丹後町の宇川温泉『よし野の里』は第三セクターが運営するもので、宿泊施設、露天風呂、イタリアンレストラン、ショップからなる気持ちのいい施設。小高いところにあるので眺めも最高! 朝の澄み切った空気がとっても気持ちいい。
部屋にはキッチンが付いているので、朝食はみんなでわいわいがやがや、ショップで買ったものを調理しました。
宿からは田んぼの中の小径を通ってみると、春の草花がたくさん。
宿の方が『穴文殊の先に棚田がありますよ。』と教えてくれたので、さっそくそこへ行ってみることにしました。
実はこのあたりはどこもかしこも斜面地なので、田んぼといえば棚田になります。
『よし野の里』の周囲にも小さいながら棚田が作られていて、私たちはまずこれを下って国道に出ます。
丹後半島を廻る国道は3桁国道で、半島内に人口が多い町がないため車はとても少なく、快適に進んで行きます。
その国道を2kmほど行くと『袖志 日本の棚田百選』の小さな看板が出ています。
袖志は『そでし』と読みます。ちょっとむずかしいかな。いや他に読みようはないか。。
見上げると、山の梺にのどかに棚田が広がっていました。なんとこの田んぼは400枚もあるそうです。
その棚田の中をちょっと上ると、北に日本海が見えるようになります。
『まだ全部の田んぼには水張ってないから、あんまりきれいじゃないけどな〜』 とは、この上りの小径で出会ったおじいさん。
『あと一週間もしたらええけどな〜』
確かに水は張りはじめられたばかりで、ほとんどの田んぼには水がない状態でしたが、それでもここの段々の田んぼは滅多に出会えない見事な風景を作り出しています。
袖志の棚田の中を行く道はほぼ等高線に沿って通っており、快適に進んで行きます。
こんなところはのんびりポタリングでしょう。
眼下にはエメラルド色の日本海と、こじんまりした袖志の集落。
棚田の東の端まで進むと、そこから道は下りに。
現在はこうした田んぼの中の道もきれいに舗装されているので、土の道だったころがなんだかなつかしく感じます。
もっとも農家の方からすれば、やっぱり舗装されていたほうがいいに決まっていますね。
国道に戻って東へ進めば、ほどなく経ヶ岬です。
『ここは下の道を行った方がええです〜』とケンボーズ。しかし・・・
緩やかな下りが激坂下りとなり、標高0mになってしまうのでした。そしてその先には20%越えの激坂上り!
『どうしてくれんの、ケンボーズ!』
『ありゃま、どうしましょ… でも、道はあるはずなんですよ、灯台までね。。』どこかで聞いたようなセリフですね・・・
実はこのコースはハイキング・コースでした。ということでここからは自転車を置いてハイキングです。
登り出すとすぐ、海の中に妙なものが見え出しました。あれは定置網でしょうか。
まだ登り出してから5分しか経っていないのに、『へぇへぇ、まだかいなぁ〜』と宣うのは上りに弱いジーク。
まあそれはともかくここは、えっこらよっこら、ゆっくり登っていきます。
20分ほど登ると灯台に到着しました。
この灯台の下部はりっぱな石造り。
『こんな石、どうやって運んできたのかな〜。』と全員感心しました。
そこから登って来た側と反対の南東を眺めると、これまたもの凄く急な斜面の山の連続。
ここは丹後半島の突先! ぐるりと廻った南東側の風景は見事な凸凹の海岸線。
『これからあそこ、ゆくんやろうか〜。』 と、ちょっと不安ぎみのナオボーでした。
足元にはウラシマソウという奇妙な植物が見えます。
この名は浦島太郎が釣り糸を垂れている姿に見立てて名付けられたとされますが、なんだかもうちょっとグロテスクな感じですね。
さて、経ヶ岬灯台からはやってきた道を下って自転車をピックアップしなければなりません。
充分にハイキングを楽しんで出発点に戻ると、みんなへいへいしています。とにかく0mから130mほど上ったのですからね。
そしてこれから私たちが向かう海岸線はこんなです。ん〜〜〜ん、かなりきつそう〜
岬から先はアップダウンが心配でしたが、実は上りは最初だけで、あとは下りでした。(笑)
真っ青な海を見下ろしながら複雑に入り組んだ海岸線を豪快に下ります。
このあたりはカマヤ海岸といい、リヤス海岸で断崖絶壁の連続です。
ここまで下ると、そのあとは海沿いのほぼ平坦な道になります。
先に見えていたボテッとした島が近づくと、道の脇に『蒲入ロードパーク』という小さな公園が現れました。
そこから下を眺めると、ごつごつした岩場ときれいなエメラルドブルーの海。
蒲入の先で道は海岸を離れ内陸へ。ここはちょっと上り。
そして伊根町の本庄宇治に下ると、そこに浦嶋神社があります。
このあたりは浦嶋子(浦島太郎)の物語の舞台となったところで、この神社は当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績をたたえて825年に建立されたと伝わります。日本最古とされる浦嶋太郎の物語が細かく描かれた浦嶋明神縁起絵巻や、なんと玉手箱があるそうです。もっともこの玉手箱は室町時代に作られたもののようなので、だいぶ時代が違いますが。
浦嶋神社からは伊根の舟屋へ向かいます。
ここからもしばらく内陸を行きます。この先に峠という集落があり、六万部との間にちょっときつい上りがありました。そんなところは休み休みゆっくりとね。六万部からは泊へ出て海岸線を行く手もあるのですが、内陸路の方がアップダウンが少なそうなので、伊根までずっと内陸を行きます。
海、山、里を楽しんだあと、再び海岸線に戻るとゆったりとした下りになります。
先に伊根湾が見えてきました。
私たちはまず丘の上の『舟屋の里公園』へ向かいました。この公園からは舟屋が取り巻く伊根湾が一望にできるのです。
伊根湾は波が少なくとても穏やかですが、それは湾の出口に青島という島があるからです。この写真の左端にちょこっと写っているのがその青島です。
湾の周囲をぐるりと、めずらしい造りの家々が取り囲んでいます。あれが『伊根の舟屋』です。
湾の中に見えるのは養殖用の生け簀でしょう。
ブリやカンパチ、マダイ、そして夏には岩牡蠣も育てられるようです。
『伊根の舟屋』は2階建で、1階は船のガレージ、2階は住居。
現在はすべて切妻屋根で、妻面が湾を向いています。もっともこのようになったのは明治時代以降だそうで、それ以前は屋根も瓦葺きではなく草葺きだったそうです。
『舟屋の里公園』で眺望を楽しんだら、湾へ下ってみます。
この湾の水は驚くほど透明できれい。
舟屋の1階は水面ではなく土間になっていて、舟を引き上げて格納するようになっています。
右側の舟屋のガレージに舟が2艘格納されているのが見えます。
通りから舟のガレージをちょっと覗かせてもらいました。
このお宅にはしっかりと昔ながらの舟が納められていましたが、これはもう舟としては使われていないようです。
ここはおそらくまだ本来の使われ方がされているのでしょう。舟のスペースが空けられています。左側にはスロープが設けられ、舟を押し出せる構造になっています。
しかし、本来の目的とは異なる倉庫や物干し場などの用途として使っている家がかなり多く見受けられました。これはおそらく、現在は舟が大型化したためだろうと思われます。
現在の船はこのようなものが主ですからね。ガレージに入れたくても入りませんね。
この集落の主な産業は漁業ですが、家の隣に立派な土蔵がある家がかなり多くあります。少なくともある一時はかなり繁盛した集落と見えます。
土蔵の上の方には鏝絵(こてえ)が見られます。
舟屋の通りを進みます。この通りはひっそりとしていて、人影がほとんどありません。ちょっと驚くほどに静かです。
道を挟んで湾と反対側にも建物が立っていますが、大抵の場合、本来の住居はこちらで、湾側の2階は二次的な住居だそうです。いうなれば湾側は仕事場で、山側が住居なのです。つまりこの通りを挟んで、行ったり来たりするんですね。
伊根湾はクルーズできます。
湾の西の外れの日出という所から、こんなクルーズ船が出ています。
伊根湾は何ヶ所かで対岸を撮影できるので、舟屋の写真を撮るだけならクルーズまでする必要はないかもしれませんが、やはり海から眺める集落は何ともいえない味わいがあります。
こうしてみると、集落のうしろすぐのところまで山が迫っているのがわかります。
かつてここでは湾に入ってきた鯨を捕獲していたそうです。
紀伊や肥前の捕鯨は専門の組織で行われましたが、伊根のそれは鯨が入ってきた時にその周りを二重三重の舟で取り囲んで追い込む独特のもので、庄屋の指揮の元、村人総がかりで行われるものだったようです。
ちょっと見てみたいですね。
たっぷり伊根湾一周クルーズを楽しんだら、今宵の宿がある天橋立へ向かいます。
伊根湾から先は道が広くなり、交通量も増えてきます。平坦な道を快走して天橋立に到着。その天橋立は明日の楽しみに。