中で公園近くの中央図書館に立ち寄りました。イチョウの黄色い落ち葉の絨毯で、図書館関係の人が一生懸命お掃除してました。読書の森公園というのが隣接してあり、図書館脇の公園に続くところにウッドデッキがあり、本を借りてテーブルで優雅に読書している人がいました。

ふっと顔を上げると、ガンジー像! えっここにあるのって、私のような昭和の戦後っ子は、図書館といえば二宮金次郎・・だよねー、ちょっと意外でした。

その足で大田黒公園に行くと、イチョウはかなり散ってましたが、真っ赤なカエデが青空に映えてました。

四国はまだ雲辺寺には届かず、唐谷峠をえっちらおっちらしてます。わーい、みなさんも頑張りましょう!

2021年12月09日(木)/66番雲辺寺/青砥、田端、練馬/走行距離20.4km/累積距離20.4km/シロスキー

マンホールカード「のらくろ」マンホールカード「のらくろ」

12月9日、病気の為中断していましたマンホールカードの収集を再開しました。本日は東京都23区発行の未収取分、青砥、田端、練馬を電車と徒歩で回りました。歩行訓練を兼ねてはいるものの、3Km程度なのに人込みを歩くのは非常に疲れる。

マンホールカードは現在(2021年8月)全国の自治体がなんと780種発行されています。シロスキーは首都圏を中心に111種集めました。写真は本日の1枚“のらくろ”です。

66雲辺寺(うんぺいじ)は寺はもちろん有名ですが、ロープウエイも有り山頂公園からの景色も非常に良く、“天空のブランコ”が有名です。

2021年12月15日(月)晴れ/13°C/〜78番郷照寺/中野長者成願寺コース/走行距離18km/累積距離88km/マージコ

中野長者成願寺境内の羅漢さま中野長者成願寺境内の羅漢さま

四国は、78番郷照寺まで来ました。郷照寺は、瀬戸大橋が眺められる宇多津町の南の高台にあり、時宗と真言宗の2つの宗派が共存する珍しいお寺です。この地では弘法大師は「厄除うたづ大師」として信仰されてまして、お寺は厄除けが有名であり、正月3が日は多くの参拝客で賑わいます。

宇多津の町名を見て、うだつの町並みで有名な「うだつ」を連想しましたが、町名は「うたづ」で違うようでした。

さて今朝は昨日の寒さは和らぎ気持ちのいい日和です。中野坂上にある中野長者成願寺まで行ってきました。成願寺の境内には、中野長者伝説の大きな解説板があります。

撮影ポイントいくつもありましたが、所作や雰囲気が私によく似ている羅漢さまから「写真お願い!」と声かけられた気がして撮りました。それにしても肌に気持ちのいい朝日です。

2021年12月17日(金)晴れ・風強し/10°C/〜79番天皇寺/別府地獄めぐり/走行距離12km/累積距離98km/サリーナ

別府温泉『海地獄』別府温泉『海地獄』

四国は第79番天皇寺に到着しました。お寺から100mほど西にある地蔵堂には、『八十場の清水』という霊水が湧き出ています。その向かいには、そんな清水と瀬戸内の恵みを利用して江戸時代に創業したという名物トコロテンの『清水屋(きよみずや)』。お遍路の途中でつるっと冷えたトコロテンを味わってみたいものです。

さて実走(歩き)は、実家の用事で九州に行ったついでに立ち寄った別府温泉。別府駅の2つ隣の亀川駅から歩き始め、いく筋もの湯けむりが立ちのぼる中をテクテク歩き、龍巻地獄、血の池地獄、海地獄など7箇所の『地獄』を見て回りました。実は小学校以来約半世紀ぶりの地獄めぐりでしたが、結構楽しくて盛り上がりました。全く変わってない昭和な雰囲気の『地獄』もあれば、記憶と違ってテーマパークのようになっていた『地獄』も。

この日は全国的に荒天で、別府も晴れてはいるものの強風が吹き荒れ、飛ばされそうになりながら『地獄』を出て何とか明礬温泉に到着。ここは別府八湯の中でも最も高台にあり、硫黄の香る白濁のお湯が楽しめます。夜になるとちらほら雪も降りだし、白濁の露天風呂は雰囲気満点~ やっぱり温泉はコレですね。

2021年12月20日(月)晴れ/5°C/第71番弥谷寺〜金毘羅宮/上野コース/走行距離15km/累積距離62km/サイダー

霜柱霜柱

四国八十八ケ所もいよいよ最終ステージです。始まる前は今年中に走り切れるかと思っていましたが、それはちょっと難しくなったようです。しかしまあぼちぼちやっていきましょう。

12月も半ばを過ぎていよいよ冬らしい気温になってきました。朝走り出す時はちょっと寒いです。私の家の近くには土の地面がほとんどないのですが、いつもの自転車コースで谷中墓地を通ると、お墓の横に土があり、そこに霜が降りていました。明け方に零度以下になったのですね。お〜寒!

さて最終ステージの讃岐ですが、高松は若い時から四半世紀に渡り仕事で通った思い出深い地です。仕事なのであまり観光の時間は取れませんでしたが、それでも有名どころだけは廻りました。ヴァーチャルは今その一つの金比羅さんに差し掛かったところです。あの長〜い階段がなつかしい。

2021年12月22日(水)晴れ/高松城址〜四国村/境川コース/走行距離13.5km/累積距離146.2km/シロスキー

高松城址高松城址

シロスキーは本日、高松城址を見学した後に四国村まで進みました。写真は高松城址を海側から見たところです。

ここのところ天気も良く、毎日の歩行訓練も順調で少し小走りも出来るようになりました。ただ、まだ左足のしびれは治らない。

コースで通過する境川の橋の名前も覚えてしまいました。新中里橋、根岸橋、山根橋、両国橋、宮前橋と進んで行きます。来年には宮前橋の次まで距離を伸ばしたいです。ただ、次の橋は目視出来ないので何m先かは判りません。

2021年12月26日(日)晴れ/気温8°C/70番本山寺→76番金倉寺手前/自宅→国立近代美術館→東京駅KITTE→自宅/走行距離44km/累積距離72km/ミルミル

金比羅大芝居(金丸座)金比羅大芝居(金丸座)

竹橋の国立近代美術館で「民藝の100年」という展覧会をやっていてしばらく前から気になっていたので、自転車で行ってみることにしました。寒いだろうと思っていたのですが、晴天の下あまり風もなく、漕いでいるとちょうど気持ちがいいくらいで寒さを感じませんでした。

さて、「民藝の100年」。「民藝運動」を始めた柳宗悦は、高級品の「上手物(ジョウテモノ)」の反対「下手物(ゲテモノ)」と呼ばれた庶民の日用品の美を見出した人です。会場は思ったより混んでいて、60年前に亡くなった柳宗悦の運動は成功したのだと思いました。この展覧会で、芸術品として作られたものではなく生活の中で使うために作られたものの素朴で力強い美しさを堪能しました。

四国は金刀比羅宮を過ぎました。2019年8月に四国駆け足旅行をした時を思い出します。8月の暑い中あの石段は長かった。写真は石段を下りてきてちょっと脇に行ったところにある金毘羅大芝居(金丸座)です。詳しい説明を聞きながら舞台裏、楽屋、そして奈落まで見学が出来て楽しかったです。

2021年12月30日(木)晴れ/15°C/第81番白峯寺〜第83番一宮寺/浅草コース/走行距離22km/累積距離135km/サイダー

霜柱隅田川の白梅

香川県は坂出を出て第81番白峯寺、第82番根香寺と進んで行きます。このあたりは紅ノ峰・黄ノ峰・青峰・黒峰・白峰山という五色の名の付いた山塊である五色台の南に当たります。五色台の北部には五色台展望台など瀬戸内海の眺望が素晴らしいところが何ヶ所もあります。

さて、今日はとても暖かかったのでそろそろ蝋梅が咲き出しているのではないかと思い、上野へ行ってみました。上野東照宮の牡丹園の中に蝋梅の木があり、これはまさに咲き出したところのようでしたが、牡丹園は元旦からのオープンで塀越しにしか見られず。そこで浅草神社に行ってみました。浅草神社の鳥居のところに蝋梅があったと思うのですが、どうしたわけか発見できずこれは残念。しかし桜が咲いていましたよ。桜はいろいろな種類があるので、実はほとんど一年中その花を見ることができます。しかしやはりこの時期は桜よりは梅でしょう。そこで隅田川の畔に出てみました。隅田公園の一角に小さな梅園があるのです。予想の通り、ここでは紅梅も白梅もそろって咲き出していました。梅は蕾もかわいらしくて好きです。

2022年01月08日(土)晴れ/11°C/第80番国分寺〜第81番白峯寺 /地元 平和台福祉会館付近/走行距離10.1km/累積距離120.5km/マサキン

南流山跨線橋南流山跨線橋

ご無沙汰しております。新型コロナ「オミクロン型」が怖いので夫婦で完全にステイホーム状態です。外出したのは、2日(日)初詣で地元雷神社参拝と、5日(水)仕事始めで会社夕礼出席だけです。8日(土)は太極拳の初舞なので、前々日の残雪が気になりましたが、まぁ表通りは大丈夫みたいなのでBirdyで出かけることにしました。

会場の平和台福祉会館に行く途中に、新しい跨線橋(松戸市馬橋~流山間5.7kmの流山電鉄が下を通っています)があり、人と自転車が区分されていて走り易く、勾配も鈍った体には程良いトレーニング環境です。

さてお遍路ですが、このままでは何時まで経っても結願しそうもないので、途中からですがウオーキング(X1倍)を加えることにしました。第80番国分寺を経て、第81番白峯寺に到着し、第82番根香寺に向かう途中です。

第80番国分寺の梵鐘は天平年間創建当時(741年)に鋳造された四国最古級と言われているもので、重要文化財です。その昔、塩江町の百々渕(ドドブチ)の大蛇がかぶっていたのを、弓の名人が退治して国分寺に寄進したとの伝説があります。第81番白峯寺は保元の乱により讃岐に配流された崇徳上皇が崩御し、当山で荼毘に付され白峯御陵に祭られた、崇徳上皇の悲劇を伝える寺でしょう。

2022年01月09日(日)晴れ/気温12℃/琴電志度線 房前駅付近→87番と88番の間、天体望遠鏡博物館付近/自宅→焼き芋「みやせん」(江戸川区北篠崎)→新小岩駅→自宅/走行距離20km/累積距離186km/ミルミル

みやせんの焼き芋みやせんの焼き芋

1月3日の「新年企画:東京お砂踏み巡り」で場所だけ確認したものの、お店がお休みで食べられなかった焼き芋屋さんの「みやせん」。みんなでお店の前で写真を撮っていたら、お店の方がちょうど帰宅されて「すみませんね。明日からなんですよ。」と言われてかえって申し訳なかったです。

今日はリベンジで行ってきました。家からさほど遠くはないし、ついでに買い物もしたかったのでママチャリででかけました。昨日までは日陰の道はかなり凍っていたりしていたのですが、今日はすこし気温も上がって残り雪も少なくなっていました。ただ、江戸川自転車道で総武線の下をくぐる坂の途中、鉄橋の陰になっている場所は雪が残っていてちょっと怖かったです。「影向の松」の善養寺を横目で見ながら通り過ぎ、親水緑道を通って「みやせん」へ。

今日はお店のドアが開いている!中をのぞくと入り口わきの小さな台にはスイートポテトと大学芋と蒸しパンが並び、店の真ん中近くには焼き芋の大きな壺。迷った末にシルクスイートの焼き芋とさつま芋入り蒸しパン(普通のと黒砂糖の2個)を買いました。3日に来た時のことをお話したら「わざわざまた来てくださったんですね!」と、喜んでくれました。仲間に送りたいので壺の写真を撮ってもいいですか?とお尋ねしたら、上の皿をどけて中も見せてくれました。焼き芋はしっとりねっとりして、口の中でとろける甘さ。おいしゅうございました。蒸しパンも美味しかった。私は特に黒糖の方が好みです。

四国は、ちょうど通り道にあった「天体望遠鏡博物館」というのが気になったので見てみました。「廃校になった小学校校舎と全国から寄贈された天体望遠鏡をリユースし、ボランティアスタッフで運営する施設」とのことで、基本的に週末オープン。土曜日は夜間天体観望会をやっているようです。なんかいいな♡と思いました。

第4ステージ順位

順位 選手名 タイム ギャップ
1 サリーナ チッポリーナ 19days -
1 マージコ バウリーニョ 19days -
3 シロスキー クアルターナ 22days +3days
4 ナオボー イーストンバーガー 29days +10days
5 ミルミル バウア 33days +14days
6 マサキン オドリゲス 46days +27days
7 サイダー レモン 71days +52days

総合順位

順位 選手名 タイム ギャップ
1 サリーナ チッポリーナ 141days -
2 マージコ バウリーニョ 142days +1days
3 マサキン オドリゲス 162days +21days
4 ミルミル バウア 178days +37days
5 サイダー レモン 213days +72days
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